返ってくるまでが仕事
水車場から戻った翌日、俺は三度目の二十挺を見て回った。
最初の五挺はすでに主要な仕事へ入り、次の五挺も材料の切り分けが進んでいる。佐吉は藤吉に小物の寸法を確認させながら、自分は別の部品を進めていた。以前なら藤吉が削った物を佐吉が一つずつ見ていたが、今は当て金と見本を使わせ、怪しいものだけ持ってこさせている。
「それ、削りすぎんなよ」
「分かっとるって」
「前もそう言うて削りすぎたやろ」
「一回だけやん」
「一回あったから言うとるんや」
俺が横から覗くと、佐吉がこちらを見た。
「何です?」
「いや、ちゃんと教えとるなと思って」
「教えますよ。こいつ間違えたら俺が直すことになるんですから」
「そこなん?」
「そこです」
立派な教育理念ではなかった。
だが、それでいい。
藤吉も口では文句を言いながら、当て金へ部品を当ててから鑢を入れている。削る前に見るという癖がついただけでも、以前よりずっといい。
少し離れたところでは五平が銃身の仕事を進めていた。弥吉は難しい合わせを一つ終えたところで、次の仕事へ移ろうとしている。誰かの前に仕事が山積みになっている様子はなく、途中の品も決めた場所から大きく溢れてはいない。
「今どんな感じ?」
俺が聞くと、五平は手を止めずに答えた。
「普通や」
「普通?」
「普通やな」
「何か困っとらん?」
「今は別に」
「ほんまに?」
五平がようやく顔を上げた。
「困ってほしいんか?」
「そういうわけちゃうけど」
「ほなええやろ」
追い払われた。
工房の端では宗次郎が帳面をつけている。俺が近づくと、こちらから聞く前に開いた頁を見せてきた。
「今のところ予定通りです。鉄も足ります」
「次の材料は?」
「善右衛門さんから、数日中に持ってくると聞いてます」
「なら大丈夫やな」
「はい」
終わった。
朝の確認が、終わってしまった。
最初の二十挺では朝から晩まで工房の中をうろつき、仕事の詰まりを探し、誰が何を待っているか確かめていた。それが今では、一回りして話を聞けば大体分かる。
「……暇やな」
「仕事ありますよ」
「分かっとる」
宗次郎が水車場の帳面を差し出した。
「これ」
「そういう意味ちゃうねん」
「今日、最初の研ぎものが戻ってきます」
「分かっとるって」
「なら暇じゃないですね」
こいつ最近、俺の扱いが雑になってないか。
*
昼過ぎ、善右衛門の店へ行くと、研ぎ終えた荷がすでに届いていた。
水車場から戻ってきた包みは五つ。昨日決めた通り、一包みずつ作業したため混ざったものはなく、それぞれに番号札も残っている。
十七番。作兵衛、鏨三本。
十八番。岩松屋、鏨二本。
十九番。久兵衛、小刀四本。
二十番。保留。
二十一番。鏨二本。
「十一?」
俺は数え直した。
「十二本ちゃうかった?」
「二十番の包丁が一本あります」
お澪が言った。
「ああ、そうか」
「研いでないだけで、預かってはいます」
「そうやったな」
「だから十二本です」
「分かっとるわ」
「今、十一って言いましたよ」
「数え間違えただけや!」
お澪が帳面に目を戻す。
腹が立つ。
宗次郎が横で数を確かめ、包みと帳面を照らしている。俺も十七番の縄を解き、中の鏨三本を取り出した。
「これ返す前に見た方がええな」
「何を見るんです?」
お澪が聞く。
「ちゃんと研げとるか」
「誰が?」
「俺が」
「全部?」
そこで止まった。
五つなら見られる。
十でも見られる。
では、五十になったら?
「……全部俺が見るのは違うな」
「市兵衛さんが研いだんでしょう?」
「そうやけど、研いだ本人だけで終わりにしたら、間違っとってもそのまま返る」
宗次郎が鏨を一本手に取った。
「榊屋ではどうしてます?」
「何を?」
「人に任せた仕事」
考える。
藤吉が加工した物なら当て金へ通す。佐吉が判断に迷えば見本と比べる。それでも分からない物は弥吉や父へ上げる。
全部を一人が見るわけではない。
「研ぎものにも、見るところ決めるか」
「どこです?」
「そこを考える」
お澪がこちらを見た。
「今日返すんですよね?」
「……そうやな」
「今から考えるんです?」
「今気づいたんやからしゃあないやろ!」
*
結局、その日は俺が確認した。
刃先が明らかに歪んでいないか。欠けが残っていないか。削りすぎて形が大きく変わっていないか。鏨なら実際に木片へ軽く当て、小刀は刃先を目で見て触れる。
俺自身、刃物研ぎの名人ではない。だから「最高の研ぎになっているか」を見るのではなく、頼まれた仕事として返せる状態かどうかだけを見る。
「十九番、これええと思う」
「四本とも?」
「うん」
宗次郎が帳面へ印を付ける。
「十八番も大丈夫」
「二十一番は?」
「まだ」
お澪が俺の横へ来た。
「何を見てるんです?」
「欠けと形」
「それだけ?」
「今はな。あと明らかにおかしいのがないか」
「それ、私でも分かります?」
「……物による」
俺は鏨を一本渡した。
「これは?」
お澪が刃先を見る。
「尖ってます」
「見たら分かるわ!」
「知らないんだから仕方ないでしょう!」
そうだった。
俺たちには当たり前でも、鍛冶仕事をしない人間には何を見ればいいか分からない。
「ここ見て」
刃先を指す。
「この辺が欠けとらんか。あと、こっちから見て変に斜めになっとらんか」
「これは?」
「大丈夫」
「こっちは?」
「それも大丈夫」
お澪は二本を並べた。
「同じくらいならいい?」
「同じにする必要はないで。元の形も違うから」
「じゃあ何と比べるんです?」
難しいところを突いてくる。
鉄砲の部品なら、寸法や見本がある。
他人が持ち込んだ道具には、それがない。
「預かったときの状態やな」
「でも研ぐ前の物、もうないですよ」
「……絵?」
口にしてから考えた。
毎回、刃先の形を描く?
できなくはない。
だが、それを十二本、二十本、五十本と続けるのは重い。
「無理やな」
「早かったですね」
「何でも書いたらええってもんちゃう」
必要な情報だけ残さなければ、記録すること自体が仕事になる。
それは違う。
「大きい欠けとか、変わった形だけ書く。それ以外は普通に研いで、明らかにおかしいやつだけ止める」
「普通って何です?」
「……」
「兄上」
「お前まで言うな」
宗次郎は何も言っていない。
顔が言っていた。
*
最初に取りに来たのは作兵衛だった。
「おう、できたか」
「できたで」
俺が十七番の包みを出すと、お澪が先に帳面を開いた。
「鏨三本ですね」
「せや」
「預けたとき、頭の潰れた物が一本、柄の近くに傷がある物が一本ありました」
「そうそう」
「確認してください」
作兵衛が包みを開く。
三本を見て、そのうち一本の刃先を指でなぞった。
「ええやん」
「使ってみんと分からんけどな」
俺が言う。
「前より楽やったら十分や。研ぐん面倒やねん」
作兵衛は笑い、三本を包み直した。
「また頼んでええんか?」
「ええで」
俺より先に善右衛門が答えた。
「お前の商売ちゃうやろ」
「俺の商売や」
「砥石作ったん俺やぞ」
「客取ってきたん俺や」
「研いどるん市兵衛や」
「ほな誰の商売や」
二人で考えた。
「……知らんな」
「知らんな」
作兵衛が笑った。
「銭払う先だけ決めといてくれ」
「それは俺や」
善右衛門の返事だけは早かった。
*
次に来た岩松屋も、鏨を見て特に文句を言わなかった。
久兵衛のところへは荷のついでに返すことになっている。二十一番も同じ便へ載せる。
問題は二十番だった。
持ち主が店へ来ると、お澪が包丁を見せた。
「ここが大きく欠けてます。直すには、かなり削るそうです」
「使えるようになるんか?」
持ち主が俺を見る。
「なるとは思う。ただ、刃の形は少し変わる」
「使えたらええよ」
「ほんまに?」
「包丁やぞ。飾っとくもんちゃう」
それもそうか。
「ほな削ってええ?」
「頼むわ」
お澪が帳面へ書き込んだ。
「削ってよし、と」
「それだけ?」
「他にあります?」
「いや」
短い。
だが、それで十分だった。
俺は帳面を覗き込む。
昨日までは「欠けあり」としか書いていなかったところへ、今日新しく持ち主の意思が加わった。
物の状態だけでは足りない。
どうしてほしいのかも、仕事の一部なのだ。
*
「これ、誰が確認するん?」
夕方、俺は善右衛門に聞いた。
「何を?」
「研いだ後」
「お前ちゃうんか?」
「毎回来れるか」
「無理やな」
「即答すんな」
「お前、鉄砲作らなあかんやろ」
正しい。
俺は榊屋の人間だ。
水車場の研ぎものが増えるたびに俺が検査へ来ていたら、何のために市兵衛へ任せたのか分からない。
「市兵衛に自分で見てもらう?」
宗次郎が言った。
「それだけやと不安やな」
「なら、返す前に善右衛門さんのところで見る?」
「俺に刃物の良し悪し分かる思うか?」
「思わん」
「なんで聞いた」
善右衛門が怒った。
お澪が帳面を見ながら口を挟んだ。
「分からない物だけ榊屋へ持っていけばいいんじゃないですか?」
俺は彼女を見る。
「どういうこと?」
「市兵衛さんが普通に研げた物はそのまま返す。欠けが大きいとか、形が変わるとか、研いでいて何か変だと思った物だけ止める。それを榊屋さんに聞く」
「市兵衛が判断できるかな」
「昨日、二十番を止めたのは市兵衛さんでしょう?」
そうだった。
あの男は包丁を見て、自分で「どうする」と聞いた。
名人ではない。
だが、分からないことが分からないほど素人でもない。
「……いけるかもしれんな」
宗次郎が頷く。
「全部見るんじゃなくて、困った物だけ見るんですね」
「うん」
それなら俺でなくても、榊屋の誰かが対応できる。喜兵衛でもいいし、刃物の状態によっては五平でも分かる。
「ほな次からそれでやってみよ」
「書きます」
「宗次郎」
「何です?」
「今日は書いてええ」
「いつも書いていいです」
*
それから数日、研ぎものの仕事は特に大きな問題を起こさなかった。
市兵衛から一度、刃先の割れた鏨について問い合わせが来た。喜兵衛が見て研がずに返すよう伝え、善右衛門の店では持ち主へ理由を説明した。
札も一枚外れたが、もう一枚が残っていた。
返す便が一日ずれた荷もあったが、次の便になると最初から伝えてあったので揉めなかった。
たったそれだけだった。
ただ、仕事というのは、たぶんそれでいい。
何も起きなかった日を作るために、先に面倒なことを決めておく。工房の中で俺たちがやってきたことと、やっていることはそれほど変わらない。
研ぎものを預ける鍛冶屋は四軒になった。
善右衛門は五軒目を探そうとしていたので止めた。
「なんでや」
「一回待て」
「回っとるやん」
「回っとるから待つんや」
「意味分からん」
「今どんだけ余裕あるか分からんまま増やしたら、また詰まるやろ」
「市兵衛に聞いたらええ」
「聞く。水車場にも聞く。荷がどんだけ増えるかも見る」
善右衛門が不満そうな顔をした。
「慎重やなあ」
「親父にも言われるけど、俺は本業鉄砲屋やからな」
「俺の親父みたいなこと言うな」
「お前の親父や!」
*
三度目の二十挺は、その間にも進んでいた。
最初の十挺が組み上がり始め、残りも工程へ入っている。俺が研ぎもののことで外へ出ている日が増えても、工房の流れが止まることはなかった。
むしろ以前より、俺が工房へ戻ったときに知らないことが増えた。
「これ誰が変えたん?」
「俺や」
喜兵衛が答える。
小物を置く木箱に仕切りが増えていた。
「なんで?」
「混ざるから」
「ええやん」
「せやろ」
別の場所では佐吉が当て金を置く場所を変えている。
「なんでそこ?」
「藤吉が毎回取りに来るん面倒なんで」
「ええやん」
「せやろ」
五平は仕掛かりの置き場を一つ減らしていた。
「なんで?」
「余っとったから」
「……ええやん」
「せやろ」
俺の知らないところで、工房が勝手に変わり始めている。
前なら、少し不安になったかもしれない。
今は違う。
変えて困ったら戻せばいい。良かったら残せばいい。
それを俺以外の人間がやり始めたことの方が、ずっと面白かった。
*
その日の夕方、父と三度目の二十挺を見ていた。
「早いな」
俺が言う。
「そうか?」
「早いやろ。最初の二十挺のとき、もっと大騒ぎしとったで」
「お前がな」
「みんなや!」
「お前が一番うるさかった」
否定できない。
父は組み上がった鉄砲を一挺取り、動きを確かめた。火縄金具を動かし、銃身と台木の合わせを見てから、元の場所へ戻す。
「悪うない」
「それ、父ちゃんが言うたら結構ええやつやな」
「悪うない言うとるだけや」
「はいはい」
父が俺を見る。
「水車の方は?」
「だいぶ落ち着いた」
「儲かっとるんか」
「知らん」
「なんでや」
「善右衛門に聞いて」
「お前が始めたんやろ」
「砥石はな」
「ほな今度聞いとけ」
「なんで父ちゃんが気にすんねん」
「儲かるなら、もう一個回したらええやろ」
俺は父の顔を見た。
「……興味あるやん」
「銭の話や」
「善右衛門と同じこと言うとるで」
「一緒にすんな」
この人も大概である。
俺は笑いながら、並んだ鉄砲へ目を戻した。
水車場の仕事は、まだ小さい。
榊屋の二十挺も、世の中全体から見れば大した数ではない。
それでも、前より少ない騒ぎで同じ数を作れるようになり、俺がいなくても仕事のやり方が変わるようになった。工房の外では、別の人間が俺たちの作った砥石を使って、別の鍛冶屋の仕事をしている。
少しずつ、俺の手から離れている。
悪くない。
「虎松」
店先から宗次郎の声がした。
「なんや?」
「善右衛門さんから使いが来てます」
「研ぎもの?」
「違います」
宗次郎が一枚の紙を持って入ってきた。
「残りの鉄、明後日持ってくるそうです」
「ああ、やっと来るんか」
「炭も一緒です。それと、善右衛門さん本人は来ないそうです」
「誰が来るん?」
宗次郎が紙を見る。
「息子さんが来る、と」
俺は少し考えた。
「……善次郎?」
「はい」
その名前を聞くのは、久しぶりだった。
善右衛門の息子で、俺より十ほど上。昔は店で何度か顔を合わせたが、ここ数年は尾張の方へ出ていることが多く、榊屋ではほとんど見ていない。
「珍しいな」
「材料を持ってくるだけじゃないみたいですよ」
「何で?」
「連れがいるそうです」
「誰?」
「そこまでは書いてません」
父が横から口を挟んだ。
「客なら掃除しとけ」
「そこ?」
「汚い工房見せるんか」
「いつもと同じでええやろ」
「いつも汚い言うとるんや」
反論できなかった。
宗次郎が紙を畳む。
「明後日です」
「分かった」
久しぶりに善次郎が来る。
それだけなら、特に気にすることでもない。
ただ、尾張にいることの多いあいつが、わざわざ材料と一緒に榊屋まで来るというのは少し珍しかった。
しかも、連れまでいるらしい。
「兄上」
「なんや」
「掃除、明日やります?」
「……やろか」
父が鼻で笑った。
「最初からそう言え」




