仕事を運ぶ
翌朝、俺は宗次郎を連れて水車へ行く準備をしていた。
目的は単純で、榊屋から粉挽き場まで仕事を運んで、本当に得になるのかを確かめるためだ。工具を何本か持って行き、往復にどれくらい掛かるか、現地でどれくらいの仕事ができるかを見る。正確な時計はないので時間を数字にするのは難しいが、朝の鐘や太陽の位置を目安にすれば、少なくとも半日仕事なのか、一日の大半を食うのかくらいは分かる。
宗次郎には、持ち出す物を帳面へ書いてもらった。
「鏨三本、鑢二本、古い金具六つ」
「鑢は研がんぞ」
「持って行くって言ったの兄上です」
「そうやった」
「何に使うんです?」
「向こうで砥石使ったあと、仕上げに要るかもしれん」
「では持って行きます」
宗次郎が淡々と書き足す。
俺は包みを確認し、立ち上がった。
「行こか」
「おう」
父が答えた。
俺は父を見た。
父も俺を見た。
「……父ちゃん?」
「なんや」
「どこ行くん?」
「水車」
「なんで?」
「見に」
「なんで?」
「見たらあかんのか」
「いや、ええけど」
昨日まで「仕事見てから行け」と言っていた人が、今日は当然のように一緒に行くつもりらしい。
「仕事は?」
「弥吉に言うた」
「俺には仕事見ろ言うたやん」
「見た」
「いつ」
「お前より先」
何も言えない。
宗次郎が帳面から顔を上げた。
「父上も行くなら、人数三人ですね」
「それ書くん?」
「書きます」
「なんで?」
「仕事として行くなら、人が何人取られるかも要るでしょう」
父が宗次郎を見た。
「俺は見に行くだけやぞ」
「一人です」
「……そうか」
父まで黙った。
強い。
*
榊屋を出て少し歩いたところで、さらに一人増えた。
「どこ行くんや」
声を掛けてきたのは善右衛門だった。
「水車」
「また?」
「使えるようになった」
「ほんまか」
「ほんま」
「ほな俺も行く」
「なんでや!」
「見たい」
「父ちゃんと同じこと言うな!」
振り返ると、父が嫌そうな顔をしていた。
「俺と一緒にすんな」
「なんや源兵衛。お前も見物やろ」
「俺は仕事見に行くんや」
「さっき見に行くだけ言うてたやん!」
「うるさい」
人数が四人になった。
宗次郎が帳面を開く。
「四人」
「俺も数えるんか?」
善右衛門が聞いた。
「歩いて行くなら」
「俺、榊屋の仕事ちゃうぞ」
「では別にします」
「何が違うんや」
「あとで考えます」
宗次郎が怖くなってきた。
*
粉挽き場へ着くと、父は水車そのものにはほとんど目を向けなかった。
外の大きな輪を一度見ただけで中へ入り、俺たちが作った砥石の前へ行く。台を押し、軸を覗き込み、縄の張りを指で確かめる。
「これか」
「そう」
「回して」
「いきなり?」
「見に来たんや」
興味津々やないか。
口には出さなかった。
水車職人にも断り、仕掛けを動かす。水車から回転を受けた輪が動き、縄を介して砥石側の軸が回り始める。
父は黙って見ていた。
回転が落ち着いたところで、持ってきた古い鏨を受けに乗せ、砥石へ当てる。ざりざりと音を立てながら刃先が削れていく。
「ほら」
「貸せ」
「え?」
「貸してみ」
鏨を渡す。
父は受けの位置を確かめ、自分で砥石へ当てた。
少し削る。
離す。
刃先を見る。
また当てる。
「……ふん」
「どう?」
「使える」
俺は思わず笑った。
「なんや」
「いや」
「何笑っとんねん」
「別に」
父が睨んでくる。
嬉しかった。
この人の「使える」は、かなり重い。
*
「これ、鉄砲削れるんか?」
善右衛門が聞いた。
「その聞き方やめて」
「なんで?」
「鉄砲丸ごと突っ込むみたいやろ」
「削るんやろ?」
「荒い加工ならな。仕上げは無理やし、何でもこれで削るつもりもない」
善右衛門は砥石を眺めた。
「どれくらい早い?」
「それ調べに来た」
「まだ分からんのか」
「使えるようになったん昨日やぞ」
俺は持ってきた金具を出した。
六つとも、もう製品には使わない端材に近いものだ。同じくらいの量を落とすよう印を付け、そのうち三つを砥石で、残り三つを今まで通り手で削って比べる。
「誰がやる?」
俺が聞くと、父が答えた。
「俺やる」
「どっち?」
「手」
「なんで?」
「比べるんやろ。お前と俺でやったら腕違うやん」
言い方が腹立つが正しい。
俺が手作業をして、父が砥石を使えば、機械が速いのか父が速いのか分からなくなる。
「ほな父ちゃん、両方やって」
「なんで俺が」
「比較するため」
「見に来ただけやぞ」
宗次郎が帳面を開いた。
「お願いします」
父が黙った。
「……三つずつやな」
「はい」
宗次郎には弱い。
*
厳密な時間は測れないので、同じ人間が同じ程度の加工を続けて行い、体感と作業量を見ることにした。
まず父が鑢で三つ削る。
速い。
見ていて腹が立つくらい速い。
「父ちゃん、それ比較にならんくない?」
「なんでや」
「普通もっと遅いやろ」
「知らんがな」
それでも三つ終わるころには、腕を使っているのが分かる。父本人は平然としているが、鑢を往復させなければ鉄は減らない。
次に砥石を使う。
ざりざりと音が続く。
父の腕はほとんど往復しない。金具を支え、角度を変え、削れ具合を見ながら押し当てるだけだ。
「どう?」
「楽やな」
「速さは?」
「こっちの方が早い」
「どれくらい?」
「知らん」
「そこ知りたいねん!」
「時計でも持ってこい!」
持っていたら苦労していない。
宗次郎は二つの作業を見比べながら、何かを書いていた。
「何書いとるん?」
「父上が手で三つ削っている間に、どのくらい進んだか覚えておこうかと」
「どうやって?」
「朝の鐘からここへ来るまでと、作業を始めたころの太陽の位置です。正確には分かりませんけど、同じ日の比較なら多少は使えるでしょう」
「賢いな」
「兄上が数えろと言うから考えたんです」
弟が便利すぎる。
*
六つ終わったところで、善右衛門が口を開いた。
「これ、ここでやる必要あるん?」
「水車ここにあるからな」
「ちゃう。榊屋から持ってくる必要あるんかって聞いとる」
「同じ意味やろ」
「違う」
善右衛門は削り終えた金具を一つ持ち上げた。
「この形になる前のやつ、俺が持ってきたらええんちゃうん?」
俺は善右衛門を見た。
「どういうこと?」
「材料や。榊屋へ入れて、榊屋で途中まで作って、それ持ってここまで来て削って、また榊屋戻すんやろ?」
「そうなるな」
「ほな最初から、ここで削る分だけこっちへ持ってきたらええやん」
宗次郎が顔を上げた。
「材料を?」
「全部やないで。ここでやる仕事だけや」
話が少し変わってきた。
俺は頭の中で工程を並べた。
材料が榊屋へ来る。
切る。
形を作る。
荒く削る。
仕上げる。
合わせる。
その途中に水車を入れようとしていた。
だから榊屋から仕掛品を運ぶことばかり考えていた。
「でも、ここで最初からできる形ばっかりちゃうで」
「せやから、できるやつだけや」
「誰が加工するん?」
「それは知らん」
「一番大事なとこ!」
「そこはお前らの話やろ!」
善右衛門は商人である。
工程までは面倒を見てくれない。
*
「待ってください」
宗次郎が口を挟んだ。
「それをやるなら、もっと面倒になります」
「何が?」
俺と善右衛門が同時に聞いた。
「数です」
宗次郎は持ってきた包みを指した。
「今日は鏨三本と金具六つです。僕が書いていますから、何を持ってきて何を持って帰るか分かります。でも二十挺分になったら、もっと増えますよね」
「増えるな」
「榊屋で途中まで作った物と、ここへ直接持ってくる物が混ざったら、どれがどこにあるか分からなくなりませんか?」
俺は黙った。
なる。
「ここで失くしたら?」
「困る」
「一つだけ削りすぎたら?」
「作り直す」
「それ、誰が榊屋へ伝えるんです?」
「……」
「ここで仕事する人は、榊屋の札見られませんよ」
なるほど。
機械を工房の外へ出すということは、工程を工房の外へ出すということだ。
今まで壁に掛けた札を見れば分かった。
誰が何を持っている。
どこまで進んでいる。
何が止まっている。
それが水車のところでは見えない。
「札持ってくる?」
俺が言うと、宗次郎が首を振った。
「持ってきたら榊屋で見えなくなります」
「もう一枚作る?」
「同じこと書くんですか?」
「……書く人増えるな」
「はい」
面倒くさい。
機械一個置いただけなのに、管理するものが増えていく。
*
「そんな難しく考えんでもええんちゃうか」
父が言った。
珍しく父が管理の話へ入ってきた。
「二十挺全部ここで削ろうとするからやろ」
「どういうこと?」
「まず工具だけでええやん」
父は研いだ鏨を持ち上げた。
「鏨も刃物も、何本かまとめて持ってきたらええ。研いで持って帰る。それだけなら数も知れとる」
「金具は?」
「まだ早いやろ」
「使えたで」
「一回な」
父は砥石を見る。
「鉄砲の部品でやるなら、削りすぎたときどうするか、誰にやらせるか、どこまで削るか決めてからや。道具研ぐんとは話違う」
正しい。
俺は少し悔しくなった。
「父ちゃん、結構考えてるやん」
「当たり前やろ」
「見に来ただけちゃうん?」
「うるさい」
善右衛門が笑った。
「源兵衛、めっちゃ気に入っとるやん」
「気に入ってへん」
「自分で六つ削っといて?」
「比べただけや」
「鏨持って帰る気やろ」
「……研いだんやから持って帰るやろ」
気に入っている。
*
話を整理すると、いきなり製品の工程を外へ出すのはやめることになった。
まずは工具から始める。
榊屋で使う鏨や刃物をまとめ、決まった日に水車へ持ってくる。そこで研ぎ、同じ日に持って帰る。数は持ち出す前に宗次郎が書き、戻ったら確認する。
これなら工程途中の鉄砲部品が行方不明になることはない。
「誰が持ってくる?」
宗次郎が聞いた。
「俺?」
「兄上が毎回行くんですか?」
「……嫌やな」
「水車作った本人やろ」
善右衛門が言う。
「俺が毎回運んでたら、人力減らすために人力増やしとるやん!」
「ほな誰か雇う?」
「工具研ぐためだけに?」
「他の荷も運ばせたらええ」
善右衛門が軽く言った。
俺は嫌な予感がした。
「他の荷って?」
「どうせ俺の荷、堺の外へ出たり入ったりしとる。こっち通る便に載せられんか見たらええ」
「待って」
「何や」
「話大きくしてへん?」
「お前が水車使いたい言うたんやろ」
「工具研ぎたい言うただけや!」
「ほな研いだらええやん」
善右衛門にとって、物を運ぶことは特別な仕事ではない。
商売をしていれば、荷は動く。
どこから何を仕入れ、どこへ届け、帰りに何を積むか。それを組み合わせるのが日常なのだ。
俺には工程の話でも、善右衛門には物流の話だった。
「場所教えて」
宗次郎が言った。
「何の?」
「善右衛門さんの荷がどこを通っているかです。榊屋からここへ来る途中と重なるところがあるなら、そこまで持って行けば済むかもしれません」
善右衛門が宗次郎を見た。
「お前、商人なる?」
「なりません」
「即答か」
「帳面増えそうなので」
善右衛門が笑った。
*
帰り道、人数は相変わらず四人だった。
ただし、来たときより荷物が増えている。研いだ工具に加え、善右衛門が「ついでや」と粉挽き場から預かった小さな荷まで持っていた。
「なんで俺が持っとるん」
俺は包みを抱え直した。
「帰り道やろ」
善右衛門が答える。
「俺、物流改善しに来たんちゃうぞ」
「今しとるやん」
「勝手に荷増やすな!」
父が横で笑っていた。
「何笑っとんねん」
「お前、どんどん仕事増えるな」
「誰のせいやと思っとる!」
「お前やろ」
否定できないのが腹立たしい。
少し前まで、俺が考えていたのは砥石を回すことだけだった。
水車を使えば、人が砥石を回さなくて済む。
それだけの話だったはずだ。
だが、実際に使えるようにすると、その前後が見えてきた。
何を持っていく。
誰が運ぶ。
どこで数える。
誰が加工する。
いつ持って帰る。
不良が出たら誰へ伝える。
機械だけ速くしても、仕事全体が速くなるとは限らない。
宗次郎が帳面を見ながら歩いている。
「何書いとるん?」
「今日分かったことです」
「何個ある?」
「結構あります」
「見せて」
「帰ってから整理します」
頼もしい。
俺は前を歩く父と善右衛門を見る。
一人は鉄砲を作ることしか考えていない。
一人は儲かるかどうかしか考えていない。
たぶん。
「源兵衛」
善右衛門が父に声を掛けた。
「なんや」
「あれ、他の鍛冶屋も使うんちゃうか」
俺は顔を上げた。
父も善右衛門を見る。
「知らん」
「工具研ぐだけでも銭取れるやろ」
「おい」
嫌な方向へ話が進み始めた。
「水車借りて、砥石置いて、鍛冶屋から研ぎもん集める。榊屋だけで使うよりええんちゃうか?」
「待て待て待て」
善右衛門は歩きながら指を折っている。
「研ぐ職人一人置いてな。俺の便で集めて、まとめて運んで、研いだら戻す」
「善右衛門」
「なんや」
「それ、もう別の商売や」
「せやな」
「せやな、ちゃうわ!」
宗次郎が帳面を開いた。
「書いときます?」
「書かんでええ!」
父が笑った。
「書いとけ」
「父ちゃん!?」
「面白いやん」
この親父。
完全に興味を持っている。
*
榊屋へ戻ってから、宗次郎と今日の結果を整理した。
まず工具の研ぎから始める。
まとめて運ぶ。
行き帰りだけのために人を出さない。
善右衛門の荷の動きと重ねられるか調べる。
製品の加工を外へ出すのは、その仕組みが回ってから考える。
そして、最後に宗次郎が一行書き足した。
「水車の近くに仕事場があれば、運ぶ物を減らせる」
俺はその文字を見た。
「それ誰が言うた?」
「誰も言ってません」
「消して」
「なぜです?」
「嫌な予感する」
「でも、そうでしょう?」
「そうやけど」
水車の近くに、工具を置く。
人を置く。
材料を置く。
そこで荒い加工までできるようにする。
そうすれば、毎回榊屋との間を往復する必要は減る。
理屈は分かる。
分かるから嫌だった。
「兄上」
「なんや」
「これ、仕事場をもう一つ作る話になりません?」
俺は帳面を閉じた。
「今日は終わり」
「まだ明るいですよ」
「終わり!」
砥石を回したかっただけである。
どうして工房が増えそうになっているのだろう。




