削る時間
二度目の二十挺は、前回より明らかに速かった。
十日を過ぎたころには最初の五挺が工房の後半へ入り、六番から十番もそれぞれ動いている。前回のように、どこで何挺が止まっているのか分からなくなることもない。職人たちは壁の札を自分で動かし、次に来る仕事を見ながら手元を空けるようになっていた。
新しく決めた寸法も、少しずつ仕事へ馴染んでいる。
最初から位置が決まっている穴は迷わず開けられる。幅を揃えた金具は見本と比べやすく、佐吉や藤吉が作ったものでも、最後の合わせへ入る前のばらつきが減った。反対に、材料や相手によって変えた方がいい場所は早々に決め事から外したので、職人が無理に寸法へ合わせようとすることもない。
全部を揃えない。
揃えて困らないところだけ揃える。
六年前なら物足りなく感じたかもしれないが、今の俺には、このくらいがちょうどよかった。
「兄上」
宗次郎が壁の札を見ながら言った。
「前より早いですね」
「やろ」
「まだ終わってませんけど」
「お前、俺が喜ぶと必ずそれ言うな」
「終わってないので」
「正しいから腹立つねん」
それでも、前回より余裕があるのは間違いなかった。
前の二十挺では、俺自身が毎日のように工房を歩き回り、詰まりを探していた。今回はそこまでしなくても職人たちから声が上がる。藤吉が「ここ待ってます」と言えば佐吉が確認し、五平が次の仕事を見て場所を空ける。喜兵衛は寸法を決めた方がよさそうな部品を勝手に持ってくるようになった。
俺が全部見なくても、工房が少しずつ自分で動くようになっている。
だからこそ、別のものが見えた。
*
「……まだ削っとるな」
昼前、俺は佐吉の手元を見ながら呟いた。
「削ってますよ」
「朝から?」
「途中で別の仕事もしましたけど」
佐吉は鑢を動かし続けている。
手にしているのは、寸法を揃えることにした金具だった。材料から大まかな形を作り、必要な幅まで鑢で落としていく。途中で新しい尺を当て、残りを確かめ、また削る。
寸法を決めたことで、どこまで削ればいいかは分かるようになった。
しかし、削る量そのものは変わっていない。
「それ、一個どのくらいかかる?」
「さあ」
「測ってへん?」
「測る必要あります?」
「今まではなかった」
「今は?」
「俺が気になった」
「またですか」
佐吉が嫌そうな顔をした。
「手ぇ止めんでええから。そのままやって」
「見られながら?」
「うん」
「やりにくいんですけど」
「気にすんな」
「気になりますよ」
それでも佐吉は作業を続けた。
俺は邪魔にならない場所へ座り、手元を見る。粗く落とせるところは鏨も使うが、最後は鑢で整える。一定方向へ動かし、面を見て、また削る。尺を当てる回数は以前より減ったものの、鉄が人の腕で少しずつ削られていくことに変わりはない。
しばらく見ていると、佐吉が顔を上げた。
「若旦那」
「ん?」
「まだ見るんです?」
「見る」
「暇なんですか」
「俺も仕事あるわ!」
「してくださいよ」
もっともなので、一度自分の仕事へ戻った。
*
午後になって、今度は五平を見た。
「なんや」
「気にせんと続けて」
「気になるわ」
「佐吉にも言われた」
「ほな学べ」
五平が削っているのは別の部品だった。
こちらは佐吉のものより大きく、削る量も多い。粗いところまでは早いが、面を整え始めると時間がかかる。五平自身は遅くない。手つきは安定していて、無駄な動きも少なかった。
問題は、腕ではなかった。
鉄を削るという仕事そのものに時間がかかっている。
「五平」
「なんや」
「それ、しんどい?」
「仕事やからな」
「腕疲れん?」
「疲れるで」
「一日ずっとやったら?」
「嫌や」
「やっぱり?」
「お前、一日ずっと鑢かけたいんか」
「嫌や」
「ほな聞くな」
それもそうだった。
ただ、五平の答えで別のことにも気づいた。時間だけではない。人間が鉄を削っている以上、疲れる。午前と夕方で同じ速さを保てるわけでもなく、削る量が増えれば他の仕事へ使える腕も時間も減る。
俺は工房を見渡した。
あちこちで鑢が動いている。
鉄砲作りだから当然だと思っていた光景が、急に違って見え始めた。
*
翌日から、宗次郎に少し手伝ってもらった。
「また印付けるんです?」
「今度は簡単でええ。誰が何刻削っとったとか、そこまで細かくせんでええから」
「何を見るんです?」
「どの仕事で削る時間が多いか」
「全部じゃないですか」
「俺もそんな気してる」
だからこそ調べる。
すべての鑢仕事を正確に測るつもりはなかった。そんなことをすれば記録する方が仕事になる。俺と宗次郎で工房を見ながら、長く鑢を使っている仕事、何度も繰り返す仕事、同じような形を何個も削る仕事だけを拾った。
二日も見れば、傾向は分かった。
銃身の仕上げ。金具の荒削り。木部へ合わせるための調整。小さな部品の形出し。工具そのものを研ぎ直す仕事もある。
同じ「削る」でも、中身は違う。
最後の微妙な合わせは職人の腕がいる。面の状態を見ながら少しずつ追い込む仕事もある。一方で、最初から最後まで人間が鑢でやる必要があるのか疑問に思う仕事もあった。
「ここまで落とすだけなら、別に五平じゃなくてもええよな」
俺が言うと、宗次郎が記録を見た。
「でも藤吉にやらせたら遅いですよ」
「そこやねん」
「どこです?」
「五平がやったら早い。でも、五平にやらせたい仕事でもない」
宗次郎が少し考える。
「前の弥吉さんみたいですね」
「そう」
俺は思わず笑った。
前回は、腕のいい弥吉へ仕事が集まりすぎていた。だから仕事を分け、弥吉でなくてもできるところを佐吉たちへ渡した。
今度は少し違う。
誰でもできる仕事ではある。ただし、経験の浅い人間にやらせれば時間がかかる。だから結局、慣れた職人がやった方が早い。
その結果、腕のいい人間の時間を単純作業へ使っている。
「また何か始めるんです?」
宗次郎が聞いた。
「まだ始めへん」
「珍しいですね」
「俺も学んだんや」
「六年かかりました?」
「最近それ便利に使いすぎちゃう?」
*
昼過ぎ、喜兵衛が工具を研いでいた。
刃物を砥石へ当て、角度を確かめながら動かしている。その横を通り過ぎようとして、俺は足を止めた。
「喜兵衛」
「なんや?」
「それ、どのくらいで研ぎ直すん?」
「切れんようなったら」
「一日何回?」
「使うもんによるな」
「それ手でやるしかない?」
喜兵衛が砥石から顔を上げた。
「足でやったらやりにくいやろ」
「そういう意味ちゃう!」
「ほな何や」
俺は砥石を見る。
現代なら、回転する砥石へ刃物を当てる。
グラインダー。
頭の中にその姿が浮かんだが、すぐに消した。電気はない。モーターもない。高速で安定して回る軸も、工場で買ってくる研削砥石もない。
だから無理だ、と考えかけた。
そこで別の記憶が浮かんだ。
水車。
川の流れで大きな輪を回す。回転する力を軸へ伝えれば、石を回すことはできる。現代のグラインダーとは似ても似つかないものになるだろうが、人間が手で砥石を動かす代わりに、水に動かしてもらうことくらいならできるかもしれない。
「……回したらええんちゃうか」
「何を?」
「石」
「どうやって?」
「それを今考えとる」
「まだ考えてへんやん」
「今からや!」
喜兵衛は俺の顔を見て、それから砥石を見た。
「回して、そこに刃ぁ当てるん?」
「そう」
「速う回ったら楽そうやな」
「やろ?」
「でも、どうやって回すん」
「水車」
喜兵衛が黙った。
「……水車?」
「うん」
「でかない?」
「別にあのでかい輪をここへ置くんちゃう。水車の回る力を……」
そこまで言って、俺は止まった。
どうやって伝える。
軸を伸ばすのか。別の軸へ移すのか。縄や帯を掛けるのか。回転の向きをどうする。速さは足りるのか。そもそも榊屋の近くで使える水の流れがあるのか。
現代の工場なら、モーターを置いて終わる。
今は、そのモーターが存在しない。
「……簡単ちゃうな」
「今気づいたん?」
「発想はええやろ!」
「そこは知らん」
喜兵衛は笑いながら、また砥石へ向かった。
*
その日の夕方、俺は甚助を捕まえた。
「水車?」
「作ったことある?」
「なんで俺に聞く」
「木ぃ得意やろ」
「木ぃ扱える奴がみんな水車作れると思うなよ」
「やっぱ無理?」
「無理とは言うてへん」
甚助は少し考えた。
「輪と軸くらいなら分かる。せやけど水受けてちゃんと回すなら、そういうの知っとる奴に聞いた方がええぞ」
「知っとる人おる?」
「探せばおるやろ。粉挽いとるとことか」
それだ。
水車そのものを俺たちが一から発明する必要はない。すでにある技術なら、知っている人間を探せばいい。
俺が欲しいのは水車ではない。
回る力だ。
「甚助」
「なんや」
「水車で砥石回せると思う?」
「知らん」
「考えて」
「なんで俺が」
「木ぃ得意やろ」
「さっきそれで断ったやろ!」
逃げられた。
*
翌朝、俺は弥吉と親父にも話した。
「水車で石を回す?」
親父が露骨に嫌そうな顔をした。
「また変なこと言い出したな」
「変ちゃう。人が削っとる仕事の一部を、回る石にやらせたい」
「人が削ったらええやろ」
「できるで。でも時間かかる」
「石回したら、うまいこと削れるんか」
「分からん」
「分からんのか」
「まだ作ってへんからな」
親父の顔がさらに険しくなった。
「鉄砲で試すなよ」
「そこまで馬鹿ちゃうわ!」
「どうやろな」
「信用ないなあ!」
弥吉は親父より興味を持ったらしく、俺の話を聞きながら砥石を手に取った。
「これ回すん?」
「最初は工具研ぐくらいでええと思っとる。いきなり鉄砲の部品削る気はない」
「なんで?」
「どんだけ削れるか分からんから。削れすぎたら終わりやろ」
「それはそうやな」
「あと石が割れるかもしれん」
弥吉の手が止まった。
「割れるん?」
「知らん」
「怖いやん」
「せやから試すんや」
「お前がやれよ」
「一緒にやろうや」
「嫌や」
「即答すんな!」
親父がため息をついた。
「二十挺はどうなっとる」
「進んどる」
「そっち止めんなよ」
「分かっとる。これのために今の仕事止める気はない」
親父はしばらく俺を見ていたが、それ以上は反対しなかった。
「好きにせえ。ただし、仕事終わってからやれ」
「ええの?」
「止めてもやるやろ、お前」
「……まあ」
「ほな仕事の邪魔すんな。それと怪我すんな」
「分かった」
「石飛ばすなよ」
「それは俺も嫌や」
*
二度目の二十挺は順調に進んでいる。
前回覚えた仕事の流し方があり、新しく揃え始めた寸法があり、職人たちも自分で改善するようになった。それでも、鉄を形にする最後のところでは、相変わらず人間が汗をかき、腕を動かし、鑢を何度も往復させている。
それが悪いわけではない。
人の手でなければできない仕事は、これからも残るだろう。
だからこそ、人がやらなくてもいい仕事まで、人がやる必要はない。
仕事を終えたあと、俺は喜兵衛と甚助を連れて工房の外へ出た。
「どこ行くん?」
喜兵衛が聞く。
「水車見に行く」
「今から?」
「見るだけ」
「俺も?」
「仕掛け見る人いるやろ」
「甚助さんは?」
「木を見る人」
「俺は帰りたいんやけど」
甚助が言った。
「見るだけやって」
「お前の『見るだけ』信用できんねん」
失礼な話である。
俺たちはまだ、水車で何ができるのかを知らない。どれほどの力が取れるのかも、どうやって砥石へ伝えるのかも、そもそも思った通りに回せるのかすら分からない。
だから、まず見る。
二十挺を作る話をしていたはずなのに、今度は水を眺めに行くことになった。
ものづくりというのは、どうにも予定通りに進まない。




