揃えてええところ
二度目の二十挺は、前回より静かに始まった。
善右衛門が鉄を運び込み、親父と弥吉、五平が一本ずつ確かめる。使う順番が決まれば必要な分だけ火床へ回し、壁には二十枚の札を掛ける。前回なら、この時点で誰をどこへ置くか、何挺ずつ流すかを俺が一つずつ説明していたが、今回はそこまで言う必要がなかった。
「最初、五挺やろ?」
五平が聞いた。
「そのつもり」
「ほな俺、一本やるわ」
「頼む」
「六番以降は?」
「五挺の流れ見てから」
「分かった」
それだけで話が終わった。
佐吉は札を見て、自分が先に準備できる仕事を探している。弥吉も前回のように何でも自分で抱え込まず、佐吉へ渡せるものは最初から分けていた。宗次郎に至っては、俺が頼む前から材料の出入りを書き始めている。
前回一か月かけて覚えたことが、ちゃんと工房に残っていた。
「……楽やな」
俺が呟くと、隣にいた宗次郎が顔を上げた。
「まだ始まったばかりですよ」
「分かっとるわ」
「前も最初はそんなこと言ってませんでした?」
「言うてへん」
「そうでしたっけ」
「お前、最近親父に似てきたな」
「それは嫌です」
少し離れたところから親父がこちらを見たので、二人とも黙った。
*
新しい尺が最初に役立ったのは、驚くほど地味なところだった。
佐吉が小さな金具の材料へ印を付けている。前回なら手元の尺でおおよその位置を取り、加工したあとに相手へ合わせていた仕事だが、今回は昨日作った新しい尺を使っていた。
「どう?」
「別に」
「別に?」
「尺ですし」
「もうちょい感動とかないん?」
「何にです?」
もっともだった。
使う側からすれば、目盛りの合った物差しなど、ただの物差しである。
俺は横から覗き込み、佐吉が印を付けた材料を一本借りた。それを持って喜兵衛のところへ行くと、ちょうど同じ種類の金具を作ろうとしている。
「喜兵衛、ここ何寸で取った?」
数字が返ってくる。
「佐吉も同じや」
「決めたんやから、そらそうやろ」
「前まで違ったんやで」
「そら決めてへんかったからな」
こいつらは本当に感動してくれない。
だが、俺にとって重要なのは感動ではなく、そのあとだった。
佐吉と喜兵衛がそれぞれ作った金具を並べる。まだ最終の合わせには入っていないが、基準にした部分の幅と穴の位置は以前より近い。完全に同じではない。印の付け方にも加工にも人の手が入る以上、当然ばらつきはある。それでも、以前のように最初から違う場所を狙って作っているわけではなかった。
「これなら見本も使いやすいな」
佐吉が言った。
「なんで?」
「前は見本と自分の作ったやつで、どこが違うか分かりにくかったんです。最初の寸法まで違いましたから」
俺は二つを見比べた。
なるほど。
前回、佐吉へ仕事を渡すために見本を作った。しかし見本と違う原因が、加工の失敗なのか、最初に取った寸法の違いなのか、それとも相手側の個体差なのか、一目では分からないことがあった。
最初に揃えていいところだけ揃えておけば、違いが出たときに理由を探しやすくなる。
「佐吉」
「はい」
「今の、ええこと言うたな」
「そうですか?」
「覚えとくわ」
「銭になります?」
「ならん」
「ほな忘れてください」
現金な奴になったものである。
*
ところが、その日の午後には早くも失敗した。
喜兵衛が持ってきた部品を、弥吉が相手側へ合わせようとして手を止めた。
「虎松」
「ん?」
「これ、あかんで」
呼ばれて行くと、寸法そのものは決めた通りだった。新しい尺で測っても問題ない。
「合わん?」
「合わんことはない。ただ、このままやと削るとこ増える」
「なんで?」
「相手がこっち寄っとるから」
弥吉が指した先を見る。
取り付ける側の形がわずかに違う。そこは材料を曲げ、整え、前後の部品へ合わせながら作っている部分で、そもそも一定の位置に収まるとは限らない。
「こっちも揃えたら?」
言いかけて、止めた。
弥吉が笑った。
「言うと思った」
「まだ言うてへん」
「顔が言うてた」
「善右衛門みたいなこと言うな」
危ないところだった。
ここを揃えるためには、その前の加工も揃える必要がある。そのためにはさらに前の形も決めなければならない。追いかけていけば、最後には鉄砲一挺を丸ごと同じ形で作る話になる。
いつかはそこへ近づくかもしれない。
だが、今ではない。
「ここは外そか」
「何から?」
「揃える寸法から」
喜兵衛が少し意外そうな顔をした。
「せっかく決めたのに?」
「決めたから使わなあかんわけちゃう。使って面倒増えるんならやめる」
俺は金具をもう一度見た。
「ここは今まで通り、相手見て決めよ」
「ほな、この寸法書いたやつどうする?」
「消す」
「早いな」
「悪い決まり残す方が面倒や」
前の俺なら、決めた寸法を守るために別の方法を考えたかもしれない。せっかく標準を作ったのだから、それに合わせるべきだと思っただろう。
だが、標準は守るためにあるのではない。
仕事を楽にするためにある。
役に立たないなら、変えればいい。
*
二日目には、少し違う問題が出た。
「若旦那」
呼んできたのは藤吉だった。
「これ、どっちです?」
「何が?」
「穴の位置」
藤吉が二つの部品を持っている。一つは昨日決めた寸法で作ったもの、もう一つは以前から榊屋で作っていたものだった。
「新しい方でええよ」
「でも古い方、五平さんが使え言うて」
「五平」
呼ぶと、向こうから返事があった。
「なんや」
「藤吉に古い方使え言うた?」
「ああ。それ、まだ使えるやろ」
「使えるけど寸法違うで」
「捨てるんもったいないやん」
正論だった。
寸法を決めたからといって、それ以前に作った部品が突然使えなくなるわけではない。問題なく使えるものを捨てれば、単なる無駄だ。
「……古い方は今まで通り合わせて使おか」
「新しい方は?」
「決めた寸法で作る」
藤吉が二つを見比べる。
「混ざったら分からんくなりません?」
俺と五平が同時に藤吉を見た。
「何です?」
「いや」
こいつ、たまにまともなことを言う。
新しく作ったものと、以前からあるもの。同じ箱へ入れれば、見ただけでは区別できない。新しい寸法で作ったと思って相手へ持っていき、実は古いものだったら、せっかく揃えた意味が薄くなる。
「箱、分けるか」
「そこまでせんでも、印付けたらええんちゃう?」
五平が言った。
「印?」
「新しい方だけ、端に一個打っとくとか」
俺は少し考えた。
それで十分だった。
「それでいこ」
「ええん?」
「なんで」
「もっと札作るとか言うかと思った」
「俺をなんやと思っとんねん」
「札好き」
「否定しづらいな……」
新しい寸法で作った部品には、目立たないところへ小さな印を一つ入れることにした。古い部品はそのまま使い切り、なくなれば新しい方だけになる。わざわざ全部を作り直す必要はない。
五平の一言で、仕事が一つ減った。
これも前回とは少し違う。
俺が工房を見て、俺が問題を見つけ、俺が方法を考えるだけではなくなっていた。
*
三日目、親父が新しい尺を使っていた。
俺は何も言わずに見た。
材料へ当て、印を付け、何事もなかったように元の場所へ戻す。
「親父」
「なんや」
「使っとるやん」
「尺やからな」
「前までのでええ言うてへんかった?」
「使え言うたんお前やろ」
「そうやけど」
「ほな使うわ」
あまりにも普通だった。
俺が六年前からあれこれ悩んでいたことなど、この男には関係ないらしい。
「どう?」
「何が」
「使いやすい?」
「普通や」
「前のより」
「知らん」
「ちょっとくらい褒めてくれてもええやろ」
「仕事道具使っただけで何褒めんねん」
佐吉と同じことを言われた。
親方から若手まで、誰も新しい尺に感動していない。
だが、それでいいのかもしれない。
新しい仕組みが本当に仕事へ馴染んだとき、使う人間はいちいちありがたがらない。そこにあって当然の道具として使われる。
現代の工場でもそうだった。誰もノギスを手に取るたび、長さを測れることへ感謝などしない。決められた場所にあって、必要なときに使えて、正しい値が読める。それで十分だった。
「若旦那」
今度は喜兵衛だった。
「何?」
「これ、もう一個寸法決めてもええんちゃう?」
持ってきたのは別の金具だった。
俺は少し驚いた。
「なんで?」
「こことここ。いつも同じくらいに作って、最後も触らんやろ。昨日のやつみたいに相手で変えるとこでもないし」
「弥吉にも見せた?」
「まだ」
「ほな見せよ」
俺たちは弥吉のところへ持っていった。
弥吉は金具を裏返し、実際に取り付ける側も見てから、「そこならええんちゃう」と答えた。五平にも聞くと異論はなく、親父も最後に確認して「好きにせえ」と言った。
寸法を測った。
何個か古い部品も並べ、どのあたりなら無理なく揃えられるかを見る。俺が数字を一つ決めようとすると、喜兵衛が少し違う数字を出した。
「なんで?」
「そっちやと削る量増えるやつあるで。こっちの方が今までの仕事に近い」
確認すると、その通りだった。
「……ほな喜兵衛の方で」
「ええん?」
「ええ案なら使うわ」
「若旦那が決めんでも?」
「俺、寸法決めるために生まれてきたわけちゃうぞ」
弥吉が笑った。
「最近ちょっと怪しいけどな」
否定しておいた。
*
五日目。
最初の五挺は、それぞれ次の工程へ進んでいた。
前回の同じころと比べれば、工房の空気は明らかに落ち着いている。二度目だから慣れているというのもある。札の使い方も、仕事の渡し方も、材料の扱いも、一から考える必要がない。
寸法を揃えた効果だけを取り出すのは難しかった。
それでも、佐吉と喜兵衛が作った部品を見ていると、前より合わせに入るまでの迷いが少ない。見本と違えばどこが違うかを探しやすくなり、最初から決めた位置に穴があることで、次の作業も読みやすい。
一方で、揃えるのをやめた寸法もすでに二つあった。
最初から相手へ合わせた方が早いもの。材料の癖で位置が変わるもの。そこまで固定すると、前後の加工へ余計な手間が出るもの。
全部同じにすればいいわけではない。
だが、全部職人任せで違っていていいわけでもない。
その間に、思っていたより広い場所がある。
「兄上」
壁の札を見ていた俺へ、宗次郎が声をかけた。
「ん?」
「善右衛門はん来てますよ」
「また?」
「今日は荷物ないみたいです」
「ならええわ」
「本人に言ってください」
母屋の方へ行くと、善右衛門が新三郎に捕まっていた。
「それで尾張まで何日かかるん?」
「荷と道による」
「船で行くん?」
「全部船では行かん」
「どこまで船?」
「お前、今日はよう聞くなあ」
「前帰ったやん」
「俺にも仕事があるんや」
九歳児に商人が押されている。
「善右衛門」
「おう、助けろ」
「嫌や。面白い」
「兄上!」
新三郎まで抗議した。
しばらく眺めていたかったが、善右衛門が本当に困ってきたので新三郎を追い払った。
「で、何しに来たん?」
「この前の尺や」
「尺?」
「一本くれ言うたやろ」
「ああ」
俺は少し迷った。
まだ五日しか使っていない。試している途中で、実際に寸法を決めたものも少ない。善右衛門へ渡すには早い気がした。
「まだあかん」
「なんでや」
「今、使えるとこと使えんとこ見とる。寸法も変えとる途中や」
「尺そのものは変わらんのやろ?」
「それは変わらんけど」
「ほな一本くれ」
「何に使うん」
善右衛門は少し不思議そうな顔をした。
「注文するためや」
「何を?」
「榊屋に入れるもんや。木でも金具でも、外で頼めるもんあるやろ。『これくらい』言うより、その尺で何寸いうた方が話早いんちゃうんか」
昨日も似た話をした。
だが、善右衛門は俺より一歩先まで考えていたらしい。
「向こうがその尺持ってへんかったら?」
「持たせたらええ」
「誰に?」
「作らせる奴に」
「返してもらうん?」
「なんで?」
「……配る気?」
「必要ならな」
簡単に言う。
俺は善右衛門の顔を見たあと、工房の方を振り返った。
五平が新しい尺を使っている。佐吉も使っている。喜兵衛は、その尺を使って新しい寸法まで提案してきた。親父ですら、もう何も言わずに使っている。
まだ榊屋の中だけだ。
それでも、一寸という言葉が少しずつ同じ長さを指すようになっている。
「……一本だけやぞ」
「ええんか?」
「ただし、榊屋から頼む仕事だけ。それ以外に勝手に広げんな」
「なんでや」
「まだ何が起きるか分からんからや」
「尺一本で何が起きんねん」
「それが分からんから言うとる」
善右衛門は納得していない顔をしていたが、最後には頷いた。
「ほな一本」
「あと、写すなら元にした尺とちゃんと合わせろ。適当に真似すんなよ」
「分かった分かった」
「絶対分かってへんやろ」
「細かいなあ」
「その細かい話をしとんねん!」
善右衛門が笑った。
工房へ戻り、喜兵衛に頼んでもう一本作る。親父の古い尺を直接持ち出すのは嫌だったので、前日に作っておいた基準用の写しと重ね、端と目盛りを確認した。
出来上がった尺を善右衛門へ渡す。
ただの木の棒だった。
鉄砲でもない。金具でもない。売り物ですらない。
それでも善右衛門は、それを荷物の中へ丁寧にしまった。
「なくすなよ」
「分かっとる」
「変な写し方すんなよ」
「分かっとるって」
「返せ言うたら返せよ」
「お前、娘嫁に出す親みたいやな」
「返せ」
「冗談や!」
善右衛門は笑いながら榊屋を出ていった。
俺はその背中を見送ってから、工房へ戻った。
壁には二十枚の札が並び、その下では職人たちがいつも通り仕事をしている。今のところ、何か大きく変わったようには見えない。
榊屋で決めた一寸が、初めて榊屋の外へ出ていった。
ただ、それだけだった。
少なくとも、そのときの俺にはそう見えていた




