誰の一寸や
親父を呼ぶ前に、俺たちは工房にある尺を集めた。
五平のもの、佐吉のもの、弥吉のもの、喜兵衛が使っているもの。それから工房の隅に置かれていた共用らしい古い尺まで持ってきて、作業台の上へ並べる。長さも材質も同じではないが、それ自体は別に問題ではない。俺が知りたいのは、そこに刻まれた目盛りだった。
端を揃えて重ねてみると、予想した通りだった。
「……違うな」
喜兵衛が面白そうに覗き込んでいる。
「違うやろ」
「そら違うやろ」
五平が言った。
「なんで当然みたいな顔しとんねん」
「別の尺やからな」
「尺ってそういうもんなん?」
「何がや」
話が噛み合っていない。
俺にとって物差しとは、違う物差しで測っても同じ長さが出るための道具である。少なくとも、そうでなければ困る。ところが五平にとっては、仕事をするときにおおよその長さを取る道具でしかないらしい。最後は現物へ合わせるのだから、多少違っていても仕事は成立する。
実際、成立してきた。
だから誰も困っていなかったのだ。
「これ、どれが正しいん?」
俺が聞くと、誰も答えなかった。
弥吉が一本ずつ手に取って眺め、佐吉も困ったように首を傾げる。
「どれも一寸やろ?」
「長さ違うやん」
「せやけど一寸って書いてあるで」
「書いてあったら一寸なんか!」
「俺に怒るなや!」
そこへ親父が来た。
「朝から何騒いどる」
「親父、これ見て」
俺は二本の尺を渡した。
親父は重ねて見たあと、特に驚く様子もなく俺へ返した。
「違うな」
「違うな、ちゃうねん」
「何がや」
「これで同じ二寸のもん作れ言うても、違うもんできるやろ」
「ほな同じ尺使え」
「そういう話を今からしようとしてんねん!」
親父が面倒そうな顔をした。
六年前にも何度か見た顔だった。
*
「それで、何がしたい」
親父に聞かれ、俺は昨日並べた金具を持ってきた。
「次の二十挺、前より楽に作りたい」
「楽して作ったらあかんぞ」
「手ぇ抜くって意味ちゃう」
「ほな何や」
「同じでええところは、最初から同じにしたい」
親父の眉が少し動いた。
予想通りだった。
「またそれか」
「またやけど、六年前とはちょっと違う」
「どう違う」
俺は金具を二つ並べた。どちらも使える物だが、幅も穴の位置もわずかに違う。
「これとこれ、最後に相手へ合わせるところは違ってええ。鉄も違うし、相手も違う。そこまで同じにしようとは思ってへん」
親父は黙って聞いている。
「でも弥吉に聞いたら、ここは最後に触らん言うた。最初に決めたら、そのまま使えるところや。それなら毎回違う必要ないやろ」
弥吉もうなずいた。
「そこは揃えても困らんと思うで」
「五平は」
「俺も別にええ」
「喜兵衛」
「揃っとる方が穴開ける場所は決めやすいな」
親父は三人の顔を順番に見た。
以前なら俺一人が未来の理屈を持ち込んで、親父へぶつけていた。今回は違う。実際に作っている職人に聞き、どこなら揃えても品質を落とさないかを確認している。
六年かけて、俺も少しは学んだのだ。
「それで?」
「寸法決めようとしたら、尺が違った」
「ほな一本決めて、それ使え」
「せやから、その一本を決めたいんや」
「決めたらええやろ」
「親父がええ言わんと、誰も使わんやろ!」
五平が目を逸らした。
「五平」
「俺は使え言われたら使うで」
「親父に?」
「親方に」
「俺が言うたら?」
「考える」
「この差なんなん!」
「日頃の行いやろ」
反論できなかった。
*
問題は、どの尺を基準にするかだった。
俺の頭には、現代の度量衡が浮かんでいた。メートル、ミリメートル、基準器、校正。どこで測っても同じ一ミリでなければ、部品も図面も取引も成立しない。
だが、ここで俺が知っている現代の長さを持ち出しても意味がない。
そもそも正確な一メートルを再現する方法がない。それに、堺で暮らす職人へ突然「今日からミリメートルを使います」と言ったところで、俺が六年前にやった失敗を大きくするだけだ。
必要なのは新しい単位ではない。
榊屋の中で、一寸と言ったら同じ長さになることだった。
「親父が一番信用しとる尺、どれ?」
「なんやそれ」
「昔から使っとるやつとか、これ基準にしとるいうのない?」
親父は少し考え、奥へ行った。
しばらくして持ってきたのは、使い込まれた一本の尺だった。普段俺たちが使っているものより傷が少なく、目盛りも丁寧に刻まれている。
「これは?」
「昔からあるやつや。新しい尺作るときは、だいたいこれに合わせとる」
「あるんやん!」
「何が」
「基準あるんやん!」
「そらあるやろ」
「なんで最初に言わんの!」
「聞かれてへん」
頭を抱えたくなった。
もっとも、親父からすれば当たり前なのだろう。尺を作る必要があれば、この尺を見て作る。それで仕事に困らない程度には合う。わざわざ「これは榊屋の長さの基準である」と定義する必要などなかった。
俺はその尺と、五平たちの尺を重ねた。
近いものもあれば、少し違うものもある。おそらく最初は合わせて作ったのだろうが、作ったときの写し方が甘かったのか、長く使っているうちに端が削れたのか、目盛りそのものが太いのか。それぞれ少しずつずれている。
「これ、普段使わんの?」
「滅多に使わんな」
「なんで?」
「なくしたら困るからや」
俺は親父を見た。
親父も俺を見る。
「……親父」
「なんや」
「思ってたよりちゃんとしとるな」
「殴るぞ」
*
昼前になって、善右衛門が来た。
呼んだのは弥吉だった。
本当に呼びやがった。
「なんや、話ある言うから来たぞ」
「ちょうどええ」
俺が手招きすると、善右衛門は露骨に警戒した。
「銭かかる話か?」
「まだ分からん」
「ほな帰る」
「待て!」
「お前が俺に帰れ帰れ言うからやろ」
昨日の仕返しらしい。
俺は親父の古い尺と、五平たちの尺を見せた。善右衛門は最初こそ何の話か分からない顔をしていたが、二本を重ねるとすぐに違いへ気づいた。
「ずれとるな」
「やろ」
「それで?」
「榊屋で使う尺を、これに合わせようと思っとる」
「したらええやん」
「親父が面倒そうな顔すんねん」
「してへん」
「しとる!」
善右衛門が親父を見る。
「源兵衛、何があかんの」
「別にあかん言うてへん。ただ、仕事できとるもんをわざわざ変える必要あるんか言うとるだけや」
「あるで」
善右衛門があっさり言った。
親父が少し意外そうな顔をした。
俺もした。
「……味方してくれるん?」
「気色悪い言い方すんな」
「だって善右衛門やし」
「お前ほんま俺をなんやと思っとんねん」
善右衛門は並んだ金具を一つ取った。
「俺は鉄砲作らんから、どこまで同じにできるかは知らん。ただな、前の二十挺は売りやすかった」
「なんで?」
「揃うとったからや」
親父が金具を見る。
「同じやなかったぞ」
「そら分かっとる。俺が言うとるんは、出来の話や。一本だけええ、一本だけ悪いいうんが少なかった。向こうもそこ見とる」
善右衛門は俺たちが思っている以上に、商品として鉄砲を見ていたらしい。
「今度も前と同じくらいのもんが来る。そう言える方が俺は売りやすい。源兵衛か弥吉が作ったやつだけ特別ええより、誰が作っても一定以上のもんが出る方が、まとめて売るには都合ええ」
「腕の差はなくならんぞ」
「なくさんでええやろ」
善右衛門は即答した。
「ええ職人がええ物作るんは、そのままでええ。下を上げられるんなら上げたらええ言うとるだけや」
俺は思わず善右衛門を見た。
「なんや」
「いや」
「なんやねん」
「たまにええこと言うなと思って」
「帰るぞ」
「ごめんて!」
親父が小さく笑った。
それから古い尺を手に取り、しばらく眺めた。
「これに合わせたら、物が悪うならんのやな」
「そこは俺が勝手に決めへん。揃えてええところは弥吉らに聞く。材料とか合わせで変えなあかんところは今まで通りや」
「全部同じにせえとは言わんのやな」
「言わん」
「六年前は言うとったぞ」
「十歳の俺と比べんなや!」
「お前が言い出したんやろ」
六年前の俺なら、たぶん親父を説得しようとしていた。
同じ寸法なら部品を交換できる。作業を分けられる。検査もできる。大量に作れる。未来ではそうしている、と言いたくて仕方がなかった。
今なら少し違う。
必要だから揃える。揃えた方が楽になるところだけ揃える。違う方がいいところは違ったまま残す。その境目を決めるのは、俺一人ではない。
「……ほな、やってみい」
親父が尺を俺へ渡した。
「ただし、これなくすなよ」
「分かっとる」
「傷つけんな」
「分かっとるって」
「火床の近く持っていくな」
「俺何歳やと思っとんねん!」
「この前手ぇ焼いたやろ」
「三年前や!」
覚えてやがった。
*
午後から、さっそく喜兵衛を捕まえた。
「なんで俺なん」
「こういう細かいん好きやろ」
「否定はせんけど」
親父の尺をそのまま工房で使うわけにはいかない。なくせば困ると言われているし、俺も使わせたくない。これは基準として残し、普段使う尺を別に作る。
材料は乾いた木を選んだ。
甚助にも見てもらい、反りの少ないものを使う。親父の尺と長さを合わせ、喜兵衛が目盛りを写していく。単純な作業に見えるが、線が太ければその分だけ読み方が曖昧になるので、思っていたより気を使った。
「若旦那」
「ん?」
「これ、俺が間違えて刻んだらどうするん」
「捨てる」
「もったいな」
「基準になるもん間違えた方がもったいない」
「厳しなったなあ」
「親父の息子やからな」
少し離れたところから、
「聞こえとるぞ」
と声が飛んできた。
一本目ができると、元の尺へ重ねた。
合っている。
ひっくり返してもう一度見る。端を揃え、目盛りを確かめる。喜兵衛が「もうええやろ」と言うまで確認してから、二本目を作った。
同じように三本目も作る。
全部、最後に元の尺へ戻して確認した。
それを見ていた佐吉が聞いた。
「この古い方は、使わんのです?」
「使わん」
「なんでです?」
「こいつが正しいか確かめるために残す」
「正しいか?」
「新しい尺がずれてへんか見るためや。使っとったら削れたり、欠けたりするやろ。そのとき、戻って比べるもんがいる」
佐吉は少し考えてから、親父の尺を見た。
「見本の見本ですか」
「まあ、そんなもんや」
「面倒ですね」
「それ宗次郎にも言われた」
ただ、佐吉の言い方は的を射ていた。
当て金を作ったときは、部品を測る基準を作った。
今回は、その基準を作るための基準を決めようとしている。
俺の知っている工場なら当たり前の話だった。しかし、こうして一つずつ必要になった順番で作っていくと、当たり前というものがどれだけ多くの積み重ねでできていたのかがよく分かる。
*
夕方までに、普段使いの尺を何本か作った。
五平へ一本渡す。
「俺のあるで」
「知っとる」
「ほななんで」
「明日からこっち使って」
「今のあかんの?」
「比べたらずれとったやろ」
「ちょっとやん」
「五平」
「なんや」
「使って」
「……しゃあないな」
受け取った。
佐吉には素直に渡せた。喜兵衛は自分で作った一本をすでに腰へ差している。弥吉は二本を見比べてから、新しい方を取った。
「古いんどうする?」
「捨てんでええ。別の仕事で使うてもええけど、二十挺の寸法取るときはこっち」
「分かった」
思ったより簡単だった。
六年前の俺は、工房の仕組みを変えることをもっと大げさに考えていた気がする。全員を説得し、新しい考えを理解してもらい、一斉に同じ方法へ変えなければならないと思っていた。
実際には、そこまで大げさではない。
困っている理由があって、変えても品質に問題がなく、使う道具が用意されていれば、職人は案外使う。
少なくとも榊屋の連中はそうだった。
ただ、一人だけ新しい尺をじっと見ている男がいた。
善右衛門である。
「何や」
「これ、何本作った?」
「とりあえず工房で使う分だけ」
「もう一本作れん?」
「作れるけど、何すんの」
「持って帰る」
「なんで?」
善右衛門が当然のように答えた。
「外で作らせるもんも、これに合わせたらええやろ」
俺は黙った。
善右衛門は続ける。
「金具でも木でも、榊屋に入ってから直すんやったら二度手間や。最初から同じ尺で話できたら、その方が早いやろ」
「……善右衛門」
「なんや」
「お前、たまに怖いな」
「褒めとる?」
「たぶん」
俺は手の中の尺を見た。
榊屋の中だけで使うつもりだった。
工房の中で一寸と言えば同じ長さになる。それだけで、次の二十挺は少し作りやすくなると思っていた。
けれど、善右衛門の言う通りだった。
榊屋の外から入ってくる物まで同じ基準で作れたら、話はもう少し変わる。
「ただし」
俺は言った。
「勝手に配るなよ」
「なんでや」
「まだ使えるか試してへん。まず次の二十挺でやる」
「慎重やな」
「六年かかったからな」
親父が向こうで鼻を鳴らした。
善右衛門は残念そうだったが、それ以上は言わなかった。
まず榊屋で使う。
同じにしていい寸法を選び、同じ尺で測り、それで本当に仕事が楽になるのかを見る。良ければ残せばいいし、駄目なら変えればいい。
六年前に当て金を作ったときと、やることは変わらない。
ただ、測るものが少し大きくなっただけだ。
部品から、工房へ。
工房から、その外へ。
そこまで考えて、俺は首を振った。まだ早い。
まずは二十挺だ。
「喜兵衛」
「なんや?」
「もう一本作ろか」
「善右衛門はんの?」
「ちゃう」
俺は親父から借りた古い尺を持ち上げた。
「こいつを普段触らんで済むように、もう一本だけ、基準にするやつ作っときたい」
喜兵衛は少し考え、笑った。
「見本の見本の、写しか」
「ややこしい言い方すんな」
「若旦那が始めたんやろ」
それもそうだった。
二度目の二十挺は、まだ一本も作り始めていない。
それでも榊屋には、昨日までなかったものが一つできた。
誰の一寸でもない。
少なくともこの工房では、誰が測っても同じ一寸だった。




