最後までやるな
三番を前にして、俺と弥吉は向かい合っていた。
昨日までなら、完成間近の鉄砲がここへ来れば弥吉が受け取り、必要なら源兵衛にも見せながら最後まで仕上げていた。俺自身も同じ仕事はできるし、六年間の修業で一挺を最初から作れるところまでは来ている。
ただ、今知りたいのは俺ができるかどうかではない。
佐吉や他の職人へ、どこまで渡せるかだった。
「ほな、まず動かしてみ」
弥吉に言われ、俺は三番の仕掛けを動かした。火挟みの動きを確かめ、引金を引き、火皿へ落ちる位置を見る。動きが少し重い気もするが、この時点では原因までは分からない。
「次は?」
「外す」
「何を?」
「仕掛け」
「なんで?」
「見たいから」
「何を?」
「虎松」
「何」
「六年前より面倒になったな」
「成長した言え」
「悪い方にな」
俺は仕掛けを外した。
弥吉は受け取ると、接する部分を見て指で触り、少し考えてから鑢を取った。
「待って」
「何や」
「今、何見た?」
「ここ」
「そこ見て何が分かった?」
「ちょい当たっとる」
「俺が見ても分かる?」
「見たら分かる」
「それ禁止」
「なんでや!」
六年前から何も変わっていない。
◇
弥吉の作業を一つずつ追っていくと、思っていたより色々なことをしていた。
動かして違和感を確かめ、外して接触を見る。必要なら削ってまた組む。火挟みの落ちる位置を見て、火皿や火蓋の具合を確かめ、台木との収まりも見る。
ただ、その全部が高度な判断というわけではなかった。
例えば、組む前に汚れや削り屑が残っていないかを見る。ねじがきちんと入っているか確かめる。明らかな引っ掛かりがないか一度動かし、必要な物が揃っているか確認する。
こうした仕事まで、弥吉が自分でやっていた。
「これ、佐吉でもできるやろ」
俺が言うと、弥吉は三番から目を離さず答えた。
「できるんちゃう」
「なんでお前がやっとるん?」
「持ってきたから」
「誰が?」
「佐吉」
「ほな佐吉にやらせたらええやん」
「言うてへんからやろ」
あまりにも単純な答えだった。
できないから弥吉へ集まっているのではない。今まで弥吉がやっていたから、そのまま弥吉へ持ってきている仕事が混ざっている。
こういうものが一番厄介だ。
「佐吉!」
「はい!」
少し離れたところから返事が来た。
「ちょっと来て!」
「今ですか?」
「今!」
「またですか!」
「またや!」
最近、俺が呼ぶと嫌そうな声を出すようになった。
成長なのか反抗期なのかは分からない。
◇
佐吉を三番の前へ立たせ、弥吉が最初にしていたことを順番にやらせてみた。
「まず動かして」
「はい」
「変なとこある?」
「……ちょっと重い?」
「どこ?」
「分からんです」
「それでええ」
「ええんです?」
「分からんのに削らんかったらええ」
佐吉が怪訝そうな顔をした。
「次、外して。削り屑とか汚れ残ってへんか見る。ねじも見る。明らかにおかしいところあったら止める。分からんかったら弥吉呼ぶ」
「結局呼ぶんです?」
「呼ぶ」
「減ってないですやん」
「呼ぶまでにやること減らすんや」
横で弥吉が笑った。
「お前、最近ようそれやるな」
「何が?」
「俺呼ぶ前に何かさせるやつ」
「お前が忙しいからやろ!」
「俺のせい?」
「半分くらい」
「残り半分は?」
「知らん」
「便利やな、それ」
佐吉が仕掛けを外し、俺たちが見ている前で確認していく。手つきは慎重だったが、やっていること自体は難しくない。迷ったところでは止まり、弥吉へ聞く。
それでいい。
止まる場所が分かっていれば、分からないこと自体は問題ではない。
◇
三番では、佐吉に最初の確認と準備を任せた。
明らかな問題がないところまで見て、必要な物を揃えてから弥吉へ渡す。弥吉はそこから実際の合わせへ入り、削るかどうか、どこを直すかを判断した。
最終的な時間が半分になったわけではない。そんな都合のいい話ではなかった。
それでも、弥吉が三番を手にしてから実際に腕を使わなければならない仕事へ入るまでの時間は短くなった。途中で道具を探したり、単純な確認のために手を止めたりすることも減っている。
「どう?」
俺が聞く。
「楽やな」
弥吉が答えた。
「速い?」
「ちょっと」
「どのくらい?」
「ちょっと」
「お前らほんま数字嫌いやな!」
「速なったんやからええやろ」
「俺が知りたいんや!」
「ほな自分で数え」
正論だった。
腹立つ。
◇
四番では、もう少し踏み込んだ。
佐吉に最初の確認だけでなく、明らかに問題のない部分の組み直しまで任せる。俺も横で見ていたが、途中で一度、佐吉が手を止めた。
「これ、どうします?」
「何が?」
「ここ。ちょっと当たってる気がします」
俺も見る。
確かにそう見える。
「削れる?」
「削ろうと思えば」
「ほな削らんと弥吉呼んで」
「なんでです?」
「今のお前は、当たっとるところを見つけるところまで」
「直すのは?」
「まだ弥吉」
佐吉は少し不満そうだった。
「俺でもできると思いますけど」
「できるかもしれん」
「じゃあ」
「一挺だけ作っとるならやってもええ」
俺は四番を指した。
「今は後ろに五番がおる。その後ろにも来る。ここでお前が削って、削りすぎて、弥吉が直す仕事増やしたらどうなる?」
「……遅くなります」
「せやろ」
できることと、任せていいことは同じではない。
佐吉の腕を信用していないわけでもない。むしろ以前よりずっとできることは増えている。ただ、今必要なのは練習ではなく、二十挺を期限までに品質を落とさず仕上げることだった。
「終わったら教えたるわ」
弥吉が言った。
佐吉が振り返る。
「ほんまです?」
「時間ある時な」
「いつです?」
「知らん」
「またそれですか」
俺は少し笑った。
こうやって次の人間が育つなら、それはそれで悪くない。
◇
十七日目の昼前、三番が試し撃ちを通った。
午後には四番も最終合わせを終えた。試し撃ちは翌朝へ回したが、弥吉の前に並んでいた仕事は一時的に五番だけになった。
壁を見ると、右端には三枚。その手前に四番と五番があり、六から八も少しずつ追いついている。九番と十番は前半を進んでいた。
左端には十枚。
十一から二十までだ。
「……そろそろ入れんとな」
俺が呟くと、宗次郎がすぐ横から答えた。
「遅いくらいじゃないです?」
「お前いつからおったん」
「今です」
「気配消すなや」
「兄上が壁しか見てないんです」
宗次郎は左端の札を数えた。
「残り十三日くらいですよ」
「分かっとる」
「十挺まだ始めてません」
「それも分かっとる」
「一日一挺始めても」
「その計算やめろ」
「始めるだけなら十日です」
「分かっとるって!」
問題は、もう最初の頃とは違う。
前半の工程はある程度見えた。どこで止まりやすいかも分かってきたし、一度に全部を入れなければ途中の仕事が膨れすぎることもない。
後半も、弥吉たちへ渡す前の準備を分ければ少しは流せる。
なら、いつまでも怖がっている場合ではなかった。
「十一から十五、入れる」
「五挺?」
「うん」
「一度に?」
「一度にはやらん。明日から順に入れる」
「十六から二十は?」
「十一から十五の進み見て、すぐ後ろに付ける」
宗次郎が俺を見る。
「最初は三挺しか入れなかったのに」
「今は最初ちゃうからな」
最初の八挺で、俺たちはこの工房がどこで詰まり、どう流れるかを少し知った。
同じ工房で、同じ職人が、同じような鉄砲を作っている。
それでも十日前とは違う。
分からないことが減れば、流せる量は増やせる。
◇
十八日目、四番が試し撃ちを通り、完成は四挺になった。同じ日に十一番と十二番を始める。
十九日目には五番が完成し、十三番を入れた。六番と七番が後半へ入り、九番と十番も順調に進んでいる。
壁の札が、初めて大きく広がった。
右端に五枚。その手前に六、七、八。中ほどに九と十。左から十一、十二、十三が動き始め、十四から二十が待っている。
少し前なら、この状態を見ただけで怖くなっていたと思う。
今は違った。
どこに何があるか分かる。何が止まっているかも分かる。詰まりそうなら、その手前から流す量を減らせる。
何より、工房のみんなが札を見るようになっていた。
「虎松、七、今日こっち来るで」
五平が言う。
「分かっとる」
「場所空けといた方がええんちゃう」
「今やろうと思っとった」
「ほんま?」
「ほんまや!」
俺が言う前に、五平が場所を空け始める。
佐吉も六番の準備を進め、弥吉へ渡す前に自分でできる確認を済ませている。
もう俺一人が札を見て指示しているわけではない。
それは、少し嬉しかった。
◇
嬉しかったのは、その日の夕方までだった。
「虎松!」
工房の入口から声がした。
善右衛門だった。
「なんや、急に」
「急ちゃう。近く来たから寄っただけや」
「何?」
「調子どうや」
「今それ聞く?」
「聞いたらあかんのか」
善右衛門は俺の返事を待たず、壁の札を見た。最初に来た時にはなかったものなので、しばらく眺めている。
「これが二十挺か」
「そう」
「五枚、端やな」
「できたやつ」
「ほう」
善右衛門が少し笑った。
「できとるやん」
「五挺だけな」
「残りは?」
「作っとる」
「間に合う?」
今日三人目だった。
「お前らなんで同じことばっかり聞くんや!」
「聞きたいからやろ」
「間に合わせる!」
「ほなええ」
親父と同じことを言う。
腹が立つ。
「それだけ?」
「いや」
善右衛門の顔が少し変わった。
「鉄、次の分やけどな」
「次?」
「残りの分や」
「明後日やろ」
「それが一日か二日、遅れるかもしれん」
俺は壁を見る。
十四から二十。
まだ始めていない七挺。
「……なんで?」
「船が遅れとる」
「どのくらい?」
「せやから一日か二日」
「二日以上は?」
「今んとこ分からん」
最悪の言葉だった。
◇
「今ある鉄、何挺分?」
俺が聞くと、宗次郎が帳面を確認した。
「十四と十五までは足ります。使い方によっては、もう少し」
「使い方によってはって?」
「残ってる分を全部使えばです。でも他の仕事の分もあります」
「それは触らん」
「はい」
善右衛門が腕を組んだ。
「急がせることはできるで」
「船を?」
「船は無理や」
「ほな何を急がすねん」
「着いてからや」
「それは頼む」
ここで善右衛門を責めても鉄は速く来ない。
問題は、二日遅れた時にどうするかだ。
十五番まで先に進める。その間に後半へ来ている六から十を仕上げ、鉄が届いたら十六から二十を流す。
残りの日数を考える。
間に合う。
たぶん。
「兄上」
宗次郎が言った。
「何」
「顔が怖いです」
「慎重な顔や」
「それ、弥吉さんに言ってましたね」
「今は慎重や!」
善右衛門が笑った。
「まあ、届いたらすぐ持ってくる」
「頼むで」
「おう」
帰っていく善右衛門を見送ってから、俺はもう一度壁を見た。
残り十二日ほど。
完成五挺。
仕掛かり八挺。
まだ始めていない七挺。
そして、その七挺を作る鉄の一部がまだ堺にない。
ここまで来て、ようやく工房の中が回り始めた。
今度は工房の外から予定が崩れた。
「兄上」
「何?」
「十四番、始めます?」
俺は少し考えた。
「始める」
「十五は?」
「明日」
「鉄が来なかったら?」
「来るまでに、今ある仕事を前へ出す」
宗次郎が頷いた。
予定通りにいかないのは、別に珍しいことではない。
前の人生でもそうだった。材料が来ない。機械が止まる。人が休む。客が急に納期を変える。それでも現場は、ある物といる人間で次の手を考えるしかない。
計画は、守るためだけにあるんじゃない。
崩れた時に、どこを変えればいいか知るためにもある。
俺は十四番の札を取った。
「流すで」
残り十二日。
ここから先は、待っている暇もなかった。




