一挺目
十五日目の朝、一番の札は壁の右端近くにあった。
昨日までに銃身も台木も金具も揃い、組み上げるところまでは来ている。残っているのは最後の合わせと確認、それから試し撃ちだ。
ここまで来れば完成したような気分になるが、六年間この仕事をやってきた俺には、むしろここから気を抜けないことが分かっている。
部品は一通り揃っていても、組めばそのまま鉄砲になるわけではない。仕掛けの動き、火皿や火蓋、火縄を落とす位置、台木への収まり。個々には使える物でも、組み合わせれば微妙に合わないところが出る。
一番を手に取った弥吉が、仕掛けを何度か動かした。
「ここ、ちょい重いな」
「どこ?」
「ここ」
横から見ても分からない。
「何が重い?」
「動き」
「それは見たら分かる」
「ほな聞くなや」
「どこが原因か聞いとんねん!」
弥吉は笑いながら仕掛けを外した。接するところを確かめ、ほんの少し鑢を当てる。もう一度組んで動かすと、今度は満足したらしい。
「これでええ」
「俺にもやらせろ」
「嫌や」
「なんでや」
「一挺目やぞ」
「俺も職人やぞ!」
「音頭取りやろ」
「都合ええ時だけ管理する側にすんな!」
弥吉の横で源兵衛が鼻を鳴らした。
「喋っとらんと見とけ」
「はい」
親父には勝てない。
◇
最終の合わせは、思ったより時間が掛かった。
一か所を直せば終わりではない。組んでは動かし、外して確かめ、必要なら直してまた組む。弥吉が触り、途中で源兵衛が確認し、俺も横から見ながら手伝った。
佐吉たちへ渡せる仕事を増やしてきた俺でも、ここを丸ごと任せようとは思わない。
今までやってきたことは、誰でも何でもできるようにすることではなかった。佐吉が判断できるところは佐吉に任せ、五平ができるところは五平に任せる。その代わり、本当に弥吉や源兵衛でなければ難しい仕事へ、二人の時間を残す。
今、目の前にあるのがその時間だった。
「これでええやろ」
弥吉が仕掛けを動かした。
源兵衛が受け取り、自分でも何度か確かめる。銃身の中を見て、台木との収まりを確認し、最後に全体を眺めた。
「撃つぞ」
その一言で、工房にいた何人かが顔を上げた。
「行くん?」
「一挺目やろ」
「俺も見たい」
「仕事せえ」
「虎松も行くやん」
「俺は音頭取りや!」
「都合ええ時だけ使うな」
弥吉に返された。
◇
試し撃ちは、何度やっても少し緊張する。
火薬を込め、弾を入れ、必要な手順を踏んで準備する。俺たちが日々作っている物は道具であり商品だが、同時に火薬の力で鉛玉を飛ばす武器でもある。
形が整っているから完成ではない。撃てて、壊れず、次も使えて初めて売り物になる。
源兵衛が最終確認を済ませ、試射の準備が整った。
俺たちは少し離れる。
火が落ちた。
轟音が響き、煙が広がる。
何度経験しても、この瞬間だけは腹の奥に響く。
源兵衛はすぐに銃を確認した。銃身、仕掛け、台木、それぞれを見て問題がないことを確かめる。必要な確認を終えるまで誰も何も言わず、俺も親父の手元を見ていた。
「ええ」
ようやく、その一言が出た。
「……通った?」
「ああ」
「売れる?」
「売れる」
その瞬間、俺は思わず息を吐いた。
「よっしゃ」
「まだ一挺やで」
弥吉が横から言う。
「分かっとるわ。今くらい喜ばせろ」
「あと十九挺」
「数えるな」
「二十挺作るんやろ」
「知っとる!」
それでも嬉しかった。
六年前、自分で一本の鉄砲を作れと言われた時とは違う。あの時は、自分が一挺を作れるかどうかだった。
今回は工房で二十挺を作る。
その一挺目が、ようやく出た。
◇
工房へ戻ると、俺は一番の札を右端へ移した。
そこだけは誰にもやらせなかった。
「兄上、嬉しそうですね」
「うるさい」
「自分で動かすんですね」
「一番くらいええやろ」
「さっき札動かすことが仕事になったらあかんって」
「それ五日前の俺や」
「言うてること変わってますよ」
「人は成長するんや」
「五日で?」
「する時はする」
宗次郎が何とも言えない顔をした。
右端に一枚。
残り十九枚。
数だけ見れば先は長い。それでも完成ゼロと完成一の間には、数字以上の差がある。一挺が最後まで流れたことで、今まで途中までしか見えていなかった工程が、ようやく最初から最後まで繋がった。
俺は少し離れて壁を眺めた。
「……ん?」
「どうしました?」
宗次郎に聞かれ、右端から視線を戻す。
二番がもう最終の合わせに近く、三番もその後ろまで来ている。四番と五番も昨日よりかなり進んでいた。
「早いな」
「順調なんじゃないです?」
「順調やけど」
前で詰まっていた仕事をまとめて処理したのだから、当然だった。そこで待っていた物が流れ始めれば、その後ろにあった仕事も続いて動く。
一番だけが特別に早かったわけではない。
列が動いたのだ。
◇
午後、二番が最終の合わせへ入った。
弥吉が見る。
少し遅れて三番も来た。
「弥吉、三も来たで」
「置いといて」
「どこ?」
「そこ」
「そこ二番の部品ある」
「ほな隣」
「隣は別の仕事や」
「じゃあちょい待って」
嫌な言葉を聞いた。
待って。
この十日ほど、その言葉を何度聞いただろう。
「弥吉」
「何?」
「二番どのくらい掛かる?」
「知らん。合わせてみな分からん」
「三番は?」
「もっと知らん」
「四番も来るで」
「見たら分かる」
「まだ来てへんわ!」
弥吉が笑っている。
俺は笑えなかった。
二番の合わせをしている間、三番は待つ。そこへ四番が来れば、四番も待つ。
弥吉だけではない。源兵衛もいる。ただし親父には親父の仕事があり、既存の注文も見なければならない。二十挺だけに付きっきりにはできない。
しかも最終の合わせは、前の詰まりとは事情が違う。
段取りを減らせば全部まとめて速くなる、という仕事ではない。鉄砲ごとに状態が違い、実際に組んで確かめなければ分からないところがある。三挺並べて同じだけ鑢を掛ければ終わるようなものではなかった。
「……またか」
「何が?」
「詰まりそう」
弥吉が手を止めずに答える。
「ほな、また何とかしたらええやん」
「簡単に言うな」
「最近それ多いな」
「宗次郎にも言われたわ!」
工房の人間は、妙なところだけよく覚えている。
◇
十六日目には、二番も完成した。
一番ほど時間は掛からなかった。最初の一挺で確認したことが使えた部分もあり、弥吉たちの手にも迷いが少ない。それでも個別に直すところはあり、最後は源兵衛が確認してから試し撃ちへ回した。
二番も問題なく通った。
完成二挺。
だが、その日の夕方には三番と四番が最終合わせを待ち、五番もかなり近いところまで来ていた。さらに九番と十番は前の工程を進んでいる。
壁の左には、十一から二十までの十枚が残ったままだ。
「兄上」
宗次郎が壁の前で言った。
「何」
「二挺できましたね」
「できたな」
「十六日で」
「……うん」
「あと十四日くらいです」
「言わんでええ」
「残り十八挺です」
「計算せんでええ」
「これは計算せんでも分かります」
「お前ほんま可愛げないな!」
宗次郎は笑いながら帳面へ目を落とした。
俺は壁を見る。
このまま一日一挺できれば、十四日で十四挺。
足りない。
もちろん、今までの十六日と残り十四日を同じように考える必要はない。すでに途中まで進んでいる物があるし、前半の流れも良くなっている。
問題は、出口だった。
◇
「弥吉」
「何や」
「最終合わせ、俺にももっと回して」
夕方、三番を触っている弥吉へ言った。
「やっとるやん」
「もっと」
「音頭は?」
「やる」
「自分の鉄砲は?」
「やる」
「壁見るんは?」
「やる」
「宗次郎に数字聞くんは?」
「やる」
「寝るんは?」
「やるわ!」
「いつ?」
答えに詰まった。
弥吉が笑う。
「お前、全部やろうとしとるやろ」
「人足りんのやからしゃあないやろ」
「親方に言うたら?」
「何を?」
「手ぇ貸してくれって」
「もう貸してもろとる」
「ほな五平」
「五平にも仕事ある」
「佐吉」
「最後まで任せるんはまだ怖い」
「ほな俺」
「お前が詰まっとる言うとんねん!」
「知らんがな」
本当に腹が立つ。
ただ、弥吉の言っていることにも一つ引っ掛かるところがあった。
俺はまた、全部を自分で何とかしようとしている。
最終合わせそのものを誰かへ丸ごと渡すのは難しい。だからといって、最終合わせに含まれる仕事の全部が、弥吉や源兵衛にしかできないとは限らない。
六年前の当て金もそうだった。佐吉へ仕事を渡した時もそうだった。
仕事を丸ごと見るから、「できる人」と「できない人」に分かれる。
中身を見れば、その間がある。
「弥吉」
「今度は何?」
「最終合わせって、どこから最終合わせ?」
弥吉の手が止まった。
「何言うてんの?」
「せやから、三番がここへ来てから、お前が最初に何しとる?」
「見る」
「その次」
「動かす」
「その次」
「外す」
「その次」
「虎松」
「何」
「うるさい」
「大事なとこや!」
◇
翌朝、俺は三番の作業を最初から見ることにした。
弥吉が完成間近の鉄砲を受け取ってから、実際に何をしているのか。一つずつ追っていけば、弥吉でなければできないところと、そうでないところが分かれるかもしれない。
ただし、前とは違う。
今回は品質の最後の砦だ。無理に仕事を剥がして一挺でも駄目にすれば、速くなったところで意味がない。
速くすることより、誰がどこまでやっていいのかを見極める必要がある。
工房へ入ると、弥吉が三番を持って待っていた。
「見るんやろ」
「うん」
「仕事は?」
「後でやる」
「壁は?」
「見る」
「音頭は?」
「取る」
「寝るんは?」
「まだ言うか」
弥吉が笑った。
その後ろには四番が待っている。五番も今日中には来るだろう。
右端には完成した札が二枚。左端には、まだ動いていない札が十枚。
残り十四日。
俺は三番を受け取った。
「ほな、最初から教えて」
「六年やったんちゃうん?」
「六年やったから聞いとんねん。俺ができるかやなくて、誰でもできるところがどこまでか知りたい」
弥吉は少しだけ考えてから、三番を俺の前へ置いた。
「ほな、まず動かしてみ」
ようやく出口を広げる仕事が始まった。




