速くするな
十一日目の朝、俺は自分の仕事へ入る前に、昨日まで札が溜まっていた場所へ行った。
今日一日はここを見ると決めている。もちろん本当に一日中突っ立っているわけにはいかないので、自分の仕事も合間に進めるつもりだが、まず知りたいのは、なぜここだけ仕事が溜まるのかだった。
作業している職人に声を掛ける。
「今日ちょっと見とってええ?」
「何を?」
「仕事」
「嫌や」
「なんでや!」
「やりにくいやろ。ずっと見られたら」
もっともだった。
「ほな、たまに見る」
「それも嫌や」
「どうせ見るから諦めて」
「聞く意味あった?」
「礼儀や」
「便利な礼儀やな」
俺は少し離れたところへ移動した。
見たいのは職人の腕ではない。昨日まで数えたのは、ここへ入ってくる仕事と出ていく仕事の数だけだった。それで処理しきれていないことまでは分かったが、なぜ処理できないのかはまだ分からない。
一つの仕事が始まってから終わるまで、何が起きているのか。
今日はそこを見る。
◇
最初の仕事は普通に終わった。
部品を取り、合わせて削り、確認する。必要なところを直してもう一度合わせる。手際は悪くなく、俺が横から見ても、ここだけ極端に腕の悪い人間が置かれているようには見えなかった。
職人は終わった部品を脇へ置き、次へ移ろうとした。
そこで手が止まった。
立ち上がって少し離れたところへ行き、別の仕事を持って戻ってくる。
「それ何?」
「前から頼まれとるやつ」
「二十挺は?」
「その後」
「なんで?」
「こっち今日までやから」
そうだった。
今回の二十挺だけを作っているわけではない。既存の仕事を遅らせないという条件がある以上、急ぎの仕事があれば当然そちらもやる。
その仕事が終わるまで、二十挺の部品は待った。ようやく戻ってきたと思ったら、今度は使っていた道具を片付けて別の道具を出し、作業台の上を空けて必要な物を並べ直す。
加工が始まれば速い。
始まるまでが長い。
「……これか?」
「何が?」
「いや、続けて」
「気になるわ」
気になるだろうが、俺も気になる。
◇
次の仕事でも似たことが起きた。
二十挺の部品を一つ処理したあと、別の仕事へ移る。道具を替え、終わればまた戻る。その途中で若い職人から質問され、さらに別の部品まで確認していた。
昼前まで見て、ようやく分かってきた。
この作業そのものが極端に遅いわけではない。むしろ一度始めれば、それなりに速い。
問題は、仕事が細切れになっていることだった。
「宗次郎」
近くを通った弟を呼ぶ。
「はい」
「ちょっとこれ持っといて」
「何です?」
俺は小さな板を渡した。朝から簡単な印を付けていた物だ。
「仕事しとる印と、仕事替えた印」
「多いですね」
「せやろ」
「これ全部、違う仕事です?」
「全部ではないけどな」
同じ種類の仕事へ戻ってきたものもある。それでも、思っていた以上に行ったり来たりしていた。
「じゃあ、ずっとこれやれば早いんじゃないです?」
宗次郎が言った。
「俺も今それ考えとる」
「じゃあやればいいでしょう」
「簡単に言うな」
「最近それ多いですね」
俺もそう思う。
◇
昼過ぎ、弥吉と五平を呼んだ。
「何?」
「仕事あるんやけど」
二人とも露骨に嫌そうだった。
「すぐ終わる」
「虎松のすぐは信用できん」
「今日はほんまにすぐや」
俺は壁の札と、朝から見ていた仕事を指す。
「ここ、遅いと思っとったやろ」
「お前がな」
「見たら、作業そのものはそんな遅ない」
「ほなええやん」
「よくない。途中で別の仕事入りすぎとる」
五平が札を見る。
「そら他の仕事もあるからな」
「それは分かっとる。けど、一個やって別の仕事、一個やってまた戻って、また別の仕事ってやっとるやろ。そのたびに道具替えたり、物持ってきたり、作業台空けたりしとる」
弥吉が少し考えた。
「ほな、続けてやるん?」
「できるなら」
「何個?」
「まず溜まっとる分」
「全部?」
「全部は怖い」
「また怖いんか」
「最近それ言えば俺に勝てると思っとるやろ」
「勝てるで」
否定できないのが腹立つ。
「三つか四つ、続けてやったらどうなるか見たい」
五平が首を傾げた。
「一個ずつやるんと何が違う?」
「一回準備したら、そのまま次もできるやろ」
「物違うで」
「分かっとる。全部同じやり方で最後までやれとは言うてへん。同じ道具、同じ作業で進められるところまで続けてやる」
ここは重要だった。
二十挺は同じような形で頼まれているが、同じ物ではない。鉄も違えば途中の出来も違う。何も考えず同じところまで削れば、かえって失敗する。
揃えたいのは出来上がりではなく、できる範囲の仕事だった。
「試すだけならええんちゃう」
弥吉が言った。
五平も頷く。
「邪魔になったら戻すで」
「それでええ」
親父が最初に言った通りだ。
使えなければ戻せばいい。
◇
ところが、すぐに源兵衛から待ったが掛かった。
「何しとる」
俺たちが溜まっていた部品を集めているところへ、親父が来た。
「ここ、まとめてやってみる」
「何をまとめる」
「この仕事。三つか四つ続けて」
「なんで」
「一個ずつ別の仕事挟んどるから、準備ばっかり増えとる。続けてやったら速なるか見たい」
源兵衛は並べた部品を見る。
「同じにやるんか」
「できるところまで」
「どこまで」
俺は答えようとして、止まった。
親父が一つを手に取る。
「これとこれ、同じに見えるか」
「見えへん」
「こっち、ちょい歪んどるやろ」
「うん」
「こっちは?」
「少し厚い」
「ほな一緒にやったらあかんやろ」
「一緒に仕上げるとは言うてへん」
「ほな何を一緒にする」
説明が足りなかった。
「最初の粗いところだけ。同じ道具使うところまでまとめる。その後は一個ずつ見る」
親父が俺を見る。
「速うするために雑になるんやったらやめとけ」
「せえへん」
「ほんまか」
「そこは俺も怖い」
「怖いんかい」
弥吉が後ろで笑った。
「お前は黙っとれ!」
源兵衛はもう一度部品を見る。
「三つだけやれ」
「四つは?」
「三つ」
「なんで?」
「お前が怖い言うたからや」
「そういう使い方すんなや!」
「三つで分かるやろ」
それはそうだった。
◇
三つ並べて始めた。
一つ目を粗いところまで進めて脇へ置く。道具は替えず、そのまま二つ目、三つ目も同じところまで進める。それから一つ目へ戻り、今度は個別に合わせながら先へ進めた。
思った通り、途中の準備は減った。作業台を片付ける回数も、道具を探しに行く回数も少ない。職人自身も二つ目、三つ目になると、手順を考え直す時間が短くなっていた。
「どう?」
俺が聞く。
「楽は楽やな」
「速い?」
「たぶん」
「たぶんか」
「お前に言われたないわ」
もっともである。
ただし、三つ目で少し手が止まった。
「これ、先やったらあかんな」
「なんで?」
「こっちだけ形違う」
見ると、確かに最初の二つとは状態が違う。無理に同じところまで進めれば、後で余計な手直しが出る。
「ほなこれはここまで」
「せやな」
一つだけ先へ進めるのをやめた。
まとめると速い。だが、まとめたからといって同じように扱えるわけではない。
親父が横から何も言わず見ている。
たぶん、これを言いたかったのだろう。
◇
その日の終わりまでに、溜まっていた仕事は少し減った。
劇的ではないし、全部消えたわけでもない。それでも朝より板の上が空いている。
「五平」
「何や」
「どう?」
「何が」
「今日のやつ」
「悪ないんちゃう」
「続けてもええ?」
「俺に聞くん?」
「使う側やろ」
五平は少し考えた。
「同じようなんが三つ四つある時はええんちゃう。ただ、違うやつ混ぜたら余計面倒やで」
「そこは分ける」
「誰が?」
「……俺?」
「増えたな、仕事」
嫌なことを言う。
実際そうだった。仕事をまとめるには、何と何ならまとめてよいかを見る必要がある。何でも一緒にはできない。
俺が全部判断していたら、今度は俺のところへ仕事が集まる。
弥吉を何とかしようとして、次の工程が詰まり、その次は俺が詰まる。
笑えない。
「兄上」
宗次郎が板を持ってきた。
「今日、出た数の方が多いですよ」
「ほんま?」
「はい。入ったのが二つ、出たのが四つ」
俺は板を見る。
たった一日だ。これで解決したとは言えない。
それでも、増え続けていた列が初めてはっきり縮んだ。
「明日も同じやり方で見る」
「九番と十番は?」
「まだ待つ」
「残り十二挺ですよ」
「分かっとる」
「あと二十日くらいです」
「分かっとるって!」
宗次郎が笑った。
◇
十二日目、十三日目と同じやり方を続けた。
似た仕事がいくつか揃った時だけ続けて処理し、状態の違う物は途中から分ける。既存の仕事についても、納期に余裕がある物なら無理に二十挺の途中へ差し込まず、区切りのいいところまで待ってもらった。
もちろん全部はできない。急ぎの仕事は入るし、修理を持ち込まれれば予定も崩れる。それでも、一つ終わるたびに別の仕事へ飛んでいた頃より流れは落ち着き、溜まっていた札は五枚から四枚、三枚へと減っていった。
十四日目の朝には、二枚になっていた。
「減ったな」
弥吉が壁を見ながら言った。
「減った」
「ほな九と十やる?」
「うん」
「やっと?」
「やっと」
俺は九番と十番の札を左端へ置いた。
「十一は?」
「まだ」
「十二は?」
「まだや!」
「慎重やなあ」
「うるさい」
弥吉が笑いながら火床へ向かう。
俺は壁を見た。
詰まりは消えていない。ただ、前から来る仕事を受け止められる程度には細くなった。
なら次を流せる。
九番と十番が動き始めた。
◇
昼前、源兵衛が壁の前へ来た。
「虎松」
「何?」
「二週間やな」
「せやな」
「半分始まったか」
「十挺」
「完成は?」
黙った。
「何挺や」
「……まだ」
「一挺も?」
「もうすぐ一番が最後まで行く」
「もうすぐは一挺に数えへんぞ」
「知っとるわ!」
親父は札を見る。
最初の一番は、確かにかなり右まで来ている。二番、三番も後ろに続いていた。
「あと半月や」
「分かっとる」
「十挺はまだ始めてもへん」
「分かっとるって」
「ならええ」
またそれだけ言って、親父は戻っていった。
腹が立つ。
何か言え。
いや、言われても腹が立つと思う。
「兄上」
宗次郎が隣に来た。
「何」
「間に合います?」
「お前まで言うな」
「聞いただけです」
俺は壁を見る。
詰まりは一つ解いた。流れも前より良くなった。
それでも二週間で完成はゼロ。残り十挺は手付かずだ。
数字だけ見れば、あまり気持ちのいい状態ではない。
ただ、最初の一挺が完成へ近づいたことで、今まで見えなかった後ろの工程も見え始めている。
俺は一番の札を指で叩いた。
「まず、こいつ出す」
「一挺ですか?」
「一挺や」
「残り十九挺ですよ」
「分かっとる」
「大丈夫です?」
「宗次郎」
「はい」
「ちょっと黙ろか」
「はい」
素直なのが余計に腹立つ。
その日の夕方、一番の札がまた一つ右へ動いた。
残る工程は、最終の合わせと試し撃ち。
ようやく一挺目の終わりが見えた。
そして同時に、俺は別のことにも気づいていた。
一番がそこまで来たということは、二番も来る。三番も来る。その後ろには四番と五番がいる。
前で起きたことが、後ろで起きない保証はどこにもない。
詰まりを一つ解いたからといって、仕事が終わったわけではなかった。




