↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
虎松〜元エンジニアの戦国ものづくり革新録〜  作者: 真部 朝樹
尾張・国友編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
150/151

次の榊家


 国友から戻って、十日ほどが経った。


 榊屋は、見た目にはそれほど変わっていない。


 朝になれば火床に火が入り、槌の音が響く。水車は回り、木を削る音がして、出来上がった部品はいつもの場所へ集められる。宗次郎は相変わらず帳面を見ているし、お澪も注文や返事待ちの話を整理している。


 それでも、よく見れば少しずつ変わっていた。


「徳松、それ一人でやったん?」


「はい」


 水車設備の横で、徳松が少し緊張した顔をしていた。研ぎの仕事だった。


 市兵衛は少し離れた場所で別の設備を触っている。


「市兵衛、見てへんかった?」


「途中までは」


 市兵衛が答えた。


「最後はこいつにやらせた」


「どうやった?」


「普通のやつなら、もう任せてもええ」


 徳松が少し嬉しそうな顔をする。


「変なん来たら?」


「俺呼ぶ」


「そこはまだ市兵衛なんやな」


「そらそうやろ」


「うん。それでええ」


 何でも徳松に出来るようにする必要はない。


 市兵衛にしか分からないことは、まだある。設備の音がおかしい時や、普段と違う加工をする時は、今でも市兵衛の判断が要る。


 ただ、以前なら市兵衛がいないだけで止まっていた仕事が、一つ減った。


 それで十分だった。


 甚助のところでは、松之助が木材を手に取っている。


「これ、使えます?」


「どう思う」


「……ちょっと反りそうです」


「何で」


「木目がこっちへ寄ってるのと、持った感じが軽いです」


「なら削ったらどうなる」


「こっちへ動くかも」


 甚助は少し考えてから頷いた。


「使うなら、先に荒く落として一晩置け」


「はい」


 俺は少し離れた場所から、そのやり取りを見ていた。


 甚助が答えを言う前に、松之助へ考えさせている。これまでなら「見て覚えろ」で終わっていたことが、少しだけ言葉になっている。


 それでも、全部ではない。


 全部でなくていい。


 そう思えるようになったことが、自分でも少し不思議だった。


     ◇


「兄上」


 宗次郎に呼ばれた。


「何?」


「これ、どうします?」


 帳面を見せられる。新しい注文だった。


 以前の俺なら、その場で図を描いて、治具を考えて、誰にやらせるかまで口を出していたと思う。


 でも今回は、少し考えた。


「これ、外形は今までの治具使えるやろ」


「使えます」


「穴だけ新しい?」


「はい」


「なら新八と弥吉に先見てもろて。今ある治具でいけるならそのまま。無理なら俺呼んで」


 宗次郎が少し意外そうな顔をした。


「兄上が最初から見んでええんです?」


「最初から俺見る必要ないやろ」


 宗次郎が少しだけ笑う。


「国友行って変わりましたね」


「そんな?」


「前なら、もう作業台に図描いてました」


「……それはあるかも」


 否定出来ない。


「じゃあ、この件はこっちで進めます」


「頼む」


 宗次郎が帳面を閉じると、その横からお澪が別の書き付けを差し出した。


「虎松さん、こっちは?」


「何?」


「お蓮さんのところからです」


 見ると、地板の数が並んでいた。


 今月分の予定。


 お蓮の工房で作る分。


 そこからさらに別の鍛冶へ回している分。


 戻ってくる予定。


 検査で見るところ。


「もうこんな振ってるんや」


「前からですよ」


 お澪が言った。


「虎松さんが気にしてなかっただけです」


「ひどない?」


「でも、半分近くお蓮さんのところでしょう?」


「まあ、そうやけど」


 榊屋で使う地板のかなりの数は、もうお蓮の工房で作っている。


 しかも、お蓮のところだけで足りない時は、さらに別の鍛冶へ回している。榊屋からお蓮へ。お蓮から別の工房へ。そこで作られたものが、また戻ってくる。


 最初は俺たちが一つずつ教えていた。


 今は違う。


 お蓮自身が、どこまで外へ振るか、どこを自分のところで見るかを判断している。


「これ、もう俺らより向こうの方が詳しいとこあるな」


「地板だけなら、そうかもしれませんね」


 宗次郎が言った。


 少し変な気分だった。


 でも、嫌ではなかった。


     ◇


 昼前、嘉兵衛のところから荷が届いた。


 箱を開けると、小さなねじが並んでいる。


「榊一番、これで今月分やて」


 善次郎が持ってきた。


「小ねじも?」


「入っとる」


 俺は一つ摘んで見る。


 榊一番。


 榊屋で最初に本格的に決めた規格ねじだった。


 最初は、自分たちで全部作るつもりだった。


 でも今では、ねじに関しては嘉兵衛の方がずっと詳しい。榊一番だけではなく、鉄砲に使う小さなねじも、かなりの数を任せている。


「嘉兵衛、もう完全にねじ屋みたいやな」


「本人に言うたら怒るんちゃう?」


 善次郎が笑う。


「刃物も農具も作っとるしな」


「でも榊屋向けは、ほぼねじやろ」


「そうやな」


 嘉兵衛の工房には、榊一番を作るための道具も、やり方も揃っている。


 榊屋で作るより早いし、安定もしている。


 だから任せた。


 それで困っていない。


「何や」


 親父が箱を覗き込んだ。


「嘉兵衛から」


「そうか」


 一本摘んで、ねじ山を見る。


「ええな」


「親父、それだけ?」


「悪けりゃ言う」


「まあそうやけど」


 親父はねじを箱へ戻した。


「使える奴に作らせりゃええ」


「昔からそういう考えやった?」


「何で全部うちで作らなならん」


「いや、何となく」


「買わな作れんのと、作れるけど買うんは違うぞ」


 前にも聞いた言葉だった。


 今なら、前より少し分かる。


 榊屋で作ろうと思えば作れる。


 でも、嘉兵衛に任せた方がいい。


 それは弱くなったということではない。


 自分たちで出来ることまで、あえて外へ任せられる。


 その分、榊屋でしか出来ない仕事へ人を使える。


 国友とは違う。


 でも、少し似ている。


 工房の外に必要な腕があり、それを使うことで全体が強くなる。


     ◇


 午後になって、お蓮が来た。


「これ」


 そう言って、地板を何枚か作業台へ置く。


「何?」


「今度から、こっちで見るとこ変える」


「どこ?」


「この角」


 お蓮が指差す。


「向こうに回した分、ここだけ少しばらついた」


「使えへん?」


「使える。でも手直し増える」


「なるほど」


「やから、外へ出す時にここだけ先に見せる」


「向こうの鍛冶に?」


「そう」


 お蓮は当然のように言った。


「榊屋で見るのと同じ見方させても、向こうは全部分からんやろ。地板だけなら、ここ見ればええ」


 俺は少し黙った。


「何?」


「いや」


「何やねん」


「ええなと思って」


「何が」


「それ」


「それ?」


「榊屋と同じこと全部やらせてへんやろ」


「当たり前やろ」


 お蓮が変な顔をした。


「向こうに頼んどるん、地板だけやぞ。何で全部榊屋と同じこと覚えさせなあかんねん」


「……ほんまそれ」


「国友行って頭悪なったん?」


「逆やと思いたい」


 お蓮が笑った。


 でも、その言葉は妙に残った。


 必要なところだけ揃える。


 必要なところだけ見る。


 それ以外は、その工房に任せる。


 俺が国友でようやく考え始めたことを、お蓮はもう普通にやっていた。


 たぶん本人は、別に新しいことをしているつもりすらない。


 必要だから、そうしているだけだ。


     ◇


 工房へ戻ってから、宗次郎と少し話した。


「なあ」


「何です?」


「榊屋って、どこまでが榊屋なんやろ」


 宗次郎が帳面から顔を上げる。


「急ですね」


「いや、お蓮んとこ見てたら思って」


「工房の中だけではないでしょうね」


「やっぱそう思う?」


「地板の半分近くはお蓮さんでしょう。ねじは嘉兵衛さん。材料も外から来るし、加工も外に出す。善右衛門さんもおりますし」


「善右衛門入れる?」


「入れんかったら怒るでしょう」


「怒るやろな」


 想像出来る。


 宗次郎が続けた。


「榊屋が注文を受けて、榊屋の決めた形で作って、最後に榊屋が責任取るなら、外で作っとっても榊屋の仕事なんちゃいます?」


 俺は少し考えた。


「なるほどな」


「何です?」


「国友で、村一つが工房みたいやと思ったんよ」


「聞きました」


「榊屋も、もうこの建物だけちゃうんやな」


 宗次郎が頷く。


「前からそうやったんちゃいます?」


「たぶん。俺が気付いてへんかっただけ」


 お蓮。


 嘉兵衛。


 善右衛門。


 材料を持ってくる人。


 外へ頼んでいる職人。


 榊屋の中で働く人間。


 それぞれ別の場所にいて、別の仕事をしている。


 でも、それが繋がって一挺の鉄砲になる。


 国友とは違う。


 国友には国友の繋がり方がある。


 榊屋には榊屋の繋がり方がある。


 どちらが正しいかではない。


 何を作りたいか。


 どう作りたいか。


 その違いだった。


     ◇


 試射の方も、続いていた。


 まだ試験と呼べるほど立派なものではない。


 距離を揃える。


 火薬量をなるべく揃える。


 弾を揃える。


 何発か撃つ。


 不具合も記録する。


 そこまで決めただけだ。


 それでも、以前よりは少し比べられるようになった。


「国友の方、やっぱりまとまりええのあるな」


 新八が帳面を見る。


「でも、こっちは榊屋の方が安定してます」


「どれ?」


「これです。十発撃って、動き悪くなってへん」


「ほんまや」


「こっちは国友の方がよく当たる。でも火挟み一回重くなってます」


「なるほど」


 比べれば比べるほど、どちらが上なのかは分からなくなる。


 でも、それでいい。


「これ、面白いな」


 善次郎が言った。


「何が?」


「前なら、ええ鉄砲か悪い鉄砲かだけやったやろ」


「うん」


「今は、何がええか言える」


「まだ言えるほどでもないやろ」


「そのうちな」


 善次郎が笑う。


 お澪は横で帳面を整理していた。


「まだ人に見せるには分かりにくいです」


「ですよね」


「もっと揃えんと」


「増えるなあ」


「虎松さんが始めたんでしょう」


「それ何回言うん」


 新八が楽しそうに笑った。


 たぶん、しばらく終わらない。


     ◇


 鉄砲そのものだって、全部を同じには出来ない。


 榊屋では寸法を揃え、治具を使い、なるべく同じところを狙って作っている。けれど、銃身と尾栓まで、どれを持ってきてもそのまま組めるほどには出来なかった。


 そこはもう諦めている。


 今の道具と加工の精度では、無理にそこまで揃えようとする方が危ない。


 銃身は銃身で基準へ近付ける。


 尾栓も同じように作る。


 それでも最後は一本ずつ合わせ、締まりを見る。当たりを見る。必要なら削る。


 そこは職人の仕事だ。


 以前は、それが少し悔しかった。


 もっと揃えたい。


 もっと同じにしたい。


 そう思っていた。


 今は少し違う。


 揃えられるところまで揃える。


 その先は人に任せる。


 それでいい。


 無理に同じにすることが、ものづくりを良くするわけではない。


     ◇


 その日の夕方。


 工房の仕事が一段落した頃、俺は作業台の上に置かれた部品を何となく見ていた。


 嘉兵衛のねじ。


 お蓮の地板。


 榊屋で作った銃身。


 外から来た材料。


 別々の場所で作られたものが、ここへ集まっている。


 その向こうでは宗次郎が帳面を見て、お澪が注文を整理している。市兵衛は徳松へ何か教え、甚助の横には松之助がいる。弥吉と佐吉は、銃身を見ながら何やら話し込んでいた。


 少し前まで、榊屋を強くすることばかり考えていた。


 もっと作る。


 もっと揃える。


 もっと早くする。


 でも今は、少し違う。


 榊屋だけが強くなればいいわけではない。


 お蓮の工房が強くなる。


 嘉兵衛がねじをもっと上手く作れるようになる。


 別の工房も、それぞれ自分たちに合うやり方を見つける。


 そういうものが繋がれば、もっと大きなことが出来る。


 日ノ本のものづくりを変えたい。


 そのために必要なのは、榊屋を一軒だけ大きくすることではないのかもしれない。


 それぞれの工房が、自分たちなりに良くなっていく。


 その間を規格や商売や人の繋がりで結ぶ。


 一つの巨大な工房に全部を押し込まなくても、離れた場所の仕事を繋げることは出来る。


 もしそれが広がっていけば、俺が昔から考えていたものに、少し近付く気がした。


     ◇


「虎松」


 親父に呼ばれた。


「何?」


「ちょっと来い」


 工房の奥だった。


 別に深刻そうな顔をしているわけではない。親父はいつものように腕を組み、工房の方を見ながら立っていた。


「最近、俺が決めること減ったな」


「そう?」


「前よりな」


「ええことちゃう?」


「ああ」


 親父は普通に頷いた。


「宗次郎が見るようになった。お澪もおる。職人も前より自分で動く」


「うん」


「外もそうだ。お蓮も嘉兵衛も、もう一からこっちが言わんでもやるだろ」


「やるな」


「ならええ」


 親父の言い方は、いつもと変わらなかった。


 何かを寂しがっているわけでもなければ、自分の居場所がなくなったと思っている様子もない。単に、榊屋の仕事が以前より多くの人間へ渡っていることを見て、それでいいと思っているだけだった。


「何の話?」


「榊屋の話だ」


「それは分かる」


「お前、最近ようやく工房の外まで見るようになったな」


「前から見てたつもりやったけど」


「つもりだったんだろ」


「親父に言われると腹立つな」


「知らん」


 親父は少し笑った。


 それから、何でもないことを決めるような調子で言った。


「虎松」


「ん?」


「そろそろ榊屋、お前に譲ってもええと思っとる」


 俺は親父を見た。


「……え?」


「聞こえただろ」


「いや、聞こえたけど」


 頭の中で、話が一度止まった。


 榊屋。


 当主。


 親父。


 俺。


 そこまで考えたところで、別の顔が浮かぶ。


 宗次郎だった。


 以前、あいつに話したことがある。


 俺は、日ノ本のものづくりを変えたい。


 だから榊屋は、お前に継いでほしい。


 宗次郎は、まだ答えを出していない。


 保留のままだ。


 それでも俺の中では、いつかそうするつもりでいた。


「親父」


「何だ」


「俺は、宗次郎に継いでほしいと思ってる」


 親父が少しだけ眉を上げた。


「何でだ」


 俺は口を開きかけた。


 たぶん、話は長くなる。


 しかも、かなり面倒なやつだ。


 尾張から始まり、国友まで行って、ようやく榊屋へ帰ってきた。


 そこで待っていたのは、新しい鉄砲でも治具でもなかった。


 次の榊屋を、誰が背負うのか。


 今度は、そっちの話だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。