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虎松〜元エンジニアの戦国ものづくり革新録〜  作者: 真部 朝樹
尾張・国友編

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いなくなったら困る人


 翌朝、工房へ入ると、宗次郎とお澪はもう昨日の話を始めていた。


 作業台の端には帳面が開かれ、その横には工房の人間の名前が並んでいる。俺が来る前から二人で話していたらしく、いくつかの名前の横にはすでに書き込みまであった。


「早ない?」


 俺が覗き込むと、お澪が顔を上げた。


「虎松さんが昨日、やろう言うたんでしょう」


「言うたけど」


「言うただけで終わると思ったんです?」


「思ってへんよ」


 少し間を置く。


「……ちょっとしか」


「思ってるやないですか」


 宗次郎が横で笑った。


「兄上の場合、思いついた時が一番元気ですからね」


「失礼やな」


「そのあと整理するの、誰やと思ってるんです?」


「……いつもありがとうございます」


「分かればええです」


 弟に完全に管理されている。


 とはいえ、今回は宗次郎の言う通りだった。昨日の話をそのままにしておけば、数日後にはまた普段の仕事へ埋もれてしまう。誰がおらんかったら何が止まるのか、一度ちゃんと見ておいた方がいい。


「で、どうやる?」


「難しく考えん方がええと思います」


 宗次郎が帳面を指した。


「この人が今日おらんかったら、何に困るか。まずそれで見ていきましょう」


「あと、今代わりに出来る人がおるかどうかも見たいです」


 お澪が付け加える。


「誰か代わり出来るなら、それも書いときます」


「ええやん」


「兄上」


「何?」


「今回は俺らが考えたんですよ」


「……ええやん」


 言い直した。


     ◇


 最初に見たのは、市兵衛だった。


 水車設備という分かりやすい持ち場があるからだ。


「市兵衛」


「何や」


「今日、お前が急に休んだとする」


「何で」


「例えや」


「昨日も弥吉に言うとったな、それ」


「細かいこと言うな」


 市兵衛は水車設備の横で腕を組んだ。


「で、俺がおらんかったら?」


「徳松、どこまで出来る?」


 聞かれた徳松が少し緊張した顔になる。


「研ぎは、だいぶ出来ます。普通のやつなら」


「普通じゃないのは?」


「刃物の当て方を変えるやつとか、仕上がり見ながら調整するのは、まだ市兵衛さんに見てもらってます」


「旋盤は?」


「まだ一人では怖いです」


「穴開けは?」


「位置出しと、変な音した時の判断が分からんです」


 市兵衛が満足そうに頷いた。


「ほら。俺要るやろ」


「調子乗んな」


「要るんやろ?」


「今はな」


「今は言うな」


 徳松が困ったように笑った。


 ただ、こうして聞いてみると、思っていたより細かく分かれる。水車設備を動かすだけなら、徳松もかなり出来るようになっている。ただし、いつも通りではない時の判断はまだ市兵衛へ集まっている。


「市兵衛を要らんようにするんちゃうんよ」


 俺は帳面を見ながら言った。


「市兵衛がおらん日でも、水車の仕事が全部止まらんようにしたい」


「それなら分かる」


 市兵衛は素直に頷いた。


「俺もたまには休みたいしな」


「そこ一番大事?」


「大事やろ」


「大事やな」


 宗次郎が帳面へ書き込んでいく。


 研ぎは徳松でも出来る。旋盤、穴開け、異常時の調整はまだ市兵衛。


 今までは何となく「水車は市兵衛」とまとめていたものが、書き出してみると少しずつ中身を持ちはじめた。


     ◇


 次は甚助だった。


「甚助がおらんかったら?」


「木が困る」


 松之助が答えた。


「ざっくりやな」


「でも普通の台木なら、俺でもある程度出来ます」


 甚助が横から口を挟む。


「ある程度じゃ困るだろ」


「分かってますよ」


「どこまで出来る?」


 俺が聞くと、松之助は少し考えた。


「寸法決まってて、材も素直なら出来ます。でも木目が変なやつとか、途中で割れそうなやつは怖いです」


「あと反りだな」


 甚助が言った。


「削ったあと動く木がある。最初見ただけじゃ分からん」


「そこは甚助が見とる?」


「見とる」


「何見て判断するん?」


「木だ」


「いや、そうやなくて」


「木見たら分かる」


「それを聞いとるんやって」


 甚助が嫌そうな顔をした。


「説明しにくいんだよ。木目も見るし、重さも見る。触った感じもある。削った時の音でも分かることがある」


「音?」


「乾き方悪いと違う」


 松之助も頷いた。


「それは俺もまだ分からん時あります」


 以前の俺なら、どうにか数字へ置き換えられないかと考えただろう。重さを量り、寸法を測り、乾き具合を何かの形で比べる。それ自体は今でも必要だと思う。


 でも、数字に出来ないから駄目なのではない。


「甚助」


「何だ」


「それ、松之助にもっと見せといて」


「見せとる」


「じゃあ続けて」


「最初からそう言え」


 面倒そうに言うが、拒否はしない。


 むしろ甚助は教えること自体を嫌がっているわけではなく、自分が無意識にやっていることを全部言葉にしろと言われる方が面倒なのだろう。


「これ、誰が何作れるかだけ見ても足らんな」


 俺が言うと、宗次郎が顔を上げた。


「どういう意味です?」


「普通の仕事出来るかどうかだけやない。困った時に誰が判断しとるかも見た方がええ」


 松之助も頷く。


「確かに、普通の台木なら俺でも作れます。でも迷ったら甚助さん呼びます」


「そこやな」


 技能というと、手を動かすことばかり考えてしまう。


 でも差が出るのは、いつも通りではない時なのかもしれない。


 どこまで削る。


 この材を使う。


 やめる。


 直す。


 そういう判断の方が、形だけ真似するよりずっと難しい。


 お澪が帳面に新しく欄を作った。


「困った時に聞く人、書いときます?」


「それええな」


「増えましたね」


 宗次郎が言った。


「今回は必要な増え方や」


「兄上、毎回そう言いますよね」


「信用ないなあ」


     ◇


 弥吉はもっと分かりにくかった。


「弥吉がおらんかったら?」


「別に」


 本人が言った。


「本人が言うな」


「普通に回るやろ」


 佐吉が少し考える。


「まあ、普段の仕事なら回るな」


「ほら」


 弥吉が言う。


「でも変なん来たら困る」


 佐吉が続けた。


「変なん?」


「難しい加工とか、上手くいかんやつとか」


「俺が変みたいやん」


「弥吉が変とは言ってへん」


「虎松が持ってくる仕事が変」


 五平が横から言った。


 みんなが俺を見る。


「何でこっち見るん?」


「だいたいお前やから」


「新しいもん作るの悪いことちゃうやろ」


「悪い言うてへん。面倒言うとる」


「一緒やん」


 弥吉は気にせず続けた。


「普通の銃身なら佐吉も出来るし、五平も出来る。俺がおらんでも困らん」


「でも、途中でおかしくなったら?」


「見る」


「新しい形のやつ来たら?」


「見る」


「どう削るか誰も分からんかったら?」


「考える」


「それやん」


「何が?」


 弥吉は本気で分かっていない顔をしていた。


「弥吉の仕事、普通の加工ちゃうねん。変なやつ来た時の方や」


「虎松の仕事?」


「俺だけちゃう!」


 また笑われた。


 でも、これは結構大きかった。


 弥吉がいなくても、その日の量産は止まらない。ただし、例外が起きた時に困る。


 失敗したものを救えるか。


 初めての加工をどうするか。


 誰も答えを持っていない時、とりあえず形にしてみる。


 弥吉は、そういうところに強い。


「これ、今日止まるかどうかだけ見たらあかんな」


 俺が言うと、新八がすぐ反応した。


「そうですね」


「新八もそうかも」


「俺ですか?」


「新八おらんでも今日の鉄砲は作れる。でも治具直すとか、不具合の原因考えるとか、そっちは遅なる」


 新八は少し考えてから頷いた。


「すぐ困るわけではないけど、後から効いてくる仕事ですね」


「それや」


 誰か一人が休んだ時、その日に止まる仕事。


 今日の仕事は動くけれど、一月後、半年後に効いてくる仕事。


 同じ「おらんかったら困る」でも、中身は一つではない。


 お澪がまた帳面に何か書く。


「何書いたん?」


「すぐ困る、あとで困る」


「分かりやすいな」


「難しい言葉使ってもしょうがないでしょう」


「その通りです」


 宗次郎まで頷いた。


     ◇


 新人たちも、一応見ておくことにした。


「庄吉がおらんかったら?」


 聞いた瞬間、五平が言った。


「今はそんな困らんな」


「ひどないですか!?」


 庄吉が即座に反応した。


「正直に言っただけや」


「俺も仕事してます!」


「しとるしとる」


「適当や!」


 千吉が横で小さく笑った。


「千吉、お前笑うな!」


「笑ってません」


「笑ったやろ!」


「笑ってません」


「絶対笑った!」


 また始まった。


「まあまあ」


 俺が止める。


「庄吉も千吉も、今おらんかったら工房止まるってことはない」


「……はい」


 庄吉が少し不満そうに答えた。


「でも、それで要らんいう話ちゃうで」


 二人がこっちを見る。


「今困らんから育てんでええ、ではない。今のうちに覚えてもらわんと、あとで困る」


「あとで?」


「五平も佐吉も弥吉も、ずっと同じ仕事だけし続けるわけちゃう。仕事が増えるかもしれんし、難しい仕事を任せるようになるかもしれん。誰かが別の仕事へ動いた時、今の仕事をやれる奴も要る」


 五平が頷いた。


「まあ、それはそうだな」


「それに新人は、今の穴埋めだけやない。これから出来る穴を埋める人でもある」


 佐吉が千吉を見る。


「千吉は色々見せた方がええ気がするな。覚え早いし」


 千吉が少し照れたように目を伏せた。


「庄吉は?」


 本人が聞いた。


「お前はまず定規なくすな」


「またそれ!」


 工房中が笑った。


「でも庄吉は、失敗したら何で失敗したか覚えとけ」


「え?」


「同じ失敗二回せんようにするんは大事や。確認の仕方とか、順番とか。そこちゃんと出来るようになったら強いで」


 庄吉は少しだけ真面目な顔になった。


「……はい」


 隣で千吉も何も言わず頷いた。


     ◇


 問題は、宗次郎だった。


「次」


 俺が帳面を見る。


「宗次郎」


「俺ですか」


「お前がおらんかったら何が困る?」


「色々?」


「自分で言うな」


「でも色々でしょう」


 宗次郎は苦笑した。


 俺たちは思いつくまま挙げていった。


 進み具合。


 材料。


 納期。


 外に頼んでいる仕事。


 誰の手が空いているか。


 仕掛かりの数。


 急ぎの注文。


 途中で変更になったもの。


 出来上がる予定。


 言えば言うほど増える。


「待って」


 俺は途中で止めた。


「多ない?」


 宗次郎がこちらを見る。


「兄上が増やしたんですよ」


「全部俺?」


「全部とは言いません」


「良かった」


「八割くらい」


「ほぼ俺やん」


 善次郎が横で笑った。


「お前、国友で『宗次郎がおらん』言うてたけど、榊屋は宗次郎おりすぎやな」


「どういう意味や」


「何でも宗次郎に集まりすぎや」


「……それは思う」


 笑いながら返したが、少し笑えなくなった。


 宗次郎は仕事が出来る。


 数字にも強い。


 人の動きも見る。


 だから任せた。


 任せれば出来た。


 出来るから、また任せた。


 そうやって気付けば、工房の色々なものが宗次郎へ集まっている。


「お澪来てもろて、だいぶ減ったんちゃう?」


「減りましたよ」


 宗次郎が答える。


 お澪も頷いた。


「注文の整理とか、返事待ちとか、客先との約束は私が先に見てます」


「じゃあ、お澪おらんかったら?」


「宗次郎さんの仕事が増えます」


「あ」


 言われて初めて気付いた。


 お澪自身がいなくても、すぐ工房が止まるわけではない。


 でも、その仕事が消えるわけでもない。


 宗次郎へ戻るだけだ。


「仕事って、なくならんのやな」


 俺が言うと、善右衛門が呆れた顔をした。


「当たり前やろ」


「誰かおらんかったら、その仕事が次に誰へ行くかも見なあかんのか」


 宗次郎が頷く。


「そっちの方が大事かもしれませんね」


「市兵衛休んだら徳松。甚助休んだら松之助。でも出来ん分は止まる」


「お澪さんが休んだら、俺」


「宗次郎休んだら?」


 そこで全員が少し黙った。


「……誰?」


 俺が聞く。


 宗次郎が笑った。


「ほら」


「笑い事ちゃうやろ」


「だから言うてるんです」


 宗次郎が休んだら、いくつかは俺がやれる。


 お澪も出来る。


 親父も分かる。


 でも、全部をそのまま引き取れる人間はいない。しかも、誰がどこまで引き取るかも決めていない。


「宗次郎」


「はい」


「お前、休める?」


「休め言われたら休みますよ」


「その間どうすんの」


「兄上が頑張る」


「嫌や」


「ほら」


 宗次郎が笑う。


「そこ笑うとこちゃうからな」


 でも、問題はかなりはっきりした。


 宗次郎が有能だから困っていない。


 それはつまり、宗次郎がいるから困っていないだけでもある。


     ◇


「ほな」


 五平が言った。


「虎松は?」


「俺?」


「お前がおらんかったら、何が困る」


「俺、二週間おらんかったけど普通に回っとったやん」


 少し得意げに言うと、宗次郎が無言で帳面を一冊持ち上げた。


「これ見ても同じこと言えます?」


「何それ」


「兄上待ちです」


「そんなある?」


「あります」


 開いてみる。


 新しい形の金具。


 今まで作ったことのない加工。


 客から来た変な相談。


 寸法を変えたいという話。


 新しい治具を作るかどうか。


 大口の問い合わせ。


 それに、信長様との話もある。


「……結構あるな」


「あります」


「でも普通の仕事は回っとったやろ?」


「普通の仕事は」


「そこか」


 弥吉が言った。


「虎松おらんかったら、新しい変なん増えへん」


「何か言い方悪ない?」


「でも合っとる」


 佐吉も笑う。


「今までやったことある仕事なら回る。でも初めてのやつ来たら、虎松に聞くこと多いな」


 新八も頷いた。


「加工方法決める時もそうですね」


「俺がおらんかったら、新しい仕事止まるんか」


「止まるいうか」


 宗次郎が少し考える。


「待ちます」


「それ止まっとるやん」


「だから帳面溜まったんですよ」


 何も言えない。


 弥吉が、変な仕事が来た時に呼ばれる人なら、俺はその変な仕事を始めるところへいる。


 似ているようで、少し違う。


「兄上の場合、判断を他の人に渡してないんですよ」


「そう?」


「これは兄上しか分からん、で止めること多いです」


「……そう?」


「多いです」


 お澪まで頷いた。


「多いです」


「二人で言わんでも」


 でも否定は出来なかった。


 俺自身も、思っていた以上に榊屋の一か所へ仕事を集めていた。


     ◇


「じゃあ、親父は?」


 話の流れで、自然に視線が親父へ集まった。


「俺か」


「親父がおらんかったら、何が困る?」


「そら色々あるだろ」


 親父は少し考えるように顎を撫でた。


 さっきまでと同じように、みんなから声が上がる。


「難しい仕事の最後の判断」


 佐吉が言った。


「失敗した時、作り直すかどうか」


 五平が続く。


 善右衛門も口を挟んだ。


「客と揉めた時の最後も源兵衛やな」


「俺でも頭下げるで」


「頭下げるだけの話ちゃう。どこまでこっちが持つか決める方や」


「人入れる時も親父ですね」


 宗次郎が言う。


「給金とか、誰をどこへ付けるかとか」


 甚助も頷いた。


「職人同士で話つかん時も最後は親方だな」


「設備に銭使う時もそうや」


 市兵衛が言う。


「それ虎松やないん?」


「虎松は使いたがる側や」


「ひどい」


「事実や」


 次々に出てくる。


 でも、どれも一つの加工ではなかった。


 銃身を作る。


 台木を作る。


 水車を動かす。


 帳面を見る。


 そういう担当とは少し違う。


 誰か一人の持ち場から外れたところ。


 複数の仕事がぶつかったところ。


 最後に「どっちにする」と決めなければならないところへ、親父がいる。


「親父って、何担当なんやろ」


 俺が言うと、親父が少し笑った。


「親方だろ」


「それで全部片付けるん?」


「片付くだろ」


「もうちょい細かく」


「細かく言え言うてもな」


 親父は少し考え、それから工房を見回した。


「お前らが自分の仕事しとる間に、誰も決められんこと決めるんが俺の仕事だろ」


 その答えは、思ったよりあっさりしていた。


「俺が銃身一番作らな工房回らんわけでもねえ。甚助より木分かる必要もねえし、市兵衛より水車分かる必要もねえ。ただ、誰かが最後に決めなならん時はある」


 親父は続ける。


「失敗したもん捨てるか。客にどう言うか。人増やすか。銭使うか。揉めたらどっち取るか。全部正しい答えあるわけじゃねえ。だから最後は誰かが決める」


 工房が少し静かになった。


 時代についていけない昔の職人でも何でもない。


 親父は親父なりに、自分の仕事をちゃんと分かっていた。


「お澪」


「はい」


「何て書く?」


 お澪が少し考える。


「最終判断、でええですか?」


 親父が帳面を覗いた。


「まあ、それでええんじゃねえか」


「軽いな」


「字がどうでも仕事は変わらん」


「それはそうやけど」


 お澪が帳面に書いた。


 源兵衛。


 最終判断。


 たったそれだけなのに、他の誰より範囲が広かった。


 市兵衛の仕事は徳松へ少しずつ渡せる。


 甚助の仕事は松之助へ見せている。


 弥吉の腕も、どこで必要なのかを見ていけばいい。


 宗次郎や俺の仕事だって、分けられるところはあるだろう。


 では、親父の仕事はどうなんだろう。


 最後に決める。


 責任を取る。


 工房全体を見て、どちらかを選ぶ。


 それは加工みたいに、隣で見て覚えるだけで済むものなんだろうか。


「何や」


 親父が俺を見る。


「いや」


「何かあるなら言え」


「親父の仕事、教えるん難しそうやなと思って」


「そらそうだろ」


 親父は別に困った顔もしなかった。


「でも、誰かが覚えなならん仕事ではあるな」


「……せやな」


「今すぐどうこうする話でもねえ。まず今困っとるところからやれ」


「ああ」


 それで話は終わった。


 親父はいつも通りだった。


 ただ俺の方に、一つ考えることが増えた。


     ◇


 その日の終わり、帳面には名前と仕事がずらりと並んでいた。


 誰が何を出来るか。


 誰がいないと困るか。


 困った時は誰に聞くか。


 その人がいなければ、仕事は誰へ流れるか。


 最初に思っていたより、ずっと話は複雑になった。


 人を減らせばいいわけではないし、誰でも何でも出来るようにすればいいわけでもない。


 市兵衛には市兵衛の腕がある。


 甚助には甚助の判断がある。


 弥吉には、誰も答えを持っていない時に手を出せる強さがある。


 宗次郎には、工房全体を繋ぐ仕事がある。


 お澪は、その宗次郎へ流れ込むものを手前で整理している。


 俺にも、俺にしか集まっていないものがあった。


 問題なのは、一人にしか出来ないことそのものではない。


 それを誰も知らないこと。


 その人がいなくなって初めて気付くこと。


 そして、その仕事をいつか誰へ渡すのか、何も考えていないことだった。


 帳面の最後に書かれた文字が、まだ頭に残っている。


 源兵衛。


 最終判断。


 親父自身は、それを特別なことだとは思っていない。


 ずっとやってきた、自分の仕事だと思っている。


 だからこそ、俺には少し引っ掛かった。


 市兵衛の次に徳松がいるように。


 甚助の次に松之助がいるように。


 親父の仕事にも、いつか次が要る。


 昨日まで、そんなことを考えたこともなかった。


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