何を変える
翌日の昼。
榊屋の工房には、普段より少し多くの人間が集まっていた。職人たちはもちろん、善右衛門と善次郎もいる。宗次郎の隣ではお澪が帳面を開き、何を書き留めるつもりなのか、筆まできっちり用意していた。
「ほんまに全部書くん?」
「昨日、虎松さんが『いっぱい見た』言うてたでしょう」
「言うたけど」
「いっぱいあるなら、書かんと忘れます」
「正論やな」
「兄上は特に忘れますからね」
「宗次郎まで何なん」
宗次郎は笑っただけだった。
工房の隅では、庄吉と千吉、それに徳松や松之助まで少し離れて座っている。さすがに工房の仕事を完全に止めるわけにもいかないので、市兵衛たちは時折、水車設備の方を確認しながらの参加だった。
親父は俺の正面に座っている。
「始めろ」
「親父が仕切るん?」
「お前が話すんだろ」
「はいはい」
俺は集まっている顔を一度見回した。昨日も会っている連中ばかりなのに、こうして揃ってこっちを見られると妙に緊張する。
「ほな、清洲から順番に話すわ」
「長い?」
五平が聞いた。
「たぶん」
「先に飯食っといて良かったな」
「帰ってええで」
「聞くわ」
こういうところは、二週間離れていても何も変わっていなかった。
◇
「まず、信長様に何で呼ばれたかなんやけど」
俺はそう切り出した。
「榊屋が、何で月に百挺以上作れるんか。それを聞かれた」
「そこなん?」
佐吉が少し意外そうな顔をした。
「鉄砲そのものやなくて?」
「うん。銃の形とか威力とかより、何で百挺作れるんやって、そっちやった」
新八がすぐに反応する。
「工程の方を見られたんですね」
「そういうことになるな」
俺は清洲で話した内容をかいつまんで説明した。仕事を分けていること。寸法をなるべく揃えていること。治具を使い、誰が何を出来るかを見ながら仕事を動かしていること。
普段は当たり前にやっていることでも、外の人間に説明しろと言われると案外難しい。何となく続けてきたこともあれば、必要に迫られて変えてきたこともあり、それが積み重なって今の榊屋になっている。
そんな話の流れで、信長様から尾張へ来いと言われたことも話した。
「で、仕えろって言われた」
善右衛門が眉を上げた。
「ほう」
善次郎はその場にいたので、特に驚きもしない。宗次郎は逆に、少し姿勢を正した。
「兄上、それで?」
「断った」
「アホかお前!」
善右衛門の声が工房中に響いた。
「うるさいわ!」
「織田様から直々やぞ!」
「分かっとる!」
「何で断るねん!」
「理由あるからや!」
「理由あっても一回考えろ!」
「考えた結果や!」
昨日、港で会った時より声が大きい。
親父が顔をしかめた。
「善右衛門、うるせえ」
「源兵衛、お前の息子やぞ!」
「知っとる」
「もっと驚け!」
「こいつが断りそうなんは分かる」
「親父!?」
そこまで信用されているのも複雑だった。
「で、兄上は何と?」
宗次郎に促され、俺は話を戻した。
「俺一人連れてっても、百挺は付いてこんって言うた」
宗次郎が少し黙る。善右衛門も、今度は口を挟まなかった。
「榊屋が今の形で動いとるんは、工房の中だけのおかげちゃう。堺に材料持ってくる人がおって、外に頼める職人がおって、商人がおって、客がおる。工房と職人だけ尾張へ持ってっても、今と同じ榊屋にはならん」
「それはまあ、そうやな」
善右衛門が今度は素直に頷いた。
「それに俺が織田の家臣になったら、榊屋も織田の鍛冶屋に見られる。今までみたいに、色んな相手と商売出来んようになるかもしれん」
その瞬間、善右衛門の顔つきが変わった。さっきまで息子の知り合いに説教するおっさんだったのが、商人の顔になる。
「そこまで話したんか」
「話した」
「よう言うたな」
「俺も後から思った」
善次郎が笑った。
「その場では普通に喋っとったけどな」
「あとから怖なるやつあるやろ」
「あるけど、お前は遅いねん」
善右衛門は腕を組んだまま、しばらく何かを考えていた。
「で、織田様は納得したんか」
「今は堺におれって」
「今は?」
「そこ拾うな」
「拾うやろ」
「まあ、その話はまた今度」
「絶対何かあるやんけ」
「あるけど長なる」
「もう十分長いやろ」
「まだ序盤や!」
五平が大きくため息を吐いた。
「ほんまに先飯食っといて良かったな」
「まだ帰るなよ」
◇
「それで、国友行くことになった」
俺は工房の真ん中に置いていた鉄砲を指した。昨日から何人も触っているが、改めて話題に出すと全員の視線が集まる。
「ちなみにこれ、国友で一番ええやつちゃうで」
弥吉が鉄砲を見る。
「これで?」
「うん。もっとええのあった」
「へえ」
返事は短いが、目は完全に鉄砲へ向いている。
「上物は注文してきた。来たらまたみんなで見よう」
「いつ?」
「弥吉、昨日も聞いたやろ」
「まだ分からん?」
「一日で決まるか」
弥吉は少し残念そうにしただけで、また目の前の鉄砲へ視線を戻した。
甚助も台木の辺りを見ている。その横で、新八が手を挙げるように少し顔を上げた。
「国友って、寸法はどのくらい揃ってたんです?」
「ほぼ揃ってへん」
「……ほぼ?」
「榊家寸みたいなんはない」
新八が眉を寄せる。
「それで台木合わせられるんですか」
「合わせとった」
「どうやって?」
「現物見ながら」
その答えを聞いて、甚助が鼻を鳴らした。
「普通だな」
俺は思わず甚助を見る。
「普通なん?」
「銃身に台木合わせるなら、銃身見て削るだろ。同じもんが来る方が楽なだけだ」
そう言われてみれば、その通りだった。
榊屋では同じところを狙って作ることが当たり前になっていたから、違うものが来ること自体を問題だと考えていた。でも甚助からすれば、現物を見て合わせる方がむしろ昔からの普通なのだ。
新八はまだ納得しきれていないらしい。
「でも、一挺ごと違うんですよね?」
「違う。ただ、作った鍛冶ごとに癖はある。台師もそれ知っとった」
「癖?」
「この人の銃身はここが少し太いとか、この人はこうなりやすいとか。何回も一緒に仕事しとるから、相手の仕事まで分かるらしい」
新八が考え込んだところで、今度は宗次郎が口を開いた。
「その仕事、誰がまとめてるんです?」
「誰も」
「……はい?」
予想通りの顔をした。
「国友全体を見て、今日は何挺作っとるとか、どこが遅れとるとか、そういうのを見る人がおるわけちゃう」
「では、進み具合は?」
「仕事受けた人が見る」
「材料は?」
「それぞれ」
「納期は?」
「それぞれ」
「遅れたら?」
「当人らで何とかする」
宗次郎の眉間に皺が寄っていく。
「それで回るんですか」
「回っとった」
「ほんまに?」
「俺も最初そう思った」
善次郎が横で笑った。
「宗次郎、お前と全く同じ顔しとったで」
「兄上もですか」
「もっとひどかった」
「善次郎、余計なこと言うな」
そこへ善右衛門が腕を組んだまま口を挟んだ。
「別におかしないやろ」
宗次郎がそちらを見る。
「そうですか?」
「店と店で商売しとるだけや。注文受けた奴が、自分で出来ん分を他所へ回す。材料要るなら買う。必要なら間に商人も入る。何も珍しない」
「でも、誰も全部を見てへんのですよ」
「全部見る必要あるんか?」
宗次郎が黙った。
その顔を見て、俺は少し笑った。俺も国友で同じところに引っ掛かったからだ。
「榊屋では、全部見るのが当たり前になってたんよ」
宗次郎が全体を見る。俺も見る。親父も見ている。誰が何をして、どこで止まっているのかを、なるべく一つの工房の中で分かるようにしてきた。
でも国友では、その前提自体が違った。
「榊屋は中で繋げとる。国友は外で繋がっとる」
善次郎が頷く。
「店と店の間でな」
「そう。やから、榊屋で当たり前のやり方が、国友でも当たり前とは限らん」
宗次郎はしばらく考え込んでから、真面目な顔のまま言った。
「……俺、国友は向いてへん気がします」
「俺もそう思う」
「兄上」
「褒めてる褒めてる」
たぶん。
◇
「で」
五平が腕を組んだ。
「結局、何持って帰ってきたんや」
「鉄砲」
「それは見た」
「ちゃう?」
「そういう話ちゃうやろ」
「分かっとる」
俺は少し姿勢を直した。
「国友そのものは真似せん」
「ええとこやったんちゃうん?」
佐吉が聞く。
「ええとこやった。だから真似せん」
「余計分からん」
「俺も行く前やったら、そう思ったと思う」
榊屋と国友では、作り方も仕事の繋ぎ方もかなり違う。最初はどこかで、どちらが上なのか答えを探していた。
けれど、上物を見て、百挺の話をして、材料や注文の流れまで見ているうちに、その聞き方自体が違うのだと分かった。何を作りたいか、何を大事にするかで、強いところも弱いところも変わる。
「違っても得せんところは揃える」
俺は言った。
「寸法違っても何も良くならん場所とか、毎回職人が見んでもええ場所。そういうとこは今まで通り揃えていく。でも、違うこと自体に意味あるところまで無理に揃えんでもええと思う」
新八が頷く一方で、藤吉が少し首を傾げた。
「意味あるところって?」
「腕の使いどころやな」
俺は弥吉を見る。
「例えば、弥吉にしか出来ん仕事あるやろ」
「ある?」
「あるわ」
「そうなん」
「自覚ないんか」
「他の人もやれば出来るかもしれん」
「そこや」
弥吉がこちらを見る。
「やってみて出来るなら、別に弥吉だけに任せんでもええ。でも、弥吉の腕使った方が明らかにええ仕事なら、そこは弥吉がやったらええ」
「ほな今まで通り?」
「半分はな」
「半分?」
「どこが弥吉にしか出来んのか、こっちが分かってへんのは困る」
弥吉が少しだけ考え込んだ。
普段の弥吉は、難しい仕事でも平然とやる。本人にとっては出来たから出来た、それだけなのかもしれないが、周りからすれば、どこが難しく、どこで判断しているのか分からないままだ。
それでは弥吉の腕を活かすことは出来ても、弥吉がいなければ何が困るのかすら分からない。
「人に頼らん工房にしたいわけちゃう」
俺はみんなを見回した。
「人に頼るところを選びたいんよ。腕のええ人にしか出来んところは、その人に任せる。でも、誰でも出来るように出来る仕事まで、その人にしか出来んままにはせん」
少しだけ工房が静かになる。
五平が腕を組んだまま聞いた。
「誰でも出来る仕事と、腕いる仕事。それ、誰が決めんねん」
「そこやねん」
「決められへんのか」
「最初から正解は分からん」
庄吉が首を傾げた。
「じゃあ、どうするんです?」
「やってみる」
「それだけ?」
「それだけ」
何人かが笑った。
「いや、ほんまに」
俺も笑いながら続ける。
「国友で若い鍛冶がおってな。自分と親方の銃身比べるために、木で見本作り始めたんよ」
「見本?」
新八がすぐ食いついた。
「そう。でも、まだ三本しか試してへんからって、『これで良くなりました』とは言わんかった」
「何て?」
「まだ三本やから分からん、って」
五平が少し頷いた。
「当たり前やろ」
「そう。当たり前なんよ」
それでも、その当たり前が今の俺には妙に大事だった。
「昔の俺やったら、一回上手くいったら『これでいける』って決めてたかもしれん」
佐吉が小さく笑った。
「ありそうやな」
「お前まで言う?」
「昔の虎松やろ?」
「……否定しにくい」
工房の空気が少し緩む。
「決めたら終わりちゃう。使ってみて、あかんかったら変える。役に立っとる間は使う。それでええんやと思う」
親父は何も言わなかった。
ただ、ずっとこっちを見ていた。
◇
「例えば市兵衛」
俺は水車設備の方へ目を向けた。
「俺?」
「市兵衛がおらんくなったら、水車の設備どこまで動かせる?」
市兵衛は少し考えてから、徳松を見る。
「徳松が研ぎはだいぶ出来る。旋盤はまだやな。穴開けも、一人で任せるにはまだ怖い」
徳松も素直に頷いた。
「細かい調整がまだ分からんです」
「せやろ」
俺は二人を見ながら続けた。
「市兵衛の腕は要る。水車の癖も、道具の音も、市兵衛が一番分かっとる。でも、市兵衛しか水車設備を動かせん状態は良くない」
「俺が休めんからな」
「そこ?」
「大事やろ」
「……大事やな」
笑いが起きた。
実際、その通りでもある。
「せやから徳松が覚えとる。全部市兵衛と同じになる必要はないけど、市兵衛がおらんだけで水車全部止まるようにはせん方がええ」
今度は甚助を見る。
「木の仕事もそうやろ」
「俺か」
「松之助がおる」
名前を呼ばれた松之助が、少し姿勢を正した。
「でも、まだ甚助と同じこと全部出来るわけちゃうやろ」
「そら無理や」
甚助が即答した。
「当たり前だ。まだ来てどんだけだ」
「うん。それでええと思う」
「ええのか?」
「全部すぐ出来る必要ない。ただ、甚助しか知らんことが何なのかは、俺らも分かっといた方がええ」
甚助は少し面倒そうな顔をした。
「口で言えんこともあるぞ」
「あると思う」
「木なんて特にな。見て、触って分かることもある。『こうだからこうする』なんて、全部説明出来るもんでもねえ」
「それも残し方やと思う」
甚助が少し意外そうにこちらを見る。
「全部数字にせえへんのか」
「せえへん」
「変わったな、お前」
「国友行ってきたからな」
「便利な言葉やな」
「使えるやろ」
親父が鼻で笑った。
以前なら俺も、甚助の感覚を何とか数字へ置き換えようとしたかもしれない。でも数字に出来ないから駄目なのではない。数字で残す方がいいものもあれば、見本で残すものもあり、人から人へ直接伝えた方がいいものもある。
大事なのは、残し方を一つに決めることではない。
何を、どう残すかを選ぶことだった。
◇
その時、新八が口を開いた。
「一回、全部見た方が良くないですか」
「何を?」
「誰がおらんかったら、何が止まるのかです」
その言葉で、工房の空気が少し変わった。
「市兵衛さんがいなければ水車設備の一部が止まる。甚助さんがいなければ木の難しい仕事が困る。そういうの、他にもあるでしょう」
「あるやろな」
佐吉が頷く。
「弥吉が急に寝込んだら、困る仕事結構あるぞ」
「寝込まんよ」
「例えや」
「寝込まん」
「知らんがな」
弥吉はどうやら本気で言っているらしい。
少し笑いが起きたが、新八は真面目な顔のまま続けた。
「誰か一人にしか出来ん仕事があること自体は、悪くないと思います。でも、それを俺らが知らん状態は危ないです。急にその人がおらんくなって、そこで初めて分かるのは遅いでしょう」
お澪が帳面から顔を上げた。
宗次郎も何かを考えるように視線を落とす。
俺も工房の中を見回した。
市兵衛。
甚助。
弥吉。
親父。
宗次郎。
お澪。
そして、俺。
誰がいなくなったら、何が止まるのか。
昨日、俺が二週間いなくても榊屋は回っていた。それを見て安心したばかりだった。
でも、本当に全部が回っていたのだろうか。
通常の仕事は進んでいた。
けれど俺の判断が必要なものは帳面に溜まっていたし、宗次郎とお澪には普段以上の負担が掛かっていた。
止まっていなかったことと、困っていなかったことは同じではない。
「……それ、やろか」
俺が言うと、宗次郎が顔を上げた。
「また仕事増えましたね」
「今回は減らすための仕事や」
「兄上、それ何回目です?」
「今回はほんま」
「前にも聞いた気がします」
「お澪、今の書かんでええからな」
「もう書きました」
「早いな!」
善次郎が笑い、五平が呆れたように息を吐いた。
そんなやり取りまで含めて、いつもの榊屋だった。
◇
「で」
それまでほとんど口を出さなかった親父が言った。
「何からやる」
「え?」
「国友の話は分かった」
親父は一度、工房全体を見回した。
「で、榊屋は何からやる」
俺もつられて周囲を見る。
昨日までの俺なら、新しい治具を考えたかもしれない。寸法をもっと揃えようとしたかもしれないし、工程をさらに細かく分けることから始めたかもしれない。
でも今は、そこからではない気がした。
「誰がおらんかったら困るか、そこから見よう」
親父は少しだけ俺を見た。
「そうか」
それだけだった。
なのに、その言い方が妙に引っ掛かった。
「何?」
「何でもねえ」
「親父までそれ言うん?」
「仕事しろ」
「今会議中やろ」
周りから笑いが起きた。
報告会は、国友の話をするために始めたはずだった。
けれど終わる頃には、話しているのは榊屋のことになっていた。誰が何を作るのか。誰に何を残すのか。何を揃え、どこを人に任せるのか。
国友から持って帰ったのは、鉄砲一挺だけではなかったらしい。
むしろ、一番大きなものは形がなかった。
そのせいで、たぶん一番扱いが面倒だった。




