堺にいる理由
国友を発ってから、数日。
俺たちは清洲へ戻った。
城へ着いてからそれほど待たされることもなく、一益様に連れられて信長様の前へ通された。
「で、どうだった」
挨拶もそこそこに、最初の言葉がそれだった。
「どっちも良かったです」
「そうか」
あまりにも普通に返されたので、こっちが少し拍子抜けした。
「……驚かんのです?」
「何にだ」
「いや、俺、榊屋の方がええ言うて帰ってくると思われてたんかなと」
「思っておらぬ」
「そうなんです?」
「それなら国友へ行かせた意味がない」
横にいた一益様が笑った。
「こいつは、その答えを出すのに随分掛かりましたぞ」
「言わんでええですって」
「毎日悩んでおったな」
「一益様まで何でそっち側なんです?」
信長様は俺たちのやり取りを気にも留めず、続きを促した。
「話せ」
「はい」
何から説明するか少し迷った。
国友で見たものを全部話そうとすれば、それだけで日が暮れる。
鍛冶屋が何人いるとか、誰がどう作っているとか、そんな話から始めても仕方がない。
だから、結論から話すことにした。
「一挺を出来るだけええもんに仕上げるなら、国友は強いです。腕のええ鍛冶がおって、台師や金具作る人もおって、それぞれ長いこと一緒に仕事しとる。最後は現物見ながら合わせるんで、上手い人らが揃った時の一挺は、かなりええもんになります」
「榊屋は?」
「数です」
「百挺か」
「はい。それと、揃えることです」
俺は榊屋のやり方を簡単に説明した。
寸法をなるべく揃えること。
治具を使うこと。
仕事を分けること。
途中で見る場所を決めること。
誰が何を出来るかを把握し、一か所が詰まれば前後まで見て仕事を動かすこと。
「国友は人と人の間に仕事が溜まっとる感じでした。誰がどの鍛冶の癖知っとるとか、この台師ならこの人の銃身合わせやすいとか。榊屋は、そういうんをなるべく寸法とか治具とか記録に出してます」
「人にあるか、物にあるか」
「そんな感じです。ただ、国友も見本使いますし、榊屋も人にしか出来ん仕事はあります。きれいに分かれるわけちゃいます」
「なら」
信長様は少しも迷わなかった。
「良いところを両方使えばよい」
俺は黙った。
「何だ」
「……いや」
「何だ」
「俺、それ考えるんに何日掛かったと思います?」
「知らぬ」
一益様が横で吹き出した。
俺が国友中を歩き回り、鍛冶に質問し、木片を眺め、善次郎に説教され、上物を触り、ようやく辿り着いた答えを、この男は三息で片付けた。
「簡単に混ぜたら、両方のええとこ潰すかもしれませんよ」
「なら潰れぬところだけ使え」
今度は一息だった。
「……そうなんですけど」
「何だ」
「腹立つなあ」
「何がだ」
「何でもないです」
善次郎が俯いて笑っている。
ほんまに腹立つ。
◇
「それで」
信長様が言った。
「俺は何を買えばよい」
「はい?」
「国友にも良い鉄砲があり、榊屋にも良いところがあるのだろう。なら、俺は何を見て選べばよい」
今度は俺が少し黙った。
その話なら、国友で出た。
「それ、今から作ろうと思ってます」
「何をだ」
「選び方です」
「選び方?」
「はい」
俺は昨日まで考えていた試し方を説明した。
「例えば、同じぐらいの距離に的置いて、同じ人が撃つ。火薬とか弾も、出来るだけ揃える。何発か撃って、どれぐらい入ったか見る」
「命中か」
「それだけやないです。決めた数撃って、どこか壊れんかったか見る。火挟みとか、銃身とか、台木とか。途中で具合悪なるなら、それも残す」
「何発撃てば分かる」
「まだ分かりません」
「何だ」
「そこから試すんです」
信長様が少し嫌そうな顔をした。
「またそれか」
「最初から全部分かったら苦労せんですって」
火薬も弾もばらつく。
撃つ人間の腕もある。
天気や風まで入ってくるかもしれない。
前世の試験みたいに、条件を全部揃えることは出来ない。
「でも、試し方を揃えることは出来ます。同じやり方で試したら、少なくとも前より比べやすいです」
「それで何が分かる」
「この鉄砲は遠く狙うのに向いとるとか、これは何発撃っても具合悪くなりにくいとか。そういうのを、今より見えるようにしたいです」
「買う前にか」
「はい」
信長様の目つきが少し変わった。
作る側ではなく、買う側の顔になった気がした。
「やれ」
「軽いなあ」
「必要なのだろう」
「必要やと思いますけど」
「ならやれ」
「人使うんですよ」
「使えばよい」
「銭も掛かります」
「掛ければよい」
「信長様の銭で?」
「何で俺が全部出す」
「そこは急に普通なんですね」
一益様がまた笑っている。
それでも、信長様が食いついたのは大きかった。
俺が勝手に「こんなんあったら便利やろ」と思っているだけではない。
実際に鉄砲を大量に買う側が欲しがっている。
「試し方決める時、実際使っとる人の話も聞かせてもらえません?」
「兵のか」
「はい。俺らがええと思って作ってても、使う側からしたら違うかもしれんので」
「何を聞く」
「持ちにくいとか、火挟み使いにくいとか、掃除しにくいとか、壊れたとことか。何でもです」
「よい」
「ほんまに?」
「必要なのだろう」
「そうですけど」
さっきから全部この調子である。
俺が国友で一つずつ考えてきたものを、信長様は必要か必要でないかだけで切っていく。
たぶん、この人は自分で鉄砲を作る気がない。
作れる人間にやらせればいいと思っている。
それはそれで、国友で俺が辿り着いた答えに少し似ていた。
全部を自分でやる必要はない。
人に任せるところを決めればいい。
そう思った直後、
「試し方が出来たら俺に持ってこい」
と言われた。
やっぱり腹が立つ。
結局俺に投げてるだけやないか。
◇
「さて」
信長様が姿勢を少し変えた。
何となく、ここからが本題だと分かった。
「見たな」
「はい」
「お前は前に言った」
嫌な予感がする。
「堺しか知らぬから、俺のところへ来ても何が出来るか分からぬと」
「……言いましたね」
「国友も見た」
「はい」
「なら、今度は答えられるな」
部屋の空気が少し変わった。
一益様も何も言わない。
善次郎も黙っている。
信長様は俺を見た。
「尾張へ来い」
やっぱり来た。
前に聞かれた時から、考えてはいた。
国友へ行けば何か答えが出ると思っていたわけではない。
むしろ、行ったせいで断る理由が増えた気もする。
俺は一度頭を下げた。
「申し訳ありません」
それから顔を上げる。
「今は、行けません」
信長様の顔は変わらなかった。
「なぜだ」
怒ってはいない。
ただ理由を待っている。
それが余計に怖い。
「信長様が欲しいん、俺やないでしょう」
「何?」
「俺一人、尾張へ連れてきても、百挺は付いてきません」
信長様が黙った。
「最初に俺呼んだんも、そこやったでしょう。何で榊屋は月に百挺以上、似たような出来で作れるんやって」
「ああ」
「それ、俺一人でやっとるんちゃいます」
親父がいる。
宗次郎がいる。
工房の職人がいる。
善右衛門さんがいて、善次郎がいる。
堺には材料を扱う商人がいて、外へ仕事を頼める職人がいる。榊屋だけでは出来ない加工も、外へ出せば何とかなる。
客もいる。
色々な注文が来る。
無茶な要求も来る。
それを何とかしようとして、榊屋は今の形になってきた。
「俺一人抜いたら、虎松一人が来るだけです」
「なら榊屋ごと来ればよい」
やっぱり言った。
ここまでは予想通りだった。
「それやったら、たぶん榊屋が弱くなります」
「なぜだ」
「国友行って分かりました」
信長様の眉が僅かに動いた。
「工房いうんは、建物と中におる職人だけちゃいます」
「続けろ」
「材料持ってくる人もです。仕事持ってくる人もです。外で加工してくれる人も、出来たもん買ってくれる人もです」
昨日まで見ていた国友を思い出す。
鍛冶場がある。
台師がいる。
金具師がいる。
材料が入ってくる。
注文が流れる。
銭が動く。
誰か一人が全部を動かしているわけではないのに、それらが重なって国友という鉄砲産地を作っていた。
榊屋も同じだった。
俺たちは一つの工房だから、国友とは違うと思っていた。
でも、その外まで見ればそうでもない。
「榊屋が百挺作れるんは、堺におるからってのもあります」
「堺だから」
「はい。材料も入る。商人もおる。人も来る。外へ頼める相手もおる。作ったもん売る先もある。榊屋の工房だけ尾張へ持ってきても、その周りまでは一緒に持ってこれません」
「尾張で作ればよい」
「作れると思います」
そこは否定しなかった。
「でも時間掛かります。堺で何年も掛けて出来た繋がりを、尾張で最初から作り直すことになります」
「それが嫌か」
「嫌いうより、もったいないです」
「何が」
「信長様が欲しがった榊屋を、信長様のところへ持ってきたせいで弱くしたら意味ないでしょう」
少しだけ沈黙があった。
善次郎が横で動いた気配がした。
たぶん、こいつ今、よく言ったと思っている。
後で聞いてみよう。
◇
「それだけか」
信長様が聞いた。
「もう一個あります」
「言え」
「今、俺が信長様の家臣になったら、榊屋は織田の鍛冶屋になります」
「それが何だ」
「買わん人出ると思います」
信長様の目が細くなった。
「俺を嫌う者か」
「嫌ういうか、警戒する人です」
今の榊屋は色々な相手と商売をしている。
誰がどこの味方かなんて、全部知っているわけではない。
商人を挟むこともある。
遠くへ売られて、その先で誰が使うか分からないこともある。
「俺が織田の家臣やったら、榊屋から買ういうこと自体が、今までと意味変わるでしょう」
「それで?」
「客が減るかもしれません」
「減ったら俺が買う」
「それやと困るんです」
「なぜだ」
これも国友へ行く前なら、上手く説明出来なかったかもしれない。
「色んな客がおるから、色んなこと言われるんです」
「例えば」
「もっと遠く狙いたい。安くして欲しい。数揃えて欲しい。軽くして欲しい。壊れにくくして欲しい。早く作って欲しい」
「我が儘だな」
「客なんてそんなもんです」
善次郎が咳払いした。
俺は無視した。
「でも、そういうの来るから考えるんです。出来るか。出来んか。どうしたら出来るか」
客が一人しかいなければ、その一人が欲しいものだけ作ればいい。
それは効率がいいかもしれない。
でも、別の要求には出会えなくなる。
「織田の中だけで使う鉄砲作る工房になったら、織田に必要な鉄砲は強くなると思います。でも、それ以外が弱くなるかもしれません」
「それが俺に何の損だ」
「信長様、俺らの変なやり方が面白いと思ったんでしょう」
「ああ」
「その変なやり方、色んなところから色んな仕事来た結果でもあるんです」
俺は少し息を吐いた。
「信長様が面白がった榊屋を、信長様んとこへ持ってきたせいで小さくしたら、やっぱり意味ないと思います」
今度の沈黙は少し長かった。
信長様は俺ではなく、横にいる一益様を見た。
「一益」
「は」
「どう思う」
一益様が少し考えた。
「筋は通っております」
「そうか」
「少なくとも、虎松一人を連れてくることと、榊屋の仕組みを手に入れることは別かと」
信長様がまた俺を見る。
「つまり、お前は堺にいた方が俺の役に立つと言うのか」
「今は、そう思います」
「今は、か」
そこを拾われた。
「はい」
俺も逃げなかった。
◇
「なら」
信長様が言った。
「いつなら来る」
ここも考えていた。
俺は別に、信長様が嫌だから断っているわけではない。
むしろ、この人と一緒に何か出来たら面白いだろうとは思っている。
ただ、今ではない。
「俺が信長様に仕えてても、榊屋が今と同じように堺で商売出来るようになった時です」
「どういう意味だ」
「織田の人間やからって客が逃げん。材料も今まで通り入る。商人も動く。外の職人にも普通に頼める。堺で今までみたいに仕事出来るなら、俺が断る理由はだいぶ減ります」
信長様が少し笑った。
嫌な笑い方だった。
「つまり」
「はい」
「堺が俺の手の内に入ればよいのだな」
「……そこまで言うてません」
「同じことだ」
「だいぶ違いますって」
「何が違う」
「俺、堺取ってくださいとは一言も言うてませんからね」
「取れば条件は満たすのだろう」
「まあ……」
「なら同じだ」
「怖いなあ」
一益様が顔を伏せた。
肩が震えている。
笑ってるやろこの人。
善次郎なんて完全に俺から目を逸らしている。
助けろや。
「よい」
信長様が言った。
「へ?」
「今は堺にいろ」
あまりにもあっさりしていて、一瞬聞き間違えたかと思った。
「ええんです?」
「お前が言ったのだろう。そこにいる方が役に立つと」
「はい」
「なら役に立て」
「……はい」
「百挺を二百挺にしろ」
「勝手に増やさんでください」
「出来ぬのか」
「そういう話ちゃいますって!」
「なら試せ」
「また仕事増えた!」
善次郎が横で吹き出した。
この男、最初からこれを狙っていたんじゃないだろうな。
「それから」
「まだあるんです?」
「先ほどの試し方を作れ」
「はい」
「出来たら俺にも見せろ」
「はい」
「国友の良いところを使え」
「使えるとこだけですよ」
「それでよい」
信長様は少し考えてから、一益様を見た。
「今後、こいつとの話はお前が繋げ」
「承知しました」
俺は一益様を見た。
一益様もこっちを見る。
「よろしくお願いします」
「面倒なのを押し付けられたな」
「俺が悪いみたいに言わんでください」
「違うのか?」
「最近そればっかりやな」
家臣にはならない。
でも、関係が切れたわけでもない。
むしろ前より面倒なことになった気がする。
信長様は俺を尾張へ縛らない代わりに、堺にいる俺を使うつもりらしい。
俺も信長様から実際に鉄砲を使う人間の話を聞けるし、大きな注文を受けることも出来る。
たぶん、今はこれでいい。
「一つだけ」
俺が言った。
「何だ」
「試し方作るなら、信長様の兵の人にも協力してもろてええです?」
「先ほどよいと言っただろう」
「出来れば壊れた鉄砲とかも見たいです」
「よい」
「使ってて困った話も」
「聞け」
「失敗したやつも」
「好きにしろ」
「ええんです?」
「何度言わせる」
怒られた。
でも、ありがたい。
榊屋の中だけで考えるより、実際に使う側から情報を集められる方がいい。
作って終わりではなく、使われたあとまで見る。
それも国友から持ち帰ったものの先にある気がした。
◇
話は終わった。
少なくとも俺はそう思った。
「では帰れ」
「はい」
頭を下げ、立ち上がろうとした時だった。
信長様の手元にあるものが目に入った。
細い木の軸。
その先で、何やら紙へ書いている。
俺は止まった。
「ところで」
「何だ」
「それ、そろそろ返してもらえません?」
信長様が手元を見た。
「これか」
「それです」
「買った」
「……そうでした」
忘れていた。
いや、忘れようとしていた。
「じゃあ一回貸してください」
「なぜだ」
「作るんです」
「何を」
「鉛筆を」
「作れと言っただろう」
「だから作ります。でも元の形見たいんです」
信長様は鉛筆を持ち上げた。
「見えておるだろう」
「そういう意味ちゃいます。中どうなってるかとか、木どう割ってるかとか」
「なら考えろ」
「現物あるんやから見せてくれてもええでしょう!」
「俺の物だ」
「元々俺のや!」
「売ったのはお前だ」
「買ったんそっちやろ!」
「同じことだ」
「全然ちゃう!」
一益様がついに耐えきれず笑い出した。
善次郎も腹を抱えている。
信長様だけは平然としていた。
「作って持ってこい」
「元ないと作りにくい言うてるでしょう!」
「国友で何を学んだ」
「急に何です?」
「見本がなくても考えろ」
「そんな教訓ちゃうわ!」
部屋に笑い声が響いた。
結局、鉛筆は返してもらえなかった。
国友では、人に頼るところを選べと学んだ。
物に残せる情報もあると知った。
持ち帰れないものがあることも分かった。
そして清洲へ戻って早々、どうやらもう一つ学ぶことになったらしい。
信長様に渡した物は、二度と戻ってこない。




