残し方
翌朝、昨日と同じ道を歩いていると、見覚えのある男がいた。
昨日、俺が銃身を並べているのを面白がっていた若い鍛冶だ。少し前に親方の下を離れ、自分の仕事場を持ったばかりだというその男が、朝っぱらから何本かの銃身を地面へ並べて、しゃがみ込んで見比べている。
「……ほんまにやっとる」
「何がや」
俺の声に気付いた若い鍛冶が顔を上げた。
「いや、昨日の話」
「お前が言うたからやったんちゃうぞ」
「俺、まだ何も言ってないですけど」
「顔がうるさい」
ひどい言われようである。
昨日、俺は同じ職人が作った銃身を何本か並べ、別の職人のものと比べた。一本一本には違いがあっても、同じ人間が作ったものなら、その違い方にも似たところがある。長く国友で仕事をしてきた親方や台師たちは、それをわざわざ調べるまでもなく知っていた。
この若い鍛冶は違う。独り立ちしたばかりだから、親方たちが長い時間をかけて覚えてきたものを、まだ全部は持っていない。
だから昨日、俺が銃身を並べていたことに興味を持った。
そして本当にやってみたらしい。
「どうでした?」
「違うな」
「何が?」
「親方のと、俺の」
若い鍛冶は並べた銃身のうち、二本を指した。
「こっちが親方。こっちが俺や」
「へえ」
俺も横へしゃがんだ。
一目で分かるほどの違いではない。それでも二本、三本と見比べていけば、昨日見たのと同じように、仕上げ方に少しずつ違いがある。
「ここ、親方の方が残ってません?」
「やっぱりそう見えるか」
「たぶん」
「たぶんかい」
「ちゃんと測ってないですからね」
「測る言うてたな」
「同じ場所を何本か測れば、もっと分かると思います」
言いながら、俺は無意識に懐へ手を入れかけた。
途中で止める。
「……何や」
「何でもないです」
鉛筆はない。
清洲にいる尾張の大名が持っている。
何度思い返してもおかしい。俺は国友まで来て鉄砲を調べているのに、俺の鉛筆だけは信長のところである。
筆と墨を使えばいいと言われればその通りなのだが、こういう場所で気になったことをその場で書き留めるには、やっぱり鉛筆の方が便利だ。紙を広げ、硯を置き、墨を用意している間にも次の疑問が出てくる。
帰ったら絶対に何とかしよう。
「で、どう測るんや」
若い鍛冶が聞いた。
「同じところを決めて、そこを毎回比べます。ここならここ、こっちならこっちって」
「何で?」
「場所変えたら比べられんでしょう」
「そらそうやけど」
俺は一本の銃身を指で示した。
「例えば親方の銃身を何本か、あなたの銃身も何本か、毎回同じ場所で比べる。親方の方がいつもこっちを大きく作るなら、それは親方の癖かもしれない」
「何本見るんや」
「多い方が分かりやすいですね。十本とか」
「十本も?」
「出来れば」
「面倒臭いな」
「そうですね」
「否定せえや」
「面倒なのは事実なんで」
若い鍛冶は呆れたような顔をした。
俺だって、何でもかんでも測りたいわけではない。昨日分かったのは、国友の職人たちが互いの癖を覚えているということだった。なら、その癖を俺にも、この若い鍛冶にも見える形に出来ないかと思っただけだ。
親方なら見れば分かる。台師も、長く付き合っている鍛冶の仕事なら分かる。
でも、この若い鍛冶にはまだ分からないことがある。
だったら、親方の頭の中にしかないものを、少しでも外へ出せるかもしれない。
「そんな面倒なことせんでも」
若い鍛冶が一本の銃身を持ち上げた。
「ここ見たいんやろ」
「そうですけど」
「ほな、これでええんちゃうか」
男は辺りを見回すと、薄い木片を一つ拾った。それを銃身へ当て、位置を確かめるように何度か動かす。
「何してるんです?」
「形取ったらええやろ」
「……形?」
「ここが知りたいんやろ」
木片を銃身へ当てたまま、男が指で位置を示す。
何をしようとしているのか分かった。
銃身の形を、木片の側へ移そうとしている。
「それ、見本にするんです?」
「見本いうか、比べるだけなら使えるやろ」
俺は銃身と木片を交互に見た。
正確な寸法が分かるわけではない。何分、何厘と数字が出るわけでもない。でも、同じ位置へ当てるなら、基準にした銃身より大きいか小さいかは分かる。
「……それでええやん」
「何やねん」
「いや。俺、数字にしようとしてたんですよ」
「何で?」
「何でって……残せるから」
「これも残るやろ」
若い鍛冶が木片を持ち上げた。
「……残るな」
「ほなええやん」
簡単に言いやがる。
でも、言っていることは間違っていない。
◇
その日の案内が始まってから、俺は昨日までとは違うものを見るようになった。
昨日まで目に入っていたのは、人だった。銃身を叩く鍛冶、台木を作る台師、金具を作る金具師、親方と弟子。誰が何を作り、誰が誰の癖を知っているのか。
今日は、その周りに置かれている物が気になった。
「これ、何です?」
「それ?」
「この木のやつ」
「前に作った時のや」
「何に使うんです?」
「同じようなん作る時に見る」
別の仕事場でも聞いてみた。
「これは?」
「それは置いとるだけや」
「何で置いてるんです?」
「使うかもしれんから」
「何に?」
「知らん」
「知らんのかい」
後ろで一益様が笑った。
「お前は今日は木切れを見に来たのか」
「結構大事なんですよ」
「昨日は銃身だったぞ」
「昨日銃身見たから、今日木切れが大事になったんです」
「やはり面倒な奴だな」
国友の仕事場に転がっているもの全てが、何かの基準になっているわけではない。当然、ただの端材もあるし、使い終わったものもある。
それでも話を聞いていくと、以前作ったものを残しておき、次に似たものを作る時の参考にすることはあるらしい。現物そのものが残っていれば、それを見ることも出来る。
別に、榊屋にない考え方ではない。
榊屋にも見本はあるし、治具もある。
違ったのは、俺がそれをどう考えていたかだった。
榊屋では、まず寸法を決める。この位置に穴を開ける。ここまで削る。この幅を狙う。そうやって決めたものを何度も同じように作るために、治具や見本を使う。
俺の頭の中では、数字や決まりが先にあり、道具はそれを物へ移すためのものになっていた。
ところが、ここで見ているものは少し違う。
上手く出来た物がある。
なら、それを残す。
似たものを作る時には、またそれを見る。必要なら、その形を別の物へ移す。
いったん数字へ直す必要がない。
物から物へ、直接情報を渡せばいい。
◇
「これ、面白いな」
俺が呟くと、善次郎が横から覗き込んだ。
「木の板が?」
「木の板が」
「お前、清洲行ってから変なもんばっかり欲しがるようになったな」
「鉛筆は元から俺のや」
「まだ言うんか」
善次郎は笑ったが、俺は手にした木片を見ながら考えていた。
例えば、少し複雑な形を残したいとする。
数字にしようと思えば出来る。ここからここまで何分、この位置ではどれだけ膨らむ。何か所も測って書けば、かなり詳しく残せるだろう。
でも、同じ場所で同じようなものを作るだけなら、形そのものを残した方が早い場合もある。
当ててみればいい。
合うか、合わないか。
少し削る。
もう一度当てる。
それで目的を果たせるなら、数字は要らない。
「……でも、どれぐらい違うか分からんな」
「何が?」
善次郎が聞いた。
「これ当てたら、大きいか小さいかは分かる。でも、どれぐらい違うかは分からん」
「分からんと困るんか?」
「場合による」
「ほな、困る時だけ測ったらええやん」
「……お前までそれ言う?」
「何がや」
俺は少し腹が立った。
昨日から、俺が何年も掛けて考えてきたことを、みんな簡単に言う。
ただ、善次郎の言う通りだった。
測ること自体が目的ではない。
必要だから測る。
比べる必要があるから数字にする。
合うか合わないかだけ分かればいいなら、見本や型の方が早い場合もある。
前世の俺は、図面に寸法が入っていることを当たり前だと思っていた。でも図面だって、数字を書くために存在するわけではない。
離れた場所で同じものを作る。
別の人間へ形を伝える。
出来上がったものが狙った通りか確かめる。
そのために数字が便利なのだ。
逆に言えば、同じ場所で、いつもの相手と、現物を見ながら作るなら、数字にしなくても伝えられる情報は多い。
俺は便利な道具を知っていた。
だから、その道具を使うこと自体が正しいと思い始めていたのかもしれない。
◇
「なあ」
昨日の若い鍛冶が、また俺のところへ来た。
今度は手に何か持っている。
「これでええんか?」
「何がです?」
「さっきの」
差し出されたのは、朝に見た木片だった。銃身の一部に当てられるよう、少し形が整えられている。
「作ったんです?」
「試しただけや」
「早いな」
「木削っただけやぞ」
俺は受け取り、朝見た銃身へ当ててみた。
ぴたりと、とはいかない。そもそも、そんな精密なものではない。
それでも別の銃身へ当てれば、違いは見える。
「ほら。こっち、ちょっと違うでしょう」
「ほんまやな」
「親方のは?」
「持ってくる」
若い鍛冶は本当に持ってきた。
三本。
「そんな持ってきたんです?」
「お前が何本か見ろ言うたんやろ」
「昨日は十本ぐらいあった方がって」
「十本も持って来れるか!」
「ですよね」
三本を並べ、同じ場所へ木片を当てていく。
一つ目。
二つ目。
三つ目。
若い鍛冶の顔が少しずつ変わった。
「……ほんまに似とるな」
「でしょう」
「でも全部一緒ちゃうぞ」
「それでいいんです」
「ええんか?」
「同じになるか見たいんじゃないです。似た癖が出るか見たいんです」
「最初からそう言えや」
言ったつもりだったんだが。
若い鍛冶は木片を何度か当てながら、考え込んでいた。
「親方、これ見たら笑うやろな」
「何で?」
「そんなもん見んでも分かる言うわ」
「言いそう」
「俺も何となく分かっとったんやけどな」
「うん」
「でも、こうしたら分かりやすいな」
俺はその言葉に、少し嬉しくなった。
親方の技能が木片一枚で手に入ったわけではない。この若い鍛冶が、急に熟練者になったわけでもない。
ただ、昨日まで「何となく分かる」だったものが、目の前に置けるものになった。
親方の頭の中にあるものを全部取り出すことは出来ない。
でも、その一部なら外へ出せる。
◇
「お前んとこでは、こういうの全部書いとるんか?」
若い鍛冶が聞いた。
「全部ではないですよ」
「寸法揃えとるんやろ」
「揃えてるところはあります」
「ほな全部一緒なんか」
「そんなわけないです」
俺は笑った。
「榊家寸いうても、全部の鉄砲が寸分違わず同じになるわけじゃないです。ここはこの寸法を狙う、ここはこの作り方にするって決めてるだけで、最後は人が見ます」
「何や。結局見るんか」
「見ますよ」
「ほな一緒やん」
「一緒ではない」
「どっちやねん」
俺は少し考えた。
「……人が見ないといけないところを、減らしてるんです」
「減らす?」
「毎回考えなくていいところは、なるべく同じにする。穴を開ける場所とか、長さとか。治具を使えば間違いにくいところは治具を使う。そうしたら、本当に人が見ないと分からんところに時間使えるでしょう」
若い鍛冶は黙って聞いていた。
「でも、全部は無理です。鉄の具合も違うし、人が叩くんやから違いも出る。最後に見て判断するところは残ります」
「ほな、お前らも人の腕は要るんやな」
「要りますよ。当たり前でしょう」
「何や。誰でも鉄砲作れるようにしとるんかと思った」
「そんな魔法あったら俺が欲しいです」
若い鍛冶が笑った。
俺も笑った。
でも、その言葉は少し引っ掛かった。
誰でも鉄砲を作れるようにする。
昔の俺なら、それを目標に近いものとして考えていたかもしれない。
今は少し違う。
誰でも出来る仕事なら、誰でも出来るようにする。その方が、人を育てるのも早いし、失敗も減らせる。
ただ、誰でも出来ない仕事まで、無理に誰でも出来る形へ押し込める必要があるのか。
そこまでやれば、今度は人が持っていたものを失うかもしれない。
国友へ来てから、その境目が気になり始めていた。
◇
「でも、それ全部書いたら親方と同じ仕事出来るんか?」
若い鍛冶が聞いた。
「無理でしょうね」
俺はすぐ答えた。
「早いな」
「だって無理でしょう」
「お前が言い出したんやぞ」
「俺が言ってるのは、分かるところを外に出せるって話です」
俺は並べられた銃身を指した。
「ここが太くなりやすい。それは残せるかもしれない。でも、何で親方がそう作るのかは別でしょう。火から出す時に何見てるのか、槌をどれぐらいで振ってるのか、曲がった時にどこ叩くのか。それ全部書いたって、同じように出来るとは限らん」
「ほな、やっぱり見て覚えんとあかんやん」
「そこはそうです」
「じゃあ何で書くんや」
「覚えるのを助けるためです」
若い鍛冶が黙った。
「親方が二十年掛けて覚えたことを、紙一枚で二十年分もらえるとは思ってません。でも、親方が何を見てるのか一個でも先に分かったら、そこを注意して見れるでしょう」
「……ああ」
「何も知らんまま十年見るのと、『ここ見ろ』って言われて十年見るのは、たぶん違います」
これは榊屋でも同じだった。
弥吉に「見て覚えろ」と言われても困る。何を見るのか、どこを見るのか、何が違ったら失敗なのか。それが分かれば、同じ「見て覚える」でも意味は変わる。
技能そのものを全部言葉にすることは出来なくても、技能へ辿り着く道を少し短くすることは出来るかもしれない。
「……それは、ちょっとええな」
若い鍛冶が言った。
「でしょう」
「嬉しそうやな」
「嬉しいですよ」
「何でお前が」
「こういう話通じる人、貴重なんです」
「国友来て何言うとるんや」
それもそうかもしれない。
◇
若い鍛冶は、しばらく木片を眺めていた。
「なあ」
「はい」
「これと、書いたやつ、両方あったらあかんのか?」
「……え?」
「これも残しとく。どこがどう違うかも書いとく。それじゃあかんの?」
俺は一瞬考えて、それから首を横に振った。
「いや。ええと思います」
「どっちかにせんでもええんやろ」
「そうですね」
「ほな、そうしたらええやん」
簡単に言いやがる。
でも、また正しい。
見本には見本の強みがある。
形をそのまま残したいなら、見本の方が早い。複雑な形なら、無理に数字へ直すより現物を見た方が分かりやすいこともある。
一方で、数字には数字の強みがある。
今日作ったものと、一月後に作ったもの。この鍛冶場のものと、別の鍛冶場のもの。上手くいったものと、失敗したもの。百挺の中の一挺。
同じ場所を同じように測っておけば、現物を全部横に並べなくても比べられる。
「見本は、その物を残せる」
「うん?」
「数字は、離れた物を比べられる」
「……何や急に」
「今分かったんです」
「知らんがな」
若い鍛冶は笑った。
「ほな両方使ったらええやん」
「……そうなりますね」
「何でそんな難しく考えるんや」
俺にも分からない。
ただ、俺はどうしても一度分けて考えたくなるらしい。数字にする。決まりにする。名前を付ける。そうして初めて、何が起きているのか理解した気になる。
国友の人たちは、俺よりずっと直接的だった。
必要なら覚える。
必要なら見本を残す。
必要なら現物を持っていく。
合わなければ削る。
そして、それで長い間鉄砲を作ってきた。
だからといって、俺のやり方が無駄なわけではない。
若い鍛冶が木片を作ったのも、俺が並べて比べるという話をしたからだ。
俺は国友のやり方を見て、自分の考えを少し変えた。
この若い鍛冶も、俺の話を聞いて、今までと少し違うことを試した。
それでいいのかもしれない。
どちらかが正しいと決める必要なんて、最初からなかった。
◇
「お前、何でそんな何でも測りたがるんや?」
帰り際、若い鍛冶が聞いた。
「何ででしょうね」
「知らんがな」
「聞いたのそっちでしょう」
俺は少し考えた。
同じものを作りたいから。間違いを減らしたいから。誰が作っても使えるようにしたいから。
今までなら、その辺りを答えたと思う。
でも、今日一日見ていて、もう一つあることに気付いた。
「……比べたいからですかね」
「比べる?」
「昨日と今日。俺と親方。上手くいったやつと失敗したやつ。遠くにあるやつ同士でも、同じように測っとけば比べられるでしょう」
「ふうん」
「見本は強いですよ。その形そのものが残るから。でも、持って歩かんといかん」
「そらそうやな」
「数字なら書いて持っていける」
言ったところで、また懐へ手が動いた。
ない。
「……まず書く道具どうにかせんとな」
「何や?」
「こっちの話です」
信長め。
国友へ来てから何度思ったか分からない。
ただ、鉛筆がないからこそ、今日のことに気付いたのかもしれない。
何でも数字にして、紙へ書く。それは確かに便利だが、それだけが情報を残す方法ではない。人が覚えることも、弟子へ見せることも、上手く出来たものを残すことも、形を別の物へ移すことも、それぞれが知恵を次へ渡す方法になる。
必要なら数字にする。
必要なら見本にする。
人にしか出来ないなら、人に覚えてもらう。
榊屋と国友では、その選び方が違う。
昨日まで俺は、国友には俺たちで言う榊家寸、いわば国友寸とでも呼ぶべき共通の寸法がないことを見ていた。今日は、その代わりに何を使っているのかを少しだけ知った。
たぶん大事なのは、全部を同じ方法で残すことではない。
何を、どこへ残すのか。
そして、どこから先を人に任せるのか。
その境目を決めることなのだ。
ただ、その答えを出すには、まだ見ていないものがある。
国友の職人たちが、人の中へ長い時間をかけて積み上げてきたもの。それが本当に鉄砲へどれだけ現れるのかを、俺はまだ知らない。
尾張で兵から聞いた、国友の上物。
あれを、一度ちゃんと見てみたかった。




