国友寸がない
「合わんところ削ったらええやろ」
台師はそう言うと、俺の返事を待つこともなく仕事へ戻った。
木を削る音が再び始まる。
俺はその手元を見ながら、さっき自分で考えたことを思い返していた。
国友を榊屋の物差しで見てはいけない。
別々の職人が、別々の場所で仕事をしている。一人の人間が村全体を管理しているわけでもない。それでも必要な仕事は人から人へ渡り、最後には一挺の鉄砲になる。
なら、寸法についても同じなのかもしれない。
榊屋では、仕事を分けるために寸法を揃えてきた。銃身の太さ、金具の位置、穴の位置。全部を完全に同じには出来なくても、少なくとも同じところを狙って作る。そのために榊家寸を決め、治具を作り、測り方まで揃えてきた。
俺にとっては、それが分業するための当たり前になっている。
でも国友は、そうではない。
別々に作って、最後に合わせる。
ここで「そんなやり方で本当に作れるのか」と聞くのは馬鹿げている。
作れるから、国友がある。
尾張でも国友の鉄砲の評判は聞いた。腕のいい者の中には国友の上物を好む者までいるらしい。実際にこの村へ入ってからも、銃身を作る職人たちの腕は嫌というほど見せられている。
つまり、俺が疑うべきなのは結果ではない。
むしろ逆だ。
俺達で言うい榊家寸、ここで言うならば国友寸とでも言うべきか。いわゆる共通寸がなくても結果が出ているのなら、それを成立させている何かがある。
「……何で合うんや」
「だから合わせる言うとるやろ」
台師が顔も上げずに答えた。
「いや、そうなんですけどね」
「何やねん」
どうにも噛み合わない。
たぶん、この人にとっては問いそのものが変なのだ。
俺が榊屋で「何で同じ寸法を狙うんですか」と聞かれて困るのと同じなのかもしれない。毎日当たり前にやっていることには、いちいち理由なんて付けない。
なら、聞くより見た方が早い。
「さっきの銃身、もう一回見せてもらえません?」
俺が言うと、一益様が嫌そうな顔をした。
「お前は前へ進めんのか」
「進んでますよ」
「さっき来たところへ戻ると言ったぞ」
「頭の中では進んでます」
「面倒な奴だな」
否定はしない。
◇
結局、俺たちは一つ前に見た鍛冶場へ戻ることになった。
職人はまだ仕事を続けていた。俺が事情を説明すると、何を調べたいのかよく分からないという顔をされたものの、仕上がっている銃身を何本か見せてもらえることになった。
「これ、同じ人が作ったやつです?」
「そうや」
「三本とも?」
「そうやけど」
「並べてもいいです?」
「好きにせえ」
俺は三本を並べた。
そして、ほとんど無意識に懐へ手をやった。
ない。
「……くそ」
「まだ言うとるんか」
善次郎が笑った。
「信長様、返してくれへんかな」
「お前、あれ返してもらうつもりなん?」
「俺のやぞ」
「銭もろたやろ」
「銭の問題ちゃうねん」
「売ったんやんけ」
うるさい。
今は鉛筆の話ではない。
本当なら気になるところを記録しながら比べたいが、ないものは仕方がない。筆と硯を借りて鍛冶場をうろつくのも面倒なので、まずは見て分かる範囲で比べることにした。
三本は同じではない。
当たり前だ。
手で作っているのだから違いは出る。
ただ、一本目と二本目を見比べ、さらに三本目を横へ置いたところで、少し気になるところがあった。
「……ここ」
「何や」
「この辺、三本とも似てません?」
職人が覗き込む。
「何が」
「少し太いというか、残ってるというか」
「そら俺が作ったんやからな」
返事が早かった。
「……はい?」
「何や」
「自分で分かってるんです?」
「自分で作っとるんやぞ」
「いや、それはそうですけど」
何かが引っ掛かった。
俺は三本をもう一度見る。
完全に同じではない。一本ごとに少しずつ違う。でも、違い方まで全部ばらばらという感じでもない。
考えてみれば当然かもしれない。
職人が同じなら、作り方も同じだ。
火に入れる。
叩く。
形を見る。
また叩く。
どこまで仕上げるかを判断する。
本人が意識しているかどうかは別として、同じ人間が同じような判断を繰り返せば、出来上がったものにも傾向が出る。
「他の人が作った銃身も見れます?」
「今度は何や」
「比べたいんです」
案内役の親方が笑った。
「お前、鉄砲見に来たんちゃうんか」
「鉄砲見てますよ」
「一本も撃っとらんぞ」
「作り方も鉄砲です」
一益様が額を押さえた。
でも、止められなかった。
◇
別の鍛冶場で、また何本か見せてもらった。
今度も同じように並べる。
きちんと測ったわけではないから、何分何厘違うなどと言うつもりはない。それでも同じ職人が作ったものを何本か続けて見て、その後で別の職人のものを見ると、さっきとは少し違う。
残し方が違う。
仕上げ方が違う。
ほんの僅かな形の取り方にも、その人なりの傾向がある。
「これ、さっきの人が作ったやつと違いますね」
「そら違う奴が作っとるからな」
案内役の親方は、また当然のように言った。
「そうじゃなくて……いや、そうなんですけど」
まただ。
俺が必死に見つけようとしていることを、この人たちは最初から知っている。
「この人のは、ここがこうなりやすい?」
「なりやすいな」
「さっきの人は?」
「あいつはもうちょいこっちや」
「分かるんです?」
「見りゃ分かる」
出た。
見りゃ分かる。
弥吉語である。
「じゃあ、これ誰が作ったか、鉄砲になった後でも分かります?」
「物による」
「分かるやつもある?」
「そら、長いこと見とる奴のならな」
親方は銃身を一度手に取り、何でもないことのように続けた。
「あいつはここをこう仕上げる。別の奴はもう少し残す。細かいとこ見たら違うぞ」
俺は黙った。
なるほど。
榊屋で俺たちがなるべく小さくしようとしてきたものを、この人たちは別の形で扱っている。
癖だ。
榊屋では、誰が作っても出来るだけ同じところへ寄せようとしてきた。人によって穴の位置が変わらないように治具を作り、削り過ぎないように基準を決め、測る場所も揃えた。
職人ごとの癖が完成品へ出過ぎないようにする。
国友では、その癖が残っている。
だが、ただ放ってあるわけではない。
周りの人間が、それを知っている。
「……台師のところ、もう一回行きます」
「また戻るのか!」
一益様がとうとう声を上げた。
「今度は意味ありますから」
「さっきもそう言っただろう」
「さっき意味あったから、今度もあるんです」
「お前を国友へ連れてきたのは間違いだったかもしれんな」
「信長様に言ってください」
「言うぞ」
善次郎が笑いながら付いてくる。
「お前、今日中に宿戻れるんか?」
「戻る」
「ほんまか?」
「たぶん」
「一益様、こいつ今たぶん言いましたで」
「聞こえておる」
うるさいなあ。
でも、確かめないわけにはいかなかった。
◇
さっきの台師のところへ戻ると、今度こそ本当に嫌そうな顔をされた。
「まだ何かあるんか」
「あります」
「お前、鉄砲一挺作る気か」
「作りません」
「なら何や」
俺は先ほど見た銃身について説明した。
「鍛冶によって、ちょっとずつ仕上げ方違いますよね」
「そら違うやろ」
「台木作る時、それ分かってるんです?」
台師の顔が、少し変わった。
「誰の銃身かってことか?」
「そうです」
「分かる時もある」
「やっぱり」
「何がやっぱりや」
「例えば、さっき見た鍛冶の人。あの人の銃身が来たら?」
台師は少し考えた。
「あいつのなら、ここ少し見とくな」
「何で?」
「少し太い時あるからや」
やっぱりだ。
「もう一人の人は?」
「あいつは……」
台師が銃身を持つような手つきをした。
「こっちやな。あいつはこっちが残ることある」
「それ、毎回測ってるんです?」
「いちいち測らんわ」
「じゃあ何で分かるんです?」
「何本作っとると思っとるんや」
俺は言葉を失った。
台師は何でもないように言った。
「長いことやっとったら分かる」
それだけだった。
でも、その一言の中に、俺が探していたものがあった。
この人は、台木の作り方だけを覚えているわけではない。誰がどんな銃身を作るのかまで覚えている。
銃身を見て、相手の仕事を読む。
その上で、自分の仕事を変える。
寸法表はない。
榊家寸もない。
でも情報がないわけではない。
情報の置き場所が違うのだ。
◇
「金具師もですかね」
「もう行かんぞ」
一益様が即答した。
「まだ何も言ってないですよ」
「顔で分かる」
「俺そんな分かりやすい?」
「分かりやすい」
善次郎まで頷いた。
仕方なく、金具師は明日に回すことになった。その代わり、俺は台師の仕事場でもう少し話を聞かせてもらった。
「じゃあ、知らん鍛冶の銃身来たらどうするんです?」
「見て合わせる」
「知ってる人のより時間掛かります?」
「物による」
「でも、知ってる人の方がやりやすい?」
「そらまあ、分かっとるからな」
やっぱりそうだ。
同じ相手と何度も仕事をする。
相手の作り方を覚える。
相手もこちらの仕事を覚える。
その積み重ねがあるから、最初から完全に同じ寸法へ揃えなくても仕事が回る。
榊屋では、情報を人の頭の外へ出そうとしてきた。
寸法。
治具。
見本。
検査。
誰が作っても同じところを狙えるようにするため、職人の頭の中にしかないものを、出来るだけ物や決まりへ移そうとしてきた。
国友では違う。
情報が人の中にある。
しかも、一人の中だけではない。
鍛冶が自分の作り方を知っている。台師が鍛冶の癖を知っている。おそらく金具師にも、台師や鍛冶について似たような知識がある。
誰と誰がよく組むのか。誰の仕事なら、どこを見ればいいのか。どこを少し残し、どこを合わせればいいのか。
俺にはまだ見えない情報が、この村の人間同士の間に溜まっている。
「……これ、帳面に書いたらすごい量になるな」
思わず呟いた。
善次郎が首を傾げる。
「何を書くんや」
「誰がどんな癖あって、誰と組んだらどうなるか」
「何でそんなもん書くん?」
「忘れんように」
「本人ら覚えとるやん」
「だからや」
「意味分からん」
俺も説明しながら、少し笑ってしまった。
榊屋では、誰か一人がいなくなっても困らないようにしたいと思ってきた。
国友では、人がいる。
しかも、長い間ここで仕事をしてきた人間が何人もいて、その人たちの間に積み重なった経験まである。
俺が昨日「ずるい」と言ったのは、やっぱり間違っていなかったかもしれない。
腕のいい職人が多いだけではない。その職人同士が、お互いの仕事まで知っている。
人が多いから、組み合わせも増える。組み合わせが増えれば、そこで得られる経験も増える。同じ相手と何度も仕事をすれば、その経験はさらに深くなる。
それが何年も、何十年も積み重なっている。
榊屋が十年かけて必死に作ってきたものとは、別の種類の蓄積だった。
◇
「さっきから、何してるんです?」
声を掛けられたのは、台師の仕事場を出たところだった。
振り返ると、見覚えのない若い男が立っていた。
俺より少し上だろうか。着物には仕事の汚れがあり、手にも鍛冶をやっている人間らしい跡がある。案内役の親方が男を見ると、軽く顎を上げた。
「お前、今日は自分とこちゃうんか」
「さっき終わりました」
「こいつも鍛冶です?」
俺が聞くと、若い男が少し不満そうな顔をした。
「こいつ『も』って何や」
「今日だけで何人も会ったんで」
「そら国友やからな」
また言われた。
国友では鍛冶屋が生えてくるのかもしれない。
話を聞けば、若い男は少し前に自分の仕事場を持ったばかりらしい。親方の下を離れて、ようやく自分で仕事を受け始めたところだという。
独り立ちしたばかり。
それを聞いて、俺は少し興味を持った。
向こうも同じらしい。
「堺から来た人やろ」
「そうです」
「百挺作っとるっていう」
「俺一人で作ってるみたいに言わんでください」
「違うんか」
「違います」
今日何度目だろう。
俺一人で月百挺作れたら、俺は人間を辞めている。
若い鍛冶は笑った。
「で、何してたんです?」
「ちょっと比べてました」
「何を?」
「鍛冶によって、銃身の仕上がりにどんな違いが出るのかなって」
「そんなもん違うやろ」
「違いますね」
「当たり前やん」
「でも、同じ人が作ったものは、違い方が似てるんですよ」
若い男が黙った。
ほんの少しだけ、顔が変わった。
「……違い方?」
「例えば、さっきの人はここが少し残りやすい。別の人はこっち。台師の人もそれ知ってました」
「そら、長いことやっとる人なら知っとるやろ」
「あなたも全部分かります?」
今度は返事がなかった。
案内役の親方が笑った。
「こいつはまだ無理や」
「何でや!」
「お前、独り立ちしてどんだけや」
「それは……」
「台師の癖まで全部分かるんか?」
「……全部は知らん」
若い男が少し悔しそうな顔をした。
その顔を見て、俺の方も気付いた。
そうか。
この村にいれば、誰でも最初から人の癖を知っているわけではない。
当たり前だ。
覚えるのだ。
何年も仕事をする。失敗する。直す。また同じ相手から仕事が来る。前にどうだったかを覚えている。
それを繰り返して、親方たちは「見れば分かる」と言えるようになる。
鉄を叩くことだけが技能ではない。
同じ村で働く他人の仕事を知っていることまで含めて、この場所に蓄積された技能なのだ。
「……それ、どうやって見たんです?」
若い鍛冶が聞いた。
「え?」
「違い方が似とるって」
「並べただけです」
「並べただけ?」
「同じ人が作ったの何本か並べて、別の人のも並べて、違うところ見ただけです。本当は測りたいんですけど」
「測る?」
「同じ場所を何本も測ったら、もっと分かると思います」
若い男が俺を見る。
「何が?」
「その人が、どこをどう作る人なのか」
「……そんなもん、測って分かるんか?」
「全部は無理です」
そこは、はっきり答えた。
「鉄の色見て、どこで火から出すとか、どんな強さで叩くとか、曲がり見てどう直すとか。そんなのまで寸法測っただけじゃ分からんです」
「ほな意味ないやん」
「ありますよ」
「何で」
「全部分からんからって、分かるところまで捨てる必要ないでしょう」
若い男が黙った。
俺も、自分で言ってから少し考えた。
榊屋でずっとやってきたことも、結局は同じなのかもしれない。
弥吉の腕を全部治具に出来たわけではない。親父の判断を全部寸法に出来たわけでもない。
それでも、穴を開ける位置なら決められる。長さなら揃えられる。間違えやすいところなら、治具で間違えにくく出来る。
職人が持っているものを全部、数字や道具へ置き換える必要はない。
出来るところだけでも外へ出せば、それまで本人にしか分からなかったものを、別の人間が理解する助けにはなる。
「……面白いな」
若い鍛冶が呟いた。
案内役の親方が眉を上げる。
「何がや」
「いや」
若い男は、俺がさっきまで見ていた鍛冶場の方へ目を向けた。
「俺、親方の作った銃身なら、何となく分かるんです」
「何が?」
「ここはこうなるとか、ここはこのぐらい残るとか。でも、何で分かるんかって聞かれたら、よう分からん」
「うん」
「それ、並べたら分かるんかな」
「分かるかもしれません」
「測ったら?」
「もっと分かるかもしれません」
「……ふうん」
その顔は、もうさっきまでとは違っていた。
俺の話を信じ切ったわけでも、榊屋のやり方が正しいと納得したわけでもない。ただ、自分が何となく知っているものを、別のやり方で確かめられるかもしれない。そのこと自体に興味を持った顔だった。
俺は、その顔を知っている。
十歳の頃から、何度も自分でしてきた顔だった。
◇
宿へ戻る道でも、俺は国友のことを考えていた。
榊家寸がない。
最初にそれを知った時、俺は何かが足りないように感じた。
でも、たぶん違う。
国友には、いわゆる共通寸とは別のものがある。
誰がどう作るのかを知っている人間がいる。誰と何度も仕事をしてきたのかという経験がある。相手の癖を見て、自分の仕事を変えられる技能がある。
それらは一枚の紙に書かれているわけではないし、誰か一人の頭に全部入っているわけでもない。鍛冶が持っているもの、台師が持っているもの、金具師が持っているもの。それぞれが自分の仕事と一緒に、他人の仕事についての知識まで少しずつ抱えている。
だから、共通の寸法がなくても合わせられる。
誰が作ったものでも同じだから合わせられるのではない。
違うことを知っているから、合わせられる。
榊屋とは、考え方が逆だった。
俺はこれまで、ものづくりの情報を出来るだけ人の頭の外へ出そうとしてきた。寸法にして、治具にして、見本にして、記録する。そうすれば、誰か一人がいなくなっても仕事を残せる。
国友は、その多くを人の中へ蓄積してきた。
人が覚える。
手が覚える。
何度も同じ相手と仕事をして、相手の癖まで覚える。
そして覚えた人間が、次の人間を育てる。
どちらが正しいのかは、まだ分からない。
国友のやり方には、俺が榊屋で恐れてきたものもある。人がいなくなれば、その人が持っていたものまで消える。熟練するまで時間も掛かる。
その一方で、寸法や帳面にしただけでは残せないものを、この村の人間たちは確かに持っている。
今日会った若い鍛冶は、まだその全部を持っていなかった。
だからこそ、俺のやり方に少しだけ興味を持った。
そして俺は逆に、親方たちが長い時間をかけて身につけたものの中身を知りたくなった。
国友寸がない。
それは国友に何かが欠けているという意味ではなかった。
ただ、同じ鉄砲を作るために、俺たちとは違う場所へ情報を積み上げてきたということだった。




