国友
清洲を発ったのは、信長様に国友行きを命じられた翌朝だった。
正確には、命じられたのは俺ではない。国友を見たいと言ったのは俺だし、信長様からも「見てこい」と言われたが、国友まで俺を連れていけと命じられたのは一益様である。
だから俺は悪くない。
「ほんまに行くんですね」
「誰のせいだと思っておる」
「信長様」
「お前だ」
「いや、俺は国友を見たいとは言いましたけど、一益様に連れていってくれとは一言も」
「同じことだ」
「違うと思いますけどねえ」
一益様が睨んできたので、それ以上は言わなかった。昨日も似たような会話をした気がするが、この人の中では俺が国友へ行きたいと言った時点で、自分が巻き込まれた原因まで俺にあるらしい。
善次郎も当然のように同行している。
昨日は俺が国友へ行くと聞いて「俺も行くんか?」などと言っていたくせに、いざ出発となればこいつが一番機嫌がよかった。国友へ向かう道や近江へ出入りする荷のことを一益様に聞いているあたり、どう考えても最初から行く気だったとしか思えない。
「お前、やっぱり国友行きたかったんやろ」
「当たり前や。国友の鉄砲がどう売られとるか、俺も見たい」
「昨日嫌そうな顔してたやん」
「あれは、お前の付き添いで行かされるんが嫌やったんや」
「何が違うん」
「全然違う」
「同じやろ」
「違う」
何が違うのかは分からなかった。
清洲から近江へ向かう旅は、堺から尾張へ来た時とはまた景色が違った。
俺はこの時代の地理にそこまで詳しいわけではない。前世で地図を見れば滋賀県が琵琶湖を囲んでいて、その東に岐阜、西に京都があるくらいは当然知っていたが、戦国時代の道がどこを通り、どの土地を誰が押さえ、どこなら安全に荷を運べるかとなると話は別だ。
しかも今は戦国時代である。地図の上で近いからといって、そのまま真っ直ぐ進めるとは限らない。
一益様がいるおかげで道中の面倒事はかなり減っているらしいが、それでも宿を取る場所や通る道は選んでいる。俺が知らないところで先へ話を通したり、人を付けたりしているようで、その辺りを見ると、この人も普段はちゃんと仕事をしているらしい。
「何だ、その目は」
「いや、一益様ってちゃんと偉い人なんやなって」
「今まで何だと思っておった」
「鉄砲好きのおじさん」
「お前な」
「すみません」
国友へ着く前に斬られたくはない。
そんなことをしながら進んでいると、ふと思い出したことがあった。
俺は荷物から帳面を取り出した。清洲で聞いた話や、国友で見たいことは昨日のうちにある程度まとめてある。ただ、移動している間にも思いつくことはある。材料の仕入れ先を聞くこと。鉄砲を誰が集め、誰が売っているのかを見ること。それから出来れば、一挺を作るまでに何人ぐらいの人間が関わっているのかも知りたい。
帳面を開いて、いつものところへ手を伸ばす。
「……あ」
一益様が振り向いた。
「今度は何だ」
「鉛筆、信長様に取られたんやった」
「今か?」
「今です」
「昨日から持っておらんだろう」
「昨日は帳面出す用事なかったんで」
「お前、朝も同じこと言うとったやろ」
善次郎に言われて思い出した。
「……そうやった」
「大丈夫かお前」
「酒がちょっと残ってたんや」
「もう昼やぞ」
そういう問題ではない気もする。
仕方なく帳面をしまった。筆と硯は荷物に入っているから書けないわけではないが、移動しながら気付いたことを一つ書き足すためだけに、水を用意して墨を磨り、硯を置いて筆を取る気にはなれなかった。
清洲にいる間はそこまで気にならなかったが、旅に出ると鉛筆の便利さがよく分かる。
取り出して、書いて、しまう。それだけでいい。
前世なら百円も出せば何本も買えたような道具が、今は一本しかなく、その一本を織田信長が持っている。改めて考えると、意味の分からない状況だった。
「帰ったら絶対もう一本作ろ」
「先に黒鉛見つけな作れんぞ」
「善次郎」
「何や」
「頼んだ」
「まだ仕入れ先も分からん言うとるやろ!」
◇
近江へ入ってしばらくすると、俺は道を行く荷を見ることが増えた。
もちろん、それまでも荷駄はいた。米を運ぶ者もいれば、薪を積んだ者もいる。布らしきものを運ぶ商人もいたし、何を積んでいるのか分からない荷車も何度も見た。人が暮らしている以上、物は動く。それ自体は堺でも尾張でも変わらない。
ただ、国友へ向かうにつれて、俺の目につく荷の種類が少しずつ変わってきた。
「あれ、鉄やな」
善次郎が言った。
「分かるん?」
「見りゃ分かる」
「俺にはただの荷に見えるけど」
「商人やぞ」
「便利やな、その言葉」
荷駄が俺たちの横を通り過ぎていく。
鉄だけではない。炭らしきものを運んでいる者がいる。木材もある。何に使うのか分からない金物を積んだ荷もある。俺にはただの荷にしか見えないものでも、善次郎は時々足を止め、積み方や荷の形を眺めていた。
「あれも国友行き?」
「知らん」
「商人やろ」
「商人は何でも知っとる妖怪ちゃうぞ」
「さっき自分で商人やから分かる言うたやん」
「鉄が分かるのと行き先が分かるのは別や」
それはそうだった。
国友へ向かっているからといって、道を通る荷が全部国友へ行くわけではない。俺たちは目的地を知っているから、目につくものを何でもそこへ結び付けて見ているだけかもしれない。
それでも気になった。
堺でも材料は動いている。榊屋へ鉄が来る。木が来る。外へ仕事を出せば加工した部品が戻ってくる。完成した鉄砲は商人へ渡り、そこから別の土地へ運ばれていく。
工房というのは、工房だけでは動かない。
昔から分かっていたつもりだったが、尾張へ来てから、その意味を何度も違う形で見せられている。鉄砲は榊屋の中だけで完成するものではないし、完成したところで仕事が終わるわけでもない。材料を持ってくる者がいて、作る者がいて、運ぶ者がいて、使う者がいる。
国友には、そのうちのどこまでが集まっているのだろう。
俺は道を歩きながら、前を行く一益様へ声を掛けた。
「一益様」
「何だ」
「国友って、何人ぐらい鉄砲作れる人がおるんです?」
「知らん」
「工房はいくつぐらい?」
「知らん」
「誰が一番腕ええんです?」
「知らん」
「全然詳しくないやないですか」
一益様が振り返った。
「俺は鉄砲鍛冶ではない!」
「でも信長様、一益様に連れていけって」
「国友まで行くことと、鍛冶屋の人数を数えることは別だ!」
「じゃあ着いたら誰に聞けばいいんです?」
「話は通してある」
「……もう?」
「殿が命じたのだぞ」
そうだった。
信長様が「話はつける」と言っていた。
俺が国友を見たいと言ったのは昨日である。
「早いなあ」
「何がだ」
「いや、何でもないです」
この人たち、本当に決めてから動くまでが早い。
榊屋なら新しい外注先を一軒増やすだけでも、善次郎か宗次郎が相手を調べ、出来る仕事を確認し、値段を聞き、試しに仕事を出して、それから少しずつ取引を増やす。相手にも都合があるし、こちらにも都合がある。話を決めるだけでは何も動かないから、その間を一つずつ埋めていく。
信長様の場合、
国友を見たい。
なら見てこい。
話はつける。
翌日出発。
である。
権力というものの使い方が、俺とは根本的に違う。
◇
国友へ近づいていると聞いてから、俺は周囲を見ることが増えた。
何か特別なものがあると思っていたのだ。
鉄砲鍛冶の産地。
そう聞けば、俺の頭にはどうしても巨大な鍛冶場のようなものが浮かぶ。もちろん現代の工場みたいな建物があるとは思っていない。それでも、大きな工房がいくつかあって、そこに大勢の職人が集まり、火床が並んで鉄砲を作っている。そんなものを何となく想像していた。
実際に見えてきた国友は、思っていたより普通だった。
田畑がある。家がある。道を歩く人がいる。子供もいる。遠くから見ただけなら、俺には他の村との違いが分からない。
「……普通ですね」
「何を期待しておった」
「いや、もっとこう、煙が上がってるとか」
「村を焼く気か」
「そういう意味じゃないです」
やっぱり俺が勝手に想像を膨らませていただけなのかもしれない。
そう思いながら歩いていると、槌の音がした。
カン。
俺はそちらを見る。
家の一角に鍛冶場がある。珍しくはない。鍛冶屋がいる村なら当然だ。
少し進むと、また音がした。
カン、カン。
今度は反対側だった。
「……あっちにもある」
「何がだ」
「鍛冶場」
さらに進むと、また火床が見えた。その先からも槌の音がする。
「一、二、三……」
「何数えとる」
「鍛冶場」
善次郎が呆れた顔をした。
「やめとけ」
「何で」
「どうせ分からんようになる」
「いや、まだ三つやぞ」
横道の奥から音がした。
カン、カン、カン。
「……四」
「ほらな」
「まだ分かるわ」
少し先では男が木を削っていた。その隣では細かな金物を扱っているように見える。さらに奥からは、さっきまでとは違う重い槌の音が聞こえてきた。
音が違う。
細かなものを叩く軽い音ではない。もっと大きな鉄を叩いているような、腹に響く音だった。
俺は歩きながら、次第に数えるのをやめた。
善次郎の言った通り、分からなくなったからだ。
それだけではない。
全部同じ仕事をしているわけではなかった。
重い槌を振るう者がいる。細かなものを叩く者がいる。木を削る者がいる。鑢を使っている者もいる。火床の前にいる者もいれば、家先で小さな金物を眺めている者もいる。
もちろん、それが全部鉄砲の仕事だとは限らない。鍬や鎌を作る鍛冶屋もいるだろうし、刃物を直しているだけかもしれない。鉄砲の産地だからといって、村の仕事が鉄砲だけになるわけではない。
それでも、明らかに多い。
鍛冶場のある村ではない。
鍛冶場が、そこら中にある。
「虎松」
「何や」
「お前、鍛冶場ばっか見とるけど、道も見とけ」
「道?」
善次郎に言われて、俺は今度は道を見る。
荷を背負った男が歩いている。別の家から出てきた者が小さな荷を抱え、向かいの家へ入っていく。荷車もある。炭を運んでいる者もいる。さっき俺たちが追い越した荷駄の一つも、村の中へ入っていた。
「荷がよう動いとる」
善次郎が言った。
俺はもう一度、周囲を見た。
確かにそうだった。
鍛冶屋が多いだけではない。その間を、人と物が動いている。
何がどこからどこへ動いているのかは、まだ分からない。誰か一人が仕事を振っているのか、それぞれが勝手に商いをしているのか、それすら分からない。
ただ、榊屋で見慣れている光景とは明らかに違った。
榊屋なら、材料はまず榊屋へ来る。そこから必要に応じて外へ仕事を出し、加工されたものが戻ってくる。完成したものをまた外へ出す。俺たちの工房を中心に、物が出たり入ったりする。
ここでは、どこが中心なのか分からない。
右から左へ。
奥から手前へ。
家から家へ。
いくつもの流れが交差しているように見えた。
「……何やここ」
思わず口に出た。
一益様が振り返った。
「着けば分かると言っただろう」
「いや、まだ何も分かってないです」
「なら黙って見ておれ」
「はい」
珍しく素直に従った。
◇
俺たちを待っていたのは、五十くらいに見える男だった。
日に焼けた顔に太い腕。着ているものは特別立派ではないが、立ち方と手を見れば職人だと分かる。指は太く、節が張っている。長い間、鉄と槌を扱ってきた人間の手だった。
一益様が話をすると、男は俺を見た。
「お前が堺の虎松か」
「はい。榊屋の虎松です」
「月に百挺揃えとるいう若いのがおると聞いた」
「俺一人で作ってるわけじゃないですよ」
「当たり前やろ」
即答だった。
「一人で月に百挺作れたら化け物や」
「ですよね」
話が早い。
男は少し笑った。
「どんな奴が来るかと思っとったが、思ったより普通やな」
「よく言われます」
「そうか?」
「いや、今初めて言われました」
「何やそれ」
一益様が横で小さく息を吐いた。
男の名を聞き、改めて挨拶をする。国友で長く鍛冶をしている親方の一人らしい。信長様から話が来て、俺たちをいくつかの鍛冶場へ案内してくれることになったという。
「鉄砲の作り方が見たいんやったな」
「それも見たいです」
「それも?」
「作ってる人とか、材料とか、仕事の分け方とか、色々見たいです」
男が少し俺を見た。
「変わった鍛冶やな」
「そうですか?」
「普通、他所の鍛冶が来たら銃身の作り方とか、カラクリとか、そっち見るぞ」
「そこも見ます」
「欲張りやな」
「せっかく来たんで」
男はまた笑った。
「まあええ。まず、うち見るか」
そう言って歩き始めた。
俺たちも後に続く。
◇
案内された鍛冶場は、驚くほど普通だった。
火床がある。金床がある。槌がある。鉄がある。職人がいて、弟子らしい若い者も動いている。榊屋にある水車仕掛けの道具のようなものは見当たらないし、俺がこれまで作ってきた治具のようなものも、少なくとも入ってすぐ目につく場所にはなかった。
もっと何か、国友だからこそという特別なものがあるのかと思っていた。
でも、ぱっと見ただけなら普通の鍛冶場だ。
俺は少し拍子抜けした。
その時、奥で鉄を叩いていた男が目に入った。
銃身を作っている。
俺は近寄り、邪魔にならないところで止まった。
見る。
鉄の扱いに迷いがない。
火から出す。叩く。形を見る。戻す。また出す。槌が落ちる場所も、力の入れ方も安定している。速いから上手いわけではない。無駄に急がないし、必要以上に手を止めもしない。次に何をするかを考えてから動いているのではなく、身体の方がもう順番を知っているように見えた。
「……上手いな」
思わず口に出た。
弥吉とは違う。
弥吉はもっと感覚的だ。見ているこっちが「何で今それが分かった」と聞きたくなるような動きを平然とする。本人に聞いても「見たら分かる」「叩いたら分かる」で終わることが多い。
目の前の男は、もう少し落ち着いている。
長く同じ仕事を繰り返し、失敗も成功も積み重ね、その結果として余計な動きが削れていったような仕事だった。俺から見ても、かなり腕がいい。
「あの人、何年ぐらいやってるんです?」
「さあな。二十年はやっとるやろ」
「一番腕ええ人です?」
親方が俺を見た。
「いや」
「え?」
「あれぐらいなら、他にもおる」
俺はもう一度、銃身を叩いている男を見た。
それから鍛冶場の外を見る。
外からは、まだ槌の音が聞こえている。
一つではない。
右からも、左からも、少し遠くからも、さっき通ってきた道の方からも聞こえていた。
榊屋なら、槌の音がする場所が工房だ。
ここでは違う。
槌の音がしない場所を探した方が早い。
「……一益様」
「何だ」
「俺、勘違いしてました」
「何をだ」
「国友って、でっかい鉄砲鍛冶がおる場所やと思ってました」
俺は鍛冶場の外へ出た。
改めて村を見る。
家がある。その隣で鉄を叩いている。道の向こうでも火が上がっている。木を削っている者がいる。荷を運んでいる者がいる。その間を、人と物が絶えず動いている。
大きな工房が一つあるわけではない。
一人の親方の下に、大勢の職人が集まっているわけでもない。
それぞれ別の家で、別の人間が、別の仕事をしている。
なのに、離れているようには見えなかった。
槌の音が村のあちこちから重なり、道を荷が行き交い、人が家から家へ動いている。それぞれが別々に仕事をしているはずなのに、少し離れて眺めると、まるで一つの大きな何かが動いているように見える。
「違うな」
一益様が眉を上げた。
「何が違う」
俺はもう一度、国友を見た。
「工房やない」
榊屋とは、最初から形が違う。
「村が工房や」




