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虎松〜元エンジニアの戦国ものづくり革新録〜  作者: 真部 朝樹
尾張・国友編

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酒宴


 信長様に連れられて部屋を出た時、俺はようやく長い話が終わったのだと思っていた。


 百挺の鉄砲をどうやって作るのかという話から始まって、治具だの寸法だの物差しだの、最後には良いものをどうやって広げるかというところまで行った。頭も使ったし、喉も渇いたし、何より腹が減っている。飯を食わせてくれるというならありがたい。


 ただし、俺が想像していたのは信長様と一益様、それに俺と善次郎が座る程度のものだった。


「……人、多くない?」


「俺に聞くな」


 通された部屋には、すでに何人か男がいた。しかも、どう見てもその辺の家臣ではない。


 俺たちが入ってくると、その中でもひときわ体格のいい男がこちらを見た。年は信長様より上だろう。座っていても分かるくらい身体が大きく、俺と目が合うと遠慮なく上から下まで眺めてくる。


「こやつが虎松だ」


 信長様の紹介が雑だった。


「榊屋のか?」


「そうだ」


 男が改めて俺を見る。


「柴田勝家だ」


「……榊虎松です。本日はお招きいただき、ありがとうございます」


 頭を下げながら、俺の頭の中では別の俺が大騒ぎしていた。


 柴田勝家。


 知ってる。


 ものすごく知ってる。


 信長様のところへ来た以上、そのうち会う可能性くらいは考えていた。でも、心の準備をしていたかと言われれば全くしていない。


「こちらは長秀だ」


「丹羽長秀と申す」


「榊虎松です。よろしくお願いいたします」


 そっちも知ってる。


 歴史の教科書やゲームで見ていた名前が、当たり前のように目の前で飯を待っている。今さらながら、俺はとんでもない場所にいるらしい。


「それで、そっちが善次郎か」


「はい。高瀬屋善右衛門が倅、善次郎にございます」


 善次郎は俺よりずっと商人らしく頭を下げた。こういう時は頼りになる。


 信長様は俺たちを適当な場所へ座らせると、自分もさっさと席についた。どうやら俺たちを特別な客としてもてなすというより、いつもの面々が集まるところへ二人増やしたくらいの感覚らしい。


 間もなく料理が運ばれてくる。


 織田信長の夕餉。


 そう思えば何かとんでもないものが出てくる気もしたが、並んだものは意外なほど普通だった。もちろん普段の俺たちの食事より品数は多いし、魚もある。けれど、金銀を撒き散らしたような豪勢な宴ではない。桶狭間の戦が終わって、まだそれほど経っていないのだから、考えてみれば当然なのかもしれなかった。


 そんなことを考えていると、料理を運んできた若い男と目が合った。


「あ」


「ん?」


 向こうも俺に気付いた。


「虎松殿だがね」


「……どうも」


 藤吉郎だった。


 清洲へ入った時、俺たちを案内してくれた男が、今度は料理を運んでいる。


「そこ置いといてくれ」


「はい!」


 長秀様に言われ、藤吉郎は素早く膳を置くと、次の膳を取りに戻っていった。俺は思わず、その背中を目で追った。


 未来の天下人が信長に飯を運んどる。


「何を見ておる」


「いや、何でもないです」


「藤吉郎がどうかしたか」


「ほんまに何でもないです」


 信長様が怪訝そうに俺を見る。


 説明出来るわけがない。



     ◇



 飯だけだと思っていた。


 酒が出てきた。


「飲め」


「俺もですか?」


「飲めんのか」


「飲めますけど」


 俺ももう二十歳を過ぎている。この時代へ来てから酒そのものを避けていたわけでもなく、堺では祝い事もあるし、善次郎たちと飲むことだってある。


 ただ、織田信長と柴田勝家と丹羽長秀に囲まれて飲む酒は、普段の酒とだいぶ味が違う気がした。


 善次郎を見ると、こいつも微妙な顔をしている。


「お前、何で俺まで巻き込んだんや」


「俺に言うな」


「鉛筆なんか出すからや」


「絶対関係ないやろ」


「分からんぞ。あれ出してから話長なったやんけ」


 小声で話していると、向こうで信長様が何か書いているのが見えた。


 俺の鉛筆だった。


「……もう使いこなしてる」


「お前、あれほんまに渡したんか」


「取られたんや」


「返してもらえや」


「言えるならお前が言ってくれ」


「嫌や」


 薄情者。


「おい、虎松!」


「はい!」


 いきなり勝家様に呼ばれた。


「お前が榊屋の虎松か!」


「はい。そうです」


「若いな!」


「……それ、今日何回目やろ」


「何だ?」


「何でもありません」


 一益様がこっちを見ていた。


 危ない。


 慣れてきたせいで、完全に口が滑り始めている。


 勝家様はそんなことを気にした様子もなく、俺の肩を大きな手で叩いた。


「榊屋の鉄砲、悪くないぞ!」


「ありがとうございます」


 もう一発。


 痛い。


「だが、もっとええ鉄砲作らんとな!」


「ええ鉄砲、ですか?」


「国友の上物なんぞ、よう当たるぞ。仕上げもええ。腕の立つ者は、ああいうのを好む」


 国友。


 尾張へ来る途中、兵から聞いた名前だった。


 腕のいい奴は国友の鉄砲を好む者もいる。精度がいいらしい。あの兵自身は使ったことがないと言っていたが、どうやら武将の側でも似たような評判はあるらしい。


「そんな違います?」


「物によるがな。ええ物はええ」


「なるほど」


「何だ。悔しくないのか」


「いや、俺、国友の鉄砲ちゃんと撃ったことないんで」


 勝家様が少し目を丸くした。


「ないのか?」


「ないです。話では聞いてますけど、見ても撃ってもないのに、うちの方がええとは言えんでしょう」


「お前、鉄砲鍛冶だろう」


「鉄砲鍛冶やからです」


 自分で見てもいないものを、良いとも悪いとも言えない。ましてや国友は、榊屋とは別の土地で長く鉄砲を作ってきたところだ。違うやり方もあるだろうし、俺の知らない技術だってあるはずだった。


「でも、ほんまに国友のええ鉄砲の方がよう当たるなら、それでええんちゃいます?」


「何がだ」


「腕のええ人には、それ持たせたらええと思います」


 勝家様が首を傾げた。


「お前のところで、それより良い物を作ろうとは思わんのか」


「もちろん、ええ鉄砲は作りたいですよ」


 そこは誤解されたくない。


 品質を揃えることと、品質を上げなくていいことは別の話だ。榊屋だって、同じものをたくさん作るために品質を諦めたわけではない。


「でも、一番ええ鉄砲を作れることと、一番ええ鉄砲を百挺揃えられることも別の話です」


 勝家様が黙った。


 長秀様がこちらを見る。


「どういうことだ」


「例えば、すごく腕のええ鍛冶が一人おって、そいつがものすごくええ鉄砲を作れるとしますよね。でも、一月に三挺しか作れんかったら、百人には持たせられません」


「それはそうだな」


「榊屋が今やってるのは、そっちじゃないんです」


「そっち?」


「一番ええ一挺を作るんやなくて、ちゃんと使える百挺を揃える方です」


 勝家様の手が止まった。


 俺は酒を一口飲んだ。少し回ってきたかもしれない。


「例えば百人の鉄砲兵がおるとして、百挺全部に癖があったら面倒じゃないです?」


「癖?」


「こっちは引き金が重い。こっちは軽い。こっちはこの部品が合うけど、隣の鉄砲には合わん。こっちはこうやって扱う方がええけど、別の鉄砲では違う。そんなの百挺分、覚えられます?」


「覚えられるか」


「ですよね」


 榊屋の鉄砲だって完全に同じではない。銃身と尾栓は組み合わせて仕上げるし、木で出来た台木には個体差がある。最終的には一挺ずつ調整するから、百挺をばらして好き勝手に部品を入れ替えられるようなものでもない。


 でも、何も揃えていない百挺とは違う。


「うちのも全部一緒ってわけやないですよ。でも、作る時の寸法とか、部品の形とか、なるべく同じにしてます。せやから、教える方も同じように教えやすいし、直す方も次に何が出てくるか分かりやすい。完全に同じやなくても、似たものが揃ってるだけで扱う側の負担はだいぶ減ると思います」


「新しい兵に持たせやすいという話か」


 長秀様が言った。


「そうです。尾張の兵にも聞きました。新しい人には榊屋の鉄砲を持たせることがあるって」


「確かに、揃っておる方が教えやすいな」


「あと、兵を動かす人も楽やと思います」


「我らが?」


「はい」


 俺は頷いた。


「ものすごくええ鉄砲が十挺あります。でも、残り九十挺はどれくらい使えるか分かりませんって言われるより、百挺持っていったら九十何挺はだいたい同じように使えますって分かってた方が、予定立てやすくないです?」


 長秀様が少し考えた。


「戦力を読める、ということか」


「そうです。それです」


 俺が言いたかったのは、それだった。


 一挺の最高性能だけを見るなら、榊屋より上の鉄砲はいくらでもあるかもしれない。けれど軍として使うなら、一挺の性能だけで価値が決まるわけではない。


 百挺持っていった時、そのうち何挺が同じように使えるのか。何人へ同じやり方で教えられるのか。壊れた時にどこまで直せるのか。交換する部品をどれだけ持っていけばいいのか。そして、次の百挺をいつ用意出来るのか。


 使う側からすれば、それらが読めること自体が一つの性能になる。


「榊屋の鉄砲は、一番よう当たる鉄砲やないかもしれません。でも、数を揃えられます。似たようなものを、似たような出来で揃えられる。俺は、それも強みやと思ってます」


「なるほどな」


 長秀様が頷いた。


 勝家様は腕を組んでいたが、しばらくして口を開いた。


「なら、全部榊屋で揃えればよいではないか」


「いや、それも違うと思います」


「何故だ」


「国友のええ鉄砲がほんまによう当たるなら、使えばええやないですか」


「誰に持たせる」


「腕のええ人です」


 そこは単純だと思う。


「例えば、百人おって全員同じ腕なわけないでしょう。中にはめちゃくちゃ上手い人もおる。その人によう当たる鉄砲持たせて、遠いところの大事な相手を狙わせるとか」


「大事な相手?」


「指揮してる人とか。普通の鉄砲やと狙いにくい距離の相手とかですね」


 俺の頭の中に浮かんでいるのは、狙撃兵だった。


 もちろん、この時代の火縄銃で現代の狙撃兵と同じことが出来るとは思っていない。照準器も違えば、弾も火薬も違うし、そもそも鉄砲そのものの精度が違う。それでも、命中しやすい鉄砲と腕のいい射手を組み合わせ、他の兵とは違う役割を持たせるという考え方自体は出来る。


「数揃えた鉄砲は大勢で使う。ほんまにええ鉄砲は、ほんまに上手い人に使わせる。全部同じ仕事させんでもええでしょう」


 勝家様が笑った。


「お前、自分の鉄砲を売り込みに来たのではないのか」


「今日は呼ばれて来ただけです」


「商売する気がないな!」


「だから善次郎がおるんです」


「また俺に投げたな!」


 善次郎が声を上げ、信長様が笑った。俺もつられて笑ったが、酒のせいもあるのだろう。最初にこの部屋へ入った時の緊張は、もうだいぶ薄れていた。



     ◇



「だが、虎松」


 長秀様が杯を置いた。


「お前の言う百挺を揃えるというのは、値も同じなのか」


「だいたいは」


「国友の上物を揃えるより安い?」


「物によりますけど、たぶん」


「たぶん?」


「国友の値段知らんので」


 長秀様が笑った。


「お前、知らぬことは本当に知らぬと言うな」


「分からんことを分かったふりすると、後で大体ろくなことにならんので」


「そこはこやつの良いところだ」


 一益様が言った。


「珍しく褒めましたね」


「珍しくは余計だ」


「すみません」


 信長様はそのやり取りを聞きながら、俺の鉛筆で何かを書いていた。


 さっきから何を書いているのか気になる。


「何書いてるんです?」


「忘れぬように書いておる」


「もうその使い方してるんですか」


「便利だからな」


「俺のなんですけど」


「俺のだ」


「…………」


 もう駄目らしい。


「筆では、こうはいかんな」


 信長様は紙の上に短く何かを書き足した。


「硯も水も要らぬ。話を止めずに書ける。思いついた時にすぐ残せるのもよい」


 やっぱりこの人、道具を渡すと勝手に使い道を見つける。


「善次郎」


「はい」


 善次郎の返事が速い。


 今日だけで完全に鍛えられている。


「これを百本作れば、いくらになる」


「……もう商談始まっとるやん」


 俺が呟いた。


「虎松」


「はい」


「何だ」


「何でもないです」


 善次郎は信長様が持っている鉛筆をしばらく眺めてから、すぐに商人の顔へ戻った。


「黒鉛がどれだけ揃うかによります。木も要りますし、同じ太さで作るなら加工する者も決めねばなりません。まず何本か作って、手間と材料を見んと値は決められません」


「では調べろ」


「承知いたしました」


 善次郎が普通に答えた。


 俺は横を見る。


「受けるんや」


「客やぞ」


「順応早いな」


「誰のせいや」


 それもそうだった。


「酒がないぞ!」


 勝家様の声が飛んだ。


「ただいま持ってくるがね!」


 藤吉郎が徳利を持って飛んでくる。


 未来の天下人が、未来の北陸方面を任される男に酒を持ってきている。歴史を知っている俺からすると、とんでもない光景なのだが、当然ながらこの場では誰も気にしていない。


「藤吉郎」


「はい!」


「お前ならどうだ」


 突然、信長様が声を掛けた。


 藤吉郎が固まった。


「な、何がでございますか」


「今の話だ。百挺全部が違う鉄砲と、似た鉄砲が百挺ある。兵に教えるならどちらがよい」


 藤吉郎は少し考えた。


「そりゃあ、似とる方が楽だと思いますがね」


「何故だ」


「一人に教えたことを、次の奴にも同じように教えられるで。教える方も覚えやすいがね」


 俺は藤吉郎を見た。


 こいつ、普通に聞いてたな。


「それに、十人ずつに分けても、同じこと言えばええなら早いんじゃにゃあですか」


 信長様が笑った。


「聞いておったな」


「聞こえただけだがね!」


 藤吉郎は逃げるように徳利を持って離れていった。


「……あいつ、やっぱ頭ええな」


 俺が呟く。


「お前、藤吉郎を妙に気にするな」


 一益様に言われた。


「いや、何となく」


 何となくで済ませるしかない。


 俺だって、未来を全部覚えているわけではない。それでも、今この部屋で酒を運んでいるあの男が、いつかこの国で一番偉いところまで登ることだけは知っている。そう考えると、徳利一本持って走っている姿すら妙に気になった。



     ◇



 酒宴は思った以上に長く続いた。


 勝家様は豪快だったが、鉄砲の話になると意外なほど細かいところまで聞いてきた。雨の日はどうする。火蓋はどうだ。壊れた時はどこまで兵が触っていい。予備のばねはいくつ持たせればいい。実際に兵を率いて戦う側だからこそ、知りたいのは工房での仕上がりより、戦場へ持ち出した後のことらしい。


 長秀様は逆に、数と銭と運ぶ手間を気にした。百挺を作れても、一度に運べるのか。鉄砲だけ増やして火薬や弾が足りなくなれば意味がない。百挺を揃えれば百人がすぐ使えるわけでもなく、兵を育てる時間も必要になる。


 俺が答えに詰まると善次郎が横から入り、一益様が尾張側の事情を補った。話せば話すほど、一つの工房だけで完結する話ではなくなっていく。


 それが面白かった。


 榊屋では出てこない話ばかりだった。


 工房で鉄砲を作っているだけでは、百挺を戦場で使うということがどういうことなのか、本当のところは分からない。百挺完成させれば仕事は終わりだと思っていたわけではないが、そこから先には、俺が想像していたよりずっと多くの人間と仕事がある。


 作る側には作る側の都合がある。使う側には使う側の都合があり、売る側にも、運ぶ側にも、それぞれ違う都合がある。


 どれか一つだけ上手くいけばいいわけではない。


 百挺の鉄砲を作るということと、百挺の鉄砲を戦力として使えるようにすることは、やはり別の話なのだ。


 その全部が繋がって、ようやく一挺の鉄砲が戦場で火を噴く。


 尾張へ来てから、俺はそんなことばかり教えられている気がする。


「虎松」


「はい?」


 信長様が立ち上がった。


 俺も少し酔っていた。


「来い」


「どこにです?」


「外だ」


「俺、何かしました?」


「よいから来い」


 一益様を見る。


 一益様も知らないらしい。


 善次郎を見る。


「行ってこい」


「薄情者」


「殿様に呼ばれとる奴についていけるか」


 それはそうだ。


 俺は残っていた酒を飲み干して立ち上がった。



     ◇



 外へ出ると、空気が冷たかった。


 酒で熱くなっていた顔にはちょうどいい。さっきまでいた部屋の笑い声は戸を隔てただけでずいぶん遠くなり、代わりに夜の清洲の音が聞こえてくる。城の中だから完全に静かというわけではない。見張りの兵もいるし、まだ動いている者もいる。少し離れたところには町の灯りも見えた。


 信長様はしばらく何も言わなかった。


 俺も黙って横に立っていたが、昼間はあれだけ質問してきた人なのに、こうして黙られると逆に困る。


「……何です?」


「昼間、聞いたな」


「何をです?」


「何故、俺があのようなことを考えるのか」


 酒で少しぼんやりしていた頭が戻ってきた。


「ああ……あれですか」


「うむ」


 信長様は町の方を見ていた。


「昔から、不思議だった」


「何がです?」


「同じ尾張でも、土地が変われば人の暮らしが変わる。豊かなところもあれば、貧しいところもある。良い鍬を作る鍛冶がおるところもあれば、そうでないところもある。商いで栄える町もあれば、人が集まらぬところもある」


「はい」


「良いものがある。良いやり方を知っておる者もいる。だが、それがその土地を出ぬ」


 昼間の話と同じだった。


 でも、今度は信長様自身の言葉だった。


「昔は、教えればよいと思っておった」


「……信長様でもそう思うんですね」


「何だ、その言い方は」


「いや、何でもないです」


「だが、教えれば済むわけでもないのであろう」


「はい」


「今日、お前に教えられた」


 俺は信長様を見た。


「俺に?」


「道具が違う。材料が違う。作る者が違う。使う者も違う。物差し一つ揃えるだけでも、それを作り、配り、確かめ続けねばならぬ。決めれば終わりではない」


「……はい」


「面倒だな」


「めちゃくちゃ面倒です」


「だが、出来ぬわけではない」


 やっぱり、そっちへ行くのか。


「普通、そこで諦めません?」


「何故だ」


「面倒なんでしょう?」


「面倒なのと、出来ぬのは違う」


 俺は何も言えなかった。


 親父も似たようなことを言う時がある。言葉は違うけれど、この人も出来ない理由を探すより、出来るなら何が要るのかを考える人なんだろう。


「尾張だけでも、これだけ違う」


 信長様が続ける。


「国が変われば、もっと違う。美濃へ行けば美濃のやり方がある。近江へ行けば近江のやり方がある。関があり、決まりがあり、商人も職人も、その度に違うものに合わせる」


「そうですね」


「皆、それが当たり前だと言う」


 信長様は少し笑った。


「俺には、それがよう分からん」


 善次郎なら、もっと詳しく分かるのだろう。商人は国境を越えるたびに違う決まりと付き合う。使う銭も、量り方も、取られる銭も、通る道も違う。その違いそのものを商売にする者もいるだろうし、全部を揃えればいいほど簡単な話ではないことは、昼間の物差しの話だけでも分かる。


 それでも信長様には、その違いを最初から仕方のないものとして受け入れることが出来ないらしい。


「それで、全部一つにしたいんですか」


「その方が早い」


「誰がまとめるんです?」


 信長様が俺を見る。


「俺だ」


「……そこは譲らんのですね」


「何故譲る」


 即答だった。


 俺は思わず笑った。


「いや、何か安心しました」


「何がだ」


「みんなのために世の中を良くしたい、みたいなこと言い出したらどうしようかと思って」


「何を言っておる」


「すみません」


「俺が取る。その上で、使えるものは使う。良いやり方があるなら広げる。それだけだ」


 単純だった。


 たぶん、この人の中では本当に単純なのだ。


 国が違うから出来ない。領主が違うから決まりが違う。それなら、自分がまとめればいい。


 普通の人間なら、その間にある途方もない数の国と、人と、戦と、利害を考える。それを全部ひっくるめた上で、この人は「ならやる」と考えている。


「良いものが、そこに生まれたというだけで、そこに縛られておるのが気に入らん」


 信長様が言った。


「良い鍛冶がおるなら、その者の作ったものをもっと使えばよい。良い商いの仕方があるなら、他でも使えばよい。良い技があるなら、その者が死んだだけで消える必要はない」


 俺は昼間、自分が話したことを思い出した。


 一人が上手く作れることと、みんなが作れることは違う。


 良い物を一人が作れることと、良い物を千人が使えることも違う。


「人は動く」


 信長様が言った。


「物も動く」


 少し間を置いて、町の方へ視線を戻した。


「ならば、やり方も動かせるはずだ」


 その言葉は、妙に俺の中へ残った。


「……動かすのが一番難しいですけどね」


「だから、お前がおる」


「……はい?」


 俺は信長様を見た。


 信長様はそれ以上説明しなかった。


「お前は工房から始めたのであろう」


「まあ、そうですね」


「寸法を揃えた。治具を作った。仕事を分けた。他の者にも作らせた。外の職人まで使い始めた」


「はい」


「俺は国から始める」


 規模が違いすぎる。


「だが、同じところへ行くのかもしれんな」


 俺はすぐには答えられなかった。


 俺は、榊屋で困ったから始めただけだ。鉄砲が作れない。数が足りない。人によって出来が違う。教えるのが難しい。部品が足りない。一つ問題が出るたびに、それをどうにかしようとしてきた。


 気が付けば榊屋だけでは足りなくなり、外の職人に頼み、商人を巻き込み、運ぶ人間まで必要になった。


 俺は下から積み上げてきた。


 信長様は、上から降りてくる。


 国が違うから良いやり方が広がらないのなら、その国そのものをまとめればいいと言う。


 考えている規模が違う。


 でも、もしこの人が本当にそこまで行ったら。


 俺が榊屋で十年掛けてやってきたことを、堺だけではなく、もっと大きな場所で出来るのかもしれない。同じ物差しを使い、必要なところでは同じ基準を持ち、土地を越えて部品が流れ、誰かの頭の中だけにあった技術を他の人間へ残していく。


 それを俺一人でやろうとすれば、一生掛かっても無理だ。


 この人なら。


 そこまで考えて、少し怖くなった。


 出来るかもしれないことと、やっていいことは、同じじゃない。


 昼間、自分で言ったばかりだ。殿様だけで決めるのは危ない。作る人もいる。使う人もいる。今までのやり方で暮らしている人もいる。便利になると分かっていても、変えることで困る人間だっている。


 信長様の速さは、頼もしい。


 同時に、怖い。


「虎松」


「はい」


「何を考えておる」


「信長様と組んだら、とんでもない速さで色々変えられそうやなって」


「そうか」


「あと、とんでもない数の人が振り回されそうやなって」


「お前は一言余計だな」


「すみません」


 信長様が笑った。


 俺も少し笑った。


 昼間に初めて会った時は、歴史の中から織田信長がそのまま出てきたようにしか思えなかった。桶狭間で今川義元を倒した男。この先、美濃を取り、京へ上り、天下へ手を伸ばしていく男。


 でも今、隣にいるのは二十六か二十七くらいの若い男だった。俺より六つほど上なだけで、酒を飲み、笑い、分からないことは聞き、面白い道具を見つければ勝手に持っていく。


 それなのに、見ている範囲がおかしい。


 俺が榊屋の工房で考えていたことを、この人は国という大きさで考えようとしている。


「虎松」


「はい」


「明日、もう一度来い」


「……まだあるんですか」


「ある」


「今度は何の話です?」


 信長様は少しだけ考えた。


「お前の話だ」


「俺の?」


「そうだ」


 それだけ言うと、信長様は城内へ戻っていった。


 俺はその場に残された。さっきまで火照っていた身体も、いつの間にか夜風で冷えている。


「……俺の話って何や」


 答える者はいない。


 俺はしばらくその場に立っていたが、やがて酒宴の声がまだ続いている部屋へ戻ることにした。


 明日こそ堺へ帰る話が出来ると思っていた。


 どうやら、そう簡単には帰してもらえないらしい。


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