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虎松〜元エンジニアの戦国ものづくり革新録〜  作者: 真部 朝樹
尾張・国友編

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清洲


 武具の置かれていた場所を出てから、俺たちは再び清洲へ向かった。


 今度こそ寄り道はない。


 一益様が何度かこちらを確認していたので、おそらく信用されていない。


「もう鉄砲見つけても止まりませんよ」


「頼んでおらん」


「ちゃんと清洲行きますって」


「最初からその予定だ」


「分かってますよ」


「国友へ行きたいと言っていた男の言葉とは思えんな」


 聞こえていたらしい。


 それからしばらく進むと、人の動きが明らかに増えてきた。道を行き交う荷車が増え、馬もいる。武士だけではなく、商人や人足らしい者も多い。荷を運んでいる者、何かを受け取りに来た者、声を掛け合いながら忙しそうに動いている者までいて、戦が終わったばかりとは思えないほど賑やかだった。


「人多いな」


「そら清洲やからな」


 善次郎は俺とは別のところを見ている。


「あれ、何運んどるんやろ」


「お前まで始めんなよ」


「俺は仕事や」


「俺もさっきまで仕事やったぞ」


「お前は半分趣味やろ」


「失礼な。八割仕事や」


「残り二割あるやんけ」


 善次郎は荷車を目で追っていた。


 俺が鉄砲を見れば作り方や壊れ方が気になるように、善次郎は物が動いていれば、どこから来てどこへ行くのかが気になるらしい。津島でもそうだったが、こいつにとっては人や荷の流れそのものが仕事なのだろう。


 俺も改めて周囲を見る。


 清洲。


 前の世界でも当然名前は知っていた。


 織田信長の城。


 桶狭間の戦いへ向かった場所。


 そういう知識だけが先にあったせいか、俺の頭の中にはいつの間にか、もっと巨大な城が出来上がっていたらしい。


「……思ってたより普通やな」


 一益様が振り返る。


「何がだ」


「城です」


「城?」


「もっとこう……」


「こう?」


「でかいの」


「分からん」


 俺も説明出来なかった。


 石垣があって、白い壁があって、何層にも重なった大きな建物があって。


 考えてみれば、それはもっと後の時代の城だ。


 今の俺が知っている堺の建物と比べれば十分に立派だし、周囲を含めれば明らかに普通の屋敷とは違う。それでも前の世界で観光地として見たような城とは違った。


「何を期待しておったのだ」


「いや、別に不満とかやないですよ」


「ならよい」


「そのうちもっとでかくするんですか?」


「何故俺に聞く」


「一益様なら知っとるかなって」


「知らん」


「ですよね」


「虎松」


「はい」


 一益様が足を止めた。


 さっきまでより少し真面目な顔をしている。


「中へ入れば、殿の前だ」


「はい」


「今のように喋るなよ」


「分かってますよ」


「本当に分かっておるか?」


「分かってますって」


 さすがに俺だって、誰にでも同じ調子で喋っているわけではない。


 榊屋の仕事をするようになってから、商人とも話したし、客とも話した。武士を相手にしたことだってある。相手によって言葉を選ぶくらいは出来る。


 何より、これから会うのは織田信長だ。


 前の世界なら教科書に載っていた人間で、この世界ではつい先日、今川義元を討ち取ったばかりの尾張の主である。


 そんな相手に、


『どうも、堺から来ました虎松です』


 で済ませるほど、俺も馬鹿ではない。


「こいつ、こう見えて偉い人の前ではちゃんとしますよ」


 善次郎が言った。


「こう見えては余計や」


「俺、何回か見とるからな」


「なら信用しろや」


 一益様は俺と善次郎を交互に見た。


「……不安だ」


「何でや!」


     ◇


 城内へ入ると、一益様は何人かと言葉を交わしながら進んだ。


 当然だが、みんな一益様を知っている。


 俺と善次郎はその後ろについていく。川尻さんはここへ来るまでの間にも何度か別の者と話をしており、清洲へ入ってからはさらに忙しそうだった。


 俺はなるべく余計なところへ首を突っ込まないようにしていた。


 さすがにここで、


『それ何してるんです?』


 を始めるほど空気が読めないわけではない。


 たぶん。


「藤吉郎!」


 一益様が声を上げた。


「はい!」


 少し離れたところから返事があった。


 しばらくすると、一人の男が小走りでやってくる。


 若い。


 俺より少し上だろうか。


 周囲にいる武士たちと比べれば身なりは質素で、いかにも偉い家臣という感じではない。それでも動きは妙に軽く、一益様の前まで来ると素早く頭を下げた。


「お呼びですか」


「客人だ。殿へ話を通してくる間、頼む」


「承知しました。どちらへお通しすりゃええです?」


「いつものところでよい。俺もすぐ戻る」


「分かりました。ほんなら、こちらへどうぞ」


 男が俺たちを見る。


「藤吉郎と申します。こっちだがね」


 俺は止まった。


 藤吉郎。


 今、藤吉郎って言った?


「どうしました?」


「いや……」


「こっちだで、ついて来てもらえるかね」


「はい」


 歩き出す。


 俺もついていく。


 藤吉郎。


 信長のところにいる。


 年齢もそれくらい。


 でも藤吉郎なんて名前、他にもいるだろう。


 いるよな?


 たぶん。


「あの」


「はい?」


「藤吉郎さんって、どちらの生まれなんです?」


「わしですか?」


「はい」


「中村だがね」


 俺はまた止まりそうになった。


 中村。


 藤吉郎。


 織田信長のところにいる。


 揃った。


 かなり揃った。


(秀吉やん。)


「どうしました?」


「いや、何でもないです」


「さっきから変だがね」


「ちょっと確認しただけです」


「何を?」


「いや、その……将来性を」


「将来性?」


「何でもないです」


 藤吉郎が怪訝そうな顔をした。


 善次郎が俺の横へ来る。


「お前、また始まったんか」


「何が」


「知らん人に急に食いつくやつ」


「違う」


「鉄砲の次は人か?」


「違うって」


 俺はもう一度、藤吉郎を見る。


 豊臣秀吉。


 後の天下人。


 その人が今、俺たちの案内をしている。


 なんだこれ。


「……顔に何か付いとります?」


「付いてないです」


「なら、何でそんな見とるんです?」


「すみません」


「変わったお人だがね」


 後の豊臣秀吉に変わった人扱いされた。


 ちょっと納得いかない。


     ◇


 藤吉郎の後ろを歩いていると、すぐに気付いたことがあった。


 こいつ、よく喋る。


 俺たちにだけではない。


「おう、そっちまだ運んどるんか」


「藤吉郎、これどこ置きゃええ!」


「そっちは奥だがね! そこ置いたら人通れんで!」


「分かった!」


 少し進む。


 向こうから武士が来る。


 藤吉郎はすぐに脇へ寄って頭を下げた。


 相手が通り過ぎる。


 また進む。


「藤吉郎!」


「何だね!」


「さっきの荷、誰に渡すんだった?」


「甚右衛門様んとこだがね! 分からんかったら向こうの奴に聞きゃ分かるで!」


 さらに進む。


 今度は人足が何かを抱えて困っている。


「それ、こっち持ってきたらいかんが。向こうだがね」


「こっち言われたぞ」


「誰に?」


「知らん」


「知らんのか! ほんならちょっと待っとりゃあ。聞いてくるで」


 そう言って走り出そうとする。


「藤吉郎」


 俺が呼び止めた。


「何です?」


「俺らは?」


「あ」


「忘れとった?」


「忘れとらんがね!」


「今、あ、って言ったぞ」


 どこかで聞いたやり取りだった。


 善次郎が笑っている。


「お前と似とるな」


「どこが」


「気になったらそっち行くところ」


「一緒にすんな」


 藤吉郎は近くにいた男を捕まえ、何かを聞いた。それを人足へ伝えると、すぐ俺たちのところへ戻ってくる。


「すみませんな。ほんなら行きましょか」


 また歩き始める。


 ただ、さっきから見ていると、単に落ち着きがないわけではないらしい。


 誰がどこにいるかをよく知っている。


 誰に聞けば何が分かるかも知っている。


 自分より上の者にはすぐ頭を下げるが、人足や下働きらしい者とも普通に話す。誰かが困っていれば口を出すし、自分で分からなければ、分かる人間を探しに行く。


 今の藤吉郎にどれほどの権限があるのかは知らない。


 少なくとも、見たところ偉くはない。


 でも、人と人の間を動くのが妙にうまい。


「なあ」


 善次郎が小声で言った。


「何?」


「あいつ、よう気ぃ回るな」


「やっぱそう思う?」


「何がやっぱやねん。さっき会ったばっかやろ」


「そうやけど」


 未来を知らない善次郎が見ても、そう見えるらしい。


 俺は少しだけ安心した。


 俺が後の秀吉だと知っているから、何でもすごく見えているわけではなさそうだ。


 それにしても。


 天下人になる男も、この頃は普通に人の荷物の置き場所を確認して走り回っているらしい。


 歴史というものが、また少しだけ変な感じになった。


     ◇


「こちらで待っとってください」


 藤吉郎が一室の前で止まった。


「一益様が戻ってみえるまで、ここにおってもらえばええで」


「ありがとうございます」


「何か要るもんあります?」


「大丈夫です」


「水は?」


「大丈夫」


「腹減っとらん?」


「大丈夫です」


「ならええわ」


 藤吉郎は俺を見る。


「ほんでも、あんたほんとに変わっとるね」


「何がです?」


「人の顔じろじろ見て、いきなりどこ生まれか聞く人、あんまりおらんで」


「すみません」


「まあええけど」


 藤吉郎が笑った。


「ほんなら、ごゆっくり」


 頭を下げ、またどこかへ小走りで去っていく。


 俺はその背中を見送った。


 豊臣秀吉。


 まだ、藤吉郎。


 しかも今は、城の中を走り回って人に物の置き場所を教えている。


「何やったん、あれ」


 善次郎が聞いた。


「何でもない」


「絶対何かある顔しとるぞ」


「そのうち分かるかもしれん」


「何が?」


「俺にも分からん」


「何やねん」


 言えるわけがない。


 あの男、たぶん天下取るぞ。


 そんなことを言ったら、今度こそ本気で頭がおかしくなったと思われる。


     ◇


 部屋へ通されてから、急にすることがなくなった。


 座る。


 待つ。


 それだけだ。


 さっきまで鉄砲を見たり、与助さんに質問したり、藤吉郎を観察したりしていたせいで、何もしない時間になると急に落ち着かなくなる。


「……遅いな」


「まだそんな待ってへんぞ」


「そう?」


「お前、緊張しとる?」


「してへん」


「足動いとるぞ」


 見る。


 動いていた。


「止め方分からん」


「緊張しとるやん」


「ちょっとだけや」


「さっきまで藤吉郎さんに夢中やったくせに」


「夢中言うな」


 俺は膝を押さえて足を止めた。


 考えよう。


 何を聞かれる。


 一益様からは、信長様が榊屋の鉄砲そのものだけではなく、その作り方に興味を持っていると聞いている。


 月百挺。


 今なら小口を合わせて百二十から百三十。


 どうやって作っているのか。


 治具。


 榊家寸。


 仕事の分担。


 お蓮さんたちへの外注。


 嘉兵衛さんのネジ。


 検査。


 在庫。


 交換部品。


 どこまで話す。


 隠す必要はあるのか。


 いや、客先の名前や値段まで聞かれたらどうする。


 善右衛門と相談せずに答えていい範囲はどこまでだ。


「……善次郎」


「何?」


「値段聞かれたらどうする?」


「普通に答えりゃええやろ。隠すようなもんでもない」


「外注先は?」


「何でそこ気にするんや」


「お蓮さんとか嘉兵衛さんとか、勝手に名前出してええんかなって」


「別にええんちゃうか。仕事の中身まで全部喋る必要はないやろけど」


「善右衛門さんとの取引の話は?」


「親父に聞かんと分からんことは、分からん言えばええ」


「なるほど」


 少し落ち着いた。


 前の世界で営業をしていた時も、商談の前には似たようなことを考えた。


 何を聞かれそうか。


 どこまでその場で答えられるか。


 持ち帰るものは何か。


 分からないことを、分かったふりしない。


 最後のやつは、一益様にも言われた。


 相手が織田信長だからといって、知らないものまで知っていることには出来ない。


「……よし」


「何がよしなん?」


「普通に喋ればええ」


「最初からそうせえ」


 その時、外から人の気配がした。


 俺は背筋を伸ばした。


 善次郎も座り直す。


 さっきまでとは空気が違う。


 声が聞こえる。


 そして、一益様が戻ってきた。


「待たせたな」


「いえ」


 俺は立ち上がる。


 一益様の後ろに、もう一人いる。


 俺はすぐに頭を下げた。


「殿。榊屋の虎松を連れて参りました」


「うむ」


 声がした。


 心臓が一度、大きく鳴った。


 織田信長。


 教科書の中にいた男。


 桶狭間で今川義元を討ったばかりの男。


 そして、俺がこの世界へ来てから十年間、一度も直接会うことのなかった男が、今、目の前にいる。


「堺、榊屋の虎松にございます。本日はお目通りを許していただき、ありがとうございます」


 ちゃんと言えた。


 たぶん。


「顔を上げろ」


「はい」


 顔を上げる。


 当然だが、肖像画ではない。


 生きている。


 俺を見ている。


 年齢は二十六ほど。俺より六つ上なだけだ。それでも、ここへ来るまで何度も名前を聞き、つい先日には今川義元を破った本人だと思うと、ただの六歳差には感じられなかった。


 信長様はしばらく俺を見ていた。


 俺も見返す。


 いや、見返したらまずいか。


 少し視線を下げる。


「一益から聞いておる」


「はい」


「月に百挺の鉄砲を作るそうだな」


「はい。善右衛門さんからの大口のご注文が百挺ほどで、今は他のご注文も合わせますと、月に百二十から百三十挺ほどになります」


「増えたのか」


「少しずつですが」


「お前が作るのか」


「いえ」


 信長様が少し笑った。


「そう言うと思った」


「……はい?」


 俺は思わず顔を上げた。


「一益から聞いておると言ったであろう」


「はい」


「お前が一人で百挺作るわけではない。榊屋の中だけで作っておるわけでもない。寸法を決め、仕事を分け、外の職人にも作らせ、それを集めて百挺にしておるそうだな」


 そこまで聞いているのか。


「はい。だいたい、その通りです」


「だいたい?」


「細かく言うと、もう少し色々あります」


「そうか」


 また少し笑う。


 怖い顔をしているわけではない。


 むしろ、思っていたよりよく笑う。


 でも、俺が何を言うのかをずっと見ている。


「俺は、お前の鉄砲を見たかったのではない」


 信長様が言った。


「……はい」


「鉄砲ならもう見た。使った者の話も聞いた。一益からも聞いておる」


 少し間を置く。


「俺が知りたいのは、何故お前のところでは百挺を揃えられるのかだ」


 俺は信長様を見る。


 やっぱり、そこなんだ。


「お聞きになりたいのは、鉄砲の作り方ではないんですね」


「鉄砲の作り方なら、鉄砲鍛冶に聞けばよい」


 信長様は即答した。


「百挺の作り方を聞きたい」


 俺は少しだけ息を吐いた。


 何となく分かった気がした。


 一益様が、なぜ俺をここまで連れてきたのか。


 そして信長様が、なぜわざわざ堺の鍛冶屋の息子を呼んだのか。


 俺が作った一挺を見たいわけではない。


 榊屋という工房が、どうして毎月百挺以上を揃えられるようになったのか。


 その仕組みを聞きたいのだ。


「分かりました」


「うむ」


「どこから話しましょう」


 信長様は俺を見た。


「最初からでよい」


「最初から?」


「百挺作ろうと思ったところから話せ」


「……かなり長くなりますよ」


 言ってから、しまったと思った。


 初対面の相手に言う言葉ではなかったかもしれない。


 だが、信長様は怒らなかった。


 一益様を見た。


「一益」


「は」


「こいつは、話が長いか?」


「かなり」


「ちょっとです」


「かなりです」


「一益様」


 信長様が笑った。


「そうか」


 そして、俺の前を指した。


「座れ」


「はい」


「なら、今日は長くなるな」


 俺は座り直した。


 どうやら織田信長は、俺が思っていたよりずっと話を聞く人らしい。


 ただ、何を聞かれるのかは、まだ分からなかった。


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