使った鉄砲
滝川一益様が榊屋へ来る。
そう聞いてから、俺は聞きたいことを書き出していた。雨の中ではどうだったか。どこが壊れたか。どの部品を交換したか。送った部品はそのまま付いたのか、それとも削ったり穴を合わせたりしたのか。修理したのは誰で、どんな道具を持っていたのか。
鉄砲をどう運んだのか。どこへ置いたのか。どれくらい続けて撃ったのか。汚れた時はどうしたのか。火縄はどうした。火薬は。銃床は。運んでいる途中で壊れたものはなかったか。
考え始めると、いくらでも出てくる。
「……兄上」
「何?」
「まだ増やすんですか」
「思いついたんやからしゃあないやろ」
「一益様は何をしに来るんでしたっけ」
「此度の戦の礼と、話があるって」
「そうですよね」
「うん」
「兄上の質問に答えるためではありませんよね」
「ついでや」
「どちらがついでです?」
「…………」
俺は帳面へ目を戻した。
「聞ける時に聞いとかんと」
「ほどほどにしてください」
「分かっとる」
「昨日も聞きました」
「何を?」
「同じ返事を」
宗次郎はそれだけ言うと、別の帳面を持って離れていった。
信用がない。
いや、ある意味では信用されているのかもしれない。
俺が一益様を質問攻めにするという一点については。
◇
一益様が来たのは、それから数日後だった。
善右衛門と善次郎も来ている。親父もさすがに今日は工房の奥で鉄を叩いているわけにはいかず、俺と一緒に迎えた。
「久しいな、源兵衛殿」
「ご無沙汰しております」
「虎松も」
「はい。ご無沙汰しております」
一益様は俺をしばらく見てから、少し目を細めた。
「大きくなったな」
「工房がですか?」
「……まず、お主がだ」
「あ」
そういう意味か。
一益様が前に榊屋へ来た頃、俺はまだ今よりずっと若かった。自分では毎日自分を見ているから分からないが、あの頃と今では体つきも違うはずだ。
「もう二十歳か」
「はい」
「そうか」
一益様は俺を見た後、今度は工房の方へ視線を向けた。
「だが、工房の方も随分変わったな」
「増えましたから」
「何がだ」
「だいたい全部です」
「全部?」
「人も、仕事も、作る数も、外から入ってくる部品も、置いとく物も」
「なるほど」
一益様は笑った。
以前来た時にも、水車や治具、寸法を揃えるための道具、職人たちが仕事を分けているところを見てもらった。だが、あの頃と今では規模が違う。
工房そのものが広くなり、蔵も増えた。人が増え、外から入ってくるものも増え、それを受け取って確認し、保管し、必要なところへ回す仕事まで増えている。何より、今では月に百挺を超える鉄砲がここから出ていく。
同じ榊屋ではある。
でも、前に一益様が見た榊屋と、今の榊屋はもう同じ工房とは言い切れないくらい変わっていた。
一益様はしばらく工房を眺めていたが、やがて親父の方へ向き直った。
「まず、礼を言わねばならん」
声が少し変わった。
「此度の戦では、こちらへ入れた鉄砲が役に立った。源兵衛殿、善右衛門殿、それに榊屋の皆にも礼を申す」
親父が頭を下げた。
「お役に立てたのであれば、何よりでございます」
善右衛門も続く。
「今後とも必要な物がございましたら、出来る限り揃えさせていただきます」
俺も頭を下げた。
「ありがとうございます」
「ただし」
一益様が俺を見る。
「お主らの鉄砲だけで勝った、などとは思うなよ」
「そらそうでしょう」
「……少しは喜べ」
「いや、役に立ったなら嬉しいです」
「そうは見えんが」
「めっちゃ嬉しいですよ」
これは本当だ。
俺たちが作ったものが実際に使われ、役に立った。それは素直に嬉しい。
ただ、それと桶狭間で織田が勝ったことは別の話だ。
榊屋が今川義元を討ったわけではない。俺たちの鉄砲がなければ織田が負けていた、なんて話でもない。戦場には俺たちの知らない判断があり、動いた人間がいて、命を懸けて戦った人間がいる。
その中の一部で、榊屋の鉄砲が役に立った。
それで十分だ。
「それで、一益様」
「何だ」
「どこ壊れました?」
「……何?」
「鉄砲です」
一益様が俺を見た。
「今、その鉄砲が役に立ったという話をしておるのだが」
「はい。ですから、どこ壊れました?」
「虎松」
善次郎が横から呼んだ。
「何?」
「ちょっと待て」
「何で?」
「何でって」
「聞きたいやん」
「せめて礼の話終わってからにせえ」
「終わったんちゃうの?」
「お前なあ」
一益様が俺と善次郎を交互に見た。
「前からこうだったか?」
「前よりひどなってます」
「善次郎」
「何や」
「余計なこと言うな」
一益様が笑った。
「まあよい。何が聞きたい」
「どこ壊れました?」
「それはもう聞いた」
「ばねは折れました?」
「折れたものはあった」
「何挺くらい?」
「そこまでは覚えておらん」
「ネジは?」
「なくなったものがあるとは聞いた」
「緩んだんですか? それとも外した時になくした?」
「知らん」
「地板は?」
「待て」
「はい」
「一つずつ聞け」
「はい」
一益様が少し疲れた顔をした。
まだ始まったばかりなのに。
◇
結局、場所を移して話を聞くことになった。
俺は帳面を持った。
善次郎が嫌な顔をした。
「ほんまに持ってくるんか」
「忘れるやろ」
「一益様の前やぞ」
「だからやん」
「何がだからやねん」
話を聞いてみると、榊屋から尾張へ送った鉄砲は、当然ながら百挺すべてが一か所へ集められていたわけではなかった。必要なところへ分けられ、以前からある鉄砲と一緒に使われている。
今回の戦でも、榊屋の鉄砲だけで一つの大きな鉄砲隊を作り、それが今川軍を撃ち破った、なんて分かりやすい話ではない。どこかで使われ、別の場所でも使われ、その中にはほとんど問題なく役目を終えたものもあれば、途中で調子を崩したものもあった。
それでいい。
俺が欲しいのは武勇伝ではない。
実際に使った結果だ。
「撃てぬようになるものはありましたか?」
「ある」
「多かったです?」
「多くはない」
「銃身は?」
「銃身そのものが駄目になったという話は、わしが聞いた範囲では多くないな」
「尾栓は?」
「そこも大きな問題は聞いておらん」
俺は帳面に書いた。
「何を書いておる」
「問題なかったところです」
「壊れたところだけではないのか」
「壊れへんかったところも大事なんで」
「そういうものか」
「そういうもんです」
問題が出たところには、もちろん理由がある。
だが、問題が出なかったところにも情報がある。一度の戦で大丈夫だったから、これからも絶対に大丈夫だとは言えない。それでも、どこに不具合が集中し、どこには出なかったのかが分かれば、次に見る場所を決められる。
壊れたものだけを見ていたら、全部が悪かったように見える。
壊れなかったものまで一緒に見れば、どこに違いがあるのかを考えられる。
「ばねは、やっぱり何本か折れたんですね」
「そう聞いておる」
「交換は?」
「送られていたものを使った」
「そのまま付きました?」
「……そこまで細かい話を聞くとは思わなんだな」
「めっちゃ大事です」
「少し手を入れたものがあるそうだ」
「どれくらい?」
「知らん」
「削った?」
「そこまでは知らん」
「穴位置は?」
「知らんと言うておる」
「誰が直したんです?」
「虎松」
「はい」
「わしは鉄砲鍛冶ではないぞ」
「知ってます」
「なら、わしが何でも知っていると思うな」
「ですよねえ」
「何故少し残念そうなのだ」
仕方がない。
でも、一つ分かった。
送った交換部品が、すべてそのまま何もせず付いたわけではない。
これは想定していた。
榊屋の鉄砲は、同じように作るようにはしている。榊家寸を使い、治具を使い、見本を作り、なるべく同じ場所が同じ寸法になるようにしている。
だが、完全に同じではない。
最近作った同じ型の鉄砲同士なら部品が合いやすい。それでも最後には手で合わせているところがあるし、少し古い鉄砲になれば違いも大きくなる。
だから、予備部品を送れば全部そのまま付くとは思っていなかった。
問題は、どれくらい合わせれば使えるのかだ。
「でも、直せたんですよね」
「ああ」
「現地で?」
「そうだ」
「堺に戻さず?」
「戦の最中に堺まで持っていけるか」
「ですよね」
それが知りたかった。
完全に同じ部品ではない。でも、少し合わせれば使える。少なくとも今回、現地にいる人間が持っている道具と技量で直せたものがある。
完全に同じ部品をどの鉄砲へ持っていっても、その場で入れ替えるだけで直る。
そこまでは、まだ出来ていない。
でも、壊れた鉄砲を堺まで戻して、榊屋の職人が一から部品を作り直さなければ直らない状態からは、確実に前へ進んでいる。
今やっていることには意味がある。
だからこそ、次にどこを良くすればいいのか知りたい。
「ほかに困ったことありませんでした?」
「ほか?」
「部品が合わん以外で」
一益様は少し考えた。
「どの鉄砲に、どの部品を使えばよいのか分からんものがあったそうだ」
「……え?」
「お主らが送った箱には、分けて書いてあったのだろう?」
「はい」
いつ頃作った鉄砲に合いやすいか。どの種類の部品なのか。箱を開けた時に分かるようにはしていた。
「だが、鉄砲の方が分からん」
「鉄砲?」
「いつ作ったものか分からんのだ」
「…………あ」
言われてみればそうだった。
「最初から一か所にあるならまだよい。だが、鉄砲は人と一緒に動く。別のところへ回されることもある。持っていた者が変わることもある。壊れたものだけ何挺かまとめて持ってこられることもある」
「……はい」
「榊の印があることは分かる」
「はい」
「だが、それだけだ」
俺は黙った。
榊屋の中なら分かる。
帳面がある。いつ作ったのか。どの頃の寸法なのか。どこへ出したのか。全部ではないにしても、かなり追えるようになっている。
でも、その帳面は榊屋にある。
鉄砲は尾張にある。
榊屋の中ではつながっていた情報が、鉄砲が工房を出た瞬間に切れている。
鉄砲そのものにあるのは、榊屋が見て出したことを示す印だけだ。その印は誰が責任を持って出したものなのかを示せるが、いつ作ったのか、どの頃の寸法で作られたのかまでは教えてくれない。
印を付ければ終わりではなかった。
何のための印なのか。
何を分かるようにしたいのか。
必要な情報によって、残すものも変わる。
「……作った後まで追いかけなあかんのか」
「兄上が始めたんでしょう」
横にいた宗次郎が言った。
「そうやけど」
「どの頃のものか分かれば、部品も選びやすくなりますね」
「なるな」
「なら、鉄砲の方にも何か残しておく必要があるのでは?」
「……なるなあ」
これは考えた方がいい。
一挺ずつ全部に違う番号を付ける必要があるかは分からない。そこまで細かくして、今の榊屋で管理しきれなければ意味がない。
でも、少なくともいつ頃作ったのか、どの型なのか、そのくらいは鉄砲を見れば分かるように出来るかもしれない。
印でもいい。
組み合わせでもいい。
榊屋に残っている帳面と、外に出ていった鉄砲をもう一度つなげられる何か。
方法は後で考えればいい。
まず、問題があることが分かった。
「他には?」
「まだ聞くのか」
「せっかくなんで」
一益様はため息をついた。
「お主らは、鉄砲を丁寧に扱いすぎる」
「……はい?」
「工房ではどう扱っておる」
「普通に」
「その普通が違う」
一益様によれば、戦場で鉄砲は俺たちが思っているほど丁寧には扱われないらしい。持って走る。地面へ置く。何かにぶつける。雨に濡れる。泥が付く。急いで撃つ。手入れをしたくても、その場で十分に出来るとは限らない。
移動するなら荷と一緒に運ぶ。兵が疲れていれば扱いも雑になる。何より、鉄砲を傷付けないことより、自分が生き残ることの方が大事だ。
「…………」
「何だ」
「もうちょい大事に使ってください」
「戦場で言ってこい」
「嫌です」
「なら諦めろ」
それは嫌だ。
でも、一益様の言っていることも分かる。
俺たちは鉄砲を作る側だ。
工房では鉄砲を落とさない。雨の中に放っておかない。泥の上へ置かない。調子がおかしければ、その場で道具を持ってきて見ることが出来る。部品が合わなければ、すぐそこに職人がいる。
それを普通だと思ってはいけない。
工房の普通と、使う場所の普通は違う。
なら、使う場所の普通に耐えられるようにするか、耐えられなかった時に直しやすくする必要がある。
丁寧に扱えば壊れない鉄砲と、戦場で普通に扱われても壊れにくい鉄砲は、同じではない。
そして、壊れないものを作ることだけが答えでもない。
どんなに丈夫に作っても、使う以上はいつか壊れる。なくす部品もある。なら、壊れた時にどうするのかまで含めて考える必要がある。
これは、今までの俺がほとんど見ていなかったところだった。
「……見に行きたいな」
思わず口に出た。
「何をだ」
「使っとるところです」
「戦場をか?」
「戦の最中は嫌です」
「都合のよい奴だな」
「死にたくないんで」
一益様が笑った。
◇
一通り話を聞いた頃には、俺の帳面にはかなり書き込みが増えていた。
一益様が全部の質問に答えられたわけではない。むしろ「知らん」と言われたことの方が多い。
でも、それでいい。
何を知らないのかが分かった。
俺が知りたいことを誰が知っているのかも、少し見えてきた。
戦場にいた武将が知っていること。
実際に鉄砲を撃った者が知っていること。
壊れた鉄砲を直した者が知っていること。
鉄砲を運んだ者が知っていること。
同じ「使った」という一言の中にも、それぞれ違う情報がある。
「虎松」
「はい」
「お主は、鉄砲を売りたいのか?」
「売りたいですよ」
「そうか」
「売れんと困ります」
「なら何故、売れた話より壊れた話を聞いて喜ぶ」
「喜んでます?」
「少なくとも、役に立ったと言った時より楽しそうだ」
「……そうですか?」
善次郎が横で大きく頷いている。
お前は黙ってろ。
俺は少し考えた。
「壊れたところ分かったら、次のは壊れにくく出来るかもしれんからです」
一益様が黙った。
「壊れへんように出来んでも、直しやすくは出来るかもしれません。今回みたいに部品送るなら、もっと分かりやすく出来るかもしれんし」
「それで、また売るのか」
「はい」
「なるほど」
一益様は少し笑った。
「前に来た時から妙な奴だとは思っておったが、変わらんな」
「褒めてます?」
「どうだろうな」
どっちだ。
「だが」
一益様が工房の方を見た。
「ここは変わった」
「はい」
「前に来た時にも、変わった作り方をしておると思った。物差しを揃え、治具を作り、仕事を分けておったな」
「はい」
「今は、それをもっと大きくしたわけか」
「そうですね」
「外で作らせた部品まで使って」
「はい」
「それで月に百挺以上出す」
「今は百二十から百三十くらいです」
一益様が俺を見た。
「……増えたのか」
「増えました」
「半年ほど前は百挺と聞いたぞ」
「小口も増えたんで」
「簡単に言うな」
「簡単ではないですよ」
「そうであろうな」
簡単なわけがない。
百挺を作れるようになったから、翌月から何もしなくても百挺が出来るわけではない。人が増えれば教える必要がある。外から部品を買えば、届いたものを見る必要がある。在庫を持てば数えなければならない。作る数が増えれば、それまで見えなかったところが詰まる。
一つ直せば、次が詰まる。
そこを直せば、また別のところが詰まる。
それを何年も繰り返して、ようやく今がある。
一益様はしばらく考えるように黙った。
それから言った。
「実は、今日はもう一つ用がある」
「はい」
俺は帳面へ書こうとしていた手を止めた。
「殿がお主に会いたいと仰せだ」
「はい」
「…………」
「…………」
一益様が俺を見る。
「聞いておるか?」
「聞いてます」
「なら何故そんな顔をしておる」
「殿って誰です?」
「虎松!」
善次郎が声を上げた。
「何や!」
「分かるやろ!」
「一応確認しただけや!」
一益様が額を押さえた。
「織田信長様だ」
「……やっぱり」
「他に誰がおる」
「いや、一益様が殿って言う人、他にもおるかもしれんやん」
「おらん」
「そうですか」
「お主、本当に分かっておるのか」
「分かってます」
織田信長。
知っている。
知りすぎている。
前の世界で戦国時代に詳しくなかった俺でも知っていた。桶狭間で今川義元を破り、この先さらに勢力を広げていく男。
その本人が。
「……俺に会いたいんですか?」
「そう言っておる」
「何で?」
「鉄砲だ」
「鉄砲?」
「正しくは、鉄砲だけではない」
一益様が言った。
「殿は、お主らがどうやってこれだけの数を揃えておるのか知りたがっておる」
「……作り方ですか?」
「鉄砲一本の作り方ではない」
一益様は周囲を見た。
「前にここへ来た時、わしも妙だと思った。一人の腕のよい鍛冶が、最初から最後まで作っておるわけではない。仕事を分け、同じ道具を使わせ、同じような寸法で作り、外の職人にまで仕事を出しておる」
「はい」
「それで数を揃える」
「はい」
「以前は、それでも本当に続くのかと思っておった」
「まあ、俺らも思ってました」
「お主もか」
「そらそうですよ」
一益様が笑った。
「だが続いた。百挺を揃え、その後も同じほどを出し続けておる。今は百挺を超えておると言う」
「はい」
「殿は、そこに興味を持たれた」
俺は少し黙った。
信長が榊屋の鉄砲を気に入った。
そう言われるより、ずっと怖い話だった。
鉄砲そのものではない。
どうして百挺作れるのか。
そこを見ている。
「何故、これだけの数を、同じ頃合いに揃えて出せる」
一益様が言った。
「殿は、それをお主から聞きたいそうだ」
「俺から?」
「源兵衛殿からでも、善右衛門殿からでもない。お主からだ」
俺は親父を見た。
親父も俺を見ていた。
俺が始めたことだから、俺に聞きたい。
理屈は分かる。
だが、相手は織田信長だ。
「……どうする」
一益様が聞いた。
尾張へ行く。
織田信長に会う。
言葉にすれば、それだけだ。
だが、俺は榊屋を離れることになる。何日掛かるのか分からない。行って、話して、そのまますぐ帰れるとも限らない。
その間にも榊屋は動く。
百挺を作る。
小口の注文もある。
修理も来る。
外から部品も入ってくる。
検査も必要だ。
問題が起きるかもしれない。
昔なら、すぐには決められなかったと思う。
俺がいなければ分からないことがあった。俺がいなければ止まる仕事があった。俺が決めなければ、誰も先へ進めないことがあった。
それを減らそうとしてきた。
俺一人が上手くなるのではなく、みんなが同じように作れるようにした。
俺の頭の中だけにあるものを、寸法にした。治具にした。見本にした。帳面にした。
仕事を分けた。
誰が何を出来るのかを見るようにした。
外へ出せる仕事と、中に残さなければならない技術を考えた。
俺が全部やらなくてもいい工房を作ろうとしてきた。
今は。
「兄上」
宗次郎が呼んだ。
「何?」
「行ってきたらいいんじゃないですか」
「え?」
「尾張へ」
「でも」
「何です?」
「俺おらんで大丈夫?」
「数日いないくらいなら」
「ほんまに?」
「戻ってきた時に全部兄上の仕事になっていてほしいなら、そうしますけど」
「ごめんなさい」
宗次郎が少し笑った。
「兄上がいなくても、榊屋は止まりませんよ」
俺は工房を見た。
槌の音がする。
五平が若い職人の仕事を見ている。弥吉が鉄を叩き、新八が出来た部品を見ている。佐吉が仕事を振り、甚助もいる。
親父もいる。
宗次郎が帳面を持っている。
工房の外には、お蓮がいる。嘉兵衛がいる。ほかにも、榊屋の仕事を受けてくれる人たちがいる。
善右衛門の商いがある。
俺がいなくても、全部が止まるわけではない。
昔は、それを目指していた。
俺一人が上手くなるのではなく、俺がいなくても仕事が進むようにしたいと思っていた。
治具を作った。
寸法を決めた。
仕事を分けた。
教え方を変えた。
そして今、その結果が目の前にある。
俺がいなくても動く工房を作ろうとしてきた。
その工房が初めて、俺を工房の外へ出してくれる。
「虎松」
一益様が呼んだ。
「どうする」
俺はもう一度、工房を見た。
ここで鉄砲を作ることは出来る。
どうすればもっと作れるかも、まだまだ考えられる。
でも、作った鉄砲がどう使われているのか、俺はまだ知らない。
それだけではない。
日ノ本のものづくりを変えてみたい。
俺は宗次郎に、そう言った。
ずいぶん大きなことを言ったものだと思う。
なのに俺は、榊屋の外のものづくりをほとんど知らない。尾張の職人が何をしているのかも知らない。俺たちの鉄砲を使う人間が、どんな場所で、どんな道具を持ち、何に困っているのかも知らない。
知らないことばかりだ。
なら、見に行けばいい。
「……行きます」
一益様が頷いた。
「尾張へ?」
「はい」
織田信長に会う。
それだけでも十分すぎる理由だった。
でも、それだけではない。
「俺も、見てみたいです」
「何をだ」
「うちの鉄砲が、向こうでどう使われとるのか」
一益様は少しだけ笑った。
「なら、自分の目で見るとよい」
工房の中では、槌の音が続いていた。
俺が尾張へ行くと決めても、誰も仕事を止めてはいない。弥吉の槌は鳴り、新八は部品を見て、佐吉は次の仕事を動かしている。
少しくらい、寂しがってくれてもいいんじゃないかと思った。
でも。
それ以上に、嬉しかった。




