残すもの
翌朝。
家を出てから工房まで、親父と二人だった。
いつもなら宗次郎も一緒になることが多いのだが、今日は少し遅れて来るらしい。おかげで、昨日の晩に母ちゃんから言われたことを誤魔化す相手がいない。
歩きながら、何度か親父を見る。親父も何も言わない。
昨日ほど腹は立っていない。だからといって、何もなかったことにするのも違う。
「……親父」
「何や」
「昨日は悪かった」
「……おう」
終わった。
思ったより簡単だった。
そう思ったら、親父も少しして口を開いた。
「俺も悪かった」
「……おう」
また終わった。
俺たちはそのまま歩いた。
「これでええ?」
「知らん」
「母ちゃんには謝った言うといてな」
「お前が言え」
「何でや」
「自分で言えや」
「親父から言うても一緒やろ」
「また喧嘩するぞ」
「……やめよ」
「せやな」
昨日の晩に比べれば、かなり進歩したと思う。
仲直りはした。
問題は何一つ解決していない。
◇
工房に着いて最初にしたのは、鉄を触ることでも、昨日の続きを確認することでもなかった。
紙を広げた。
筆を持つ。
何を残すか。
昨日、最後まで頭に残っていた言葉だった。
親父は、全部を榊屋で作れとは言っていない。俺も、全部を外へ出したいわけではない。
なら、何を榊屋に残すのか。
そこを決めればいい。
まず、鉄砲を作る仕事を思いつくまま書いた。
銃身。
地板。
火ばさみ。
ばね。
ネジ。
鋲。
軸。
台木。
ほかにも細かな金具がある。
さらに、それらを組み立てる。合わせる。調整する。見る。撃つ。直す。
書いてみると、「鉄砲一挺を作る」という短い言葉の中には、随分いろんな仕事が入っている。一人の職人が最初から最後まで抱えていた頃には一つに見えていた仕事が、百挺を作るために工程を分け、人を分け、外の職人まで使うようになったことで、今ではいくつもの仕事として見えるようになっていた。
「兄上、何をしているんです?」
声がして顔を上げると、宗次郎がいた。
「榊屋で残す仕事を決めとる」
「どうやって?」
「……今考えとる」
「昨日からそればっかりですね」
「うるさい」
宗次郎が紙を覗き込んだ。
「鉄砲の仕事ですか」
「うん」
「これをどうするんです?」
「分ける」
「何と何に?」
「榊屋で作るもんと、外に出してもええもん」
「なるほど」
言ってから、筆を持った。
ネジ。
これは外でもいい。
嘉兵衛がすでに作っているし、他にも榊家寸へ合わせて作ろうとしている職人が出てきている。
鋲。
これも外でいいだろう。
軸も、必要な寸法と仕上がりを守れるなら外で作れる。
地板。
お蓮のところで作っている。
なら外。
ばね。
ここで手が止まった。
「……ばねは?」
「私に聞かれても」
「外で作れると思う?」
「作れる人がいれば作れるんじゃないですか」
「そらそうや」
問題はそこではない。
外で作れるかどうかだけなら、腕のいい職人を見つければ大抵のものは作れる。実際、お蓮や嘉兵衛に頼んでいる仕事だって、榊屋でなければ絶対に出来ないものではなかったから外へ出せた。
では銃身はどうだ。
さすがに銃身は榊屋に残す。
そう書こうとして、また止まった。
「兄上?」
「いや」
「何です?」
「もし、うちより上手い銃身作る奴が出てきたらどうする?」
「買うんじゃないですか?」
「……そうなるよな」
榊屋より真っ直ぐで、丈夫で、数も揃えられて、値も悪くない銃身を作る工房があったとして、それでも「銃身は榊屋で作るものだから」という理由だけで内製を続けるのか。
それは、俺がやりたいことではない。
では、銃身も外。
そう書こうとして、それも違うと思った。
銃身を作れない鉄砲屋。
それが絶対に駄目なのかと聞かれれば、昨日までの俺なら「別にいい」と答えたかもしれない。自分たちより上手く、安定して作れるところがあるなら、そこから買えばいい。その分、榊屋は別の仕事をすればいい。
理屈だけなら、今でも間違っているとは思わない。
だが、親父が言った言葉が引っ掛かる。
買わな作れんのと、作れるけど買うんは違う。
「……これ、分け方が違うんかな」
「何がです?」
「残す仕事と外へ出す仕事」
紙を見る。
ネジ。
鋲。
軸。
地板。
ばね。
銃身。
部品の名前をいくら眺めても、答えが出る気がしなかった。
◇
考えながら工房を歩いていると、甚助のところで足が止まった。
松之助が台木を削っている。
元は大工だっただけあって木を扱う手は慣れているが、鉄砲の台木となれば話は別らしい。甚助が横に立ち、松之助の手元を見ていた。
「そこ、もう一回見ろ」
甚助が言った。
「ここですか?」
「俺に聞くな。自分で見ろ」
松之助が手を止めた。削ろうとしていたところを見て、木目を追い、台木を少し傾ける。しばらくして何かに気付いたらしく、持ち方を変えた。
「あ」
「分かったか」
「はい」
「ほなやれ」
松之助が削り始める。
甚助は手を出さない。
俺は少し離れたところから、それを見ていた。
「何や」
甚助がこっちを見た。
「いや」
「朝から気色悪いな」
「何でやねん」
「昨日あれだけ騒いどいて、今日は黙って人の仕事見とるからや」
「……甚助」
「何や」
「仕事を残すって、作り続けることなん?」
「知らん」
「昨日あんな偉そうなこと言うたやん!」
「考えるんはお前の仕事やろ」
「投げた!」
甚助は笑った。
松之助も少し笑っている。
「まあ」
甚助は松之助の台木を見た。
「俺が死んでも、こいつが出来るようになっとったら、残ったことになるんちゃうか」
松之助の手が止まった。
「甚助さん、死ぬんですか」
「今すぐ死なんわ!」
「紛らわしいこと言わんでください」
「例えや!」
昨日から例え話に振り回されている気がする。
だが、俺は甚助の言葉を頭の中でもう一度繰り返した。
俺が死んでも、こいつが出来るなら残る。
甚助が毎日、全部の台木を自分で削る必要はない。むしろ今は、松之助に削らせている。甚助自身が手を動かす量だけを見れば、前より減っているかもしれない。
それでも、甚助が持っているものは消えていない。
松之助へ移っている。
なら、技術を残すというのは、同じ人間が同じ仕事を永遠に続けることではない。
「……作る数の話ちゃうんか」
「何が?」
「いや、こっちの話」
「また変なこと考えとるな」
「うん」
「認めるんか」
俺はそのまま五平のところへ向かった。
◇
「五平」
「嫌や」
「まだ何も聞いてへん!」
「昨日からお前に聞かれると面倒な話になる」
「ちょっとだけ!」
「嫌や」
「一個だけ!」
「何や」
「榊屋で、何残したらええと思う?」
「知らん」
「即答すんな!」
「そんなもん俺に聞くな」
「じゃあ、一つだけ選ぶなら?」
「何で俺が選ばなあかんねん」
「ええやん。五平が一番、なくなったら困ると思うもん」
「お前」
「え」
「お前がおらんようになったら、面倒なこと考える奴おらんようになるやろ」
「……何か嬉しいような嬉しくないような」
「喜んどけ」
五平は手を動かしながら、しばらく考えていた。
「一つだけ言うなら」
「うん」
「鉄砲一挺、最初から最後まで分かる奴は残せ」
俺は少し考えた。
「全部作れる奴?」
「ちゃう」
「違うん?」
「全部一番上手く作れる必要なんかない。銃身なら俺より上手い奴がおってもええ。ネジなら嘉兵衛の方が上手くてもええ。台木なんか甚助にやらせた方がええ」
「うん」
「せやけど、鉄砲一挺見て、何でそこにその部品があるんか、悪かったらどこに響くんか、どこ直したらええんか。それくらいは分かる奴がおらんと怖いやろ」
俺は紙に書いた部品を思い出した。
ネジ。
地板。
ばね。
銃身。
一つ一つを別々に見ていた。
だが鉄砲になれば、全部が繋がる。
ネジ一本が悪ければ、それだけで終わるとは限らない。締まりが悪ければ部品が動く。位置がずれれば別の部品へ影響する。ばねの強さが変われば動きが変わり、地板の穴の位置が少し違えば、その上に付くものまで変わる。
外から来た部品を見るにしても、その部品だけ見て終わりではない。
鉄砲のどこで、どう働くものなのかを知らなければ、本当に使えるか判断出来ない。
「全部作れる必要はない。でも全部分かる奴はいる」
「そういうことや」
「五平、それ出来る?」
「出来るわ」
「親父は?」
「出来る」
「弥吉は?」
「出来るやろ」
少し離れたところから声がした。
「出来るで」
「聞いとったんか!」
弥吉だった。
「俺の名前出たから」
「ちょうどええ。弥吉」
「何や」
「鉄砲一挺、一人で作れる?」
「作れるで」
「銃身も?」
「作れる」
「地板も?」
「作れる」
「ネジも?」
「作れる」
「ばねも?」
「作れる」
「台木も?」
「甚助ほどやないけど、作れ言われたら」
「……腹立つな」
「何でや!」
何でも出来る。
こういう奴がいるから話がおかしくなる。
「じゃあ弥吉」
「何や」
「ネジの作り方、庄吉に教えて」
「ええで」
「どう教える?」
「どうって……」
弥吉は少し考えた。
「こう、やったらええ」
「出たよ!」
「何がや!」
「それで教えられたら苦労せんねん!」
「見せたら分かるやろ!」
「お前はな!」
五平が笑っている。
「弥吉は昔からそうや」
「五平も笑っとらんで助けて!」
「無理や。こいつは見て覚える奴や」
弥吉は不満そうだった。
「ちゃんと教えられるで」
「ほな、ばねの曲げ方説明して」
「ここ持ってな」
「うん」
「火ぃ入れて」
「うん」
「色見て」
「どの色?」
「ええ色」
「出た!」
「分かるやろ!」
「分からん奴に教える話しとんねん!」
やはり駄目だった。
だが、これも大事なことだった。
弥吉がいれば技術が残る。
半分は正しい。
弥吉が死ねばどうする。
弥吉が十人の弟子を持ったとして、その十人全員が弥吉と同じように見て覚えられるとは限らない。弥吉にとっては一目で分かる違いでも、別の人間には何を見ればいいのかすら分からないことがある。
だから俺たちは寸法を決めた。
治具を作った。
見本を作った。
言葉に出来るものは言葉にし、形に出来るものは形にした。
弥吉の腕は必要だ。
だが、弥吉一人の腕の中に技術を閉じ込めてはいけない。
「なるほどなあ」
「何が?」
弥吉が聞く。
「お前、やっぱり危険物やわ」
「何でやねん!」
◇
次に新八のところへ行った。
新八は外から入ってきた部品を見ていた。
「新八」
「何や」
「それ、悪い?」
「こっちはええ。こっちは直した方がええ」
二つの部品を指す。
「何で?」
「ここ」
新八が指で示した。
「寸法?」
「寸法は入っとる」
「じゃあ何?」
「仕上げや。ここ荒いやろ。このまま組んだら動き悪なるかもしれん」
見る。
言われれば分かる。
だが、物差しを当てても数字としては問題ない。
「これ、物差しだけで分かる?」
「無理やな」
「人に教えられる?」
「教えられるで」
「どうやって?」
「ええやつと悪いやつ並べたら早いやろ」
俺は止まった。
「……それや」
「何が?」
「新八、それ取っといて」
「悪いやつ?」
「うん」
「何に使うんや」
「見本」
「悪い見本?」
「そう」
寸法だけでは伝えられない。
なら、実物を残せばいい。
良いもの。
少し直せば使えるもの。
使わない方がいいもの。
それらを並べて、何が違うのかを残しておく。どこを見るのか。なぜ駄目なのか。どこまでなら直せるのか。
物差しが数字を残すなら、見本は判断を残せる。
もちろん、見本があれば誰でも新八になれるわけではない。実際に触り、組み、失敗を見て覚えることも必要だろう。それでも、何もないところから「見れば分かるようになれ」と言われるよりはずっといい。
「新八」
「何や」
「これ、他にも作ろう」
「悪いもんを?」
「わざと作るんちゃうぞ!」
「分かっとるわ」
「出たやつ取っとくんや。何で駄目やったかも一緒に」
「邪魔にならん程度にな」
「そこは宗次郎とお澪に怒られんように考える」
「もう怒られる前提なんやな」
置き場所を増やせば、たぶん二人とも何か言う。
そこは間違いない。
◇
俺は最初に広げた紙のところへ戻った。
書いたものを見る。
ネジ。
鋲。
軸。
地板。
ばね。
銃身。
台木。
その横に、外へ出す、残す、と書こうとしていた。
消した。
「消すんですか?」
いつの間にか宗次郎が戻ってきていた。
「うん」
「決めるんじゃなかったんです?」
「決める」
「では、なぜ消すんです?」
「分け方が違った」
新しいところへ書く。
作り方を知っている者。
良し悪しを判断出来る者。
直し方を分かっている者。
人に教えられる者。
鉄砲一挺を最初から最後まで分かる者。
寸法。
見本。
治具。
書いてから、しばらく眺めた。
「部品の名前が消えましたね」
「うん」
「残すものを決めていたんじゃないんですか」
「決めとる」
「部品じゃないんですか」
「たぶんな」
俺自身、まだ完全に言葉には出来ていなかった。
ネジを榊屋で毎月百本作り続ける。
それは、仕事を残す一つの方法ではある。
だが、それだけではない。
外からネジを買うようになっても、どうやって作るのかを知っている人間がいる。良し悪しを判断出来る。悪ければ、どこが悪いのか説明出来る。必要なら、自分たちでも作れる。
それなら、ネジを作る仕事そのものを毎日続けなくても、榊屋からネジの技術が消えたことにはならないのではないか。
逆に、榊屋の中で毎日ネジを作っていても、一人の職人しか作れず、誰にも教えず、その人間がいなくなった瞬間に作れなくなるなら、それを「残した」と言っていいのか。
作業が残っていることと、技術が残っていることは、同じではない。
残すべきなのは、仕事を再び出来る力なのかもしれない。
「兄上」
「何?」
「誰が出来るかも書いた方がいいんじゃないですか」
「……何で?」
「『誰かが出来る』では、いなくなった時に分からないでしょう」
俺は宗次郎を見た。
「何です?」
「お前、たまに怖いな」
「何でですか」
「十五、六で言うことちゃうやろ」
「兄上が考えなさすぎなんじゃないですか」
「言うようになったな!」
だが、その通りだった。
別の紙を出す。
今度は仕事を書き、その横に人の名前を書いていった。
銃身。
親父。
五平。
弥吉。
俺。
俺は一応作れる。
ただし、親父や五平と同じところまで出来るかと言われれば、まだ違う。
地板。
親父。
五平。
弥吉。
佐吉。
俺。
ネジ。
五平。
弥吉。
俺。
外には嘉兵衛。
調整。
親父。
五平。
弥吉。
佐吉。
俺。
検査。
新八。
五平。
親父。
俺。
全部を正確に書き始めると、思っていた以上に時間が掛かった。
甚助は木の仕事に強い。
新八は見る仕事に強い。
佐吉は一通り分かるし、若手へ仕事を振ることも出来る。
弥吉は腹が立つくらい何でも出来るが、教えるとなると怪しい。
五平は、ほとんどどこにでも名前が出てくる。
「……五平多ない?」
「多いですね」
「名人頼みやめたつもりやったんやけど」
「作る数は減ったんじゃないですか?」
宗次郎が言った。
俺は紙を見る。
「……あ」
そういうことか。
五平が百挺分の部品を一人で作ることは、もうない。
昔に比べれば、五平が手を動かさなければ止まる仕事はかなり減った。治具を作り、寸法を揃え、若手にも仕事を渡し、外にも出した。生産するという意味では、名人一人に依存する工房から随分離れたはずだった。
だが、困った時に五平へ聞く仕事は多い。
判断に迷った時。
若手が失敗した時。
見たことのない不具合が出た時。
作り方そのものを考え直す時。
五平の持っている知識に頼っている部分は、まだかなり大きい。
作業としての名人依存は減った。
知識としての名人依存は残っている。
「これも移さなあかんのか」
「何をです?」
「五平の頭の中」
「どうやって?」
「……今考えとる」
「またですか」
「うるさい!」
◇
「何やこれ」
親父が紙を覗き込んだ。
「榊屋で誰が何出来るか書いとる」
「何で?」
「残すため」
親父が紙を見る。
「俺の名前多いな」
「五平も多い」
「そらそうやろ」
「弥吉も多い」
「そらそうやろ」
「親父」
「何や」
「これ、親父と五平が明日二人ともおらんようになったら、結構困るな」
「勝手に殺すな」
「例えや!」
「昨日から例えで人殺しすぎや」
「甚助も自分殺してたからええやろ」
「よくないわ」
親父は呆れながら、もう一度紙を見た。
「でもまあ」
「うん」
「こうして見ると、分かるな」
「何が?」
「誰に何覚えさせなあかんか」
俺も紙を見る。
若手の名前は少ない。
庄吉。
千吉。
松之助。
出来ることは増えている。
だが、親父や五平に比べれば空白だらけだ。
「若いからな」
親父が言った。
「うん」
「今出来んのは別にええ」
「覚えたらええもんな」
「せや」
俺は宗次郎の名前が書かれたところを見た。
少ない。
もっとも、何もやってこなかったわけではない。
前に宗次郎自身が工房の仕事も覚えたいと言い出したことがあった。それからしばらくは、実際に手を動かさせた。道具の扱いを覚えさせ、簡単な仕事をやらせ、鉄砲がどういう順番で形になっていくのかも横で見せた。
ところが榊屋の仕事が増えるにつれ、宗次郎には別の仕事が集まるようになった。
材料の手配。
外へ出した仕事の戻り。
誰がどの仕事をするのか。
来月、何を何個作るのか。
そちらの方があまりに上手かったので、気が付けば俺たちも宗次郎に帳面を渡し、予定を聞き、材料のことを聞くようになっていた。
現場へ入りたいと言っていた弟を、いつの間にか俺たちの方が現場から遠ざけていたのかもしれない。
「宗次郎」
「はい」
「お前、前に現場やりたい言うてたよな」
「言いましたね」
「最近、全然やってへんな」
「兄上たちが仕事を持ってくるので」
「俺らのせい!?」
「かなり」
何も言えなかった。
思い返せば、俺も「あれどうなった」「これいつ戻る」「来月足りるか」と聞いてばかりだった。
「……やりたい?」
「現場ですか?」
「うん」
宗次郎は少し考えた。
「やりたいですよ」
思っていたより、あっさり返ってきた。
「ただ、前みたいにずっと入るのは難しいでしょうね。今の仕事もありますから」
「そらそうやな」
「でも、覚えられるなら覚えたいです」
「鉄砲一挺作れるくらい?」
「すぐには無理でしょうけど」
「俺も手伝う」
「兄上がですか?」
「何やその顔」
「途中で別のこと思いついていなくなりそうだなと」
「否定出来へん!」
親父が鼻で笑った。
「五平に見てもらえ」
「親父は!?」
「俺でもええけど、お前ら二人一緒やと喧嘩するやろ」
「宗次郎と喧嘩せんわ!」
「お前と俺や」
「ああ」
「そこ間違えるんか」
宗次郎が笑った。
こいつは鉄砲がどう流れて出来上がるのかをよく知っている。材料がいつ必要で、どの仕事が遅れれば次が止まり、外へ何を頼み、いつ戻さなければならないのか。そういう流れなら、俺より細かく把握している時すらある。
だが、自分の手で一挺を最初から最後まで作れと言われれば、まだ出来ない。
それが悪いわけではない。
宗次郎には宗次郎の仕事がある。
ただ、流れを知っている人間が、流れている仕事そのものまで知れば、見えるものは増えるだろう。
地板一枚を帳面の上の「一枚」ではなく、それを作る難しさごと見られるようになる。銃身一本の遅れを「一日遅れた」と数えるだけではなく、なぜ一日では取り戻せないのかまで分かるようになる。
何より、まだ十五、六だ。
今出来ないことは、これから覚えればいい。
「ほな、また少しずつ入れ」
「はい」
「今度は有耶無耶にせんようにな」
「それ、兄上が言います?」
「……一緒に気を付けよう」
「そうしてください」
宗次郎は素直に頷いた。
◇
紙を見ながら、ようやく一つ分かったことがあった。
「親父」
「何や」
「俺、外に仕事出したら、中の職人はいらんようになると思っとった」
「そこまで言うてたか?」
「いや、全部やないで。単純な仕事をずっとせんでよくなるって意味」
「うん」
「でも、ちょっと違うな」
外で作ってもらえば、中でその部品を百個作る人間は要らなくなるかもしれない。
だが、外から来た百個を見て、本当に使えるか判断する人間は必要になる。
不良が出た時、何が悪いのかを見つける人間もいる。外の職人へ「ここを直してくれ」と伝えるなら、なぜ直す必要があるのかを理解していなければならない。
さらに、部品ごとには問題がないのに、組んだら動かないこともある。
その時に地板屋へ聞くのか、ネジ屋へ聞くのか、ばねを疑うのか、それとも組み方を見るのか。それを判断するには、どこか一つの工程だけを知っていても足りない。
そして最後には、それらを一挺の鉄砲へ組み上げ、合わせ、撃ち、自分たちの名前で出す。
「外に作ってもらうなら」
俺は紙を見た。
「中は、もっと分かっとかなあかんのか」
親父はしばらく何も言わなかった。
「……そうかもしれんな」
「親父もそこまでは考えてへんかった?」
「考えとったことにしといた方が格好ええか?」
「やめとけ」
「せやな」
親父が笑った。
「俺はただ、作れんようになるんが嫌やっただけや。何をどこまで残したらええかなんて、そこまでは考えとらん」
「一緒やな」
「何が」
「俺も、どこまで外に出したらええか考えてへんかった」
「似たもん同士やな」
「それは母ちゃんに言われすぎたからもうええ」
「俺もや」
昨日よりは、普通に話せるようになっていた。
「親父」
「何や」
「榊屋でネジ作るの、やめてもええ?」
「……お前なあ」
「最後まで聞け!」
「何や」
「毎月、数揃えるために作るんはやめる。嘉兵衛らから買えるなら買う」
「うん」
「でも、作り方分かる奴は残す。若い奴にも一回作らせて終わりやなくて、必要なら作れるところまでは覚えてもらう。たまには実際に作る。嘉兵衛のネジがおかしかったら、何がおかしいか分かるようにする」
親父は黙って聞いている。
「地板も同じ。鋲も軸も。全部をずっとうちで作る必要はない。でも、何も分からんようにはせん」
「……うん」
「これなら?」
親父は少し考えた。
「ええんちゃうか」
「ほんま?」
「今んところはな」
「何やそれ」
「銃身まで明日から買います言い出したら、また話は別や」
「言わんわ!」
「お前なら言いかねん」
「信用ないな!」
「昨日の今日やぞ」
「それはそう」
俺は紙を見た。
最初に書いた時は、部品の名前ばかりだった。
今は違う。
部品の横に、人の名前がある。
親父。
五平。
弥吉。
新八。
佐吉。
甚助。
俺。
そして、その下に若い名前が並んでいる。
庄吉。
千吉。
松之助。
宗次郎。
今は空白が多い。
だが、空白なら埋めればいい。
誰に何を覚えてもらうか。誰の技を誰へ渡すか。何を寸法にするか。何を見本として残すか。何を治具に任せ、何を人が覚えるのか。
そのどれも、一日で出来ることではない。
紙に書けば残るものもある。
見本を置けば伝わるものもある。
何度も手を動かさなければ身につかないものもある。
そして弥吉のように、本人には出来るのに、本人の言葉だけでは他人へ渡せないものもある。
だから、技術を残すという仕事そのものが必要なのだ。
外へ仕事を出すことと、技術を外へ捨てることは同じではない。
毎日自分たちで作らなくてもいい。
だが、自分たちの商品として出すなら、分からなくなってはいけない。
榊屋に残すべきものは、鉄の部品だけではなかった。
作れること。
見分けられること。
直せること。
教えられること。
そして、一挺の鉄砲がどう出来て、どう動くのかを分かっていること。
それを誰か一人の頭と腕に置いておくのではなく、次の人間へ渡していく。外で作る仕事が増えるなら、なおさら中に残す知識を増やさなければならない。
そうすれば、作る場所が変わっても、榊屋は何も分からない鉄砲屋にはならない。
俺は紙の一番上に、新しく一つ書いた。
『誰が、何を出来るか』
書いてみれば、ひどく当たり前のことだった。
だが、百挺を作ることばかり考えていた俺たちは、その当たり前をまだ一度も数えたことがなかった。




