榊家の晩飯
工房から家までの道は、やはり短かった。
いつもなら何とも思わない。仕事が終われば腹も減っているし、今日は何を食うのか考えながら歩いていれば、すぐに着くくらいでちょうどいい。
だが今日は違う。
少し前を親父が歩いている。その後ろを俺が歩き、さらに少し離れて宗次郎がついてくる。誰も喋らない。
工房であれだけ喋ったのだから、もう十分だと言われればその通りなのだが、家に着けば親父が消えてくれるわけでもない。
当たり前だ。
親父の家でもある。
俺の家でもある。
同じ家である。
工房で親方と喧嘩しただけなら、仕事が終われば顔を見なくて済むかもしれない。ところが親方が実の父親だと、仕事を終えたあとも一緒に帰り、同じ屋根の下で飯を食わなければならないらしい。
この仕組み、欠陥があると思う。
「ただいま」
親父が戸を開けた。
「おかえり」
奥から母ちゃんの声が返ってくる。
俺も少し遅れて家へ入った。
「ただいま」
「おかえり、虎松。宗次郎も」
「ただいま戻りました」
母ちゃん、お志乃は俺たち三人を順番に見た。
親父を見る。
俺を見る。
宗次郎を見る。
もう一度、親父を見る。
「何や、喧嘩したん?」
「何で分かるん!?」
反射的に聞き返した。
母ちゃんは首を傾げた。
「分かるやろ」
「まだ何も言うてへんやん!」
「源兵衛が帰ってきてから一回も虎松の方見てへんし、虎松は源兵衛の後ろ歩いとるくせにずっとむすっとしとるし、宗次郎だけ何かおもろそうやし」
「おもろそうにはしてません」
宗次郎が否定した。
「しとる」
「……少しだけです」
「お前!」
裏切り者がいた。
親父は何も言わず、履物を脱いで奥へ行った。
「喧嘩なんかしとらん」
「しとったやろ!」
思わず言ってから気付いた。
母ちゃんが俺を見る。
「ほら」
「…………」
しまった。
◇
夕飯になっても、状況はあまり改善しなかった。
久しぶりにこうして眺めてみると、榊家の食卓は結構な人数がいる。
親父と母ちゃん。
俺。
宗次郎。
吉松。
お千代。
お小夜。
新三郎だけは今、善右衛門のところで丁稚奉公をしているのでここにはいない。それでも七人いるのだから、飯を並べるだけでもそれなりの騒ぎになる。
お千代はもう十六だ。
母ちゃんと一緒に膳を運び、汁をよそい、俺たちが座る頃には自分の分まできちんと用意している。昔は俺の後ろをついて回っていたような気がするのだが、いつの間にか母ちゃんの横で普通に家のことをするようになっていた。
お小夜は十になった。
こちらはまだ子供である。
そして吉松も、いつの間にか俺が思っていたより大きくなっていた。宗次郎は工房の中で毎日のように顔を合わせ、新三郎は善右衛門のところへ出たことでむしろ何をしているか話題に上るが、家にいる弟や妹ほど、気付けば勝手に育っている。
工房にいる時間が長くなればなるほど、家の時間だけが俺を置いて先へ進んでいるようで、少し妙な気分だった。
「兄ちゃん」
「何?」
「それ取って」
「これ?」
「それ」
吉松に漬物の皿を渡す。
「ありがと」
「おう」
普通だ。
いつもの飯だ。
ただし、俺と親父だけが一度も会話していない。
俺は飯を食う。
親父は汁を飲む。
俺が漬物を取る。
親父が魚を食う。
俺がおかわりをする。
親父もおかわりをする。
何となく同じ頃に箸が伸びるのが腹立たしい。
お千代はさっきから、俺と親父を何度か見ている。吉松も何か察したらしい。宗次郎は最初から事情を知っているし、母ちゃんには帰った瞬間に見抜かれた。
つまり、この食卓で事情を知らないのは一人しかいなかった。
「父ちゃん」
お小夜が言った。
「何や」
「兄ちゃんと喧嘩したん?」
「してへん」
「してへん」
親父と俺の声が重なった。
お千代が吹いた。
「千代!」
「ご、ごめん」
口元を押さえているが、全然反省していない。
吉松まで笑っている。
「何や」
「いや、喧嘩しとるやん」
「しとらん」
「工房で怒鳴り合ってましたよ」
宗次郎が淡々と補足した。
「宗次郎!」
「事実です」
「お前どっちの味方や!」
「どちらの味方でもありません」
そこへ母ちゃんが飯をよそいながら言った。
「ほんま似たもん同士やなあ」
「どこが」
「どこがや」
また親父と重なった。
今度はお千代だけではなく、吉松まで完全に笑った。宗次郎も顔を伏せている。
「そこや」
母ちゃんが言った。
「俺は親父みたいに頭固ないで」
「誰が固いねん」
「ほら!」
「何がほらや!」
「飯の時くらい静かにし」
「はい」
「はい」
また重なった。
お千代がもう耐えられなくなった。
「ふふっ……あかん」
「何がおもろいねん!」
「兄上、自分で分かってないんですか」
「宗次郎まで何や!」
親父は不機嫌そうに飯を食っている。
俺も不機嫌だった。
だが、工房にいた時よりは少しだけ腹立ちが薄れている。たぶん、周りが笑うからだ。
親子喧嘩というものは、工房でやると榊屋の行く末を左右する大問題に見えるのに、家へ持って帰ると急に格好悪くなるらしい。
◇
「で、何で喧嘩したん?」
吉松が聞いた。
「喧嘩してへん」
「もうそれええから」
弟に切られた。
「兄上が、榊屋で作る部品を減らしてもいいんじゃないかと言ったんです」
宗次郎が説明した。
「減らす?」
「外の職人に作ってもらうんです。今も地板やネジなんかは、かなり外で作ってもらっています」
「お蓮とか?」
「そうです」
吉松もお蓮は知っているらしい。
「それ増やしたら、もっと鉄砲作れるん?」
「そういうこと」
俺が答えた。
「ほら、分かるやろ」
「でも父ちゃん嫌なん?」
今度は親父を見る。
「嫌とは言うてへん」
「またそれや!」
「何や!」
「工房でもずっとそれ言うとったやろ!」
「嫌やないもんを嫌や言えるか!」
「ほなええやん!」
「そこが違う言うとるんや!」
「はいはい、飯」
母ちゃんの一言で止まった。
吉松はしばらく俺たちを見比べていた。工房で働く俺たちほど事情を知っているわけではないからこそ、何がそんなに難しいのか分からないのだろう。
「でも兄ちゃん」
「何?」
「外で部品作ってもらったら、それ誰が作った鉄砲になるん?」
「……何?」
「だって、地板はお蓮が作るんやろ」
「お蓮んとこやな」
「ネジは嘉兵衛」
「そう」
「鋲も外で作ってもらうんやろ?」
「うん」
「ほな、どこまで外で作ったら、兄ちゃんが作った鉄砲じゃなくなるん?」
箸が止まった。
親父の箸も止まった。
宗次郎が吉松を見る。
「いや、何となく」
吉松は自分が変なことを言ったと思ったらしい。
「銃身だけ榊屋で作ったら榊屋の鉄砲なん? それとも組み立てたら? 全部別の人が作って、兄ちゃんたちが最後に組んだら、それも榊屋なん?」
「それは……」
答えようとして、言葉が出なかった。
昨日までなら簡単に答えたかもしれない。
榊屋が注文し、榊屋が確認し、榊屋で組み立て、榊屋が試射し、榊屋が責任を持って売るなら榊屋の鉄砲だ。
今でも、その考え自体は変わっていない。お蓮が作った地板も、嘉兵衛が作ったネジも、榊屋が必要なものとして頼み、受け取り、確認し、組み込んで一挺にしたなら、その鉄砲について最後に責任を持つのは榊屋だ。
だからこそ、昨日までの俺なら迷わなかった。
だが、親父と喧嘩した後では、その言葉だけで終わらせていいのか分からなくなっていた。
最後に責任を持つ。
では、その責任を持てる根拠は何だ。
全部自分で作ったからなのか。
作り方を知っているからなのか。
良し悪しを判断出来るからなのか。
それとも、壊れた時に直せるからなのか。
吉松は、そんな難しいことを考えて聞いたわけではないだろう。
だからこそ、答えにくかった。
「難しいこと聞くなあ」
母ちゃんが笑った。
「変なこと聞いた?」
「変やないで」
宗次郎が言った。
「たぶん、兄上と父上が今日ずっと話していたことを、一番短く聞いたんやと思う」
「俺らあんなに喋ったのに?」
「吉松の方が上手かったですね」
「何か悔しい!」
「何でや」
親父がぼそっと言った。
「親父も答えてみいや」
「俺に振るな」
「ほら答えられへん!」
「お前もやろ!」
また始まりかけたところで、お小夜が魚の骨と格闘しながら顔を上げた。
「でも父ちゃん、刀作ってへんやん」
今度こそ、食卓が止まった。
「……刀?」
俺は親父を見た。
親父はお小夜を見た。
「何でお前が知っとる」
「母ちゃん言うとった」
「何を?」
「父ちゃん、昔は刀作っとったって」
俺は母ちゃんを見た。
母ちゃんは平然と飯を食っている。
「母ちゃん」
「何?」
「親父、刀鍛冶やったん?」
「そうやで」
「聞いてへんぞ」
「聞かれへんかったし」
「そういうもん!?」
考えてみれば、親父が鉄砲鍛冶として生まれてきたわけではない。当たり前なのだが、俺にとって親父は物心ついた時から鉄砲を作っていた。火床の前に座り、鉄砲の話をし、俺が余計なことをすれば怒鳴る。それが源兵衛だった。
だから、その前があるということをほとんど考えたことがなかった。
「正確には、榊が刀鍛冶の仕事をしとったんや」
母ちゃんが言った。
「お義父さんの頃は、そっちが元やったからな」
「じいちゃん?」
「そう」
俺の祖父。
俺がこの世界で生まれた頃には、もういなかった人だ。
「父ちゃんも刀打てるん?」
吉松が聞いた。
「昔はな」
「今は?」
「……全く出来んことはない」
「ほら!」
なぜか俺が言った。
「何がほらや!」
「いや、何となく!」
「意味分からんわ!」
母ちゃんが笑った。
「ほんま変わらんなあ」
「何が?」
「源兵衛、あんた昔、お義父さんとよう喧嘩しとったやろ」
親父の顔が変わった。
「志乃」
「何?」
「その話はええ」
「何で?」
「ええからや」
「俺聞きたい」
「俺も」
吉松が乗った。
「私も」
お千代まで乗った。
「お小夜も!」
「お前は黙っとれ!」
「何で!」
「父上、諦めた方がいいですよ」
宗次郎まで言った。
親父に味方はいなかった。
◇
「お義父さんはな、刀の人やったんよ」
母ちゃんが話し始めた。
親父は完全に嫌そうな顔をしているが、止めても無駄だと悟ったらしい。
「刀いうても、いつも立派な刀ばっかり打っとったわけやないで。直したり、金具の仕事したり、道具作ったり、色々や。鍛冶屋やからな」
「うん」
「そこに鉄砲が来た」
俺は親父を見た。
「親父が食いついた?」
「食いついた」
「言い方!」
「ほんまやろ」
母ちゃんは笑っている。
「最初は人の鉄砲見せてもろたり、直す手伝いしたり、金具作ったりしとったんやったかな」
「……まあな」
親父が渋々答えた。
「そのうち自分でも作りたい言い出した」
「それでじいちゃんが反対した?」
「そらもう」
母ちゃんが楽しそうだ。
この人、昔の親父の恥ずかしい話をするのが好きなのかもしれない。
「『榊は刀鍛冶や』ってな」
「言いそう」
「会うたことないやろ」
「何となく」
俺が言うと、親父が睨んだ。
「源兵衛は源兵衛で、『鉄砲も鍛冶の仕事や』言うて聞かん」
「……間違ってへんやろ」
「ほら、今でも言う」
お千代が笑った。
「それで?」
「毎日のようにやっとったで。刀の仕事せえ言われたら、鉄砲の方が仕事増える言うて。鉄砲ばっかり触るな言われたら、今覚えんでいつ覚えるんや言うて」
俺は親父を見た。
ものすごく聞き覚えのある話だった。
「親父」
「何や」
「俺に似てへん?」
「似てへん」
「いや、似てるやろ」
「似てへん!」
「そこまで否定せんでもええやん!」
「うるさい!」
「まだあるで」
母ちゃんが言った。
「まだあるん!?」
親父が本気で嫌そうな顔をした。
「お義父さんがな、『刀を捨てる気か』言うたんよ」
「……」
「そしたら源兵衛、何て言うたと思う?」
「母ちゃん、楽しんどるやろ」
「ちょっとな」
「認めた!」
母ちゃんは親父を見た。
「『捨てるなんて言うてへん』」
俺は黙った。
「お義父さんが、『鉄砲ばっかり作っとったら同じや』」
親父は黙って飯を食っている。
「そしたら、この人な」
母ちゃんが笑った。
「『刀作らんようになったら、榊やなくなるんか!』って」
静かになった。
俺はゆっくり親父を見た。
宗次郎も見た。
吉松も見た。
お千代も見た。
お小夜は、みんなが見るのでとりあえず親父を見た。
「……何や」
親父が言った。
「いや?」
「何やその顔」
「別に?」
「言いたいことあるなら言え!」
「俺、何も言うてへんやん!」
「顔が言うとる!」
「最近みんな顔読めるようになりすぎやろ!」
「似とるやろ」
母ちゃんが言った。
「似てへん!」
「似とる」
「どこが!」
「全部」
「全部!?」
お千代がまた吹いた。
吉松は遠慮なく笑っている。
「父ちゃん、兄ちゃんやん」
「違うわ!」
「父上」
宗次郎が静かに言った。
「何や」
「かなり似ています」
「お前まで言うんか!」
俺は少し勝ち誇った。
「ほら!」
「何がほらや!」
「親父も同じことしとるやん!」
「同じちゃう!」
「どこが違うねん!」
「俺は鉄砲作ろうとしたんや! お前は作らんようにしようとしとるやろ!」
「作らんようにしてへんわ!」
「部品作らん言うたやろ!」
「全部ちゃう!」
「はいはい」
母ちゃんが割って入った。
「また始めんでええ」
「でも母ちゃん、これ親父も悪いやろ!」
「何で俺だけ悪いねん!」
「誰も源兵衛だけとは言うてへん」
「……だけ?」
嫌な予感がした。
母ちゃんが俺を見る。
「虎松もや」
「何で!?」
「ほら」
親父が言った。
「何がほらや!」
さっきの俺と同じだった。
◇
「でもな」
笑いが少し収まった頃、親父が言った。
「俺は、あの時のこと後悔しとらんぞ」
声はさっきまでより静かだった。
「鉄砲覚えて良かったと思っとる。刀だけやっとったら、今の榊屋にはなっとらん」
「ほな」
「最後まで聞け」
「はい」
五平にも今日同じことを言われた気がする。
「お前の言いたいことが分からんわけでもない」
「……うん」
「俺が鉄砲やりたい言うた時、親父はずっと反対しとった。俺は、古いもんにしがみついとるだけやと思っとった」
親父は箸を置いた。
「刀しか知らんから鉄砲が怖いんや。新しいもん覚えるんが嫌なんや。俺がやろうとしとることが分からんから止めるんや。そう思っとった」
「違ったん?」
「今でも、半分くらいはそうやったと思うで」
「半分なんや」
「親父も頑固やったからな」
「そこも似たんやな」
「虎松」
「すんません」
親父が睨む。
だが、すぐに視線を落とした。
「でも今なら、もう半分は分かる気がする」
「何が?」
「親父が怖かったんは、鉄砲やなかったんやと思う」
食卓が静かになった。
「自分が覚えてきたもんが、自分の代で終わるんが怖かったんやろ」
誰も笑わなかった。
「親父も、その親父から覚えたんや。鉄の見方も、火の見方も、叩き方も、焼き方も、研ぎ方も。どこまで熱したら鉄が言うこと聞くか、どこで止めたらあかんか、失敗した時に何を見たらええか。刀いう形だけやない。ずっと榊で覚えてきた仕事があった」
親父は自分の手を見た。
節の太い、傷の残った手だった。
「俺が鉄砲やる言うた時、親父には、それ全部捨てる言うてるように聞こえたんかもしれんな」
初めて聞く話だった。
俺が知っている親父は、ずっと鉄砲鍛冶だった。
火縄銃を作り、職人を束ね、俺が変な治具を持ち込めば怒り、使えると分かれば結局使う。榊屋という鉄砲工房の親方だった。
その親父にも、その前があった。
そして、その親父にも親父がいた。
俺が工房へ持ち込んだ新しいやり方と、親父が若い頃に持ち込んだ鉄砲では、変えようとしているものが違う。それでも、前の世代から見れば「今までと違うことを始める息子」だったというところは同じだった。
そして、息子だった親父は今、父親になっている。
「ほな、じいちゃんが正しかったん?」
吉松が聞いた。
「いや」
親父はすぐに答えた。
「俺は鉄砲やって良かったと思っとる」
「ほな、父ちゃんが正しかった?」
「それも、今になったら分からんな」
吉松が首を傾げる。
「どっちなん?」
「どっちかが全部正しい話やないんやろ」
親父がそう言った。
その言葉は、今日の俺たちにもそのまま当てはまった。
「親父が何も言わんかったら、俺は刀のことなんか何も残さんかったかもしれん。鉄砲覚える時も、刀で覚えたことは山ほど使うた。鉄の扱いも、火の見方も、道具作るんも、削るんも、何も知らんところから始めたわけやない」
親父は少し考えてから続けた。
「鉄砲作るようになったから刀の仕事は減った。やらんようになった仕事もある。今の俺に昔と同じ刀打て言われても、たぶん昔ほどには出来ん」
「……うん」
「せやけど、刀鍛冶やっとった頃に覚えたことまでなくなったわけやない。残ったもんがあったから、鉄砲も作れたんや」
「……あ」
俺より先に声を出したのは宗次郎だった。
「父上」
「何や」
「祖父上が父上に鉄砲を作らせなかったら、今の榊屋はありませんよね」
「せやな」
「でも父上が、刀鍛冶として覚えたことを何も知らなかったら、鉄砲を作れましたか?」
「無理やろな」
「それなら」
宗次郎は少し考えた。
「変わったから続いたものと、残っていたから使えたものが、両方あるんですね」
親父が宗次郎を見る。
「……そういうことかもしれんな」
俺は黙っていた。
刀から鉄砲へ。
それは、古いものを捨てて新しいものへ乗り換えただけではなかった。
刀を作るために覚えた技術の上に、鉄砲を作る仕事が乗った。使わなくなったものもある。残ったものもある。鉄砲に合わせて形を変えたものもあれば、昔と同じように役立ったものもある。
そして、それを全部まとめた先に今の榊屋がある。
俺は外へ出す仕事と中へ残す仕事を、今まで「どちらで作った方が得か」という目で見ていた。だが、残すというのは仕事の数だけの話ではないのかもしれない。
ネジを百本、榊屋で作り続ける必要があるかどうか。
それと、榊屋の中にネジがどう作られ、どこを見れば良し悪しが分かり、必要なら自分たちでも作れる人間がいるかどうか。
それは別の話だ。
「でも源兵衛」
母ちゃんが言った。
「何や」
「お義父さんと同じことしたらあかんで」
「何が」
「あんたが鉄砲やりたい言うた時、お義父さん、最初は話聞く気なかったやろ」
「……まあ」
「虎松の話、ちゃんと聞いたん?」
「聞いたわ!」
「怒鳴られた」
「お前も怒鳴ったやろ!」
「親父が先や!」
「お前もすぐ怒鳴ったやろ!」
「二人ともや」
母ちゃんが言った。
二人とも止まった。
「源兵衛は虎松が何を残すつもりなんか、ちゃんと聞いたらええ。虎松は源兵衛が何を心配しとるんか、ちゃんと聞いたらええ。二人とも相手が何考えとるか聞く前に、自分の言いたいことばっかり言うから喧嘩になるんやろ」
「……はい」
「……おう」
「それとな」
母ちゃんが俺を見る。
「何?」
「お父ちゃんが昔じいちゃんと喧嘩したからいうて、虎松が正しいことにはならんで」
「え」
今度は親父が少し笑った。
「ほら」
「何がほらや!」
「さっきお前も言うたやろ!」
「言うたけど!」
「ほんま似とるなあ」
お千代が言った。
「千代まで言うん!?」
「だって似とるもん」
「どこが!」
「すぐ『ほら』言うとこ」
吉松が答えた。
「そこ!?」
◇
「ほな」
しばらくして、お小夜が言った。
「父ちゃんも兄ちゃんも悪くないん?」
みんながお小夜を見る。
本人はようやく魚の骨との戦いに勝ったらしく、満足そうに身をほぐしている。
母ちゃんが少し考えた。
「二人とも悪い」
「何で!?」
「何でや!」
また俺と親父が重なった。
「飯の時に喧嘩したから」
「…………」
「…………」
反論出来なかった。
お千代が笑った。
吉松も笑った。
宗次郎もとうとう声を出して笑った。
お小夜も、よく分からないまま笑っている。
親父だけは不満そうだった。
たぶん俺も同じ顔をしていた。
◇
結局、その日の晩飯で答えが出たわけではなかった。
何を外へ出すのか。何を榊屋に残すのか。どこまで自分たちで作れれば、榊屋の鉄砲なのか。
吉松に聞かれたことにも、まだ答えられない。
ただ、一つだけ分かったことがある。
榊屋は、今まで一度も変わらなかった家ではない。
親父の親父は刀を作った。
親父は鉄砲を作るようになった。
その時にも、きっと今と似たような不安があったのだ。
刀を作らなくなれば、榊ではなくなるのか。それまで覚えてきたものはどうなるのか。新しい仕事を始めることは、古い仕事を捨てることなのか。
それでも榊屋は変わった。
そして、なくならなかった。
むしろ刀鍛冶として覚えたものを使いながら、鉄砲鍛冶になった。昔の仕事をそのまま全部残したわけではない。それでも、次の仕事を支えるものは残った。
なら、俺たちが今考えなければならないのも、変わるか、変わらないかではないのかもしれない。
変わること自体を止める必要はない。
何でも外へ出せばいいわけでもない。
大事なのは、変わる時に何を残すかだ。
今やっている仕事を全部残すのではなく、次の仕事を始める時にも自分たちの足で立っていられるものを残す。外で作ったものを選び、悪ければ悪いと言え、直すべきところを伝え、必要なら自分たちでも手を動かせる。
親父が言った「作れるけど買う」と「買わな作れん」の違いも、ようやく少しだけ見えてきた気がした。
何を残せばいいのかは、まだ分からない。
なら、それを考えればいい。
「虎松」
母ちゃんに呼ばれた。
「何?」
「明日、お父ちゃんにちゃんと謝りや」
「何で俺から!?」
「そうやぞ」
親父が言った。
「何で親父が乗っかんねん!」
「お前が怒鳴ったんやろ」
「親父も怒鳴ったやろ!」
「源兵衛も謝りや」
「何で俺もや!」
お千代がまた笑った。
「ほんま似とるなあ」
「似てへん!」
「似てへんわ!」
また重なった。
今度は俺も、少しだけ笑った。




