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虎松〜元エンジニアの戦国ものづくり革新録〜  作者: 真部 朝樹
百挺のその先へ編

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印を入れる


 翌朝、俺は一本の鉄の棒を握っていた。


 先端には、小さく「榊」の字が彫ってある。


 昨日、善次郎に「今日作れ」と言われたので、本当に作った。正確には俺が作ったわけではなく、細かい彫り物の出来る職人に頼んだのだが、頼んだのは俺なので、作ったことにしていいと思う。


「これを打つ」


 机の周りに集まった善次郎、新八、宗次郎、お澪へ見せると、四人の視線が俺の手元へ集まった。


 昨日まで問題になっていたのは、榊家寸に近い地板が外でも作られ始めたことだった。同じ寸法で作ること自体は、もう止める必要がないと俺は考えている。むしろ同じ寸法を使う職人が増えれば、榊屋の鉄砲を直せる人間も、榊屋が仕事を頼める相手も増える。


 だが、それと榊屋の名前は別だ。


 榊屋の中で作ったもの。


 榊屋が外へ頼んで作らせたもの。


 榊屋が受け取り、使えることを確かめたもの。


 そういうものと、誰かが榊家寸を参考に作ったものを、見分けられるようにしたい。


 その答えが、この一本だった。


「地板持ってきて」


「もうあります」


 お澪が机の端に置いていた地板を差し出した。


「準備ええな」


「虎松さんが昨日から何度も印、印と言っていましたから」


「そんな言うた?」


「言っていました」


 言ったらしい。


 地板を台の上へ置き、組み付けた時に邪魔にならず、それでいて見れば分かる場所へ刻印を立てる。位置を確かめてから金槌を振り上げ、一度、しっかりと叩いた。


 カンッ。


「おお」


 ちゃんと榊と入った。


 少し斜めに。


「おお」


 善次郎も覗き込んだ。


「ええやん」


「やろ?」


「ちょっと曲がっとるで」


 新八が言った。


「最初やから!」


「字も片側薄いな」


「最初やから!」


「もう一回打つ?」


「余計ずれるやろ!」


 それでも、何もない地板と並べれば違いは一目で分かる。昨日持ち込まれた他所製の地板も横へ並べてみると、形も寸法もよく似ているのに、片方には小さく榊の字がある。


 俺は満足して腕を組んだ。


「ほら。これで分かるやろ」


「何が?」


 善次郎が聞いた。


「榊屋の部品かどうか」


「昨日一日悩んどった奴が、ようそんな偉そうに言えるな」


「解決したんやからええやろ」


「ほんまに解決したんか?」


「したやろ」


 したと思った。


 その時までは。


     ◇


「持ってきたぞ」


 昼前、嘉兵衛が箱を抱えてやってきた。


 中に入っているのは、頼んでいた補修用のネジと軸、それに鋲だった。以前なら嘉兵衛自身がほとんど手を動かしていた仕事だが、今では簡単な工程は弟子たちにも任せるようになっている。


「お、ちょうどええ」


「何がや」


「これ」


 俺は完成したばかりの刻印を見せた。


「何やそれ」


「榊の印」


「見たら分かる」


「これから榊屋から出す部品に入れようと思っとる」


「ほう」


 嘉兵衛が地板の刻印を見る。


「ええんちゃうか」


「やろ?」


 俺は箱からネジを一本取った。


 刻印を見る。


 ネジを見る。


 もう一度、刻印を見る。


「…………」


「何や」


「これに榊って打てる?」


「アホか」


 即答だった。


「やっぱり?」


「打つ場所どこやねん」


「頭?」


「潰す気か」


「もっと小さい印作ったら」


「字見えへんやろ」


「軸は?」


「好きにせえ。曲がっても知らんぞ」


「鋲は」


「もうええ」


 嘉兵衛に止められた。


 俺は箱の中を見た。


 地板なら打てる。火蓋くらいなら、場所を選べば打てるかもしれない。だが、ネジ、鋲、細い軸となると話が違う。刻印を入れるために形を崩したり、曲げたり、使うところへ傷を付けたりしてしまえば、本末転倒だった。


「……全部には入らんな」


「今気付いたんか」


「地板見とった時は完璧やと思ったんや」


「地板しか見てへんかったからやろ」


 新八まで冷たい。


 だが、そこで別の問題が出てきた。


 このネジは嘉兵衛が持ってきたものだ。正確には嘉兵衛と、その弟子たちが作ったものだが、榊屋が頼み、榊家寸に合わせて作らせ、これから榊屋で確認する。


 確認して問題がなければ、補修用の部品として榊屋から客へ出す。


 ならば、地板と同じく榊屋の部品でいいはずだ。刻印が入っていないから榊屋の部品ではない、という話にはならない。


「……印って、部品そのものに入ってなあかんわけちゃうな」


「昨日からそれ考えとったんちゃうんか?」


 善次郎が言った。


「昨日は地板の話やったんや!」


「今日になったらネジが出てきたんやな」


「そういうことや」


「何でちょっと偉そうなん?」


     ◇


「一つずつ印を入れられないなら、まとめておけばいいんじゃないですか?」


 お澪が言った。


「まとめる?」


「はい。確認が終わったネジと、まだ見ていないネジを一緒にしなければいいんでしょう?」


 お澪は嘉兵衛が持ってきた箱から、まだ確認していないネジを一本取り出した。


「今はこれ、嘉兵衛さんが持ってきたネジです」


「うん」


「新八さんが見て、榊屋で使えると決めた後なら、榊屋から出せるネジになる」


「うん」


「なら、その時に分けておけばいいんじゃないですか?」


 言われてみれば、その通りだった。


 小さな部品を何本かずつ包みにする。そこへ札を付けるなり、包みに印を付けるなりすればいい。ネジそのものへ榊の字がなくても、榊屋が確認したものを他と混ぜずに客へ渡すことは出来る。


「ええやん」


「ただ」


「何?」


「包みを開けた後は分からなくなりますよ」


「…………」


「虎松さん?」


「今考えとる」


「またか」


 善次郎が言った。


「でも、そこまで全部追いかけるんは無理やろ」


 俺はネジを摘まんだ。


「客が包み開けて、他のネジと混ぜて、それから何年も経った後まで、これが榊屋から出した一本ですって分かるようにするんは難しい」


「そうですね」


「ほな、榊屋から渡すところまでは分かるようにする。誰に何本出したかは帳面に残す」


「それなら出来ます」


 お澪が頷いた。


 何もかも一つずつ追いかける必要はない。そもそも、出来もしないことを決まりにしても続かない。大事なのは、どこで混ざると困るのかを考え、そこまでは確実に分けることだ。


 大きくて印を入れても問題ない部品には、直接入れる。


 小さな部品は、榊屋で確認したものをまとめて包み、その包みや札で区別する。


 帳面には、何を、いくつ、誰へ出したかを残す。


 それなら、後から問い合わせが来ても、少なくとも榊屋から何を出したかまでは辿れる。


 完璧ではない。


 だが、何も分からないよりはずっといい。


「これでいけるな」


「まだやで」


 新八が言った。


「何が?」


 新八は、さっき俺が最初に榊の印を打った地板を持ち上げた。


「これ、もう見たん?」


「見た?」


「寸法とか穴とか。部品として使えるか」


「……まだ」


「ほな、これが駄目やったらどうする?」


「…………」


 善次郎が笑った。


「簡単やったな」


「うるさい」


     ◇


 印を入れる順番まで考えていなかった。


 お蓮のところで作った地板が届く。榊家寸で作ってある。榊屋が頼んだものでもある。


 だからといって、その全部がそのまま使えるとは限らない。


 これまでだって手直しになったものはあるし、駄目なものが出たこともある。それなのに、届いた時点ですでに榊の印が入っていたら、検査して使えないと判断した地板にも、榊の字だけは残る。


「お蓮んとこで打ってきてもらった方が早いと思っとったんやけどな」


「やめた方がええな」


 新八が言った。


「せやな」


「うちで見る前に榊屋の部品になる」


 その言葉で、少し引っ掛かった。


「……ちゃうな」


「何が?」


「榊屋の部品になるんやない」


 俺は地板を手に取った。


「榊屋の部品やって、こっちが言うことになるんや」


 新八が俺を見た。


 お蓮が作った地板でも、別の鍛冶屋が作った地板でも、作られた瞬間に榊屋の部品になるわけではない。


 榊屋が頼んだ。


 榊屋へ届いた。


 榊屋で見た。


 使えると判断した。


 その上で、榊屋から出す。


 誰が実際に槌を振るったのかという話と、誰がその部品を自分の名前で客へ渡すのかという話は、同じではない。


 印を入れるなら、その後だ。


「出来たから印入れるんちゃうんやな」


「せやな」


 新八が頷いた。


「見て、ええと決めたもんに入れるんや」


 そこへ五平が通り掛かった。


「何の話や」


「印」


「またそれか」


「見てこれ」


 俺は地板を見せた。


 五平は榊の字を見た。


「これ打ったら、ええもんになるんか?」


「ならん」


「ほな、ええもんに打つんやな」


「……せやな」


「ほな、それでええやろ」


 五平は行ってしまった。


「簡単に言うなあ」


 俺はその背中を見送った。


 だが、たぶん本当にそれだけなのだ。


 印が品質を作るわけではない。


 寸法を揃えるのも、材料を見るのも、仕上げるのも、動きを確かめるのも、それぞれ別の仕事だ。その仕事を終えて、榊屋として出していいと決めたものに、最後に印を付ける。


 印は、良いものを作る道具ではない。


 良いと確認したものを、榊屋が自分の名前で出したと示すための道具だ。


     ◇


 問題は、それだけでは終わらなかった。


 嘉兵衛が持ってきたネジを新八と見ながら、俺はふと思った。


「なあ」


「何や」


 嘉兵衛が答える。


「これ、別に嘉兵衛が作らんでもええんよな」


 嘉兵衛の顔が止まった。


 善次郎も止まった。


「……は?」


 二人がほとんど同時に言った。


「いや、ネジ」


「分かっとるわ」


「榊家寸に合っとって、ちゃんと使えて、数揃うんやったら、別に誰が作ってもええやろ」


「ちょっと待て」


 嘉兵衛が箱を自分の方へ引き寄せた。


「何?」


「お前、俺の仕事なくす気か?」


「なくなるかもしれんな」


「おい!」


「最後まで聞けや!」


「聞けるか! 今なくなる言うたやろ!」


「嘉兵衛より安うて、嘉兵衛よりええネジを、嘉兵衛よりようけ作れて、ちゃんと間に合わせる奴がおったらや!」


「余計悪いやろ!」


「でも、おる?」


「……知らん」


「俺も知らん」


「ほな言うなや!」


 嘉兵衛が本気で嫌そうな顔をしている。


 だが、俺は冗談で言ったわけではなかった。


 今まで榊屋では、必要な部品を自分たちで作ることが当たり前だった。作れないもの、間に合わないもの、外へ出した方がいいものを少しずつ外へ頼むようになり、その相手がお蓮だったり、嘉兵衛だったり、他の鍛冶屋だったりする。


 つまり今までは、榊屋の中で足りないものを外へ出していた。


 だが、同じ寸法で作れる人間が増えれば、順番が逆になるかもしれない。


 最初から、誰に作ってもらうのが一番いいかを考えられる。


「下手したら、その辺の部品、うちで作らんでもよくなるかもしれん」


「は?」


 今度は善次郎だった。


「全部やないぞ。ネジとか鋲とか軸とか、外で安うてええもんが安定して作れるなら、それ仕入れたらええやん」


「……榊屋で作れるのに?」


「作れるで」


「ほな作ったらええやろ」


「その時間で、もっと鉄砲作れるやん」


「…………」


 善次郎の顔が変わった。


「ほう」


「やろ?」


「ちょっと待て」


 嘉兵衛が割り込んだ。


「何で善次郎だけ納得しとんねん」


「だって鉄砲増えるんやろ?」


「増やせるかもしれんな」


「売るもん増えるやん」


「せやろ?」


「俺のネジは!?」


「鉄砲増えたら、ネジも増えるやろ」


「…………」


「榊屋で月百挺作るより百二十挺作る方が、ネジ要るやろ?」


「……ふむ」


 嘉兵衛が腕を組んだ。


 分かりやすい。


「それに嘉兵衛が一番ええなら、嘉兵衛から買うで」


「一番安かったら?」


「安いだけやったら買わん」


「何でや」


「安くても、半分使えへんかったら困るやろ」


 俺は一本のネジを机へ置いた。


「値段だけちゃう。ちゃんと合うか。毎回同じくらいのもんが来るか。欲しい数を作れるか。欲しい時までに来るか。駄目なもん出た時に話出来るか。そこまで見て決める」


「……多いな」


「そらそうやろ。鉄砲に入れるんやぞ」


 安く作るだけなら、それほど難しくないのかもしれない。一度だけ、素晴らしいものを作る職人だっているだろう。


 だが、百挺作る榊屋が必要としているのは、一度だけ安く作れる相手でも、一度だけ素晴らしいものを作れる相手でもない。


 必要な時に、必要な数を、同じくらいの出来で持ってこられる相手だ。


 安くても手直しばかりなら、榊屋の仕事が増える。出来が良くても十個しか作れないなら、百挺には足りない。百個作れても納期が読めなければ、宗次郎が組んだ予定が崩れる。


 一個の値段だけを比べても、本当にどちらが安いのかは分からない。


 そこまで含めて比べるなら、嘉兵衛にはすでに大きな強みがある。


 榊家寸を知っている。何度も榊屋へ納めている。俺たちがどこを見るかも知っている。弟子を使って数を増やすやり方も始めているし、何かあればこうして工房まで来て話が出来る。


「嘉兵衛」


「何や」


「今んとこ、お前かなり強いで」


「今んとこ言うな」


「ずっと強かったらええやん」


「簡単に言うな」


「弟子育てたら?」


「育てとるわ!」


「もっと」


「お前が仕事増やすからやろ!」


「ほな、ええことやん」


「何か腹立つな、お前」


 嘉兵衛はそう言ったが、さっきまでより顔色は戻っていた。


     ◇


「でも、兄上」


 宗次郎が言った。


「今の話、本当に進めるなら、生産の考え方が変わりますよ」


「うん」


「今までは、榊屋で何を何個作れるかを考えていました」


「うん」


「これからは、外から何を何個入れられるかも、同じように考えないといけません」


「……そうなるな」


 宗次郎はすでに頭の中で何かを組み始めているらしい。


「安いところが見つかったから全部そこへ頼む、では危ないでしょうね」


「何で?」


「そこが止まったら、榊屋も止まります」


「ああ」


 お蓮の地板で、似たようなことはすでに経験している。一つの工房へ全部を預ければ、そこが詰まった時に全部が止まる。だから、お蓮自身も候補を一つに絞らず、いくつか見ておけと言った。


 安いところから買えば終わりではない。


 外から買うということは、自分たちの仕事の一部を、その相手の都合にも預けるということだ。


 自分たちで作っているなら、忙しい時に順番を変えることも出来る。誰かを別の仕事から回すことも出来るし、最悪の場合には親父や五平に頼ることだって出来る。


 外の工房では、それを決めるのは俺たちではない。向こうには向こうの客がいて、向こうの仕事がある。


 作る手間を外へ出せば、その手間そのものは減る。


 だが同時に、いつ、どれだけ入ってくるのかを考える仕事が増える。


「……買う方も楽ちゃうな」


「今さらですか?」


「作らんでええ分、楽になると思った」


「作る仕事が減って、選ぶ仕事が増えるんでしょう」


「また仕事増えた……」


「鉄砲増やせるんでしょう?」


「そうやった」


 善次郎が横から笑った。


「お前、ほんま鉄砲増やせる言うたら何でもやるな」


「何でもはやらん」


「ほんまか?」


「たぶん」


「信用ならんな」


 それでも、宗次郎の言葉は頭に残った。


 作らないことは、仕事をしないことではない。


 誰に作ってもらうかを決める。出来たものを見る。必要な数を決める。届く日を合わせる。一つの相手へ頼りすぎないようにする。


 自分たちで作らなくなれば、その分だけ別の仕事が生まれる。


 だが、その仕事を引き受けることで、五平や弥吉や佐吉が、他の職人でも同じように作れるネジや鋲を延々と作らずに済むなら、その方がいい。


 その手を、もっと鉄砲そのものへ使える。


 あるいは、もっと難しい仕事へ使える。


「そのうち地板もネジも軸も、榊屋で一個も作らんようになったりしてな」


 俺が何となく言うと、善次郎がこちらを見た。


「鉄砲鍛冶やめるんか?」


「何で?」


「部品作らんのやろ?」


「鉄砲は作るで」


「何で作るんや」


「買ってきた部品」


「…………」


「何や」


「お前、たまに怖いこと言うな」


「何が怖いねん」


「源兵衛さんの前で言うてみ?」


「……今はやめとく」


「怖いやん」


「違う。説明が長なる」


「それを怖い言うねん」


 冗談で言ったつもりだった。


 だが、全部が冗談でもなかった。


 自分たちで作ることと、自分たちの商品として出すことは、同じではないのかもしれない。


 お蓮が作った地板も、嘉兵衛が作ったネジも、榊屋が頼み、榊屋が受け取り、榊屋が確かめて、榊屋の鉄砲へ組み込めば、それは榊屋の鉄砲になる。


 なら、榊屋が本当にやらなければならない仕事は何なのか。


 全部の鉄を自分たちで叩くことなのか。


 それとも、必要な部品を揃え、正しく組み、確かめ、最後に一挺の鉄砲として責任を持つことなのか。


 もちろん、今すぐ何もかも外へ出すつもりはない。親父も五平も弥吉も佐吉も、今まで通り部品を作る。榊屋の中で作った方がいいものも、外へ出せない仕事も、外へ出す意味がない仕事も山ほどある。


 ただ、選べるようになった。


 自分たちで作れるから、自分たちで作る。


 それしかなかったところへ、


 自分たちで作るのか。


 誰かに作ってもらうのか。


 そのどちらが榊屋にとっていいのかを考える余地が生まれた。


 それだけでも、以前とは大きく違う。


     ◇


 夕方、俺は机の上を片付けていた。


 今日一日で決まったことは、思っていたより多い。


 地板のように印を入れられる部品は、榊屋で確認した後に印を入れる。ネジや鋲のような小さな部品は、確認したものをまとめて分け、包みや札で榊屋から出したものだと分かるようにする。誰へ何をいくつ出したかは、帳面に残す。


 そして榊家寸で作れる職人が増えれば、その中から榊屋が買うことも考える。


 寸法を外へ出したことで、他所の職人が榊屋と同じような部品を作れるようになる。


 それは競争相手を増やすことでもある。


 だが同時に、榊屋が仕事を頼める相手を増やすことでもあった。


 作る側は、同じ寸法のものを作れるようになる。


 買う側は、その中から誰のものを使うのかを選べるようになる。


 そして作る側も、選ばれるために値段を考え、出来を揃え、数を作り、納期を守ろうとする。


 その間に共通の寸法があるから、初めて比べることが出来る。


 同じものを作れるということは、ただ便利なだけではない。


 誰が作ったものを使うのか、選べるということでもあるらしい。


「ほな帰るか」


 俺は立ち上がった。


「虎松さん」


「何?」


 お澪が机を指差した。


「それ、そこに置いて帰るんですか?」


「それ?」


「榊の印です」


 朝から使っていた刻印が、机の上に転がっていた。


「……あ」


「誰でも使えますね」


「……せやな」


 宗次郎までこちらを見る。


「兄上」


「何?」


「また管理するものが増えましたね」


「言うな」


 俺は刻印を手に取った。


 榊家寸の物差しは、必要なら外へ出す。


 寸法そのものも、必要な相手には伝えていい。


 同じ寸法で作る人間が増えることは、悪いことではない。むしろ仕事を繋ぎ、部品を増やし、榊屋が選べる相手まで増やしてくれる。


 だが、この印は違う。


 これは、同じ寸法であることを示す印ではない。


 誰が鉄を叩いたかだけを示すものでもない。


 榊屋が見た。


 榊屋が使えると決めた。


 榊屋が自分の名前で出した。


 そのことを示すための印だ。


 だから、榊家寸で作った職人へ、この刻印まで渡していいわけではない。寸法が同じだからといって、その職人の仕事を榊屋が見たことにはならないし、榊屋が責任を持つことにもならない。


 物差しは、仕事を繋ぐために外へ出せる。


 刻印は、仕事の責任を示すために榊屋の中へ置いておかなければならない。


 同じ鉄で出来た小さな道具なのに、扱いは正反対だった。


「で、どこにしまいます?」


 お澪が聞いた。


「……箱?」


「鍵は?」


「…………」


「兄上?」


「明日考える」


「今日考えてください」


 どこかで聞いたようなことを言われた。


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