同じ寸法
翌朝になっても、俺は二枚の地板を机の上に並べていた。
一枚は、お蓮のところから榊屋へ入り、新八が確認したもの。もう一枚は、どこかの誰かが榊屋の鉄砲を真似して作ったらしいもの。
昨日から何度見ても、やはり似ている。作った人間は違うし、仕上げ方にも違いがある。穴の位置にもわずかなずれがあり、そのまま何の手直しもなく交換出来るほどではない。
それでも、かなり近い。
俺は物差しを当て、もう一度穴の位置を見た。
「……ここなんよな」
「何がです?」
帳面を持ってきた宗次郎が、俺の手元を覗き込む。
「この穴。あとちょっとこっちやったら、昨日あんなに合わせんでも付いたやろ」
「そうですね」
「こっちの端も、もう少し合わせたらええ」
「はい」
「……これ、ちゃんと寸法教えた方がええんちゃう?」
「誰にです?」
「作りたい奴に」
宗次郎が黙った。
「何?」
「兄上」
「うん」
「それ、昨日兄上が『うちのやない』と言っていた地板ですよね」
「そうやで」
「榊屋の鉄砲を真似して作ったものですよね」
「たぶんな」
「その作った人に、今度は兄上から寸法を教えるんですか?」
「うん」
「…………」
「何やねん、その顔」
「いえ。兄上がいいなら、私は構いませんけど」
「何か言いたそうやな」
「善次郎さんには、先に説明した方がいいと思います」
◇
「アホか!」
説明した。
予想通りだった。
「何で真似しとる奴に、こっちから寸法教えんねん!」
「いや、だって惜しいやん」
「何がや!」
「この地板。あとちょっとやねん」
「知らんわ!」
善次郎は机の上の地板を指差した。
「昨日まで榊屋の部品や言うて売られとったもんやぞ!」
「それは名前の問題やろ」
「寸法も問題や!」
「何で?」
「何でって……うちの寸法やぞ!」
「でも、もう測られとるやん」
「それは向こうが勝手に測ったんや!」
「ほな止められる?」
「止めろや!」
「どうやって?」
「…………」
善次郎が止まった。
「完成した鉄砲、もう何百挺も外にあるぞ」
「……せやな」
「部品外して物差し当てたら寸法分かるぞ」
「……せやな」
「嘉兵衛んとこにもネジ持ってきた奴おったやろ」
「おったな」
「ほな、どうやって止めんの?」
「……知らんけど!」
「知らんのかい!」
「でも普通、教えへんやろ!」
「何で?」
「お前さっきから何で何でうるさいねん!」
善次郎が頭を抱えた。
俺にも、善次郎が言いたいことは分かる。
自分たちが時間をかけて作ってきたものを、わざわざ他所へ教える。普通に考えれば妙な話だし、商人から見れば、金になるものを自分から外へ流しているようにも見えるのだろう。
だが、榊家寸そのものを秘密にしておくことは、もう出来ない。
物差しや見本を工房から出さないことは出来る。誰にどの寸法を渡したかを記録することも出来る。作り方の細かなところや、治具の形まで何もかも教える必要もない。
しかし、榊家寸で作った鉄砲そのものを売っている以上、その寸法は毎月百挺ずつ外へ出ているようなものだった。
完成した鉄砲を買えば測れる。部品を外せば、もっと分かりやすい。少し腕のある職人なら、それを見本に近いものを作ることだって出来る。
だったら、少し考え方を変えてもいい。
「どうせ真似されるんやったら、ちゃんと真似してもろた方がええやろ」
「よくない!」
「何でや!」
「何でこっちが手伝わなあかんねん!」
「使える部品増えるやん」
「他所の部品やぞ!」
「でも榊屋の鉄砲に使える」
「だからそれが困る言うとるんや!」
「俺は助かると思っとる!」
「何でや!」
今度は善次郎が何で何で言い始めた。
「例えばやぞ」
俺は地板を持ち上げた。
「榊屋の鉄砲持っとる奴が、遠いところでこれ壊したとするやん」
「うん」
「今やったら、榊屋まで持ってくるか、近くの鍛冶屋がその鉄砲見ながら一から合わせて作るしかない」
「まあな」
「でも近くに、榊屋と同じ寸法で地板作れる奴がおったら?」
「……直せるな」
「やろ?」
「でも、そいつの仕事になるやん」
「直らんよりええやろ」
「商人としては複雑やぞ、それ」
「客としては助かるやろ」
「ぐぬぬ……」
善次郎が唸った。
俺は少し楽しくなってきた。
「それに、うちも助かるぞ」
「何が?」
「初めて仕事頼む鍛冶屋に、見本渡して一から説明せんでもええようになるかもしれん」
「どういうことや」
「『榊家寸のこの地板で』って言うて通じるようになったら楽やろ」
「そんな都合よういくか?」
「すぐには無理や。でも同じ寸法で作る奴が増えたら、そうなるかもしれん」
今まで榊家寸は、榊屋の中で仕事を揃えるためのものだった。親父が作っても、佐吉が作っても、藤吉が作っても、出来るだけ同じところへ持っていく。誰か一人の勘だけに頼らず、別の人間へ仕事を渡せるようにするための共通の物差しだった。
だが、同じことは工房の外でも出来る。
お蓮に寸法を渡した。嘉兵衛にも必要な寸法を伝えた。お蓮がさらに別の鍛冶屋へ仕事を分ける時にも、必要な寸法がなければ始まらない。
同じ寸法というものは、同じものを作るためだけにあるのではない。
誰かがやっていた仕事を、別の誰かへ渡す時にも使える。言葉だけでは伝わりにくい形や大きさを、物差しの数字と見本で共有出来る。
榊屋の中で人と人を繋いでいたものが、工房の外でも同じ役目をするのなら、それをわざわざ榊屋の中だけへ閉じ込める必要があるのだろうか。
「……兄上」
宗次郎が口を挟んだ。
「何?」
「では、榊家寸を誰にでも渡すんですか?」
「いや、それは……」
「地板を作りたいと言えば地板の寸法を。ネジを作りたいと言えばネジを。鉄砲を作りたいと言えば全部を?」
「…………」
「兄上?」
「今考えとる」
「ほら見ろ!」
善次郎が急に元気になった。
「何や!」
「やっぱり何も考えてへんやないか!」
「全部は教えへんよ!」
「今考えたやろ!」
「考えてたわ!」
少なくとも、鉄砲一挺分の寸法をまとめて誰にでも渡す必要はない。
地板を作るなら、地板に必要な寸法。軸なら軸。ネジならネジ。それは物差しをなくした時に決めたことと同じだった。外へ仕事を出す時には、その仕事に必要なものだけを渡す。
ただ、あの時とは少し意味が違う。
あの時は、榊家寸を必要以上に外へ出さないためにそうした。今は、外の人間にも同じものを作ってもらうために、必要な寸法をきちんと伝えようとしている。
何もかも教えるわけではない。榊屋の名前を使っていいと言うわけでもないし、その寸法で作れば榊屋の部品になるわけでもない。
ただ、同じ仕事をするために必要な数字を、共通の数字として使う。
やっていることは同じなのに、その意味は少しずつ変わり始めていた。
◇
「五平、ちょっと聞いてええ?」
「何や」
五平は千吉が仕上げた金具を見ていた。
俺が例の地板を差し出すと、五平は受け取って表と裏を見た。
「うちのやないな」
「分かる?」
「分かる」
「みんな分かるんやな」
「毎日見とるからな」
「これ、榊屋の鉄砲から寸法取って作ったっぽいんよ」
「そうか」
「反応薄いな」
「作れる奴がおったんやろ」
お蓮とほとんど同じだった。
職人というものは、自分の仕事を真似されることにもっと腹を立てるのかと思っていたが、意外とそうでもないらしい。少なくとも五平にとっては、誰かが鉄砲を見て同じようなものを作ろうとしたこと自体は、それほど驚くような話ではないようだった。
「でな。俺、寸法教えてもええんちゃうかと思っとる」
五平の手が止まった。
「誰に」
「これ作った奴とか、榊屋の部品作りたい奴に。全部ちゃうで。作る部品に必要な分だけ」
「何でや」
「同じ寸法で作れる奴、外にも増えた方が便利やと思う」
五平はしばらく地板を眺め、それから俺を見た。
「寸法教えたら、同じもん作れるんか?」
「近いもんは」
「同じもん作れるで」
横から声がした。
振り向く。
弥吉だった。
「お前は黙っとけ!」
「何でや!」
「話ややこしなるからや!」
「寸法分かったら作れるで?」
「お前は作れるやろ!」
「ほな、合っとるやん」
「そういう話ちゃうねん!」
弥吉が不満そうな顔をした。
五平は地板を持ったまま弥吉を見た。
「お前なら作れるやろ」
「ほら」
「ほら、やない!」
こいつは本当に、たまに話を壊す。
いや、正確には壊しているわけではない。
弥吉は出来る。
見本を見せて寸法を伝えれば、形を読み、どこをどう作ればいいのかを勝手に考え、かなり近いものを作ってしまう。それどころか、出来上がったものを見て「ここはこうした方がええ」と、自分で理由を見つけて直すことすらある。
だからこそ、弥吉を基準にしてはいけない。
俺がずっと作ろうとしているのは、弥吉みたいな奴が十人いることを前提にしなくても回る仕事だった。弥吉に出来るかどうかではなく、普通に腕のある職人へ寸法と見本を渡した時、どこまで同じところへ持っていけるのか。それが大事なのだ。
「弥吉やなくて、普通の職人の話」
「俺も普通の職人やぞ」
「お前がそれ言うたらあかん」
「何でや」
「自覚ないんか……」
五平が小さく笑った。
「まあ、弥吉は置いといてや」
「置くなや」
「置いとけ」
「五平さんまで!」
弥吉が黙った。
五平は改めて二枚の地板を並べる。
「寸法だけ同じにしたら、全部同じになると思っとるんか?」
「いや」
「鉄も違う。削り方も違う。穴の開け方も違う。最後にどう合わせるかも違う」
「うん」
「ほな、寸法教えたから言うて、榊屋と同じ仕事になるわけちゃうやろ」
「……せやな」
五平が指先で地板の縁をなぞった。
「こいつ作った奴、腕は悪うない」
「俺もそう思う」
「でも、うちと同じ作り方はしてへん」
「そこも分かる?」
「見たらな」
「それを教えたら?」
「何を?」
「削り方とか、穴の開け方とか」
「全部か?」
「いや、例えば」
「全部教えて、全部同じ道具使わせて、全部同じように作らせても、人が違ったらどっか違うやろ」
五平はそれを当然のこととして言った。
俺にも分かる。
規格を作り始めた頃、俺は同じ寸法にすれば、同じものへ近づけると思っていた。それは間違いではなかったが、それだけで全部が揃うほど簡単でもなかった。
材料が違う。道具が違う。削る人間が違う。測り方にも癖がある。同じ数字を狙っても、どちら側へ少し寄るかで組み合わせた時の動きは変わるし、寸法が合っていても表面の仕上がりやばねの働きまで同じになるわけではない。
それを少しずつ潰すために、見本を作り、治具を作り、工程を分け、検査を別にし、最後には実際の鉄砲へ組んで動きを確かめるところまでやってきた。
榊家寸は、その全部ではない。
同じものへ近づくための、大事な一つに過ぎない。
「ほな、教えたかったら教えたらええんちゃうか」
五平が言った。
「ええの?」
「何がや」
「いや、もっと嫌がるかと思った」
「物差しの数字教えたくらいで俺らの仕事全部持っていけるんやったら、俺らとっくに要らんやろ」
「……強いな」
「何が?」
「いや、何でもない」
その横で弥吉が首を傾げた。
「でも俺、寸法あったらだいたい作れるで」
「お前はもう帰れ!」
「まだ昼やぞ!」
◇
善次郎に頼んで、問題の地板がどこから来たのかを辿ってもらった。
最初に持ってきた商人。その前に扱った商人。その商人が買った先。何人もの手を渡っていれば難しいかと思ったが、今回は堺の中だけで回っていたため、思ったより早く見つかった。
「小さい鍛冶屋や」
善次郎が言った。
「一人?」
「親子と職人一人。普段は鉄砲の金具も作るけど、それだけで食っとるとこちゃうらしい」
「地板作った本人には会える?」
「会えるけど」
「ほな行こ」
「何しに?」
「聞きに」
「何を?」
「どうやって作ったか」
「殴るん?」
「何でや」
「怒ってへんの?」
「全然」
「お前やっぱりおかしいぞ」
善次郎に案内されて向かった工房は、榊屋よりずっと小さかった。奥で鉄を削っていた男に善次郎が声を掛け、榊屋の名前を出した途端、男の顔が固まった。
俺が持ってきた地板を机へ置くと、さらに顔色が変わる。
「これ、作った?」
「……はい」
「やっぱり!」
「何で嬉しそうやねん!」
善次郎が横から突っ込んだ。
男は完全に怯えている。
「す、すんません。榊屋さんの名ぁ勝手に使うたつもりは……」
「うん?」
「頼まれたんです。榊屋の鉄砲に使える地板作れんか言われて。それで鉄砲一挺見せてもろて……」
「外した?」
「はい」
「測った?」
「……はい」
「どこ測った?」
「虎松」
「何や」
「尋問みたいになっとる」
「ちゃうわ!」
善次郎に止められた。
どうも俺が前のめりになりすぎているらしい。
「怒ってへんから」
「……ほんまですか?」
「うん。榊屋の部品や言うて売られたんは困るけど、それ、お前が言うたん?」
「言うてません! 榊屋の鉄砲に合わせて作ったとは言いましたけど」
「ほらな」
善次郎が顔をしかめた。
やはり途中で変わったのだ。
榊屋の鉄砲に合う地板。
榊屋用の地板。
榊屋の地板。
誰か一人が大嘘をついたというより、売られていく間に言葉が少しずつ短くなり、最後には意味まで変わってしまったらしい。
「それはこっちでも何とか考える」
俺は地板を指した。
「それより、ここ何寸で取った?」
「……え?」
「この穴。端から」
男が戸惑いながら答えた。
やはり少し違う。
「惜しいねん」
「はい?」
「ここ、もうちょいこっち」
「虎松」
「何や」
「始まっとるぞ」
「ええやろ別に」
持ってきた紙に簡単な形を書き、地板を作るために必要なところだけ寸法を示す。
「ここと、ここ。地板作るなら、この寸法で合わせた方がええ」
男は紙と俺の顔を交互に見た。
「……教えてええんですか?」
「ええよ」
「よくない!」
「お前は黙っとけ!」
「何で俺が怒られんねん!」
善次郎が頭を抱えた。
「ただし」
俺は男に言った。
「これで作ったから言うて、榊屋の部品にはならんで」
「はい」
「榊屋と同じ寸法で作った地板。それは構わん。榊屋の鉄砲に合う言うて売るんも、実際に合う範囲をちゃんと伝えるなら、俺は止めへん」
男が真剣な顔で頷く。
「でも、榊屋が見てへんもんを、榊屋が作ったとか、榊屋の部品やとは言わんといてくれ」
「分かりました」
「あと、この寸法やったら何でもそのまま付くわけちゃうからな。古いやつは違うし、今のやつでも最後に合わせが要ることはある」
「はい」
「そこはちゃんと言うて」
「分かりました」
男は何度も頷いた。
これで、この鍛冶屋が榊屋の仲間になったわけではない。
榊屋から仕事を請け負うと決まったわけでもないし、榊屋の名前を使っていいと認めたわけでもない。まして、榊屋がこの男の作る地板を保証するわけでもなかった。
俺が渡したのは、地板を作るために必要な寸法だけだ。
榊家寸の全部ではない。
鉄砲の作り方でもない。
その寸法で作った地板は、あくまでこの男が作った地板だ。
それでも、昨日まで榊屋の中にしかなかった数字の一部が、また一つ外へ出た。
◇
「ほんまによかったんか?」
帰り道、善次郎がまだ言っていた。
「何が?」
「寸法や」
「ええやろ」
「敵増えるぞ」
「味方になるかもしれんぞ」
「何でや」
「今度、地板足りんようになったら頼めるかもしれん」
「……あ」
「お蓮のところがいっぱいになった時でもええ。急に数要る時でもええ。最初から榊家寸に近いもん作れる奴なら、何も知らん奴に一から教えるより早いやろ」
「お前、それ狙っとったん?」
「半分くらい今思いついた」
「返せ。感心した俺を返せ」
「ええやん、結果同じやろ」
「違うわ!」
善次郎は呆れていたが、俺には少しずつ見えてきた。
榊屋だけで、全部を抱える必要はない。
鉄砲を作る。部品を作る。壊れた鉄砲を直す。毎月百挺を外へ出し、その百挺が何年も使われるなら、その全部を榊屋の工房だけで面倒を見るのには、いつか限界が来る。
だが、榊屋と同じ寸法を知る職人が堺に増えたらどうなる。
地板を作れる。
軸を作れる。
ネジを作れる。
修理の時にも、最初から形を探るところから始めなくていい。榊屋が外へ仕事を頼む時にも、寸法を共有している相手なら話が早い。
もちろん、同じ寸法だから同じ品質になるわけではない。それは五平の言う通りだ。誰が作ったか、どう作ったか、出来上がったものを誰が確かめたかは、寸法とは別に考えなければならない。
だからこそ、榊屋の名前や、これから入れようとしている印には別の意味を持たせればいい。
寸法は、仕事を繋ぐ。
印は、誰がその仕事に責任を持つのかを示す。
同じものに見えていた二つが、俺の中で少しずつ分かれ始めていた。
俺はずっと、同じ寸法で作れるようにしてきた。
榊屋の中で、誰が作っても同じものに近づけるために。
けれど、同じ寸法の意味は、それだけではないのかもしれない。工房が違っても、職人が違っても、同じ寸法を知っていれば、誰かが始めた仕事の続きを、別の誰かが引き受けられる。
規格とは、物を揃えるためだけのものではない。
仕事を繋ぐためのものでもある。
「でもな」
善次郎が言った。
「何?」
「榊屋の名前使われんのは嫌やぞ」
「分かっとる」
「ほんまに?」
「せやから印入れるんやろ」
「その印、まだ作ってへんやろ」
「…………」
「虎松?」
「明日作る」
「今日作れや!」




