これは、うちのやない
「……これ、うちのやないぞ」
手の中の地板を見ながら言うと、善次郎が眉を寄せた。
「ほんまか?」
「うん。たぶん間違いない」
「榊屋の部品や言うて売られたらしいぞ」
「そうなんやろな」
「そうなんやろな、やないやろ。どうすんねん」
善次郎は明らかに困った顔をしている。
俺はもう一度、地板を眺めた。形は似ている。厚みも大きく違わない。穴の位置も、今の榊屋で使っているものにかなり近い。ぱっと見ただけなら、榊屋の地板だと言われても不思議ではない。
だが、縁の仕上げ方が違う。穴の周りに残った手の跡も違うし、お蓮のところから来る地板とも少し癖が違う。少なくとも、俺が知っている流れを通ってきたものではない。
そこまで確かめたところで、不安より先に別のものが込み上げてきた。
「……ついにきたか!」
「なんで喜んでんねん!」
「いや、だってお前、これ見てみ?」
「見とるわ!」
「わざわざ誰かが、榊屋の鉄砲に合う部品作ったんやぞ」
「せやから困っとるんやろ!」
「逆や逆。考えてみろ。榊屋の鉄砲に合わせた部品を作ったら、それを買う奴がおると思われとるんや」
「……それが?」
「俺らの鉄砲が、それだけ出回ってきたってことやろ!」
「だから何で嬉しそうやねん!」
嬉しいに決まっている。
俺が十歳の頃、同じ太さにしたい、同じ寸法にしたいと言い出した時には、親父に「ええ物作るんが仕事やろ。同じ物作るんが仕事ちゃう」と言われた。
あの頃は、それが普通だった。一挺ずつ職人が作り、一挺ずつ合わせる。同じ鉄砲と呼ばれていても、部品を外して隣の鉄砲へ持っていけば、そのまま使えるとは限らない。職人が違えば癖も違い、同じ職人が作っても一挺目と十挺目が寸分違わぬものになるわけではなかった。
そこから物差しを揃え、見本を作り、治具を作り、作り方を分け、少しずつ同じ寸法へ寄せてきた。完全に同じにはなっていないし、今でも最後には合わせが要る。作った時期による違いも残っている。
それでも、他所の誰かが榊屋の鉄砲を見て、「この寸法で作れば売れる」と考えるところまで来た。
俺がいた時代なら、こういうものを何と呼んだだろう。
標準。
規格。
あるいは、もっと別の言い方もあった気がする。
まだ堺中の鉄砲が榊屋と同じ寸法になったわけでもないのだから、そこまで大層なものではない。それでも、榊屋の中だけで通じていた寸法に、外の人間が合わせようとし始めた。
それは俺にとって、かなり大きな出来事だった。
「新八、これもう一回見てくれ」
「ええで」
新八に地板を渡した。昨日も軽く見てもらっているが、今度は榊屋の地板を一枚持ってきて横に並べ、榊家寸の物差しも出して、幅、穴の位置、端からの距離を順番に確かめていく。
「近いな」
「やっぱり?」
「うん。これだけ合っとったら、たまたまとは考えにくいな」
「やろ?」
「何でお前が自慢げやねん」
善次郎が横から言う。
「うちの鉄砲から寸法取ったんちゃうかな」
「その可能性は高いやろな」
「ほら!」
「ほら、やない!」
善次郎がうるさい。
だが、これは面白い。
嘉兵衛のところにも、榊屋の鉄砲から外したネジを持ってきて、同じようなものを作ってくれと言った商人がいた。あの時はネジだった。今度は地板だ。
完成した鉄砲を何百挺も外へ出している以上、寸法まで隠しておくことは出来ない。榊家寸の物差しそのものを持ち出さなくても、出来上がった鉄砲を測ればいい。部品を外せば、もっと分かりやすい。
「出来は?」
俺が聞くと、新八が地板を裏返した。
「悪うないで」
「やっぱり」
「おい」
「何や」
「何でさらに嬉しそうやねん」
「出来とるもんは出来とるやろ」
「うちの名前で売られとるんやぞ!」
「それはあかん」
「ほら!」
「でも、出来がええか悪いかは別やん」
「そこを分けるな!」
「分けなあかんやろ!」
粗悪な部品なら話は簡単だった。
榊屋のものではない。出来も悪い。使うな。それで終われる。
ところが、目の前の地板はちゃんと作られている。少なくとも見ただけで捨てるようなものではないし、作った人間が地板という部品を理解していることも分かる。
「合わせてみよか」
「やるんか?」
「うん。使えるか見たい」
新八と相談して、確認用に使ってもいい鉄砲へ当ててみる。そのままでは入らなかったが、全然違うわけでもない。縁が少し当たり、穴もわずかにずれている程度だった。
「ここやな」
「こっちも少しや」
「穴は?」
「近いで。これなら合わせられる」
縁を少しだけ合わせ、穴を確認する。地板を取り付けて火蓋を動かし、何度か動きを確かめても、大きな引っ掛かりは出なかった。
「……使えるやん」
善次郎が言った。
「使えるな」
「ほんまに榊屋のやないんやな?」
「ちゃうと思う」
「ほな、榊屋の地板と何が違うん?」
「作った奴」
「それだけ?」
「今んところは」
「それでええんか?」
「別にええやろ」
「よくないやろ!」
善次郎がとうとう机を叩いた。
「これが壊れたらどうすんねん。買うた奴は榊屋の部品やと思っとるんやぞ!」
「そら榊屋に文句言いに来るやろな」
「分かっとるやないか!」
「分かっとるよ」
そこは最初から分かっている。
似たものを作られることと、榊屋の名前で売られることは別だ。
寸法を真似されること自体は、俺にはそれほど嫌ではない。むしろ、同じ寸法で作る人間が増えるなら、それは俺がずっとやりたかったことの延長にも見える。
だが、俺たちが見てもいない部品に榊屋の名前を付けられるのは困る。出来が悪ければ榊屋の評判が落ちるし、出来が良かったとしても、それを作ったのは俺たちではない。何より、どこまで使えるのかも確認していないものについて、榊屋が責任を持てと言われても持ちようがない。
「ほな、どうすんねん」
善次郎が聞いた。
「刻印でも打てばええやろ。簡単や」
「…………」
「何や」
「簡単なん?」
「簡単やろ。うちから出すやつに『榊』でも何でも印入れたらええ。そしたら見分けつくやん」
善次郎が、さっきまでの勢いを失った。
「……最初からそれ言えや」
「聞かれへんかったし」
「俺だけずっと心配しとったやん!」
「商人やろ?」
「その言葉返すな!」
◇
「うちのやないな」
翌日、地板を一目見たお蓮は言った。
「やっぱ分かる?」
「分かるわ」
「どこ?」
「ここ。うちなら、こんな落とし方せえへん。穴も違う」
「寸法はかなり近いぞ」
「寸法の話してへん」
「でも使えた」
「ほな、作った奴が上手かったんやろ」
昨日の俺と同じようなことを言っている。
「怒らんの?」
「何で?」
「真似されとるぞ」
「地板やぞ?」
「うん」
「鉄の板切って、穴開けて、削って、鉄砲に合わせるんやろ。同じ鉄砲見て作ったら似るわ」
「お前、自分の仕事取られるとか思わんの?」
「そいつが安うて、ようけ作れて、ちゃんとしたもん出してきたら困るな」
「困るんや」
「当たり前やろ」
「ほな怒れよ」
「困るんと、作るな言うんは別やろ」
お蓮は当然のように言った。
この女、強い。
「でもな」
お蓮が地板を指で弾いた。
「これを、うちが作った言うて売られたら嫌やで」
「今回は榊屋の部品や言われたらしい」
「それは話違うやろ」
「やっぱり?」
「当たり前や。同じもん作るんは好きにしたらええ。でも、誰が作ったかまで勝手に変えんなや」
「俺もそう思う」
「ほな何で嬉しそうなん?」
「お前まで言う?」
「顔に出とる」
仕方がない。
嬉しいものは嬉しい。
俺が作った部品を真似されたからではない。榊屋が十年近くかけて少しずつ揃えてきた寸法が、榊屋の外でも意味を持ち始めている。それが嬉しい。
「でな、刻印入れようと思う」
「刻印?」
「うん。『榊』でも何でも、うちが出した部品に印入れとけば分かりやすいやろ」
「うちが作った地板にも?」
「そら入れるやろ」
「うちが作ったんやぞ?」
「でも榊屋が頼んだやつやん」
「ほう」
お蓮が妙な顔をした。
「何?」
「いや。ええけどな」
「何やねん」
「うちが作ったもんに榊屋の印入れるんやなと思って」
「……あ」
そこで初めて、少し引っ掛かった。
お蓮が作った地板。嘉兵衛が作ったネジ。お蓮が別の鍛冶屋へ仕事を分け、その鍛冶屋が作った地板。それらにも、榊屋の印を入れる。
別におかしくはない。榊屋の鉄砲に使うために頼み、榊屋が買い、榊屋から客へ出すものなのだから。
だが、刻印を入れるという行為は、思っていたより少し意味が重いのかもしれない。
◇
「これに印を入れるとして」
工房へ戻り、新八にお蓮の地板を見せた。
「うん」
「いつ入れる?」
「いつ?」
「お蓮が作った時?」
「それやと、こっちで見る前やな」
「やんな」
「ほな、受け入れてからか?」
「たぶん」
「見る前に打つんか、見た後に打つんかで違うで」
「……見た後やな」
「手直しになったやつは?」
「直してから」
「途中までしか出来てへんやつは?」
「…………」
横で善次郎が笑った。
「ほら始まった」
「うるさい。今考えとる」
「簡単やなかったん?」
「刻印打つだけなら簡単や!」
「打つまでが面倒なんやろ?」
「そうとも言う!」
さらに問題がある。
「地板は打てるな」
「打てる」
「軸は?」
「小さいな」
「ネジ」
「もっと小さい」
「鋲」
「無理ちゃうか」
「ばね」
「場所考えんと嫌やな」
「…………」
「全部に打つんか?」
「無理やな」
刻印を入れれば終わりだと思った。
全然終わらなかった。
そもそも、何のために印を入れるのかを決めなければならない。作った人間を示すのか、榊家寸で作ったことを示すのか、榊屋が注文したことを示すのか。それとも、榊屋が確認し、榊屋の部品として出したことを示すのか。
「最後ちゃう?」
俺が言った。
新八が地板を見ながら頷く。
「俺もそれやと思う」
「お蓮が作ったか、嘉兵衛が作ったかは帳面に残せばええ。客が知りたいんは、榊屋から出た部品かどうかやろ」
「ほな、見る前に印入れたらあかんな」
「せやな」
「駄目やったやつにも榊屋の印残るで」
「それは嫌やな」
善次郎が腕を組んだ。
「ほな、その印が付いとるもんは、榊屋が大丈夫や言うた部品ってことか?」
「……そうなるな」
「壊れたら?」
「使い方とか鉄砲の状態にもよるけど、少なくとも『知らん』とは言えんな」
「ほら。重いやんけ」
「重いな」
「簡単言うてたやろ」
「刻印打つ作業は簡単や!」
「まだ言うか!」
でも、それでいいのかもしれない。
榊屋の印を入れるなら、榊屋が責任を持つ。俺たち自身が作ったかどうかではなく、誰かに頼んで作ってもらったものでも、榊屋が確認し、これなら使えると判断して客へ出すなら、その判断については榊屋の仕事になる。
逆に、寸法が同じでも、榊屋が一度も見ていないものまで責任を持つ必要はない。
ようやく、少し線が見えてきた。
「でも、印入れられへん部品どうする?」
善次郎が言った。
「……札?」
「外れるぞ」
「包み?」
「入れ替えられるぞ」
「お前、今日はよう働くな」
「昨日からずっと働いとるわ!」
小さな部品をどうするかは、まだ考えなければならない。それに刻印の形も決めていないし、誰が打つのか、どこに打つのか、どの段階で打つのか、勝手に打たれないよう刻印そのものをどう扱うのかまで決める必要がある。
考え始めれば、また仕事が増える。
ただ、昨日までより一つだけはっきりしたことがあった。
印は、ただの目印ではない。
それを付けた瞬間に、「これは榊屋が出したものだ」と自分たちで言うことになる。
◇
夕方、俺は例の地板と、お蓮から入った地板を机の上に並べた。
榊家寸の物差しを当てて、幅、穴の位置、端からの距離をもう一度確かめる。やはり近い。作った人間の手癖は違うのに、出来上がった形は榊屋の地板へ寄っている。
「よう出来とるなあ」
「まだ言うんか」
善次郎が呆れた。
「だってよう出来とるもん」
「俺はだんだん腹立ってきたぞ」
「お前んちは高瀬屋やろ」
「榊屋の鉄砲売っとるんは俺らや!」
「そうでした」
「何やその言い方!」
笑いながら、もう一度地板を見る。
誰かが榊屋の鉄砲を測ったのだろう。あるいは、榊屋から出た地板そのものを手に入れて、それを見本にしたのかもしれない。
どちらでもいい。
完成した鉄砲を外へ出している以上、寸法まで工房の中に閉じ込めておくことは出来ない。榊家寸の物差しを大事に管理したところで、榊家寸で作ったものそのものが外へ出ていく。物差しを盗まなくても、出来上がった部品へ物差しを当てれば寸法は分かる。
それどころか、同じ寸法で作れる人間が増えること自体は、本当に悪いことなのだろうか。
遠くで榊屋の鉄砲が壊れた時、近くの鍛冶屋が同じ寸法の部品を作れる。全部を堺まで持ってこなくても直せるかもしれないし、榊屋だけで作り切れない時には、外へ仕事を頼める相手が増えるかもしれない。
そもそも俺が十歳の頃からやってきたのは、一人の職人の勘だけに頼らず、同じ寸法をほかの人間でも作れるようにすることだった。
それが工房の外まで広がった途端に、「真似するな」と言うのも妙な話だ。
「なあ、宗次郎」
「はい」
「榊家寸って、もう俺らだけのもんちゃうんかもしれんな」
宗次郎がこちらを見る。
「どういう意味です?」
「同じ寸法で作る奴が、外にも出てきたってことや」
「困りますか?」
「いや」
少し考えた。
「むしろ、ええことかもしれん」
「善次郎さんは困ってますけど」
「それは名前まで使われとるからや」
「そこは別なんですね」
「別や」
寸法を真似することと、榊屋の名前を使うこと。
同じ話に見えて、違う。
寸法は広がれば便利になるかもしれない。同じ寸法で作れる人間が増えれば、作れる部品も、直せる鉄砲も増える。
だが、それが榊屋の仕事かどうかは別だ。
榊屋が自分たちで作ったもの。榊屋が頼んで作らせたもの。榊屋が受け取り、確認したもの。そして、榊屋が責任を持って客へ出したもの。
そこには、寸法とは違う何かがある。
机の上には二枚の地板がある。
形は似ている。
寸法も、ほとんど同じ。
一枚は、榊屋が頼み、受け取り、使えると判断したもの。
もう一枚は、誰が作ったのかも分からない。
それでも、鉄砲には使えた。
同じ寸法なら、同じものなのか。
俺が十歳の頃から追いかけ続けてきた問いが、少し違う形になって戻ってきた。
昔の俺は、同じものを作りたかった。
今の俺は、同じように作られた二つのものを見ながら、その違いを考えている。
どうやら今度は、同じに出来たからこそ考えなければならないらしい。




