物差しがない
「お前、ちょっとそこ座れ」
「はい……」
庄吉は素直に作業台の前へ座った。
昨日までなら何とも思わなかったその素直さが、今日は妙に怖い。こいつがこういう顔で俺のところへ来る時は、大抵ろくなことがない。
「怒らんから、最初から話せ」
「はい」
「いつまであった?」
「昨日です」
「どこで使った?」
「ここです」
「その後は?」
「置きました」
「どこに?」
「……ここです」
庄吉が作業台の端を指した。
何もない。
「ないやん」
「はい」
「よし。怒ろか」
「怒らん言いましたやん!」
「まだ怒ってへん。怒ろかって聞いただけや」
「もっと怖いです!」
朝から元気な奴である。
とはいえ、怒鳴ったところで物差しが出てくるわけではない。俺は庄吉を座らせたまま、昨日ここで何をしていたのか、一つずつ聞いていくことにした。
なくなったのは、榊家寸で作った物差しの一本だった。
もちろん、榊屋で使っている寸法の何もかもが一本に刻まれているわけではない。そんな便利なものはないし、部品によって測る場所も違えば、物差しではなく見本や確認用の道具を使うところもある。今回なくなったのは、主に地板を作る時に使う寸法を拾ったもので、お蓮が見つけてきた工房へ仕事を出すため、庄吉が見本と一緒に準備していたものだった。
「全部持っていかんでええ言うたよな?」
「はい。だから地板で使うところだけのやつを用意してました」
「そこは合っとる」
「ですよね!」
「褒めてへんぞ。なくしとるからな」
「はい……」
しゅんとした。
そこへ宗次郎がやって来た。
「朝から何をしているんです?」
「物差しが一本なくなった」
「……どれです?」
「地板用に寸法拾っとったやつ」
「榊家寸ですか?」
「そう」
宗次郎の表情が少し変わった。
「全部の寸法が入っているものでは?」
「ない。地板で使うところが中心や。ほかにも同じ寸法を見られる物差しや見本はある」
「なら、まだ良かったですね」
「良かったんですか!?」
庄吉が顔を上げた。
「なくしてええとは言うてへん」
「ですよね……」
また沈んだ。
少なくとも、これ一本が消えたから鉄砲を作れなくなるわけではない。地板の寸法そのものは残っているし、同じ寸法を見る方法もある。これまで作った地板もあれば、確認に使う見本もあるから、最悪の場合は新しく作り直すことも出来る。
問題は、物差し一本の値段でも、それがなければ仕事が止まることでもなかった。
「なあ、宗次郎」
「はい」
「榊家寸の物差し、今何本ある?」
宗次郎が黙った。
「……何本でしょう」
「え?」
「兄上は分かるんですか?」
「…………」
分からない。
新八を呼んで聞いてみると、自分が使っているものが二本あるという。佐吉にも聞けば作業場に何本かあり、五平は当然のように自分用を一本持っていた。甚助のところにも木の加工に使うものがあり、探せばまだ出てきそうだった。
「親父は?」
「知りません」
「……一本くらい持っとるやろな」
「でしょうね」
「…………」
宗次郎が俺を見る。
「兄上」
「言うな」
「一本なくなった以前に」
「言うな」
「全部で何本あるか分かってませんね」
「言うな言うたやろ!」
庄吉が少しだけ安心した顔をした。
「何でお前が安心しとんねん」
「俺だけじゃないんやなって」
「お前は一本なくした側や!」
「はい!」
返事だけはいい。
◇
とにかく探すことになった。
庄吉だけに任せて、夕方になってから「ありませんでした」と言われても困る。昨日使った作業台から始めて、その周り、棚、材料置き場、お蓮のところへ持っていく予定だった荷物まで、順番に見ていった。
だが、ない。
作業台の下にも落ちていないし、木屑や削り屑に紛れてもいない。誰かが間違えて道具箱へ入れた様子もなく、持ち出す予定だった地板の見本と一緒にもなっていなかった。庄吉自身もあちこち覗き込んでいるが、探す場所がだんだん怪しくなっている。
「そこに入るわけないやろ」
「念のためです!」
「物差しやぞ」
「だから念のためです!」
何の念なのか分からない。
「庄吉さん、昨日ここで使ってましたよね」
そんな俺たちを見て、千吉がやって来た。
「使っとった」
「その後どこ置いたんです?」
「分かったら探してへんわ!」
「それもそうですね」
「お前、腹立つな!」
千吉は悪びれもしない。
こいつは若いわりに覚えが早い。教えた手順をそのまま覚えるし、道具も使い終われば決めた場所へ戻す。まだ難しい仕事を一人で任せられるほどではないが、簡単な加工なら手を離しても大丈夫なことが増えてきた。
その千吉の横で、庄吉が何とも言えない顔をしている。
「何や」
「何でもないです」
「何でもない顔ちゃうぞ」
「……俺、またやってもうたなと思って」
珍しく小さな声だった。
「また?」
「俺、昔からこんなんやないですか」
「まあ」
「そこ否定してくださいよ」
「嘘ついてもしゃあないやろ」
「そうですけど……」
庄吉は頭を掻きながら、ちらりと千吉を見た。
「千吉なんか、入ってきてから全然こういうことせえへんし。覚えるんも早いし」
なるほど。
そういうことか。
二年前、庄吉はまだ何をやらせても危なっかしかった。寸法を間違える。順番を飛ばす。置いたものを忘れる。失敗して五平に怒られ、それでも翌日にはまた工房へ来ていた。
今も危なっかしいところはある。
だが、二年前と同じではない。
今では簡単な加工なら任せられる。見本を見て寸法を拾うことも出来るし、言われた寸法をただ写すだけではなく、それが何に使われるのかも少しずつ考えるようになった。昨日だって、俺に言われた通り、外へ持っていく仕事に必要な寸法だけを用意しようとしていた。
そもそも二年前の庄吉なら、今回なくした物差しを任されていない。
失敗しなくなったから成長した、というわけではない。任せられる仕事が増えれば、それまで触れなかったものにも触れるし、それまで起こせなかった失敗も起こす。そう考えれば、こいつが今ここで落ち込んでいること自体、二年前とは違う場所まで来た証拠ではある。
出来ることが増えたから、なくせるものまで増えたとも言える。
全然うれしくない成長である。
「とりあえず、落ち込むんは後にしろ」
「はい」
「見つけてから落ち込め」
「はい!」
「見つかったら喜んでもええけどな」
「はい!」
やっぱり返事だけはいい。
◇
昼を過ぎても、物差しは見つからなかった。
ここまで探して出てこないとなると、さすがに別の可能性も考えなければならない。そう思った時、頭の中に嫌な考えが浮かんだ。
誰かが持っていった?
榊屋には、以前より多くの人間が出入りするようになった。材料を持ってくる者もいれば、部品を取りに来る者もいる。お蓮や嘉兵衛だけではなく、その先にいる職人とも関わり始めているし、これからはお蓮が見つけた三軒にも榊家寸の一部を伝えるつもりでいる。
嘉兵衛のところには、この前、榊屋の鉄砲から外したというネジを持ち込んだ商人まで来ていた。
榊家寸が何なのか知っている者は、まだ多くないだろう。だが、榊屋が同じような鉄砲を百挺作っていることは知られ始めている。その寸法を揃えるための物差しだと分かれば、欲しがる奴が絶対にいないとも言えない。
「兄上」
「ん?」
「何か気になることでも?」
宗次郎がこちらを見ていた。
「……誰か持ってった可能性あるかなって」
「盗まれたと?」
「分からん」
「誰かを疑うんですか?」
「いや」
そこは違う。
今のところ、誰かが持ち去った証拠なんて何もない。庄吉がどこかへ置き忘れただけかもしれないし、誰かが邪魔だから別の場所へ移しただけかもしれない。外から来た人間を片っ端から疑い始めれば、それこそ仕事にならない。
「なくしたのか、誰かが間違えて持ってったのか、それとも本当に持っていかれたのか。それすら分からんのが嫌なんや」
「なるほど」
「何本あるかも分からんかったしな」
「それは先ほど分かりました」
「忘れてくれ」
「無理です」
宗次郎は容赦がない。
だが、考えてみれば妙な話だった。
寸法を揃えるために物差しを作った。その物差しを使って同じ部品を作れるようにし、工房のあちこちで使うようになった。今では外へ仕事を出すため、必要な寸法を伝える道具まで作り始めている。
なのに、その物差しがどこに何本あるのか、誰が持っているのか、俺たちはきちんと把握していなかった。
鉄砲を作るための寸法は揃えた。
その寸法を示す道具の扱い方は、揃えていない。
規格を作ることと、その規格を管理することは、どうやら別の仕事らしい。
我ながら、妙なところに穴がある。
◇
「庄吉」
「はい」
「昨日やったこと、最初から全部言え」
「全部ですか?」
「全部」
「関係ないことも?」
「関係あるかどうか、今のお前には分からんやろ」
「……はい」
庄吉をもう一度、作業台の前へ座らせた。
今度は物差しを探すのではなく、昨日の庄吉を朝から順番に追う。どこへ行った。誰と話した。何を作った。何を持った。関係なさそうなことも飛ばさせない。物差しがどこにあるか分からない以上、何が関係しているのかもまだ分からないからだ。
「朝は地板の見本出して、それから物差し持ってきました」
「うん」
「見本と今の地板を測って、紙に書いて」
「その時は物差しあった?」
「ありました」
「その後」
「ええと……五平さんに呼ばれました」
「何で?」
「千吉の作った金具、一緒に見ろって」
千吉を見ると頷いた。
「その時、物差しは?」
「作業台に……置いたと思います」
「思います、か」
「はい」
「続けて」
「それから千吉のやつ見て、戻ってきて、書いた寸法もう一回見て……あ」
「何や」
「その時もありました」
「ほんまか?」
「はい。俺、見本と一緒にお蓮さんとこ持っていく箱に入れようとしました」
「入れた?」
「……いや」
庄吉の眉間に皺が寄った。
「待ってください」
「何や」
「俺、その時思ったんです。これ持ってったらあかんやつちゃうかって」
「おお!」
「全部の寸法じゃないですけど、榊屋で使ってるやつやから、勝手に持ってったら虎松さんに怒られると思って」
「そこまで思い出したんか!」
「はい!」
「で、どこ置いた!」
「……それが」
「そこや! 一番大事なんそこや!」
「すんません!」
あと一歩なのに。
庄吉は頭を抱えたまま、必死に昨日のことを思い出している。
「箱に入れようとして、やめて……別のとこに置いたんです」
「どこ?」
「それが思い出せんのです」
「何でそこだけ抜けんねん!」
「俺にも分かりません!」
だが、かなり絞れた。
少なくとも昨日の途中まではあった。しかも庄吉は、外へ持ち出さないために自分でどこかへ移したらしい。
「何で移した?」
「見本と混ざったら、また間違えて箱に入れそうやったからです」
「ほな、箱から離れたとこやな」
「はい」
もう一度探す。
今度はただ手当たり次第に見るのではなく、庄吉が箱から物差しを離そうとしたなら、どこへ置きそうかを考えながら見ていった。作業台の反対側、棚、普段使っている道具箱、見本を置く場所まで探したが、それでも出てこない。
庄吉の顔が、また少しずつ青くなっていく。
「庄吉さん」
その時、千吉が棚の前で言った。
「何や」
「昨日、この辺で何かしてませんでした?」
「ここ?」
「俺、五平さんのところから戻った時、庄吉さんがここにいた気がするんですけど」
庄吉が棚を見た。
しばらく動かなかった。
「……あ」
「何や」
「あ」
「何や!」
「ああああああ!!」
「うるさい!」
庄吉が棚へ飛びついた。
上の方に置いてあった治具箱を下ろし、蓋を開ける。中には普段あまり使わない見本や、小さな道具がいくつか入っていた。
その隅に、一本の物差しがあった。
「あった!」
庄吉が振り返った。
「ありました!」
「うん」
「良かったですね!」
「うん」
「……虎松さん?」
「庄吉」
「はい」
「座れ」
「さっき座りましたやん!」
◇
物差しは見つかった。
誰かが盗んだわけでもなければ、外へ持ち出されたわけでもない。庄吉がなくさないように、わざわざ普段と違う場所へ置いて、その場所を自分で忘れただけだった。
「何でそんな器用なこと出来んねん」
「すんません……」
「なくさんようにした結果、なくしとるやん」
「はい……」
「お前なあ」
「兄上」
宗次郎が口を挟んだ。
「何や」
「庄吉を叱るのはいいですが、その前に決めることがあるのでは?」
「分かっとる」
「ならいいです」
庄吉が恐る恐る顔を上げた。
「俺、怒られへんのですか?」
「怒るで」
「やっぱり」
「お前が悪い」
「はい……」
「でも、お前だけ悪いことにしたら、また誰かやる」
「……はい?」
庄吉が首を傾げた。
「物差し何本あるか、俺らも分かってへんかったやろ。誰がどれ使っとるかも決めてへんし、どこに戻すかも全部が全部決まっとるわけちゃう。外へ持っていく時にどうするかも、昨日までちゃんと決めてへんかった」
「でも、なくしたの俺ですよ?」
「そうや」
「やっぱり俺が悪いんちゃいます?」
「お前も悪い」
「も?」
「仕組みも悪い」
庄吉はまだ納得していないようだった。
「人が絶対に間違えへんようになるんを待つより、間違えても分かるようにしとく方がええ。お前が今日反省して、二度となくしません言うても、明日俺がなくすかもしれんしな」
「兄上はやりそうですね」
「お前ちょっと黙れ」
宗次郎が涼しい顔をしている。
否定しきれないのが腹立たしい。
物差しが一本なくなった原因は庄吉だ。そこを曖昧にするつもりはない。だが、庄吉を一時間叱りつけたところで、次に佐吉がなくせば同じことになるし、俺がなくせばもっと格好が悪い。
人を叱ることと、同じことが起きないようにすることは別だ。
榊屋で何度もやってきたことだった。
「とにかく、集めよ」
「何をです?」
「榊家寸」
◇
全部を一か所へ集めてみると、思っていたより多かった。
長さを見るための物差し、特定の部品に使うもの、穴の位置を見るための見本、新八が確認に使っているもの。同じ寸法を見るものが複数ある一方で、一つしかないものもあり、工房の中だけで使っているものもあれば、これから外へ持ち出す可能性があるものもある。
何でもかんでも厳しく管理する必要はない。普通の物差しまで使うたびに帳面へ書いていたら、物を作るより物差しの世話をする時間の方が長くなってしまう。
だが、榊家寸を直接示すものや、外へ持ち出す可能性があるものは別だった。
「印付けよか」
「印?」
新八が聞いた。
「一、二、三でもええ。どれがどれか分かるようにする。同じ寸法見る物差しが二本あっても、印が違えばどっちがなくなったか分かるやろ」
「なるほど」
「それで、普段どこに置くかも決める。外へ持っていく時は、誰が持っていったか書く」
宗次郎が帳面を開いた。
「どこへ持っていったかも必要ですね。返した時も書きましょう」
「うん。あと、外へ渡すやつは最初から別に作ろ」
「必要な寸法だけにするんですね」
「そう。地板作るところに、火ばさみの寸法まで教える必要ないやろ」
お蓮のところへ出すなら、地板に必要な寸法だけ。嘉兵衛なら、ネジや軸に必要なものだけ。相手が仕事をするために必要なものは渡すが、必要のないものまでまとめて渡す理由はない。
別に、榊家寸を誰にも見せない秘伝にしたいわけではない。
外の職人に同じ寸法で作ってもらおうとしているのだから、必要な寸法は伝えなければ始まらない。隠すことばかり考えれば、仕事を分けること自体が出来なくなる。
だからこそ、何を渡したかは自分たちで分かっていなければならない。
今まで榊家寸は、榊屋の中で同じものを作るための道具だった。
だが外へ仕事を分け始めれば、その寸法も外へ出ていく。作る仕事を分けるなら、寸法を伝える仕事も必要になる。そして寸法を伝える仕事が生まれれば、今度は誰に、何を、どこまで伝えたのかを管理する仕事まで生まれる。
一つ仕事を外へ出しただけで、別の仕事が二つ三つと増えていく。
「面倒増えたなあ」
「兄上が増やしたんですよ」
「最近そればっかり言われる」
「事実ですから」
宗次郎は容赦がない。
そんな話をしていると、庄吉が並べた物差しを眺めながら口を開いた。
「虎松さん」
「何?」
「外に持っていくやつ、印変えたらどうです?」
「印?」
「はい。榊屋の中で使うやつと同じ印やったら、戻ってきた時に分からんくなりません? 外に持っていくやつだけ見て分かる印にしとけば、間違えて中のやつ持っていこうとした時も分かるんちゃうかなって」
俺は庄吉を見た。
庄吉が不安そうな顔になる。
「あ、変なこと言いました?」
「いや」
なるほど。
中で使うものと、外へ持っていくもの。
最初から印を変えておけば、一目で分かる。外向けの物差しが工房に戻ってきても分かるし、逆に内向けのものを誰かが持ち出そうとしても気付きやすい。
「それ、採用」
「え?」
「外へ出すやつは印変えよ」
「ほんまですか?」
「おう」
「俺が考えたやつ?」
「そうや」
庄吉の顔がぱっと明るくなった。
「千吉! 聞いたか!」
「聞いてます」
「俺の案やぞ!」
「物差しなくしたのも庄吉さんですけど」
「それは今言わんでええやろ!」
工房に笑い声が広がった。
俺も笑った。
二年前の庄吉なら、なくして、怒られて、それで終わっていただろう。次は気をつけますと言って、本当にしばらくは気をつける。それでも、どうすればなくしにくくなるかまで考える余裕はなかったと思う。
今もなくす。
そこはあまり変わっていない。
だが、なくした後に、自分がなぜ間違えたのかを考え、その間違いを次の誰かがしにくくする方法まで考えるようにはなった。
失敗しなくなることだけが成長ではない。
失敗した後に出来ることが増えるのも、たぶん成長なのだろう。
少しずつではある。
本当に少しずつではあるが、こいつもちゃんと前へ進んでいる。
◇
その日のうちに、榊家寸を示す物差しや見本にはそれぞれ区別出来る印を付け、普段置いておく場所も決めた。外へ持ち出すものについては庄吉の案を使って別の印を付け、誰がどこへ持っていったのか、いつ戻ってきたのかも帳面へ残すことにした。
一本の物差しが見当たらなくなっただけだった。
それでも調べてみれば、物差しの数さえ誰も把握していなかった。鉄砲の寸法を揃えることばかり考えて、その寸法をどう扱うかまでは考えていなかったのだ。
物差しは見つかった。
だから、今日の騒ぎだけならこれで終わりだ。
だが、榊屋の寸法そのものまで工房の中へ閉じ込めておけるわけではない。榊屋の鉄砲は、もう何百挺と外へ出ている。嘉兵衛のところへネジ一本を持ってきた商人がいたように、測ろうと思えば、鉄砲そのものから寸法を拾うことだって出来る。
物差しを管理すれば、榊屋の寸法を誰にも知られずに済む。
そんな話ではない。
同じ寸法で作ってもらうためには、こちらから外へ伝えることだってある。隠すことと、広げることのどちらか一方を選べば済むほど単純でもない。
それでも、誰に何を渡したのか、自分たちで分からないよりはずっといい。
何を外へ出していいのか。
何を榊屋の中に置いておくのか。
誰が持っているのか。
いつ戻ってくるのか。
鉄砲の寸法を揃えた時には考えもしなかったことが、今では仕事になり始めている。
作るものが増えたから。
人が増えたから。
外へ頼む仕事が増えたから。
榊屋が、俺と親父と何人かの職人だけで顔を見合わせていれば済む工房ではなくなってきたからだ。
同じものを作るために始めた榊家寸が、いつの間にか榊屋の中だけでは収まらなくなっている。
それが良いことなのか、面倒なことなのかは、まだ分からない。
たぶん、両方なのだろう。
「虎松さん」
「ん?」
庄吉が、新しく印を付けた物差しを持っていた。
「これから物差し、俺が管理しましょうか?」
「絶対嫌や」
「何でですか!」
「今日の今日やぞ!」
「もうなくしませんて!」
「信用取り戻してから言え!」
「いつですか!」
「知らん!」
横で聞いていた千吉が口を挟んだ。
「十年くらいですか?」
「お前は黙っとれ!」
物差しは見つかった。
庄吉の信用は、まだ見つかっていなかった。




