ネジが足りん
お蓮が「考えたる」と言ってから、三日が経った。
その間、俺は補修用に置いておく部品について宗次郎と予定を組み直し、新八とはどこまでを完成品として置くかを詰めていた。お澪には在庫と出入りを記録する帳面を作ってもらっている。
まだ何も増えてはいない。それでも、何を、どれだけ、どんな状態で置こうとしているのかは、前よりずっと分かるようになった。
そんなところへ、お蓮が榊屋にやって来た。
「三軒、心当たりある」
「もう見つけたん!?」
「考える言うたやろ」
「いや、言うたけど三日やぞ」
「一軒は金具やっとる。地板は作ったことないけど、穴開けと削りは出来る。もう一軒は鍛冶屋やけど、今あんまり仕事入っとらん。最後は知り合いんとこで、若いのが仕事欲しがっとる」
「早いですね」
横で聞いていた宗次郎が感心したように言った。
「やろ?」
「何で兄上が得意そうなんですか」
「俺が頼んだからや」
「探したのはお蓮さんでしょう」
「細かいこと言うな」
お蓮が鼻で笑った。
「三軒とも、いきなり地板一枚任せるんは無理やで。どこまで出来るか見てからや」
「分かっとる。一軒に全部出したら、お前んとこがそっちに変わるだけやしな」
「そこまで分かっとるならええ」
「俺を何やと思っとるんや」
「面倒持ってくる奴」
「ひどない?」
「事実やろ」
宗次郎まで小さく頷いている。
何だこいつら。
そんなやり取りをしていると、少し離れたところで帳面を見ていたお澪が顔を上げた。さっきから妙に静かだと思っていたが、俺を見る目が何となく冷たい。
「虎松さん」
「ん?」
「あなた、お蓮さんにどんなつもりであんなこと言ったんです?」
「あんなこと?」
「はい」
「何のことや?」
お澪が一瞬黙った。
なぜか、お蓮がすっと目を逸らした。
「……『俺ともっと深い仲になってくれ』やら、『お前のこと信頼してる』やら」
「…………」
「噂になってますよ」
「……は?」
思考が止まった。
横を見ると、宗次郎も黙っている。お蓮はまだ目を合わせない。
「誰がそんなこと……」
「言ったんでしょう?」
「……俺やな」
「言ったんです」
「いや、待て」
そこまで言われて、ようやく意味が分かった。
そういうことか。
「あー……」
「何です?」
「いや、その……言葉の綾や」
「でしょうね」
「仕事以上の意味はあらへんで。お蓮に、ほかの鍛冶屋までまとめてもらいたいって話で」
「それは聞けば分かります」
「ほなええやん」
「よくありません!」
「何で!?」
「もう少し言い方に気を使った方がいいですよ! お蓮さんだって困るでしょう!」
「いや、うちはもうええけど」
「お蓮さんは黙っててください」
「はい」
お蓮が引いた。
珍しいものを見た。
「そもそも、人前であんな言い方したら勘違いされるに決まってるじゃないですか。お蓮さんだから笑って済んでますけど、相手によっては大変ですよ」
「あ、ああ。せやな。すまん、気をつけるわ」
「本当に気をつけてください」
「はい」
なぜか俺まで返事をしてしまった。
お澪はそれでようやく帳面へ目を戻した。
言っていることは分かる。確かに今思い返せば、かなり紛らわしい。あれだけ周りに職人がいたのだから、変な噂になっても仕方がない。
それにしても、何でお澪はこんなに怒っているんだろう。
「……虎松」
「何や」
お蓮が何か言いかけた。
「……いや。何でもない」
「何やねん」
今度は宗次郎を見る。
目が合った。
「何や?」
「いえ」
「お前も何やねん」
「何でもありません」
何なんだ。
◇
お蓮が見つけてきた三軒については、まず俺とお蓮で実際に仕事を見に行くことになった。
最初から三十枚を振り分けるつもりはない。使っている道具も違えば、得意な仕事も違う。まず少ない数を試して、どこまで任せられるのかを見る。
一軒に全部を覚えてもらう必要もなかった。穴を開けるのが得意なら穴まで。形を整えるのが得意ならそこまで。最後の仕上げがお蓮に残ったとしても、お蓮が一枚の地板を最初から最後まで作る時間が減るなら意味はある。
ようやく地板の先が見えてきた。
そう思った日の午後だった。
「虎松」
聞き慣れた声がした。
顔を上げると、嘉兵衛が立っていた。
「おう。ちょうどよかった」
「何がや」
「鋲の話しよう思っとったんや。補修用に少し多めに置いときたい」
「その話や」
「ん?」
「足らんぞ」
「……何が?」
「ネジも鋲もや」
「…………」
何を言っているのか分からなかった。
「増やすんやろ?」
「……何で知っとる」
「お蓮から聞いた」
俺は思わず入口の方を見た。
もういない。
「あいつ、もう喋っとんのか!」
「別に隠す話でもないやろ」
「そうやけど!」
「で、どんだけ増やす気や」
「鋲は、とりあえず百本くらい補修用に置こうかと」
「ほかは?」
「軸も三十くらい。ネジも種類ごとに少しずつ」
「無理やな」
「お前もか!」
最近、俺が何か増やそうとすると、みんな最初に無理と言う。
「前より作れるようになったやろ?」
「作れるで」
「弟子も増えたやん」
「増えたな」
「ほな何で足らんねん」
「お前んとこ以外からも仕事来るようになったからや」
「……何が?」
「ネジ作れ言う仕事が」
俺は黙った。
嘉兵衛は面倒そうに頭を掻いた。
「お前んとこの鉄砲見た奴が来るんや。似たようなん作れんかとか、この太さで欲しいとか。鍛冶屋からも来るし、商人が持ってくることもある」
「いつから?」
「前からちょこちょこあったわ。最近増えた」
「……俺のせい?」
「知らん。けど、榊屋が使っとるん見て来た奴はおるぞ」
百挺作れるようになった。そのために嘉兵衛にもたくさんネジを作ってもらい、その鉄砲が堺の外へ出ていった。見た奴がネジを知り、使いたいと思えば、今度は作れるところを探す。
そして堺でそれを知っている奴を辿れば、嘉兵衛のところへ来る。
「……自分で首絞めとるやん」
「俺に言うな」
◇
「ほな、お前もお蓮みたいにしたらええんちゃう?」
「何が?」
「ほかの鍛冶屋に出すんや」
「誰に?」
「……鍛冶屋」
「どこの?」
「それは……」
「ネジ作れる奴、何人知っとる?」
言葉に詰まった。
地板なら、仕事を細かく分ければ頼めそうな職人が何人かいた。板を切る。穴を開ける。削る。形を整える。それぞれは鍛冶屋や金具職人が普段からやっている仕事に近い。
だが、ネジは少し違う。
小さく、細く、同じ太さで作らなければならない。ねじ山も、ただ刻めばいいわけではない。相手側と合わなければ、どれだけ綺麗に作っても使えない。
嘉兵衛はそれを何年もやってきたから、当たり前のように作っている。
「弟子は?」
「鋲なら任せとる」
「ネジは?」
「簡単なんはやらせとる」
「これは?」
近くにあった一本を指す。
「まだ無理や」
「こっちは?」
「それも俺や」
「軸は?」
「あいつなら出来る」
「じゃあ、この小さいやつ」
「俺」
「……お前しか出来んの多くない?」
「せやから足らん言うとるんや」
なるほど。
今度は、単純に人を増やせばいいという話でもないらしい。
お蓮のところでは、仕事を外へ分けることで作れる量を増やそうとしている。嘉兵衛のところでは、その仕事を渡せる相手がまだ育っていない。
なら、先にやることがある。
「一回、全部出そか」
「何を?」
「榊屋で使っとるネジと鋲と軸。種類ごとに」
「何すんねん」
「誰が、どこまで作れるか見る」
◇
翌日、嘉兵衛と宗次郎、それに新八を呼んで、榊屋で使っている小さな部品を机の上へ並べた。
こうして並べると多い。
普段は鉄砲一挺の中に収まっているから気にしていなかったが、一挺に一つ、二つで済むものでも、百挺分となれば百個、二百個になる。そこへ補修用まで足せば、数はさらに膨らむ。
「これ、一挺に二本やな」
「はい」
宗次郎が帳面を見る。
「百挺なら二百本です」
「そうやな」
「補修用に百本置くんですよね」
「うん」
「三百本です」
「…………」
嘉兵衛が俺を見た。
「作れ言うたんお前やぞ」
「数字にすると急に多いな」
「兄上」
「何や」
「この話、数日前にもしましたね」
「言うな」
宗次郎がため息をついた。
だが、今度は三百本作れと言って終わるつもりはない。
「これ、嘉兵衛じゃないと出来んところ、どこ?」
「どこって」
「最初から最後までお前が作らんでもええやろ」
嘉兵衛が眉を寄せた。
「材料をこの太さにするんは?」
「弟子でも出来る」
「長さ揃えるんは?」
「出来る」
「頭作るんは?」
「こいつなら出来る」
「ネジ切るんは?」
「俺」
「何で?」
「何でって……失敗するからや」
「どこで?」
「山が揃わん。斜めに入ったり、深さが変わったりする」
ようやく見えてきた。
嘉兵衛にしかネジが作れないわけではない。
一本のネジを作る仕事の中に、嘉兵衛にしか上手く出来ないところが残っているのだ。
なら、その前後まで嘉兵衛がやる必要はない。
「新八」
「はい」
「太さと長さは、道具で見られるよな」
「見られます」
「ネジも見られん?」
新八が一本を手に取った。指先で回しながらしばらく眺め、首を傾げる。
「太さだけなら見られます。ただ、山まで合っているかとなると……実際に入れるのが一番確かです」
「毎回鉄砲持ってくるわけにもいかんな」
「そうですね」
同じ雌側を一つ作って、それに通るかどうかを見る。
もちろん、それだけで全部が保証出来るわけではない。それでも、明らかに合わないものを組み立てまで持っていくよりはずっといい。
「確認用のやつ作ろか」
「何やそれ」
「ネジ入れるためだけの穴や。同じ寸法で作っといて、最後にそこへ通す」
嘉兵衛が嫌そうな顔をした。
「また道具増やすんか」
「嫌?」
「使えるならええ」
「ほな作ろ」
これで全部解決するわけではない。
だが、弟子が作ったものを嘉兵衛が一本ずつ最初から確認するよりはいい。材料を揃えるところ、長さを決めるところ、頭を作るところ。任せられる仕事を少しずつ増やし、嘉兵衛は難しいところと最後の確認に集中する。
お蓮のところでやろうとしていることと、似ている。
でも、同じではない。
あっちは工房の外へ仕事を分ける。
こっちは、一人の職人が抱えている仕事を分ける。
「お前な」
嘉兵衛が言った。
「何や」
「俺んとこの仕事のやり方まで変える気か」
「嫌?」
「……楽になるならええ」
「お蓮と同じこと言うな」
「あいつ何て?」
「銭になるならええって」
「そらそうやろ」
「お前ら強いな」
職人というのは、もっと自分のやり方にこだわるものだと思っていた。
少なくとも親父は、昔はそうだった。
だが、仕事が増えればそんなことも言っていられないらしい。
「そういや」
嘉兵衛が机の上のネジを弄りながら言った。
「この前も変なん来たぞ」
「変なん?」
「商人やと思うけどな。ネジ一本持ってきて、これと同じの作れ言うて」
「作ったん?」
「断った。数少なかったし、面倒やったから」
「ふうん」
「榊屋の鉄砲から外した言うとったぞ」
俺は嘉兵衛の手にあるネジを見た。
「うちの?」
「たぶんな」
「何に使う言うてた?」
「知らん。そこまで聞いとらん」
「まあ、ネジくらい真似するわな」
鉄砲そのものを持っていかれたならともかく、ネジ一本だ。似たものを作ろうと思う奴がいても不思議ではないし、そもそもネジそのものを榊屋だけのものにするつもりもない。
それより今は、必要な数をどう作るかの方が大事だった。
「とりあえず、弟子に任せられるとこ増やそ。鋲なんかは、もっと外に出せるかもしれん」
「また増やすんか」
「増やしたいから今これやっとるんやろ」
「誰のせいや」
「俺やな」
「分かっとるならええ」
◇
それから数日かけて、嘉兵衛の仕事を少しずつ分けた。
全部を変えたわけではない。弟子に任せて失敗するくらいなら嘉兵衛がやった方がいいところもある。逆に、今まで何となく嘉兵衛が自分でやっていた仕事の中には、道具と見本さえあれば弟子でも十分出来るものがあった。
材料を揃える。
長さを決める。
頭を作る。
ネジを切る。
確認する。
一人の職人が一つの部品を作っているように見えても、中にはいくつもの仕事がある。それを分けてみれば、嘉兵衛でなければ出来ない仕事は、最初に思っていたより少なかった。
新八は確認に使う道具を試し、宗次郎は必要な数と作れる数を帳面に並べた。
鋲。
軸。
ネジ。
地板。
補修用の部品が増えるたび、仕事も増える。
だが、前とは少し違った。
足りないと言われたから、誰かにもっと作れと言うだけではなくなった。誰が作っているのか、どこで時間が掛かっているのか、どこなら人に渡せるのか、どこはまだ渡せないのか。それを一つずつ見る。
百挺を作る時にやってきたことを、今度は百挺の外側にある仕事にも広げている。
そんなある日、お澪が俺を呼んだ。
「虎松さん」
「ん?」
「これ、どうします?」
「何が?」
お澪が指した棚には、いくつもの小さな箱が並んでいた。
地板、鋲、軸、ネジ。完成したものもあれば、途中まで作ったものもある。数日前まで空いていた場所にも箱が置かれ、端には帳面に書かれた札まで付いていた。
「補修用です」
「うん」
「増えました」
「うん」
「置くところがありません」
「…………」
棚を見る。
確かにない。
「こんなあった?」
「作れと言ったのは虎松さんです」
「…………」
足りないから、作った。
作ったら、今度は置くところがなくなった。
しかも、これが全部すぐに出ていくとは限らない。
善右衛門の顔が浮かんだ。
『お前、銭を棚に並べる気か』
あの時は分かったつもりだった。
棚に並んだ小箱を見ていると、その意味が今になって少し違って聞こえる。
どうやら部品というものは、足りない時だけ困るわけではないらしい。




