三十枚は無理や
昨日、宗次郎に「誰が作るんです?」と聞かれた時、俺は答えられなかった。
補修用として、どの部品をどれだけ置いておくのか。それについては、お澪が拾ってくれた過去の記録を見ながら、とりあえず最初の数を決めた。完成した状態で置いておくもの、途中まで作って置いておくもの、注文が来てから作るもの。売れた数を残し、足りなければ増やし、余り続けるようなら減らす。最初から正しい数なんて分からないのだから、記録を取りながら直していけばいい。
そこまでは決まった。
だが、決めたところで人の手が増えるわけではない。
「地板は、完成したやつと途中までのやつ合わせて、最初は三十枚くらい欲しい」
「はい」
「鋲は嘉兵衛に相談する。軸もあっちと榊屋で分けたら何とかなるやろ」
「はい」
「地板は……」
俺は宗次郎が広げた予定を見た。
今月の百挺。来月の百挺。お蓮のところに出す予定。榊屋で粗く切る予定。戻ってきたものを検査する予定。
そこへ、補修用の三十枚を足す。
「兄上」
「何や」
「百枚に三十枚足すと、百三十枚です」
「……そうやな」
「三割増えます」
「…………」
「少し、ですか?」
「数字にすると急に多いな」
「数字にしなくても多いと思います」
正論だった。
俺の頭の中では「補修用に三十枚」だったのだが、作る側から見れば「地板だけ三割増産」である。
百挺作れるようになったからといって、何でも百個作れるようになったわけではない。銃身には銃身の仕事があり、台木には台木の仕事があり、地板には地板の仕事がある。その一つだけ三割増やせと言われても、作る側には知ったことではない。
「……お蓮んとこ行ってくる」
「たぶん断られると思いますよ」
「行く前から言うな」
「この前も断られていましたから」
「今回はちゃんと相談する」
「前回も相談だったのでは?」
「お前、最近ほんまに容赦ないな」
◇
「無理や」
「まだ何も言うとらんぞ!」
お蓮は俺の顔を見るなり答えた。
「増やす話やろ」
「何で分かるんや」
「お前がここ来る時、大体そうや」
「たまには世間話しに来るかもしれんやろ」
「したことあるか?」
「……ないな」
「ほな何枚や」
「三十」
「無理や」
「せめて考えろ!」
「考えたわ!」
早い。
お蓮は手元の仕事を続けながら、俺の方を見もしない。
「今でも榊屋の分、毎月かなり入っとるんやぞ。そこに三十増やせ言うんか」
「補修用なんや」
「何用でも地板は地板や」
「全部完成までやらんでもええ。途中までのやつも混ぜる」
「それでも増えるやろ」
「粗く切るところは榊屋でやる」
「穴は?」
「こっちで……」
「仕上げは?」
「こっちで……」
「見るんは?」
「……こっちで」
「ほな無理や」
ぐうの音も出ない。
前回は、榊屋で板を粗く切って持ってくることで、お蓮のところの仕事を減らした。それで追加分を何とか十日以内に揃えることができた。
だから今回も同じようにすれば増やせると思っていた。
だが、切る仕事を減らしても、穴を開ける仕事は残る。形を整える仕事も残る。最後に確認する仕事も残る。
「粗切り減らした分、前より楽になったんちゃうん?」
「なったで」
「ほな」
「その分、穴と仕上げが増えた」
「…………」
「何や」
「仕事って、一個詰まり取ったら別んとこ詰まるんやな」
「知らんわ」
知っていたはずなのに。
榊屋でも何度も同じことが起きている。銃身が早く出来るようになったら台木が足りなくなり、部品が増えたら検査が詰まり、外へ仕事を出したら今度はどこに何個あるのか分からなくなった。
一つ早くしたからといって、全部が同じだけ早くなるわけではない。
「何枚なら増やせる?」
「今のままなら?」
「うん」
「十くらい」
「十か」
「それ以上欲しかったら、ほかの仕事減らせ」
「それは出来ん」
「ほな十や」
三十欲しい。
増やせるのは十。
残り二十。
前回とほとんど同じだった。
「人増やせん?」
「誰を?」
「地板作れる奴」
「おったらもう増やしとるわ」
「弟子は?」
「教えとる。せやけど、明日からいきなり一人前になるわけちゃうぞ」
「そらそうやな」
「三十枚増やしたいんやったら、三十枚分の手ぇも増やしてくれ」
お蓮が言った。
俺はその言葉を聞きながら、工房の中を見た。
何人かが仕事をしている。昔より人は増えたし、お蓮一人が地板を作っていた頃とは違う。簡単なところを任せられる者もいるし、ある程度までなら一人で作れる者もいる。
それでも、お蓮のところで作れる量には限界がある。
当たり前だ。
お蓮の腕が良くても、手が増えるわけではない。
「……なあ」
「何や」
「何で全部ここで作らなあかんの?」
お蓮の手が止まった。
「は?」
「いや、地板」
「お前が頼んどるからやろ」
「せやけど、お前んとこで全部作らなあかん決まりはないやろ?」
「何言い出したんや」
俺にもまだ、はっきりした形が見えているわけではなかった。
ただ、榊屋が百挺作れるようになった理由は分かっている。
全部を榊屋の中で作るのをやめたからだ。
銃身を作る奴。台木を作る奴。金具を作る奴。外で作る奴。運ぶ奴。検査する奴。
仕事を分け、それぞれが出来ることを増やしたから百挺まで来られた。
なら、地板も同じことをすればいい。
「ほかの鍛冶屋に出したらええんちゃう?」
「出したらええやん」
「うん」
「お前が」
「いや、お前が」
「何でや!」
即座に怒鳴られた。
「待て待て。最後まで聞け」
「何でうちが、よその鍛冶屋に仕事出さなあかんねん」
「お前が一番、地板のこと分かっとるからや」
「榊屋の仕事やろ」
「せやから、お前に頼みたいんや」
「意味分からんわ」
まあ、そうなる。
俺は一度言葉を切った。
単に三十枚増やしてくれという話ではない。
これから百挺、二百挺と榊屋の鉄砲が世に出れば、補修する部品も増えていく。地板だけで終わるとも思えない。そのたびに俺が一軒ずつ鍛冶屋を探し、作り方を説明し、出来たものを確認していたら、今度は俺が詰まる。
だから必要なのは、お蓮の手ではない。
お蓮の目と、経験と、信用だった。
「お蓮」
「何や」
「頼む。俺ともっと深い仲になってくれ」
「…………は?」
お蓮の手が止まった。
完全に止まった。
さっきまで聞こえていた金槌の音まで、なぜか近くの二つほどが止まった気がする。
「今までみたいに、俺が『地板二十枚頼む』言うて、お前が作って、それを榊屋に返すだけやなくてやな」
「……うん」
「もっと深いところまで入ってほしいんや」
「…………」
「俺は、お前のこと信頼してるから言っとる」
「…………お前な」
「地板の作り方も分かっとる。どこまでなら人に任せられるかも分かっとる。出来たもん見て、ええかあかんかも分かる。せやから、ほかの鍛冶屋に仕事を出すところから、お前に任せたい」
「…………」
どこかで、ぶふっ、と音がした。
何だと思って振り向くと、少し離れたところで仕事をしていた男が、顔を伏せて肩を震わせていた。その隣にいる奴も口元を手で押さえている。
「何や?」
「何でもないです」
「ほな仕事せえよ」
「はい」
妙な奴らだ。
俺はお蓮へ向き直った。
「粗い仕事は別の鍛冶屋に出す。出来るところなら穴までやってもらってええ。難しい仕上げはお前んとこでやる。出来上がったもんをお前が見て、あかんかったら戻す」
「……うん」
「榊屋が一軒一軒に頼むんやなくて、お前がまとめるんや。最初は地板だけでもええ。慣れてきたら、ほかの金具までまとめられるかもしれん」
「…………」
「最終的には、部品を作る連中の元締めにだってなれるかもしれん」
お蓮の顔が変わった。
ようやく俺の言いたいことが伝わったらしい。
「もちろん、ただでやれとは言わん。人に教えるのも、出来たもんを見るのも仕事や。その分は榊屋からちゃんと払う」
「……それを」
「ん?」
「それを最初から言えや!」
「言うたやん」
「言い方の話や!」
お蓮が立ち上がった。
「頼む、もっと深い仲になってくれ、やないわ!」
「いや、今より深く仕事に」
「紛らわしい言い方すんな!!」
「何が!?」
その瞬間、さっきまで堪えていたらしい男衆から、一斉に啜り笑う声が漏れた。
「お前ら何笑っとんねん!」
「いや、別に」
「仕事の話やぞ!」
「分かってますって」
「ほな笑うな!」
何がおかしいのか、さっぱり分からなかった。
お蓮だけが額を押さえている。
「……ほんま、こいつは」
「何やねん」
「何でもないわ!」
理不尽だった。
◇
「で、うちに何の得があるんや」
しばらくして、お蓮が聞いた。
さっきまで妙に機嫌が悪かったのだが、仕事の話になった途端、いつもの顔に戻った。
「銭」
「詳しく」
「食いつくん早いな」
「商売やぞ」
頼もしい。
「今までみたいに、お前が作った枚数だけ払うんやったら意味ないやろ」
「当たり前や」
「ほかの鍛冶屋に仕事出して、お前が教えて、出来たもん見て、あかんかったら直させる。それも仕事として払う」
「誰が?」
「榊屋が」
「よその鍛冶屋に払う分は?」
「そこも考える。お前がまとめて払う形でもええし、最初は榊屋から払ってもええ」
「面倒やな」
「最初はな」
「ずっとやろ」
「慣れたら減る!」
「ほんまか?」
「たぶん」
「おい」
俺は咳払いした。
「でも、お前が一枚ずつ全部作らんでも、銭になるようには出来る」
お蓮の目が変わった。
「……今、何て言うた?」
「一枚ずつ全部作らんでも」
「その後や」
「銭になる」
「詳しく聞こか」
「そこなん!?」
そこらしい。
だが、俺としてもその方がいい。
お蓮に善意で面倒を見てもらおうとは思っていない。人に教えるのも、出来上がったものを見るのも、駄目なところを指摘するのも仕事だ。自分で地板を一枚作る時間を使って誰かを教えるなら、その時間にも銭が出なければ続かない。
「でもな」
お蓮が言った。
「何や」
「うちが教えた奴が、うちより安う作れるようになったらどうすんねん」
「ああ」
「そのうち榊屋が直接そっちに頼むようになったら、うちは損するだけやろ」
もっともだった。
お蓮に作り方を教えさせて、育ったところで榊屋が直接仕事を持っていく。そんなことを一度でもやれば、二度と誰も協力してくれない。
「それはせん」
「口だけなら何とでも言えるで」
「ほな、最初からお前を通す形にする」
「どういうことや」
「地板の仕事は、お前に頼む」
「今もそうやろ」
「違う。百枚なら百枚、お前に頼む。その中で、お前が何枚作って、何枚ほかへ出すかはお前が決める」
お蓮が黙った。
「榊屋は必要な数と、寸法と、いつまでに欲しいかを言う。出来たもんが榊屋の決めたところまで出来とるかは見る。せやけど、途中を誰にやらせるかまで俺が全部決めんでもええ」
「うちがまとめろってことか」
「そう」
「失敗したら?」
「まずお前んとこで見てくれ。そこで止められるもんは止める。難しい判断は新八か五平に持ってきてもええ」
「うちの責任増えとるやん」
「銭も増やす」
「そこは大事やな」
「そこだけ反応早いな!」
お蓮は腕を組んだ。
すぐには返事をしなかった。
俺も急かさなかった。
これは地板を三十枚追加してくれという話とは違う。
お蓮の仕事そのものを変える話だ。
「……誰に出すんや」
しばらくして、お蓮が言った。
「そこから一緒に探す」
「地板作ったことない奴でもええんか?」
「いきなり全部はあかん。最初は簡単なところだけやな」
「見本は?」
「作る」
「道具は?」
「必要なら榊屋で作れるもんは作る」
「寸法は?」
「榊家寸を使う。ただし、全部渡す必要はない。地板に要るところだけでええ」
「最初は何枚やらせる?」
「五枚とか」
「少な」
「最初から三十枚渡して全部あかんかったら泣くぞ」
「お前が?」
「俺が」
「ほな見てみたいな」
「やめろ」
お蓮が笑った。
「……まあ、考えたる」
「ほんま?」
「三十枚作れ言われるよりはましや」
「よっしゃ!」
「まだやる言うてへん」
「考える言うたやん」
「考えるだけや」
「ほぼやるやろ」
「調子乗んな」
それでも、さっきまでの「無理」とは違った。
◇
榊屋へ戻ると、五平が千吉の作った金具を見ていた。
寸法を測り、角度を確かめ、最後に指で何度か触ってから千吉へ返す。
「ここ、もう一回や」
「寸法は入ってます」
「入っとる」
「では、どこが」
「削り方が片寄っとる。このまま続けたら次で外すぞ」
千吉は金具を受け取り、しばらく見てから頷いた。
相変わらず俺には、五平が何を見ているのか全部は分からない。
だが、千吉は少しずつ分かるようになっている。
「五平」
「何や」
「自分で十個作るんと、人に十個作らせるん、どっちが難しい?」
「人に決まっとるやろ」
「即答やな」
「自分でやった方が早いもん」
「……それでも教えるん?」
五平が俺を見た。
「教えんかったら、いつまで経っても俺が作るんやろ」
「なるほどな」
「何や急に」
「いや、お蓮にも同じことやってもらおうかな思って」
「嫌がるやろ」
「嫌がった」
「そらそうや」
「でも考える言うてくれた」
「ほな、銭の話したんやな」
「何で分かった」
「お蓮やぞ」
「みんなお蓮のこと分かりすぎやろ」
五平は笑った。
だが、言っていることは単純だった。
自分で作った方が早い。
それでも、人に教えなければ自分が作り続けるしかない。
榊屋が百挺まで増やせたのも、結局はそれを繰り返したからだった。
◇
二日後、お蓮が榊屋へ来た。
「三軒、心当たりある」
「もう探したん!?」
「考える言うたやろ」
「行動早いな」
「一軒は金具やっとる。地板は作ったことないけど、穴開けと削りは出来る。もう一軒は鍛冶屋やけど、今あんまり仕事入っとらん。最後の一軒は知り合いのとこで若いのが仕事欲しがっとる」
「ほな、最初の一軒から見よか」
「三軒全部見ろ」
「何で?」
「一軒に全部出したら、うちと同じことになるやろ」
「…………」
「何や」
「お前、もう俺より分かっとらん?」
「誰のせいやと思っとんねん」
返す言葉がなかった。
結局、最初から三十枚を全部外へ出すことはしなかった。
まずは少ない数を、それぞれ違う仕事に分けて試す。一軒には粗く切った板の穴加工まで、一軒には形を整えるところまで、もう一軒にはさらに簡単な金具から始めてもらう。
見本はお蓮と榊屋で用意する。
最初に出来たものは、お蓮が見る。
そこを通ったものを新八が確認する。
手間は増える。
たぶん、最初のうちはお蓮が自分で作った方が早い。
それでも、そのままではお蓮が作れる数が、そのまま榊屋が使える地板の数になる。
それでは百挺の先へ行けない。
「なあ、お蓮」
「何や」
「そのうち地板、お前が一枚も作らんでも百枚出来るようになったりしてな」
「ほな楽でええわ」
「寂しくない?」
「その百枚の銭がうちにも入るなら全然」
「強いな、お前」
「商売やぞ」
お蓮は当たり前のように言った。
作れる職人を増やす。
百挺を作るまでにも、俺たちはそれを何度もやってきた。
ただ、今度は榊屋の中ではない。
榊屋の外にいる職人へ仕事を渡し、作り方を教え、出来たものを見て、また次の仕事を渡す。その真ん中に、お蓮がいる。
俺が一軒一軒を見なくても、仕事が流れるようになる。
まだ三軒。
それも、最初は数枚ずつだ。
上手くいくかどうかも分からない。
それでも、榊屋の外側に、今までとは少し違うものが出来始めていた。
工房でもない。
一人の職人でもない。
いくつもの工房を繋いで、同じ部品を作る流れ。
そんなものを、この時代に何と呼べばいいのか、俺には分からなかった。
ただ一つ分かるのは、これが上手くいけば、お蓮に「三十枚増やしてくれ」と頭を下げる必要はなくなるということだった。
「よし」
「何や」
「これで地板はいける」
「まだ一枚も増えとらんぞ」
「…………」
「何や」
「そういうとこ宗次郎に似てきたな」
「誰がや!」
どうやら安心するには、まだ少し早いらしい。




