鉄砲はいらん
月に百挺の鉄砲を作れるようになった翌日も、榊屋の朝は何も変わらなかった。
火床には朝から火が入り、工房のあちこちで槌の音が響いている。昨日、最後の十挺を送り出したからといって、今日から仕事がなくなるわけではない。宗次郎が組んだ予定では、すでに次の百挺が動き始めているし、お蓮たち外の職人にも次の仕事が流れている。
俺も朝から、五平に頼まれていた治具と格闘していた。
「ここや。もうちょい押さえたい」
「これ以上締めたら、外す時に面倒にならん?」
「なる」
「なるんかい」
「せやから、お前に頼んどる」
五平は当然のように言った。
無茶を言う、と思いながらも、言いたいことは分かる。今使っている治具では部品を押さえる位置がわずかに悪く、加工そのものはできるものの、職人によって固定の仕方に差が出ていた。ならば、誰が使っても同じところへ収まるようにしてやればいい。
こういう仕事が、今の俺の仕事になっていた。
昔は自分で鉄を叩き、自分で削り、自分で組み立てることばかり考えていた。もちろん今でも必要ならやるが、百挺を作るようになった榊屋で、俺一人が部品を一つ余計に作ったところで大した意味はない。一人が一つ多く作るより、十人が一つずつ多く作れるようにした方が、ずっと大きい。
そんなことを考えながら治具をひっくり返していると、工房の入口から聞き慣れた声が飛んできた。
「虎松、おるか!」
「おるけど、百五十挺の話なら帰れ!」
「ちゃうわ!」
間髪入れず返ってきた声に顔を上げると、善次郎がずかずかと工房へ入ってきた。その後ろには、帳面と包みを抱えた新三郎もいる。
「兄上、おはようございます!」
「おう。ちゃんと働いとるか?」
「はい!」
「こいつ、朝からうるさいねん」
「元気でええやん」
「毎日聞いてみい」
善次郎が疲れた顔をした。
知らん。お前のところへ預けたんだから、責任を持って育ててくれ。
俺は笑いながら、手にしていた治具を作業台へ置いた。
「で、今日は何や。百五十ちゃうなら百二十か?」
「何で増やす前提やねん。今日は鉄砲の注文ちゃう」
「ほな何や?」
善次郎は持っていた紙を俺へ差し出した。
「鉄砲はいらん」
「……帰れ」
「最後まで聞け!」
朝から何をしに来たんだ、こいつは。
「鉄砲はいらん言うとるのは俺ちゃう。客や。欲しいんは部品だけや」
「部品?」
そこでようやく、俺は受け取った紙に目を落とした。
地板、二十枚。火蓋を留める鋲、五十本。火ばさみの軸、三十本。そのほかにも細かいものがいくつか書かれているが、銃身も台木もない。確かに鉄砲の注文ではなかった。
「前にうちから買うた鉄砲を使っとるところや。何挺か壊れたらしい。向こうの鍛冶屋でも直しとるそうやけど、数が増えてきたから、作ったところから部品だけ買えんか言うてきた」
「なるほどな」
俺はもう一度、紙に並んだ品名と数量を追った。
言われてみれば、当たり前の話だった。
鉄砲は売ったら消えてなくなるものではない。火薬を入れ、玉を込め、火を点ける。撃てば汚れるし、何度も使えば部品は摩耗する。扱いが悪ければ曲がることもあるだろうし、小さな鋲や軸なら失くすことだってある。
これまでにも修理の相談がなかったわけではない。持ち込まれた鉄砲を直したこともあれば、近くの鍛冶屋が似た部品を作って済ませた例もあった。ただ、こうして部品だけを、まとまった数で欲しいと言われたのは初めてだった。
「兄上、これだけでも売れるんですか?」
横から紙を覗き込んだ新三郎が聞いた。
「そら売れるやろ。必要なんやから」
「でも、鉄砲を一挺売るより、ずっと安いですよね」
「そらな」
俺より先に、善次郎がにやりとした。
「せやけど鉄砲一挺作るより、使う鉄も仕事も少ない。それに一回鉄砲を売った相手から、また注文が来る。悪い商売ちゃうで」
「なるほど!」
新三郎の目が輝いた。
こいつ、本当にそっちへ行くんだろうか。
「兄上、それなら最初からたくさん作って置いておけばいいんじゃないですか?」
「お前、簡単に言うなあ」
「でも、また壊れますよね?」
思わず新三郎を見ると、善次郎も隣で少しだけ眉を上げていた。言っていること自体は間違っていない。
「まあ、それはそうやな」
「ほな、いっぱい作っとけば」
「待て待て。作っただけ売れるなら誰も苦労せえへん」
善次郎が新三郎の頭を軽く小突いた。
「売れるまで置いとく物にも鉄使うとるんや。人も働いとる。銭払うて作ったもんが売れへんかったら、その銭は帰ってこん」
「あ……」
「覚えとけ。作れると売れるは別や」
「はい!」
「返事だけはええな、お前」
善次郎がため息をつく。
俺は二人のやり取りを聞きながら、注文の紙を眺めていた。
部品を売る。
考えてみれば、いずれ必要になる仕事だった。
むしろ、今までまともに考えてこなかったことの方がおかしい。
「で、いつまでや?」
「十日ほどで欲しいそうや」
「十日か」
数だけを見れば、無茶な量ではない。ただし、問題は数ではなかった。
「宗次郎に聞いてみる」
「お前が決めへんの?」
「決めてもええけど、今どこに何が何個あって、いつ何に使うかは、俺よりあいつの方が知っとる」
「兄上、それでいいんですか?」
新三郎が真顔で聞いてくる。
「ええねん」
むしろ、それでいい。
俺が全部知っていなければ回らない工房になど、戻るつもりはなかった。
◇
宗次郎は、お澪と一緒に帳面を広げていた。
俺が注文の紙を渡すと、宗次郎は驚くでもなく一通り目を通し、そのままお澪へ回した。
「地板は?」
「榊屋にある分が二十三。お蓮さんのところに、次の分が二十あります。ただ、あちらの二十は来月分です」
「鋲は?」
「検査が済んでいるものなら六十七。ただし、予備を除けば回せません」
「軸は三十八やったと思います」
「三十七です」
「ああ、昨日一つ手直しに戻したか」
「はい」
会話が早い。
俺と善次郎は横で聞き、新三郎だけが二人の帳面を覗き込みながら、何とか話についていこうとしていた。
「兄上」
「ん?」
「この注文自体は出せます。ただ、今あるものから出すなら、来月の百挺分に食い込みます」
「やろうな」
俺は頷いた。
別に意外ではない。百挺を作るために百挺分の部品を集めているのだから、そこから二十枚抜けば足りなくなる。当たり前の話だ。
不良や手直しに備えて、多少は余計に作っている。だが、それだって売るために余らせているわけではない。何かあった時に百挺という数を守るための余裕だ。そこを削って補修用に回せば、今度は本体の納期が危なくなる。
「追加で作るなら?」
「十日なら、出来なくはないと思います」
宗次郎は少し考えてから答えた。
「ただ、お蓮さんの地板が一番厳しいですね。今お願いしている分がありますから、二十枚をそのまま追加するなら、向こうの仕事も確認しないと分かりません」
「せやな」
「鋲と軸も、誰にやってもらうか決める必要があります。佐吉さんたちへ頼むなら、今の仕事をどこかへ動かさないと」
「うん」
善次郎が俺と宗次郎を交互に見た。
「……思ったより面倒やな」
「そらそうや」
「お前、分かっとったん?」
「百挺分しか作っとらんのに、そこから部品だけ抜いたら足らんようになるくらい分かるわ」
「ほな、断るか?」
善次郎はあっさり言った。
俺はすぐには答えず、紙の上に並んだ数字へ目を落とした。
地板二十。鋲五十。軸三十。
百挺の鉄砲と比べれば、小さな注文だ。使う鉄も少ないし、必要な人手だって少ない。それでも、今の榊屋には、この小さな注文を百挺とは別に作る場所がない。
だから断る。
それも一つの答えだろう。
けれど、その答えだけは選びたくなかった。
「……いや。受けたい」
宗次郎が顔を上げた。
「来月の百挺を減らしてでも?」
「それはあかん」
「では、別に作るしかありません」
「せやな」
分かっている。
百挺を作る仕組みをようやく作ったところへ、別の仕事を押し込むことになる。誰かに余計な仕事を頼むのか、ほかへ出すのか、設備を使うのか。何を選んでも、どこかを動かさなければならない。
それでも断りたくない理由は、俺の中でははっきりしていた。
「俺らが作った鉄砲やからな」
善次郎が首を傾げた。
「ん?」
「売った後で壊れました。部品ありません。そっちで何とかしてください、は違うやろ」
鉄砲は飾っておくものではない。使うための道具だ。
使えば傷むし、いつかは壊れる。どれだけ丁寧に作ったところで、永遠に壊れないものなど作れない。ならば、壊れた後にどうするかまで考えておかなければ、作った側の仕事を果たしたことにはならない。
「これから百挺ずつ作って売るんやろ」
「まあ、売れればな」
「ほな来月は百挺増える。その次も売れたら、また増える。世の中に榊屋の鉄砲が増えれば増えるほど、こういう話も増えるはずや」
善次郎の顔から、少しだけ笑いが消えた。宗次郎も何も言わず、俺を見ている。
「作った時だけ銭もろて、後は知らん。それやったら、売り逃げと変わらんやろ」
「売り逃げて」
「言い方は悪いけどな」
前の世界でも、機械は作って終わりではなかった。
壊れた。交換したい。同じものが欲しい。図面は残っているのか。部品はまだ作れるのか。誰が直せるのか。
作った時には小さく見えた問題が、何年も経ってから大きな顔をして戻ってくる。作った本人が忘れた頃になって、「昔そちらで作ってもらったものなんですが」と始まる話ほど厄介なものはなかった。
もちろん、ここは前の世界ではない。何年部品を供給しなければならないという決まりもなければ、保守の約束を交わしたわけでもない。
だから知らん顔をしていい、とは思わなかった。
「俺らが百挺作れるようになったんやったら、その百挺を使い続けられるようにする仕事も、考えなあかんと思う」
少しの間、誰も口を開かなかった。
最初に動いたのは、お澪だった。彼女は俺ではなく、目の前の帳面へ視線を落としたまま言った。
「でしたら、今ある部品を渡すのでは駄目ですね」
「うん?」
「今あるものは、次の鉄砲を作るためのものです。修理に使うものがこれからも必要になるのでしたら、最初から別に作らないと、毎回同じことになります」
「……そうやな」
「どれだけ作るかは、分かりませんけど」
「そこやなあ」
今度は俺が唸る番だった。
必要になることは分かる。では、いくつ必要なのか。
地板は月に何枚壊れる。鋲は何本なくなる。軸はどれくらいで摩耗する。そもそも今まで売った鉄砲のうち、何挺が今も使われていて、どの部品がどのくらいの頻度で壊れているのか。
分からない。
作るための数字は集めてきた。
だが、売った後の数字は、ほとんど持っていなかった。
「今回だけ作るんやったら、何とかなると思います」
宗次郎が言った。
「ただ、兄上の言う通り今後もやるなら、話は別です。完成品とは別に、どの部品をどれだけ作るのか決めないといけません。それを作る人も必要です」
「材料も増えますね」
お澪が続ける。
「置いておく場所も要ります」
「売れへんかったら?」
善次郎が聞いた。
「銭が部品になったまま寝る」
俺が答えると、善次郎が頷いた。
「せや」
新三郎が小さく「あ」と声を漏らした。さっき善次郎に教えられたことが、早くも目の前で実物になったらしい。
「……商売って難しいですね」
「今ごろ分かったか」
「はい!」
「元気に言うな」
思わず笑ったが、目の前の問題は笑って済ませられない。
俺は改めて帳面を覗き込んだ。
百挺。
ようやく届いた数字だった。
その百挺を作るために、何年もかけて工程を整え、人を増やし、外へ仕事を出し、道具を作り、寸法を揃えてきた。百挺作れるようになったことで余裕が生まれたのではない。百挺分の力を用意し、それを百挺の仕事で使えるようになっただけなのだ。
そこへ新しい仕事を加えるなら、新しい余裕を作らなければならない。
「とりあえず、今回の分は受ける」
俺は言った。
「宗次郎、今の予定を崩さん範囲で、どこまで出来るか見てくれ。俺はお蓮と嘉兵衛にも聞いてみる。佐吉らにも、今の仕事をどこまで動かせるか聞く」
「分かりました」
「お澪」
「はい」
「今まで修理で何が出たか、分かる範囲でええから拾える?」
「帳面に残っている分なら」
「頼む。何が壊れとるか分からんと、何を何個作るかも決められへん」
「やってみます」
善次郎が腕を組んだ。
「俺は?」
「今まで鉄砲売った先に、ほかにも欲しい部品がないか聞いてくれ」
「増やすんか?」
「今聞かんかったら、来月また突然来るやろ。作るなら、先に知っときたい」
「……それもそうやな」
これで、やることは決まった。
決まっただけで、何一つ解決していない。
地板二十枚。鋲五十本。軸三十本。百挺の鉄砲と比べれば小さな数字なのに、その小さな数字を作る場所が、今の榊屋にはなかった。
百挺作れるようになった。
その先には、もっと大きな注文が待っているものだと、どこかで思っていた。
けれど実際にやって来たのは、鉄砲ですらない。壊れた鉄砲をもう一度使うための、小さな部品だった。
考えてみれば、それでいい。
俺たちが作る数を増やせば、俺たちが作ったものを使う人間も増える。作るところだけ大きくなって、その後を知らん顔するわけにはいかない。
百挺作れるということは、百挺分の仕事を抱えられるというだけだ。
百挺のほかに何かを作りたいなら、そのための材料も、人も、時間も、どこかに作らなければならない。
俺は帳面に並んだ数字を眺めながら、思わず呟いた。
「……また増やすんか」
宗次郎が顔を上げた。
「何をです?」
「仕事」
宗次郎は、ものすごく嫌そうな顔をした。
どうやら俺が何か思いついた時の顔を、弟はもう完全に覚えてしまったらしい。




