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帰り火の洞窟 ~役立たずと追放された少女、拾った洞窟を仲間たちの帰る場所にします~  作者: Rastarock
帰り火の洞窟

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9/85

旅商人は青魔鉄を買います

 翌朝、レオンは夜明けとともに起き、まずバルトへ水と飼料を与えた。


 鹿毛の馬が白い鬣を揺らして水桶へ鼻先を下げるのを確かめると、レオンは昨日までの簡単な繋留場所を作り直した。背後を岩壁にできる場所へバルトを移し、近づける方向を絞るよう低木の間へ細縄を渡す。そこへ乾いた枝を五本吊るし、鳴った音が窪地の下まで届くか、自分で縄を引いて確かめた。


 以前バルトを待たせたときと同じで、敵を止めるためではなく、近づいてきたものを先に知るための仕掛けだ。今日は昼のあいだも長くバルトから離れるため、昨夜の焚き火跡も石で囲み直し、飼料袋は地面から離して木の股へ掛けた。


「前よりはましだな」


 バルトは餌桶から顔も上げなかった。


「評価は食い終わってからでいい」


 そのままレオンは窪地の周囲を、前に調べたときより広く歩いた。


 雨が上がってから何日も経ち、柔らかい土には自分とバルト、小動物の足跡がいくつも残っている。それでも成体地竜らしい大きな足跡、新しい糞、木へ巨体を擦りつけた跡は見つからない。


 親がどうなったのかまでは分からない。遠くへ餌を探しに出ているだけかもしれないし、幼体と離れた理由も不明なままだ。ただ、キュウを探してこの近くを何度も歩いているなら、そろそろ何か一つくらい新しい痕跡があってもいい。


「少なくとも、今この辺りを回ってる可能性は低そうだな」


 不在とは言わず、そこで調査を切り上げたレオンは、窪地へ戻る前に左肩をゆっくり回した。昨夜より動かしやすい。腕を前へ伸ばすだけなら、ほとんど痛みはなかった。横へ上げると傷の奥がまだ張るが、ラトスへ出ていた二日間には、一晩でここまで変わったことはない。


 それでも今日は掘らない。休むと自分で決めたことを、肩が軽くなったという理由で反故にするつもりはなかった。


     ◇


 ミラは水場から汲んできた水を小鍋へ移し、戻ってきたレオンの左肩を見た。


「昨日より腕が上がっています」


「俺もそう思う。ラトスに行っていた間は毎朝少しずつだったが、ここへ戻ってからの方が変化が大きい」


 レオンは外套を脱ぎ、肩へ巻いていた布をほどいた。岩針蜥蜴の針が刺さった場所にはまだ赤みが残っているものの、周囲の腫れは昨日より薄い。


 ミラは新しい布を魔力泉の水で濡らし、傷の周囲をそっと拭いた。血はつかず、傷の近くへ触れたときだけレオンの肩がわずかに動く。


「ここは痛いですか?」


「押せばな。ただ、毒針をもらってからの日数を考えると、回復の進み方が早い。泉の水が回復を助けていると見てよさそうだ」


「飲んでいるからでしょうか」


「そこまでは分からん。傷もこの水で洗ってるし、飯にも使ってる。飲んだ分が効いたのか、傷へ直接触れた方が効いたのか、両方なのかも切り分けられない」


 レオンは水場へ続く通路を見た。


「ラトスへ出ていた間は、ここの水をずっと使っていたわけじゃない。戻ってからは飲む水も汁物も傷を洗う水も全部同じだ。治療の代わりになるとは言わないが、回復を早めている可能性はかなり高くなった」


「では、もっと飲みますか?」


「腹を水でいっぱいにして治るなら楽だが、効く量も分からん。いつも通りでいい」


「分かりました。いつも通りにします」


 布をすすぎに立つと、キュウが自分の部屋から出てきた。数日前までは右前脚を浮かせたまま三本で歩く時間の方が長かったのに、今朝は四本とも床へつけている。途中で一度だけ右をかばったが、水場までの通路を身体を傾けずに歩いた。


 レオンの視線も、キュウの右前脚を追っていた。


「そっちも早いな」


「昨日は、部屋から炉まで来る途中で二回、右脚を上げました。今日は一回です」


「数えてたのか?」


「数えようと思ったわけではありません。見ていたら分かりました」


「お前の場合は、その方が正しい言い方か」


 水を飲み終えたキュウは、新しく敷いた敷物の中央へ移動して腹をつけた。昨日、人間二人が座るために広げた場所である。


 ミラは敷物の端を少し持ち上げた。


「キュウ、そこは私たちも使います」


「きゅう」


「返事はしています」


「どく気はなさそうだな。買った時点では人間用だったが、もう所有者が変わったらしい」


「第一炉縁者の方が、敷物を先に使っていいんでしょうか」


「そこまで規則にするな。今日は端を借りればいい」


 結局、キュウを動かさず、二人は敷物の空いた側へ座った。


 採掘槌には触れず、レオンは代わりに帳面を開き、ラトスで売った最初の青魔鉄と買い物の記録をもう一度確かめた。


「前の二袋は、品位が四割近くで銀貨五枚と銅貨六十だった。あの鍛冶屋なら同じくらいの量は次も買うと言ってたが、毎回いくらでも受けてもらえるわけじゃない」


「たくさん採れたら、買う人も変わるんですか?」


「量が増えればな。一人の鍛冶屋には、財布にも炉にも限りがある。まとまった量なら、精錬所や問屋がある町へ運んだ方が買い手を選べる。ただ、今それを考えても仕方ない。実際にどれだけ採れるかが先だ」


 ミラが青い筋のある岩壁へ目を向けると、レオンもその視線を追ったが、帳面を閉じても採掘槌へは手を伸ばさなかった。


「青魔鉄は明日まで待て。今日は肩を休める日だ」


「はい。明日なら、掘ってもいいかもしれないんですね」


「肩が戻っていればな。先に決めるのはそこまでだ」


 ミラは穀物箱の脚の下に入れた石が一つ傾いているのを見つけ、もっと平たいものへ取り替えた。レオンは濡れた布を洗い、細縄の結び目を確かめる。途中で一度だけ窪地の上へ上がってバルトと鳴子を見てきたが、枝は動いておらず、新しい魔物の痕跡もなかった。


 昼食は、大麦粉を混ぜた薄い平焼きパンと、豆と干し玉葱の汁で簡単に済ませた。


 午後になり、レオンは左腕を肩の高さまでゆっくり上げる。朝には張りを感じた位置を越えても、顔色は変わらなかった。


「朝より上がっています」


「ああ。ラトスを往復してた間より、一日の回復の進み方が明らかに違う」


 レオンは腕を下ろし、今度は剣の柄へ手を置いたが、抜かなかった。


「明日の朝もこの調子なら、軽く掘ってみる。痛みが戻ったら、その時点でやめる」


「前に掘ったところの続きですね」


「ああ。肩を試すついでに、青い筋がどこまで続いてるかを確かめる。売り先を考えるのは、採れる物を見てからでいい」


 その日は夕方まで採掘槌へ触れず、日が落ちる前にレオンは窪地の上へ戻った。


     ◇


 翌朝、ミラが見ている前で、レオンは左肩へ巻いていた布を外し、腕をゆっくり持ち上げた。


 肩の高さを越え、耳の横まで上がる。最後のところで少しだけ顔をしかめたが、昨日の朝とは動く範囲がまるで違っていた。


「これなら振り下ろす動きはできる。強く振りかぶるのはまだやめるが、昨日よりは使える」


「治ったんですか?」


「まだだ。長く使えば痛むだろうし、傷口も残ってる。ただ、普通なら遠出を考えるにはもう少しかかる。泉のことは、かなり信用してよさそうだ」


 ミラは新しい布を渡した。


「では、今日も魔力泉の水で洗います」


「そうしてくれ。何が効いてるか分からないが、今までやってたことを急に一つだけやめる理由もない」


 傷を洗い、朝食を済ませると、レオンは採掘槌と鏨を持った。


 前回削った場所には、青い筋が横へ続いている。レオンは肩を大きく使わずに済むよう鏨を細かく打ち込み、できた割れ目へ小さな楔を入れた。ミラは外れた石を受け取り、水で泥を落として三つに分ける。


 青い部分がはっきり残るものは右。普通の岩は左。色や重さが気になるが判断できないものは手前。


 前の試し掘りで決めた分け方と同じだった。


「これは青い方へ置きます」


「ああ」


「こちらは迷います。中に細い筋があります」


「それも残せ。あとで割れば分かる」


 レオンが一つの石を外したところで、奥の色が変わった。


 黒灰色の母岩の間に細く走っていた青が、指二本ほどの幅へ広がっている。


「レオンさん。奥の方が青いです」


「ああ。そこは今までより広いな。少し待て」


 レオンは鏨を置き、露出した面を布で拭った。青みを帯びた金属光沢が、これまでより広い範囲へ続いている。


 端を小さく欠き、簡易鑑定板へ載せる。


《青魔鉄鉱》


 表示自体は同じだった。


 レオンは欠片を割って断面を確認したあと、隣も少し削った。その石も、表面より中の青い部分が多い。


「前のよりいい」


「どのくらいですか?」


「ラトスへ持っていったのは四割近いと言われた。こっちは六割はありそうだ。場所によってはそれ以上あるかもしれん」


「同じ青魔鉄でも、そんなに違うんですね」


「混じってる普通の石が少ないほど、買う側は余計なものを運ばずに済むし、精錬で捨てる滓も減る。同じ重さなら、当然こっちの方が高い」


 レオンは露出した青い部分の端へ鏨を当て直した。


「ミラ、ここから出る石は前の山と混ぜるな。別に積んでくれ」


「値段が違うからですか?」


「そうだ。四割の石と一緒に量られたら、せっかくの品位が埋もれる」


 ミラは石台の前を空け、平たい布を一枚敷いた。


 そこからは、外すたびに青い石が増えた。


 最初の一つだけではない。少し右へ追っても奥には濃い青が残り、下へ鏨を移しても普通の岩へ戻らない。ミラの前に積んだ高品位の山は、木椀一杯ほどから両手で抱える量になり、やがて革袋一つでは口が閉じなくなった。


「まだ続いています」


「ああ。いいぞ。そのまま別に積んでくれ。思ってたより太い」


「こちらも青いです。さっきと同じくらい濃く見えます」


「それも高い方へ。もう一袋出す」


 レオンは予備の厚い革袋を取り出し、底に傷がないことを確かめてから石台へ置いた。石を移すたび、ずしりと底が沈んでいく。


 作業の邪魔にならない場所で寝ていたキュウは、槌の音が止まるたび一度だけ顔を上げたが、二人がまた手を動かすと炉のそばへ顎を戻した。


 昼前、レオンは自分から槌を置いた。肩を回し、傷の周りへ手を当てる。


「少し熱は戻ってるが、痛みは増えてない。昼を食ったら、あと少しだけやる。今日は一日で止める」


「もっとありそうでも、今日はここまでですか?」


「ああ。値を見に行くにはもう十分だし、肩も使った。続きがあるなら、なおさら今日全部取る必要はない」


 昼食後も同じ場所を少しだけ追った。


 青い部分は途切れなかった。奥へ行くほどすべてが高品位になるとは限らないが、少なくとも今当たっている部分は、表面より明らかに混じりが少ない。


 日が傾く前、レオンは鏨を置いた。


「ここまでだ」


 ミラは二つの革袋を見た。前回ラトスへ持っていった二袋より量が多いうえ、ほとんどが濃い青を含んでいる。


「まだ掘れそうですね」


「そうだな。最初に見えてた細い筋だけじゃなさそうだ。今日はこれだけあれば十分だ」


 レオンは一つずつ持ち上げて重さを確かめ、品質の近い石だけになるよう分け直した。


「ラトスへこれを全部持ち込むのは多い。あの鍛冶屋が買えないわけじゃなくても、一軒へ続けて出す量じゃない」


「では、ベルクですか?」


「ベルクなら精錬所も武具屋も問屋もある。品位のいい青魔鉄なら買い手を選べる」


 レオンは二袋を足元へ寄せた。


「この量と質なら、普通の相場でも銀貨二十枚は狙える」


 ミラは革袋とレオンを見比べた。


「二十枚ですか?」


「売値の見込みだ。全部がお前の手元に残る額じゃない。ここからベルクまでは通常なら四日。南橋がまだ通れなければ東へ回って五日。往復を安全側に見て十日、途中の宿、俺とバルトの食い物、入市料や細かい出費を合わせて二、三枚は見る」


「十日もかかるんですね」


「だから、安い荷を一つだけ運んでも商売にならん。だが二十で売れるなら話は別だ」


 レオンは二つの革袋を見ながら少し間を置き、腰の銭袋を外した。


「ミラ。この二袋を俺に銀貨十一枚で売らないか」


「十一枚」


「ベルクで二十取れれば、旅費を払って俺に六、七枚は残る。思ったより安く売れれば俺が損をするし、逆に高く売れればその分は俺の利益だ。橋の通行止めで相場が上がってても、それを見込んでお前の買い取り値を決めるつもりはない。今分かってる品位と普段の相場で十一だ」


 ミラはすぐに返事をせず、昨日見せてもらった帳面を取り出した。前回の青魔鉄は銀貨五枚と銅貨六十枚。そのときより量が多く、レオンは品質も高いと言っている。


「レオンさんは、十一枚を払って十日使っても、今までの商売より損ではないんですか?」


「損なら持っていかない。六、七枚残る見込みなら、俺が十日使う仕事として悪くない。この高品位の鉱石が今後も同じように採れるなら、今まで運んでた荷の組み方を変える価値もある」


「では、私は十一枚もらえて、レオンさんも儲かるんですね」


「予定どおり売れればな。だから商売にする。片方だけが毎回我慢する取引は長く続かん」


 ミラは二つの袋をもう一度見てから頷いた。


「売ります」


「分かった」


 レオンはラトスで普段の荷を売った代金と手持ちを合わせ、銀貨を十一枚、敷物の上へ並べた。


「前と同じだ。数えろ」


 ミラは一枚ずつ手に取り、縁と表裏を見ながら数えた。六枚目でキュウが硬貨を嗅ぎに来たので、鼻先をそっと横へ向けてから最初から数え直す。


「十一枚あります」


「なら取引成立だ」


 ミラは銀貨を自分の革袋へ入れた。


 持ち上げると、共同寮を出た日に渡された銀貨三枚より、はっきり重い。前にラトスで一月分の小麦粉や豆、塩、油を揃えた代金は銀貨一枚と銅貨四十枚だった。


 穀物箱を見る。中には、レオンが持ち帰ったばかりの粉も豆もまだ残っている。その残りが減ったあと、何を買うかまで考えられるだけの銀貨が、今は自分の手元にあった。


「これなら、しばらく食べ物の残りを気にしすぎなくても大丈夫ですね」


「そうだな。全部を食費に回す必要はないが、次を買う金は十分ある。足りなくなりそうな物は帳面へ書いておけ」


 ミラはもう一度穀物箱を見た。


「では、今日はたくさん食べても大丈夫ですね」


 レオンも箱へ目を向ける。


「ああ。食えば減るが、減ったらまた買える。今日は残りを数えながら腹を空かせる必要はない」


「それなら、夕食はいつもより多く作ります」


「そうしよう。俺も腹が減った」


 売り先の話を終えるころには、夕食の量まで増えることが決まっていた。


     ◇


 夕食の支度を始めると、ミラは小麦粉を木椀へ入れた。いつものところで手が止まりかけたが、昼に数えた銀貨を思い出して、もう一すくい足す。大麦粉も混ぜ、水を注ぐと、いつもより大きな生地になった。


 レオンは根菜の皮を剥きながら、その木椀を見た。


「ちゃんと増えたな」


「はい。減っても次を買えるので、今日は多くしてみます」


「それでいい。昼も軽かったし、俺が出るまでの分を残しても足りる」


 生地をまとめて塩を加え、四つに分ける。三つは丸く伸ばしたが、最後の一つだけ、ミラは細長くして両端を少し丸めた。


「一つだけ形が違うな」


「キュウを作ったつもりです。伏せているときは、これくらい長いので」


 レオンは焼き石の上の生地と、炉の近くで腹をつけているキュウを見比べた。


「……言われれば似てるな。角も付けるのか?」


「忘れていました」


 ミラは生地の頭側を二か所つまみ、その片方だけ少し短くした。


「そっちまで本人に合わせるんだな」


「違うと気になるので」


 キュウは自分が食べ物になっているとは知らず、こちらを見て一度だけ尾を動かした。ミラは少し笑って、その一枚も焼き石へ載せた。


 鍋には、レオンが油をいつもより少し多めに落とした。干し玉葱を先に炒め、甘い匂いが立ったところへ根菜と戻した豆、燻製肉を入れる。


 ミラは肉の包みを開き、いつもより厚めに切った。半分ほど残して包み直すと、レオンが鍋の量を見て頷いた。


「それくらい入れていい。肉も食べるために買ってきたんだからな」


 昨日までなら、鍋へ入れる前に何食分へ分けるかを考えていた量だった。今日は包みを閉じたあとも、鍋の中には肉が十分に残っている。


 燻製肉の脂が溶け、玉葱と根菜へ絡んだところで魔力泉の水を注ぐ。沸いてきたら塩を整え、最後に固いチーズを削った。


 白い欠片が熱い汁へ落ち、ゆっくり形を失っていく。


 キュウは鍋の前へ座っていた。最初の夜のように鼻先を突っ込むことはなく、自分の皿が出るまで待っている。ただ、肉を切るたび耳だけが動いた。


「キュウの分は、塩気の少ない肉を別にしています。今日は少し多いです」


「痩せてた分もある。今日はそいつにも少し多めに食わせていい。腹が戻れば、脚にも悪くはない」


 ミラは頷き、キュウの皿にも肉を一切れ足した。十分に冷ました木皿を置き、人間用の椀へ汁をよそう。いつもより具が多く、平焼きパンも一枚が掌より大きい。ミラは自分の前へ置かれた椀を見てから、レオンの椀を見た。


「同じくらい入っています」


「今日は俺もきちんと食う。肩を治すなら、休むのと同じくらい飯も要る」


「では、足りなかったら二杯目も食べてください。まだ鍋にあります」


「ああ。お前もな」


 ミラは焼きたてのパンをちぎった。


 表面は薄く焦げ、中にはまだ湯気が残っている。いつもなら汁へ浸して量を増やすように食べていたが、今日はそのまま一口食べても、次のパンが皿に残っている。


 豆の汁はチーズで少しとろみがつき、燻製肉の塩気が根菜まで移っていた。木匙を入れるたび、豆か根菜か肉のどれかが上がってくる。


「おいしいです。木匙を入れるたび、肉があります」


「前より具を増やしたからな。今日は数えずに食え」


「はい。今までは何切れ残っているか見て分けていたので、少し不思議です」


 レオンは何も言わず、自分のパンを汁へ浸した。


 先に木皿を空にしたキュウが、いつものようにミラの椀を見る。ミラは皿を抱える代わりに、鍋の横へ残してあったキュウ用の肉をもう一度入れた。


「まだありますよ」


 キュウはミラの手と皿を見比べ、すぐ鼻先を下げた。


 二度目の肉を食べ終えると、今度はミラの椀へ視線を戻さず、炉の近くへ腹をつける。いつもより丸く膨らんだ白い腹が、呼吸に合わせてゆっくり上下した。


 ミラが一杯目を食べ終えても、鍋にはまだ十分残っていた。


「まだあります。二杯目も食べます」


「そのために多く作ったんだ。遠慮するな」


 ミラは自分で椀へよそった。一杯目より少なくするつもりだったが、木匙を入れると底から肉と豆がまとまって上がってきたので、そのまま入れる。


「レオンさんも、まだ食べられますよね」


「ああ。今度は自分でよそう」


 二人とも二枚目のパンへ手を伸ばした。


 食べれば粉も豆も肉も減る。それでもミラは、穀物箱の残りを見に立たなかった。


「共同寮では、おかわりは早い人からでした」


「三十二人いたんだったな。そりゃ鍋もすぐ空になる」


「はい。配膳が遅れた日は、自分が並ぶ頃には残っていないこともありました。今日は、食べ終わってからでも鍋に残っています」


「今日は最初から多めに作った。残ってるのを見て安心するだけじゃなく、食える分は食っておけ」


 炉のそばでは、キュウが四肢を投げ出すように伸び、さっきまで鍋を追っていた目も半分閉じていた。


「キュウは、いつもより平たくなっています」


「腹いっぱいなんだろ。今夜は人の皿を見張らずに済みそうだ」


 鍋の底が見えたころには、誰も次の一口を急いでいなかった。


     ◇


 翌朝、レオンの肩はさらに動くようになっていた。


 洞窟の外で剣を抜き、軽く二度振る。全力ではないが、刃を止めたあとに肩を押さえることもない。


「これなら街道は歩ける。長く戦えばまだ痛むだろうが、荷を運ぶ分には問題ない」


「昨日あれだけ掘ったのに、悪くなっていませんね」


 レオンは剣を鞘へ戻した。


 出発を決めると、銀貨十一枚で買った二つの青魔鉄袋をさらに厚い布で包み、バルトの左右へ分けて積めるよう結び直した。鞍袋の底には、岩針蜥蜴二匹から取った魔石と毒袋も残っている。


「岩針蜥蜴の素材も持っていくんですね」


「ああ。ラトスでは青魔鉄と一緒に出したくなかった。今回はベルクで、鉱石とは別の買い手へ売る」


 食料は通常の四日分ではなく、南橋がまだ使えない場合を考えて余分に持つ。レオンはミラに断り、自分の旅糧で足りない分だけ洞窟の食料から買い取った。


「南橋は、まだ通れないかもしれないんですよね」


「ああ。ラトスで見たときは荷馬車通行不可だった。橋まで行って駄目なら、その場から東へ回る。五日見ておけば足りる」


「帰りも同じなら、十日ですね」


「売買で一日増えることもある。お前とキュウの分は十二日分を先に分けておけ。それでも箱には残る」


 ミラは穀物箱を開け、昨日までの残量を確かめた。平焼きパンを大きく作り、二杯ずつ食べたのに、粉も豆もまだ十分ある。


「大丈夫です。昨日みたいに食べても足ります」


「ああ。少なくとも、足りないから減らす必要はない」


「はい」


「なくなる前に俺が戻る」


 ミラの手が、豆の袋の口で止まった。


「帰ってきますよね」


 レオンは荷紐を結んでいた手を止めた。


 少しだけ間を置いてから答える。


「戻る。青魔鉄が売れたら値段も伝える。次に何を仕入れるかも決めないといけないからな」


 そのとき、レオンの首元で職業札が淡く光った。


 同時に、ミラの視界にも白い文字が浮かぶ。


《この場所への帰属を申請しますか?》


《はい》


《いいえ》


 ミラには見覚えがあった。《はい》《いいえ》は、帰り火が本人の意思を確かめるときの表示と同じだった。


 レオンも黙って文字を見ている。


「……俺にも見える」


「私にも見えています」


 レオンは二つの選択肢を見比べた。さっき「戻る」と答えたばかりなのに、すぐにはどちらにも触れなかった。


「これを受けると、キュウと同じ炉縁者になるんだな」


「たぶんそうです。私は炉守りなので、炉縁者とは別です。キュウのときは、ここで暮らす意思を確認したあと《第一炉縁者》になって、部屋ができました」


「炉縁者になるとしても、俺にも部屋ができるかまでは分からない、と」


「はい。帰り火は、そこまでは教えてくれていません」


 レオンはしばらく二つの選択肢を見たあと、《いいえ》へ触れた。


 白い文字は、そのまま消えた。


 ミラは炉の左奥にあるキュウの部屋を見た。入口の内側は乾いていて、使った毛布が壁際へ寄せてある。その反対側の岩壁には、まだ何もない。


「……そうですか」


「戻ってこないとは言ってないぞ」


「はい。分かっています。ベルクへ行って、またここへ戻ってくるんですよね」


「ああ。それは変わらない。売れた値段も、橋の様子も伝える」


 ミラは穀物箱の蓋を閉め、少しずれていた塩の小袋を奥へ押した。


「ただ、少し残念だっただけです。レオンさんも炉縁者になったら、キュウみたいに部屋ができるのかなと思いました」


 レオンはすぐには答えず、炉の奥と洞窟の入口を順に見た。


「俺はまだ、ここに住むと決めたわけじゃない。商売で外を回る暮らしも続いてる。戻ってくるのと、ここを自分の住む場所にするのは、まだ俺の中では同じじゃない」


「はい。それはレオンさんが決めることです」


「……悪いな」


「私も炉守りを引き受けるか、自分で決めました。キュウも自分でここに残ると決めました。レオンさんも、自分で決めるのでいいと思います」


 ミラはそう言ってから、もう一度だけ確かめた。


「でも、帰ってきてくださいね」


「ああ。戻る」


 今度の返事には、間がなかった。


     ◇


 窪地の上では、バルトが三日間使った野営場所の近くで草を食んでいた。


 レオンは鳴子を外して縄を回収し、焚き火跡へ土をかける。銀貨十一枚で買った青魔鉄を左右へ分けて積み、腹帯を締めた。肩へ痛みが出ないことを確かめてから、魔石と毒袋の入った鞍袋も固定する。


 下からミラの声がした。


「バルトさんも、レオンさんも、気をつけてください」


「ああ。お前とキュウもな。日が落ちてからは、入口の近くまで出るなよ」


「分かりました」


 灌木の下から返ってきた声が聞こえなくなるまで待ち、レオンは手綱を取った。


 バルトの背には、高品位の青魔鉄が二袋ある。売れる値段はベルクへ着いてから決めればいい。南橋が通れなければ東へ回り、肩が悪化すれば途中で止まる。どれも、起きてから判断できることだ。


 今決まっているのは、買った鉱石を売りに行くことと、売買が終わればまたここへ戻ることだけだった。レオンがバルトを旧銀山道へ向けると、蹄の音が二つ、三つと続き、やがて窪地の岩壁から聞こえなくなった。

洞窟の壁だった青魔鉄が、とうとう商品になりました。

ここから少しずつ「暮らす場所」から「稼げる拠点」にもなっていきます。

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