炉守りは旅商人の帰りを迎えます
ラトスを朝に出たレオンは、村が見えなくなるまで現在の街道を進んでから、バルトを林へ入れた。
後ろに人影がないことを確かめ、ラトス側に残る旧銀山道へ戻る。洞窟近くの崩落が見える手前で森へ入り、倒木と岩場を縫って崩れた範囲だけを回り込むと、半刻ほどで洞窟側の旧道へ出た。
帰りは食料と生活道具で荷が増えている。左肩もまだ万全ではないので、レオンはバルトを急がせなかった。蹄跡が旧道の真ん中へ続かないよう、ときどき石の多い場所を選びながら進む。
昼を過ぎてしばらくしたころ、見覚えのある岩壁と倒木が見えた。
窪地へ荷を積んだ馬は下ろせない。レオンは旧道から少し外れた木へバルトをつなぎ、腹帯を緩めて水を飲ませた。草へ口が届く長さに手綱を取り直してから、買ったばかりの丈夫な縄を太い幹へ回す。
最初に蓋つきの穀物箱を結び、斜面の下へゆっくり送った。
「下にいるか。荷を下ろすぞ」
少し間を置いて、灌木の下から声が返ってきた。
「います。レオンさんですか?」
「俺だ。顔を出すなよ。箱が先に行く」
木箱が途中の根へ引っかかると、灌木の下からミラの手だけが伸び、枝を持ち上げた。
「今日は手だけなんだな」
「声はレオンさんでしたので、顔の確認はあとにします」
「三日で少し賢くなったな」
「今日で三日目でした。蹄の音が聞こえたら安心しました」
レオンは縄を握り直した。
「予定どおりだ。箱を脇へ寄せろ。次を下ろす」
「はい。お帰りなさい」
「……荷を届けに来ただけだ」
「はい。でも、お帰りなさい」
レオンは返事をせず、小麦粉、大麦粉、豆、塩、油、乾燥野菜を順に下ろした。次に毛布、敷物、桶、縄と細紐、鉄の鉤、片手鍬と手斧、食器や刃物を包んだ荷を送る。頼まれた食料より、頼まれていない物の方が多い。
「ずいぶんありますね。お願いしたのは食べ物だったと思います」
「下りてから説明する。まだあるから、先に片づけろ」
「分かりました。お馬さんは、ずっと上で待っているんですか?」
「バルトなら上で草を食わせてる。荷がなくなったから、俺より先に休んでるよ」
「バルトさんというんですね。名前を聞いていませんでした」
「名前はバルトだが、さんはいらん。俺は人間で、あいつは馬だ」
「はい。バルトさんは馬ですね。でも、呼ぶときには名前が必要です」
「……好きにしろ。本人が嫌なら態度に出す」
最後の包みを下ろしてから、レオンも縄を使って窪地へ降りた。
ミラは荷物の横に立っていた。顎のあたりで揃えた赤毛は少し伸びているように見えたが、顔色は悪くない。新しい擦り傷も増えていない。丸い桃色の瞳がレオンの顔を見たあと、すぐ左肩へ移った。
「肩はどうですか? 荷物を下ろすとき、左手をあまり使っていませんでした」
「まだ痛むが、悪くはしてない。ラトスの店でも同じことを言われた。お前ら、よく見てるな」
「隠していないので、見れば分かります」
レオンは洞窟へ向かう小さな足跡へ目を落とした。右前脚を引きずった跡は、出発前より薄い。
「そっちも良くなったみたいだな」
「はい。それから、名前が決まりました。キュウです」
洞窟の中から、ちょうど「きゅう」と声がした。
「本人が決めたのか?」
「何と呼ばれたいか聞いたらそう鳴きました。キュウでいいか聞いたときも返事をしたので、そうしました」
「本人が決めたなら文句はないな」
「帰り火も認めました。ほかにも変わったことがあります」
「先にそれを言え」
「見てもらった方が早いと思いました」
レオンは荷物の一番上から剣だけを取り、ミラと一緒に主洞へ入った。
◇
炉の左奥で、レオンは足を止めた。
三日前まで岩壁だった場所に、人の腰ほどの高さの入口が開いている。奥ではキュウが乾いた岩床へ腹をつけ、こちらを見ていた。
「……これは何だ」
「キュウの部屋です。第一炉縁者になったあと、帰り火が作りました」
レオンは入口の前へしゃがみ、岩の縁、床、天井を順に確かめた。削った跡も石屑もない。岩を掘ったというより、そこだけ最初から空間だったように形が変わっている。
「乾いてるな」
「水滴もありません。壁も濡れていません」
振り返れば、主洞では今も一定の間隔で天井から水が落ちている。ミラの布袋は石台へ上げられ、薬草や濡らしたくない布は紐へ掛けられていた。
「俺が出たあと、順番に話せ」
「片づけをしていたら、帰り火がキュウの行動を見て《愛嬌 Lv1》という新しい技能を作りました。周りに親しみを持たれやすい行動を繰り返しているから、それを技能として定義したそうです」
「人の頭へ魔法でも掛けるのか?」
「それは違うそうです。レオンさんが水をくれたのも技能のおかげなのか聞きましたが、そこは《回答できません》でした」
「俺が自分で甘やかした可能性は残ったわけだ」
「はい」
「うれしそうに言うな」
キュウが部屋の奥で尻尾を一度動かした。
「そのあと、帰り火が《幼竜》という職業も新しく作りました。キュウが受け入れて、名前を決めて、ここで一緒に暮らすか聞いたら《第一炉縁者――キュウ》になりました。それで、この部屋ができました」
レオンは炉へ目を向けた。
「待て。元からある技能や職業を見つけたんじゃない。帰り火が、新しく作ったのか?」
「はい。私の《欠け見》も同じです」
「お前にもあるのか」
「炉守りになった日に作られました。小さな違いや、ほかと違うところに気づきやすくなる技能です。でも、その違いの原因や意味までは分かりません」
青魔鉄を選別していたミラの手を思い出し、レオンは額へ指を当てた。
「それを先に言え」
「何ができるのか、私にもよく分かっていなかったので。分かってから説明した方が間違いが少ないと思いました」
「考え方は分かるが、この場所で帰り火が今までと違うことをしたら、分からない段階でも教えろ。俺が外にいるときに何か起きて、片方しか知らない方が危ない」
「全部、ですか?」
「飯を焦がしたとかは要らん。帰り火が新しい表示を出した、新しい技能や職業を作った、壁に穴が開いた。そういうのだ。迷ったら言え」
「分かりました。次からはそうします」
キュウが部屋から出てきて、レオンの道具袋を嗅いだあと、荷物の方へ鼻を向けた。
「名前がついても、やることは同じだな」
「キュウですから」
「名前は理由にならん」
◇
昼食より先に、濡らしたくない物から片づけることにした。
蓋つきの穀物箱は床へ直置きせず、平たい石を四つ選んで脚の下へ敷く。岩壁からも手が入る程度に離し、小麦粉と大麦粉、乾燥豆を収めた。塩は袋の口を二重に縛り、油の瓶は転がらない岩の窪みへ置く。
レオンは岩の割れ目を確かめながら鉄の鉤を二つだけ打ち、間へ細紐を張った。残りの鉤は箱へしまう。桶は天井から落ちる雫の下へ置いた。
しばらく見ていたミラが、桶の縁を指した。
「少しずれています。こっちの雫が外へ落ちます」
「桶をずらせ」
「ずらすと、最初の雫が外れます」
「両方入る位置を探せ」
ミラが桶を指一本ぶん動かすと、二つの雫が縁ぎりぎりで中へ落ちた。
「入りました」
「それなら床も少し乾くな。雫が増えたら、また位置を変えればいい」
「はい。今日はここで大丈夫そうです」
三つ目の雫が増えないことだけ確かめ、二人は作業へ戻った。
敷物は炉に近く、水の落ちにくい場所へ広げる。厚手の布は食料箱と衣類の覆いへ回した。毛布は一枚をキュウの部屋へ敷き、もう一枚をミラへ渡す。
「前の毛布がありますから、これはレオンさんが使った方がよくありませんか?」
「俺には旅用がある。お前のは薄いし一枚しかないだろ。洗った日や濡らした日に困るから、そっちはお前が使え」
ミラは新しい毛布の厚さを指で確かめてから、きれいに畳んだ。
「では、使います。ありがとうございます。使う前に言ってもいいお礼です」
「そこまで決めてるなら好きにしろ」
片手鍬と小ぶりの手斧を石台へ置き、厚刃のナイフを二本出す。
「一本は料理用。一本は作業用だ。刃が欠けたら混ぜるな」
「柄が持ちやすいです」
「店で手が小さいと言ったら、これを出してきた」
木椀と木匙も二つずつ出すと、ミラは匙を並べて長さを比べ始めた。
「こちらの方が少し長いです。レオンさんは、どちらを使いますか?」
「俺は旅用があるから二本ともお前が使え。まさか一本をキュウに渡す気じゃないだろうな」
ミラはキュウを見た。
「少し考えました」
「木匙を試験台にするな。食器として使え」
キュウが自分の名前だけ聞き取ったように鳴いたので、木匙は二本とも鉤へ掛けられた。
最後に小さな布包みを渡すと、ミラは中を開いたまま動かなくなった。
「どうした」
「下着です」
「見れば分かる」
「レオンさんが選んだんですか?」
「店の女に背格好を伝えた。細身で、背はこのくらいだと」
レオンが自分の肩より少し下へ手を置くと、ミラは包みとその高さを見比べた。
「ちょうどよさそうです」
「ここで確かめなくていい」
「まだ何もしていません」
「そういう意味じゃない」
ミラは包みを閉じたが、すぐにはほかの衣類へ重ねず、胸元へ抱えた。
「下着をもらって、こんなにうれしいのは変でしょうか」
「消耗品だぞ」
「消耗品でも、私のために買ってきてもらったものです」
「選んだのは店の女だ」
「レオンさんが買って、ここまで運んできました」
レオンは片手鍬の刃を確かめるふりをした。
「破けるまで使え。それで十分だ」
「はい。大事に使います」
「大事にしすぎて、しまっておくなよ」
ミラはようやく包みを毛布の上へ置いた。並んだ縄、刃物、下着を順に見てから、首を傾げる。
「お店の方、驚きませんでしたか?」
「なぜ分かる」
「縄と刃物と女物の下着を、一緒に買ったんですよね」
「女を攫って売る気かと聞かれた」
ミラは一度品物を見回し、口元を押さえた。
「笑うな。俺も並べてから気づいた」
「すみません。でも、少しだけ分かります」
「分かるな」
道具は増えた。それでも主洞の水滴は止まらず、炉から離れた岩床は冷たい。乾いているのは、いまのところキュウの部屋だけだった。
ミラが穀物箱の蓋を閉じ、主洞を見回す。
「これで家になりましたか?」
「雨宿りよりはずっとましだ。家と呼ぶには、まだ物を濡らさない置き場所を探してる段階だな」
「では、少しだけ進みましたね」
「ああ。それは間違いない」
◇
荷物が収まると、レオンは敷物へ帳面を広げた。
「青魔鉄は銀貨五枚と銅貨六十枚で売れた。品位は四割近い。食料は、お前から預かった銀貨一枚だけでは銅貨四十枚足りなかったから、そこだけ鉱石代から出した」
売却と買い物の行を指で示し、銀貨五枚と銅貨二十枚を並べる。
「これが残りだ。俺は元からラトスへ運ぶ荷があったから、入村料や宿代まで今回の鉱石の経費にするのは違う。毛布や縄、道具、追加の食い物も俺が勝手に買った分だから、そっちからは引いてない」
「レオンさんの取り分は?」
「今回は売れるかを見る試しだ。俺は仕入れ先が一つ増えるかもしれない。それで十分だ。次からは、先に俺が買い取り値を出す。お前が納得したら売れ。そこから先で高く売れても安く売れても、俺の損得だ」
「今回は、レオンさんが運んで売った分のお金を払っていません」
「毎回ただで運ぶとは言ってない。最初の一回まで細かく割る方が面倒だ。それより数えろ。人を信じるのと、勘定を捨てるのは別だ」
ミラは銀貨を一枚ずつ数えた。四枚目で手を止め、一枚を裏返す。
「この銀貨だけ、縁の模様が少し浅いです。削られていませんか?」
「重さは量った。問題ない」
「では大丈夫ですね。数は最初からやり直します」
「今ので四枚まで数えただろ」
「銀貨の縁を見ている間に、数える方が曖昧になりました」
「……やり直せ」
レオンは口を挟まず、二度目が終わるまで待った。
◇
遅い昼食を作り始めるころには、荷物の置き場もようやく落ち着いた。
鍋へ乾燥野菜と干し玉葱を入れ、塩漬け肉を小さく切る。キュウには買ってきた燻製肉の切れ端を塩気の少ないところだけ選んで別にした。
穀物箱の蓋を閉めながら、ミラが聞いた。
「こういう箱の置き方も、旅商人をして覚えたんですか?」
「それより前だ。生まれは北の鉱山町で、親父が小さな店をやってた。鉱夫に岩槌や鏨を売って、塩や油、食料も置いてた。母親は店の奥で、鉱夫や荷運び人に飯を出してた」
「それで鉱石を見るのも、食料を湿らせないのも知っているんですね」
「鉱石の品位の見方と道具の値段、金を貸していい相手かどうかは親父の店で覚えた。馬と荷車もな。食い物の扱いは、母親がやってるのを見て覚えた」
ミラは洗った根菜を受け取り、刃を入れた。新しいナイフは古いものより柄が短く、小さな手にも収まっている。
「そのお店は、今も残っているんですか?」
「ない。俺が十五になる前に鉱山が痩せた。採れる量が減って、人も減って、最後に閉じた。店も続けられなくなって、親父と残った品を荷車へ積んで町を出た。それから行商だ」
「最初は、お父さんと一緒だったんですね」
「ああ。しばらくはな。両親はもう死んだ。兄弟はいない」
ミラの手が一度止まったが、すぐに根菜を切る音が戻った。
「私も、父と母はもういません。ベルクには、帰れば会える家族はいないです」
レオンは鍋から顔を上げた。
「家族もベルクにいたのか」
「はい。東門に近い職人街です。父は石を運ぶ仕事をしていて、倉庫や城壁の修理にも行っていました。私が十になる前に、足場から落ちて死にました。母は洗濯の仕事をしていて、私が十六のときに病気で死にました」
ミラは切った根菜を鍋へ入れた。
「それからは住み込みで働きました。洗濯場、食堂、縫い物の工房、倉庫です。長く続いたところも、短かったところもあります。共同寮には半年いました」
「それからも、ずっとベルクの中か」
「はい。だからラトスへ行くだけで、あんな旅になるとは思いませんでした」
「道を間違えなければ、もう少しましだった」
「そうですね。でも、そうするとここには来ませんでした」
レオンは鍋の火を少し弱めた。
「レオンさんは、お父さんと行商を始めてから、ずっと旅をしているんですか?」
「一人になってからもな。護衛を雇えない頃は隊商について歩いて、冒険者の仕事も受けた。剣も野営も採掘も、馬の世話も、必要だから覚えた。気づいたらC級まで上がってた」
「聞いていると、何でもできるように見えます」
「一つの仕事だけで食えなかった結果だ」
ミラが少し笑った。
「私は、いろいろやって、どれも遅かったです」
「合わない仕事まで一まとめにすれば、できないことの方が増える。青魔鉄の選別なら、お前は遅くても外さなかった。キュウの脚も毎日見てる。先のことまで今日決めなくていいだろ」
ミラは返事を急がず、鍋の中を一度混ぜた。
「では、今日は食事を作ります」
「それは今決めろ。腹が減った」
「はい」
平焼きパンを焼き、新しい木椀へスープをよそう。レオンは旅用の金属椀を持っていたが、ミラが新しい木椀を一つ押しつけてきた。
「二つ買ってきたので、一度くらい使ってください」
「買ったのは俺だぞ」
「では、買った人が最初に使えます」
「どういう理屈だ」
「今決めました」
レオンは諦めて木椀を受け取った。
二人と一匹分の食事が炉の前へ並ぶ。桶へ落ちる水滴の音は止まらない。それでも食料は蓋のある箱へ入り、布は床から離れ、キュウの部屋には毛布が敷かれていた。
食べ終えるころには、窪地へ差し込む光がかなり弱くなっていた。
「肩、まだ痛むんですよね」
「荷を持ち上げると分かる。ラトスまでなら誤魔化せたが、遠出をするなら一度きちんと休んだ方がいい」
レオンは左肩を軽く回してから、洞窟の入口へ目を向けた。窪地の上ではバルトを待たせている。
「今夜は上へ戻る。バルトを一晩放っておくわけにもいかないからな」
「そうですよね」
「それで、明日なんだが。昼の間、ここで休ませてもらってもいいか。肩を休めたいし、荷の置き方ももう少し見たい」
ミラは一度瞬きをした。
「もちろんです。わざわざ聞かなくても……」
言いかけたところで、ミラは口を閉じた。
「いえ。聞いてもらった方がいいですね。私が管理している場所でもありますから」
「そういうことだ」
「では、明日はいてください。食事も作ります」
「助かる。ただ、俺まで食わせてもらうつもりはない。今日買ってきた分から使えばいい」
「それだと、結局レオンさんが買った物をレオンさんが食べるだけですね」
「何か問題があるか?」
「少しだけ、面白いです」
レオンには何がおかしいのか分からなかったので、残っていたスープへ匙を入れた。
「次にどこへ行くかは、肩が戻ってから考える。青魔鉄をまた売るにしても、まず掘れる量を見ないとな」
「では、明日は掘りませんね」
「休むと言っただろ」
「確認です」
「信用がないな」
食事を片づけるころには、外の光はさらに薄くなっていた。
「そろそろ上へ戻る。暗くなる前にバルトのところへ行かないとな」
「はい。おやすみなさい。バルトさんにも伝えてください」
「ああ」
レオンは剣と水袋だけを持ち、縄を使って斜面を上がった。
バルトはつないだ場所で草を食べていた。脚と蹄に異常がないことを確かめ、夜用の飼料を出す。近くの木の下へ旅用の毛布を広げてから、レオンは一度だけ窪地の方を見た。
旅の途中なら、売り物も食料も道具も、夜になればできるだけ手元へ集める。
その夜は、穀物箱も毛布も縄も刃物も、斜面の下へ置いたままだった。
レオンは取りに戻らず、バルトの手綱だけを確かめて横になった。
出ていく人ではなく、帰ってくる人ができました。
ミラの「お帰りなさい」とレオンの帰る場所を気に入っていただけたら、評価で応援していただけると励みになります。




