炉還りは褒美を受け取ります
王城の治療所には、午後の日差しが斜めに差し込んでいた。
レオンは窓の脇に立ち、左肩を大きく回してから腕を頭の上まで上げた。昨日は胸当ての留め具が食い込むだけで奥まで痛んだ肩が、今は何の抵抗もなく動く。肋へ手を当てて深く息を吸っても痛みはなく、熱と雷で焼けた皮膚にも赤みすら残っていなかった。
朝の診察では、昨日と同じ治療師が何度も肩と脚を動かさせ、最後には階段まで歩かされた。治癒魔法を重ね、王家の備蓄から出したという回復薬を夜と朝に使った結果、昼前には包帯まで外されている。
王都へ来るまで、上等な回復薬が高いことは知っていた。値札を見れば仕入れる側として諦める額の品もある。だが、昨日あれだけ傷を負った身体が翌日にはここまで戻るところまで、自分で確かめたことはなかった。
さらに、治療師からは防具が受け止めた分も大きいと言われた。胸当てが壊れずに熱と衝撃を散らしていなければ、治療に必要な時間が段違いに長くなっていたらしい。
ティルダとフレイに聞かせれば、まず傷より胸当ての壊れ方を知りたがるだろう。そんなことを考えていたところで、《炉縁者通信》からミラの声が届いた。
「レオンさん、今なら少しお話ししても大丈夫ですか?」
「ちょうど暇になったところだ。治療も終わって、もう普通に歩ける」
「昨日は怪我をしたと聞いたので心配していました。本当にもう痛いところはないんですか?」
「ない。肩も脚も動くし、肋も痛まない。王城の治療師と薬は、値段だけ高いわけじゃなかったらしい」
「それなら安心しました。キュウにも、レオンさんはもう大丈夫だと伝えておきます」
レオンが窓の外へ目を向けると、中庭では昨日の騒ぎで倒れた植木鉢を庭師が起こしていた。
「キュウはどうしてる。昨日はどれだけ食べた?」
「ご飯はいつも通りです。でも、レオンさんがいないのは少し寂しいみたいです。夕食が終わると、レオンさんの部屋の扉を鼻で押してから戻ってきます」
「部屋を開けても何も出ないぞ。食べ物を隠してると思われてるだけじゃないのか」
「今朝は馬房にも行っていましたから、バルトさんも探しているんだと思います。二人とも帰ってきたら、たくさん撫でてあげてください」
「バルトまで俺が撫でるのか。あいつは嫌がるから、そこはミラに任せる」
「こちらは林檎がまた赤くなって、今日は収穫の籠が足りなくなりました。ロアンさんが空いている樽を洗っています」
「前に出る時も収穫してただろ。あの木、本当に休む気がないな」
「私もそう思います。でも、採らないと落ちてしまうので、明日も朝からみんなで採る予定です」
王都では大広間が落ち、伯爵が逃げ、まだ兵が通りを走っている。一方で、洞窟では林檎が落ちそうになっていて、その違いが今日は妙に心地よかった。
「ほかは変わりないか。俺が戻るまでに困ってることがあれば、今のうちに聞いておく」
「大きなことはありません。ただ、エイルさんは最近また呪いが辛そうです。いつもなら自分で最後まで片づける仕事を、リュネさんに任せて先に休む日が増えました」
「本人が休むなら、かなり辛いんだろうな。リュネに無理をさせないよう、必要なら他の仕事を減らしてくれ」
「はい。エイルさんは大丈夫だと言っていますけど、リュネさんも少し気にしています。戻ったらレオンさんからも見てください」
「分かった。帰ったら本人にも聞く。王都で必要なものがあったら連絡してくれ」
廊下から足音が近づいてきた直後、客室の扉が外から二度叩かれた。
「ミラ、誰か来た。たぶん王城の人だから、続きはまたあとで話そう」
「分かりました。王様にも、治療師さんや薬を使わせてもらったお礼を伝えてください。レオンさんも無理はしないでくださいね」
「もう治ったと言ったばかりだろ。もっとも、今日は魔物を探しに行くつもりはない」
通信を切って扉を開けると、王城の係官が一人立っていた。
「レオン殿、陛下がお話をしたいとのことです。歩いて移動しても問題ないと、治療師から伺っております」
「問題ない。今朝から何度も歩かされて、治療師にも確認してもらった」
レオンは外套だけを羽織り直し、係官のあとへついて部屋を出た。王城の中を歩くだけなら、装備を身に着ける必要もなかった。
◇
通されたのは広い謁見室ではなく、レオンがこれまで入ったことのない王の私室だった。
大きな執務机も玉座もなく、窓際には小さな丸卓と三脚の椅子が置かれている。壁際には本棚と剣架があり、王が公務ではなく休むために使う部屋だと分かる程度には、置かれている物も少なかった。
ルシアンは上着を脱いで椅子の背へ掛け、丸卓の向こうに座っており、その隣にはセドリックもいた。二人の前には数枚の紙と、口を紐で閉じた革袋が一つ置かれていた。
「呼びつけて悪かった。治療師から歩いて構わないと聞いたが、本当に昨日の怪我人で合っているのか?」
「俺も今朝から同じことを考えてます。肩も肋も脚も、もう痛いところは残ってません」
「王家の薬まで使ったからな。高いだけで効かなかったら、財務官に叱られるのは私だ」
セドリックが椅子を勧めながら、机の端にあった一枚の紙を取った。
「元気なら先に一つ確認したい。長くは掛からないし、ここで終わらせておきたい話だ」
「分かりました、記憶の範囲で答えます」
「話が早くて助かる。レイヴァン邸で死んでいた男の一人が、ベルクから照会されていた逃亡奴隷商の特徴とかなり近い。太った体格で、背丈も記録から大きく外れない。偽名や所持品の記録にも重なるところがあり、ベルク側の記録には肩から革鞄を掛けて逃げたとある」
革鞄という言葉で、森へ逃げ込んだ背中が浮かんだ。
幌馬車から転げるように降り、鞄を落としても止まらなかった男。あの時は、男より先にリュネを乗せた馬車を追う必要があった。
「背格好は似ていると思います。ただ、俺が見たのは馬車から降りて逃げるところだけです。顔まで間違いないと言えるほど見てません」
「それで十分だ。君の記憶だけで本人と決めるつもりはない。ベルク側の記録と遺留品を合わせて詰める」
セドリックは紙の端へ一言書き足し、それ以上その話を続けなかった。ルシアンが代わりに革袋へ手を伸ばし、レオンの前へ滑らせる。卓の上を少し動いただけで、中から硬い音が重なった。
「次はこちらだ。昨日、大広間で君が倒した魔物について、魔石と素材は本来なら討伐者である君の取り分になる」
「証拠品になるなら、持って帰れないだろうとは思ってました」
「その通りだ。魔石も死体も、まだ調べる必要がある。王国が保管する代わりに、現時点の評価額で買い取ることにした。金貨二十枚だ」
レオンは革袋を片手で持ち上げ、掌へ掛かる重さを確かめた。紐を緩めると、袋口のすぐ下まで重なった金貨が鈍い光を返している。
前にベルクで盗賊団と奴隷商を片づけた時は、組合から金貨五枚を受け取った。それでもティルダが椅子から半分立ち上がるほどの額だった。
今の袋には、前に受け取った額の四倍になる金貨二十枚が入っている。
「あの魔物だとこういう額になるんですね」
「魔石だけで値を付けたわけではない。翼や皮、骨格も、出所の分からない異常個体として調査価値がある。解体して売れる状態ではなくなる分も含めた」
「それなら、帰ったらエルネに渡します。俺が持ってるより、あいつが帳簿に入れた方が役に立てられる」
それを聞いたセドリックが、紙から顔を上げて少しだけ笑った。
「金貨二十枚を受け取って最初に考えるのが帳簿か。本当に商人が板についているな」
「洞窟の金は俺一人の金じゃないです。装備も薬も、みんなで使ってますから」
「分かった。ただし、その二十枚は褒賞ではない。君の物になるはずだった戦利品を、王国が預かるための代金だ」
レオンは革袋を持ったまま、ルシアンを見た。
「王都を救った人間へ、証拠品の買い取り代だけ渡して終わったら、私の立場がない」
ルシアンはそう言ってから、卓上に残っていた紙を一枚だけ自分の前へ寄せた。
「ただ、次の話は今日ここで正式に決めるものではない。王都の復旧と事件の処理が落ち着いてから、必要な手続きを踏む。その前提で聞いてほしい」
紙には、ベルクから西へ広がる山地を切り取った地図の一部が描かれていた。王都周辺ではなく、レオンにも見覚えのあるベルク西方の山地と街道がある。その端にラトスの名があり、さらに周辺のいくつかの村と領境が細い線で区切られていた。
「洞窟の場所を王家が知った以上、今まで通り誰にも知られないことで守り切るのは難しい。私が黙っていても、今後も盗賊や貴族まで同じとは限らないからな」
「俺たちも、そこは陛下が洞窟へ来た時から考えてました。秘密のまま守るだけじゃ限界がある」
「そこで、ラトスと洞窟周辺を王国の制度の中で一つの領として立て、外から勝手に触られにくい形へ変えたい。王領の一部と、今後整理される近隣領を組み替えれば、小さな領としてまとめることはできる」
レオンは地図へ視線を落とし、ラトスの周りを走る細い境界線を目で追った。ラトスの名はあるが、洞窟の場所には印がない。ルシアンが場所を知っていても、紙へ残していないらしい。
「どういう意味ですか?」
「細かな税や裁判の扱い、境界はこれから正式に決める。ただ、私が考えている褒美として、君達にこの領地を任せたい。洞窟でどう暮らすか、何を作るか、誰を迎えるかを、遠くの領主に毎回伺わなくて済むようにする。ラトスも今までより自由の範囲を広げられる」
金貨二十枚なら、帰ってから使い道を相談すれば済む。だが、この話は洞窟とラトスを王国の中でどう扱うかまで変える。
洞窟を見つけた頃は、誰かに知られれば奪われるかもしれないと考え、レオンは道をわざと遠回りして足跡まで消していた。三つ火の品が売れるようになってからも、ラトスを窓口にして場所そのものは隠してきた。
今度は王国の制度そのものが、レオン達に裁量を与えることを意味している。
「そこまでしてもらえるなら、俺たちには十分すぎる褒美です。でも、領にするなら誰かが貴族になるんですか?」
「話が早いな。王国側の責任者は必要になる。そこで最初は、君に男爵位を渡すつもりだった」
レオンは地図から顔を上げ、冗談を言っている様子がないルシアンを見た。ルシアンは笑っておらず、セドリックの方も冗談を止めに入るような顔をしていなかった。
「俺が男爵になったら、王都へ来るたび今より面倒な服を着ることになりますよね」
「最初に気にするのが服なのか。領主としての仕事は、その次でいいのか?」
「そっちも無理です。俺は旅に出て、必要な物を探して、洞窟へ戻る方が向いてます。土地に残って毎日領主の仕事をする役は…はっきり言って向いていません」
爵位を受けるかどうかについては、少し考える必要すらなかった。
洞窟に帰る場所ができてからも、レオンは外へ出ることをやめなかった。売る物を持って街へ行き、必要な物を探し、知らない土地へ足を伸ばしてまた帰る。それを捨てて椅子へ座り続ける姿は、自分でも想像できなかった。
「そう言うと思っていた。だから、断られた場合の話までセドリックと考えてある」
「最初から俺が断る前提だったなら、先にそっちを教えてくださいよ」
「一度くらいは国王らしく爵位を勧めさせてくれ。これでも滅多にない機会なんだ」
隣で聞いていたセドリックが、地図の余白を指先で軽く叩いた。
「領主になる者は、洞窟で相談して決めればいい。王国との書類、税、村との調整を扱える者が望ましいが、こちらから名前までは指定しない。ただし本人の同意は取ってくれ」
「それは当然です。帰ったら全員で話して、本人が引き受けると言った人を連れてきます」
「それで構わない。正式な授爵も領地再編も、すぐにできる話ではない。王都の復旧と今回の調査が一段落してからになる」
ルシアンは地図を畳み、別の紙を取ろうとして手を止めた。
「そうだ。誰を連れてくるにしても、家紋は考えておけ。新しく爵位を与えるなら必要になる」
今度は、レオンにも考える時間が要らなかった。
「家紋なら、もう決まってます。俺たちが使っている三つ火の印を、そのまま使わせてください」
ルシアンは一度だけ目を細め、それからレオンが受け取った革袋の横を見た。
「あの冷蔵箱や酒樽、それに君の胸当てにも付いていた印だな。中央の火を左右の炎が囲む形だった」
「はい。最初は作った物を見分けるための印でしたけど、今は洞窟の物なら大体あれが付いてます」
「なら、それを元にしよう。正式な図案にする時も、勝手に別物へ変えないよう伝えておく」
レオンは頷きながら、昨日の大広間で胸当てに残った三つ火へ指を当てた時のことを思い出した。あの時には、あの印が家紋になるなど考えもしなかった。ただ、帰りたい場所の印としてそこにあった。今度は、その同じ印が外から洞窟を守るためにも使われる。
ルシアンは最後に、まだ残していた紙をレオンへ向けた。
「褒美はもう一つある。こちらは領地の手続きが終わるまで待つ必要はない」
「金貨二十枚と領地の話のあとで、まだ何か出てくるんですか?」
「君は元々、王都で白魔鋼の評価と、第五層へ入るための防護手段を探すつもりだったな。その途中で王都が襲われて、商談どころではなくなっただろう」
「それは仕方ないです。あの状況で店を回ってたら、俺の方がおかしい」
「だから、今度は王城側に窓口を作る。君たちが王都へ品を持ち込む時は、王城の調達を扱う担当官へ直接話を通せるようにする。必要なら王立工房や専門家、御用商人にも繋ぐ」
レオンは自分の方へ向けられた紙へ目を落とし、書かれている内容を上から追った。そこには具体的な店名や職人名はなく、王城側の窓口を設け、相談内容に応じて紹介先を選ぶところまでが記されている。
「王城へ直接、商売の話を持ってきていいということですか?」
「そういうことだ。ただし、王家が君たちの商品を独占するつもりはない。何を売るか、誰と組むか、断るかどうかも君たちが決めればいい。王城は必要な相手へ繋ぐところまでやる」
レオンは白魔鋼の試作品を持って、王都のどの工房へ行けばいいか考えていた時のことを思い出した。地下五層の毒や麻痺への対策も、薬師へ聞くべきか魔道具屋へ行くべきか、その入口から探すつもりだった。
今後は、王城へ持ち込めば、その話を本当に扱える相手へ繋いでもらえる。売り先としても優良だが、それ以上に探す時間がまるごと変わる。
「それは正直、金貨二十枚より助かるかもしれません。王都へ来て、誰かを探すところから始めなくて済む」
「金貨を渡した直後に価値が下がった気分だが、褒美として喜んでもらえるならそれでいい」
「財務官には聞かせない方がいいな。金貨二十枚の方を返せと言われるかもしれない」
セドリックがそう言うと、向かいにいたルシアンも声を立てて笑った。
「それと、王城が買う場合も普通に値段は交渉してくれ。国王の友人価格だから安くしろ、などとは言わない」
「そこは安心しました。安くしろと言われたら、王相手でも帳面を出すところでした」
「むしろ見てみたい気もするが、今日はやめておこう。王城の調達担当が泣く」
話が終わる頃には、窓から入る光が卓の端まで移っていた。
レオンは金貨二十枚を《空間収納宝珠》へ入れ、折り畳まれた地図と王城窓口の紙はセドリックへ返した。自治も爵位も、まだ正式に決まったわけではない。帰ってから皆へ話し、誰が引き受けるのか決めなければならない。
家紋になる三つ火の見本も必要になる。仲間たちにどこから報告するかを考え、レオンの口許が上がっていた。




