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帰り火の洞窟 ~役立たずと追放された少女、拾った洞窟を仲間たちの帰る場所にします~  作者: Rastarock
王冠と三つ火

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炉還りは手ぶらでは帰りません

 虎頭の口元で青白い光が弾け、獅子頭の喉では赤白い光が膨らんでいた。


 レオンは右側の階段を背にしたまま、魔物の二つの頭を見据えていた。広間へ入ってから幾度となく受けた攻撃だが、今は雷を避けるだけでも脚が重い。獅子頭の魔法をまともに受ければ、防具が耐えたとしても、身体の方が保たないだろう。


 虎頭が雷を放った。


 レオンは右足で床を蹴り、背後の階段へ駆け上がった。一発目の雷が足元を通り過ぎたところで二段目へ跳ぶと、二発目はその先の石段を砕いた。


 上へ逃げ続ければ、やがて追いつかれる。


 レオンは三段目へ足を掛けると、階段の内側にある手すりへ右足を乗せた。石の欄干を踏み台にして身体を持ち上げ、そのまま広間側へ跳び下りる。


 背後から赤白い光が走った。


 さっきまでレオンがいた階段を横切り、抉れていた石段がさらに砕け散った。飛び散った破片が背中へ当たり、着地した右脚には強い衝撃が返ってきたが、どうにか転倒せずに済んだ。


 広間側へ降りたことで、レオンと魔物の間には階段脇の太い石柱が一本入っていた。


 レオンは柱の陰へ身体を寄せ、息を吸おうとした。しかし、胸当ての左脇の留め具が外れているため、深く呼吸するたびに防具の端が肋へ当たる。広場で痛めた左肩も、階段から跳び下りた衝撃でひどく疼いていた。


 左手で胸当てを押さえると、血と石粉に汚れた革の下に、小さく押された三つ火の印が見えた。


 洞窟で作ってもらった防具だ。


 《帰還》を使えば、今からでもあの洞窟へ戻ることはできる。炉の火のそばで身体を休め、ベラの料理を食べれば、明日にはずいぶん楽になっているかもしれない。


 だが、目の前の魔物はまだ動いている。王城から逃げ出したとしても、この巨体が王都のどこへ向かうか分からなかった。


 レオンは胸当てから手を離し、剣を握り直した。


 石柱の向こうで獅子頭が唸り、続いて虎頭の雷が柱の脇を走った。青白い光が床で弾け、石粉と小さな破片が靴へ当たる。


 レオンは柱の裏側へ回り込んだ。


 獅子頭が首を伸ばしてこちらを探している。虎頭も反対側から顔を覗かせたが、巨体を柱に寄せたため二本の首が邪魔し合い、どちらもすぐには噛みつけなかった。


 レオンは虎頭が顔を引いた瞬間に《飛刃剣》を振り、眉間へ浅い傷を走らせた。虎頭が唸って後退する。


 その隙に柱の反対側から逃れようとしたが、獅子頭が首を引き、レオンを追わずに口を開いた。赤白い光が柱へ直撃した。


 石の表面が弾け、金色の飾り板が引き剥がされる。柱の裏まで伝わった衝撃でレオンはよろめき、慌てて柱から離れた。


 それまで身体を隠してくれていた石柱は、腰より少し高い位置を大きく抉られていた。砕けた断面から細かな石粉が流れ落ち、上部の彫刻にも亀裂が走っている。


 魔物は柱を避けて追うつもりなどないらしい。邪魔なら壊す。それだけの力が、獅子頭の魔法にはあった。


 レオンは隣の柱へ向かって走ったが、虎頭の雷が移動先の床を打った。足を止めたところへ巨体が迫り、今度は前脚の爪が横から振られる。レオンは剣で受けず、身体を低くして爪の下を抜けた。


 そこには、倒れた長椅子があった。


 レオンは長椅子の端へ右足を掛け、そのまま身体を横へ跳ばした。傷んでいた木材が踏みつけた勢いで割れ、長椅子は大きな音を立てて崩れた。魔物の爪が残った座面へ食い込み、木片が四方へ散る。


 獅子頭は邪魔になった木材を振り払い、逃れたレオンを追った。しかし、右前脚を踏み直す間にほんのわずかな遅れが生じたため、レオンは階段の手すりを越えて、二階へ向かう曲線の途中まで逃れることができた。


 そこで振り返ると、魔物は後脚で床を蹴っていた。階段を一段ずつ上る気などないらしい。翼を広げた巨体が、数段をまとめて飛び越えてくる。


「そっちも上れるのかよ!」


 レオンは階段を駆け上がるのをやめ、内側の手すりへ足を掛けた。頭上を虎頭の牙が通り過ぎ、獅子頭の前脚が石段を砕いたところで、欄干を蹴って再び広間へ飛び下りる。


 今度の着地はひどかった。痺れの残る左脚が十分に踏ん張れず、レオンは右膝を床へついた。石片が膝当ての下へ入り込み、立ち上がるときに鋭い痛みが走った。


 魔物も階段から向きを変え、広間へ戻ってくる。レオンは剣を振って牽制したが、虎頭の頬を浅く裂いた傷は、魔物が着地するころにはもう塞がり始めていた。


 傷つけても治ってしまう。それでも、斬撃を受ければ魔物は顔を引き、深い傷を負えば一時的に動きが鈍る。倒すには足りなくとも、逃げるための時間を稼ぐことはできた。


 レオンは柱の並ぶ広間の中央側へ走った。背後から雷が飛び、獅子頭の光弾が床を焦がす。何度か柱を盾にしてやり過ごしたものの、魔物も同じ攻防をいつまでも繰り返してはくれなかった。


 虎頭は柱の左右へ雷を散らし、レオンが出てくる方向を塞ぐようになった。その間に獅子頭が柱そのものを狙い、赤白い光で石を削ってくる。


 二本目の柱に深い傷が入り、三本目では飾り板と一緒に石の角が大きく崩れた。天井の方から、何かを引きずるような低い音が返ってきた。


 レオンは思わず顔を上げた。柱の上部から横へ張り出した石組みには細い亀裂が走り、その奥の天井からも白い粉が落ちている。広間の中央に下がる大吊灯は、魔物が魔法を撃つたびに小さく揺れ、金属の飾りが触れ合う音を立てていた。


 王城の広間は、もう最初の形を保っていなかった。


 磨かれた石床には深い傷が刻まれ、割れた家具や飾り板が散乱している。階段の一部は焼けて黒焦げ、手すりには獣の爪で砕かれた跡が残っていた。


 石柱が砕けるたびに新しい粉塵が舞い上がり、視界の向こう側が白く霞む。


 レオンは外套の裾で口元を覆おうとしたが、左肩が痛んで腕を上げきれなかった。仕方なく顎を引き、目を細めながら柱の陰を移動する。


 魔物の足音が近づいた。今度は柱の反対側へ回り込まず、翼を広げて一気に距離を詰めてくる。 レオンは退路を探した。


 左には階段があるが、途中の石段が砕けている。右へ逃げれば別の柱を使えるものの、虎頭がすでにそちらへ顔を向けていた。


 背後には、入口側へ続く比較的広い空間が残っている。


 そこまで戻れば、まだ逃げ道はある。


 レオンは一度そちらへ走りかけたが、獅子頭の光弾が目の前を横切ったため、近くの柱へ身体を寄せた。


 赤白い光が石柱の中央へぶつかる。轟音とともに石が砕け、柱の片側が人の頭ほどの深さまで抉れた。


 上部から崩れた彫刻が床へ落ち、レオンのすぐ脇で割れた。金色の飾り板まで落下し、激しい音を立てて石床を滑っていく。


 レオンは柱の陰から飛び出し、魔物の右前脚へ《飛刃剣》を放った。魔物が脚を引く。


 その一瞬を使って隣の柱へ移り、再び剣を振る。虎頭の雷が追いかけてきたが、先ほど崩れた柱の残骸が射線を遮り、青白い光は石塊を砕いて消えた。


 レオンはその場で立ち止まり、荒い息を整えた。脇腹の傷は薬で塞いだはずなのに、身体を捻るたびに鈍い痛みが走る。左肩は胸当ての重みさえ負担になり、脚へ魔力を寄せ続けたせいで、右のふくらはぎにも引きつるような感覚があった。それでも剣を握る右手には、まだ力が残っている。


 魔物の方は、相変わらず四本の脚でしっかりと立っていた。翼の付け根にも、後脚にも、最初の戦いで与えた深い傷は残っていない。こちらが斬撃を当てれば一瞬だけ血が流れるものの、次の攻防が終わるころには、傷口へ白い光が集まり始める。


 回復する相手を剣で削り続ければ、先に倒れるのは自分の方だろう。レオンは柱に背を預けかけ、すぐに離れた。背中に触れた石が、わずかに震えていた。


 上を見上げると、柱頭から天井へ伸びる石組みの間に、新しい亀裂が増えている。細かな粉が絶え間なく落ち、その一部はレオンの髪や肩当てへ積もっていた。


 魔物の足音が近づく。レオンは再び柱から離れ、広間の中央へ向かった。


 そこでは先ほどまでとは違う光景が広がっていた。


 壁際の柱の一本は、獅子頭の強い魔法を受けて大きく損傷し、柱頭の飾り石が崩れ落ちている。中央寄りの二本にも深い傷が入り、そのうち一本は横へ張り出した石組みまで亀裂が達している。柱を壊されるたびに、上階の回廊と天井が少しずつ歪んでいた。


 魔物は広間の中央で立ち止まり、獅子頭を低く構えた。レオンがどの柱へ隠れるか、見定めているようだった。


 虎頭が左右へ視線を動かし、柱の間を順番に確かめている。もはや柱の陰から斬撃を放ったところで、簡単には顔を出してくれそうにない。


 レオンは剣を構え直した。そして、魔物が動き出すより先に、こちらから距離を詰めた。


 獅子頭が顔を上げる。虎頭も同時に口を開いた。


 レオンは雷が放たれる前に《飛刃剣》を振り、虎頭の顔へ斬撃を飛ばした。虎頭は顔を引いて雷を中断したが、獅子頭は怯まずに前脚を踏み込んでくる。


 レオンは横へかわし、今度は魔物の右後脚を狙った。刃が筋肉を裂き、血が床へ散る。


 魔物が振り返るより先に離れようとしたが、獅子頭が大きく首を振り、鬣に覆われた頬がレオンの胸当てへぶつかった。


 レオンは数歩押し戻された。


 外れた留め具が胸当てを引っ張り、右脇腹に痛みが走る。それでも倒れずに踏みとどまり、魔物が追ってきたところへ再び踏み込んだ。


 今度は翼の付け根を狙う。


 魔物が右翼を広げて避けようとしたため、レオンは斬撃を途中で切り替え、右前脚の内側へ刃を走らせた。


 深い傷にはならなかったが、魔物が脚を引き、巨体の向きがわずかに変わった。


 レオンは後ろへ退かなかった。むしろ、魔物が向き直るのに合わせてさらに前へ出た。


 獅子頭が牙を剥き、虎頭が横から噛みついてくる。レオンは身体を低くして二つの頭をかわしたが、その直後、翼の端が左肩へ当たった。


 視界が揺れた。


 足元の石床が傾いたように感じ、レオンは一度膝をつきかけた。頭の奥には、階段へ叩きつけられたときの鈍い痛みがまだ残っている。


 魔物が追撃してきた。レオンは右脚を踏ん張ってどうにか身体を起こし、前脚の爪をかわしながら剣を振った。


 今度の斬撃は左後脚へ入った。魔物が大きく吠え、傷ついた脚を引く。


 レオンはその動きを追い、脚が床へ戻る前にもう一度剣を振った。


 いつものレオンなら、ここで距離を取っていただろう。現に、魔物の後方には広い空間が残っている。入口側へ戻る道も塞がっていないのだから、危険な間合いから抜け出すことはできたはずだった。


 しかし、レオンは下がらなかった。魔物の周囲を回り込み、前脚を斬り、後脚を狙い、翼が開けばその付け根へ剣を向ける。


 斬撃を受けた魔物は怒りを露わにし、獅子頭が低く唸り続けていた。虎頭も雷を放とうとするが、レオンが距離を詰めて動き続けるため、二つの頭が何度も向きを変えなければならない。


 それでも、魔物の力が衰えたわけではなかった。


 レオンが左前脚の外側へ踏み込んだ瞬間、虎頭が身体ごと首を振った。大きな額が右肩へぶつかる。


 レオンは吹き飛ばされかけたが、右脚を床へ突き立てて踏みとどまり、その場から《飛刃剣》を下段に返した。


 刃が左前脚の腱へ食い込む。魔物の身体が沈み、広げかけた翼が一度閉じた。


 しかし、レオンも無事では済まなかった。踏みとどまった右脚に強い負担がかかり、膝の奥へ痛みが走っている。左肩はほとんど上げられず、視界の端では細かな光がちらついていた。剣を握る手も、戦い始めたときのようには動かない。


 魔物は傷ついた脚を引きずりながら、広間の中央で向きを変えた。その背後には、獅子頭の魔法で深く抉られた石柱が並んでいる。


 柱の上部では亀裂が広がり、天井の奥からときおり低い音が響いていた。大吊灯はすっかり揺れが大きくなり、幾重にも枝分かれした金属の細工が触れ合って、不規則な音を立てている。


 レオンは傷んだ柱へ一瞬視線を向けた。すぐに獅子頭の唸り声が聞こえ、魔物が再び迫ってきた。


 レオンは剣を構え、今度は右翼の付け根へ斬りかかった。


 魔物は翼を引いてかわそうとしたが、左前脚の傷がまだ治りきっていない。身体の向きを変えるのが遅れ、《飛刃剣》の刃が翼を動かす筋肉へ深く入った。


 右翼が途中まで上がったところで落ちる。魔物が激しく吠え、左翼だけを広げて身体を支えようとした。


 その動きに合わせてレオンは逆側へ回り込み、左翼の付け根へも斬撃を走らせた。翼の根元から血が飛び散る。


 だが、今度は逃げるのが遅れた。魔物の爪がレオンの右脇腹を掠め、薬で塞いだばかりの傷の近くを引き裂いた。


 熱い痛みが走った。レオンは歯を食いしばって身体を捻り、どうにか爪の届く距離から抜け出したものの、右脇腹には新しい血が滲んでいる。


 もう治療薬はない。それでも剣を手放さず、魔物の前へ踏み込み直した。


 虎頭の雷が左脚の外側を掠めた。脛当てで光の大部分は散ったが、露出した腿の革が焼け、筋肉が強く縮んだ。レオンはその場でよろめき、左膝をつきかける。


 魔物の前脚が振り下ろされた。レオンは右脚を使って横へ逃れ、立ち上がる勢いで剣を振った。


 斬撃が右後脚へ入り、魔物の巨体が再び傾く。右後脚の傷には白い光が集まり始めていたが、十分に回復する前に、レオンは次の斬撃を重ねた。


 虎頭が雷を放とうとしたところへ剣を振って顔を引かせ、獅子頭が噛みつけば身体を捻ってかわす。かわせなかった攻撃は胸当てで受け、踏ん張れないときは石床を転がった。


 そのたびに新しい痛みが増えた。右脇腹から流れた血が腰へ落ち、左腿の焼けた革が肌へ擦れる。息をするたびに肋が疼き、膝を伸ばすと脚の筋肉が震えた。


 魔物の身体にも傷が増えていた。右翼は高く持ち上がらず、左翼も羽ばたくたびに根元から血が滲んでいる。右後脚は踏み込むたびに遅れ、左前脚も完全には伸びきらない。


 白い治癒の光が絶え間なく傷口へ集まっているが、レオンはその光が消えるのを待たなかった。


 斬られた脚が治り始めれば別の脚を斬り、翼が持ち上がろうとすれば根元へ剣を向ける。魔物は何度も身体を跳ねさせ、離れようとした。


 しかし、レオンはそのたびに距離を詰めた。


 次第に、二つの頭の動きにも余裕がなくなってきた。獅子頭は口を開いても十分に光を溜められず、虎頭の雷も狙いを定めきれない。間近で動き続けるレオンへ注意を向けるうちに、翼や脚の傷をかばう動作まで遅れ始めている。


 レオンの方も限界に近かった。息が喉の奥で引っ掛かり、胸当ての内側を汗が流れる。剣を握る右手の指先は痺れ始め、左肩は動かすたびに鋭い痛みが走った。


 それでも、魔物から離れようとはしない。逃げれば追ってくる。退けば魔法を撃たれる。


 レオンは二つの頭が自分を追うたびに、傷んだ柱の並ぶ広間中央へ戻っていた。


 魔物が右翼を広げ、無理やり距離を取ろうとした。レオンはその動きに合わせて横へ踏み込み、《飛刃剣》を右後脚へ放った。傷ついていた脚が沈み、魔物の身体が大きく傾く。左翼が床近くまで下がり、獅子頭が首を持ち上げて吠えた。


 レオンはその隙に魔物の正面から離れた。


 しかし、向かった先は入口ではなかった。


 すぐ脇に立つ、傷だらけの石柱だった。


 魔物は傷ついた脚を引きずりながら振り返り、二つの頭をレオンへ向けた。獅子頭の喉で光が急速に膨らむ。虎頭の口元にも青白い火花が弾けた。


 レオンは柱の陰へ隠れようとせず、その横で剣を構えた。


 魔物がさらに一歩踏み込む。右後脚が床へついた途端、まだ閉じきっていない傷から血が流れた。両翼も左右不揃いに開き、巨体を押し出す力が十分に揃わない。


 レオンはそこへ飛び込んだ。虎頭の雷を左肩当てで受け流し、獅子頭の牙をかわして魔物の胸元へ入り込む。《飛刃剣》を低く振ると、刃は右前脚の内側へ入った。


 魔物が脚を引いたところで、レオンは剣を返して左翼の付け根へ斬り上げる。獅子頭が激しく吠え、巨体が後退しかけた。


 レオンはそれを追った。もう足元は血と石粉で滑りやすくなっている。傷んだ左腿は思うように動かず、右脚へ体重を寄せるたびに膝の奥が痛んだ。


 それでも、魔物の正面から離れなかった。


 獅子頭が首を振り、鬣に覆われた頬がレオンの肩へぶつかる。身体が横へ飛ばされた。石床を滑り、傷んだ柱の根元へ背中が当たる。


 衝撃で肺の空気が押し出され、視界が一瞬白くなった。レオンは柱へ背を預けたまま、荒く息を吸った。


 獅子頭がこちらを見ている。虎頭も顔を向け、青白い光を口元へ集め始めていた。


 レオンは痛む身体を起こし、柱から一歩だけ離れた。


 そして、魔物へ向けるはずだった《飛刃剣》を横へ振った。


 飛んだ斬撃が、すぐ脇の石柱へ食い込んだ。獅子頭の魔法で深く抉られていた部分へ、新しい亀裂が走る。


 魔物は一瞬、動きを止めた。


 レオンが何をしているのか理解できなかったのか、二つの頭が揃って傷んだ柱を見ている。


 その間に、レオンはもう一度剣を振った。今度は柱の亀裂へ直接刃を叩き込む。


 硬い石を割る手応えが右腕へ返り、刃の先から鈍い振動が伝わった。石柱の奥で何かが折れる音がして、腰ほどの高さにあった亀裂が一気に広がる。


 柱が軋んだ。上部から大きな石片が剥がれ、床へ落ちる。


 レオンは剣を引き抜き、崩れ始めた柱から数歩離れた。


 獅子頭が吠えた。魔物が後脚で床を蹴り、広間の中央から入口側へ向きを変えようとする。


 しかし、傷ついた右後脚が踏ん張れず、巨体は一度大きく傾いた。翼を広げて身体を持ち上げようとしたものの、右翼も左翼も根元から血が流れ、十分な力が入らない。


 その頭上で、石柱が折れた。


 太い石が途中から広間の中央へ傾き、上階の回廊を支えていた石組みが大きくずれる。


 天井の奥で、低い音が連続した。石と石が擦れる音が重なり、隣の柱の上部へ亀裂が走る。大吊灯が激しく揺れた。


 魔物は頭上を見上げ、獅子頭が大きく口を開いた。赤白い光が膨らむ。


 だが、その光が放たれるより早く、レオンが《飛刃剣》を振った。


 斬撃は獅子頭の口元を裂き、溜まりかけていた光が霧散した。


 魔物が怯んだところへ、レオンはさらに踏み込んだ。


 右後脚へもう一撃を重ね、続けて翼の付け根へ刃を走らせる。


 獅子頭が顔を上げ、虎頭が牙を剥く。


 それでもレオンは下がらなかった。


 上から石片が落ち始めている。


 最初は拳ほどの大きさだったものが、次第に人の頭ほどの石塊へ変わり、広間の床を砕いていく。


 天井の一部が崩れ、上階の回廊から大きな装飾石が落下した。


 魔物が翼を開こうとする。


 レオンはその動きに合わせ、最後にもう一度《飛刃剣》を振った。


 斬撃が右翼の付け根へ入り、広がりかけた翼が途中で落ちる。


 魔物は左翼だけで身体を持ち上げようとしたが、右後脚が床を滑り、跳躍する姿勢を整えられなかった。


 そのとき、天井全体が大きく鳴った。レオンの頭上で、石組みが割れる。折れた柱に支えられていた天井石が広い面ごと沈み込み、隣の柱を巻き込みながら崩れ始めた。


 レオンはようやく魔物から離れた。向かったのは入口側だった。


 傷んだ右脚を強く踏み込み、残っている魔力を両脚へ集める。


 背後で大きな音がした。最初の石塊が大吊灯の鎖を引きちぎり、金属の細工と無数の灯りが回転しながら落下していく。


 続いて天井の石板が次々と割れ、広間の中央から奥へ向かって崩れ落ちた。巨大な石柱が倒れ、上階の回廊まで引き裂かれ、磨かれていた床が石塊の下へ消えていく。


 魔物はなおも逃れようとしていた。獅子頭が吠え、虎頭が雷を放つ。しかし、右後脚は深く傷つき、両翼も十分に開かない。跳び上がろうとした身体が一度沈み、そこへ落下した大吊灯が左翼へ絡みついた。


 金属の鎖が羽根を巻き込み、魔物の巨体が横へ引かれる。


 獅子頭が大吊灯を噛み砕こうとしたが、その背中へ天井の石板が落ちた。


 四本の脚が床へ沈む。それでも獅子頭は首を持ち上げようとした。


 しかし、次の瞬間には折れた柱とさらに大きな石塊が重なり、二つの頭は粉塵の中へ消えていった。


 崩落はそこで止まらなかった。隣の柱が傾き、さらに広い範囲の天井が落ち始める。天井を支えていた石組みは互いにつながっていたらしく、一か所が崩れると、その重みが残った柱へ次々と掛かっていった。


 広間の三分の二ほどが、白い粉塵と石の塊へ変わっていく。


 レオンは入口へ向かって走っていた。だが、脚が思うように動かない。左腿には雷を受けた痺れが残り、右脚も踏み込むたびに膝の奥が痛んだ。呼吸をするたびに右脇腹が疼き、胸当てが揺れると左肩まで引っ張られる。


 それでも足を止めなかった。背後から迫ってくる崩落音が、急速に大きくなっていく。


 レオンは一度だけ振り返った。魔物の姿はもう見えない。


 代わりに、折れた柱の向こうから白い粉塵が押し寄せ、その上では天井の石板が次々と割れていた。


 レオンは正面へ向き直り、右脚へさらに力を込めた。入口側にはまだ床が残っている。


 あと数歩。そう思ったところで、頭上から大きな石板が落ちてきた。


 レオンは右へ切り返そうとしたが、疲れ切った脚がすぐには反応しなかった。


 半歩、足りない。


 目の前へ黒い影が迫る。石板の縁が頭上を覆い、その後ろから崩れ落ちる天井が、視界いっぱいに広がった。


     ◇


 最後の大きな石が落ちてからも、広間にはしばらく細かな崩落音が続いていた。


 天井の三分の二ほどが失われ、外の光が大きく開いた穴から差し込んでいる。折れた柱と天井石が広間の中央へ幾重にも重なり、かつて大吊灯が下がっていた場所には、金属の鎖と潰れた装飾が石の間から覗いていた。


 大きな石塊の下では、獅子頭の鬣と虎頭の片耳が別々の隙間から見えていた。


 どちらの頭も動かない。白い治癒の光も、もう戻ってこなかった。


 舞い上がった石粉が少しずつ薄くなり、入口側に残った床の上へ人影が浮かんだ。


 レオンは《飛刃剣》を右手へ下げ、左肩を落としたまま立っていた。


 胸当ては脇の留め具が外れて大きくずれ、右脇腹と左腿には新しい血が滲んでいる。髪も外套も白い石粉に覆われ、荒い呼吸に合わせて胸当てが上下していた。


 しばらく魔物の埋まった場所を見つめてから、レオンはゆっくりと剣を鞘へ戻した。


 その胸元では、赤い《身体加速》の宝珠がまだ淡く光っていた。


 宝珠は粉塵の向こうで数度明滅し、やがてゆっくりと、元の暗い赤へ戻っていった。

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