↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
帰り火の洞窟 ~役立たずと追放された少女、拾った洞窟を仲間たちの帰る場所にします~  作者: Rastarock
王冠と三つ火

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
75/84

炉還りは王城の広間へ入ります

 中央広場から王城へ向かう道は、来たときとは別の街路のようになっていた。避難する人の流れは北へ進むほど細くなり、代わりに担架を運ぶ兵士や、水桶を抱えた使用人らしい者たちが脇道を行き交っている。建物の向こうではまだ火災を知らせる鐘が鳴っており、ときおり遠くから大きな物が崩れる音も聞こえてきた。


 レオンは左肩を一度回そうとして、すぐにやめた。広場でオーガの大槌を受けた場所が、肩当ての下で鈍く痛む。傷口そのものはリュネの薬で閉じているが、走るたびに衝撃が響き、腕を高く上げようとすると奥の方が引きつった。《飛刃剣》を振ることはできるものの、長い戦闘をもう一度やるには、あまり良い状態とはいえない。


 それでも足を止めるつもりはなかった。王とは王城で落ち合う約束になっている。広場に現れたオーガを倒したからといって、王都全体の襲撃が終わったわけではないし、王城の状況もまだ分かっていない。


 城壁の見える通りへ出ると、正面から十人ほどの集団が逃げてきた。白い前掛けをつけた女、書類箱を胸に抱えた男、上着を片腕へ引っ掛けただけの老人。城下から逃げてきた住民というより、王城で働いていた者たちに見える。付き添っている兵士はしきりに後ろを振り返り、最後尾の男が遅れるたびに腕を引いていた。


 レオンは彼らとすれ違ってから、王城の外門へ向かった。門の内側には、頬から血を流した兵士が一人残っていた。槍を杖代わりにして立っており、レオンの冒険者札を見つけると、こちらから尋ねるより先に正面棟を指した。


「中へ行くつもりなら気をつけろ。正面広間に、見たこともない魔物がいる!」


「陛下とは王城で落ち合う約束だ。広間を通れるか確かめて、無理なら別の道を探す」


「正面から入るなら、せめて奥まで一気に走るな。さっきも兵が二人、入口を抜けたところでやられた」


 兵士はそれだけ言って、槍を握り直した。レオンは短く頷き、開いた大扉へ向かった。


 玄関までの石敷きには血の跡が続いている。扉の脇には折れた長槍と、踏まれて曲がった銀色の燭台が転がり、建物の奥からは獣の唸り声に似た低い音が響いていた。


 入口の手前で足を緩め、剣の柄へ右手を掛ける。


 扉を抜けた先は、二階まで吹き抜けた大広間だった。中央には磨かれた石床が広がり、その上に金属の支柱を幾重にも枝分かれさせた大吊灯が下がっている。左右の壁に沿って幅の広い階段が弧を描きながら二階へ上がっている。階段と広間中央の間には、上階の回廊と天井を支える太い石柱が並んでいた。


 柱はどれも人が両腕を広げても抱えきれない太さで、天井近くでは横へ張り出した石組みにつながっている。柱には金色の飾り板が巻かれ、草花をかたどった彫刻まで施されていたが、入口に近い一本はすでに表面を砕かれていた。


 倒れた長椅子が階段の下にあり、飾り棚から落ちた器の破片が石床へ散らばっている。普段なら王城を訪れた者が立ち止まり、天井や壁の装飾を眺める場所なのだろう。


 その広間の中央に、巨大な魔物が立っていた。


 四本の脚で身体を支える姿は獣に近い。だが、厚い胸から伸びる首は二本あり、魔物自身の右側には鬣を持つ獅子のような頭、左側には黒い縞の入った虎のような頭がついている。


 背中からはさらに一対の翼が生え、畳んだ羽先は後脚の近くまで垂れていた。翼の付け根では短い毛が途切れ、その外側から分厚い羽が幾重にも重なっている。大きな獣の身体に鳥の翼を無理やり継ぎ足したように見えるが、背中から肩へつながる筋肉は異様に発達している。翼はただの飾りではなさそうだった。


 二つの頭は、別々の方向を見ていた。獅子頭は入口へ顔を向けているが、虎頭は階段の上を気にしている。レオンが一歩踏み込むと、獅子頭の耳が動き、それから遅れて虎頭がこちらを見た。


 壁際には兵士が二人倒れていた。そのうち一人が、肩を押さえながら脇の扉へ這っている。


 レオンは剣を抜き、入口の中央から数歩、わざと音を立てて進んだ。


 獅子頭が低く唸った。虎頭の口元では青白い火花が弾け始めている。


 まずいと思ったときには、すでに雷が走っていた。足元の石床で白い光が爆ぜ、レオンは反射的に右へ跳んだ。着地した右脚へ体重を移しかけたところで、虎頭の口が再び光る。


 二発目は、移動した先へ飛んできた。レオンは右足で床を蹴り返して後ろへ跳んだ。青白い雷が一瞬前まで足のあった場所を打ち、砕けた石片が脛当てへ跳ねる。


 三発目が来る前に、左足を後ろへ引いて半身の状態になった。雷はレオンの顔すれすれを入口側へ抜け、背後の扉枠を黒く焦がした。


 撃つ間隔が短い。威力はさほど大きくないようだが、二発目からは明らかにレオンの動く先を狙っていた。


 今度は獅子頭が口を開いた。


 拳ほどの赤白い光弾が飛んでくる。雷ほど速くはなかったため、レオンは腰を落として胸当ての厚い部分を正面へ向けた。


 光弾がぶつかり、熱い風が身体の左右へ流れた。青魔鉄と白魔鋼を組み合わせた胸当ては衝撃を受け止め、魔力で形を保っていた光弾を散らしている。半歩ほど押されたものの、防具の表面には焦げ跡さえ残っていなかった。


 ティルダとフレイが仕上げ、リュネが風の精霊を寄せた防具だ。魔法への防御は、今回も十分に働いてくれるらしい。獅子頭は次の光弾を撃たず、レオンの胸元へ目を向けた。虎頭まで雷を止め、二つの頭が揃って防具を見つめている。


 レオンはその隙に《飛刃剣》へ魔力を通した。刃の縁に淡い光が集まり、横薙ぎに振った軌道から斬撃が飛ぶ。虎頭の目を狙った一撃だったが、魔物は左前脚を引きながら身体を斜めにずらし、頬を浅く裂かれただけで斬撃をかわした。


 濃い毛の間から血が滲んだ。しかし、魔物は怯むどころか、背中に畳んでいた翼を勢いよく開いた。飛び上がるのかと身構えたレオンの予想に反して、四本の脚は床を離れなかった。左右の翼が一度だけ強く空気を打ち、同時に前脚で床を蹴った巨体が、恐ろしい勢いで正面へ迫ってくる。


 獅子頭が大きく口を開いた。


 レオンは右足へ《身体強化》を流し、床を強く蹴って魔物の右側へ踏み出した。ところが、首が予想以上に長く伸びてくる。牙を避けて腰を落としたところへ、今度は虎頭が反対側から噛みついてきた。


 レオンは剣を胸元へ引きつけ、身を低くして二つの頭の間合いから抜けた。すぐ背後で牙が噛み合い、さらに翼が空気を打つ音が追いかけてくる。


 数歩離れて振り返ると、魔物はすでにこちらへ向き直っていた。虎頭の頬から流れていた血が止まりかけている。傷口の縁が寄り、最初は指ほどの幅があった切り口が、細い赤線へ変わっていた。


「治るのかよ」


 深く斬ればどうなるかを確かめたいが、魔物は容易に間合いへ入らせてくれない。


 獅子頭の喉が大きく膨らみ、赤白い光がゆっくりと強まった。先ほどの光弾とは違い、口の奥で光を溜めている間にも、虎頭が青白い雷を撃ってくる。


 雷はレオンの左右へ交互に走った。避ける方向へ次の雷が飛んでくるため、横へ逃げ続ければ、獅子頭の正面に追い込まれる。二つの頭は別々に動いているようで、互いの攻撃を補っていた。


 レオンは三発目の雷が放たれた瞬間、あえて魔物の方へ踏み込んだ。


 青白い光が足元へ届く直前に右脚で床を蹴り、低い姿勢で前方へ跳ぶ。背後で雷が爆ぜるのとほぼ同時に、獅子頭の口から赤白い光が一直線に放たれた。


 熱が背中を撫で、続いて広間を揺るがす破砕音が響いた。


 レオンは着地の衝撃を膝で受け、すぐに身体を起こした。振り返ると、壁際の太い石柱が大きく抉れていた。金色の飾り板はめくれ上がり、砕けた石片が床へ散っている。天井から下がる大吊灯も衝撃を受けたらしく、いくつもの灯りが揺れていた。


 あれだけの威力になると、胸当てでも受け止められるか分からない。だが、大きな魔法を撃った直後の獅子頭は首を低く垂れ、次の攻撃へ移る様子がない。虎頭も、接近してくるレオンへ雷を撃つより先に身体の向きを変えようとしていた。


 レオンはその隙を逃さなかった。魔物の右側へ回り込み、獅子頭の脇を抜けて肩口を狙う。魔物は右翼を広げて身体ごと向きを変え、レオンを翼で押し払おうとした。


 羽根が振り下ろされる。レオンは一度足を止め、羽先が頭上を通るのを待ってから踏み込んだ。広がった翼の付け根では、太い筋肉が盛り上がり、羽ばたきに合わせて大きく収縮している。


 剣を肩の高さへ引き上げ、翼が次に動き始めた瞬間、根元へ向けて斜めに振り下ろした。《飛刃剣》の刃が短い獣毛を裂き、厚い皮膚を割った。さらに奥から重い手応えが返ってくる。


 レオンは右脚を踏み込み、腰を回して剣へ体重を乗せた。切っ先が翼を動かす筋肉へ食い込み、魔物が身を捩ったところで刃を引き抜く。


 獅子頭が激しく吠えた。レオンは翼が暴れる前に後ろへ跳び、剣を構え直した。


 右翼は途中まで持ち上がったところで力を失い、羽先が石床を擦った。付け根から血が滴り、魔物が翼を動かそうとするたびに傷口が開いている。


 虎頭の頬とは違い、深く入れた傷はすぐには塞がらなかった。


 魔物は翼を持ち上げようとして身体を右へ傾けたが、痛みのためか途中で動きを止めた。二つの頭が揃って傷ついた側を振り返り、互いの額をぶつけて唸り合う。


 レオンはその隙に右後脚の方へ回り込み、《飛刃剣》を低く振った。太い後脚の付け根へ新しい傷が走り、魔物がよろめく。巨体は数歩後退し、血に濡れた右後脚をかばうように立ち直った。右翼は依然として垂れたままで、先ほど見せた翼による突進もできそうにない。


 レオンは剣についた血を一度払った。浅い傷ならすぐに治る。だが、深い傷を与えれば、少なくともその間は動きを鈍らせられる。倒す方法が少し見えてきた。


 もっとも、魔物も一方的に斬られているつもりはなかった。右翼を使った突進が難しくなると、今度は四本の脚で間合いを詰め、二つの頭を使ってレオンを左右から挟み込もうとしてきた。虎頭の雷も獅子頭の光弾も止まらず、レオンは斬りつけるたびに反撃を避けなければならない。


 何度か同じ攻防を繰り返すうちに、二人の戦う場所は広間の中央から左右の柱の間へ広がっていった。


 雷が石床を砕き、光弾を受けた柱から金色の飾り板が剥がれ落ちる。獅子頭の魔法が長椅子をかすめた際には、乾いた木材が熱を帯びて煙を上げた。魔物の巨体が通ったあとには砕けた器や家具の破片がさらに散らばり、磨かれていた床のあちこちに血の跡が残っている。


 その血の多くは魔物のものだった。


 レオンは右翼をかばう動きを見逃さず、右後脚へ斬撃を重ねた。魔物がその脚を引けば反対側へ回り、無傷だった左前脚にも刃を入れる。すべてが深く入るわけではなかったが、傷を負うたびに巨体の動きはわずかずつ乱れ、四本の脚を使った踏み込みにも勢いがなくなってきた。


 しかし、レオンも無傷では済まなかった。翼を斬ってからしばらくの間は先手を取れていたものの、魔物が脚の負傷をかばって攻撃方法を変えると、接近したところを狙われるようになった。


 虎頭の雷をかわして踏み込んだ際には、獅子頭の顎が思いがけない角度から迫り、外套の肩口を噛み裂いた。左腕を引くのがわずかに遅れ、犬歯が上腕の外側を掠めていく。


 革の下に熱い痛みが走り、血が肘へ流れた。レオンは剣で魔物を牽制しながら距離を取り、《空間収納宝珠》から緑の糸を結んだ小瓶を取り出した。傷へ薬を流し、残りを一口飲むと、流血はほどなく弱まったが、広場で大槌を受けた左肩の痛みまで消えることはなかった。


 魔物が再び迫ってきたため、残りを口へ含んでから小瓶を戻すと、右肩にはまだ十分に力が残っている。だが、負傷した左腕を身体の前へ寄せているせいで、剣を大きく振ろうとするたびに姿勢が窮屈になった。


 それでも、レオンは攻勢を維持した。魔物の方が傷を増やしている。右翼は床を擦り、右後脚の踏み込みが遅れる。左前脚にも深い傷が加わったことで、四本の脚を揃えて巨体を支えることが難しくなっていた。


 レオンは傷ついていない側へ回り込み、虎頭の噛みつきを避けながら左脇腹へ剣を突き込んだ。 厚い皮膚を貫いた刃を引き抜くと、血が一気に溢れて床へ落ちた。魔物は身体を大きく曲げ、数歩後退した。


 左脇腹をかばおうとすれば、傷ついた右後脚へ余計な体重がかかる。後脚を守ろうとすると左前脚が沈み、翼を広げても右翼が十分に持ち上がらない。


 二つの頭はなおもレオンを睨んでいたが、虎頭の口元で弾けていた雷は途切れがちになり、獅子頭も息を荒くしている。


 その様子を見て、レオンはようやく呼吸を整える余裕を得た。自分の息も相当に上がっていた。


 胸当ての内側は汗で濡れ、左肩から上腕にかけて鈍い痛みが残っている。全身へ《身体強化》を回し続けたせいで、脚の筋肉には重い疲労が溜まり始めていた。


 広間へ入ったときには眩しいほど白かった石床も、今は血と煤と砕けた石で汚れている。装飾柱の一本には獅子頭の魔法で抉られた大きな傷が残り、その下には金色の破片が積もっていた。頭上の大吊灯は、魔物が床を強く踏み鳴らすたびに小さく揺れている。


 戦いはずいぶん長く続いていた。それでも、積み重なった傷の差は明らかだった。 魔物が右後脚を床につくたびに血の足跡が残り、左前脚は完全に伸びきらない。獅子頭が首を持ち上げても、傷ついた胴を支えきれず、すぐに頭の位置が下がっていく。


 浅い傷なら治せる相手でも、深い傷を短い間隔で重ねれば回復が追いつかない。このまま動ける脚を減らし、最後に首か胸を狙えば倒せる。


 レオンが次の踏み込みを考えたところで、魔物の動きが止まった。獅子頭が唸り声を途切れさせ、虎頭も口を閉じている。腹のあたりに、淡い白い光が見えた。


 最初は左脇腹の傷が治り始めたのかと思った。しかし、その光は傷口だけに留まらず、腹の奥から胸へ、さらに二本の首へと広がっていった。血で濡れた毛の隙間から白さが滲み、魔物の身体そのものが内側から照らされているように見える。


 レオンは剣を構えたまま一歩近づいたが、異様な光景に足を止めた。それまで別々の速さで呼吸していた二つの頭が、同時に大きく息を吸った。


 獅子頭と虎頭が揃って顔を上げる。まず、左前脚の傷が閉じ始めた。


 浅い切り傷が塞がる時とはまるで違う。深く裂けていた筋肉が内側から盛り上がり、開いた皮膚の縁が急速に寄っていく。血に濡れた毛はそのままだが、その下では切り裂かれた身体が元の形へ戻ろうとしていた。


 魔物が左前脚へ体重をかけた。先ほどまで沈み込んでいた肩が持ち上がる。続いて右翼の付け根から血が止まった。石床を擦っていた羽先がゆっくりと上がり、ついには左翼と同じ高さまで広がった。


 右後脚の傷も塞がり始めた。魔物が一歩、また一歩と踏み出す。最初の足跡には血が残ったが、三歩目にはもう新しい血がついていなかった。


 レオンは息を呑んだ。苦労して与えた傷が、目の前で消えていく。


 右翼を斬ったときの手応えも、右後脚を引きずる姿も、左前脚が折れかけたように沈んだ光景も、すべて覚えている。それほど深く傷つけた相手が、何事もなかったかのように四本の脚で立ち直ろうとしていた。


「……冗談だろ」


 獅子頭が低く唸った。


 さっきまで荒かった呼吸が収まり、胸の上下が落ち着いている。虎頭も顔を上げ、口元で小さな火花を散らした。


 レオンの胸当ての内側では、汗が冷え始めていた。自分の負傷は薬で閉じたものの、左肩の痛みも、脚へ溜まった疲労も残っている。《身体強化》に使った魔力も戻ってはいない。


 それに比べて魔物は、戦い始めたときと変わらない姿になっていた。むしろ、二つの頭の動きが揃っている。最初は別々の方向を見ていた獅子頭と虎頭が、今は互いの邪魔をすることなく、揃ってレオンへ視線を向けていた。


 レオンは剣を握り直した。もう一度深い傷を重ねれば、先ほどと同じように動きを奪えるかもしれない。だが、それを何度繰り返せば倒れるのか。答えの出ないまま、虎頭が雷を放った。


 レオンは一発目を避け、続く雷の間隔を見積もって横へ踏み出した。そこで計算が狂った。二発目が、予想よりずっと早く来たのである。


 青白い光が左肩当てを掠め、胸当てへ流れる途中で形を崩した。防具は魔法を防いでくれたものの、雷を避けようとした姿勢のまま次の動きへ移れず、レオンは右足へ体重を残してしまった。


 魔物が両翼を開く。一度の羽ばたきで巨体が迫り、前脚の爪が石床を削った。レオンは辛うじて爪をかわしたが、続けて振られた虎頭の額が胸当てへぶつかった。身体を捻る余裕もなく、重い衝撃をまともに受ける。


 足が床から離れた。広間の右側にあった階段が、急に近づいてきた。背中から石段へ叩きつけられた瞬間、肺の中の空気が一気に押し出された。目の前が白くなる。


 何かが割れる音を聞いた気がしたが、それが石段なのか、自分の防具なのか分からなかった。耳の奥で高い音が鳴り続け、視界の端にあった柱が二本にも三本にも見える。


 息を吸おうとしても、胸がうまく膨らまない。レオンは右手の剣を握りしめたまま、石段の上で身体を丸めた。


 どれほど時間が経ったのか。ほんの数呼吸だったはずだが、ようやく視界が定まったときには、魔物がすでにこちらへ向き直っていた。


 胸当ては割れていない。しかし、左脇の留め具が一つ外れ、身体を起こすたびに防具の端が肋へ食い込んだ。広場で大槌を受けた左肩には、思わず顔をしかめるほどの痛みが戻っている。


 レオンは剣を支えに起き上がろうとした。その正面で、獅子頭が口を開いた。


 赤白い光が急速に膨らむ。先ほどまで必要だった長い溜めが、ほとんどない。


 レオンは起き上がるのを諦め、右脚へ残っている力を集めて横へ跳んだ。


 赤白い光が階段を斜めに走り、一段目から三段目までの石を大きく抉った。


 熱風に押された身体が手すりへぶつかり、右脇腹へ鋭い痛みが走る。レオンは手すりへ腰を預けるようにして踏みとどまったが、右手の剣が石へ当たり、甲高い音を立てた。再び耳鳴りが強くなった。


 魔物は階段のすぐ手前まで近づいていた。


 青白い雷が脛当てを掠め、左脚へ熱と痺れが走る。踏み替えようとした足が思うように動かず、その遅れを見逃さずに前脚が振られた。


 爪を避けようと身体を反らしたが、右脇腹に四本の傷が走った。革が裂け、温かい血が防具の内側へ流れ込む。


 レオンは《飛刃剣》を振って魔物を牽制し、その間に階段の下から離れた。


 左脚はまだ痺れている。右脇腹は呼吸をするたびに痛み、外れた胸当ての留め具が動くたびに傷口の近くを擦った。


 レオンは《空間収納宝珠》から先ほどの小瓶を取り出した。残っていた薬を傷へ流し、最後の一口を飲む。血の流れる勢いはすぐに弱まり、皮膚も少しずつ閉じ始めた。しかし、すでに打ちつけていた肋の痛みは残り、深く息を吸うと胸の内側まで鈍く疼いた。


 空になった小瓶を宝珠へ戻す。これで、手元の治療薬は使い切った。レオンは剣を持ち上げようとして、思ったより腕が重いことに気づいた。


 左肩をかばいながら《身体強化》を維持し、何度も踏み込みと回避を繰り返したせいで、脚もすっかり疲れている。魔力を流せば動けるが、足元の石片を避けて踏み替えるだけでも、戦い始めたときより時間がかかった。


 右側の階段には焼けて赤くなった傷が残り、手すりの一部が欠けている。広間の中央からは、細かな石粉が舞い上がっていた。最初の光弾で抉られた柱の周囲には砕けた石が積もり、その向こうに並ぶ柱も、雷や魔法を受けて表面を傷つけられている。


 かつては王城を訪れた者を迎えていた大広間が、今では血と煤と壊れた家具で埋まりかけていた。


 頭上の大吊灯はまだ吊り下がっているものの、先ほどから揺れが収まらない。金具同士が触れ合う音が、ときおり魔物の足音に混じって聞こえてくる。レオンはその音に一瞬目を向け、すぐに正面へ視線を戻した。


 魔物が立ち直っていた。腹の奥に残っていた白い光は弱まり、血のついた毛だけが先ほどまでの負傷を示している。右翼は高く開き、右後脚にも左前脚にも、もう動きの遅れは見られなかった。


 魔物はゆっくりと前へ進んだ。先ほどまでと違って、傷をかばう動きがない。四本の脚は揃って身体を支え、翼を動かすたびに、広間に舞っていた石粉が床近くを流れていく。


 レオンは痛む左肩を下げ、《飛刃剣》を身体の前へ構え直した。


 深い傷を重ねて魔物の動きを奪う戦い方は、少し前まで確かに通じていた。だが、今は相手の傷が消え、自分だけが傷と疲労を抱えている。


 もう一度同じ攻防を繰り返せば、次は魔物が回復するより先に、レオンの身体が動かなくなるだろう。


 獅子頭が口を開いた。喉の奥に赤白い光が集まり始める。


 ほとんど同時に、虎頭の牙の間でも青白い火花が弾けた。


 レオンは階段を背にしたまま、魔物の二つの頭を見据えた。次の攻撃をどう避けるか。それを考えるだけでも、もう余裕がなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。