炉還りは王都へ駆け込みます
伝令の報告を聞いたルシアンは、遠くに煙の上がる王都から目を離さないまま、次の言葉を待った。
「襲撃が始まったのは半刻余り前です。最初の報告は南側の職人街、その直後に東の市場区と中央通りでも魔物が確認されました。城壁が破られたという報告はありませんが、市内の複数地点でほぼ同時に戦闘が始まっています」
「確認できている戦力と、市民の避難状況を分かる範囲で続けてくれ」
「主力は冒険者組合の区分でC級相当です。角狼の群れや大型の魔物が混じり、少数ではありますが、それより上と見られる個体もいます。傷を負っても逃げずに向かってくる個体が多く、通常の討伐より手間が掛かっているとも聞きました。騎士団は各地区へ分かれて応戦していますが、建物と避難中の市民が近すぎるため、広範囲を焼く術や崩す術はほとんど使えていません」
伝令はそこで一度だけ息を吸い、乾いた唇を舐めてから続けた。
「大通り沿いの、魔人の英雄像がある広場には《オーガ》が一体います。現場ではB級相当と判断され、騎士団が広場から出さないよう押さえていますが、すでに騎士にも市民にも死傷者が出ています。ほかの地区へ戦力を回したくても、あれを残したまま人数を減らせない状況です」
レオンは以前、ティルダやロアンと王都へ来た時に見た石像を思い出した。あの時は像の足元で木の実を売る露店が出て、子どもが台座へ座ろうとして母親に引き戻されていた。その広場をB級相当のオーガが塞いでいるらしい。
「王城の戦力はどうなっている。そちらにも襲撃の報告は来ているのか」
「私が出た時点では、王城そのものへの襲撃報告はありません。陛下が西方へ出ておられたため、王城守備のうち市街へ出せる者は増援に回っています。宮廷魔術師も何人か、火災と大型個体への対処に出たと聞きました」
「侵入経路が分からないまま、城内の兵まで分けたのか」
「南門も東門も保持しています。外壁の破損も確認されておらず、市内で同時に出た魔物への対処を優先したと聞いています」
ルシアンはそこで初めて王都から視線を外し、隣に立つセドリックへ顔を向けた。
「偶然に群れが迷い込んだ形ではなさそうだが、今は原因を探すより市街を止める方が先だな」
「はい。まずは魔物のせん滅が優先と考えます」
セドリックの返事を聞くと、ルシアンはすぐレオンへ向き直った。
「レオン、頼みがある。君には先に王都へ入って、魔人像のある広場へ向かってほしい。オーガを押さえている騎士団へ加勢できれば、あそこへ取られている人数をほかへ回せる」
「分かりました。広場までなら、王車よりバルトの方がずっと早く着けます」
レオンが手綱を取り直したところで、マティアスが王の横へ一歩寄った。
「陛下、我々五名は全員、王城へ到着するまでお側を離れません。王都内の状況が読めない以上、ここで近衛を市街への増援へ割くことはできません」
「分かった。近衛は私とセドリックを王城まで運ぶことを優先してくれ」
マティアスは短く頭を下げると、残る四人へ視線だけで位置を示した。二人が王車の前後へ動き、一人は伝令の馬を避けて街道の先を確認し、もう一人は隊列の後ろへ合図を送る。
「広場が片づいたら、無理に次を探して走り回る必要はない。こちらも王城へ入り次第、市内の報告を集める。そこで落ち合おう」
「王城で会いましょう。広場の方は、着いてから騎士団の指揮に合わせます」
レオンは鐙へ左足を掛け、バルトの背へ身体を上げた。
丘の向こうでは、さっきまで遠く見えていた黒煙が風に流されながら太さを増している。乾いた街道には、王都から逃げてきたらしい荷車がすでに何台か見え始めていた。
「バルト、ここからは少し急ぐぞ。人の近くでは俺が止めるから、空いたら走ってくれ」
鹿毛の馬は短く鼻を鳴らし、レオンが脚を入れると街道の下りへ速度を上げた。
◇
王都へ近づくほど、街道を流れる人の向きが逆になっていった。最初は荷を積んだ馬車が数台だったものが、やがて徒歩の家族や商人、手押し車を押す老人まで混じり、城門から外へ向かう流れが道の半分以上を埋めるようになった。
布袋を胸へ抱えた女が子どもの手を引き、その横では男二人が戸板へ負傷者を載せて運んでいる。荷車を途中で捨てたらしい商人は、帳面と小箱を両腕へ抱え、振り返りもせず王都から離れていた。
逃げる人間の流れへ馬で突っ込めば、魔物と戦う前に誰かを踏み倒す。レオンはバルトを街道の右端へ寄せ、前が開いた時だけ速度を上げ、人の塊が近づけば手綱を引いて歩幅を落とした。
城門が大きく見えるところまで来ると、煙より先に焦げた木と濡れた灰の臭いが鼻へ入った。城門そのものは閉じられておらず、外へ逃げる人間のために大きく開けたままになっていた。
外へ出る人間を二列に分けるため、兵士が槍を横へ向けて通路を作り、泣く子どもを抱えた母親や負傷者を載せた戸板を優先して外へ流している。入城側に列はなく、普段なら荷や札を調べる卓も壁際へ寄せられていた。
王都へ向かってくるバルトを見つけた若い兵士が、避難民を誘導しながら顔を上げた。
「おい、そっちは中へ入るつもりか。今は中央通りまで魔物が出てるぞ!」
「魔人像の広場へ行く。騎士団がオーガを押さえていると聞いた!」
「それなら右の大通りを使え。市場側は火が回って通れない!」
兵士はそれだけ叫ぶと、すぐ外へ出ようとする荷車へ向き直った。
「その荷車は捨てろ! 門の前で詰まらせるな、子どもと歩けない奴を先に出せ!」
レオンも返事を重ねず、空いた入城側を通って城門の内側へ入った。
◇
以前見た王都と同じなのは、石畳と建物の位置くらいだった。
大通りへ入った途端、火災の煙が建物の間へ薄く溜まり、人の叫ぶ声と金属のぶつかる音が別々の方向から届いた。店の扉はほとんど閉まり、開いたままの露店も売り物を残したまま人の姿が消えている。
道の中央では、横倒しになった荷車から穀物袋が破れ、白い粒が石畳へ広がっていた。その向こうでは兵士が縄を張り、逃げてくる市民を脇道へ誘導している。
「西門へ向かえ! 中央通りへ戻るな、荷物を取りに家へ入るのもやめろ!」
同じ言葉を繰り返している兵士の声は枯れていた。
レオンはバルトを走らせながら、その左手にある建物の前で一度だけ視線を止めた。石壁へ背を預けるように騎士が一人座っていた。胸甲の下まで赤く濡れており、治療役らしい女は首へ指を当てたあと、まだ呻き声を上げている隣の負傷者へすぐ両手を移した。
少し先では、灰色の布を掛けられた人間が二人、店先の壁際へ並べられている。その横を、腕から血を流した少年が年嵩の男に支えられながら西門の方へ歩いていた。
バルトの耳が何度も後ろへ伏せ、鼻孔が大きく開く。
「分かってる。他は見なくていいから、前が空いてるところを選んで進もう」
レオンが首筋を軽く叩くと、バルトは石畳へ蹄を鳴らしながら、倒れた荷車の脇を抜けた。次の交差路へ近づいたところで、右側から太い獣声が響いた。右側の路地から大通りへ飛び出してきた影は一頭ではなく、灰色の身体が続けて石畳へ現れた。
角狼が三頭、騎士四人に追われる形で交差路へ出てきた。さらに奥の路地では別の二頭が盾へ噛みつこうとしており、全部で五頭が同じ戦線にいる。
一人の騎士が長盾を地面へ立て、横の二人が槍を交互に突き出していた。角狼が盾へ正面からぶつかるたび、後ろの騎士が肩を入れて押し返し、脇へ回ろうとする個体には別の槍が向く。
騎士たちのまとまりは崩れていなかったが、倒れている角狼のそばには騎士も一人横たわり、路地の入口では別の兵士が腿へ布を巻かれていた。
「左を抜かせるな! そいつを広い通りへ出したら追えなくなる!」
指揮を執っている騎士の声とほぼ同時に、一頭の角狼が槍の間を抜けた。灰色の身体はレオンとバルトへ向かわず、交差路の向こうで避難している人間へ頭を向けた。
避難している人間へ角狼を近づけないため、レオンは手綱を左へ引いてバルトの進路を変えた。
「バルト、あいつの横へ寄せる。蹴らなくていいから、そのまま抜けろ!」
バルトが一度だけ大きく頭を振り、角狼の後ろへ斜めに進路を変える。レオンは鞘から《飛刃剣》を抜きながら、身体強化で脚力をわずかに上げて、バルトに自身を固定する。角狼が逃げる人間へ追いつく前に横へ並び、馬上から刃を首の付け根へ走らせた。
刃が毛皮の下へ深く入り、角狼は前脚をもつれさせて石畳へ転がった。レオンはバルトを止めず、剣についた血を振ってから後ろの騎士へ声を飛ばした。
「魔人像の広場へ向かう! ここはそのまま押さえられるか!」
「広場へ行け! 残り四頭なら、この人数のままで押さえられる!」
返事をした騎士はレオンを見送らず、すぐ盾の横から出ようとした角狼へ槍を向けた。
後ろで獣声と金属音がまた重なったが、戦線が崩れた叫びは聞こえない。レオンは振り返らず、次の交差路へ視線を戻した。
◇
中央の地区へ近づくほど、石畳や建物へ残された戦闘の跡は目に見えて濃くなっていった。路上には血の跡が増え、壁へ突き刺さった折れた槍や、片側の車輪を失った荷車が道端へ寄せられている。火が出た建物では住民と兵士が一列になって桶を手渡し、隣の屋根へ燃え移らないよう水をかけていた。
大きな魔法が使えないという伝令の言葉も、街へ入れば理由を考える必要がなかった。道幅の広い場所でも両側には建物が並び、窓の奥にまだ人影がある。交差路の向こうで魔術師が杖を構えていたが、放ったのは人の胴ほどの火球一発だけで、騎士の盾へ食いついていた獣を焼くとすぐ次の位置を狙っていた。
その足元から十歩も離れていない場所には、倒れた市民を運ぶ二人の兵士がいる。ここで以前ベラが骨兵へ放った《爆炎》のような広さの火を出せば、魔物より先に建物と人を巻き込む。
レオンは剣を鞘へ戻さず、そのまま右手へ下げて進んだ。
次の路地では、騎士六人が肩高の大きな四足獣を建物の壁際へ追い込み、二人ずつ入れ替わりながら槍を入れていた。獣は脇腹から血を流しているのに退こうとせず、槍先へ身体を押しつけるように前へ出続けている。
レオンはバルトを止めず、騎士たちがまだ戦線を維持できていることを確かめながら通り過ぎた。今そこへ加勢するより、広場を塞いでいるB級を落とした方が、広く動ける人数が増える。
襲撃の一報を受けてから半刻も経っていないはずだ。遠くから王都を見ていた時より、広場までの時間がひどく長く感じられた。
通りを一つ曲がると、見覚えのある酒屋の看板が半分だけ外れ、鎖一本で壁へぶら下がっていた。前にティルダが鍛冶屋へ興味を示し、ロアンが酒の話を始めた辺りだった。
その先にあるはずの広場から、今度は獣の声ではない低い咆哮が響いた。人間の声とは明らかに違う咆哮を聞いた途端、バルトの歩幅が一度だけ目に見えて縮んだ。
「聞こえたな。あそこまででいい。中へ入ったら、お前は戦わせないから安心しろ」
バルトの耳がレオンの声へ向き、それからまた前へ揃った。
広場へ続く最後の通りには、すでに一般の市民がほとんど残っていなかった。騎士が二人、脇道へ縄を張って人が戻らないよう塞ぎ、治療役が負傷者を広場から順に後方へ送っている。運ばれてきた騎士の盾は中央から大きくへこみ、担架代わりの戸板へ寝かされた本人は右腕を動かせずにいた。
「広場へ入るなら馬は下げろ! オーガが正面へ出た時に巻き込まれるぞ!」
負傷者を運んでいた騎士の一人が、バルトを見て声を上げた。
「入口まで行ったら降りる。こいつを預かれる人間はいるか!」
「治療所の裏に馬を集めてる! 広場を見て右へ回れば、兵が一人いる!」
レオンは礼の代わりに手を上げ、そのまま広場の入口までバルトを進めた。最後の建物の角を抜けると両側の壁が途切れ、狭かった視界が広場の幅まで一気に開いた。
最初に見えたのは、以前と同じ魔人の石像だった。片手に長い槍を持った石の戦士は、雨に削られた顔も、短い角も変わっていない。ただし台座の周囲に露店はなく、石畳には折れた槍と壊れた盾が散らばっていた。
像の足元から少し離れた場所で、騎士たちが半円を作っている。前列には大盾を持つ者が並び、その間から長槍が伸びていた。後方には杖を持つ魔術師が三人いるが、広場を囲む建物へ射線が向かない位置を選び、術を撃てる角度が来るまで動かずに待っている。
隊列の内側には負傷者が二人倒れ、さらに少し離れた石畳には、もう動かない騎士が一人残されていた。広場の端にも、逃げ切れなかったらしい市民の身体が二つ見えた。死傷者を広場の内側へ残していても、前列の騎士たちは位置を捨てず、その場から一歩も下がっていなかった。
この場では、中央で大槌を持った巨体の魔物を広場の外へ出さないよう、兵士たちは死力を尽くして踏みとどまっていた。
オーガはレオンより頭二つどころではなく大きく、周囲の騎士を見下ろしている。太い腕には何本も槍傷があり、左腿からも血が流れているのに、大槌を握る手にはまだ力が残っていた。
騎士の一人が前へ出た瞬間、オーガが大槌を横へ振った。盾を構えた二人が同時に受け、完全には止めきれずに石畳を滑る。そこへ両脇から槍が入ってオーガを押し戻し、後列の魔術師が短い雷を右肩へ当てた。
雷を右肩へ受けても、オーガの巨体は膝をつくことさえなく、そのまま大槌を構え直した。むしろ傷を負った右肩を一度回し、次に踏み込む騎士を探すように半円の端から端まで顔を動かした。
その途中で、広場へ入ってきたバルトとレオンを見つけた。騎士たちを追っていた濁った黄色の目が止まり、広場へ入ったレオンへまっすぐ向けられた。




