炉守りは幼竜の部屋を確認します
翌朝、ミラが目を覚ますと、レオンは帰り火のそばで左肩の布をほどいていた。傷の周囲にはまだ赤みが残っているが、昨日より腕を動かせる範囲は広がっている。試しに肘を横へ開いたところで、痛んだらしく眉間へ皺が寄った。
「昨日よりは動きますね」
「動くのと治ったのは別だ。そこを間違えると、また寝かされる」
新しい布を巻き直したあと、レオンは水場へ歩いていく幼竜を見た。右前脚はまだかばっているものの、昨日より長く足先を床へつけている。
「レオンさんもこの子も、治るのが早い気がします。魔力泉でしょうか」
「理由の一つかもしれん。俺の傷なら、毒が抜けても二、三日はもっと重いことが多い。ただ、地竜が元から治りやすい可能性もあるし、昨日の手当てが効いた分もある。便利な水を見つけたからって、全部あれの手柄にするなよ」
「では、効いているかもしれない、までにしておきます」
「それでいい」
朝食は平焼きパンと乾燥野菜の汁、それに塩漬け肉だった。幼竜には塩気のない肉を別皿へ取り分ける。最初の夜には湯気へ鼻先を突っ込んで飛び退いたのに、今では皿の前へ座ったまま冷めるのを待つようになっている。
ミラは自分のパンをちぎりながら、向かいに座るレオンの皿へ目を止めた。肉は食べているのに、白い脂身だけが三切れとも同じ形で残っている。
「レオンさん、脂だけ残すんですね」
「朝から人の皿をよく見てるな」
「三枚とも同じ場所だったので、嫌いなのかと思いました」
「嫌いじゃない。朝に食うと重いだけだ。夜なら食う」
ミラは少し考え、それ以上は聞かなかった。何かに使う知識でもない。ただ同じように残っているのが気になっただけだった。
食後、レオンは石台の脇へ置いてあった採掘槌と鏨を手に取った。
「今日は約束どおり試し掘りだ。ただし、見えてるところだけ。鉱脈の続きを追って奥まで掘るのは、肩が戻ってからだ」
「私は何をすればいいですか?」
「俺が崩した石を洗って分けてくれ。青い筋が残るものは右、ただの岩は左。どっちか分からないものは捨てずに手前へ置く。迷ったところで作業を止めなくていい」
「三つに分けるんですね」
「ああ。急いで間違えるより、迷った石を残す方がいい。青魔鉄を捨てれば、そのぶん食い物が減る」
ミラは木椀へ水を汲み、壁際へ座った。
◇
レオンは青い筋そのものではなく、その周りの黒い岩へ鏨を当てた。左腕を上げないよう身体を少し横へ向け、右手だけで槌を振る。大きく振りかぶらないので、一つの塊を外すにも何度も軽い打撃が必要だった。
乾いた音が洞窟へ響くたび、炉のそばにいた幼竜の耳が動いた。しばらくすると音に慣れたのか、ミラのところまで歩いてきて、洗い終えた石の山へ鼻先を近づける。
「そこへ顔を入れると汚れますよ」
幼竜は石ではなくミラの膝へ顎を載せた。右前脚をかばったまま身体を折り曲げるのが面倒なのか、そのまま目を閉じる。
「重いです」
「どかせばいいだろ」
「寝てしまいました」
レオンが振り返る。槌の音が鳴るたび耳だけは動いているが、幼竜は起きる様子がない。
「この前まで俺が剣へ手を掛けただけで唸ってたのにな」
「今はレオンさんが怖くないんでしょうか」
「それでなんで寝床がお前の膝なんだ」
そう言いながら、レオンは次に外した石を、ミラが身体を動かさなくても届く位置へ転がした。幼竜を起こせとは言わない。
ミラは木椀の中で石の泥を落とし、一つずつ分けていった。青い筋の残る石は右。灰色だけのものは左。色が薄い、手触りが違う、少し重い気がする。理由を説明できないものは手前へ置く。
表面にはほとんど青色のない石を持ち上げたとき、ほかの同じ大きさの石より手のひらへ少し重く感じた。角度を変えると、端に髪の毛ほどの青い筋が見える。
「レオンさん、これは迷う方です」
レオンは石を受け取り、鏨の先で角だけを欠いた。割れた内側から濃い青色が覗く。
「青魔鉄だ。よく捨てなかったな」
「重さが少し違いました。でも、青いところはほとんど見えなかったので」
「そういうのは全部残せ。今は数より取りこぼさない方が大事だ」
ミラは頷き、手前の山を少し広げた。《欠け見》が鉱石の名前や値段を教えてくれるわけではない。ほかと違うところに気づくだけだ。違いの意味まで分からなければ、今は分からない石として残しておけばいい。
共同寮では、一つの違いを確かめ始めると、その間にも洗濯物や薪が次々と増えた。ここでは迷った石を脇へ置くたび、ミラの手はすぐ次の石へ戻れる。レオンも、その山が増えることを急かさなかった。
何度目かに槌が岩へ当たったとき、響きが少し軽くなった。ミラが顔を上げると、レオンも同じ場所を見ている。
「今の音、さっきと違いました」
「割れ目が近い。詰まった岩と、ひびの入った岩じゃ音が変わる」
「壁を順番に叩けば、中の違いも分かりますか?」
「分かることはある。でも今日はやるな。お前、興味を持つと端から全部叩きそうだから先に止めておく」
「今日は鉱石を分けます」
「それで頼む」
作業を再開してしばらくすると、今度はレオンの方が先に槌を置いた。石台へ腰を下ろし、水袋の口を開ける。
「肩ですか?」
「少し熱が戻った。泉の水を飲んだからって、穴が開いた肩まで消えるわけじゃない」
幼竜はその音で目を覚まし、ミラの膝から顎を上げた。次に向かったのは水場ではなく、レオンが持っている水袋だった。
「お前の水は向こうだ」
レオンが手の甲で鼻先を押し返すと、幼竜は一歩下がり、尻尾の先で岩床を叩いた。
「怒っています」
「水場まで歩けるだろ」
そう言いながらも、レオンは自分の木椀へ水を少しだけ残し、床へ置いた。幼竜はすぐに鼻先を入れる。
「結局あげるんですね」
「脚が治るまではな。甘やかしてるわけじゃない」
幼竜が飲み終えるまで待ってから、レオンはもう一口だけ水を飲み、肩の熱が引くのを待った。休憩のあいだ、二人とも特に話題を探さなかった。炉の火が鳴り、水場から戻った幼竜が今度はレオンの靴へ鼻をつけ、嫌がられる前に炉のそばへ戻っていった。
試し掘りは昼前まで続いた。
集まった青魔鉄鉱を二つの小さな革袋へ分けると、それぞれ半ばほどまで膨らんだ。露出している別の二か所でも同じ青い筋が続いていることは確認できた。鉱床の大きさまでは分からない。レオンは二つの革袋を交互に持ち上げ、重さを確かめた。
「これなら最初の見本には十分だ。今日はここまで。これ以上は試し掘りじゃなくなる」
「もう少し取れそうに見えます」
「だから止める。場所を知られないよう少量ずつ売るって決めただろ。それに、俺の肩もさっきから止めろと言ってる」
「痛みは正直ですね」
「たいてい持ち主よりな」
ミラが道具についた泥を洗う間、レオンは二つの鉱石袋の口をそれぞれ二重に縛り、簡易鑑定板と検魔針も道具袋へ戻した。ミラから預かった銀貨は別の小袋へ入れる。
「午後には出る。まずラトスでこの鉱石の値を見て、お前の頼んだ食料を買う。小麦と豆と塩を優先。油は残った金次第だったな」
「はい。一月分全部そろわなくても、塩と豆は多めにお願いします」
「分かった。順調なら三日くらいで戻る。雨や売買で手間取ればもう少しかかる。今ここにある食料は、そいつの分を入れてもそのくらいなら足りる」
幼竜が、食料という言葉を分かっているかのように顔を上げた。
「聞いていました」
「都合のいい言葉だけ覚えてる気がするな」
◇
出発の前に、レオンは一度だけ窪地の上へ登り、周囲を見て戻ってきた。
ミラは洞窟の入口で待った。幼竜も外へ出たが、斜面へ近づこうとするたび前へ回ると、最後には入口の岩へ腹をつけた。
「新しい大きな足跡はない。糞も、木へ身体を擦った跡も増えてない。少なくとも、俺が最初に調べたあとから成体地竜がこの辺りを歩き回った形跡は見つからなかった」
「親はいないんでしょうか」
「まだそこまでは言えない。雨より前の痕跡は消えてるし、遠くまで探したわけでもない。ただ、今すぐ近くへ戻ってきそうな痕跡もない。外へ出るなら鳥の様子と足元を先に見ろ。大きな足跡を見つけるか、急に周りが静かになったら洞窟へ戻れ」
「分かりました。確かめるために遠くまでは行きません」
「それが一番大事だ」
レオンは青魔鉄の革袋二つと道具袋をまとめて外へ運んだ。自分が先に縄を登り、上から空の縄を下ろす。ミラが鉱石袋を一つずつ結ぶと、レオンは一度に肩へ力を掛けないよう、途中で縄を木へ巻きながら少しずつ引き上げていった。
最後に斜面の上から顔が覗く。
「火と水があるからって油断するな。夜は入口の近くで寝るなよ」
「はい。レオンさんも、帰るまで肩を使いすぎないでください」
「もう今日の分は使った」
顔が引っ込み、しばらくすると遠くで馬の蹄が鳴った。規則的な音はだんだん小さくなり、やがて水滴と帰り火の音だけが残る。
洞窟へ戻ると、昨日までと同じ広さなのに、少しだけ奥行きが増えたように感じた。レオンが使っていた木椀が一つ減り、石台の端には採掘槌の跡だけが残っている。
幼竜はミラの後ろをついてきて、炉のそばへ腹をつけた。
ミラは昼に使った食器を洗い、採掘で濡れた布を縄へ掛けた。青魔鉄を洗った木椀の底には細かな砂が残っている。水場でもう一度すすぎ、石台へ伏せて戻したところで、帰り火の上に白い文字が浮かんだ。
《対象の反復特性を確認しました》
ミラは足を止めた。炉のそばには幼竜しかいない。
《既存技能体系――該当なし》
《新規技能候補《愛嬌》を定義しました》
幼竜は文字など見えていないらしく、前脚の間へ鼻先を入れたままだった。
「この子の技能ですか?」
《はい》
「《愛嬌》というのは、何をする技能でしょう」
《周囲に親しみを持たれやすい反復行動を技能として定義しました》
ミラは、この数日の幼竜を思い返した。最初の夜には鍋を欲しがって唸り、次の朝には靴先へ背中を触れさせて眠っていた。熱い食事を待つことを覚え、今日は膝を寝床にして、レオンから水までせしめている。
「人の気持ちを魔法で変えるんですか?」
《いいえ》
「では、レオンさんが水をくれたのが技能のおかげかどうかは?」
《回答できません》
「分かりました。そこは決めないでおきます」
《新規技能《愛嬌 Lv1》を取得しました》
表示が消える前に、続けて別の文字が現れた。
《対象の生育段階および反復行動を照合しました》
《既存職業体系――該当なし》
《新規職業《幼竜》を定義しました》
「《幼竜》は、もうこの子の職業になったんですか?」
《受容待機中です》
その返答には覚えがあった。帰り火は職業を作ることはできても、本人が嫌だと言えば押しつけない。
ミラは幼竜の前へしゃがんだ。左角の先が欠けた黄土色の頭も、数日前より泥が減っている。食事を取るようになったせいか、白い腹にも少しだけ丸みが戻っていた。
「あなたのために、《幼竜》という職業ができたそうです。それでいいですか?」
「きゅう」
幼竜は鼻先をミラの手へ押しつけ、尻尾で床を一度叩いた。
《受容意思を確認しました》
《職業――《幼竜》》
「決まりました」
ミラが額を撫でると、幼竜は手のひらへもう一度鼻先を押しつけてから、元の場所へ伏せた。
「帰り火。この子も、ここで一緒に暮らせますか?」
《名称が必要です》
「名前ですね」
これまで「この子」で困ってはいなかったが、食事のときも、外へ出てはいけないときも、同じ呼び方では少し不便になってきた。
ミラはもう一度幼竜へ向き直った。
「何と呼ばれたいですか?」
幼竜は目を開け、いつもの声で鳴いた。
「きゅう」
「キュウでいいですか?」
幼竜は立ち上がり、右前脚をかばいながらミラのそばへ寄った。鼻先を膝へ押しつけ、尻尾の先で床を一度叩く。
「では、キュウですね」
《名称――キュウ》
文字が一度消え、続いて新しい表示へ変わった。
《帰属意思を確認してください》
ミラはキュウの前へ両手をついた。
「キュウ。ここで、一緒に暮らしますか?」
キュウはミラを見たあと、帰り火の方へ歩いた。いつも眠っていた炉の脇へ腹をつけ、身体を丸める。
「きゅう」
尻尾が岩床を一度叩いた。
《帰属意思を確認しました》
《第一炉縁者――キュウ》
金色の火が、ふっと高くなった。
同時に、採掘した青い筋とは反対側、炉から見て左奥の岩壁から低い音が響く。
ミラは立ち上がり、キュウの前へ半歩出た。岩が崩れる音ではない。石屑も落ちず、岩壁の中央へ細い縦の筋だけが現れている。
筋はゆっくり左右へ広がった。そこにあったはずの岩が奥へ押し込まれるように形を変え、土埃も破片も出ないまま、人の腰ほどの高さの入口ができる。
音が止まってからも、ミラはすぐには近づかなかった。入口の上と左右を見て、亀裂が増えていないこと、床へ石が落ちていないことを確かめる。
「帰り火。これは何ですか?」
《第一炉縁者の居室です》
「キュウの部屋ですか?」
《はい》
そこでようやく、ミラは入口の前へしゃがんだ。
奥行きは大人が四歩ほど進める程度で、天井は低い。人が住むには窮屈だが、キュウなら身体を伸ばしても十分な広さがある。壁は主洞と同じ岩なのに、床は平らで、水滴の跡がない。手のひらを当てても湿り気はほとんど残らなかった。
「乾いています」
昨日、布や食料を濡らさないために板へ上げ、薬草を壁から離して吊るしたばかりだった。ここには天井から水が落ちず、壁へ触れても指先に冷たい水がつかない。
キュウも入口まで来て、鼻先だけを中へ入れた。
「入ってみますか?」
返事はしなかった。自分で一歩入り、二歩目は右前脚をそっと床へつける。奥まで行って壁と床の匂いを嗅ぎ、二度向きを変えてから壁際へ身体を丸めた。
怪我をした右前脚だけは腹の下へ折り込まず、少し前へ伸ばしている。
ミラは入口の高さを見て、脚が治ったあとでも頭をぶつけず出入りできることを確かめた。寝床に敷くものは、レオンが戻ってから用意すればいい。
主洞へ戻ると、いつもの場所で水滴が岩を打った。石台の上にはミラの布袋があり、その向こうには今までなかった低い入口が開いている。
その奥だけは乾いたままで、キュウは右前脚を少し前へ伸ばし、もう目を閉じていた。
「きゅう」と鳴くので、キュウになりました。
そして名前がついた途端、自室まで手に入れました。人間より住宅事情がいい幼竜を気に入った方は、評価をひとつ。




