旅商人は洞窟を査定します
明日からは一日一話、21:10に投稿予定です。
翌朝、レオンは炉の明かりのそばで左肩の布を巻き直していた。昨日より腫れは引いているものの、腕を肩より高く上げると眉間に皺が寄る。革鎧は着けず、剣だけを腰へ戻した。
水場から戻ったミラが木椀を石台へ置くと、レオンは洞窟の入口ではなく奥へ目を向けた。
「今日は上へ出るんですか?」
「地竜の痕跡はもう少し見たいが、先にこっちだ。昨日、洞窟を見せろって言っただろ。俺もここで二晩寝たのに、水場と炉しか知らない」
炉の横では、幼竜が朝食にもらった塩気のない肉を噛んでいた。右前脚はまだかばっているが、昨日より床へ触れる時間が少し長くなっている。
レオンはまず食料袋を持ち上げ、岩床より高い石台へ移した。ミラの布袋も、乾いた板を二枚重ねた上へ置く。
「ここは雨が入らなくても湿気が多い。布も食い物も床へ直置きするな。濡れてないように見えても、何日か置けば下から湿る」
「昨日までは、水が落ちてこない場所なら大丈夫だと思っていました」
「数日ならな。長く使うなら別だ。薬草は壁にも触れさせず吊るした方がいい。寝床も、乾いて見える場所が本当に乾いてるか確かめる」
レオンはそこまで言ってから、ミラを見た。
「そういえば、お前はまだラトスへ行くつもりだったな」
「行くつもりでした。職業を問わない冬支度の仕事があると、共同寮で教えてもらいました。畑の片づけや薪割り、家畜小屋の補修をするそうです」
「ベルクじゃ、そういう仕事も駄目だったのか?」
「共同寮では半年、いろいろ試してもらいました。ただ、一つの仕事をしている途中で違うところが気になると、そちらを確かめてしまって。虫食いの薪を調べている間に薪運びが止まったり、洗濯物の持ち主を探している間に干す仕事が遅れたりしました」
レオンの視線が、石台に一枚ずつ広げてある水玉草と白苦草へ移った。
「昨日、薬草を重ならないように何度も直してたのも同じか」
「濡れた葉が重なると傷みます」
「それ自体は間違ってない。急ぐ仕事を押しのけると困るって話か」
「寮長にも、だいたい同じことを言われました」
「なるほどな」
レオンはそれ以上何も言わず、乾いた横穴へ入った。毛布の下へ手を差し込み、壁際と入口側で岩の冷たさを比べる。奥の方が湿気は少ないが、床そのものは冷たい。
「寝るなら今の場所でいい。ただ、毛布をずっと敷きっぱなしにはするな。朝になったら上げて乾かせ。下に薄い板でも敷ければもっとましになる」
「壊れた木箱の板が使えるでしょうか」
「腐ってない板ならな。あとで見よう」
話しているうちに、幼竜が二人の間を抜けて奥へ歩き、水場へ続く細い通路へ入っていった。
「案内してくれるみたいです」
「飯を食ったから水を飲みに行くだけじゃないか?」
「結果は同じです」
「それはそうだ」
◇
水場へ着くと、幼竜は先に岩の窪みへ鼻先を入れた。
「この子は、私より前からここを知っていました」
「地竜なら水場くらいは見つける。問題は、人間が長く使っていい水かどうかだ」
レオンは道具袋から、昨日帰り火を調べるのに使った検魔針を取り出した。針先を流れへ触れさせると、根元から先まで青い光が走る。一度水から上げ、湧き出し口に近い場所でもう一度試してから、レオンは小さく頷いた。
「魔力泉だな」
「昨日まで普通の水だと思って飲んでいました」
「腹を壊してないなら、飲み水としてはそれが一番大事だ。魔力泉ってのは、地下水が魔力の濃い場所を通って、その力を含んだまま湧いてくる水だ。毒を消す万能薬じゃないが、魔力を使ったあとの回復の足しになることはあるし、薬草を煎じる水にも向いてる」
ミラは両手で水を受けた。冷たさは昨日までと変わらない。
「では、レオンさんの毒が抜けたのも、この水のおかげでしょうか」
「白苦草と手当てが先だ。水が少し助けた可能性はあるが、どれだけかは分からん。そこを逆に覚えるなよ」
「はい。薬を使わず、この水だけ飲ませればいいという意味ではないんですね」
「そういうことだ」
レオンが検魔針についた水を布で拭っているのを見ながら、ミラは流れへ視線を落とした。
「レオンさん。魔力というのは、結局どういうものなんでしょう。魔法があることは知っていますが、魔力そのものはきちんと教わったことがありません」
「俺も魔術師じゃない。鉱石と魔物を扱うのに必要な範囲でいいなら、空気にも土にも水にも、生き物の中にもある力だと思えばいい。濃い場所と薄い場所があって、こういう水や鉱脈に集まることもある。魔力そのものは一種類で、最初から火用と水用に分かれてるわけじゃない。通った場所や術式で性質が偏るから、火属性とか水属性って呼ぶ」
「魔法を使うと、その力はなくなるんですか?」
「使った分が世界から消えるわけじゃない。働いたあとでまた周りへ散る。ただ、一か所で大きな魔法を続けて使えば、一時的に薄くなることはある。逆に濃い場所なら外から取り込みやすい。人間は身体の中に溜められる量がそれほど多くないから、強い魔法ほど周りの魔力も使うらしい」
レオンは説明をそこで切り、検魔針を革袋へ戻した。
「もっと細かい理屈は魔術師に聞け。俺が間違ったところまで自信満々に教えると面倒だ」
「分からないところは、分からないままにするんですね」
「昨日も言っただろ。その方が後で確かめやすい」
ミラは水を飲んでいる幼竜へ目を向けた。
「この子も、魔力をたくさん取り込んでいるんですか?」
「地竜はかなりな。魔力の濃い環境へ長く適応して、普通の獣とは違う形質を持つようになった生き物を、まとめて魔物と呼ぶ。角兎も角狼も地竜もその類だ。体内に魔石を持つ個体も多いが、石があるから魔物って順番じゃない」
「魔石も魔力からできるんですか?」
「ああ。濃い魔力が安定して結晶になったものだ。鉱脈でできることもあれば、生き物の中でできることもある」
幼竜は話など聞いていない様子で水を飲み終え、鼻先の雫を振り払った。その飛沫がミラの頬と赤い髪の先にかかる。
「冷たいです」
幼竜はもう一度鼻を鳴らした。
「本人は気にしてないな」
レオンは水場の周囲を見回した。
「理屈より、今はこっちの方が大事だ。毎日使える水が洞窟の中にある。飲み水を外から運ばなくていいし、鍋も洗える。長くいるなら、それだけでかなり違う」
「売ることもできますか?」
「瓶に詰めれば買う奴はいるだろうが、水は重い。ここから運んで儲けるより、今は自分たちで使った方が得だ」
「では、使います」
「そこは迷わないんだな」
◇
主洞へ戻ると、二人は壁や天井から水が落ちる場所を一つずつ避け、物の置き場を決めた。レオンが細い縄を壁の出っ張り同士へ渡し、ミラは水玉草と白苦草を葉が重ならない間隔で掛けていく。縄は壁から手のひら一つぶん離し、葉が岩肌へ触れないようにした。
壊れた木箱は底板の半分が腐っていたが、側板にはまだ固い部分が残っていた。ミラが指で押して柔らかいところを示すと、レオンはそこだけ外し、使える二枚を石台の上へ重ねた。塩や食料袋を置けば、冷たい岩へ直接触れずに済む。
「こういうのは見つけるのが早いな」
「柔らかいところは色が少し違います」
「なら、違うところを見つける役は任せる。ただし、俺が荷を動かしてる最中に箱全部を調べ始めるなよ」
「急ぐ方を先にします」
「今はそれでいい」
転びそうな小石を端へ寄せ、よく使う小鍋と木椀を炉のそばへまとめる。片づけ終えたばかりの通り道へ幼竜が腹をつけて寝そべったので、レオンは足を止めた。
「そこを空けた意味がなくなったんだが」
「乾いていたので、気に入ったのかもしれません」
「歩くときだけ避けるか」
追い払わずに済ませると、幼竜は目を閉じた。
主洞の中が片づくと、今度は入口にも手を入れた。
もともとあった穴を、先日の崩落で落ちた石と折れた根が狭めている。ミラが初めて入ったときには身体を横にしなければ通れなかったが、レオンが採掘槌で浮いた石を外し、ミラが小さなものから窪地へ運ぶと、少しずつ元の幅が戻っていった。
「これ以上は削らなくていい。広げすぎれば、外から入口が見つかりやすくなる」
最後に張り出していた石を一つ外すと、人なら荷を背負ったまま通れ、馬でも頭を少し下げれば入れそうな幅が残った。
「最初に来たときより、ずいぶん広くなりました」
「崩れた物をどけただけだ。入口そのものは、最初からこのくらいあったんだろ」
レオンは外から洞窟を振り返り、倒木と岩陰に入口が隠れていることを確かめてから、中へ戻った。
古い石台の周りには、細かな傷や焼け跡がいくつも残っていた。料理だけに使ったにしては傷が深い。レオンが表面を指でなぞり、石台の横にある黒い筋へ目を止める。
「前にここを使ってた奴も、何か作業してたらしいな。鉱山の待避所か、採掘の作業場だったのかもしれん」
壁際へしゃがみ、黒い筋の一部を指先でこする。煤に見えた表面の下から、わずかに青い光沢が覗いた。
「ミラ、採掘槌を取ってくれ。石台の横に置いたやつだ」
ミラが柄を持って渡すと、レオンは左肩を動かさないよう身体を横へ向け、右手だけで岩壁を軽く叩いた。表面が小さく欠け、灰色の石の内側から青みを帯びた金属光沢が現れる。
鏨を当ててもう一度だけ叩くと、親指の先ほどの欠片が岩床へ落ちた。
「まさか」
「何かありましたか?」
「ちょっと待て」
レオンは道具袋から、掌に載るほどの黒い板を出した。中央だけが滑らかに磨かれ、周囲には細い文字と線が刻まれている。
「それも鉱石を調べる道具ですか?」
「簡易鑑定板だ。採掘屋が持ち歩く。よく売買される鉱石なら、種類くらいは分かる」
欠片を中央へ載せると、刻まれた線の一部が淡く光った。
《青魔鉄鉱》
レオンは文字を確かめ、もう一度壁を見た。
「青魔鉄だ」
「高いものですか?」
「高い。普通の鉄より魔力を通しやすくて、武器や防具、魔道具の芯材に使う。純度次第だが、表にこれだけ出てるなら掘る価値はある」
彼は筋に沿って少し離れた場所を小刀の背で擦った。そこにも同じ青い光沢が現れる。
「奥まで続いていますか?」
「そこは掘らないと分からん。ただ、一か所だけじゃない。露出してるところから少し取れるだけでも、食料代にはなる可能性がある」
ミラは青い筋と、鑑定板の上に載った小さな欠片を見比べた。
「これを売れば、食べ物を買えますか?」
「量と純度次第だ。親指くらいの一欠片で一月食えるような値段じゃないが、ある程度まとまれば商売になる」
「見つけたのはレオンさんです」
「見つけたのはな。だからって、俺が勝手に掘って持っていっていいとはならない」
ミラは炉へ目を向けた。
「帰り火に聞けば分かるでしょうか」
「法の話まで分かるとは思わんが、この洞窟の中の扱いなら何か返すかもしれない。まず所有者を聞いてみてくれ」
ミラは帰り火の前へ座った。
「帰り火。この洞窟の所有者は誰ですか?」
《回答できません》
「回答できないそうです」
「だろうな。所有ってのは人間の法律で決まる話だ。じゃあ、この場所を管理しているのは誰か」
「この場所を管理している人は誰ですか?」
《管理者――ミラ》
白い文字を読み、ミラは自分の胸元を指した。
「管理者は私だそうです」
レオンは採掘槌の柄を指で二度叩いた。
「少なくとも、帰り火はこの場所を管理する側としてお前を認めてる。ただし、それで王国法上の土地や鉱床までお前の所有物になるとは限らない。そこは別に調べる必要がある」
「私が管理しているなら、今は掘ってもいいでしょうか」
「俺とお前の間では、お前の許可なしに俺が持ち出す筋じゃない。それより外の権利は、今の情報じゃ断言できん。だから大きく掘るのはやめる。場所も広めない。露出してるところを少量だけ試して、売れるか確かめるくらいにしておくのが無難だ」
ミラは少し考え、壁の青い筋を指した。
「食べ物を買うために使う分なら、私は掘ってみたいです」
「なら明日、肩の具合を見ながら試す。今日みたいに鑑定用の欠片を取るのと、袋へ詰めるほど掘るのは別だからな」
「掘ったものは、どうやって売るんでしょう」
「俺が買う。旅商人だから、運んで売るところまでが商売だ。青魔鉄は重さの割に値があるから、荷馬でも扱いやすい。ただし、一度に大量に流して出所を探られるような真似はしない」
「値段はどうやって決めますか?」
「純度と相場を見て、運ぶ手間と売れ残る危険を引く。最初の分は、実際にいくらで売れたかと経費を帳面で見せる。それを見て、次からどうするか決めればいい」
「分かりました」
「早いな。俺が安く買い叩くとは思わないのか」
「私は相場を知らないので、今疑っても正しい値段が分かりません。帳面を見せてもらってから考えます」
レオンは一瞬黙り、口の端を少しだけ上げた。
「それでいい。分からないのに分かった顔をされるより、商売はしやすい」
◇
昼には、昨日持ち込んだ平焼きパンと塩漬け肉、乾燥野菜を使ってスープを作った。幼竜には塩気のない肉を別に取り分ける。食べ終えると、幼竜はまた炉の近くへ戻り、右前脚を少し浮かせたまま腹を床へつけた。
ミラは食器を片づける前に、革袋から残っていた銀貨を一枚取り出した。
「レオンさん。これで食べ物を買ってきてもらえますか?」
「青魔鉄はまだ一欠片しか取ってないぞ」
「今ある食料は、レオンさんの分ですよね。私はラトスへ行くつもりだったので、長くここで過ごす分を持っていません。青魔鉄が本当に売れるか分かるまででも、食べる物は必要です」
「何が要る?」
ミラは銀貨を掌へ載せたまま指を折った。
「小麦か小麦粉。豆。塩。油。それから日持ちする野菜があれば少し。できれば一月分です」
「一月か」
「一月あれば、青魔鉄を少し掘って、レオンさんに売ってもらって、それからどうするか考えられると思います」
レオンは銀貨ではなく、ミラの顔を見た。
「ラトスへ行く話は?」
ミラはすぐには答えず、炉のそばへまとめた小鍋と、壁から離して吊るした薬草を見た。
「ラトスへ行こうと思ったのは、仕事が必要だったからです。食べ物と寝る場所がないと困るので。でも、ここで採れるものを食べ物に替えられるなら、急いで行かなくてもいいのかもしれません」
「一月ここに住むと決めたわけじゃないんだな」
「決めていません。一月分の食べ物があれば、その間に決められます」
「そっちか」
レオンは肩を動かさないよう右手だけを伸ばし、銀貨を受け取った。
「共同作業で時間に追われるより、鉱石を見分ける方がお前には向いてるかもしれん。ただし、一日中壁を見て終わるなよ。掘る日は掘る」
「一日見ていてはいけないんですね」
「見てもいい日を、そのうち作れ」
ミラは少し考えてから頷いた。
「それならできる気がします」
「できる気がする程度でいい。で、一月分全部をこの銀貨一枚で揃えられるかは、品物と値段次第だ。足りなければ、青魔鉄が売れた代金から引く。それでいいか?」
「はい。油は少なくても大丈夫です。塩と豆は減らしたくありません」
「分かった。小麦、豆、塩を優先する。俺もラトスへ荷を届ける予定があるから、そこで買える物は足す」
「ありがとうございます」
「礼はまだ早い。青魔鉄も、表に見えてるだけで中が全部ただの石なら話は変わる」
レオンはそう言って、採掘槌を古い石台の端へ置いた。無理に左腕を使わなくても取れる位置だった。
「明日、肩の様子を見ながら露出してるところを試し掘りする。そこで鉱脈の続き方を見よう」
ミラも壁の青い筋を見る。その手前では、吊るした薬草の葉が互いに触れずに乾き始め、食料袋と布袋は床を離れて板の上へ並んでいた。帰り火のそばでは、幼竜が腹を岩床へつけて寝息を立てている。
岩壁から落ちた青魔鉄の小さな欠片だけが、簡易鑑定板の上で金色の火を細く返していた。
雨宿りの穴だった洞窟に、水場があり、乾いた寝床があり、そして青魔鉄までありました。
レオンと一緒に「ここ、ひょっとして当たりでは?」と思った方は、続きを見届けてください。




