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帰り火の洞窟 ~役立たずと追放された少女、拾った洞窟を仲間たちの帰る場所にします~  作者: Rastarock
雪下の冒険

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炉還りは剣を振る方を選びます

 レオンがまだ職業札を首から下げる前、北の鉱山町では朝が早く、山から戻った鉱夫とこれから登る鉱夫が入れ替わるころには、両親の店の戸口にもう何人も客が立っていた。


 父は油や塩、縄、手袋、ランプの芯を棚から出し、母は店の奥で麦粥をよそいながら、夜勤帰りの客には肉を多めに、これから坑道へ入る客には塩を少し強めにしていた。レオンも物心がついたころには皿を運び、空いた時間には秤の読み方と帳面の付け方を覚えた。


 客足が途切れた朝、父は棚から縄束を一つ下ろして秤の前へ置き、まだ背の低かったレオンへ値段を考えさせた。


「この縄束なら、いくらで売るのがいいと思う。仕入れ値だけじゃなく、次の荷が来る日まで考えてみろ」


「銅貨十八枚なら油を仕入れる分も残るし、十七枚でも赤字にはならない。でも雨で荷車が遅れたら、十八枚のままじゃ足りなくなるかもしれない」


「そこまで考えられたなら十八枚でいい。雨が続いて次の便が遅れたら二十枚まで上げるが、安く売ることだけが親切じゃない。売り切れたあとで本当に必要な奴が来ても、店に何もなければ助けられん」


 父の説明はいつも商売の話から始まったが、レオンはそれを嫌いではなかった。鉱石の色と筋を見て値打ちを当てる父も、何十人分もの食事を出しながら客の好みまで覚えている母も、子供の目には十分に格好よく見えた。


 自分で書いた帳面の数字が最後にぴたりと合えば嬉しかったし、売れ残ると思った品が昼前になくなれば、読みが当たったことを誰かに言いたくなった。父が棚の並べ方を教えるときには「いつかお前が店を持つころには、棚の数ももっと増えてるだろう」と先の話をし、母も忙しい日に皿運びを任せながら「そのうち店のことは全部任せるから、今のうちに覚えておきなさい」と笑うので、自分はいずれこの店を継ぐのだろうと疑いもしなかった。


 ただし、店じまいが終わってからの時間だけは、帳面にも棚にも関係なく使えた。


 裏手の資材置き場には、折れて商品にならなくなった柄や余った棒材が積んであり、レオンはその中から長さの合う一本を探しては、町へ来る冒険者の真似をして振った。片手では先がぶれ、両手なら安定するが、旅の剣士は片手でも扱っていたので、何が違うのかを足の向きや握り方まで変えて試した。


 誰にも教わっていないため、失敗した理由は翌日も自分で考えるしかなかったが、それでも店じまいが終われば自然に資材置き場へ足が向いた。


 ある晩、鉱夫たちと酒を飲んでいた旅の冒険者が、北の山で見た地竜の話をした。馬車ほどもある身体で岩場を登り、尾の一振りで人を転がすほど大きかったが、冒険者たちは縄張りへ入らずに引き返したという。


 倒した話ではなかったのに、翌日のレオンには十分だった。資材置き場で一番大きな空樽を地竜に見立て、少し離れたところから踏み込んで木の柄を振ると、三度目でようやく柄先が樽の縁へ当たり、乾いた音が裏手へ響いた。


「ずいぶん大物と戦っているみたいだが、うちの空樽は何に見立てられているんだ」


「北の山にいる地竜だよ。昨日の冒険者が話してたやつで、角も尾も生えてる大きいやつだ」


 背後から来た父は叱るより先に樽の縁を指でなぞり、割れていないと分かると、今度はレオンが握っている木の柄へ目を移した。


「毎日それを振っているが、商売より剣の方が好きになったのか」


「商売が嫌いなわけじゃない。でも店の仕事が終わると、またこれを振りたくなるんだ。いつか本物の剣も使ってみたい」


「それなら好きなだけ振ればいい。ただし明日の朝は油樽が来るから、英雄になる前に荷下ろしを手伝え。荷車の樽は物語みたいに勝手には降りてくれん」


「朝の荷下ろしは忘れないから、そのあとならまた振ってもいいだろ」


「空樽を割らない範囲なら好きにしろ。剣士になっても、壊した樽の代金は払ってもらうからな」


 父はそれだけ言って店へ戻り、レオンはまた空樽へ向き直った。いつか本物の剣を持って町の外へ出て、物語の英雄みたいに竜と戦うところまで想像すると、さっき失敗した踏み込みをもう一度試したくなった。


 そのころのレオンには、誰かに頼まれたわけでもなく木の柄を振っている時間が、店の仕事とは別の意味で楽しかった。


     ◇


 青魔鉄の刃が薄い朝日を受け、青黒い表面へ冬の光を細く反射した。


 洞窟前の窪地でレオンは剣を止め、肩の力を抜いてから、もう一度だけ柄を握り直した。少年のころ振っていた木の棒とは比べものにならない重さがあるのに、刃先だけが外へ持っていかれる感じはない。


 ティルダが古い剣を何度も直しながら探った重心を覚えていて、新しい刃へ持ち替えても、踏み込んだ先で剣が身体から離れていかないよう仕上げてくれている。剣を振るたびに鍛冶場で交わした細かな注文まで思い出いだしてくれるのが、既製の武器を買っていたころとは違っていた。


 右足を半歩引いてから斜めに踏み込み、刃を振り下ろそうとしたところで、左脚へ妙な重みがかかっていることに気づいた。


 見下ろすと、キュウが横から身体を預けたまま眠っており、黄土色の鱗に包まれた背中が腿へ押しつき、長くなった尾は霜の残る草へ投げ出されていた。


「キュウ、そこで眠られると剣を振れない。少しだけ離れてくれないか」


 キュウは喉の奥で眠そうな声を鳴らしただけで、目を開ける気配もなく、むしろ身体の重みをもう少し預けてきた。


 少し前までなら腰を押せば簡単にずらせたのに、今ではこちらが足を踏ん張らなければ動かない。食べる量が増えたぶんだけ身体も厚くなり、肩まわりの鱗も幼いころより明らかに大きくなっている。


「本当に重くなったな。毎日あれだけ食べているなら当然なんだろうが」


 キュウの尾が草を一度叩いたので、聞いているらしいことだけは分かった。


 レオンは剣を鞘へ戻して岩へ腰を下ろし、隣からまだ離れようとしないキュウの背へ手を置いた。


 昨夜は食堂で遅くまで祝いが続き、ロアンのリュートとリュネの木笛が止まってからも、杯を片づける音や、新しく来た牝馬が馬房で鼻を鳴らす音が洞窟の奥まで聞こえてきた。それに比べれば今朝の窪地はひどく静かで、岩壁の影にはまだ白い霜が残っている。


 もちろん、旅商人だったころから抱えてきた仕事が、きれいになくなったわけではない。工房には昨日持ち帰った武器類の整理があり、馬車の手入れも必要で、ベルクから回ってくる注文やラトスの冷蔵箱の帳面も動き続けている。


 以前なら目を覚ました瞬間から、青魔鉄を何袋積むか、酒を何樽運ぶか、どこで売って何を買い、何日で戻るかを考えていた。バルトの餌や宿代まで先に計算し、帰った翌日には次の荷を組み直していたので、何も考えずに朝の剣を振る時間などほとんど残らなかった。


 今ではエルネが帳面を持ち、ラトスには受け取りと注文の窓口ができている。決まった荷は既存の商人と荷運びが動かし、壊れた冷蔵箱まで現地で直せるようになったため、紙と薬を買うだけのために自分が四日かけてベルクへ行く必要もない。


 《炉還り》へ職が変わった直後は、旅商人として積み上げてきた仕事を取られたような、妙な空白を感じたこともあった。ところが実際には、レオンが町へ出なくても帳面は更新され、荷は届き、売上は帰ってくる。


 自分がいなければ止まる仕事が減っただけだと理解すると、胸の奥に残っていた空白は、困るより先に広さとして感じられるようになっていた。


 その広さへ何を入れるか考えたとき、手は自然に腰の剣へ戻った。


 洞窟の食堂よりさらに奥には、地下へ続く石扉がある。第一層は何度も歩き、階層主も倒したが、第二層は入口からしばらく調べただけで、その先にはまだ知らない通路が続いている。


 剣を持って地下へ行っても護衛料は出ず、守る荷車もなく、誰かに頼まれた仕事でもない。それでも行きたい理由を探すと、少年のころ木の柄を握ったときと同じ感覚だったのだと気づいた。


「朝飯を食べたら、今日は地下の話をするぞ。キュウも行く気なら、先に腹を空にしておけよ」


 朝飯という言葉に反応してキュウがようやく目を開き、さっきまでの眠気が嘘のように身体を起こすと、洞窟の入口へ向かって先に歩き始めた。


「食べ物の話だけは聞き逃さないんだな。そこまで分かりやすいと助かる」


 レオンも立ち上がり、腰の剣を軽く押さえながら後を追った。


     ◇


 朝食は昨夜の祝いで残った肉と根菜を足した煮込みに、焼き直したパンを添えたものだった。


 ベラが大鍋の表面へ固まりかけていた脂を取り除きながら温め直しており、昨日より馴染んだ匂いだけでキュウは食卓の周囲を何度も歩いている。リュネは椀の中から肉を先に食べ、最後まで残った人参を木匙で細かく割っていた。


「そんなに細かくしても人参は人参だけど、ちゃんと食べるなら好きにしな。昨日は揚げ物も食べたんだから、今日はそれで十分だよ」


「分かってるけど、小さくした方が早く終わる気がするの。味が変わらないのはちゃんと分かってるから」


 向かいに座るエイルは妹の椀を一度見たものの、何も言わずに自分の朝食へ戻った。救出した直後なら一口ごとに様子を見ていたので、その変化だけでも洞窟へ来てからの変化が感じられた。


 ロアンはまだ髪も結ばず、片手で額を押さえながらパンをちぎっている。


「昨日の酒がどれくらい残ったかだけ教えてくれないかな。朝から飲むつもりじゃなくて、次に仕込む量を考えたいんだ」


「朝から飲まないって自分で言えるなら安心したよ。残りはエルネが数えてるから、あとで帳面を見せてもらいな」


 食卓の端では、そのエルネが小さな帳面を閉じたまま置き、食べながら気づいた項目だけを細い木札へ書き留めていた。以前ならレオンの横に積まれていた帳面が、今は彼の手元にある。


 その光景を見てから、レオンは煮込みの椀を置いた。


「この冬、俺は地下の探索を進めたい。定型の商売はもう俺が毎回ついて回らなくても動くし、二層の先はまだほとんど見ていないから、しばらく探索に時間を使いたい」


 匙の音がいくつか止まり、食卓にいる全員の顔がこちらへ向いた。


 言い出してから、レオンは一度だけ言葉を選んだ。素材が欲しいことも、古い金属を持ち帰れば工房が助かることも嘘ではないが、それだけを理由にすると、今朝まで考えていたことに嘘をついている気がした。


「第一層の素材も二層の金属も欲しい。ただ、それだけじゃない。今なら先へ行けるし、俺自身が行ってみたいと思ってる」


 最後まで口にすると、理由を並べていたときよりずっと収まりがよかった。その理由を聞き終えて、最初に賛成の声を返したのはミラだった。


「それなら私は賛成です。ただ、第二層では《帰還》が使えないので、どこで引き返すかと、予定より遅れたときにこちらがどう動くかだけは出発前に決めてください」


「そこは今までと同じだ。奥へ行きたいからって、帰り道の安全を使い切るつもりはない」


 返事を聞き終えるより早く、ティルダが食卓へ身を乗り出した。


「二層の奥まで行くなら私も連れてって。古い武具や金属が出るなら、工房で聞くだけじゃなくて現物がどう転がってるか自分の目で見たい」


「姉ちゃんだけ知らない場所へ行くなら、私だって一緒に行きたい。帰ってきてから話だけ聞くのは普通につまらないし、通路や仕掛けは私の方が気づくところもあると思う」


 フレイまで続けたので、レオンはすぐ断らず、朝食のあいだに考えられるだけ考えた。


「フレイが行きたいのは分かった。ただ、今のまま二層の奥へ連れていくのは駄目だ。逃げ場の少ない場所で何をするか決まっていないなら、守る側もフレイ自身も動きにくい。次に一緒に入るために、まず役割を作ろう」


「だったら、次までに私が何を使えば戦えるか決めればいいんだよね。剣じゃなくてもいいなら、作るところから考えてみたい」


「それなら話は早い。何を使うか決めたら俺たちにも見せてくれ。地下へ持ち込める大きさか、動きながら使えるかまで一緒に考えよう」


 フレイは姉の戦槌へ目をやったあと、自分の両手を開いて指を曲げ伸ばしし、視線を食卓の木札へ移した。


 ティルダも妹の肩を軽く叩き、もう武器作りの相談を始める気になっている。


「作るなら私も手伝うよ。せっかくだから、フレイが使ってかっこいいやつにしよう」


「姉ちゃんがかっこよさ優先で重くしすぎないなら頼む。私まで姉ちゃんと同じ槌を振るのは絶対に無理だからね」


 姉妹の話が武器作りへ移ったところで、レオンは胸の内で少しだけ安心した。今回は連れていけなくても、次に行くための話がもう始まっているなら、仲間から外すのとは意味が違う。


 姉妹の話がひとまずまとまったところで、エイルは自分の椀を食卓へ戻した。


「地下へ行くなら、装備だけじゃなく身体の使い方も一度そろえた方がいい。この前の戦いを見る限り、みんな動けるけど、敵が強ければ踏み込みや受けの失敗が怪我に直結する」


「身体強化の使い方を教えてくれるなら、俺にもたのむ。剣を振るときに無意識で混ざっているらしいが、自分ではどこへ流しているのか分からない」


「それなら食後に外でやろう。いきなり剣を振るより、立つ、踏む、止まるを分ければ、自分がどこへ魔力を使っているか分かりやすい」


 エイルの説明へベラも興味を示したが、彼女は食卓の端へ置いてあった《魔力増幅の短杖》を先に取った。


「あたしは身体強化より、こっちの加減を覚えたいね。三割も強くなるのはありがたいけど、普段と同じつもりで魔力を流したら火事になっちまうんじゃ、地下で使うには怖いよ」


「畑と果樹から離れた岩壁側なら、火を小さく出す練習には使えます。冬でも葉物は残っていますから、畑の近くではやめてください」


「分かってるよ、ミラ。今日は大きくするんじゃなくて、杖を持ってもいつもの大きさに抑えられるか試すつもりさ」


 話が身体と火へ広がると、リュネも人参の最後の一片を飲み込んでから手を挙げた。


「それなら私は、明日持っていく薬を作りたい。洞窟の周りに森で使っていた草と同じものがあるなら、自分で採って、魔力泉の水を使ったときにどう変わるかも調べてみたいの」


「血止め苔と白苦草なら近くにありますし、水玉草も見たことがあります。ただ冬なので、夏と同じ場所に全部残っているかまでは分かりません」


「残ってる種類だけでも知りたいから、あとで一緒に探してもらえるかな。明日持っていく分は、効き方が分かってる材料だけで作るよ」


 エイルが妹へ顔を向けたので、何を言うかはレオンにもだいたい分かった。


「兄さん、森の奥まで行く話じゃないし、ミラと洞窟の周りを見るだけだから大丈夫。戻る時間はちゃんと言うから、兄さんは身体強化を教える方をやってて」


「分かった。戻る時間を聞けるなら、それでいい。俺も勝手に森へ行かないから安心してくれ」


「そこまで分かってるなら大丈夫。私も薬草を探したら、ちゃんと戻ってくるから」


 薬の話までまとまったところで、レオンはまだ何も言っていないエルネへ目を向けた。最後まで黙っていたエルネは、食事を終えてから木札を取り上げた。


「薬を作るなら小さい栓付き瓶を増やした方がいいべ。傷へ当てる布と包む布も分けておいた方が使いやすいし、冬に地下へ長く入るなら油と保存食の残りも数えとく」


「ベルクの定期分は、俺が行かなくても本当に回せるんだな」


「同じ箱を同じ場所へ送るために毎回レオンが四日歩く必要はねえよ。新しい取引先や大口の話が来たら相談するけど、いつもの数ならおらとラトスで回せる」


 エルネは木札へ瓶、布、油と書き足し、さらに少し考えてから置場という項目まで加えた。


「それと、明日から《空間収納宝珠》を地下へ持ってくなら、戻ったあとに拾った物を広げる場所も空けとく。重くて捨ててきたって話は、今度からかなり減るはずだべ」


 持ち帰れる量の話を聞いた瞬間、ティルダの顔が見るからに明るくなった。


「それは助かる。二層で見つけた金属、重さだけで諦めたのが結構あるんだよ。今度は持てるかどうかじゃなくて、使えるかどうかで選べる」


「使えない錆の塊まで全部持ち帰って、工房を埋めるのだけはやめてくれ。収納できる量が増えても、片づける場所まで無限になったわけじゃない」


「そこはちゃんと選ぶって。前よりは選ぶから、たぶん心配しなくても大丈夫」


 フレイが姉の横で笑い、エルネは呆れたように木札へ何かもう一つ書き足した。


 探索へ行くと言い出しただけなのに、食卓の上ではもう明日の荷と薬と武器の話が飛び交っていた。仕事の打ち合わせならレオンが順番を決めて一つずつ片づけるところだが、今日はそれぞれが自分から面白そうな部分へ手を伸ばしている。


 レオンは食卓いっぱいに広がったその騒がしさを、わざわざ止めようとは思わなかった。


     ◇


 食後、レオンとエイルが窪地へ出るころには、朝の静けさはすっかりなくなっていた。


 ティルダとフレイは少し離れた場所で、地下へ持ち込める武器の大きさについて話している。岩壁側ではベラが短杖を握り、畑と果樹から十分に距離を取っており、斜面の下ではミラとリュネが布籠を持って冬枯れの草を探していた。


 馬房ではエッダが板壁を軽く蹴り、洞窟の入口からはロアンが何かを探している声まで聞こえてくる。みんなが別々のことをしているのに、そのほとんどが明日の地下へ少しずつつながっている。


 エイルは地面の平らな場所を選び、弓も持たずに立った。


「最初は普通に一歩だけ出てみてくれ。速く動く必要はないから、踏んだあとにどこで止めているかを自分で覚える方が大事だ」


 レオンが指示どおり踏み出すと、エイルは同じ動きを一度見せ、それから脚と腰だけへ薄く魔力を回した状態でもう一歩踏み込んだ。


 見た目には大きく変わらないのに、二度目の方が踏み込みが深かった。それでも上半身が前へ流れていない。靴底の下だけが深く沈み、踏み込む力と止まる力が同時に増しているのが分かった。


「速くするより、止まるところまで一緒に強くするのか。前へ出るだけなら、俺も剣を振るときに勝手にやってる気がする」


「たぶん無意識に混ざってる。戦士や冒険者なら教わらなくても似たことを覚える人は多いけど、強くする場所を間違えると身体の軸が崩れてしまう」


「だったら俺も、まず剣を抜かずにやる。何となく使えてるものほど、失敗したときに直せないからな」


 右脚へ魔力を寄せるつもりで踏み込むと、予想したより身体が前へ出た。止めようとして左脚へ力を入れた瞬間、腰だけでなく肩まで固まり、剣を振る前なのに腕が重くなる。


「今のは脚を強くしようとして、上まで全部固めてる。あれで剣を振ったら、速くなる前に肩が邪魔するぞ」


「踏み込んだ瞬間は楽だったのに、そのあとがひどいな。もう一度やるから、今度は腰から上が固まってないか見てくれ」


「次は出力を下げて、脚と腰だけで止めてみよう。その方が剣へつなげやすいはずだ」


 エイルに言われたとおり、今度は魔力を強く押し込まず、普段の踏み込みへ少しだけ足すつもりで右足を出した。


 足元を見ると、今度はさっきほど深く土が沈んでいなかった。それでも身体が軽く前へ出て、腰で止めたあとにも肩が動く余地が残っていた。


「今の方が使えるな。強くした感じは少ないのに、剣を振るならこっちの方がずっと楽だ」


「最初はそのくらいでいい。踏む、止まる、受けるを別々にやってからつなげれば、どこで崩れたか自分でも分かるようになる」


 少年のころ木の柄を振っていたときも、足を出せば速くなり、出しすぎれば止まれなかった。やっていることの芯は昔と変わらないのに、今は身体の中へ魔力を通し、その使い方まで教えてくれる仲間がいる。


 しかも明日は、その一歩を地下で本物の敵へ試せる。


 そう考えると、うまくできなかった最初の踏み込みさえ妙に楽しくなり、レオンはもう一度同じ場所へ立った。


「今の感覚が消える前に、あと何度かやりたい。剣を抜くのは、それが同じようにできてからでいい」


「その方がいい。回数を増やしても肩が固まらなくなったら、次に剣を持って合わせよう」


 横で見ていたティルダも、自分の戦槌へ手を置いた。


「私もあとで教えて。槌は当たったあとの方が身体を持っていかれるから、レオンと同じやり方じゃないと思う」


「そこは違うはずだ。槌の使い方そのものはティルダの方が分かってるから、俺は魔力をどこへ流すと止まりやすいかを伝えよう」


「それならちょうどいい。振り方まで教えられたら、たぶん私の方が口出ししたくなるからね」


 話が決まるのを待っていたように、キュウがレオンの横へ来て身体を低く沈めた。


 次の瞬間には地面を強く蹴り、三歩ほど先まで一気に進んでから振り返る。土は大きくえぐれ、本人は胸を張ったまま、当然褒められるものだという顔でこちらを見ていた。


「キュウは教わる前からできてるみたいだな。そこまで派手に土を飛ばせるなら、少なくとも出力不足ではなさそうだ」


 キュウは得意そうに喉を鳴らし、長い尾で地面を何度も叩いた。フレイがしゃがんでえぐれた土を指で崩しながら、姉へ顔を上げた。


「これ、前よりかなり深いよ。キュウが大きくなっただけじゃなくて、脚の力もまた強くなってるんじゃないかな」


「食べた分が全部腹に行ってるわけじゃないなら安心した。最近は朝からずいぶん食うからな」


 キュウが不満そうな声を鳴らしたので、レオンは笑いながらもう一度立ち位置へ戻った。


 窪地の反対側では、ベラの短杖の先に橙色の火が浮かんだ。昨日より明らかに小さく、手のひらほどの大きさで揺れている。


「その大きさなら狙ったとおりですか。昨日よりかなり小さく見えます」


「今のは狙った大きさだよ。杖なしのときより最初から魔力を減らして、同じ火にできるところを探してる。地下で使うなら、強くするより先に抑えられないと困るからね」


 ベラは一度火を消してから、同じ大きさでもう一度灯した。二度目も広がらなかったので、本人は短杖を眺めながら満足そうに口元を緩めた。


 斜面側では、リュネが岩陰の苔を布籠へ移し、ミラがその隣で別の草を指している。少し離れていて会話までは聞こえないが、二人とも朝食のときより歩く範囲を広げているらしい。


 剣、身体強化、短杖、薬、収納宝珠まで、昨日まで洞窟に揃っていなかったものが一度に明日の探索へ持ち込まれる。


 レオンは右足を引きながら、昔なら一人で木の柄を振っていた自分に、こんな時間が訪れていることが不思議だった。


     ◇


 昼前には、明日の探索班がレオン、キュウ、エイル、ティルダ、ベラの四人と一頭に決まった。


 レオンとキュウが前へ出て、エイルは遠距離と索敵を受け持つ。ティルダは戦槌を使うだけでなく、持ち帰る金属や武具を現地で見極め、ベラは後方から魔法を使うことになった。《魔力増幅の短杖》も持っていくが、最初から大きな《爆炎》を撃つのではなく、午前中に試した出力の範囲から使う。


 フレイは今回は洞窟に残ることになったが、朝のように参加を訴える代わりに、工房の机へ紙と細い木片を広げ始めていた。


「次は私も行くから、姉ちゃんが帰ったら通路の幅と床の状態を全部教えて。持って歩ける武器を作るなら、先に大きさを知りたい」


「敵の形だけじゃなくて、通路もちゃんと見てくるよ。フレイが何を作るか分からないけど、狭いところで振れない物を作ったら笑えないからね」


「そこは姉ちゃんよりちゃんと考える。戦槌みたいに振り回す前提じゃないものを作るつもりだから」


 姉妹がもう次の探索を前提に話しているのを聞いて、レオンにはフレイらしさが好ましく思えた。きっと頼りになる戦力になってくれるだろう。


 探索班の顔ぶれが決まるころには、ロアンも今回は洞窟に残ると自分から決めていた。


「昨日リュネの笛に合わせた曲がまだ途中だから、今日はそっちを先にやりたいんだ。それに今回はエイルが行くなら、帰ってきたあとで地下の音を聞かせてもらえるだろう」


「足音や羽音がどこから響いたかなら説明できる。《聴音》ほど細かく聞き分けられるわけじゃないが、それでもいいのか」


「同じ聞き方じゃないから面白いんだよ。森で狩りをしてきた人が何を音として拾うのか、僕はそっちの方を知りたい」


「それなら覚えている範囲で話す。戦っている最中に全部覚えられるとは約束できないけどな」


 ロアンはそれで満足したらしく、食堂へ戻りながらもう何かの節を口の中で鳴らしていた。


 リュネは採ってきた血止め苔と白苦草を洗い、使う分と試験用に残す分を布の上へ分けている。


「明日の朝までに傷薬は作れると思う。解毒薬は材料が足りないから今ある分だけにして、魔力泉の水で効き方が変わるかすぐに試すからね」


 薬草の匂いと工房から聞こえる姉妹の声を背に、レオンは食堂の奥へ歩いた。


 重い石扉の前で足を止め、朝に教わった踏み込みを何度も試してみる。右足へ薄く魔力を流し、腰で止め、肩は固めないようにすると身体がいつもより軽く前へ出た。


 その感覚を確かめてから、レオンは腰の剣に力を入れた。


「明日は二層の奥まで行く。せっかく空いた冬なんだから、知らないところを見に行こう」


 石扉の冷たさを掌に受けながら、レオンは明日の朝、剣と荷を持ってここを開ける自分を思い浮かべた。少年のころ空樽へ向けて振っていた木の柄とは違い、今度は本物の剣があり、同行する仲間がいて、持ち帰った物を使う場所まである。


 早く朝になればいいと考えたのは、旅程を急ぎたいときとはずいぶん違う理由だった。

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