炉還りは歓声に迎えられます
馬車を止めた狭路から先ほどの戦闘地点までは、捕虜を連れて歩いて戻れる距離だった。ベラが荷台の端へ座ったリュネの手首に新しい布を巻き直している間も、エイルは手の届く場所から動かず、妹が指を曲げ伸ばしするたびに視線を追っていた。
「兄さん、手首は擦れているだけだし、肩もちゃんと動くよ。ずっと馬車に押し込まれていたから、少しくらい歩いた方が楽なくらいなの」
「歩けるのは見れば分かるが、今日は歩かなくていい。手首も肩も痛めているし、何日まともに眠れていないかも分からないんだから、せめてベルクへ戻るまでは馬車に乗っていてくれ」
「そうやって理由をいくつも並べ始めた時は、もう兄さんの中で結論が出ているんだよね。私に相談しているようで、全然相談じゃないの」
エイルは一度だけ口を閉じたものの、視線を逸らさずに続けた。
「今日は…今日だけは頼む。明日から先まで俺が決めるつもりはない。そこは約束する」
リュネは少し唇を尖らせながらも、膝に掛けられていた毛布を自分で引き寄せた。
「それなら今日は聞く。でも明日になっても同じことを言ったら、その時は私が決めるからね。助けてもらったからって、ずっと運ばれる側になる気はないんだから」
「分かった。明日になったら、またお前自身に決めてもらう。それでいい」
そこでようやくエイルの肩がわずかに下がったので、レオンは兄妹から視線を外して御者台へ上がった。二頭の牝馬はまだ汗で首筋を濡らしているが、呼吸はもう揃い始めている。捕らえた御者は両手を後ろで縛り、ロアンが目を離さずに済む場所へ座らせてあった。
「レオン、二頭立てでも扱えるんだよね。帰り道でまた変なところへ突っ込まれたら、今日はもう笑えないよ」
「荷馬車なら何度も扱っているし、来た道を戻るだけなら問題ない。急がせずに行くから、ロアンは御者が手綱へ触ろうとした時だけ止めてくれ」
「それなら僕が見ているよ。今さら妙な気を起こされても面倒だし、今日はもう誰にも予定を増やしてほしくないからね」
荷台の後ろでは、ティルダが胸当てに収まった赤い宝珠を覗き込んでいた。三度続けて使った直後は弱っていた光が、今はもう赤みを取り戻している。
「これ、やっぱり面白いなあ。あれだけ続けて使ったのに、もう光が戻ってるし、見た目だけならまた走れそうだよ」
「数分で再充填が始まるところまでは分かったんだから、続きは洞窟へ持ち帰ってから調べる。壊して帰ったらフレイに何を言われるか分からん」
「それは嫌だなあ。さっきは人を追うためだったけど、今はもう急がなくていいんだし、ちゃんと持って帰るよ」
ティルダが素直に宝珠から手を離したのを見届け、レオンは二頭へ軽く声を掛けて馬車を街道へ戻した。
◇
先ほど護衛と戦った場所まで戻ると、ベルクへ連れて帰る三人を先に片づけた。肩を射られた弩兵と胸を強く打っている槍兵には、ベラがベルクまで持つよう手当てをし、捕らえた御者と合わせて荷台へ寝かせてから縄を掛け直す。
「二人とも今すぐ命に関わる感じじゃないけど、途中で熱が出たり息が苦しくなったりしたら止めるよ。ここで死なせたら、生け捕りにした意味までなくなるからね」
「それで頼む。三人とも組合まで運んで、採石場の連中と何をしていたのかまとめて吐いてもらう」
レオンとロアンは散らばった武器を確認し、魔術師が使っていた細身の短杖も荷台へ積んだ。森へ逃げた奴隷商が落とした革鞄は、エイルの矢に切られた肩紐を引きずったまま道端へ残っている。
ティルダは口金の前へしゃがみ込み、指先を伸ばしかけてから途中で止めた。
「逃げる時まで抱えてた鞄なんだから、やっぱり中身が気になるよ。今ここで開けちゃ駄目なの?」
「証拠になりそうな物を、俺たちだけで先に触るのは良くない。組合の人間が見ている前で開けた方が、後から余計な疑いを掛けられずに済む」
「それなら我慢するよ。あとで堂々と見られるなら、その方が気持ちいいしね」
ロアンが革鞄を受け取り、荷台の奥で動かないよう縄を掛けた。リュネから外した対魔法の枷も別の布へ包み、武器類とは分けて積んでいく。
必要な物を積み終えると、レオンは牝馬二頭の脚を順に触り、蹄と馬具まで見直した。ずいぶん走らされている割に大きな傷はなかった。ロアンも一頭の首筋を撫でながら、少し先の話を始めた。
「この二頭まで持ち主が見つからなかったら、バルトに仲間が増えるのかな。二頭立ての馬車まで使えるようになったら、酒樽も道具も今までよりずっと多く運べそうだね」
「そうなるかはベルクで持ち主と盗難届を確認してからだ。今日はこの二頭も相当走らされているから、途中で水を取って、脚を休ませながら戻る」
「賛成だよ。僕も今は働かせる話より、まずこの二頭を無事にベルクの厩へ入れるところを見たいな」
レオンは二頭の鼻先を順に撫で、馬車を南東街道のベルク側へ向けた。
◇
帰路では日暮れ前に街道を外れ、一度だけ野営した。薄いスープを全員が飲み終えた後も、エイルは向かいに座る妹の手元を何度も見ていた。
「手首の痛みは増えてないか。肩も打っていたし、吐き気や寒気が出てないかも気になる。指も朝と同じように全部動くか、一度見せてくれ」
リュネはため息をつきながらも両手を兄へ向け、一本ずつ大げさなくらい指を動かしてみせた。
「擦れたところはまだ痛いけど、指は全部動くし、肩も上がるよ。気持ち悪くもないし、寒いのは夜だから普通に寒いだけ。それで兄さん、今日その確認をするのは四回目だからね」
「四回で済んでるなら、俺としては少ない方なんだ。何日も会えなかったんだから、今日くらい確認させてくれ」
「そこまでは許すけど、私が寝た後まで起きて見張るのは駄目だよ。兄さん、私がいない間ほとんど休んでないでしょう」
「俺ならまだ動ける。森で狩りをしていた頃は、何日かまともに眠れなくても動いたことがある」
「それ、兄さんが自分を壊す前にいつも言うやつだよ。私を心配するなら、私が起きた時に隣で倒れてないくらいには休んで」
返せる言葉がなくなったらしく、エイルは焚き火へ視線を落とした。リュネはしばらく兄の顔を見ていたが、やがて向かいで火を見ていたレオンへ助けを求めるように顔を向ける。
「レオン、兄さんは前からこんな調子だったの。自分は平気だって言い始めると、ほんとに止まらなくなるんだけど」
「攫われてからは特にひどかった。だが今の話ならリュネの方が正しいし、見張りは俺たちで回せる。妹を守りたいなら、今夜はエイルも寝ておけ」
「ほら、兄さんのことを知ったばかりの人にまで同じことを言われてるよ。ここまで来たら諦めた方がいいと思う」
エイルは妹とレオンを交互に見たあと、ようやく毛布へ手を伸ばした。
「分かった。リュネが横になったら、俺も次の見張りまで休む。だから今夜はそれで納得してくれ」
「それなら私も安心して寝られるよ。起きた時に兄さんまで倒れてたら、助かった意味が半分くらいなくなるからね」
少し離れた場所では、ロアンが朝に備えてリュートの弦を緩め、ティルダは赤い宝珠を布へ包み直している。ベラも捕虜二人の包帯を最後に確かめてから火のそばへ戻ってきた。昨夜まではどこまで追えば届くかだけを考えていた夜だったが、今は一行の心に安堵が広がっていた。
◇
翌日、畑の向こうにベルクの灰色の城壁が見え始めると、街道を行き交う荷車も急に増えた。門前にはいつもの入城待ちの列が伸びていたが、レオンが馬車を最後尾へ寄せるより先に、門兵の方から二人が走ってくる。
「その二頭立て、採石場の件で戻ってきた連中か。荷台に捕虜までいるなら間違いないな?」
年嵩の門兵は荷台の三人と毛布を肩へ掛けたリュネを順に見てから、レオンの差し出した冒険者札を確かめた。
「今朝、組合から話が回ってる。牢の七人を逃がした一行が、そのまま攫われた娘を追ったきり戻ってないって聞いてたぞ」
「その続きだ。護衛と御者を三人、生きたまま連れてきた。攫われていた娘も取り返したが、奴隷商本人だけは森へ逃げている。証拠になりそうな鞄と枷もあるから、捕虜ごと組合へ渡したい」
「事情は分かった。一般の列には並ばなくていいから、こっちを通れ。衛兵を二人つけるので、そのまま組合まで運んでくれ」
開けられた脇の通路を抜け、衛兵二人を馬車の後ろにつけて市内へ入る。炭、焼いた肉、馬糞、煮込み、濡れた石の匂いが一斉に去来する。レオンにはそれが昔から知っているベルクそのものの匂いに思えた。
振り返ると、リュネは荷台の縁を指で掴んだまま街を見ている。近くを人が通るたび肩に力が入るが、目を閉じたり幌の奥へ逃げ込んだりはせず、自分から通りの店や行き交う人を追っていた。レオンは声を掛けず、馬車の速度だけを落として組合へ向かった。
◇
冒険者組合の前へ馬車を止めると、入口の近くにいた若い冒険者が最初に気づき、その声につられて中から何人も顔を出した。
「レオンじゃないか。採石場へ行ったまま戻ってないって聞いてたぞ。それで、その荷台の連中まで生け捕りにしてきたのか?」
「エルフの娘も一緒にいるぞ。じゃあ、探してた妹まで本当に取り返して戻ってきたんだな!」
広間へ入ったところで、奥の卓から足を傷めた男が立ち上がった。採石場の牢から逃がした七人の一人で、まだ片脚を庇いながら歩いている。
「この人たちです。俺たちを牢から出して、水と食べ物を持たせて先にベルクへ行けって言ったのは、この人たちなんです。そのあと自分たちは、まだ連れていかれた妹さんを追って行って……本当に戻ってきたんだな」
男はレオンたちの前まで来ると深く頭を下げ、声を詰まらせながらも言葉を続けた。
「俺はあそこから出られなかったら、そのままどこかへ売られてた。家に帰ったら、家族がまだ俺の分の寝床を残して待ってたんだ。助けてもらった俺が言うのも変だけど、ちゃんと帰ってきてくれて本当によかった。ありがとう」
別の卓からもう一人、牢にいた男が立ち上がり、その隣にいた年上の男まで一緒にこちらへ来た。
「俺は弟と一緒に捕まってた。どっちか片方だけでも帰れればって途中では本気で思ってたけど、二人とも帰れたよ。母親に泣かれて、俺たちまで一緒に泣いた」
「俺はこいつらの兄貴だ。家族として礼を言わせてくれ。組合の依頼にもなってないのに、命がけでこいつらを助けてくれたんだろ。本当にありがとう」
そのやり取りを聞いていた冒険者たちから、今度は遠慮のない声が飛び始めた。
「採石場を潰したって話、やっぱり本当だったのか。二十人以上いたって聞いたぞ!」
「次にお前らが依頼を受けるなら、俺も混ぜてくれ!」
笑いと拍手が広間へ広がると、ティルダは隠す気もなく顔を輝かせた。
「こういうの、いいね。採石場じゃ勝っても誰も拍手してくれなかったから、その分まで今まとめてもらってる気がする」
「僕も嫌いじゃないな。これだけ聞きたい顔が揃ってるなら、一曲くらい弾きたくなる夜になりそうだよ」
ロアンが背負ったリュートの位置を直すと、近くの冒険者がすぐに食いついた。
「だったら今夜は酒場でやれよ。採石場二十人斬りって題なら、一杯くらい俺が奢ってやる!」
「二十人斬りは僕たちが嘘つきになるから駄目だよ。でも、事実だけ並べても一曲には十分すぎるくらいあると思う」
周囲から「それでいい」「今夜聞かせろ」と声が重なる一方、ベラは騒ぎへ背を向けてリュネの顔色を見ていた。
「人が一気に寄ってきたけど、大丈夫かい。外へ出たいなら遠慮しなくていいし、宿へ先に行ってもいいんだよ」
「少しびっくりしてます。でも嫌じゃないです。みんな、私たちが帰ってきたことを喜んでくれてるんですよね」
「そりゃ喜ぶさ。あいつらは派手な話が好きだからね。案外気のいい奴らさ。だからこっちも胸を張って戻ってきたって言えるんだよ」
リュネはベラの言葉を聞いてから、採石場で救われた男へ向き直った。男が「妹さんも助かって、本当によかった」と言うと、彼女はエイルだけでなくレオンたち一人ずつへ視線を移した。
「ありがとうございます。兄さん一人だったら、たぶん私はここまで戻れていません。この人たちが一緒に来てくれたから、私は今ここで自分の足で立てています」
「だったら全員に礼を言わないとな。俺たちの分まで含めて、本当にありがとう」
男がもう一度頭を下げると、拍手が今度は入口近くまで広がった。レオンは広間中から視線を集める居心地の悪さを覚えながらも、すぐ逃げ出すほど嫌ではない自分にも気づいた。助けた七人がここにいて、リュネもエイルの隣に立っている。それだけ確認できれば、しばらく拍手の中にいるくらいは我慢できた。
◇
組合長の部屋へ移ってからの報告は、捕虜や証拠が揃っていたこともあって長引かなかった。逃げた奴隷商の人相と逃走方向はエイルが説明し、リュネは記録役を前にして、自分が今日話せる範囲を先に決めてから口を開いた。
「捕まってから聞いた地名と、誰が何を言っていたか、そのくらいなら今日は話せます。順番に思い出せばもう少し出てくると思いますけど、一度に全部話そうとすると途中で疲れてしまいそうです」
「続きは明日でもその先でも構わんし、思い出すために無理をする必要もない。今日は休む方を優先してくれ」
組合長がそれ以上を求めなかったので、エイルも口を挟まずに済んだ。レオンはその横で、切れた肩紐の革鞄を机へ置く。
「奴隷商が森へ逃げる時に落とした鞄だ。こっちでは中を開けていないから、記録を取りながら確認してくれ」
「その方が助かる。記録役もここにいるから、この場で一緒に確認しよう」
職員が立ち会い、鞄から銀貨の小袋、名義の違う通行証、宿札、何通かの書状、薄い帳面を順に机へ並べていく。最後に布包みを開くと、中から磨かれた黒い球が転がり出た。
ティルダは思わず身を乗り出したものの、今度は勝手に手を出さなかった。
「その形、宝珠に見えるよね。今持ってるのとは色が全然違うけど、これも何か使える物なのかな」
「形は似ているが、用途はここで眺めても分からん。証拠としての確認が済んで返ってきたら、赤い宝珠と一緒にちゃんと調べる」
「それなら楽しみは帰ってからに取っておくよ」
魔術師の短杖も同じく記録され、黒い球と合わせて証拠確認が済み次第こちらへ戻されることになった。対魔法の枷、帳面、書状、複数名義の通行証は組合が預かり、逃げた奴隷商を追うための材料として使う。
帳面をめくっていた職員が途中で指を止め、同じ印の並んだ頁を組合長へ差し出した。
「名前のない大口の入金が何度もあります。受け渡しに使われている印も、王都方面へ荷を回す商人が使うものに似ていますが、これだけで相手までは特定できません」
「なら王都へ照会を回して、印と通行証の両方を洗え。似ているというだけで相手を決めつけるな。今の段階では、確認できたことだけで十分だ」
「承知しました。確認できた事実だけで照会を出しておきます」
帳面の件が片づくと、組合長は別の紙を取り出し、今度は馬車と二頭の牝馬へ話を移した。
「ベルクに出ている盗難届を確認したが、あの馬車と二頭に該当する届けはない。捕虜からも盗品だという証言は出ていないので、現時点では討伐戦利品としてお前たちへ引き渡す」
ロアンは一度レオンを見てから、聞き間違いでないか確かめるように組合長へ聞き返した。
「馬車だけじゃなくて、あの牝馬二頭も一緒に引き取っていいんですか。後から持ち主が名乗り出るまでは、こっちで面倒を見ていいってことですよね」
「まとめてだ。後から明確な持ち主が出れば、その時に改めて扱いを決めるが、今はお前たちの管理で構わん」
「それならバルトも寂しくなくなるし、馬車があれば酒樽や道具を一度に運べるね。今まで重さで諦めてた物も、かなり持ち帰れそうだ」
「働かせる話は明日からにしな。二頭ともずいぶん走らされてるんだから、あたしは休ませてやりたいよ」
馬車だけでも十分な戦利品だとレオンが考えていると、組合長は机の引き出しからさらに小さな革袋を取り出した。置かれた袋の中で、銀貨とは違う重い音がいくつか触れ合う。
「まだ報奨が残っている。採石場の盗賊団を壊滅させて七人を救出し、その後の追跡でもう一人を取り戻したうえ、生きた捕虜と証拠まで持ち帰った。全部まとめて、ベルク冒険者組合から金貨五枚だ」
ティルダは袋と組合長を見比べ、さっき宝珠へ伸ばさなかった手を今度は膝の上で握った。
「今、金貨五枚って言ったよね。銀貨五枚の聞き間違いじゃなくて、本当に金貨が五枚も入ってるの?」
「聞き間違いじゃない。金貨五枚で合ってるし、これでも街と組合が別に人を集めて同じ仕事を片づけるより安い」
組合長が袋の口を開き、五枚を机へ並べると、夕方の光を受けた金貨が狭い部屋の中でもはっきり光った。ティルダはとうとう椅子から半分立ち上がり、五枚の金貨を食い入るように見つめた。
「あたし、金貨を五枚まとめて見るの初めてだよ。これ全部を持って帰っていいなら、フレイにも絶対見せたいな」
「銀貨なら袋がかなり重くなる額なのに、金貨になるとこれだけなんだね。持って帰る荷は増えたのに、金の方は妙に小さくて緊張するな」
ロアンが覗き込む横で、ベラは金貨より先に帰った後の使い道を考え始めた。
「これだけあれば、値段を見て後回しにしてた道具も考えられそうだね。ミラは生活に使える物を選びそうだけど、フレイはまず工具を欲しがるだろうな」
「フレイは絶対工具だよ。あたしも欲しい物はあるけど、まず五枚並べて見せて、それからみんなで相談したい」
レオンが金貨を袋へ戻していると、エイルは金貨そのものではなく、その手元を見ながら口を開いた。
「俺の取り分はもちろんいらない。リュネを取り戻すためにお前たちは命をかけてくれた。これ以上を望んだら森の神に怒られる」
「本当にそれでいいのか。馬車も報奨も、エイルがいなければ取れなかった分があるぞ」
「リュネの命だけで十分だ」
「分かった。それなら全部まとめて持ち帰って、エルネにも経緯を話した上で共同の資産として扱う」
レオンは革袋の口を結び直し、懐の内側へしまった。
◇
広間へ戻ると、報告が終わるのを待っていたらしい冒険者が何人も残っており、酒杯を持った男がレオンたちを見るなり立ち上がった。
「話が終わったなら今夜くらい一杯やろうぜ。戻ってきた連中をそのまま宿へ帰したら、こっちまで祝い損ねた気になるだろ!」
「僕は行くよ。これだけ聞きたい話が集まってる夜を逃したら、吟遊詩人を名乗ってる意味がないからね」
「だったら楽器も持ってこいよ。今夜は誰も静かに飲ませる気なんかないぞ!」
「そこは交渉しよう。飲みながら弾くと、酒も演奏も両方中途半端になるから、どっちを先にするか決めてもらわないと困る」
周囲から笑いが起きると、ティルダもすぐ手を上げた。
「あたしも一杯だけ行くよ。今日はちゃんと褒めてもらえたし、採石場で殴り合って終わりじゃなくて、勝った気分を味わって帰りたい」
「席は空けとくから、好きなだけ話してくれ。赤い光で飛んだって話も、ちゃんと最初から聞かせろよ!」
その誘いを聞いていたリュネが少し身を乗り出したので、エイルは何か言いかける前に一度だけ息を止めたが、妹の方が先に口を開いた。
「私も少しだけ行ってみたいな。たくさん飲みたいわけじゃないけど、みんなが何を話して笑ってるのか、自分でも聞いてみたい」
「人が多いし、手首の腫れもまだ残ってる。昨夜も何度か目を覚ましていたから、できれば今日は宿で休んでほしい」
「それは兄さんが決めるんじゃなくて、私に頼んでるってことでいいんだよね。また勝手に決めたなら、約束が一日も持たなかったことになるよ」
エイルは広間の人混みと妹の顔を見比べたあと、今度は言い直さなかった。
「決めるのはリュネだ。ただ、兄として今日は休んでほしいと頼んでる。明日、体調が戻ってから街を歩くなら止めないし、次に誘われた時まで俺が断るつもりもない」
「それなら今日は宿にする。でも次に呼ばれた時は、私も自分で行くか決めるから、その時は隣で止めないでね」
「その時は一緒に行く。お前が行く場所なら、酒を飲まなくても付き合うくらいはできる」
「兄さん、お酒ほとんど飲まないのにそこまで言うなら、次は本当に連れていくからね」
リュネが笑うと、ティルダが兄妹を見ながら堪えきれずに口を挟んだ。
「エイルって、ほんとに心配性だよね。あたしたちの洞窟にも、放っとくと誰かの世話ばっかりしてるのが何人かいるから、たぶんすぐ馴染むと思うよ」
言い切った直後、ティルダ自身が何を口にしたか気づいて固まった。リュネは聞き慣れない言葉をそのまま拾い、首を傾げる。
「今の洞窟って、みんなが帰る場所のことだよね。兄さんが何日も一緒にいた人たちは、洞窟で暮らしてるの?」
ティルダが助けを求めるようにこちらを見るので、レオンはため息をつく代わりに、話す場所だけを決めた。
「隠すつもりはないが、広間で立ったまま話す内容でもない。宿で飯を食いながら、俺たちがどこから来たのかも含めて説明する」
「それなら聞かせて。兄さんが何日も一緒にいた人たちが、どこへ帰っていくのかは私も知っておきたい」
「宿へ着いたら話す。その前に温かい物を食って、少し落ち着いてからにしよう」
ベラがリュネの肩へ毛布を掛け直し、自分も兄妹と宿へ向かうと言った。レオンも酒場へ流れ始めた人だかりから一歩外れ、二頭の牝馬と馬車を先に休ませる方を選ぶ。
「俺も今夜は宿へ戻る。二頭を厩へ入れて、馬車の置き場も決めないといけないし、金貨まで持ったまま飲みに行く気はない」
「じゃあ僕とティルダで、みんなの分までちゃんと祝ってくるよ。明日の朝に顔を出せないほど飲む気はないから、そこは安心して」
「本当に祝うために飲むなら構わん。潰れるために飲んで、明日の確認を一つ増やすのだけはやめてくれ」
「分かってるよ。今日は帰ってきたことを祝いたいだけで、帰れなくなるまで飲むつもりはないからね」
ロアンは笑い、ティルダと一緒に待っていた冒険者たちの輪へ入っていった。その二人を迎える歓声がまた上がったが、今度の声は追跡中に聞いた怒号でも、誰かを急かす合図でもない。
リュネはしばらくその輪を振り返っていたものの、やがてエイルとベラの間で宿の方へ歩き出した。レオンも二頭の牝馬の手綱を取り、馬車を引いてその後を追う。懐へしまった革袋の中では、歩くたびに五枚の金貨が小さく触れ合っていた。




