炉還りは妹を取り返します
曲がり角から二頭立ての幌馬車が現れたとき、レオンは剣を抜いたまま街道の中央に立っていた。先ほど決めた位置から動かず、御者台の男がこちらに気づいて手綱を引くのを見届ける。ここまで追うあいだは急ぐことばかり考えてきたが、最後の最後で焦って人質を危険に晒すわけにはいかなかった。
馬車が速度を落とすと、幌の前後から護衛が降りた。盾と片手剣が二人、弩が二人、槍が一人。灰青色の外套を着た男は細身の杖を抜き、ほかの護衛が自然にその周りを囲った。水場で遠くから見たときには分からなかったが、こいつが魔術師らしい。
「道を空けろ。余計なことをしなければ、こっちも追わない」
盾持ちがそう言って一歩前へ出たので、レオンは剣先を下げずに答えた。
「馬車の女を置いていけ。話はそれからだ」
交渉になるとは思っていなかった。盾が上がるのと、後方の弩兵が大きく仰け反るのはほとんど同時だった。エイルの矢が右肩へ刺さり、弩が石の上へ落ちる。もう一人の弩兵が岩棚を見上げたころには、エイルはすでに位置を変えて次の矢をつがえていた。
「前を抜けろ! 止まるな!」
幌の中から男の怒鳴り声が飛ぶ。護衛たちはそこで散らず、前衛二人が馬車の前へ広がり、一人は魔術師の壁へ戻った。槍持ちはティルダを長い間合いで止め、残った弩兵はエイルを探しながら射線を取ろうとしている。こいつらも場数を踏んでいる、とレオンは思った。頭目を失った採石場の盗賊とは違う。誰を守り、誰を止めれば馬車を逃がせるか分かっている。
灰青色の男が杖を上げた。青白い光が杖先へ集まり、《雷槍》が岩棚を抉る。エイルは撃たれる前に斜面へ移り、木の根へ片足を掛けたところで身体を止めた。走りながら無理に射るのではなく、脚へ回していた魔力を背と肩へ移すように姿勢を作り、長弓を深く引き絞る。放たれた矢は魔術師を庇う盾をまともに叩き、受けた男の腕ごと外へ弾いた。
その隙をレオンは見逃さなかった。自分の前へ来た盾持ちへ踏み込み、一撃目を受けさせてから力を抜く。男が押し返そうと前へ出たところへ剣先を脇腹へ滑らせた。浅い。相手は崩れず、すぐに盾を戻して距離を取り直す。右から伸びた槍はティルダの槌が穂先を叩き落とし、低い身体のまま柄へ肩を入れて押し返した。
「こっちは押さえるから、レオンは前を見て!」
ティルダの声の後ろで、ロアンのリュートが鳴った。《戦歌》は身体を別人に変えるような力ではない。それでも、仲間の足音と剣戟の間へ一定の拍が通るだけで、次に踏み込む瞬間が揃いやすくなる。レオンは盾持ちの呼吸が乱れたところへもう一度剣を入れ、今度は相手を大きく退かせた。
「歌ってる奴を狙え!」
弩兵がロアンへ向き直る。弦を引き切るより早くエイルの矢が太腿へ入り、男は片膝をついた。それでも弩を捨てず、射角を変えようとする。その向こうでは魔術師が杖先をベラへ向けていた。
「ベラ、来るぞ!」
「見えてる!」
ベラは後方を塞いでいた《分炉》の火を必要な分だけ残し、石の露出した側へ身体を投げた。《雷槍》がすぐ脇を打ち砕き、飛び散った石片で肩から転がる。レオンの胸が一瞬冷えたが、ベラはすぐ肘をついて起き上がり、「直撃してない、まだ動ける!」と叫んだ。
前へ意識を戻す。魔術師を残したままでは押し切れない。エイルの矢は盾に阻まれ、ベラが火で退路を狭めても雷で崩される。前衛は盾と槍で足を止められており、馬車を逃がすための時間を相手に稼がれている。そのとき、ティルダと目が合った。
彼女は何も言わず、口元を少し持ち上げた。次の瞬間、足元の石が鳴り、十歩ほど先まで一気に間合いが消える。槍持ちが振り向くより早く二度目の赤い光が走り、ティルダは穂先の外を抜けて魔術師を庇う盾の脇へ出た。
そこでレオンにも見えた。胸当ての受け金具に収まっている赤い宝珠は、採石場の頭目から回収した《身体加速》だ。
理解が追いついたころには三度目の赤い光が走っていた。魔術師は杖を上げて術式を口にしかけたが、ティルダはすでに懐へ潜り込んでいる。低い位置から振り上げた槌がまともに入り、灰青色の身体が浮いて道脇の岩へ叩きつけられた。細身の杖が手から離れて石の上を転がる。
ティルダは倒れた相手へ構わず振り返った。槍持ちが迫っていたからだ。赤い光は薄れていたが、彼女はいつもの踏み込みで穂先を柄へ当て、外へ逸らしたまま横から胴を打つ。男は街道の端へ倒れ、起き上がれない。
魔術師が崩れたことで、敵の形も崩れた。レオンの前の盾持ちが一瞬そちらへ目を向けたので、盾の内側へ踏み込んで胸当ての継ぎ目へ刃を入れる。残った弩兵は後ろへ下がりながらなお弩を構えたが、ベラの炉火に進路を遮られ、エイルの矢を胸へ受けて倒れた。
「出せ! 今すぐ出せ!」
幌の中から声が飛び、御者が鞭を振る。二頭の牝馬が前へ跳び出し、最後に残った盾持ちがレオンと馬車の間へ割り込んだ。
「行かせねえ!」
「こっちも行かせる気はない」
ここで長く付き合えば、その分だけ馬車が遠ざかる。レオンは一合目を正面で受け、二合目を流し、相手が押し込もうと身体を開いた三合目で内側へ入った。剣を深く入れて男を倒したときには、馬車は岩の狭間を抜けて加速している。
側面の扉が開き、肩から革鞄を掛けた太った男が転げるように飛び降りた。牢番の話どおりなら、護衛でも御者でもなく、馬車に残っていたこの男が奴隷商と見ていい。男は着地で膝をつきながらも森へ向かって走り出した。
「エイル!」
弦が鳴り、矢が奴隷商の左肩を掠めて革鞄の帯を切る。鞄が街道へ落ちても男は振り返らず、そのまま木々の間へ逃げ込んだ。エイルはすぐ二本目をつがえ、弓を引きながら逃げる背中を追った。
レオンには、次の一射が届く距離に見えた。だからこそ叫んだ。
「エイル、妹が先だ! あいつは後だ。馬車を止め損ねたら、リュネをまた失うぞ!」
エイルの矢先が止まった。何日も追い続け、自分の妹を売り物として運ばせた男を、今なら討てる。それでも彼は弓を下ろし、遠ざかる馬車へ視線を移した。
「分かった。俺が先へ出る。レオン、馬車を止めてくれ」
それだけ言うと、エイルは街道を走らず右手の森へ飛び込んだ。レオンたち四人も馬車を追う。ベラは肩を押さえながら走り、ロアンはリュートを身体へ寄せ、ティルダは槌を背へ回した。誰も奴隷商の落とした鞄へ手を伸ばさなかった。今は拾っている場合ではない。
◇
二頭立ての幌馬車は、疲れているはずの牝馬を鞭で追い立てながら速度を上げていった。徒歩のレオンたちとの差は簡単には縮まらないが、街道は先で大きく左へ曲がる。馬車は道を外れられず、エイルは森を切って進める。前日にも見た速さを思えば、先回りできる可能性はある。
走るティルダの胸元で赤い宝珠が淡く光り始めた。三度使って弱くなっていた光が、早くも戻りつつある。
「レオン、これ、もう一回いけそう! 馬車までなら追いつけるかも!」
ティルダが受け金具へ手を掛けたので、レオンは走ったまま首を振った。
「やめろ。走ってる馬車へその装備で突っ込んだら、自分が止まれない。中にはリュネもいるし、馬を驚かせて横転させたら助けに来た意味がなくなる。ここはエイルに任せる」
前方の馬車を睨んだまま、ティルダは悔しそうに唇を噛んだ。それでも手を受け金具から離し、「分かった。止まったあとなら、ちゃんと自分の脚で行く」と返す。その判断ができるなら十分だった。
街道の曲がりへ入ると、先の林からエイルが飛び出した。道の中央には立たず、馬の頭を避けて御者だけを狙える位置をとる。御者が気づいて鞭を振り上げるより早く矢が飛び、右上腕へ突き刺さった。鞭が落ち、手綱が片側へ寄って馬車が大きく揺れる。それでも二頭は走り続けた。
レオンは街道の内側を走り、後部の踏み板へ手を伸ばした。一度目は届かず、二度目で指先が端へ掛かる。次の瞬間には足が地面から離れ、腕へ体重が一気にかかった。奥歯を噛んで身体を引き上げると、幌の中から女の短い悲鳴が聞こえた。
「そのまま中にいてくれ! 馬車を止める!」
返事を待つ余裕はなく、側面を伝って御者台へ回る。矢を受けた御者は片手で手綱を拾おうとしており、レオンが腕を押さえると肘を振って抵抗した。
「離せ、この野郎!」
「落ちたくなきゃ暴れるな。お前まで車輪の下へ入ったら面倒が増える」
狭い台の上で剣を抜く気はなかった。肩ごと床へ伏せさせ、腰の短剣を抜いて道へ落とす。そのまま手綱を取ったが、力任せには引かなかった。急に止めて脚を取られれば、二頭も馬車も横倒しになる。リュネを無事に取り返すために追ってきたのだから、最後に自分の手でひっくり返すわけにはいかない。
「よし、もう走らなくていい。急に止まらなくていいから、ゆっくり落としていこう」
栗毛の牝馬が耳を後ろへ向け、隣の青鹿毛も首を振った。レオンは声を掛けながら左右の手綱を揃え、少しずつ速度を落としていく。駆け足が速歩へ変わり、車輪の響きが軽くなる。さらに何十歩か進んだところで二頭はようやく止まり、白い息を吐きながらその場に立った。
レオンも大きく息を吐いた。御者を押さえたまま腰の革袋を探ると、いくつかの鍵が触れ合って鳴る。
「この鍵で中を開ける。妙なことをしたら、今度は手加減しない」
御者は矢の刺さった腕を押さえながら顔を背けた。
「好きにしろ。もう俺はやらねえ」
レオンが鍵束を持って馬車の後ろへ回ったときには、エイルがすでに扉の前に立っていた。ここまで一度も立ち止まれなかった男が、取っ手へ手を掛けたまま、ほんの一瞬動けなくなっている。
その横顔を見て、レオンは何も言わず鍵束を握り直した。やがてエイルが取っ手を引き、扉を開けた。
◇
馬車の奥に、一人のエルフが座っていた。黒い枷で両手を繋がれ、腰から伸びた短い鎖を床の金具へ留められている。淡い蜂蜜色に銀を混ぜたような髪は背中の半ばまで伸び、片側に作られていた細い編み込みは途中でほどけていた。頬には汚れがつき、唇は乾き、赤く擦れた手首が枷の下から覗いている。それでも胸は上下している。生きている。その事実を確かめた瞬間、エイルが息を呑んだのが、後ろにいるレオンにも聞こえた。
「リュネ……」
掠れた声だった。呼ばれた妹はゆっくり顔を上げ、大きな青緑色の目で兄を見た。最初は信じられないものを見たように瞬き、そのあと唇が震えた。
「……兄さん?」
「ああ。俺だ。遅くなった」
返事を聞いた瞬間、リュネの顔が崩れ、枷のついた両手を伸ばそうとして鎖が鳴った。身体まで前へ出ようとして、腰の鎖に引かれる。
「兄さん……兄さんっ!」
「怖かった……! ずっと、ずっと怖かったの。どこへ連れていかれるか分からなくて、あの人たちが何を話してるのか聞こえるたびに、次は私なのかなって思って……。兄さんが来るって、来てくれるって何度も思ったけど、それでも、もう会えないかもしれないって……!」
そこまで言うと、言葉より先に嗚咽が出た。息を吸おうとしても喉が詰まり、何度も兄を呼びながら泣く。枷のついた両手を何度も伸ばし、そのたび鎖が鳴った。兄の顔を見つけたあとになって、声も呼吸も抑えられなくなっていた。
エイルは馬車へ上がり、枷も鎖も構わず妹を抱き寄せた。普段の冷静さも、弓を引くときの迷いのなさも消えている。妹の髪へ頬を押しつけ、何度も同じことを確かめるように言った。
「生きててよかった。リュネ、本当に……生きててよかった。もう会えないなんて考えたくなかった。間に合わなかったらどうしようって、そればかりだった。生きててくれて、よかった……」
「私も会いたかった……! 兄さんに会いたかったよ……!」
「ああ。もう離さない。少なくとも今は、どこにも行かなくていい。俺がここにいるから、泣いていい」
その言葉でリュネはさらに泣いた。兄の胸へ額を押しつけ、枷のついた手で服を掴み、声が枯れるほど泣く。エイルは急かさず、背中へ腕を回したまま受け止め続けた。
レオンは鍵束を持って入口に立っていたが、しばらく割って入らなかった。今すぐ二人の間へ割って入る必要はないと思えた。
やがてリュネの泣き声が少し小さくなり、呼吸が戻ってくる。エイルは妹の顔を確かめるように覗き込み、頬についた涙を指で拭った。
「ごめんな。もっと早く見つけたかった」
「謝らないで。来てくれたから……兄さんが来てくれたから、もういい。すごく遅かったけど、ちゃんと来てくれたから」
泣きながらそんなことを言うので、エイルの口元がわずかに歪んだ。
「そこは遅いって言うのか」
「言うよ。私、本当に怖かったんだから。あとで何回でも言うからね」
「分かった。何回でも聞く」
兄妹の間にようやく少しだけ普段の調子が戻ったところで、レオンは鍵束を見せた。
「悪い。そろそろその枷を外すぞ。二人とも抱きにくそうだし、見てるこっちも邪魔に見える」
リュネは涙で濡れた顔のままレオンを見上げた。兄のほかにも人がいることを、そこでようやく思い出したようだった。
「あなたが、兄さんを連れてきてくれた人ですか?」
「逆だ。こいつが俺のところへ飛び込んできた。俺たちは、その話に乗っただけだ」
「でも、一緒に来てくれたんですよね。ありがとうございます。私、今ちゃんとお礼を言える顔じゃないですけど……本当に、ありがとうございます」
「礼は元気になってからでいい。今は手を見せてくれ」
鍵は三本目で合った。左右の枷と腰の鎖を外すと、黒い金具が床へ重く落ちる。リュネは解放された両手を胸元へ引き寄せ、赤く擦れた手首を撫でながら何度か指を曲げた。エイルはその手元へすぐ顔を寄せ、痛む場所を確かめようとする。
「手首のほかに痛むところはあるか。無理して立たなくていい。ここから先は俺たちがどうにかする」
「肩を少し打ったけど、動かせるよ。それより、精霊の声がまだ遠いの。枷が外れたらすぐ戻るかと思ったけど、厚い布を何枚も挟んで呼ばれてるみたいで、うまく届かない」
「だったら今日は何も頼まなくていい。戻るまで使わなくていいし、帰りも歩かせない。馬車があるんだから、座って帰ればいい」
「兄さん、私が戻ってきた途端に心配しすぎ。でも……今日はそれでいい。私も、まだ一人で大丈夫って言えるほど平気じゃないから」
最後の言葉を口にしたとき、リュネの目にまた涙が滲んだ。エイルは何も否定せず、妹の肩へ手を回した。
◇
街道を走ってきた足音が近づき、ティルダが最初に馬車へ追いついた。槌を背負ったまま荷台を覗き込み、エイルの横にいるリュネを見つけると、息を切らしていた顔が一気に崩れた。
「いた……! よかったぁ。ほんとにいた。ちゃんと生きてた……」
さっきまで魔術師へ突っ込んでいた勢いはどこへ行ったのか、ティルダは入口の縁へ手を置いたまま笑っているのに目を潤ませた。
「私さ、追いかけてるあいだ、間に合わなかったらどうしようって考えたら怖くなるから、ずっと考えないようにしてたんだよ。だから顔が見られて、ほんとによかった。エイル、妹ちゃん、ちゃんといたね」
エイルは妹の肩を抱いたまま頷いた。
「ああ。助かった。ティルダも、ありがとう」
「私だけじゃないよ。みんなで来たんだからさ。あと、妹ちゃんじゃなくてリュネだよね。私はティルダ。元気になったら、ちゃんと話そう」
「はい。ありがとうございます、ティルダさん」
「さんはいらないよ。そんなに立派じゃないし」
泣き疲れたリュネの口元に、そこでようやく小さな笑みが浮かんだ。
ベラとロアンもほどなく追いついた。ベラは自分の肩の痛みを後回しにして荷台へ上がり、まずリュネの顔色を見てから、擦れた手首と打った肩を順に確かめる。
「ずいぶん我慢したね。骨までいってる感じはなさそうだけど、身体は疲れ切ってる。今日はもう頑張らなくていいよ。水も食べ物もあるし、帰る足もできた。怖かった分まで急に元気になる必要なんかないから、まず休もう」
「……ありがとうございます。私、もう平気だと思ったんですけど、兄さんの顔を見たら全然平気じゃなかったみたいです」
「今まで泣く暇もなかったんだろ。水飲んで、泣けるだけ泣きな。今日はもう我慢する仕事は終わりだよ」
リュネはまた少し涙をこぼしたが、今度はベラの言葉を受け止めるように、ゆっくり頷いた。
ロアンは馬車の脇へ腰を下ろし、リュートを抱えたまま深く息を吐いた。喉を軽く押さえてから、馬車の中を見上げる。
「妹さんが本当に無事でよかったよ。僕、戦ってるあいだは歌ってれば余計なことを考えずに済んだんだけど、終わって顔を見たら急に怖くなってきたよ」
エイルはロアンへ顔を向け、しばらくその言葉を受け止めてから口を開いた。
「お前の歌には助けられた。採石場でも、さっきも。俺一人じゃここまで来られなかった」
「そういうの、今ちゃんと言うんだね」
「今だから言うんだ。妹が生きてた。だったら、助けてくれた奴には礼を言う」
思いがけず真っ直ぐな礼を受けたロアンは少し驚き、それから照れたように笑った。
「じゃあ、ありがたく受け取っておく。僕も生きて帰れそうだし、今日はいい日ってことにしていいと思う」
「いい日にしては、だいぶ殴られたけどね」
ベラが肩を押さえながら言うと、ティルダが自分の槌を見て笑った。
「私なんか、すっごい飛んだよ。あれ、フレイにも見せたかったなあ」
「見せなくていいよ。あんたの妹が見たら、次からもっと頑丈な留め具を作り始めるだろ」
「それは絶対やる」
笑いが広がった。大声で騒ぐほど元気が残っているわけではない。それでも、採石場からここまで張り詰め続けていたものが、ようやくほどけていくのがレオンにも分かった。
エイルはまだリュネのそばを離れなかった。リュネが水を飲むときも手を添え、咳き込めばすぐ背中へ手を回す。その様子を見ていたリュネが、涙の跡を残したまま少し困ったように笑う。
「兄さん、そんなに見てなくても私は消えないよ。怖かったし、まだ身体も変だけど、もう一人じゃないって分かったから。兄さんも少し休んで。ずっと私を探してたんでしょう?」
「休む。お前が落ち着いたらな」
「そう言って、私が寝るまで起きてるつもりでしょう。昔からそうなんだから。私のことを心配するのは嬉しいけど、兄さんまで倒れたら今度は私が困るよ」
エイルはすぐには答えず、妹の手を包んだまま少し考えてから口を開いた。
「分かった。今日はお前の言うことを聞く。生きてるのを見たら、それだけで気が抜けた。正直、俺ももうしばらく動きたくない」
「うん。それでいい。私も、兄さんがここにいてくれるなら、少し眠れそう」
その会話を聞きながら、レオンはようやく剣を鞘へ戻した。採石場へ踏み込んでから、次に何をするかを考え続けてきた。誰を倒すか、どこを追うか、いつ休むか、どこで待つか、どうやって馬車を止めるか。判断を間違えれば誰かが死ぬ場面が何度もあっただろう。
レオンは馬車の後輪へ背中を預け、地面へ腰を下ろした。脚の重さが急に戻ってくる。ベラがそれを見て水筒を差し出したので、受け取って一口飲んだ。
「お疲れ、レオン。あんたが座るまで長かったね」
「座る暇がなかったんだよ。馬車まで追いかけさせられた」
「自分から飛び乗ったんでしょうが。でも、ちゃんと止めてくれて助かったよ。中身ごとひっくり返してたら、帰ってからミラに何て説明するつもりだったのさ」
「それを考えたから、ひっくり返さなかった」
「なら上出来。今日はそれでいいよ」
ベラもすぐ隣の石へ腰を下ろした。ティルダは道端へ座り込み、ロアンはリュートを膝へ載せたまま空を見ている。馬車の中ではリュネが兄の肩へ寄りかかり、目を閉じたり開いたりしながら、それでもときどき確かめるようにエイルの服を掴んでいた。
レオンは水筒を膝へ置き、馬車の中をもう一度見た。泣き疲れた妹の髪を、エイルが不器用な手つきで撫でている。ティルダがそれを見てまた笑い、ベラもつられて頬を緩め、ロアンは何も歌わずにその空気を聞いていた。これでリュネを連れて帰れる。その事実がようやく胸の奥まで届き、レオンも小さく笑った。
「取り返したな」
エイルが顔を上げる。泣き腫らした妹を腕の中に置いたまま、今度ははっきり頷いた。
「ああ。みんなのおかげだ。リュネは生きてる。……本当によかった」
リュネは目を閉じたまま、その言葉を聞いていた。やがて兄の服を掴む手から少し力が抜け、安心したように身体を預ける。
冬の近い街道に、しばらく誰も立ち上がろうとしなかった。




