炉還りは買い物に行けません
職業が変わって三日後、レオンはベルクへ行くことになった。
ラトスでは揃わない薬品が二つ、上等な紙とインク、双子が頼んだ細い鋼線、それからベラが欲しがった香辛料。エルネが書いた買い物の控えは、以前なら商売のついでに頭へ入れていた程度の量だった。
「これだけか」
朝食のあと、大卓で紙を受け取ると、エルネは頷いた。
「今んとこはな。ベルクまで行くんだから、何か面白い品があったら見てきてもいいけど、定期分の酒も鉱石も持たなくていい。帰りも急ぎの荷はねえよ」
「ずいぶん軽くなったな」
「だから軽くしたんだべ」
エルネは当然のように言い、別の帳面へ戻った。
レオンは控えの紙を折って腰袋へ入れた。
外へ出ると、バルトは小型の荷車につながれていた。買い物の量だけなら鞍袋でも足りるが、紙の束や鋼線を馬の左右へ無理に括るより、荷台へ寝かせた方が傷まない。空荷に近い車体はいつもより高く見え、雨避けの油布と、帰りに増えた荷を固定する縄を積んであった。
ミラが馬房の前でバルトの鼻先を撫でていた。
「バルトさん、今日は荷物が少ないですね」
「帰りは増える」
「でも、行きは楽です」
バルトが鼻を鳴らした。
「本人もそう言ってるらしい」
「今日は分かりやすかったです」
レオンが荷車の前の腰掛けへ座ると、ベラが厨房の入口から顔を出した。
「香辛料、名前間違えるんじゃないよ。前の茶色い方じゃなくて、少し赤い粒のやつだからね」
「紙に書いてある」
「ならいい。あれ、肉に合いそうだったから楽しみにしてるんだよ」
「それは俺も楽しみだ」
ベラは満足そうに厨房へ戻った。
工房からは槌の音がしている。ロアンはまだ食堂で二杯目の茶を飲んでいた。誰もベルクへ同行するとは言わない。
以前なら、酒樽か鉱石か、何かしら売る荷を積んで歩いた道だった。
今日は買い物だけである。
「行くぞ、バルト」
バルトが軽く首を振り、荷車が動き出した。
◇
初冬の旧銀山道は、夏より歩きやすかった。
道端の草は勢いを失い、落葉した木の間から空が見える。代わりに、雨を含んだ落ち葉が車輪へまとわりつき、斜面の日陰には薄い霜が残っていた。
その日は日暮れまで旧道を進み、昔の待避小屋で夜を越した。屋根の端は欠けていたが、壁はまだ風を止める。レオンは荷車を壁際へ寄せ、バルトへ麦をやってから、自分は冷えた平焼きパンと燻製肉を食べた。
焚き火の明かりで買い物の控えを開く。薬品が二つ、紙とインク、鋼線、それからベラが念を押した赤い粒の香辛料。最後まで確かめてから紙を畳んだ。
「あの香辛料は間違えん」
バルトが干し草を噛みながら耳を動かした。
「お前に言ってない」
翌日の昼を少し過ぎたころ、旧銀山道とラトス道の分かれ道が見えた。
レオンはそこで一度車輪を見て、縄の緩みを締め直す。バルトへ水を飲ませ、自分も残りの平焼きパンを半分だけ食べた。
分かれ道から先はベルクへ続く道である。枯木宿へ向かう者も混じるため、人通りも旧道より増える。農家の荷車とすれ違い、ベルク方面から来た革商人を一台やり過ごした。
分かれ道を離れて少し進んだところで、道の左手に灰色の布が見えた。
葉を落とした灌木の向こうを、人影が一つ、木立と並ぶように歩いている。
街道を使わず、こちらと同じ方向へ進んでいた。
レオンは手綱を少し緩めた。
バルトの歩調が落ちる。
灰色も落ちた。
見間違いなら、それでいい。
だが、この辺りで道を外れて歩く理由のある者は多くない。ラトスへ行くなら分かれで北西へ入る。旧銀山道へ行くなら、さっきの分岐で曲がる。
ベルクへ向かうのに、木の陰を選ぶ理由はもっとない。
「止まれ、バルト」
荷車が止まった。
木立の灰色も止まる。
レオンは御者台から降りた。
「出てこい」
返事はない。
「灰色の頭巾だ。前にも人の後ろを歩いてただろ」
木の向こうで影が動いた。
次の瞬間、男はベルクとは反対の林へ走り込んだ。
「やっぱりお前か」
レオンは荷車の車輪へ石を噛ませ、バルトの手綱を太い幹へ二重に回した。
「ここにいろ」
バルトが不満そうに耳を伏せる。剣を抜き、林へ入った。
男は速かった。灰色の頭巾と枯葉色の上着が、冬枯れの林に妙によく馴染む。走る速さより、木の位置を選ぶのが上手い。レオンが幹を一つ避けるたび、その先で男の肩だけが見えて、また消える。
まっすぐ追うのをやめて右へ回る。この先には浅い沢がある。向こう岸は泥が深い。街道へ戻るつもりなら、男は沢へ落ちる前に左へ進む。枝の折れる音がした。レオンが速度を上げる。読みどおり、男が左へ向きを変えた。
その時だった。弦が鳴り、男の右太腿へ矢が刺さった。走っていた脚がもつれ、灰色頭巾が斜面へ転がる。男はすぐに起き上がろうとしたが、二本目の矢が右肩へ突き立った。
「ぐっ……!」
矢はどちらも深いが、急所からは外れている。レオンは剣を構えたまま、矢の来た方向を見た。 細い長弓を持った男が、木々の間から出てくる。
最初に目についたのは耳だった。肩甲骨近くまである淡い銀金色の髪を低い位置で束ね、その間から人間より明らかに長い耳が出ている。背は高く、手足も細長い。生成りの上衣に灰緑の重ね着、革の腕当て、木と角を使った留め具。腰には小さな革袋がいくつも下がり、森で使う物だけを長く選び続けたような装いだった。
顔立ちは、腹が立つほど整っている。ただし、目の縁は赤かった。涙を流した後のように充血し、顔の表面が擦れて少し荒れている。疲れだけではなさそうだった。
男は三本目の矢をつがえた。細身の身体なのに、弦を引くと上衣の背と肩だけが硬く張る。矢尻は迷わず灰色頭巾へ向いた。
「待て。殺すな」
レオンが声を掛ける。
「どけ。こいつが何をしたか知ってるのか」
低い声だった。
「知らん。だから聞く。お前は、なぜ追ってる」
弓手は矢を下ろさなかった。灰色頭巾が太腿を押さえ、歯を食いしばっている。少しの沈黙のあと、弓手が言った。
「妹を攫った一味だ。六日前、森の外れで襲われた。土を操る術師もいた。俺は逃げたが、妹は連れていかれた」
「こいつがいたのを見たのか」
「妹の腕を縛ったのがこいつだ。四日前に見つけてから追っていた。仲間のところへ戻ると思って、手を出さなかった」
灰色頭巾が唾を吐いた。
「耳長が。四日も木の陰を嗅ぎ回ってやがったのか」
弓が引かれた。
「殺すな」
レオンは男と矢先の間へ剣を差し入れた。
「妹を探すなら、そいつの口が動くうちに使え。どこへ連れていったか知ってるかもしれん」
弓手の視線がレオンへ移った。
「お前もこいつを追っていたのか」
「逆だ。俺を探してたらしい。理由はこれから聞く」
しばらくして、弓がわずかに下がった。
「……エイルだ」
「レオン」
「そいつが嘘を吐いたら」
「嘘を吐くつもりで聞く」
エイルはそこで一度、鼻の下へ手首を当てた。息を短く吐き、目を細める。レオンは剣を納めないまま聞いた。
「目もやられたのか」
「違う」
「毒か」
「呪いだ。森に長くいると出る。今はどうでもいい」
エルフが森で悪くなる呪い。不幸な話だったが、今聞くことでもなかった。レオンは灰色頭巾へ向き直った。
◇
灰色頭巾の両手を後ろで縛った。腰の短剣、袖に隠していた細い針、帯の内側の小刀まで外す。エイルは矢を抜かず、軸だけを折って傷の周りへ布を巻いた。
「急所は外してるな」
「死なせるつもりなら、最初から胸へ入れてる」
「妹が攫われた時も、相手の顔は見てたんだな」
エイルの手が止まった。
「……見ていた。だが、動くのが遅かった」
それ以上は聞かなかった。
灰色頭巾を太い木の根元へ座らせる。レオンは折った紙と炭筆を出した。
「まず、俺を探してた理由だ」
男は顔を背けた。
「知らねえよ」
「なら、前にベルクで俺を見てたのも偶然か」
「人違いだ」
「今日、俺を見て逃げたのも?」
男は黙った。レオンは炭筆を紙へ置いたまま返事を待った。エイルの弓は下がっているが、矢はつがえたままだった。灰色頭巾が舌打ちする。
「……頭が、お前と酒の出所を探せって言っただけだ」
「二か月もか」
「ずっと俺がやってたわけじゃねえ。人を攫う方が忙しい間は、そっちに人を取られてた。最近は買い手からの注文が減った。頭が、前に取り逃がした行商人と三つ火の品を調べろって言い出したんだよ」
「ラトスは?」
「知ってる。鍛冶屋が窓口になってるのもな。けど、あそこで酒も箱も作ってねえ。どこかから来てる。西から出てくる荷を追えって話だ」
洞窟までは掴まれていない。だが、ベルクからの方角を知られている。
「今日ここにいたのは?」
「道を見てただけだ。ラトスへ入る奴と、旧道へ曲がる奴をな。お前が来たから追った」
「仲間は?」
「今日は一人だ」
「その答えは後で確かめる」
レオンは紙へ短く書き込んだ。
「妹は!?」
エイルの声が変わった。灰色頭巾が目だけを向ける。
「俺が根城を出た時にはいた」
「いつ出た」
「四日前だ」
エイルが一歩前へ出た。
「なら、まだそこに」
「四日前にいたと、こいつが言ってるだけだ」
レオンが止めるとエイルは口を閉じた。灰色頭巾が薄く笑った。
「用心深いな、行商人」
レオンは一瞬だけ男を見た。訂正する必要はなかった。
「前にお前らに殺されかけてる。用心するのが道理だ。根城はどこだ」
「南東街道だ。途中で西へ外れる。昔の採石場がいくつかある」
「採石場は一つじゃない。どれだ」
男の目が少し動いた。
「一番奥。崖に食い込んだでかいやつだ。古い巻き上げ台が残ってる」
レオンは紙へ印を入れた。冒険者組合で以前聞いた採石場群の位置と合う。南東街道を通った時、遠くに削られた岩肌も見ている。
「人数は?」
「十五から二十。出てる奴がいるから日による」
「土術師は」
「一人いる」
エイルが低く聞く。
「今の話が本当だという保証は?」
「ねえよ」
灰色頭巾が矢傷に脂汗をかきながらも不敵に笑った。
「だろうな」
レオンは炭筆を止めた。
「だから確認する。頭は大柄な男で、右腕に赤い宝珠をつけてる。あれ、一度に五回くらい加速できたな」
「五回もできるか。三度だ。三度使ったら少し――」
灰色頭巾が口を閉じた。レオンは紙へ書く。
「間が空く。そこは俺も知ってる」
エイルがレオンを見た。レオンは続けた。
「人を攫って何をしてる? 誰に渡すんだ?」
「俺は運ぶ方じゃねえ。商人に渡すんだ。名前も知らねえ。頭と、何人かしか話さない」
「妹も売るのか」
エイルが聞いた。灰色頭巾は肩を動かそうとして、刺さった矢に顔を歪めた。
「耳長は値が違うって言ってた。傷つけるなって頭から言われてたよ。俺が出た四日前には、まだ牢にいた」
エイルの指が弓へ食い込んだ。
「それ以上、今こいつを殴っても時間しか減らない」
レオンが言う。
「分かってる」
答えは早かった。だが、エイルの目は灰色頭巾から離れなかった。レオンは紙を折った。
「場所と人数は分かった。こいつの言うこと全部を信じる気はない。二十人以上いるつもりで行く」
「行く?」
「俺一人で行くとは言ってない」
「四日前にはいたんだ。今すぐ向かわないと」
「急ぐのと、お前が死ぬのは別だ。妹を助けたいんだろ?」
レオンはエイルの弓を見た。エイルは答えなかった。
「戦える奴を連れていく。急ぐなら、準備をしろ」
弓が少し下がった。
◇
「こいつはどうする」
エイルが聞いた。灰色頭巾は木にもたれたまま、右脚へ体重をかけられない。肩も上がらない。
「ベルクへ連れていく。組合へ渡す」
「ベルクまで?」
「元々そのつもりで出た。話した捕虜を、面倒だから殺す理由もない。俺たちの住処へ連れていくのはもっとない」
「その間にリュネが売られたら」
「分かってる。だから迷ってる」
ベルクまで進めば、そこから戻るだけで日がかかる。組合へ引き渡し、必要な人数を揃え直す時間もいる。一方で、灰色頭巾をここへ置けば、仲間が見つけるかもしれない。連れて洞窟へ戻るという選択はない。
「少なくとも、こいつを連れたまま盗賊の根城へは行けない。ベルクへ渡すのが一番確実だ」
エイルは納得していない顔だったが、言い返さなかった。
「荷車へ乗せる。歩かせたら血が増える」
レオンは灰色頭巾を立たせた。男の右脚が崩れるが、肩を貸して荷車まで戻った。まず車輪の横へ座らせる。剣も短剣も取り上げてある。外套の内側、袖、帯、腰袋、靴の口まで改めて調べた。
「左脚を上げろ」
灰色頭巾が従った。レオンが足首の縄を少し緩め、荷台へ上げようと身体を支えた瞬間だった。男の左踵が荷車の鉄縁を強く打った。乾いた金属音。靴底の前から、指ほどの細い刃が飛び出した。
「死ね!」
縛られた身体ごと男が捻れ、左脚がレオンの喉へ跳ね上がる。レオンは身を反らした。刃先が顎の下を薄く切る。
もう一度蹴りが来る前に、弦が鳴った。矢が灰色頭巾の胸へ深く刺さる。男の身体から力が抜け、荷車の脇へ崩れ落ちた。
エイルは二本目をつがえたまま近づく。レオンは首へ指を当てた。脈は弱くなり、すぐに消えた。
「……死んだ」
「お前を狙った」
「ああ」
顎の下を指で拭う。薄く血がついた。レオンは男の左靴を脱がせ、裏返した。踵の内側に小さな金具がある。強く打ちつけると、靴底へ隠した刃が前へ滑り出す仕掛けだった。
「靴の口までは見た。底を見なかった」
「隠すなら、見られない場所へ置く」
「覚えておこう」
灰色頭巾の外套をもう一度調べる。地図も命令書もない。銀貨数枚、火打ち石、干し肉、小さな針と糸だけだった。
遺体を荷車へ載せる理由はなくなった。二人で道から離れた窪みへ運び、枯れ枝と落ち葉を被せて街道から直接見えない程度にする。埋めている時間まではない。
「近くに他の奴はいるか」
レオンが聞く。エイルはすぐに答えず、風の向きを見るように顔を上げた。目を閉じ、木々の音を聞く。その最中にも呪いとやらで苦しそうだったが、本人は気にした様子もなかった。
「今のところ、人が動く音はない」
「俺も探ろう」
レオンは周囲を一周した。
新しい足跡は灰色頭巾とエイル、それに自分のものだけ。道へ戻る時も来た跡をそのまま踏まず、石の多い沢沿いへ一度外れた。
買い物に行く予定だった。腰袋には、紙と薬と香辛料の控えがまだ入っている。レオンはそれを指で押さえたあと、来た道へバルトの頭を向けた。
「どこへ行こうとしている?」
「仲間のもとへ」
◇
分かれ道へ戻る手前で、レオンは荷車を止めた。
「ここから先は、俺たちの住処へ近づく」
エイルが旧銀山道の方を見る。
「妹を助けたいだけだ。場所を言いふらすつもりはない」
「誰にも話すな」
「約束する」
「それと、焦っても一人で出るな。灰色頭巾は一人だったが、ほかにも探してる奴がいるかもしれん」
エイルは少しだけ眉を動かした。
「お前は誰にでもそこまで疑うのか」
「疑ってる相手を家へ連れていかない」
旧銀山道へ入った時には、もう日が西へ傾いていた。来た道をそのまま踏まず、レオンは一度沢へ外れて石の多い場所を通り、夕暮れには往路でも使った待避小屋へ入った。
バルトへ水と麦をやり、荷車を壁へ寄せる。エイルは弓の弦を外して湿りを確かめ、矢羽根の乱れた二本を手元で直した。妹を探している男に眠れと言っても素直に寝るとは思えなかったので、レオンは見張りの順番だけを決めた。
「前半は俺が起きる。お前は寝ろ。夜半で交代だ」
「俺はまだ歩ける」
「歩けるかとは聞いてない。明日、森で足跡を読む奴が寝不足だと困る」
エイルは何か言いかけ、外した弓弦を革袋へしまった。
「夜半になったら起こせ」
「ああ」
翌朝は空が白む前に出た。旧道には霜が残り、荷車の車輪が薄い氷を割るたび乾いた音がした。エイルは道が開けるたびに足跡を振り返ったが、追ってくる者は見つからなかった。
昼を少し過ぎたころ、荷車は隠れ窪地へ下りた。最初にミラが出てきた。レオンとバルトを見て、それから空の荷台と、隣を歩く長い耳の男へ視線を移す。
「買い物は行かなかったんですか?」
「行っていない」
「早いと思ったら、代わりに人を連れて帰ってきたんですね」
「途中で事情が変わった」
エイルが荷車の脇で軽く頭を下げた。洞窟の奥からベラが顔を出す。
「何だい、その顎」
「かすっただけだ」
「そういうのは洗ってから言いな」
事情を聞く前に、ベラは水と布を取りに戻った。レオンもバルトを荷車から外し、水桶を馬房へ運んだ。
◇
大卓へ全員が集まった。エイルには温かい汁物が出された。本人は手をつけず、卓の上へ広げられた紙だけを見ている。レオンは道中で紙に書いた印を指した。
「灰色頭巾から吐かせた。前に俺を襲ったやつらの根城だ。話が本当なら、組合が前から警戒してた旧採石場群で合ってる。一番奥、崖へ食い込んだ大きな採石場。古い巻き上げ台が残ってる」
ロアンが弦を押さえる手を止めた。
「前にレオンをつけてた灰色頭巾?」
「あいつだ。最近は人攫いの仕事が一段落して、頭が俺と三つ火の品の出所探しへ人を回してたらしい。ラトスが窓口だというところまでは知られてる。ただ、ここまでは来てない。少なくとも死んだ本人は場所を知らなかった」
「ほかにも探してる人がいるってこと?」
フレイが聞く。
「ああ。だからしばらく出入りは今まで以上に跡を残さない。ラトス側もエルネから親方へ一言入れてくれ。ただし、余計なことは話すな」
「分かったべ。『変な奴が荷の出所を聞いても答えるな』くらいでいいな」
「それでいい」
レオンは紙の数字を指した。
「人数は十五から二十と言った。二十人以上いるつもりで行く。土術師が一人。頭は前に俺を襲った、《身体加速》の宝珠持ちの大男でほぼ間違いない。三回続けて加速した後、少し間が空く」
ティルダが身を乗り出した。
「土術師って、壁も作る?」
「そこまでは聞いてない。前に俺がやられた時は足場を泥にして、土を盛り上げた。採石場なら使い方は増えると思っとけ」
「分かった」
ティルダはそれだけで座り直した。レオンはエイルへ目を向けた。
「妹のことは自分で話せ」
エイルは卓へ片手をついた。長い指には細かな擦り傷があり、爪の間へ土が入っている。
「妹はリュネ。七日前、森の外れで襲われた。俺が気づくのが遅れた。土術師に足を止められて、妹を連れていかれた」
声は平らだった。
「昨日捕まえた灰色頭巾は、その四日前に根城を出た時にはまだリュネがいたと言った。戦うのは得意じゃない。精霊の力を借りられるが、薬草や素材を扱う方が得意だ」
そこで言葉が途切れた。エイルは卓の縁へ置いた指に少し力を入れた。
「俺だけでは取り戻せなかった。頼む。手を貸してほしい」
誰もすぐには答えなかった。ベラが立ち上がり厨房へ戻る。しばらくしてベラは、燻製肉を挟んだ固いパンを二つ布へ包み、水筒と一緒に卓へ置いた。
「食べな」
「今は」
「何日も森を走り回ってたんだろう? その顔でまだ腹減ってないって言うか? あたしはあんたの言葉より自分の目を信じるよ。妹さんを助ける前に倒れたら余計な手間が一つ増える。歩きながらでも食べな」
エイルは包みを見た。
「……ありがとう」
「礼は妹さん連れて帰ってからでいいよ」
ベラは椅子へ戻らず、棚から遠出用の食料袋を下ろした。
「若い娘を攫って、値をつけて売ろうってんだろ。そんな話を聞いて、ここで飯だけ食わせて帰れなんて言えるかい。ここで見捨てちゃ女が廃るよ」
レオンはベラを見た。
「行く気か」
「何のために食料出してると思ってんの」
その返事より先に、ティルダが立ち上がっていた。
「私も行く。人攫いは普通に胸糞悪いし、今の装備と槌が人相手でもどこまで通るか…腕がなるよ」
「実験じゃないぞ」
「分かってるって。実験だけなら別のとこでやるよ」
ティルダは工房の方を振り返った。
「フレイ、肩の留め具だけ見て」
「今?」
「今でしょ」
フレイは一瞬だけ姉を見たあと、ため息をついて立った。
「どうせ『大丈夫』って言って、姉ちゃんはそのまま行くんだから…私が点検する」
ロアンはそのやり取りを見ながら、椅子の横に置いた楽器を膝へ載せた。弦を一本ずつ鳴らす。
「二十人以上でしょ。みんな行くなら、僕も行こうかな。戦歌がある方が人数差も少し楽になるでしょ」
「ロアンは残っててもいいよ」
ベラが食料袋の口を開けたまま言った。
「そう?」
ロアンはベラの方を見た。
「でもベラが前へ出るなら、後ろで歌う人くらいいた方がいいでしょ。僕、剣で二十人相手にするよりはそっちの方が得意だし」
「前へ出るって決めたのはあたしだけどね」
「だから僕も自分で決めた」
ミラは卓の紙と、エイルの顔を交互に見ていた。
「助けに行くんですよね?」
レオンを見る。
「ああ」
それで終わった。エイルの視線が一人ずつ動いた。ベラは食料を数えている。ティルダはもう工房へ向かい、フレイがその後ろを追っている。ロアンは替えの弦を袋へ足した。エルネは立ったまま、棚から古い街道図を引っ張り出している。
誰も、行くかどうかの相談をしていなかった。
「……本当に、来るのか」
エイルが言った。レオンは紙を畳んだ。
「俺も一度あいつらにやられてる。このままで済ませる気はない。それに、俺たちの荷の出所まで探し始めた。放っておけばまた来る」
エイルは何か言おうとしたが、レオンは先に続けた。
「礼は連れ戻してからでいい。まず妹だ」
ミラがエイルの前の木椀を少し押した。
「冷めます」
エイルはそこでようやく、汁物へ手を伸ばした。
◇
レオンは頭の中で戦力を比較した。キュウを連れていけば前衛は厚くなるが、採石場はベルクの南東街道に近い。外で地竜を連れ回せば、人目に触れた時の面倒が増える。フレイは工作や罠の知識があるが、今回必要なのは正面で敵を止められる方だった。
「行くのは俺、エイル、ロアン、ベラ、ティルダ。フレイは残ってくれ。ミラとエルネも留守を頼む。キュウも今回は置いていく」
「きゅう」
長卓の下にいたキュウが、すぐに頭を上げた。
「お前はここの守りだ」
「きゅう!」
「お肉を少し増やして待っていましょう」
ミラが言うと、キュウはそちらを見た。
「それで納得するのか」
「まだ分かりません」
レオンは入口の向こうにいるバルトへも目をやった。
「バルトも置いていく。五人で動くのに、一人だけ馬へ乗っても速くならない」
レオンは壁へ掛けてある周辺地図を外し、卓へ広げた。ベルクから南東街道を下り、旧銀山道へ入る手前を西へ外れる。道だけを使うなら、洞窟からいったんベルク側へ大きく回り込むことになる。
「急ぐなら、街道を使わなければいい」
エイルが言った。
「どう行く」
エイルの長い指が、洞窟の位置から地図の東へ真っすぐ滑った。
「森を抜ける。途中に川があるなら、渡れる場所を探す。そのまま東へ進めば採石場群の西側へ出られる」
「橋はないぞ」
「橋が要るのは荷車を通す時だ。五人なら浅い場所を探せる。増水していれば回るしかないが、街道を何日も歩くより早い」
レオンは地図を見直した。道として引かれた線はない。だが、徒歩で森と川を越える前提なら、採石場はほぼ東にある。
「森の中で方角が分るか?」
「俺は森で育った。町の路地よりは間違えない」
目はまだ赤く荒れている。それでも言い方に迷いはなかった。ロアンが地図を覗き込んだ。
「頼もしいね。僕は森だと、木が全部同じに見えるけど」
「木は全部違う」
「今のはたぶん、僕が説明されても分からないやつだね」
エイルは本気で首を傾げた。レオンは地図の上へ炭で細い線を一本引いた。
「これで行く。渡れなければ南か北へずらす。暗くなるまでに、入れるところまで森を進む」
そこまで決めてから、全員が立った。フレイは工房でティルダの肩当てを外し、留め具を締め直している。エルネは旧街道図と食料の量を照らし、ベラへ不足を伝える。ミラは水筒を順に満たした。
ティルダが腕を大きく回した。
「これなら平気」
「姉ちゃん」
フレイが留め具を指で押した。
「無理に受けないでね。これ、盾じゃないから」
「分かってる」
フレイは納得していない顔だったが、それ以上は止めなかった。
レオンは全員の装備を見た。ベラは腰に短剣を差し、ロアンは楽器と腰の短剣を持っている。ティルダは槌に肩と胸まわりの重い防具を重ね、エイルは長弓と矢筒を背負っていた。
「一つだけ確認する」
ティルダがこちらを見る。
「相手は魔物じゃない。降伏した奴、武器を捨てた奴は殴るな」
「分かってる。戦ってる奴だけでしょ」
「それでいい」
ベラもロアンも何も言わない。二人には言うまでもなかった。エイルはすでに弓を背へ回していた。
外へ出ると、初冬の空はもう色を薄くしていた。 二日前の朝は、ベルクへ紙と薬を買いに行くはずだった。レオンは馬房のバルトへ寄り、その首を二度叩いた。
「今日は留守番だ」
バルトが鼻を鳴らした。
「俺もそのつもりじゃなかった」
腰袋の中には、まだ買い物の控えがある。レオンはそれを取り出し、一度見たあと、折り直してしまった。紙も薬も香辛料も、また今度だ。
「行くぞ」
五人は窪地を出た。
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