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帰り火の洞窟 ~役立たずと追放された少女、拾った洞窟を仲間たちの帰る場所にします~  作者: Rastarock
帰り火に集うもの

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商会員は村に窓口を作ります

 エルネが帰り火で暮らし始めてから、数日が過ぎた。


 朝食のあと、大卓の端には帳面が三冊並んでいた。


 一冊はレオンが昔から使ってきた売買帳。もう一冊は、酒や青魔鉄、冷蔵箱など、帰り火から外へ出す物をエルネが書き分け始めた帳面。最後の一冊はまだ薄く、表紙に《受取・注文》とだけ書いてある。


 エルネはその三冊を行ったり来たりしながら、冷蔵箱の頁で指を止めた。


「この肉屋の箱、二つ目の石まで使い切ったんだべ?」


「ああ。二つとも持ちは大きく変わらなかった。開け閉めが多ければ少し短くなる。店主も扱いには慣れた」


 レオンは向かいで旅袋の口を締めていた。今日はラトスへ出るというので、ベラが包んだ昼食と水袋が脇に置いてある。


「じゃあ、そろそろ試しじゃなく金を取れるな。貸してる間の代金と、石の交換。それから修理まで込みで話を決めるんだろ?」


「そのつもりだ。次にベルクへ行くまでに条件をまとめる」


「そこなんだよなあ」


 エルネは帳面を閉じなかった。冷蔵箱の欄には、ベルクまで四日と小さく書き足してある。


「石が弱ったら、おめぇが持っていく。金具が壊れたら、おめぇが見に行く。箱が歪んだら双子を連れてく。今は一軒だから回るけど、三軒、五軒になったらどうすんだ?」


「全部俺が行くとは言ってない」


「なら、誰が受ける?」


 レオンの手が止まった。


 エルネは急かさず、卓の上にあった小氷魔石を一つ摘まんだ。白く曇った青い石は、布越しでも指先が冷える。これを交換するだけなら、鍛冶師である必要はない。だが箱そのものには蝶番も留め金もある。扉の噛み合わせが悪くなれば、冷気は逃げる。


「売って終わりじゃねえ商売はな、客が困った時にどこへ言えばいいかまで決めて、やっと商売になるんだべ。おらがいた商会でも、品物より先に苦情の行き先決めろって、ずいぶん言われたもんだ」


「ラトスに、付き合いのある鍛冶屋がいる」


「箱の金具くらいなら直せるか?」


「見せれば分かる。青魔鉄の取引がある親方だ。腕も悪くない」


 そこでレオンは、旅袋の横へ置いてあった木箱を顎で示した。


 ティルダとフレイがベルクの試験箱と同じ作りで組んだ冷蔵箱だった。今日は売るためではなく、親方に構造を見せるために持っていくらしい。上部には小氷魔石を収める小部屋があり、扉は二重。内側には取り外せる蓋が二枚入っている。


「だから今日、ラトスへ持っていく」


 エルネは箱とレオンを見比べた。


「そこまで考えてたんなら先に言えよ。おら、朝から一人で賢そうな顔して損したべ」


「修理を頼めるか声をかけようと思っていた。帳面は問題無さそうか?」


「帳面見たから、修理の話してんだよ」


 レオンは返事の代わりに旅袋を持ち上げたが、すぐにもう一度卓へ置いた。


「その前に、職業札を見せてくれ。仕事を分けるなら、できることは知っておきたい」


「今さらか?」


「仕事を分けるなら今さらでも見る。見せたくない技能まで出せとは言わん」


「別に隠すほど面白いもん出ねえぞ」


 エルネは胸元から札を外した。


 商会へ入った頃から何度も見てきた板だ。異動のたび、上役が変わるたび、仕事を任せる前にはたいてい同じことを聞かれた。今さら緊張もしない。


 開示する項目を選ぶと、表面へ白い文字が並ぶ。


《職名――商会員》


《帳簿管理 Lv5》

《算術 Lv4》

《筆記 Lv4》

《在庫管理 Lv4》

《商談 Lv3》

《荷役管理 Lv3》


 レオンは一番上から順に見て、《帳簿管理》のところでもう一度目を止めた。


「五か」


「三十年近く同じようなことやってりゃ、そんくらいにはなるべ。帳簿だけ書いてたわけじゃねえけどな。荷が着かなきゃ倉庫見に行ったし、数が合わなきゃ店まで戻ったし、客が怒ってりゃ頭下げた。商会員なんてそんなもんだ」


「商談は三なんだな」


「おめぇみたいに初対面の相手と値段殴り合う仕事は、そこまで多くなかったからな。決まった相手と決まった品を、決まった日に回す方が長かった」


「十分だ」


 それだけ言って、レオンは札から目を離した。


 褒め方が短い男だ、とエルネは思ったが、嫌な短さではなかった。


「じゃあ、今日はおらも行くぞ」


「最初からそのつもりで飯が二人分ある」


 厨房の方からベラの声が飛んだ。


「今さら気づいたのかい。干し肉まで二人分包んだんだから、途中で昔話に夢中になって昼飯忘れるんじゃないよ」


「忘れねえよ。ここの飯は楽しみにしてんだ」


「そこは信用できるね」


 エルネは札を胸元へ戻し、三冊目の薄い帳面を旅袋へ入れた。


     ◇


 ラトスへ向かう日は、ベルクへ出る時より荷が少ない。


 バルトの引く二輪荷車には、鍛冶屋へ見せる冷蔵箱と、荷受商へ卸す林檎酒が一樽、それに二層から持ち帰った古金属を打ち直した釘や蝶番の小箱が載っていた。交換用に持ち出した小氷魔石も数個、厚い布へ包んで冷蔵箱の脇へ固定してある。


 以前のレオンなら、ベルクで仕入れた塩や油、金物まで積んでラトスへ運んでいた。今は洞窟から出す品だけでも荷が作れるうえ、ベルクとラトスの間を薄い利のために往復する余裕もない。ラトスへ用事がある時に売れる物を少し持ち込み、帰りに洞窟で足りない物を買うくらいでちょうどよかった。


 レオンはバルトの横で手綱を引き、エルネも荷車の反対側を歩いた。


 洞窟から旧道へ出たあと、村が近づく前にいったん林へ入る。


 エルネは最初の日に《帰還》で洞窟へ来たので、この道を通るのは初めてだった。草に埋もれた旧銀山道から木立の中へ折れ、涸れ沢を踏んで現在の街道へ出る。案内も目印もない。知らなければ、わざわざ入ろうとは思わない道だった。


「客に『修理したいから店へ持ってく』って言われても、ここ教えられねえな」


「教えない」


「だよな」


 レオンは迷わず林を抜ける。何度も通っているらしく、荷車が低い枝へ触れない場所も、車輪を大きな石へ取られない場所も決まっていた。バルトも慣れたもので、レオンが強く手綱を引かなくても、いつもの轍をたどっていく。


 エルネはその背を見ながら、昔のことを思い出した。


「この前、肉屋で途中まで話しただろ。王都で水汲み機を貸してた店の話」


「まだ続くのか」


「必要なら続けるべ。あそこも最初は、本店の職人が全部直しに走ってたんだよ。水を上げる腕木の留め具が緩んだだけでも呼ばれてな。機械そのものは悪くなかったのに、待たされる客が怒るし、職人は修理ばっかで新しい物を作れねえしで、しばらく大変だった」


「それで?」


「近くの金物屋で直せるところは、そっちに回すようにした。難しいところだけ本店でやる。何でも自分とこでやるのが丁寧ってわけじゃねえんだよ。待たせない方が丁寧なこともある」


 レオンはしばらく黙って歩いた。


「その店は潰れた?」


「潰れてねえよ。だから覚えてんだ。潰れた店の話なら、もっと長いぞ」


「今日はそっちはいい。ラトスへ着くまでに日が暮れる」


「そう言うと思ったべ」


 街道へ出ると、麦を積んだ荷車が一台、ベルク方面へ向かっていた。御者がレオンへ片手を上げ、レオンも軽く返す。エルネには見覚えのない男だった。


「知り合いか?」


「顔を知ってるだけだ。ラトスからベルクへ麦を運ぶ」


「顔を知ってるだけの相手、多そうだな」


「長く行商してれば増える」


 その答えを聞いて、エルネは少し笑った。


 ベルクで見ていた時も思ったが、レオンの商売は一冊の帳面から突然生まれたものではない。道を知り、門番に顔を覚えられ、荷を預ける店があり、値段を二往復で決められる相手がいる。本人が全部やってきたからこそ、全部が本人へ集まっている。


 なら、ほどくにしても、元からある糸を切る必要はなかった。


     ◇


 ラトスの門では、門番がレオンより先にバルトを見た。


「今日はずいぶん四角い荷だな。樽じゃないのか」


「売り物じゃない。鍛冶屋に見せる」


「また変な物持ち込んだら親方に怒られるぞ」


「変かどうかは親方が決める」


 門番はエルネへ視線を移した。


「こっちは?」


「仲間だ。これから商売の手伝いをしてもらう」


「エルネだ。しばらくレオンと一緒に来ることがあると思う。よろしくな」


「レオンより愛想あるな。そっちが値切り担当なら助かるんだが」


「値切るのはあいつだぞ。おらは後で帳面見て文句言う方だ」


「厄介な奴が増えてるじゃないか」


 門番は笑いながら入村料を受け取った。


 村へ入ると、レオンは鍛冶屋へ直行しなかった。


 共同倉庫の近くにある荷受商へ寄り、林檎酒の樽と金物の小箱を下ろす。店の男はレオンを見るなり荷台を覗き込み、最初に林檎酒の焼き印を確かめた。


「今日はこれだけか。昔は油壺まで積んできたのに、ずいぶん小さい商いになったな」


「今日は冷蔵箱を持ってくる用事が本題だ。空いた荷台に積める分だけ持ってきた」


「ベルクの物は、もうこっちへ流さないのか?」


「頼まれ物でもなければな。ベルクから四日運んで、またここまで持ってくるほどの利はない」


「そりゃそうか。その代わり、最近は変な物を持ってくるようになったけどな」


 店の男はそう言って、林檎酒の樽を軽く叩いた。


「酒はいつもの値でいい。こっちの金物は?」


「釘と蝶番。普通の鉄だ。数は札に書いてある」


 店員が小箱を開け、形と数を確かめる。林檎酒も金物も量は少なく、値段はすぐに決まった。


 レオンは受け取った硬貨を数えると、今度は店内の棚へ目を向けた。


「帰りに塩と乾燥豆、それから細い麻紐を買う。豆は一袋でいい」


「売りに来たついでに買って帰るのか」


「逆だ。どうせラトスへ来たから、売れる物も持ってきた」


 店の男が笑い、エルネは横から口を出さず、そのやり取りを薄い帳面へ書き留めた。


 エルネは横から口を出さず、薄い帳面へ店の名と今日の日付だけ書いた。


 外へ出てから、レオンが訊いた。


「何を書いた?」


「今は取引先の名前だけだ。おめぇの帳面から全部書き写す気はねえよ。ここで何を受けてもらえるか知りたかっただけだ」


「なら、あそこは今まで通りでいい」


「おらもそう思う。今まで回ってるところを、仕事始めた途端にいじる奴はだいたい嫌われる」


 レオンが一度、エルネを見る。


「経験ある言い方だな」


「ある。おらが若い頃にな」


「昔話は歩きながら聞く。鍛冶屋へ行くぞ」


「まだ一言しか話してねえべ」


     ◇


 鍛冶場では、前と同じように朝から炉が赤かった。鎚の音が止むのを待って入口から声をかけると、親方が作業台の向こうから顔を上げた。


「レオンか。今日は鉱石じゃなさそうだな」


「修理の仕事を持ってきた」


「壊してから来い。まだ壊れてない箱を持って修理頼む馬鹿がいるか」


「壊れる前に、修理を受けてもらえるか話を決めに来た」


「もっと面倒な方か」


 親方はそう言いながらも、若い職人へ作業の続きを任せた。


 荷車から冷蔵箱を下ろす。二人で作業台の脇へ運ぶと、親方はまず三つ火の焼き印を見た。それから扉を開け、二枚の内蓋を外し、上部の小部屋へ指を入れる。


「これは冷やすための道具か?」


「小氷魔石を入れる。冷気が中を回るようにしてある」


「作ったのは誰だ?」


「仲間のドワーフで姉妹だ。鍛冶と機構をやる」


「なら、金具を見る限り腕は悪くなさそうだな」


 親方は蝶番を二度動かし、留め金を外して噛み合わせを見た。底の排水穴へ細い棒を通し、側板を拳で軽く叩く。


「箱そのものは木だが、扉の反りを削って合わせるくらいならここでやれる。蝶番と留め金、それから石を置く金具も直せる。この程度なら特別な道具はいらん」


「ベルクで一台、試してる。今度から貸し出しにする。石の交換と修理もこちら持ちにするつもりだ」


「こちら持ち、ってどこだ。お前の寝床は知らんぞ」


 親方の言葉に、エルネはレオンを見る。


 まさにそこだった。


「だからラトスで受けてもらえねえかと思ってな」


 エルネが口を挟むと、親方の目が初めてこちらへ向いた。


「誰だ、あんた」


「エルネ。今度からこいつらの商売を手伝う。王都の商会で長く働いてた。箱の軽い修理をここで受けてもらえりゃ、いちいち作った本人を呼ばなくて済むべ」


「軽い、の線引きは?」


「金具、蝶番、留め具、扉の調整。親方が見て、直すより箱を替えた方が安いならそこで止める。胴に穴が開いてるようなもんまで、意地で繕ってくれとは言わねえよ」


 親方は冷蔵箱へ手を置いたまま、しばらく考えた。


「先に言っとくが、ベルクまで俺が直しに行くのはなしだぞ」


「行かなくていいべ。交換用の箱を何台か、ここへ置かせてもらいたいんだ」


 親方が眉を上げた。


「壊れたら、まず向こうから知らせてもらう。金具や蝶番くらいなら、戻ってきた箱を親方に直してもらう。交換した方が安いなら、ここにある箱を荷運びに渡してベルクへ送る」


「壊れた方は?」


「帰りの荷でこっちへ戻す。親方が見て、直せるなら直す」


「なるほどな。で、修理代は?」


「材料と手間は払う。蝶番や留め金みたいな軽い修理は、普段の保守としてこっちで持つ。箱本体まで壊した時は、客に修理の実費か交換費用の安い方を払ってもらう」


「勝手に『親方なら直せる』で話を売ってから来たんじゃないだろうな」


「そこまで図々しけりゃ、交換用の箱まで黙って置いてくべ」


 親方の口元が少しだけ動いた。


 レオンが腕を組む。


「どうだ」


「仕事としてなら受ける。ただし、急ぎだから今すぐ炉を止めろって話はなしだ。先に入ってる仕事がある時は待たせる」


「それでいい。交換用があるなら、客を待たせることも少ないべ」


 親方の口元が少しだけ動いた。


 レオンと親方のやり取りは早かった。


 エルネは、条件の足りないところだけ帳面へ書き足していく。誰がどこまで直し、費用をどう扱い、直せない時にどうするか。そこまで決まれば、客へ説明する言葉もそう長くならない。


 親方がその手元を見た。


「それ、何の帳面だ」


「今日から作ってる。冷蔵箱だけじゃなく、三つ火の印の品について注文が来たら、誰が何を頼んだか残す用だ。今まではレオンが全部持って帰ってたみてえだからな」


「ふうん」


 親方は入口の方を見た。


 鍛冶場の前を、桶を抱えた女が通っていく。通り過ぎる途中で冷蔵箱へ目をやり、少し歩いてからもう一度振り返った。


「その箱、ベルクで使ってるって言ったな」


「ああ」


「村でも貸す気はあるのか?」


 レオンが答える前に、エルネは親方の顔を見た。


「欲しいやつがいればな。ただ、まだ数はいくらでも出せるってほどじゃねえ。石だって使う」


「なら、うちを窓口にしろ」


 今度はエルネが聞き返す番だった。


「ここを?」


「冷蔵箱の修理で客が来るなら、どうせ話は俺が聞く。石の交換だけで来た客を、お前らの居場所まで案内するわけにもいかんのだろ。だったら、注文もここで受けときゃ一度で済む。つまり、一枚かませろってことだ」


 お道化た表情を作り、親方は作業台の端を指で叩いた。


「うちは今、炉が埋まるほど仕事があるわけじゃない。修理が増えるなら悪くないし、三つ火の品を見に来た客が釘一本買ってくことだってある。荷を何樽も預かれって話なら断るが、注文を聞くくらいならやる」


 話が早い。エルネは嬉しくなって口を開きかけ、いったん閉じた。ここで自分だけで条件を決めれば、さっきまで「今まで回ってるところを急にいじるな」と言っていた意味がなくなる。


「レオン、どうだ?」


 話を振ると、レオンは親方を見た。


「注文一件ごとに手数料を払う。受け取るのは名前、品、数、受けた日。金は前払いにしない。値段が変わる物もある」


「手数料はいくらだ」


 親方がすぐに返す。そこから先は、エルネより二人の方が早かった。親方が出した額をレオンが少し下げ、レオンの額を親方が鼻で笑う。二度ほど行き来したところで、双方が面倒にならない額へ落ち着いた。


「昔から、その半端なところで止めるよな」


「丸めるとお前が得する。昔からそうだ」


「その台詞も昔から何度も聞いたぞ。少しは変えろ」


「なら説明が省ける」


 エルネは思わず笑った。


「なんだ」


「いや。おめぇら、仲いいなと思って」


「よくない」


 二人の声がほとんど同時に重なった。


「そこは合うんだな」


 親方は面倒そうに片手を振った。


「帳面を貸せ。受けるなら、何を書けばいいか決めろ」


 エルネは薄い帳面を開いて、最初の頁へ四つだけ書いた。


《名前》

《品》

《数》

《日》


「これだけでいい。修理なら、壊れた場所を一言足してくれれば助かる。細かいことは、おらかレオンが来た時に聞く。親方に商会の帳場までやらせる気はねえよ」


「それならできる」


「石の交換も頼みたい。新しい小氷魔石はこっちから持ってくる。弱った石を受け取ったら、同じ数だけ渡して、日だけ残してくれ」


「石を勝手に売るのは?」


「なしだ。冷蔵箱に貸してる分だけ。数が合わなくなったら、おらが泣く」


「泣くのか」


「五十近いおっさんが帳面抱えて泣くぞ。見たくねえだろ?」


「絶対に数は合わせる」


 若い職人が奥で吹き出した。


 親方は振り返って睨んだが、自分も少し笑っていた。


 話がまとまると、レオンは持ってきた小氷魔石を二つだけ親方へ預けた。厚い布で包み、冷蔵箱用と書いた木札を結ぶ。


「最初から二つでいいのか?」


 親方が聞く。


「今はベルクに一台だけだ。次に行く時、正式な条件を肉屋へ出す。増やすなら、その前に石も増やす」


「宿が一台見たがってるって話だったな」


 エルネが言うと、レオンが頷いた。


「約束はしてない。貸せる数を見てからだ」


「それでいい。注文を受ける口ができたからって、作れる数まで増えるわけじゃねえしな」


 親方は冷蔵箱の扉を閉めた。


「で、これは置いてくのか?」


 レオンは少し考え、エルネを見る。


「どう思う」


「見本に置いとけば話は早い。でも売り物じゃねえし、邪魔なら持って帰る。親方の店だ」


「入口の横なら置ける。冷えるところまで見せるなら、村の肉屋くらいは食いつくかもしれん」


「じゃあ一つ石を入れるか?」


 エルネが言うと、レオンは首を振った。


「今日は空でいい。使う客が決まってからだ。見せるためだけに石を減らす必要はない」


「そりゃそうだ」


 箱は鍛冶場の入口脇へ置かれることになった。


 親方は端材の板を一枚拾い、炭で三つ火の印を大きく描いた。


「字は何て書く」


 エルネが答えるより先に、レオンが言った。


「《三つ火の品 注文・修理》でいい」


「石交換も書いとけ。そっちだけで来る客もいるだろ」


「この板じゃ入らん。長い端材があるなら出せ」


「最初からそう言えよ。若いの、裏の板持ってこい」


 結局、若い職人が別の板を持ってきた。


《三つ火の品 注文・修理・石交換》


 親方の太い字で書かれた板が、入口の柱へ掛かった。


 真っ直ぐではなかった。


 エルネが少し首を傾げると、親方が先に言った。


「読むのに困らんだろ。曲がってても仕事はする」


「何も言ってねえべ。親方が気にしてるだけだ」


 直そうとしていた手を、エルネは下ろした。


「じゃあ、そのままでいい。ここが親方の店だって分かるしな」


     ◇


 昼は村の外れで食べた。


 ベラが包んだ平焼きパンには、燻製肉と薄く切った根菜が挟んである。エルネが包みを開くと、香辛料の匂いが少し立った。


「これ、店で売ってもいいな」


「ベラに言え。たぶん、厨房の手が足りないって返される」


「じゃあやめとく。作る人間が嫌がってんのに売る話だけ増やすと、あとで飯がまずくなる」


「そこはよく分かってるな」


「三十年、いろんな部署に嫌われないよう生きてきたからな」


 レオンはパンを食べながら、鍛冶場でもらった控えを見ていた。


 修理の範囲と注文の手数料、それに預けた石の数まで確かめると、エルネも自分の帳面へ同じ内容を書き、それから筆を置いた。


「おめぇ、今までラトスへ来るたびに、荷受商行って、鍛冶屋行って、必要なら組合寄って、買い物して、全部自分で覚えて帰ってたんだな」


「帳面には書いてる」


「知ってる。帳面が悪いって言ってんじゃねえよ。むしろちゃんとしてる。だから今まで回ってたんだべ」


 エルネは最後の燻製肉を噛んだ。


「でも、冷蔵箱は一回売って終わりじゃねえ。客が増えりゃ、石交換の日も修理も注文も別々に来る。そこまで全部おめぇの頭と足で稼ぐ必要はねえって話だ」


 レオンは控えを畳んだ。


「それをやるために雇った」


「そうだったな。なら遠慮なくやるべ」


 返事はなかったが、レオンは否定もしなかった。


     ◇


 帰り道、荷車は朝より軽くなっていた。


 冷蔵箱はラトスへ置いてきて、林檎酒と金物も荷受商へ渡した。空いた荷台には、そこで買った塩と乾燥豆、フレイが欲しがっていた細い麻紐が載っている。


 ベルクまで出るほどではない買い物を近いラトスで済ませ、そのついでに洞窟から持ってきた物を売る。以前とは荷の中身も、ここへ来る理由もずいぶん変わっていた。


 林へ入る手前で、エルネは一度だけ村の方を振り返った。


 鍛冶場の入口に掛けた板はもう見えない。それでも、次に三つ火の品を欲しがる者が現れた時、その者はレオンが通りかかる日を待たなくていい。鍛冶屋へ行けば注文を残せて、石の交換も頼める。軽い故障なら親方が見てくれる。


「これで、なんでもかんでもおめぇが抱えなくて済むべ」


 エルネが言うと、レオンはバルトの手綱を持ったまま前を見ていた。


「まだベルクへ運ぶのは俺だ。そこは何も変わってない」


「今はな」


 レオンが横目だけを向ける。


「勝手に仕事をなくすな」


「なくさねえよ。おめぇにしかできねえ仕事まで取る気はない。ただ、誰でもできる仕事を全部おめぇがやる必要もねえべ」


 しばらくして、レオンは小さく息を吐いた。


「まずは肉屋の契約を決める。話はそれからだ」


「分かってる。おらも、窓口一個作っただけで王都本店みたいな顔するほど若くねえよ」


「顔は最初から若くない」


「そこは仕事に関係ねえだろ」


 レオンの口元が、ほんの少しだけ笑った。


 旧道へ戻る前、エルネは旅袋の中の薄い帳面を一度押さえた。


 朝には何も書かれていなかった《受取・注文》の帳面には、ラトスの鍛冶屋の名と、預けた小氷魔石の数がもう残っている。


 大きな商会なら、こんな一頁は仕事のうちにも入らない。けれど次にラトスへ来た時は、レオンの記憶をたどらなくても、この頁を開けば話を続けられる。


 エルネは帳面の角を指で押さえ、旅袋の奥へしまった。

レオンの負担が減ってきました。

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