鍛冶師は似合うものを作ります
朝食を終えて工房へ戻ったティルダは、壁際に積んである金属の前でしばらく動かなかった。
二層から運び出した古い剣や槍頭は、錆を落とし、使えない部分を切り落としたあと、鉄、鋼、銅、青銅に分けてある。武器だった頃の形はもうほとんど残っておらず、炉へ入れやすい塊や棒になって棚へ並んでいた。
以前なら、棚へ金具を一つ増やすにも青魔鉄を削るか、レオンがベルクへ行く時に普通の鉄を買ってきてもらう必要があった。今は工房の隅へ手を伸ばせば、失敗しても惜しくない鉄がある。
ティルダは掌ほどの塊を一つ拾い、重さを確かめながら口元を緩めた。
「姉ちゃん、さっきからその鉄を持ったまま嬉しそうだけど、何を作るかはもう決めてるの?」
向かいの作業台で材料札を整理していたフレイが、姉の手元へ目を向けた。白い短衣に濃い緑のベストを重ね、片側だけ細く編んだ赤銅色の髪には、王都で買った布紐を通している。
「まだ何も決めてないよ。でも、これだけあれば釘や蝶番だけじゃなくて、好きな物を作れるでしょう。何を作るか考えるのも含めて、ちょっと楽しいんだよね」
「好きに使っていい分は増えたけど、冷蔵箱の予備蝶番と棚の金具に使う分まで溶かしたら困るから、その辺は紙に書いた数を残してよ」
フレイが指した紙には、必要な材料と予定数が並び、その下にまだ広い余白が残っている。ティルダは鉄塊を棚へ戻すと、その空白を横から覗き込んだ。
「だったらさ、この空いてるところを何で埋めるか、みんなに聞いて回らない? せっかく材料があるんだから、今まで『買わなくても困らないから』で済ませてた物まで作ってみたい」
「それなら私も賛成。姉ちゃんだけで決めると、必要かどうかより面白そうかどうかで増えるから、先に使う人へ聞いた方が安全だしね」
「フレイだって、面白そうなのがあったら絶対乗るくせに。じゃあ紙を持って、欲しい物を聞きに行こうよ」
火を入れる前に工房を出るのは、いつもなら少し落ち着かなかった。それでも今日は、何を作るのか決めるところから仕事が始まると思うと、炉を待たせることさえ気にならなかった。
◇
最初に見つけたミラは、窪地の林檎の木の下にいた。
伸びた枝を一本ずつ追いながら、実を付ける枝と内側へ入り込む枝を確かめている。腰には使い慣れた小鎌が下がっていた。
「ミラ、今ちょっといい? 二層から持ってきた普通の鉄がかなり使えるから、暮らしで欲しい道具があったら作ろうって話になったんだ」
ティルダが声を掛けると、ミラは枝先から顔を戻し、少し考えてから腰の小鎌へ触れた。
「今の道具でも困るほどではないんですけど、林檎の細い枝を切る時だけ、もう少し使いやすい物があるとうれしいです。小鎌だと残したい枝まで傷つけそうになることがあって、包丁だと今度は片手で枝を押さえられなくなるので」
ティルダは近くの細枝を一本つまみ、もう片方の手の指を刃のように合わせてみた。
「だったら、こうやって枝を挟んで切るやつがいいかな。片手で握れば刃が閉じて、離せば開くようにすれば、小鎌より狙った枝だけ切れると思う」
「それなら使いやすそうです。太い枝まで切れなくても、このくらいの細い枝だけ選べれば十分です」
「作れそうだから、ちょっと手を貸して。私の手に合わせると絶対太くなるし、ミラが握った時の幅を先に測りたい」
差し出された右手を自分の掌へ重ねると、違いはすぐ分かった。ティルダの指は短く太く、掌にも厚みがあるが、ミラの手は一回り薄い。同じ力を掛ける道具でも、握りやすい太さはかなり違う。
フレイは横から折り畳み定規を当て、親指の付け根から指先までを測って紙へ書き込んだ。
「握るところは姉ちゃんが使う物より細めで、刃も長くしない方がよさそう。軸には青銅の座金を入れれば、鉄同士を直接擦らせるより軽く動くと思うよ」
「そこまでなら決まりだね。あとは形だけど、ミラはどういうのが好き?」
ミラは少し困ったように小鎌を触った。
「道具なので、使いやすければそれで十分だと思ってたんですけど……形まで選ぶものなんですか?」
「毎日触るなら、嫌いな形より好きな形の方がいいでしょう。邪魔にならないところなら、少しくらい好きな物を付けても使いにくくならないよ」
そう答えた時、ミラの視線がティルダの髪へ一度だけ上がった。
今朝は赤銅色の髪を高く結び、根元へ王都で買った葉形の真鍮髪留めを差している。ティルダが髪留めへ指を当てると、ミラは少し照れたように笑った。
「それ、王都から戻ってきた時からかわいいと思っていました。葉っぱの形なのに、金属だから少し光るところも好きです」
「それなら軸の座金を葉っぱにしようよ。青銅なら色も変わるし、平たく作れば枝にも服にも引っかからないでしょう」
ティルダが勢いよく決めると、フレイは姉を止める代わりに、紙の端へ丸みのある葉を一枚描いた。
「先を尖らせなければ大丈夫そう。軸の丸い座金へ葉っぱを重ねる感じなら、強度も変えなくて済むよ」
「そんなところまでしてもらわなくても、ちゃんと切れれば十分なんですけど……でも、付いていたらうれしいです」
最後の言葉を聞いたティルダは、紙に描かれた小さな葉をもう一度覗き込み、ミラが喜んで使っている姿を想像して嬉しくなった。
◇
厨房では、ベラが昼の仕込みを始めていた。
洗った大鍋を石台へ戻し、火口の周りへ置いていた道具を使いやすい位置へ寄せている。壁には包丁や木匙、長い杓子、鍋掴みが掛かっているが、数が増えたせいで一本取るたび隣の物へ当たるようになっていた。
「ベラにも聞きに来たんだけど、厨房で金物を増やすなら何が欲しい? 今日は二層の鉄を、暮らしで使う物へ回してみようと思ってるんだ」
「その言い方だと、材料が余ってるから何か作らせろって顔だね。でも、せっかくならここの壁を何とかしてくれると助かるよ」
ベラは火口の横へ寄り、鍋蓋と長い杓子が同じ鉤へ重なっている場所を指した。
「急いで奥のを取ると、手前の物まで落ちることがあるんだ。それに洗ったあと掛けると水が壁へ伝うから、少し前へ出したところへ一本横棒を通して、道具ごとに分けられると使いやすいね」
ティルダが石壁との距離を指で測っている横で、フレイはもう壁の幅へ定規を当てていた。
「横棒を壁から少し離して、鉤を外して洗えるようにすればよさそう。六個くらいあれば足りる?」
「今ある分だけなら六個でもいいけど、空きがないと増えた時にまた作り直すだろうから、最初から八個にしておくれ」
八個と書き込んだあと、ティルダは鍋の横へ置かれた古い鉄べらに気づいた。先がわずかに持ち上がり、木柄には何度も削り直した跡が残っている。
「これ、先が曲がってるけど、新しいのも作った方がいい? 柄までかなり使い込んでるでしょう」
「その曲がりは直してないんじゃなくて、私が使いやすいように直したんだよ。鍋底が丸いから、真っ直ぐなへらより先を少し上げた方が底へ沿うんだ」
言われて横から見ると、確かに歪んでいるのではなく、先端だけが浅い角度で持ち上がっている。何年も使ってきた人間が、自分の鍋へ合わせて少しずつ形を決めた道具だった。
「じゃあ新しいのも、その曲がりをそのまま写そうよ。先だけ鋼を薄くして、柄は今より手に合う木へ替えたら、同じ使い方でも軽くできそう」
「作ってくれるなら頼むよ。ただし厨房の道具は、やたらと飾らなくていいからね。黒くて丈夫で、並べた時に高さが揃っていれば、その方が私は好きだよ」
「ベラはかわいいの要らないんだね。だったら八個の鉤も全部同じ形にして、鉄べらも黒く焼いて揃えようかな」
ベラは壁へ掛かっている道具を見渡し、それから鍋の蓋を元の鉤へ戻した。
「昔いた店は、道具の置き場所まで全部決まってたんだよ。働き始めた頃は面倒だと思ったけど、忙しい時ほど手が勝手に伸びる場所へ物があるのは楽だった。ここも、そういう厨房になってきたら悪くないね」
ティルダは鉤の数の横へ大きめの丸を付けた。
「だったら、並べた時にちゃんと気持ちいいやつにするよ。今日中に全部は無理でも、鉤と鉄べらから始める」
ベラは「夕食に間に合わせようとして焦がすんじゃないよ」と笑いながら鍋へ戻り、ティルダとフレイは次の相手を探しに厨房を出た。
◇
レオンは馬房で、バルトの鞍を外していた。
革帯を一つずつ緩め、金具の摩耗を指で確かめている。ティルダからすると、これだけ腰を曲げていてもまだ顔が高く、話しているうちに首が疲れる相手だった。
「みんなにも聞いて回ってるんだけど、レオンは鞍とか荷車で予備に欲しい金物はない? 普通の鉄が増えたから、壊れてからベルクで買うより先に作っておけるよ」
レオンはしばらく鞍を調べたあと、革帯の端から一つの留め金を外した。
「それなら、この留め金と同じ寸法の物を二つ作ってくれ。荷車にも使える穴位置にしておけば、旅先で壊れた時に鞍用と荷車用を別々に持つ必要がなくなる」
ティルダは受け取った留め金を掌で返し、穴の位置と指を掛ける場所を確かめた。今の形は角を丸めただけの平たい板で、強度にも使い勝手にも問題はなさそうだが、そのまま写したいとは思わなかった。
「穴と幅が同じなら、外側の形は少しくらい変えてもいい? 一つは今みたいに丸くして、もう一つは細く絞って黒く焼いた方が、レオンの鞍には似合うと思う」
「強度と、手袋をしたまま使えることが変わらないなら好きにしろ。ただ、格好だけで指を掛けにくくするのはなしだぞ」
「そこはフレイに寸法を見てもらうから大丈夫。レオン、黒くて細い方、絶対好きそうだもん」
「俺は壊れにくければ何でもいい」
そう答えながらも、フレイが紙へ描いた二種類の輪郭のうち、レオンの指は細身の方で一度止まった。
ティルダがその指先を見逃さず笑うと、レオンは小さく息を吐いた。
「使う場所によって邪魔にならない方を選ぶだけだ。黒くするなら、見た目だけじゃなく錆止めも兼ねろ」
「任せて。そういう理由を付けるなら、ちゃんと格好よくしておくから」
腰袋へ留め金を入れると、バルトが横から鼻を寄せてきた。ティルダが額を撫でながら「バルトの金具も似合うやつにする?」と聞くと、少し離れて林檎の枝を抱えていたミラが真面目な顔で首を傾げた。
「バルトさんは今の道具でも困っていないと思いますけど、似合うかどうかは本人に聞かないと分からないですね」
「それなら今度、返事が分かる時に聞いてみようかな。嫌がらなかったらちょっとくらい格好よくしてもいいでしょう」
レオンは何も言わず、バルトの首を撫でているティルダを見てから、外した鞍を馬房の棚へ戻した。
◇
昼食は豆と刻んだ肉の煮込みで、ティルダは王都から持ち帰った赤茶色の香辛料を自分の椀へ振りかけた。
一口食べた瞬間、思っていたより強い辛さが鼻へ抜け、水の杯を二度続けて飲む。隣で見ていたフレイが笑いながらパンをちぎった。
「姉ちゃん、それ、この前『ちょうどいい』って言ってた量の倍くらい入れてたよ。途中で気づいたけど、楽しそうだったから止めなかった」
「見てたなら言ってよ。たぶん言われても入れたと思うけど、一回くらい考える時間はあったでしょう」
「結局入れるなら同じじゃない。次からは入れ終わる前に教えてあげるから、その時ちゃんと考えてね」
卓の下では、香辛料を付けていない肉をもらったキュウが、石床へ尻尾を打ちつけながら食べている。
鼻の熱さが落ち着く頃には、ティルダの頭はもう午前中に集めた道具へ戻っていた。食事を終えるとフレイより先に席を立ちかけたが、まだパンが一切れ残っていると指摘され、それを口へ押し込んでから工房へ向かった。
作業台へ紙を広げると、朝には広かった余白がほとんど埋まっている。
ミラの剪定鋏。ベラの鉤八個と鉄べら。レオンの留め金。棚や冷蔵箱の予備金具も残っているが、それらとは違って、今日増えた物には使う人の手や好みまで一緒に書き込まれていた。
「最初はミラの鋏からやろう。刃は鋼で、柄は鉄に木を合わせて、軸の座金だけ青銅にするよ」
「それならミラの手の寸法はこっち。姉ちゃんが途中で握って『細い』って直し始めないように、木札へ写して作業台の前に置いておくからね」
「今日はちゃんとミラの手で作るって分かってるよ。葉っぱも大きくしすぎないから安心して」
防火上着と革前掛けを重ね、炉へ鋼を入れる。十分に赤くなったところで金床へ移し、槌を落とすと、朝から溜めていた音がようやく工房へ戻ってきた。
錆びた短剣だった鋼は、火へ戻すたび少しずつ薄く伸び、やがて細枝を挟める二枚の刃へ変わっていく。根元へ軸穴を取り、柄へ続く部分を整えたところで、ティルダは一度だけ自分の掌へ合わせた。
やはり細い。
それでも握りを太くする代わりに、フレイが置いた木札へ重ね直した。
「自分の道具を作る時と全然違うね。力を掛けやすくしようとすると、つい私の手に合わせたくなるけど、ミラにはその太さが邪魔になるんだよな」
「だから寸法を取ったんでしょう。使う人が変われば、ちょうどいい形も変わるんだから、今日は姉ちゃんの感覚を信用しすぎないでね」
フレイが削った木の握りを合わせ、二枚の刃へ軸を通して青銅の座金を挟む。最後にティルダは薄い青銅の外周を削り、小さな葉へ整えた。
飾りとしてはほんの少しだったが、銀灰色の刃と黒く焼いた柄の間に、青銅の葉が一枚入るだけで道具の表情が変わった。
「これならミラが持っても変じゃないよね。かわいいけど、ちゃんと道具のままに見える」
「うん。姉ちゃんが自分用に作ったら、たぶん葉っぱを三枚くらい付けるところだったから、このくらいでちょうどいいよ」
「三枚は付けないって。二枚なら考えるかもしれないけど」
フレイが笑いながら鋏を布へ包み、ティルダは次の鉄を炉へ入れた。
◇
厨房用の鉤は、八個を同じ形へ揃えるところで思ったより手間が掛かった。
一個だけならすぐ曲げられる。二個目も見比べれば似せられる。それでも三個並べた時点で、首の長さと開き方が少しずつ違っているのが目についた。
「使うだけならこれでも掛かるけど、ベラが欲しいのは八個並べた時に同じ場所へ手を伸ばせる形なんだよね。三個目だけ口が狭いから、ここは直した方がよさそう」
「朝のうちに型を作っとけばよかったね。今から木で一個作るから、残りはそれへ当てて曲げよう。三つ作った分も最後に揃え直せばいいよ」
「それ、最初に思いついてほしかったけど、私も三個目まで気づかなかったから同罪か。じゃあ四個目からちゃんと揃えよう」
フレイが作った木型へ当てながら曲げると、それまでよりずっと早く形が揃った。
鉄べらはベラが使っていた古い一本を横へ置き、先端の持ち上がりまで写していく。木柄は同じ太さにせず、火のそばで長く握っても指が詰まらないよう、少しだけ厚みを変えた。
夕方、八個の鉤と横棒を厨房へ運ぶと、ベラは夕食の鍋へ火を掛けているところだった。
「取り付けは食べたあとにするよ。今やったら、夕飯より先に壁へ穴を開けることになるからね」
「それでいいけど、鉤だけ先に触ってみてよ。八個、ちゃんと同じに揃えたから」
ベラは鍋から手を離し、一つを受け取って掌で重さを確かめたあと、残りも石台へ並べた。
「軽いけど細すぎないし、濡れた鍋蓋を掛けても曲がらなそうだね。それに、これだけ同じ高さで並ぶなら、かなり使いやすくなるよ」
新しい鉄べらも古い一本の横へ置き、二つの先端を重ねる。ベラは新しい木柄を握ると、鍋底へ当てるように何度か角度を変えた。
「曲がりまでちゃんと同じだね。これなら明日からそのまま使えるし、壁へ並べたら少し店みたいになるかもしれない。道具にもこだわってる店はいい店だ」
「だったら食後に付けようよ。使う場所まで決まったところを私も見たいから、フレイと戻ってくる」
ベラは鉄べらを火口の横へ置かず、新しい鉤の脇へ残した。夕食の準備が終わるまで使うつもりはないらしく、それでも時々そちらへ顔を向けている。
◇
翌朝、ミラは新しい剪定鋏を持って窪地へ出た。
ティルダとフレイも一緒についていったので、林檎の木の前まで来たところでミラが振り返った。
「二人に見られていると少し緊張しますけど、使いにくかったらその場で直してもらえるんですよね。それなら、いつも通り切ってみます」
内側へ伸びた細枝を左手で押さえ、右手の鋏で根元を挟む。握り込むと刃は片手で素直に閉じ、乾いた音と一緒に枝が落ちた。
ミラは切り口を確かめ、続けて鋏を何度か開閉した。
「小鎌よりずっと軽いです。切りたい枝だけ挟めるので、隣の枝へ刃を当てないで済みますし、握るところも滑りません」
「手が痛くならないなら、その太さで大丈夫そうだね。何本か続けて切って疲れるようなら、あとで木の部分だけ削り直せるよ」
「今のところ大丈夫です。それと、ここもちゃんと好きです」
ミラの親指が、軸に入れた青銅の葉をゆっくり撫でた。
ティルダはその指先を見てから、少し離れたところに立て掛けてある鍬へ目を向けた。
「次に鍬を直す時も、どこか邪魔にならないところへ好きな形を入れようか。あれだけ大きい道具なら、鋏とは違う飾りでも似合いそう」
「鍬までかわいくできるんでしょうか。柄か留め金なら、作業の邪魔にはならないかもしれませんね」
「姉ちゃん、まだ作る順番へ入れないでよ。今日は冷蔵箱の金具も残ってるんだから、まず紙に書くだけにして」
そう言いながら、フレイも鍬の柄と留め金を眺めていた。
◇
昼前には、レオンへ渡す留め金も二種類できた。
片方は今までの物に近い丸形で、もう片方は外側を細く絞り、油を引いて黒く焼いてある。穴位置も指を掛ける幅も揃えてあるので、鞍でも荷車でも同じように使える。
レオンは大卓で旅用の厚い手袋をはめ、二つを順番に開閉した。
「動かした感じはどちらも同じだな。これなら予備として持っていても、使う時に迷わなくて済みそうだ」
「だったらどっちを鞍へ付ける? 私は細くて黒い方が絶対レオンに似合うと思って作ったんだけど」
レオンは丸い方を卓へ戻し、細身の留め金を鞍の革帯へ合わせた。
「こっちなら外側の張り出しが少ないから、荷や服へ引っ掛けにくそうだ。鞍に使うならこっちでいい」
「普通に格好いい方が好きって言ってもいいんじゃない? もしかしてレオン、照れてる?」
フレイまで紙の寸法を示したので、レオンは細身の金具を一度裏返してから鞍へ戻した。
「………使い勝手が同じなら、好きな方を選んでも別に悪くないだろ。俺の鞍にはこっちを付ける」
ティルダは思わずフレイを見た。妹も笑っていたので、二人で何も言わず頷き合う。
「じゃあ黒くて細い方はレオンの鞍用。丸い予備は荷車へ入れとけば、壊れた時にどっちでも使えるね」
「勝手に『レオン用』って名前まで付けるな。規格は同じなんだから、必要なら他にも使え」
口ではそう言いながら、レオンは細身の留め金を鞍から外さず、そのまま革帯へ取り付け始めた。
◇
午後、ロアンは食堂の壁際でリュートの弦を調整していた。
椅子の背へ身体を預け、一本ずつ鳴らしては糸巻きを少し回している。長い栗色の髪をゆるく結び、見た目だけならくつろいでいるようなのに、音がずれるたび指だけは止まった。
工房へ戻る途中だったティルダは、低い弦を何度も鳴らしているのが気になり、椅子の横で足を止めた。
「さっきから同じ弦ばっかり鳴らしてるけど、そんなに音が違うの? 私には今のも一回前のも、ほとんど同じに聞こえるよ」
「新しい弦は落ち着くまで少しずつ伸びるから、昨日合わせても今日はずれるんだよ。ティルダだって槌を振った音なら、鉄が熱い時と冷えてきた時で違うのが分かるでしょう」
「それなら分かる。音の高さだけじゃなくて、当たった時の返り方まで変わるからね」
納得して聞き直すと、低い弦は確かに他より細く軽い響きだった。王都で聞いた大きな楽器ほど腹へ響かず、音の輪郭だけが残る。
「この弦、太くすればもっと低くなるの?」
「同じ長さならある程度は下がるけど、太くすると硬くなるし、張る力も変わるよ。僕のリュートへ何でも太い弦を張ったら、音より先に楽器の方が負けるかもしれない」
ティルダは弦を横から眺め、そこで工房の素材箱へ入れてある銅を思い出した。
「太くしないで重くするなら、細い銅を今の弦へ巻いたらどうなるかな。弦そのものは柔らかいままで、重さだけ増やせるかもしれない」
ロアンの指が糸巻きから離れた。
「それは僕も音を聞いてみたいな。ただ、いきなりこのリュートへ張るのは怖いから、前に作った一弦の箱で試して、それから考えよう」
「それなら失敗しても作り直せるしね。まず銅を細い線にするところからやってみようよ」
少し前まで弦を慎重に調整していたロアンは、リュートを抱えたまますぐ立ち上がった。
「調律はあとで続ければいいよ。今は、知らない音が一個増えるかもしれない方を先に見たい」
その言い方なら、ティルダにもよく分かった。
◇
工房では、銅を細い線へ伸ばすところから始めた。
叩いて細くするだけでは太さが揃わないため、フレイと相談して、厚い鋼板へ大きさの違う穴をいくつも開けた。熱して柔らかくした銅を大きい穴から順番に通し、革手袋で端を掴んで引き抜く。
「次は一個飛ばさずに、この穴へ通してから細くしてね。急に絞ると途中で切れて、先端を作り直すところからになるよ」
「今の太さなら一個くらい飛ばせそうだけど、せっかくここまで伸ばしたのを切る方が面倒か。フレイが板を押さえててくれたら、順番に引くよ」
ロアンは工房の入口へ座り、膝にリュートを載せたまま待っていた。途中で一度「あとどれくらい掛かる?」と聞きかけたものの、ティルダが穴を一つ通すたび少しずつ細くなる銅を見ているうちに、自分でも面白くなったらしい。
「酒を寝かせてる時より待つのが長く感じるな。あっちは待ってても見た目が変わらないけど、これは一回引くたび細くなるから、余計に先が気になる」
「だったら黙って待ってて。ここで気が散って切ったら、ロアンも最初から銅を引くの手伝ってもらうからね」
フレイに釘を刺され、ロアンは笑って両手を上げた。
細い銅線ができると、先日一弦の木箱へ張った古い低音弦を外し、その周りへ少しずつ巻いていく。間隔が広すぎれば重さが偏り、詰めすぎれば弦が曲がりにくくなるため、最初の一本は途中で巻きが重なってやり直した。
二本目はフレイが間隔を確認し、ティルダが指先で少しずつ銅線を送った。
巻き終えた弦を木箱へ張り、ロアンが糸巻きを少しずつ締めていく。
十分な張りが出たところで、指先が弦を弾いた。
低く濁った音が工房へ響き、木箱の板まで小さく震えた。
以前の弦より太く、腹へ触れるような響きが残っている。きれいな音とは言い切れず、銅のせいか少しざらついた金属音も混じっていたが、ロアンはすぐもう一度弦を鳴らした。
「これ、まだ楽器へ張りたい音じゃないけど、嫌いじゃないよ。少し変なのに、もう一回聞きたくなる」
「だったら最初の試作としては十分じゃない? 次は銅をもっと細くするか、巻く量を減らせば軽くできそう」
フレイは音ではなく木箱の支えへ手を当て、根元の傾きを確かめた。
「ただ、この箱でも前より引っ張られてるから、今のままリュートへ張るのはやめた方がいいよ。一本だけでこれなら、木の方が先に歪むかもしれない」
「僕も今すぐ張るつもりはないよ。楽器を壊してまで試したいわけじゃないし、まずこの箱でもう少し軽い弦を作ってからにしよう」
「じゃあ明日は、もっと細い銅で一本やってみようよ。巻き方も今日より揃えられると思う」
「僕も来るよ。作る人だけいても、音を聞く人がいなかったら困るでしょう」
ロアンはもう一度弦を鳴らし、そのざらついた低音が消えるまで耳を傾けていた。
◇
夕食の前には、厨房の壁へ八個の鉤が並んでいた。
ベラが洗った杓子と鍋蓋を順番に掛けると、濡れた先は石壁へ触れず、水だけが下へ落ちる。横には新しい鉄べらも掛かり、黒く焼いた鉄と木柄の高さが他の道具に揃っていた。
ミラは剪定鋏を布で拭き、青銅の葉へ残った水まで指先で取っている。
馬房のレオンの鞍には細身の黒い留め金が付き、丸形の予備は荷車の工具箱へ収まった。
ロアンは食卓へ来てからも試作弦の話をやめず、明日は銅をどこまで細くできるかをティルダと相談している。
フレイは朝から使った紙を大卓へ広げ、残っている仕事へ順番を書き込んだ。
「明日はまず冷蔵箱の予備金具、そのあと棚の金具を終わらせよう。ロアンの弦は炉を使うから、その続きでやれば火も無駄にならないし、ミラの鍬は形だけ先に相談しておけばいいと思う」
「弦を先にやりたいけど、冷蔵箱の金具は今日やるって決めてたもんね。じゃあそこまではちゃんと終わらせて、そのあと銅を引こう」
向かいにいたミラが、少し遠慮がちに紙を覗き込んだ。
「鍬の飾りは、葉っぱじゃなくてもいいんでしょうか。鋏と同じでも好きですけど、別の形にできるなら少し考えてみたいです」
「別でいいよ。同じ家で使う道具だからって、全部同じ飾りにする必要ないでしょう。ミラが好きなら花でもいいし、柄の根元なら畑でも引っかからないようにできるよ」
フレイは順番を書いた横へ、鍬の柄らしい線を一本引き、その根元へ小さな花を描いた。
朝には材料の数しか書かれていなかった紙が、今は寸法や形、使う場所、それぞれの好みでいっぱいになっている。ティルダは紙の端を押さえながら、厨房の鉤、ミラの鋏、レオンの黒い留め金へ順番に目をやった。
工房の方からは、さっきまで作っていた巻き弦をロアンがまた鳴らす低い音が届いている。
「フレイ、その花、もう少し丸い方がミラに似合うと思う。明日、本人にも二つくらい描いて選んでもらおうよ」
「だったら姉ちゃんも描いてみて。私だけ描いたら、結局私が決めた形になるでしょう」
ティルダは紙を自分の方へ少し引き寄せ、空いている場所へ炭筆を走らせた。隣ではフレイが鍬の寸法を書き足し、厨房からは鉤へ鍋蓋を掛ける小さな金属音が聞こえていた。
レオンの少年っぽさが垣間見えたお話でした。
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