炉守りは花の場所を決めます
朝食を片づけても、大卓の半分は空かなかった。
王都から持ち帰った六冊の本と二つの種袋、三つの香辛料の包み、フレイの折り畳み定規が広がり、壁際には油布を外した枠太鼓が立て掛けられている。キュウは卓の向こうで昨日もらった牛骨を前脚に抱え、ときどき噛む向きを変えていた。
レオンは魔物図鑑を開き、索引と挿絵を交互に追いながら、王都までの街道で見た獣らしい頁へ細い木片を挟んでいく。
その隣では、ロアンが小ぶりのリュートを膝へ載せ、買ってきた替え弦へ一本ずつ指を滑らせていた。使い込んだ低音弦を外すと、丸く癖のついた古い弦が大卓の上へ転がる。
「その古い弦、捨てるなら私たちにちょうだい。試したいことがあるんだ」
ティルダがすぐ手を出した。向かいのフレイも椅子を浅く引き、折り畳み定規を手元へ寄せる。
「王都で姉ちゃんが見た、膝の間に挟む大きい弦の楽器を再現してみるんでしょ?」
「そのまま真似はできないけど、低い音がどこまで出るかは試せるだろ」
「音を出すだけならね。新品の弦まで切るのは勘弁してほしいな」
ロアンが古い弦を渡すと、フレイは端を定規へ沿わせた。
「この長さだと大きい箱には足りないね。箱を小さくするなら張れるけど」
「低い音が欲しいから、箱の方で響きを増やしたいんだよ」
「大きくすると板が負けそう。支える場所を高くするなら、今度はそこが曲がるよ」
「じゃあ板を厚くするか、内側へ一本入れる方がよさそうだな」
二人は顔を見合わせるでもなく、機構図集を引き寄せた。古い弦は捨てる物ではなくなり、定規と一緒に本の脇へ置かれる。
向かいのやり取りを聞きながら、ミラも自分の栽培図譜を開いた。
厚い紙には根の張り方や葉の形、土の違いが細かな絵で描かれている。似た葉が並ぶ頁で目が止まり、片方の丸い縁と、もう片方の細かな切れ込みを順に追った。
大卓の端では、フレイが折り畳み定規の継ぎ目を裏返している。
「この金具、薄いのに横へ逃げないね。道具箱に入れても曲がりにくそう」
「軸が二枚の板に挟まってる。小さくすれば、定規以外にも使えそうだな」
「同じ長さを何度も取る当て具なら便利かも。畳めれば邪魔にもならないし」
フレイが目盛りを紙へ写し、ティルダが余白へ蝶番らしい形を描いたところで、厨房から温かい湯気が流れてきた。
ベラが洗った鍋へ湯を張り、朝食に使った木皿をすすいでいる。湯気は厨房の天井へ上がったあと、食堂側へ薄く広がった。
湯気の細い筋の先には、ミラが開いている栽培図譜があった。
ミラは栽培図譜の表紙へ手を置いた。濡れてはいないが、厨房に近い側だけが反対側よりわずかに柔らかい。
「このまま毎日ここで読んだら、湯気で紙が傷みそうです」
ベラは木皿をすすぐ手を止め、ミラの方へ顔を向けた。
「もう湿ってるのかい? 王都から無事に持ち帰って、ここで駄目にしたら笑えないね」
「まだ大丈夫です。でも、本を置く場所は厨房から離した方がよさそうです」
レオンが図鑑から顔を上げ、食堂の奥を見た。
「運んできた木箱なら蓋もある。棚ができるまでは、あれへ戻しておけばいい」
「箱の上、空くね。ここなら壁へ棚を一段足しても邪魔にならないよ」
フレイが定規を片手に壁際へ向かい、ティルダもついていく。
「本だけなら一段で足りるけど、次に増えたら二段にしたくなるな」
「先に一段で作れる金具を考えよう。箱の蓋が開く高さは残してね」
「石へ留める側を広くすれば、細い金具でもいけそうだよ」
「棚板の角も少し落とそう。服を引っ掛けたら絶対気になるから」
ロアンは蒸留の本を開きながら、足元の木箱を少し引いた。
「その相談、棚が天井まで増える前に一回止めた方がいいんじゃない?」
「そこまで増やさないって。今は一段の話しかしてないよ」
「今のところは一段ってだけだから、ロアンの心配も間違ってないけどね」
フレイが付け足すと、ティルダは新しい定規を使って楽しそうに壁の高さを測り始めた。
レオンは図鑑へ木片を挟み、本を抱えて厨房から遠い席へ移る。ミラも栽培図譜と二つの種袋を持って立った。
「私は外で続きを読みます。ついでに、種を植えられそうな場所も確かめてきます」
「昼までには戻っておいで。さすがに本ごと畑へ置き忘れないでよ」
「それは気をつけます。土を見るのに夢中になったら、先に本を閉じます」
◇
朝の窪地へ出ると、洞窟の中より光がずっと白く感じられた。
畑の葉には朝の水が少し残り、林檎の木の下では土が黒く湿っている。馬房の前ではバルトが干し草を噛み、レオンが昨夜ほどいた荷具を日向へ広げていた。
ミラは栽培図譜と二つの種袋を抱え、まず畑の端まで歩いた。
香草は厨房で使うなら畑に近い方がいい。袋の絵にある葉も小さく、野菜の列の端へ増やしても邪魔にはなりにくそうだった。
もう一つの袋には、紫色の小花がまとまって咲く絵がある。
洞窟の口から少し外れた平たい石の脇は午前の陽を受け、食堂の席からも見える。ただ、その場所は畑にも近かった。
香草なら料理に使え、豆や根菜なら腹を満たす。食べられない花のために、あとで何かを植えられる場所を使っていいのか考えているうちに、ミラの足は畑の外側へ向いた。
窪地の端にも陽は当たる。少し斜面になっているので水も溜まりにくく、食堂から見えないことを除けば、花を育てる場所として困ることはなさそうだった。
ミラが植え場所の土を指でほぐしていると、背後からロアンの声がした。
「その端っこへ植えるつもりで、もう土まで触ってるの?」
振り向くと、彼は蒸留の本を片手に持っている。洞窟の入口近くの陽だまりで読む場所を探していたらしい。
「ここなら畑の邪魔になりませんし、陽もちゃんと当たっています」
「でも、そこだと食堂から花がほとんど見えないよ」
ミラは岩の向こうにある洞窟の入口を見て、食堂の位置を思い浮かべた。
「はい。でも、こちらの方が今は何にも使っていない場所なので」
ロアンは少し考えるように、手にした本の背を指でゆっくり撫でた。
「僕、食べるためじゃないものを一つって買ったのに、いちばん見えないところへ追いやられたら、ちょっと悲しいな」
「悲しいのは、花ではなくてロアンさんの方なんですか?」
「花が悲しいとは僕には分からないからね。買った僕が代わりに悲しんでおくよ」
ミラはロアンの言葉を聞きながら、種袋に描かれた紫色の花へ目を落とした。
そこへ馬房の方からレオンが来た。干していた革紐を肩へ掛け、二人の足元を見ている。
「食堂から見える場所を探してたんじゃなかったのか?」
「そうなんですが、食べられる物を植える場所が足りなくなったら困ると思って」
「畝一本を潰すわけじゃない。石の脇なら通り道にもならんし、畑を広げても外せる」
レオンは洞窟寄りの平たい石を指し、周囲の地面へ視線を移した。
「そこへ植えるなら、雨のあとに水が溜まらないことだけ確かめておけ」
「あそこは前の雨のあとでも水は残っていませんでした」
畑の周囲は何度も歩いている。どこへ水が流れ、どこに小さな泥溜まりができるかも覚えていた。
「それなら、場所として困る理由はなさそうだな」
レオンはそれだけ言うと、革紐を持って馬房へ戻っていった。
ロアンは馬房へ戻っていくレオンを見送り、もう一度ミラへ向き直った。
「僕が言うよりずっと早く決めたけど、ミラは本当にそこでいいの?」
ミラは平たい石の脇から洞窟の入口を見た。食堂からなら、この辺りまで視線が通る。
「私は……食事をしている時に花が見えたら、きれいだと思いました」
「それなら、僕はこっちへ一票入れるよ。買ってきた甲斐もありそうだしね」
ロアンはそれ以上言わず、ミラも平たい石の横へ小枝を一本立てた。種を蒔く前に、図譜で土の作り方と種の扱いを最後まで確かめるつもりだった。
◇
昼前に戻ると、厨房からいつもの焼いた肉とは違う匂いがしていた。
ベラは小さな鉄板の上へ同じ厚さの肉を三切れ並べ、その横に小皿を三枚置いている。赤茶色の粉、薄く削った樹皮、潰した小さな種が、それぞれ別の皿へ少しずつ分けられていた。
ミラが席へ着くころには、ティルダとフレイも手を洗って戻ってくる。ロアンは三つの小皿へ順番に鼻を近づけた。
「辛いのは匂いだけでも鼻に来るね。甘い方は、酒の香りと喧嘩しないか気になるな」
「最初から酒の話へ持っていくんだね。まず肉だけで食べな」
ベラが赤茶色の粉をほんの少し指先でつまみ、一枚目の肉へ薄く散らした。
そのとき、工房の方から妙な音が転がってきた。
ぼん、とも、べん、とも言えない低い響きだった。
「ずいぶん腹の減りそうな音だね。あの二人、何を作ってるんだい」
「低い音は出てる。さっきより箱の響きが長くなった気がするよ」
ロアンは工房の方へ耳を傾けたまま、二度目の響きを待っていた。
もう一度鳴ると、今度は少し高く、余韻だけが長く残った。
ほどなくティルダとフレイが、木箱の両端を抱えて出てきた。箱の上には細い木片が二つ立ち、その間に一本の弦が張ってある。
「ちゃんと音は出たよ。低いかどうかはロアンに聞いてほしいけど」
「音は出たけど、弦を低くしたら今度は箱の方が負けた。ちょっと聞いてみて」
木箱を挟んで覗き込んだ二人の目が、弦を弾いた瞬間だけ同じようにロアンを見つめた。
ロアンは椅子に座ったまま、指先で弦を一度だけ弾いた。べん、とさっきより輪郭のある音が残る。
「今の箱の軽さは悪くないよ。全部を厚くするより、内側へ一本だけ補強を入れた方が響きは残りそう」
「それなら外せる補強にしよう。鳴らして駄目なら戻せるようにしたい」
「木で一本入れるなら、位置を変えられる穴も先に取っておくね」
二人の相談が続きかけたところで、ベラが木皿を並べた。
「その箱は油が飛ばないところへ置いときな。せっかくの味見が冷めるよ」
フレイは定規を畳み、ティルダは木箱を壁へ寄せる。二人ともそのまま手洗い場へ向かった。
最初の肉を口へ入れると、焼いた肉の味のあとから舌の奥がじわりと熱くなった。思っていたほど痛くはなく、飲み込むと鼻の近くまで温かさが残る。
「私はこのくらいなら食べられます。肉の味もまだちゃんと分かります」
「なら次は、ほんの少し減らした方が料理には使いやすそうだね」
ベラは小皿に残った粉の量を確かめ、自分でも同じ肉を噛んだ。
レオンは水へ手を伸ばさず、二口目まで食べてから皿を置く。
「俺はこれが好きだ。脂の重さが後まで残らない」
「林檎酒と合わせるなら、甘い香りを邪魔しない方がいいよね」
「その時は熱い肉だけじゃなく、冷めた分でも食べよう。売る燻製は焼きたてじゃないからね」
二つ目の甘い香りの樹皮を使った肉は、口へ入れる前の匂いが強かった。味そのものは甘くないのに、香りのせいで焼けた脂が少し違って感じられる。
ティルダは一口食べ、すぐ隣のフレイへ皿を向けた。
「私はこっちの方が好きだな。フレイは最初の辛い方だった?」
「私は最初の方。こっちは匂いが先に来るけど、脂の多い肉なら合うと思う」
「じゃあ燻製へ使うなら、端だけ変えて比べた方がよさそうだね」
ベラは少し考え、樹皮の包みを赤茶色の粉から離して置いた。
三つ目の種を使った肉は、香りが一番おとなしかった。
「これ、味を足すというより、肉の匂いを少し消してるね。今日の肉だと違いが小さいな」
「癖のある肉へ使った方が分かりやすそうだね。今度そういう肉が出た時まで残しておくよ」
ベラは残った種を包み直し、厨房の棚へ戻せるよう端へ寄せた。
キュウには香辛料を付けていない肉が別に用意されている。鼻先を皿へ近づけ、一口で飲み込むと、前脚を揃えたままベラの手元を見続けた。
「そんな顔で見ても、香辛料の付いた方まで渡すつもりはないからね」
キュウは返事の代わりに、空いた皿を大切そうに舐めていた。
◇
午後になると、大卓の上から少しずつ物が消えていった。
今すぐ読まない本は王都から運んできた木箱へ戻し、厨房から一番遠い壁際へ移す。フレイは朝に測った寸法を紙へ清書し、棚板の幅と金具の位置を書き込んだ。
ティルダが横から覗き、棚より先に金具の形を三つ描き足す。
「一番上の形、作るのは面倒だけど石壁には強そうだね」
「面倒なのと悪いのは別だよ。作るなら私はこれがいいと思う」
「じゃあ棚板の角も少し落とそう。服を引っ掛けるのは嫌だからな」
フレイは自分の青いベストの裾をつまみ、棚板の角へ触れる位置を確かめた。
しばらくすると工房から、べん、と低い音が一度鳴り、少し間を置いてもう一度響いた。
「補強の位置を変えたな。さっきより箱の音が残ってるよ」
「そこまで聞き分けられるなら、あとで工房へ呼ばれると思います」
「僕もそのつもり。あの二人だけだと、音より丈夫さを先に勝たせそうだからね」
ロアンの前には、洗って乾かした小型の銅製蒸留器が布の上へ並んでいた。釜、蓋、曲がった管、水で冷やすための器を、本の図と同じ向きへ置き直している。
ベラは管を持ち上げ、光へかざして内側を確かめた。
「思ったより細いね。何か詰まったら、こっちからじゃ届かなそうだ」
「本には継ぎ目のことばかり書いてあるけど、洗う手間も覚えておかないと駄目だね」
ロアンは管と蓋を布へ戻し、頁の端へ細い紙を挟んだ。
少し離れた席では、レオンが魔物図鑑を読み、途中で一度だけ本をミラの方へ向けた。
「ミラ、この葉に似た草を洞窟の外で見た覚えはあるか?」
魔物ではなく、獣が好んで食べる草の挿絵だった。
「似たものはあります。でも絵では葉の裏が分からないので、今は同じとは言えません」
「それなら名前は不明としか言えんな。実物を見つけた時に比べればいい」
レオンはその頁へ細い木片を挟み、次の頁へ進んだ。
夕方近く、ミラは栽培図譜を閉じ、花の種袋を持ってもう一度外へ出た。朝に立てた小枝は、平たい石の脇にそのまま残っている。
洞窟へ戻っていつもの席へ座ると、入口の向こうに小枝の先が見えた。
「場所はそこへ決めたのかい? 厨房からも少し見えそうだね」
夕食の鍋を運んできたベラが、ミラの視線を追った。
「はい。あの石の横なら、食事をしている時にも見えます」
「それならいいじゃないか。咲いたら料理しながらでも分かりそうだよ」
ベラは鍋敷きへ鍋を置き、次の皿を取りに厨房へ戻った。
食堂の奥では、本を入れた木箱が乾いた壁際へ移っている。枠太鼓はロアンの席に近い壁へ戻り、香辛料の包みは厨房の棚へ収まっていた。
工房から昼より少し深い音が響き、食堂にいたロアンが顔を上げた。
「今の音なら、さっきより低いところまでちゃんと響いてるよ」
ロアンが椅子に座ったまま声を上げると、すぐティルダの返事が飛んでくる。
「今の位置が一番よさそう! もう一回だけ鳴らすから聞いて!」
「あと一か所だけ変えるから、その次もちゃんと比べてね!」
「聞くよ。でも先に手を洗ってから夕飯へ来るんだよ!」
ベラの声まで重なり、工房の方で二人が笑った。
レオンが図鑑を閉じ、卓の中央へ夕食の皿を寄せる。朝には王都から来た物で半分埋まっていた大卓が、今はいつもの人数の皿を置けるだけ空いていた。
ミラが自分の皿を置くと、入口の向こうでは、朝に立てた小枝が花の種を待っているように感じられた。
苦労を味わったミラが、花を愛でる日も近いようです。
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