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帰り火の洞窟 ~役立たずと追放された少女、拾った洞窟を仲間たちの帰る場所にします~  作者: Rastarock
三つ火の酒

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32/84

吟遊詩人は王都の音を買います

 翌朝、ロアンは窓の外の鐘より先に目を覚ました。


 通りでは荷車の軋む音に混じって、どこか遠くで短い笛が鳴っている。洞窟の朝にはない音だった。しばらく聞いてから寝台を出ると、向かいではティルダがもうパンを食べながら昨夜の紙を開いていた。


 ヴォルフの店で描いた二種類の短剣に、今朝になってから書き足した線が増えている。


「工具屋は今日行くの?」


「工具は明日だ。今日は別の用事がある」


「二日も買い物するの?」


「王都まで六日かけて来たんだ。一日で急いで選んで、帰ってから要らなかったじゃ困るだろ」


 レオンはそう言って、商談で増えた銀貨の袋を足元へ置いた。


 売った品の代金だけで銀貨三百四枚。その全部を使うつもりはない。昨夜も、多くても半分までを目安にすると決めていた。


 ロアンには、その基準が妙に安心できた。


 王都には見たことのない物が多すぎる。全部を今日選ばなくても、銀貨を残して帰れば次がある。祭りの歌の、耳に残った節だけ覚えるのと似ているように感じた。


     ◇


 本屋は、大通りから二本入った静かな通りにあった。


 入口こそ小さいが、奥へ進むほど棚が増え、壁際だけでなく部屋の中央にも背の高い本棚が並んでいる。革の匂い、古い紙の乾いた匂い、それに黴を防ぐためらしい香草の匂いが混ざっていた。


 店主の老人へ欲しい分野を伝えると、三人はそれぞれ別の棚へ案内された。


 レオンが選んだのは、王国北部から中央部までをまとめた魔物図鑑と地誌だった。


「全部載ってる図鑑はないのか?」


「ありますが、高いうえに重いですよ。旅で使うなら地域を絞った方がいいでしょう。魔物は土地で違いますからね」


「その方が使いやすそうだな。地誌も同じ範囲で頼む」


 レオンが二冊を決めるのを見て、ロアンは自分の棚へ向かった。


 酒の本は、思っていたより多かった。


 葡萄酒、麦酒、蜂蜜酒、果実酒。仕込み方だけでなく、樽の管理や酒場での保存を書いた本まである。以前なら、ロアンは果実酒の頁だけを見ていたかもしれない。


 今は、棚の端にあった薄い本の方が気になった。


 同じ酒でも食事の前に出すもの、肉料理と合わせるもの、食後に少量だけ飲むものと、飲ませ方ごとに分けて書かれている。


 ガレスに飲ませてもらった二種類の林檎酒を思い出した。


 酸味の強い酒が劣っていたわけではない。飲ませる相手や料理が違えば、求められる味も変わる。


「これも面白いけど……今欲しいのはこっちかな」


 ロアンが引き抜いたのは、古びた実用書だった。


 頁には丸い釜と蓋、そこから伸びる細い管、水を張った桶、その先の受け器が描かれている。


「蒸留の本ですか」


 老人が言った。


「酒を温めて、出たものを冷やして集めるんですよね?」


「ご存じでしたか」


「言葉だけは。ちゃんとした仕組みを見るのは初めてです」


 図を指で追う。火に掛ける釜から出た蒸気が管を通り、水の中で冷やされて液体へ戻る。文章には、果実酒や麦酒からより強い酒を取る方法だけでなく、最初に出る部分と後から出る部分では匂いや味が違うことも書かれていた。


 《酒質鑑定 Lv1》を得たせいなのか、それとも王都へ来てから考え方が変わっただけなのか、ロアンには区別がつかなかった。強い酒を作れるという一文より、その酒をどんな量で飲ませるのか、どんな香りを残すのかという記述が気になった。


「これにします。仕込み方だけじゃなく、出来た後にどうすればいいかまで書いてあるから」


「なら、その本は長く使えるでしょう。蒸留は器具より先に火の扱いで失敗する人が多いですから、そこはよく読んでください」


「そこは帰ったら仲間にも見てもらいます。僕は泡や匂いを見る方は慣れたけど、釜の火加減はその人の方がずっと分かるので」


「それがいいでしょう。蒸留は酒だけ知っていても、火の扱いだけ上手くても失敗します」


 老人はそう言って、火を弱める箇所へ紙片を挟んでくれた。


 ティルダが選んだのは武具図譜だった。


 剣、短剣、槍、斧、盾、防具が、用途別に寸法と一緒に描かれている。新しく得た《武具設計 Lv1》の影響なのか、ティルダは見栄えのいい剣の頁より、同じ短剣を用途別に並べた頁を何度も見ていた。


「これ、ヴォルフの話と同じだ。旅用は鞘まで細くしてるし、魔物相手のは刃元が厚い。同じ短剣でも、使う人と使い方で形が変わってる」


「それを持って帰れば、フレイにも勉強になるな」


「うん。あと、この留め具。革鎧の肩だけ外せるようになってる。宝珠の枠を作る時にも参考になるかもしれない」


 レオンも図を覗き込んだ。


「宝珠の枠はフレイの仕事が細かかったからな。こういう留め具が何種類も載ってるなら、見せる価値はありそうだ」


「でしょ。フレイ、たぶん留め具の頁から先に進まなくなるよ」


「その時はティルダが別の頁を見ればいい。二人で同じところへ詰まる必要はないだろ」


「それもそうか。じゃあ私は刃と鎧の方を見る」


 最後に、フレイ向けの工匠の機構図集と、ミラ向けの栽培図譜も選んだ。


 機構図集には蝶番、留め具、小型の巻き上げ機、折り畳み機構などが図で載っている。栽培図譜は果樹だけでなく、根菜、香草、薬草、花まで扱っていた。


「六冊で銀貨四十九枚です」


 老人が言った。


 ロアンは積み上がった本を見た。


「六冊で、昨日の肉一包みより高いんだね。でも何度も読めるし残るから得かな」


「使えば知識が残りますよ。棚に置いたままなら、ただ重いだけですが」


「それ、レオンも同じこと言いそう」


 レオンは銀貨を数えながら頷いた。


「一回でも失敗を減らせる本なら安い。読まないなら全部高い」


「僕の本はすぐ読むよ。味を想像しながら読むんだ。楽しみだよ」


     ◇


 本屋を出て少し歩いたところで、ロアンは足を止めた。


 通りの向こうから、乾いた音が三つ聞こえた。


 たん、たたん。


 少し間を置き、今度は同じ拍が速くなる。


「楽器屋だ。今の拍、店の中で誰かが叩いてる」


 ロアンは看板を探すより先に道を渡った。近づくほど、革の張り具合まで分かりそうな乾いた音になる。


「こっち。入口は…たぶんそこだ」


 レオンとティルダがその後を追う。


 看板には、弦を張った小さな楽器と太鼓が描かれていた。


 店へ入ると、壁という壁に楽器が掛かっている。笛、角笛、小さな竪琴、リュート、胴の丸い弦楽器。奥では若い店員が、浅い木枠へ革を張った太鼓を指先で鳴らしていた。


「その枠太鼓、持って鳴らしてもいいですか?」


「どうぞ。旅へ持っていくなら、その軽い型の方が扱いやすいですよ」


 ロアンは枠太鼓を片手で持った。


 革の中央を叩くと低く、縁に近いところを叩くと乾いた音が出る。肩に掛ける紐も付いているので、歩きながらでも使えそうだった。


 たん、たん、たたん。


 同じ拍を繰り返すと、横にいたティルダの指が膝の横で勝手に動いた。


「それ、歩く時に鳴ってたら足を合わせやすそうだね」


「歌わなくても拍だけで足は揃うね。戦う時に使えるかは試さないと分からないけど、道中で歩調を合わせるくらいならすぐできそう」


「帰ったらみんなで歌う時にも使えるじゃん。戦う時だけの道具にしなくていいし」


「うん。最初はそっちで使いたいな。宴会なら失敗しても誰も怪我しないからね」


 値段は銀貨三枚だった。ロアンが財布へ手を入れようとすると、レオンが太鼓の紐と木枠を確かめた。


「旅で使えて、帰ってからも遊べるなら共同で買おう。三枚なら試すには悪くない」


「僕の財布から出すつもりだったんだけど」


「なら、その分は予備弦に回せ。今のリュートが切れたら、太鼓だけじゃ歌いにくいだろ」


「それは助かる」


 ついでに、王都まで持ってきたリュート用の予備弦も二組買った。


 それだけで店を出るつもりだったが、奥の部屋から、今まで聞いたことのない低い音が響いた。


 ぼん、と床板を通って腹まで届く。


 ロアンは太鼓を抱えたまま奥を覗いた。


 椅子に座った男が、大きな木の胴を膝の間に挟み、太い弦を指で弾いている。弦は三本しかない。一音ずつ長く残り、旋律を弾くというより、ほかの音を下から支えるための楽器らしい。


「弾いてみますか?」


 男に声を掛けられ、ロアンはすぐ頷いた。


 抱えるには大きすぎたので、座って胴を支え、一本目を弾いた。低い音が胸の内側で震える。二本目は少し高かったが、それでも自分のリュートの一番太い弦より低い。


「歌の下に、ずっとこれを鳴らすんですか?」


「そういう使い方もします。踊りなら拍を支えますし、弦楽器が二人以上いる時は低い方を任せることもあります」


 ロアンはもう一度、一番低い弦を鳴らした。


 その低音が続いているところへ、頭の中で自分の歌を重ねてみる。低い音が消えずに残るぶん、自分の歌をどこへ乗せればいいのかが分かりやすかった。


「これ、面白いなあ。歌の下にずっと鳴ってる音って、今まであまり考えたことなかった」


 レオンも値札を見たあと、楽器の大きさを確かめた。


「持って帰れる大きさだったら欲しかったか?」


「欲しいね。かなり。でもこれを荷車に積んだら、僕の寝る場所がなくなるし、値段も高い」


「なら今日は音だけ覚えておけ。次に王都へ来た時、まだ欲しいならその時考えればいい」


「次に来る理由が一つ増えたね」


 ティルダは笑っていたが、その視線はさらに奥へ向いていた。


「ロアン、あれ何?」


 壁際に、卓ほどの大きさの木箱があった。


 上面には淡い木と黒木で作られた細長い鍵が、段違いに並んでいる。店員が椅子へ座り、その一つを指で押すと、箱の中から弦の音がした。


 続けて別の鍵を押すと、今度は違う高さの音が返った。さらに二つを同時に押せば、重なった音が一人の手から出る。


 ロアンは太鼓をティルダへ預け、近くまで寄った。


「触っても?」


「鍵だけなら。蓋は開けますが、中へ手は入れないでください」


 店員が上の板を開く。


 細い弦が何本も並び、鍵を押すたび、小さな木片が動いて弦を鳴らしていた。


「一人で何音まで出せるんです?」


「指が届く分だけです。上手い人なら左右で別の動きをします」


「左右で別の動きをするのか。一人で伴奏を二つに分けられるんだ」


 ロアンは椅子へ座り、右手で一音、左手で低い一音を鳴らした。次に右手で二つの鍵を同時に押す。


 三つの音が重なる。


 自分は一人しかいないのに、低い音を残したまま、その上へ別の音を重ねられる。歌いながらなら、さらに声まで足せる。


「これ、ずるいなあ。一人でこんなに音を出せるんだ」


 レオンも鍵盤を見ながら言った。


「一人で低い音と高い音を同時に鳴らせるわけか。旅に持つには大きいが、店や屋敷に置くなら面白そうだな」


 ティルダは鍵盤より、中の木片と金具を見ていた。


「フレイ、これ見たら絶対分解したがるよね」


「だろうな。機構図集も買ったし、こういうのは喜びそうだ」


「それでも本物を見たがると思うよ」


「その時はフレイも連れてくればいい」


 鍵盤の楽器は買わなかった。


 ロアンも、値段を聞く前からそのつもりだった。大きさだけでも、持ち帰るには現実的ではない。


 それでも店を出たあと、しばらく指先が勝手に動いた。


 太鼓の拍、腹へ響く低い弦、同時に鳴る三つの音。


 王都は音に向き合う人が大勢いて、自分の知らないものが沢山あった。


     ◇


 午後は器具屋へ向かった。


 蒸留器は、本で見た図よりずっと小さかった。


 丸い銅釜に蓋をかぶせ、細い銅管を水桶へ通し、その先の受け器へ流す。卓の半分ほどを使う大きさで、分解すれば木箱へ収まる。


 ロアンが蓋の継ぎ目を眺めている横で、ティルダは管の曲げ方について考えていた。


「この管、もっと短くできそう。曲げ方を変えたら箱も小さくできるよ」


 レオンも管の先から水桶までを目で追った。


「短くしたら、何が変わる?」


「箱は小さくできる。でも冷やす長さも減るから、同じように酒が取れるかは分からない」


「なら最初はこのままだな。違いが分からないうちに変えたら、良くなったのか悪くなったのか判断できない」


「それはそうだね。フレイにも最初はこの形を覚えてほしい」


 店主も頷き、釜の留め具を外して中を見せた。


「最初はこのまま使うのをおすすめします。火を強くしすぎると、出来る酒も荒くなります。管の長さを変えるなら、一度使ってからの方がいいでしょう」


 ロアンは本を抱え直し、開いた釜の内側と細い管を順に見た。


「じゃあ僕は、最初に出る匂いと味を残しておく。ティルダは器具の状態を追って。あとで記録を突き合わせれば、どこを変えた時に何が変わったか分かりそうだ」


「いいね。蓋を外す時は呼んで。留め具はフレイにお任せ」


 値段は、留め具二つを付けて銀貨二十二枚になった。


 レオンが店主と二、三度やり取りして決める間、ロアンは口を挟まなかった。欲しいと分かることを先に言えば、値段を下げにくくなる。それくらいは、前日の商談で覚えた。


 店を出てから、レオンが言った。


「値段が決まるまで黙っててくれたのは助かった」


「学習したんだよ」


「途中で息止めてたけどね」


 ティルダに言われ、ロアンは肩をすくめた。


「声が出なければ目的は達成してるでしょ」


 レオンは笑って、蒸留器の箱の片側を持ち上げた。


「それはそうだ。ほら、持って帰るぞ」


 宿へ戻る道では、蒸留器の箱をティルダとロアンで片側ずつ持った。


 枠太鼓はロアンの背中。本はレオンが二包みに分けて抱えている。


 昨日までは王都へ売る物を運んでいたが、今日は帰って使う物ばかりが増えていた。


     ◇


 その夜、ロアンは寝台へ入ってからも蒸留の本を読んでいた。


 向かいの寝台ではティルダが武具図譜を膝へ載せ、頁を行ったり来たりしている。


「ねえロアン。砥石ってさ、細かい方がきれいに研げるから、細かければ細かいほどいいと思ってた?」


「思ってない。そもそも僕、砥石をそんなに使わない」


「そっか。じゃあ、私が今日分かったことだけ聞いて」


「聞くよ。昨日までと何が変わったのかは気になる」


 ティルダは図譜をこちらへ向けた。


「荒いので形を作って、細かいので仕上げるって書いてある。ヤスリも平たいのと丸いので削る場所が違う。前は細かい工具ほど上等って感じで見てたけど、明日は用途で選びたい」


「ヴォルフに言われたこと、もう買い物の仕方まで変えてるね」


「技能が出たからっていうより、気にする場所が増えたんだと思う。明日はそれを試したい」


 ロアンも自分の本へ目を戻した。


 蒸留酒は強くすればいいわけではない。最初に出る液と途中の液では香りが違い、全部を混ぜれば量は増えても質が落ちることがある。何を残し、何を外すかを決める必要がある。


 《酒質鑑定》で発見した違いと、考え方は似ていた。


「僕の方も、強い酒を作れば高く売れるって話じゃなさそう。どこを取るかで味が変わるみたい」


「帰ったらすぐやる?」


「まずベラとミラに相談する。火を使うから最初は少量。どの匂いが出た時に火加減を変えたか残して、失敗しても理由を後から追えるようにしたいね」


「じゃあ私は器具の担当だね。最初の一回は改造しないし、そのあとなら管の長さも色々変えて工夫でできる」


 レオンはすでに寝台へ横になっていたが、目を閉じたまま言った。


「その続きは帰ってからでも読める。明日は工具を見たいんだろ。朝から眠そうにされたら店でも判断が鈍るぞ」


「分かってるよ。あと二頁だけ」


「二頁で止めるならいい。続きには紙を挟んどけ」


 ロアンは笑いながら自分も頁へ細い紙を挟み、本を閉じた。


 枕元の床には、新しい枠太鼓が立て掛けてある。


 叩けば宿の客を起こしそうなので、指先で木の縁だけを軽くなぞった。


     ◇


 翌朝、ティルダは朝食を半分食べたところで立ち上がり、残りのパンを片手に持った。


「工具屋、もう開いてるよね」


 扉まで二歩進んだところで、パン屑が革前掛けの上へ落ちた。


 ティルダはそれを見下ろし、しばらく止まる。


「……店の工具にこれ落としたら嫌だな」


 自分で席へ戻り、残りを二口で食べた。


 ロアンは笑いながら、蒸留の本へ挟んだ紙を一枚抜いた。


「僕も酒屋へ寄りたい。蒸留の本に出てた酒を一本買って、帰ってから比べる基準にしたいんだ」


 レオンが顔を上げた。


「自分たちで作った酒と、どこが違うか比べるためか?」


「うん。強さだけじゃなくて、香りとか、口に残る感じも比べたい。僕一人で飲んでも意味ないから、帰ってからみんなに感想を聞きたい」


「それなら一本買おう。基準がある方が、意見も聞きやすいだろう」


 朝食を終え、三人は空の木箱を一つ持って職人街へ向かった。


 バルトは今日も厩で休ませる。六日かけて王都まで荷を引いたのだから、帰るまでは休ませてやりたい。


 工具屋へ入るなり、ティルダの歩みが速くなった。


 壁には大小の槌、錐、鋸、ヤスリ、砥石、挟み具、測り具が並んでいる。


 前なら、一番細かいヤスリから順に手へ取っていたかもしれない。


 今日は違った。


「平たいのは刃の面。丸いのは穴と内側。半丸なら両方いけるけど、細い溝には入らない……フレイなら細い丸ヤスリを使うかな」


 ティルダは三本を並べ、店主へ鉄の硬さを聞いた。次に砥石を二種類選び、粗い方は刃の形を直すため、細かい方は仕上げ用だと確認する。


「全部の番手を買う気じゃないんだな」


 レオンが言った。


「全部あったら便利だけど、一本持って帰ればフレイと似たのを作れるか試せるからね。作れないやつだけ次に買えばいいでしょ」


「その買い方なら無駄が少ないな。金の貯まる買い方だ」


「でしょ。やることが増えたからって、買う数まで増やしたら意味ないじゃん」


「それなら今日は任せる。値段で判断できないときは声をかけろ」


 ティルダはすぐ次の棚へ向かった。


 細い鋼線、薄い真鍮板、小さな蝶番、精密な錐、線を写すための針の付いた測り具。自分たちで作れそうなものは一つだけ、材質や精度でまだ難しそうなものは必要な数を少し多めに選ぶ。


 ロアンには細かな違いはよく分からなかったが、ティルダが「細かい方がすごい」ではなく、「どこに使うか」で棚を行ったり来たりしていることだけは分かった。


 途中、握りの細い小槌を手にしたまま五分ほど動かなくなったので、そこは以前と変わっていない。


「ティルダ、そこで止まってから長いけど、まだ買うか考えてる?」


「今、フレイならこの柄をもう少し短くするか考えてる」


「見本を買うんじゃなかったの?」


「あ、そうだった。ここで使い方に悩む必要ないんだ」


 ロアンは少し安心した。


 ティルダは小槌を棚へ戻したあとも、二歩進んでから一度だけ振り返った。


 工具と材料で銀貨四十二枚。


 レオンは帳面へ数字を書き、木箱へ詰める物を一つずつ確認した。


「これ以上は、帰って実際に使ってからだな」


「今日はここまででいいよ。次に来る理由も残るし」


 ティルダがそう言うと、レオンは帳面を閉じた。


「いい選び方だった。必要な分で止められた」


 ティルダは一瞬黙り、すぐ木箱の蓋を閉めた。


     ◇


 工具屋を出たあと、ロアンは酒屋で透明な蒸留酒を一本だけ買ったが、その場で栓を開けようとはしなかった。


 そこから先は、待っている連中への土産探しになった。


 ベラには香辛料を三種類。辛い実を乾かしたもの、甘い香りの樹皮、肉の臭みを消す小さな種を少量ずつ選んだ。


「ベラ、これ全部すぐ使うかな。知らない香辛料って、まず少しずつ試すよね」


「たぶんな。昨日の肉に使ってもらえば、どれが合うか分かりやすい。気に入った物があれば、次に量を増やせばいいよね」


 ロアンは甘い香りの樹皮を鼻先へ寄せた。


「これは焼いた林檎にも合いそうだな。辛い実は肉、こっちの種は脂の匂いを軽くするって店の人が言ってた。三つとも同じ量にしない方がよさそう」


「その分け方ならベラも試しやすい。用途を聞いて買っておこう」


 レオンは店主へ保存期間も確認した。


 種を扱う露店では、ロアンが小さな花の種袋を手に取った。


 紫色の小花がまとまって咲く絵が描かれている。


「ミラには栽培図譜もあるけど、本だけだと仕事の物みたいでしょう。これも一つあった方がいいんじゃない?」


 レオンは袋の裏に書かれた育て方を読んだ。


「寒さには強いらしい。これなら帰った先でも試せそうだな」


「食べられないのに、買うの止めないんだ?」


「花を食うつもりで買う奴はいないだろ。ミラへの土産なら、それがいい」


 ロアンは少し笑って、隣に並んでいた香りの強い葉を採れる草の種も手に取った。


「じゃあこっちも一つ。これは料理にも使える」


「両方あれば、育ち方の違いも比べられるな。ミラなら楽しみにしそうだ」


 結局、花の種と香草の種を一袋ずつ買った。


 フレイへの土産は、折り畳み式の木製定規になった。


 二本の細い木板を真鍮の金具でつなぎ、開くと長い尺になる。畳めば腰袋へ入った。


 ティルダが金具を二度開閉した。


「フレイ、これ見たら最初にここ見るね」


「それで次の日には三本くらい増えてそう」


「私の分も作ると思う。目盛りもっと細かくしてもらおうかな」


 レオンも定規を一度畳んでみた。


「長い尺を腰袋に入れられるのは便利だな。荷の寸法を見る時にも使えそうだ」


「ほら。レオンの分まで作ることになった」


「頼むのは、フレイが自分で作りたくなってからにする」


「たぶん渡した日のうちに作りたくなるよ」


 キュウの分は、食肉を扱う区画で見つかった。


 犬用として束ねられていた牛の大腿骨の中から、ティルダが腕ほどもある一本を選んだ。


「これならキュウ、たぶん袋を開ける前から匂いで分かるよ。絶対喜ぶ」


「今日買った物の中で一番安いのに、反応は一番大きそうだね」


 レオンも骨を持ち上げ、重さを確かめた。


「あいつなら高い土産より、この骨の方が喜ぶだろうな。これだけ大きければしばらく持つ」


最後に、バルトには上等な燕麦を一袋と、糖蜜を少し買った。


「六日間ずっと荷を引かせたからな。これくらいは食わせてやりたい」


「バルトなら糖蜜の方がお好みかな」


「たぶんな。燕麦を残したら、あとで混ぜる」


 市場を抜けかけたところで、今度はティルダが足を止めた。


 小さな露店に、真鍮の髪留めが並んでいた。


 葉や鳥、花を薄い板から打ち出した安い品で、職人街で見た精密な金具とは比べものにならない。


 ティルダは葉の形をした一本を手へ取り、裏返した。


「この葉っぱの髪留め、いくらですか?」


 店主が値段を答える。


 ティルダは金具の噛み合わせを一度だけ確かめ、そのまま銅貨を出した。


「いつもなら、まず作りを見て終わりそうなのに。今日は買うんだ?」


 ロアンが聞くと、ティルダは高く結んだ赤銅色の髪へ留め具を差した。自分では位置が見えず、少し首を傾ける。


「作れると思うよ。でも今日は、これが欲しいから買った。……曲がってる?」


「少し左。もう指一本ぶん右」


 言われた通り動かすと、葉の真鍮が髪の横で小さく光った。


「そこ。似合ってる」


「じゃあこれでいい」


 ティルダは満足そうに一度だけ髪へ触れ、そのまま髪留めを外さなかった。


 レオンも用途を聞かなかった。


     ◇


 宿へ戻る頃には、空だった木箱が二人で持たなければならない重さになっていた。


 部屋の卓と床へ買った物を並べる。


 行きに積んできたのは、酒と肉と武具だった。帰りに増えたのは売り物ではない。


「結局、二日でどれくらい使った? ずいぶん箱が重くなったけど」


 ロアンが聞くと、レオンは帳面を確認し、二日分の支出を指で追った。


「銀貨百二十九枚と、銅貨が少し。王都で売った分の半分までは使ってない」


「けっこう使ったのに、金持ちの買い物をした感じがしないね」


「本と工具と蒸留器だからな。飾る物より、帰って使う物の方が多い」


「本と工具と蒸留器なら、私は服を買うよりよっぽど金持ちの買い物した感じする」


 ティルダが即答したので、ロアンは笑いながら新しい枠太鼓を膝へ載せた。


「じゃあ少なくとも一人はいたね。僕は太鼓で十分うれしいけど」


 王都で売った酒も肉も、洞窟で作ったものだった。


 その代金で、本と道具と蒸留器を買い、ロアンは知らなかった楽器の音まで知った。銀貨を袋へ残すより、帰って試せる物が増えた方が、ロアンにはずっと面白かった。


 枠太鼓の革を指先で一度だけ叩く。とん、と軽い音がした。荷紐を締め終えたレオンが、その音を聞いて手を伸ばした。


「貸せ」


 ロアンが渡すと、レオンは革の中央を指で一度叩いた。低い音が、さっきより少し長く響いた。


「悪くないな。この音なら、少しくらい荷物が増えてもいい」


 ロアンは思わず笑った。


「レオンが叩いた」


「一回だけだ。壊してないか確かめただけだ」


「そういうことにしておくよ」


 レオンは太鼓を返し、そのまま蒸留器の箱へ荷紐を回した。


 明日は帰る。


 低い弦楽器も鍵盤の楽器も持って帰れないが、どんな音だったかは覚えている。ロアンは太鼓を木箱の上へ置き、今度は叩かずに荷造りを手伝った。

持ち帰れなかった楽器からは『音』の思いでを持ち帰りました。買わなかった物まで土産になる王都でした。

皆さんの思い出に残りましたら幸いです。

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