旅商人は王都で値段を聞きます
王都の門をくぐるまでに、レオンたちは半刻近く並んだ。
ベルクの門前でも荷車が詰まる日はあるが、ここでは並んでいる物の種類から違った。穀物袋を山積みにした四輪車、染料樽を積んだ商会の荷車、檻へ入れた羊、貴族家の紋を付けた箱馬車まで、二列になって城門へ吸い込まれていく。
門衛は商人組合の札と積み荷を確認し、酒と加工肉の数を書き留めた。氷殻大蜥蜴の胸当てを見たときだけ手が止まったが、レオンが販売見本だと答えると、それ以上は聞かなかった。
荷車を預けられる宿を探し、バルトへ水と飼葉を頼んだ頃には日が傾いていた。
「職人街、まだ開いてるかな」
荷を部屋へ運び終える前からティルダが言った。
「開いてる店はあるだろうが、今日は紹介先へ行かない。朝の方がまともに話せる」
「見るだけなら夜でも……」
ティルダは言いかけて、自分の手を見た。六日分の旅埃が爪の縁に入り、握ったままの胸当ての包みも少し湿っている。
「……先に洗う。これで武具触ったら、私が嫌だ」
「それがいい。売る話は明日の朝からだ」
ティルダは街へ出る代わりに湯桶で腕まで洗い、前腕当てを外して擦れを確かめた。旅で使った自分の装備と、売るための胸当てを並べると、同じ作りでも汚れ方はかなり違っていた。
その夜は三人とも早く寝た。
◇
翌朝、紹介札の商会へ向かうため、大通りへ出た。
石畳は荷車が三台並んでも余るほど広く、両側には三階建ての石造りの建物が続いている。軒下には布、香辛料、革靴、金具、焼き菓子が並び、通りを一本横切るだけでベルクの市場一つ分を見たような気分になる。
人間の背が幾重にも重なる通りでは、小柄なティルダの姿はすぐ人波へ隠れた。それでも足元近くを通る荷車の車輪や、店先から低く突き出した金具には先に気づく。レオンは時々、赤銅色の太い髪束がまだ横にあることを確かめながら歩いた。
レオンは店より先に、人の流れを見た。
荷を抱えた下働き、剣を下げた冒険者、黒い法衣の神官、商会印を胸につけた書記。誰も立ち止まらない。大きな町では、珍しい物が珍しいままでいられる時間も短い。
「ねえ、あれ」
ティルダが足を緩めた。
通りの先に、小さな広場があった。
中央に立っている古い石像は、片手に長い槍を持った戦士だった。人の姿に近いが、額の左右から短い角が伸び、耳も人間より長い。石の表面は雨に削られ、外套の裾や指先は丸くなっている。
「あれ、魔人の像だよね。王都って、こんなのも建てるんだ」
ロアンも像を見上げ、台座に刻まれた古い文字を目で追った。名前の下には、短い碑文が続いている。
《魔の身を持ちながら人類と共に戦い、多くの命を救った者》
「王都の真ん中に像まで建つんだな」
ティルダはそれだけ言った。
像の足元では、露店の女が焼いた木の実を売っていた。子どもが台座へ腰を掛けようとして母親に服を引かれ、役人らしい男は碑文へ目も向けず通り過ぎていく。
レオンも足を止めたのは数息だけだった。
「行くぞ。約束の時間に遅れる方が、今は問題だ」
「帰りにもう一回見てもいい?」
「通るならな。まずは商談を終わらせるぞ」
ティルダは像を振り返りながら歩き出したが、その先で鍛冶屋の看板を見つけると、今度はそちらへ顔を向けた。
◇
紹介札の焼き印と同じ印は、大通りから一本入った酒商の看板にあった。
店番へ木札を見せると、奥からベルクで会った男が出てきた。
「本当に来たか。紹介札を渡しても、半分くらいは来ないと思ってた」
「余る分が出たから来た」
「そう言うと思ったよ。俺はガレスだ。ベルクじゃ名乗るより先に酒の話を始めちまったからな」
四十前後の男は前と同じ地味な旅着ではなく、今日は濃い茶色の上着を着ていた。それでも袖口の補修跡は残っている。
商談室へ入ると、レオンは三つ火の焼き印が入った林檎酒の小樽を二つ並べた。ガレスは酒より先に、その印へ目を留めた。
「前に飲んだ樽にもこれがあったな」
「作った場所の印だ。同じ印なら同じ作り方をしてる」
「それは助かる。貴族家の方からも、前のと同じ酒ならまた欲しいと言われてる。珍しい酒を一度出すだけなら簡単だが、二度目に違う味を持っていけば、俺の方が信用を失うからな」
ロアンが樽栓を開けた。
「二つとも出る前に確認してます。香りと酸味が大きく違う樽は混ぜてません。ただ、林檎そのものが毎回同じじゃないから、完全に同じ味にするのは無理です」
「その言い方なら信用できる。『全部同じです』と言われる方が怖い」
ガレスは二つの樽から少量ずつ杯へ取り、順に口へ含んだ。次に店の棚から別の林檎酒を一本持ってこさせ、空の杯をロアンの前へ置く。
「飲み比べてみろ。こっちは王都じゃよく出る林檎酒だ」
ロアンは先に王都の酒を飲んだ。次に自分たちの酒を少しだけ口へ含み、舌の上で転がす。
「向こうの方が酸味が強いですね。飲んだあと口が軽い。僕らのは香りが残るから、同じ量でも少し甘く感じる」
「そうだ。王都の酒場なら、そっちの酸味がある方が何杯も売りやすい。だが食事の最後に一杯だけ出すなら、お前たちの方を選ぶ客もいる。前に気に入った貴族家は、まさにそっちだ」
ロアンはもう一度、自分たちの杯を鼻先へ寄せた。
「僕、今まで発酵が終わったあとも、変な匂いがないかとか、酸っぱくなりすぎてないかとか、作る側の失敗ばかり見てました。出来上がった酒を誰がどう飲むかまでは、ほとんど考えてなかったな」
「酒そのものへ点を付けて終わるなら、それでもいい。売る側は、その酒を高く買う客を探す。百人全員がまあまあ旨いと言う酒より、十人が次も欲しいと言う酒の方が商売になることもある」
ロアンは杯を見たまま黙った。
胸元で淡い光が灯る。
職業札を取り出すと、新しい文字が増えていた。
《酒質鑑定 Lv1》
ロアンはすぐに何か言わず、王都の杯と自分たちの杯をもう一度並べた。
「……面白いな。旨い方を当てろって技能じゃないんだ」
「何か変わったか?」
レオンが聞く。
「まだ大したことは分からない。でも、酸味とか香りの違いが前より言葉にしやすい。たぶん、どっちが上かより、どう違うかを感じる方なんだと思う」
ガレスが頷いた。
「それなら使い道はある。酒を売るなら、客へ『旨いです』だけ言うよりずっとましだ」
「帰ったら樽ごとに少しずつ比べてみたいな。泡と匂いだけじゃなく、出来上がった後の違いも残しておけば、次に持ってくる酒を選べる」
ロアンは札をしまい、今度は杯を仕事の道具を見るような顔で眺めた。
値段の話へ戻ると、ガレスは二樽とも買うと言った。
「一樽、銀貨二十五枚。今の品質で三つ火の印が付いてるなら、その値で取る」
ベルクでは一樽銀貨二十枚だった。
片道六日の運賃と手間を引いても、差は大きい。しかもガレスは、貴族家へ回す分だけでなく、同じ傾向を好む料理屋にも見せるつもりだと言った。
「次から月四樽くらいなら、この値で受けたい。貴族家が毎月四樽飲むって意味じゃないぞ。こっちで売り先を分ける」
「四樽は約束しない。ベルクの客へ出してる分と、自分たちで使う分を残して、それでも余るなら持ってくる」
「分かってる。ベルクで同じことを聞いた」
ガレスは苦笑し、銀貨を数えた。
「変わらないなら、その方がいい。売り先が増えた途端に前の客を切る商人は、こっちも長く付き合いにくい」
レオンは銀貨五十枚を受け取り、帳面へ書いた。
《林檎酒 二樽売却 一樽銀貨二十五》
◇
「武具も見せたいのか…酒の客に短剣を売るより、職人に見せた方が早い」
ガレスに紹介された武具屋は、同じ通りを二つ曲がったところにあった。
店主のヴォルフは、五十を少し越えた大柄な男だった。左手の親指と人差し指に古い火傷の跡があり、店の奥には売り物とは別に砥石と小さな金床が置かれている。
「値段だけ聞いて帰る客なら短く済ませる。作った本人がいるなら、悪いところまで言うぞ」
「その方がいい」
ティルダが即答した。
最初に出したのは普通鋼の短剣だった。
ヴォルフは刃を光へ向け、柄を握り、木片を二度削った。次に刃元と鍔を指で押す。
「悪くない。柄も癖が少ないし、研ぎ直しもしやすい。俺なら銀貨二十八枚で買う。ただ、ベルクでもこれに近い値が付くなら、六日運ぶ手間に見合うほどの差じゃないな」
ティルダは嫌な顔をしなかった。
「出来が悪いからじゃなくて?」
「逆だ。普通に良い品だから、ベルクで普通に売れ。王都じゃ同じ価格帯の職人が多い。運賃を乗せても買わせる理由がない」
「それなら分かる。普通の鉄まで王都で売らなくていいんだ」
二本目の青魔鉄短剣を渡すと、ヴォルフの手が止まった。
今度はすぐに試し切りをせず、刃先から根元まで何度も角度を変えて見る。背を軽く弾き、柄を握り直した。
「青魔鉄を全部に使ってないな」
「刃の必要なところへ厚めに入れてる。前より研ぎ代も残したよ。薄すぎると何度か研いだら普通の鉄だけになるって分かったから」
「誰に教わった?」
「使って、減ったのを見た」
ヴォルフの口元が少し上がった。
「そういう答えは好きだ。材料が珍しいだけじゃない。重さも前へ寄りすぎてないし、柄も実戦用の太さだ。この出来なら銀貨五十枚で買う」
レオンは数字を書きながら、ベルクの林檎酒一樽を思い浮かべた。二樽分を越える。
ティルダは銀貨の話より先に、ヴォルフがもう一度短剣を握り直した手へ目を向けた。
「同じの、何本なら欲しい?」
「出来が同じなら三本まではすぐ取る。ただし、お前はこの柄を誰にでも同じにする気か?」
「手が大きい人なら太くするよ」
「それだけじゃない。街中で護身用に持つ奴と、魔物を相手にする冒険者じゃ同じ短剣でも欲しい物が違う。護身用なら軽く、服へ引っ掛からない鍔でいい。冒険者用なら多少重くても骨へ当てて負けない方がいい」
ティルダは黙った。
ヴォルフの店に並ぶ短剣と、自分の短剣を何度も見比べる。やがて紙を一枚借り、炭筆で二本の柄を描き始めた。
「街で持つ方は鍔を少し詰めて、柄も細くできる。刃も少し薄くしていいなら軽くなるし、青魔鉄も減らせる。冒険者用は今の厚みを残して……同じ短剣の安い版にするんじゃなくて、最初から別の物にすればいいのか」
胸元が淡く光った。
ティルダの手が止まる。
職業札には、新しい文字が出ていた。
《武具設計 Lv1》
「私、今なにも作ってないのに。鉄にも触ってないよ」
「作る前の仕事が増えたんだろ」
レオンが紙を指すと、ティルダは札と二本の絵を交互に見た。
「……これ、フレイに見せたい」
「その紙は持って帰れ。フレイにも見せればいい。今は胸当ても見てもらおう」
「うん。こっちも値段を聞いて帰る」
言いながら紙を畳んで懐へ入れる動きだけは、短剣を片づける時より慎重だった。
胸当てを卓へ置くと、ヴォルフは先ほどより長く黙った。
氷殻大蜥蜴の外皮は、胸の正面に硬い部分を残し、脇と肩へ向かうほど薄く削ってある。縁の革紐、二層の鉄を鋳直した留め具、裏の当て布まで順番に見てから、ヴォルフは胸当てを裏返した。
「氷殻だな。ここまで大きい一枚物は久しぶりに見る。硬い部分をそのまま残すと動けなくなるが、脇だけ落としてあるのか」
「自分たちでも使ってる。硬いだけだと邪魔だからね」
「縫いも悪くない。金具も軽い……ん?」
ヴォルフの指が、胸当ての内側にある小さな金属枠で止まった。
枠の中央には何も入っていない。四隅の小ねじを外せば、内側の押さえ板だけ交換できる作りになっていた。
フレイが考えたものだった。
《護風の宝珠》を一つの防具へ縫い付けてしまえば、その防具を修理している間は宝珠まで使えない。なら外側の枠だけ共通にし、宝珠の形に合わせた押さえ板を作って交換すればいい。手持ちの《護風の宝珠》も、必要なときは同じ仕組みで防具へ移せる。
「これは何を入れる?」
「宝珠。そこは妹が考えたんだ」
ティルダはすぐ答えた。
「何でも入るわけじゃないよ。宝珠の形が違ったら、中の押さえ板を作り直す。外の枠ごと防具を壊さなくて済むようにしてる」
ヴォルフは小ねじを一本だけ緩め、押さえ板が動くところまで確かめると、元へ戻した。
「縫い付けるよりずっといい。宝珠を別の防具へ移すたびに革を切らなくて済むし、枠が傷んでも金具だけ替えられる。革が珍しいから値が付くと思って持ってきたなら、それだけじゃないぞ」
ティルダの琥珀色の目が細くなった。
「いくら?」
「銀貨八十。宝珠なしでだ。素材の値段だけならもっと下だが、この厚みの分け方と留め具、それにその枠まで含めてなら出す」
「八十……」
ティルダは一度だけ胸当てを見た。
「売る。妹に、あの枠にもちゃんと値段が付いたって言えるから」
「姉妹で作ってるのか?」
「うん。細かい金具とか、私が途中で面倒になりそうなところはだいたいフレイの方が上手い」
「本人の前でもそう言えるなら、次は連れてこい」
「言えるよ。フレイも私がでかい鉄を叩く方が速いって言うし」
ヴォルフは普通鋼と青魔鉄の短剣、それに胸当てを買い取った。
レオンの帳面には三つの数字が増えた。
《普通鋼短剣 銀貨二十八》
《青魔鉄短剣 銀貨五十》
《氷殻革胸当て 銀貨八十》
◇
最後は食材だった。
ガレスから教えられた食材屋は、表に乾燥香草と塩漬け肉を吊るし、奥に仕入れ用の広い台を置いていた。
女主人のマルタは太い腕に白い前掛けを巻き、油紙の包みを見た途端に言った。
「氷殻大蜥蜴って聞いたけど、場所は聞かない。値段を付けるのに必要なのは、倒してからどう扱ったかだよ」
「倒した日に解体して、その日のうちに冷やした。凍らせたまま置ける場所がある。仕組みと場所は話さない。状態を見てから塩と香草を当てて、燻した」
「それで十分。冷やせる場所を持ってる商人に、その場所を吐かせて次から来なくなる方が私には損だからね」
マルタは細い刃を取り出した。
「一切れもらうよ。食べずに値段だけ高く付けるほど親切じゃない」
「値段が分かるなら切ってくれ。二切れ目からは買い取り分に入れてもらう」
「ちゃんと商人だね」
薄く切った肉を、まず冷たいまま食べる。
次に小さな鉄板を火へ掛け、一切れだけ温めた。脂がゆっくり溶け、肉の匂いと一緒に甘い煙の香りが立つ。
マルタはすぐには飲み込まず、何度か噛んだ。
「煙が強くない。何の木?」
「林檎です。実を取ったあとに出る剪定枝を乾かして使ってます」
ロアンが答えた。
「なるほどね。果樹の枝なら何でも同じにはならないけど、これは肉の脂に合ってる。焦げ臭さが残らないところを見ると、煙だけじゃなく火加減にも気を付けてるね」
「料理人が、火と煙にだいぶうるさい」
「いいことだよ。高い肉へ強い煙を掛けて、素材の味を全部消す店もあるからね」
マルタはもう一切れ切り、断面を窓の光へ向けた。
「それに状態がいい。王都へ来る氷殻の肉は、倒してから運ぶ間に水が出ることが多い。これは脂も崩れてないし、燻す前に冷やして止められてるのが大きい」
ティルダが仕入れ台へ身を乗り出して値段を聞く。台は彼女の胸元近くまであり、厚い前腕を縁へ置いてようやく包みの断面が見えた。
マルタはその勢いに笑った。
「値段を聞くのはあんたかい。ずいぶん食いつくね」
「今日はずっと値段聞きに来てるんだからいいじゃん」
「この大きさと同じ状態なら、一包み銀貨三十二枚。三つともその値で買う」
ロアンは値段を聞き間違えたように、二度ほど瞬きをした。
「一包みで、林檎酒一樽より高いんだ」
「高い魔物肉は酒と比べる物じゃないよ。これ一包みを一人で食べる客はいない。薄く切って何皿にも分けるし、料理屋なら一皿ごとに値段を付ける。それに、氷殻がいつでも市場へ出るわけじゃない」
ティルダはすぐに指を折り、残っている量を頭の中で数え始めた。
「残してる分と、燻製棚の分を合わせたら……いや、全部は駄目だな。キュウも食べるし、一層へ行く時の飯にも使ってる」
指を一本戻す。
「でも三十二って聞いたら、どこまで売れるかは知りたくなるよ」
「それは俺も計算する」
レオンは帳面の余白へ数字を置いた。
「取れる量、こっちで食う量、燻製に回せる量を分けないと、王都価格だけ見ても意味がない。次に倒した時、一度量ってみるか」
「いいね。私、骨と皮の方も量知りたい」
ロアンは残った肉の包みを見て、少し笑った。
「昨日まで夕飯だったものに銀貨三十二って付くと、噛む回数まで増えそうだなあ」
「値札を見ながら食べるのはやめな」
マルタが言い、三人とも笑った。
マルタは三人を眺めてから、少し真面目な顔へ戻った。
「同じ状態なら、一度に十包みくらいまでは今の値で相談できる。それ以上を急に持ってくるなら先に言って。王都が大きくても、高い魔物肉を毎日食べる客が無限にいるわけじゃない。量が増えれば、こっちも売り先を増やす時間が要る」
「毎回十包みを約束する気はない。取れた量と、こっちで残す分を見てからだ」
「それでいい。値段を守るなら、売る側も量を守らないとね」
三包みで銀貨九十六枚。
レオンは帳面へ書いたあと、小瓶を三本取り出した。
「もう一つある。これは売り物じゃなく、味を見てほしい」
「今度は何?」
「林檎の酢だ。酒にする分の一部を別にして、少量だけ作ってる」
マルタは小瓶を開け、匂いを嗅いだ。皿へ一滴落とし、水で薄めてから舌へ乗せる。
「悪くない。酸味が尖りすぎてないし、林檎の香りも残ってる。ただ、三本だけじゃ値段は付けないよ。同じ味でまとまった量を出せるかも分からないんだろ?」
「ああ。今回はその判断でいい」
「次に樽とは言わないけど、せめて何本か揃えて持ってきな。料理屋へ見せるなら、その時に考える」
酢は売らず、そのまま荷へ戻した。
◇
日が暮れる頃に三人が宿の部屋へ戻っても、窓の外ではまだ荷車の音が続いていた。ベルクなら店じまいを始める時間でも、王都の大通りは人が減る気配がなかった。
レオンは卓へ帳面を広げた。
林檎酒は二樽、短剣は二本と胸当て一つ、燻製肉は三包みを売り、酢だけは値段を付けずに持ち帰る。
だが、欲しいと言われた量は、持ってきた量より多かった。
ガレスは次も林檎酒を欲しがった。
ヴォルフは青魔鉄の短剣を三本まで見たいと言った。
マルタは燻製を十包みまで相談できると言った。
そのどれにも、レオンは数を約束していない。
「結局、全部もっと持ってこいって言われたね」
ロアンが寝台へ腰を下ろしながら言った。
「酢はまだだ」
「それでも、次はまとまった量で見せろって言われた。僕、王都って何でも高く売れる場所だと思ってたわけじゃないけど、同じ物でも相手を選ぶとここまで変わるんだな」
ロアンは自分の職業札をもう一度見た。
「《酒質鑑定》も、旨いか不味いかを当てる技能じゃない気がする。さっきの酒、王都の方が悪かったわけじゃない。置く店と飲む人が違うって分かったから増えたんだと思う」
ティルダは卓の端で、ヴォルフの店から借りて写した短剣の絵をまた開いていた。
「私はこっち。今まで同じ物をもっと丈夫に、もっと切れるようにって考えてたけど、誰が使うかで最初から形を変えていいんだって分かった。あと、フレイの仕事が銀貨八十の中にちゃんと入ってた」
「そこが一番嬉しそうだな」
「だって私がここにいるのに、フレイの仕事まで王都で見てもらえたんだよ。帰ったら最初に言う」
レオンは帳面の数字を見た。
王都では高く売れる。
だからといって、全部をここへ運べばいいわけではない。
林檎酒はベルクで待っている客がいる。燻製肉は自分たちの食卓にも必要で、階層主を倒せるからといって毎回すべてを加工品へ回すつもりもない。ティルダとフレイに、王都へ出す数を満たすためだけに工房へ張り付かせる気もなかった。
暮らしを回したあとに余り、その余りに王都では高い値段が付く。それなら十分だと判断し、レオンは最後の行へ明日の予定を書いた。
《本、工具、蒸留の道具、見本になる品》
「明日からは買う側だ。使う上限は売上の半分までにする。使い切る必要はない」
レオンは帳面を三人の間へ回した。
「欲しい物は、今すぐ使う物、見本に一つ欲しい物、今回は見るだけの物に分けよう。王都まで六日かけて来たんだ。帰ってから『何でこれ買った』になるのが一番馬鹿らしい」
「理由なら工具はいくらでも言えるよ」
ティルダはすでに炭筆を持っていた。
「僕は本と楽器かな。あと、さっきの酒みたいに比べる基準になる物があるなら見たい」
「なら書け。明日の朝、順番だけ決める」
三人で帳面へ項目を増やしていく。
卓の上には、売った品の代わりに増えた銀貨と、二人の職業札、それから「買う理由」まで書き込まれた明日の帳面が残った。
「百人全員がまあまあ旨いと言う酒より、十人が次も欲しいと言う酒の方が商売になることもある」
ガレスさんが評した酒のように、この小説もなりたいものです。
ご賛同くださる方、評価やブックマークをつけていただけると作者が酔います。




