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帰り火の洞窟 ~役立たずと追放された少女、拾った洞窟を仲間たちの帰る場所にします~  作者: Rastarock
帰り火の洞窟

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炉守りを助けに来た男が倒れました

 鳥が飛び去って間もなく、窪地の上から小石がいくつか転がり落ちてきた。続いて何かを強く打ちつける重い音が二度響き、男のものらしい短い罵声と、聞き慣れない獣の鳴き声が重なる。


 ミラは炉の脇に立てていた錆びた火掻き棒を手に取った。武器として頼れる形ではないが、素手よりはましだった。横にいる魔物はすでに洞窟の入口近くまで出ており、右の前脚を浮かせたまま身体を低くして岩壁の上へ向かって唸っている。


「怪我をしているのですから、あまり前へ出ないでください。何が来るのか分かりません」


 尻尾へ手を伸ばすと、魔物が素早く振り返って牙を見せた。靴先へ背中を触れさせて眠るようにはなっても、身体をつかませるほど信用されたわけではないらしい。


「分かりました。では、私より前に行かないでください」


 魔物は聞かなかった。


 やがて外の音が止み、代わりに岩壁を擦る音がした。窪地へ出ると上から一本の縄が垂れてきて、先端が草の上へ落ちる。何度か強く引かれたあと、一人の男が岩壁を下り始めた。


 かなり背が高い。黒い外套の下には革鎧を着け、腰には短剣と片刃の剣、背には小さな採掘槌まで差している。三十歳を少し過ぎたくらいだろうか。短く切った黒髪は雨で額に張りつき、顎には剃り上げず切り揃えただけの短い髭が残っていた。右の眉を横切る古い傷の下には、暗い灰色の目がある。


 男は地面へ下りると、まず縄を引いて固定を確かめた。それから岩壁、斜面、洞窟の入口を順に見回す。外套の上からは細身に見えたが、腰の剣に身体を振られず立ち上がる動きは、戦うことに慣れた人のものに見えた。途中で一度だけ左膝へ手をついたものの、歩き方そのものはおかしくない。


 男が近づくにつれて魔物の唸り声が低くなり、ミラも火掻き棒を両手で持ち直した。入口をくぐった男は、炉の金色の火、ミラ、火掻き棒、魔物の順に見た。


「ここにいるのは、お前と……地竜の幼体か。ほかに誰かいるか」


「いません。二人です」


 男は一瞬だけミラを見たが、数え方については何も言わなかった。視線を幼竜へ戻し、右前脚の傷と痩せた腹を確かめる。


「その地竜、どこから連れてきた」


「連れてきていません。私が洞窟へ入ったときには、もう奥にいました」


「親は見たか」


「見ていません」


 男の目が洞窟の入口から窪地の斜面へ移り、岩壁の上や灌木の陰を探すように動いた。


「この大きさなら、まだ親離れする頃じゃない。怪我と痩せ方を見る限り、離れてから少し経ってるかもしれんが、成体が近くにいないとは決められないな。地竜は幼体を放って歩く種じゃない。上へ出るなら、その前に足跡や爪痕を見た方がいい」


「親が探しに来ることもありますか?」


「ある。今すぐ近くにいるとは言わんが、痕跡を確かめずに出歩くのはやめた方がいい」


 そこで幼竜が牙を見せた。


 男の右手が反射的に剣へ伸び、刃が半分ほど鞘から抜かれる。


「待ってください。この子は昨日から一緒にいますが、私には襲いかかっていません」


「幼体でも地竜は地竜だ。人に飯をもらったから安全になるわけじゃない」


「それは分かりません。でも怪我をしています。先に剣をしまってもらえませんか」


 男はすぐには剣を戻さず、幼竜も腹を低くしたまま動かない。ミラが二人の間へ入ると、男は何か言おうとして口を閉じた。顔から急に血の気が引き、抜きかけていた剣先が下がる。


「大丈夫ですか?」


「……離れろ」


 男は左肩へ手をやった。黒い外套の下から、血が細く流れている。


「怪我をしているんですね」


「岩針蜥蜴の針だ。触るな。毒がある」


 革鎧の左肩に近いところから、黒い針が一本突き出していた。


 男は自分で抜こうと右手を伸ばしたが、指先が針へ届く前に膝が折れた。ミラは身体を支えようとしたものの、男の方がはるかに大きく、革鎧も重い。巻き込まれて倒れそうになりながら肩を押し、どうにか横向きに寝かせた。


 男は目を閉じたまま動かなくなった。鼻先へ手を近づければ息はあるが浅くて速く、額へ触れるとすでに熱が上がり始めている。幼竜が近づいて外套を嗅ぎ、すぐに鼻先を引いて小さくくしゃみをした。


「毒の臭いでしょうか」


 返事はない。


 ミラはまず男の剣と短剣を外して炉の反対側へ置き、それから腰回りを調べた。火打ち石、方位盤、採掘用の鏨、小さな革袋、硬貨の袋があり、胸元には冒険者組合と行商人組合の証が下がっている。


 薬らしいものは見当たらなかったが、腰の後ろに厚い革の細長い容器があった。中には割れた小瓶が入っており、薬草と酢を混ぜたような強い臭いが残っている。毒針を受けながらここまで来たことを考えれば、持っていた解毒薬が割れた可能性は高そうだった。


 ミラは外套を脱がせ、革鎧の留め具を外した。左肩から脇にかけて服まで血に濡れている。布袋から小刀を出して傷の周囲だけ布を切ると、針の周りは紫色に腫れ、皮膚の下には細い黒い筋がいくつも浮かんでいた。


 共同寮では、魔物に噛まれたり毒虫に刺されたりした者が運び込まれることがあった。治療そのものは治療師がするが、ミラも傷を洗う水を用意し、薬草を刻み、包帯を押さえる仕事を何度も手伝っている。《応急手当》もある。毒針を残したままにしてはいけないことは分かった。


 水場から汲んだ水を小鍋で沸かし、その間に手を洗い、手拭いのきれいな部分を裂く。少し冷ました湯で布を濡らし、針の根元を押さえながらまっすぐ引くと、細かな返しのついた針が抜けた。傷口から暗い色の血が流れ、男の身体が大きく震えたが、意識は戻らない。


 血を拭い、冷ました湯で傷を洗う。出血が弱くなるまでは布を替えながら押さえた。血止め苔は昨日幼竜に使った場所を覚えているが、まずは毒の方をどうにかしなければならない。


 昼間に採った白苦草は、軽い毒や腹痛のときに煎じて使う。共同寮で教わった量は一杯につき葉を二枚で、それ以上を一度に使う場合のことは知らない。目の前の男が軽症には見えなくても、重いからといって知らない量へ増やす方が怖かった。


「二枚で作ります。効かなければ、時間を空けてもう一度にします」


 眠っている男へ断ってから白苦草を二枚刻み、小鍋で煎じる。青臭さの奥から強い苦い匂いが立ち始めると、幼竜は嫌そうに鼻先を上げ、炉の向こうへ移動した。


 十分に煎じたところで火から下ろし、飲める温度まで冷ます。男の上半身を少しだけ起こし、木匙の先へ煎じ液をのせて唇へ触れさせると、一度目は口の端から流れたが、二度目には喉が動いた。急げばむせるので、一匙ずつ飲み込んだことを確かめながら続ける。


 半分ほど飲ませたところで、男の瞼が動いた。


「……なんだ、これ」


「白苦草です。飲めるなら、もう少しお願いします」


「苦い……」


「白苦草なので、そこはどうにもできません」


 それ以上の返事はなく、男はまた目を閉じた。


 残りも少しずつ飲ませ、呼吸が急に悪くならないことを確かめてから、ミラは入口近くの岩陰へ走った。昨日、血止め苔を採った場所はすぐ分かる。必要な分を剥がして水場で泥を落とし、潰して傷へ当て、裂いた布で押さえた。


 それが済むと、夕食の途中だった豆と山葱の煮込みを温め直した。自分は一口食べただけで、鍋にはまだほとんど残っている。それでも、目の前の男の身体には足りないように思えた。


 布袋を確かめる。残っているのは黒パンが一つと、固くなったチーズの欠片だった。これを使えば、明日の朝に食べる物はなくなる。


 ミラは少しだけ手を止めたが、黒パンを細かくちぎって鍋へ入れ、残っていたチーズも上から削り落とした。明日のことは、男が朝まで生きていてから考えればいい。


 パンが汁を吸って柔らかくなるまで煮込み、今度は薬草を混ぜずに木匙で少しずつ食べさせた。炉の向こうから幼竜が鍋を見ている。


「あなたの分は、さっき食べました」


 長い尻尾が床を一度叩いた。


 男は途中で何度か目を開けたが、自分で身体を起こせるほどの力は戻らなかった。目を覚ますたびに少しずつ煮込みと水を与える。日が暮れて洞窟の入口が暗くなっても熱は下がらなかったものの、肩から伸びていた黒い筋は広がる速度が遅くなったように見えた。


 最初の白苦草から十分に時間を置き、二度目も葉を二枚だけ使う。さらに熱が上がったので、水玉草は別に煎じて少量ずつ飲ませた。何がどれだけ効いているのかは分からない。だから一度にやり方を変えず、呼吸、熱、腫れ、黒い筋の位置を見ながら続けた。


 夜が深くなる頃には、男の呼吸が少しゆっくりになった。三度目の白苦草も量は変えず二枚にし、煎じ液を飲ませ終える。傷口を洗い直して新しく採った血止め苔を当てたところで、首から下げた職業札が淡く温かくなった。


《野草知識 Lv1からLv2へ上昇しました》


 ミラは表示と、まだ熱の残る男の顔を見比べた。


「できれば、もう少し早く上がってほしかったです」


 職業札は何も答えない。ミラも返事は待たず、札を服の下へ戻した。布を水で濡らし直して男の額へ置くと、炉のそばでは水滴が一定の間隔で岩を打っていた。


 夜半を過ぎてから、ようやく額の熱が少しずつ引き始めた。


     ◇


 朝、男は目を開けると、しばらく岩の天井を見ていた。次に右手を腰へ動かし、そこに剣がないと気づいた瞬間、目つきが変わる。


「剣は炉の向こうに置きました。起きてすぐ幼竜を斬られると困るので、少し離してあります」


 男は身体を起こしかけ、左肩の痛みに顔をしかめて動きを止めた。炉の反対側では、幼竜も目を覚まして男を見ている。


「まだいるのか」


「昨日からずっといます。あなたが倒れたあとも、ここを離れていません」


「それは覚えてる。針は抜いたのか」


 声には昨日より力があった。男は自分の肩へ視線を落とし、巻かれた布の端から傷の周囲を確かめた。


「はい。傷を洗って、血止め苔を当てました。白苦草は一度に二枚ずつ、時間を空けて三回飲んでもらっています。熱が高かったので、水玉草も少し使いました」


 男はそこで、改めてミラを見た。


「薬師か?」


「いいえ。共同寮で手伝っていただけです。《野草知識》と《応急手当》はあります」


「解毒薬が割れてたなら、そのやり方でいい。白苦草を一度に増やさなかったのも正解だ」


 褒められたのだと理解するまで、ミラには少し時間がかかった。


「でも、とても苦かったと思います」


「それは薬のせいだ。お前のせいじゃない」


 男は口の中に残っている味を確かめるように顔をしかめた。


「水をもらえるか」


 ミラは水場から汲んだ水を小鍋へ入れ、匂いと濁りがないことを確かめてから差し出した。男は小鍋を受け取り、同じように匂いを確かめてからゆっくり飲んで息を吐いた。


「私はミラです。まだ名前を聞いていませんでした」


「レオンだ」


「レオンさんは、どうしてこの窪地へ下りてきたんですか?」


「岩壁のあたりから煙が出てた。人がいるのか、古い坑道でも開いたのかと思って見に来た。上で岩針蜥蜴が二匹いて、一匹目を倒したあとに二匹目の針をもらった」


 レオンは割れた小瓶の入った革容器へ目を向けた。


「解毒薬を使えば済むはずだったが、瓶が割れてた。荷のところへ戻るより煙の方が近かったから下りた。結果だけ見れば正解だったな」


「助けに来てくれたんですね」


「煙の正体を確かめに来ただけだ。助けられたのは俺の方だろ」


 レオンはそう言ってから、金色の火へ目を向けた。


「昨日から気になってるが、その炉は薪を食わないのか」


「はい。帰り火というそうです」


「帰り火?」


「私も一昨日知りました。分からないことはまだたくさんあります」


 レオンは炉をしばらく見たが、それ以上は聞かなかった。


「それより、お前はなぜこんな場所にいる。近くの村の者には見えないが」


「ラトス村へ行く途中でした。分かれ道に古い石の道標があって、ラトス村と書かれていたので、広い方へ進んだら道が土砂でなくなっていました」


「旧銀山道へ入ったのか」


「名前までは知りませんでした。もう一方は細くて、案内板も倒れていたので、道標のある方が正しいと思ったんです」


「あれは銀山が生きてた頃の道標だ。今のラトス道は細い方だ。旧銀山道も昔は村まで抜けてたが、崩れてから普通は使わない」


 ミラは昨日登れなかった斜面を思い出した。


「では、やはり道を間違えたんですね」


「間違えたうえに、ここへ落ちたのか?」


「戻ろうとしたところで泥が崩れました。昨日も斜面を登ってみましたが、まだ土が柔らかくて戻れませんでした」


 レオンはしばらく黙ってから、額を押さえた。


「それは遭難してる。自覚はあるのか?」


「はい。外へ出る道は探しています」


 レオンはもう一度幼竜を見た。幼竜も目を逸らさない。


「こいつの親のこともある。お前が昨日まで何も見なかったからって、近くにいないとは限らない。俺が動けるようになったら、まず上で足跡と縄張りの痕跡を確認する。成体地竜がこの辺りを回ってるなら、外へ出る前に知っておかないと危ない」


「分かりました。私だけでは見分けられないので、お願いします」


 レオンは短く返事をして立ち上がろうとした。石台へ右手をついて腰を上げたところで、まだ身体に力が戻っていないらしく、そのまま座り直す。


「今日は無理をしない方がいいと思います」


「分かってる。今ので確認した」


 ミラも水を取りに立とうとした。ところが、立ち上がった途端に視界が暗くなり、床が急に近づいたように感じる。慌てて石台へ手をつくと、小鍋が触れて乾いた音を立てた。


「おい」


「大丈夫です。少し立つのが早かっただけです」


「俺より元気な奴の倒れ方じゃないだろ」


 レオンの視線が小鍋から布袋へ移った。幼竜がその布袋へ鼻を入れ、食べられるものがないと分かると、すぐに顔を抜く。


「食料は残ってるのか」


「昨日の夕食と、残っていた黒パンはレオンさんに食べてもらいました。私は味見をしたので、何も口にしていないわけではありません」


「味見は食事じゃない。最後にちゃんと食ったのはいつだ」


助けに来た人まで倒れました。

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