↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
帰り火の洞窟 ~役立たずと追放された少女、拾った洞窟を仲間たちの帰る場所にします~  作者: Rastarock
三つ火の酒

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
29/84

旅商人は冷たい箱を貸します

 冷蔵箱の側面に結んだ試験札へ、フレイが十一日目の線を引いた。


 朝と夜に水の冷え方を確かめ、魔石の色と表面の霜を見て、扉を開けた回数を大まかに記す。最初に入れた小氷魔石はまだ冷たさを失っていない。何日で使えなくなるかは分からないが、少なくとも十日そこそこで交換が必要になる品ではなさそうだった。


「これなら、町で使ってもらっていいと思う。洞窟の中だけで開け閉めしてても、店でどうなるかまでは分からないし」


 フレイは札を読み返してから、箱の扉を二度押した。留め金が噛み、板と板の間に指先が入らないことまで確かめる。


「ただ、石は今のをそのまま使う。ここで新品へ替えたら、十一日続けた試験が切れるから。新品は予備で一つ持っていく」


「それでいい。道中で弱るなら、それも交換間隔を決める材料になる」


 レオンは作業台へ広げた帳面に、《冷蔵箱 試用一台》と書いた。


 ベルクまで通常なら四日。箱を置いた翌日に帰ってしまえば、店で使ったときの癖が分からない。かといって一度洞窟へ戻り、数日後にもう一度ベルクへ向かえば、それだけで往復に日数を食う。


「向こうに三日残る。置いた日と、その翌日、それから三日目まで。今回は代金を取らない。その代わり、箱に何をどれくらい入れて、何回くらい開けたかは聞かせてもらう」


「三日で問題が出なかったら、貸す方は始める? 何台くらい作る?」


 ティルダが横から聞いた。


「始めるか考えるのはその後だ。何台作るかも決めない。店で使えば、洞窟では出なかった問題が出るかもしれん」


「やっぱり、まず一台を外で使ってからなんだ」


 ティルダは次の箱に使えそうな板へ目をやった。三歩先には鋸もある。そこで一度だけ鼻を鳴らし、手は伸ばさなかった。


「帰ってきて寸法が変わったら二度手間だもんね。板の厚さだけ覚えとく」


 フレイが試験札を指で押さえる。


「私は店で開ける回数を聞きたい。持ち帰って直すところが十個出たら、同じ箱を十台作った分だけ直すことになるから」


「それは嫌だな。じゃあ今は一台でいい」


 ベラが厨房から顔を出す。


「持っていくなら、中身まで入れて運ぶんじゃないよ。四日も揺らした箱で肉を冷やしたって、箱の試験なのか道中の試験なのか分からなくなる」


「中身は空だ。魔石は今のを動かしたまま、予備だけ別に持つ」


「ならいい。ついでに町で塩を買ってきておくれ。肉が増えたせいで、前より減りが早い」


 ロアンは食堂の椅子に座ったまま、冷蔵箱の三つ火の印を眺めていた。


「帰りに酒屋へ寄るなら、前の樽と味がずれてないか聞いてきて。こっちで同じつもりでも、運んだあとに違うなら困る」


「それは聞く。箱の試験と一緒に、向こうでの酒の評判もな」


「助かる。僕は樽の中までは追いかけて行けないからね」


 ミラはレオンの帳面の横へ、自分の記録帳を置いた。


「《帰還》は使えます。前に使ってから七日以上経っています」


「ああ。向こうで試験を見終えたら、帰りは歩かない」


「三日確認したあとですね」


「問題が出れば延ばす。向こうで直せるなら直す。持ち帰らなきゃならんほど駄目なら、その時点で試験終了だ」


 フレイは冷蔵箱を見た。


「持ち帰ることになっても、直せるなら失敗じゃないよ。何が駄目か分かるから」


「客の肉を腐らせても同じこと言えるならな」


「それは嫌だわ」


 そこでようやく、話がまとまった。


     ◇


 四日後の昼過ぎ、レオンとフレイはバルトに二輪荷車を引かせ、ベルクの西門をくぐった。


 荷台の中央には油布を被せた冷蔵箱。その周りへ、修理用の板、薄い鉄板、蝶番、留め金、工具袋を固定してある。酒屋へ卸す林檎酒も積んでいたが、箱とは離して縄を掛けた。


 フレイは四日分の埃がついた油布を見るたびに気にしていた。門を抜けて最初の水場で、とうとう布を外して箱の側面を拭き始める。


「店へ持っていく前に、印くらい見えるようにしたい。これじゃ何を作ったか分からないじゃん」


「三つ火が見えるくらいにはしておいた方がいいか」


「うん。冷える前に汚い箱だと思われたら嫌なの。姉ちゃんはまず中身を見るけど、私は外から見えるところが気になる」


 赤銅色の髪は今日は二本の細い編み込みを片側へ寄せ、青い布紐で留めていた。道中の埃は服にもついているのに、三つ火の焼き印の溝へ入り込んだ泥だけは爪の先まで使って落としている。


 箱の上面はフレイの胸より少し高い。拭くたびに荷車の縁へ片足を掛けるので、青い布紐と短い上衣の裾が小さく揺れた。姉と違って臍は出ていない。洞窟の工房では気にならなかったが、人間用の荷車に大きな箱を積むと、ドワーフなのだと嫌でも分かる。


「箱は勝手に仕事する、か。箱の見た目まで気にするなら任せる」


「宿に着いたら自分の服も着替えるよ。順番が違うだけ」


 そう言われれば筋は通っていた。レオンはバルトへ水を飲ませる方へ回った。


 最初に向かったのは、西門からそう遠くない肉屋だった。


 店先には解体した羊が吊られ、奥の石台には朝に切り分けた豚肉が並んでいる。レオンはベルクへ獲物を持ち込むようになった頃から、何度もここへ角兎や角狼の肉を卸していた。


 店主は荷車を見るなり、血のついた前掛けのまま表へ出てきた。


「今日は獲物じゃないのか。でかい木箱なんか持ってきて、肉を買う側へ回ったなら歓迎するぞ」


「買うんじゃない。お前の肉を三日だけ冷やして預かる箱を持ってきた。店で使えるか試したい」


「肉を預かるのは俺の仕事だろうが。箱の方が預かるってどういうことだ? まず中を見せろ」


 油布を外すと、店主の眉が上がった。


 フレイが扉を開くと、四日間の道中も動かし続けた箱の中から冷気が流れた。上部の小部屋に固定した小氷魔石は、試験を始めて十五日目になってもまだ冷たい。通風路の出口には薄い霜まで残っていた。


「こんな小さい魔石で、本当に中が冷えてるのか。氷を入れてるわけじゃないんだな」


「小さい氷の魔石。中へ直接当てずに、冷たい空気だけ落とすようにしてある。底に水が溜まらないように排水も付けた」


 フレイは箱の後ろへ回り、細い排水口まで見せた。


 店主は腕を組んだ。


「面白いのは分かった。で、いくらだ」


「今回は取らん」


「お前がただで物を置いていくと、かえって怖いな」


「試しだからだ。三日使って、冷え方と使い勝手を見たい。役に立つと分かってから値段を決める」


「肉が傷んだら?」


「最初から箱いっぱい入れるな。今日中に塩へ回すつもりの分を少しだけ入れろ。それで箱のせいで駄目になったら、俺がその分を買い取る」


 店主はそこで初めて笑った。


「そこまで言うなら、試すくらいはしてやる。腐らないなら俺も助かる。暑い日は、夕方まで残った分を塩漬けするだけでも手が取られるからな」


 奥の作業台から、拳二つ分ほどの肉塊をいくつか持ってくる。フレイは上段と下段へ分けて置き、木札へ最初の量を書いた。


「扉を開けた回数も覚えておいて。正確じゃなくていいから、朝から昼まで何回くらい、昼から閉店まで何回くらいか」


「肉屋に扉を数えながら仕事しろってか」


「十回と五十回の違いが分かればいい。今まで試したときより、店じゃ何度も開けると思うから」


「それなら分かる。うちは若いのが用もないのに何度も奥へ取りに行くからな」


 店の奥で、わざとらしい咳払いが一つした。店主はそちらを見なかった。


 肉屋を出たあと、酒屋へ向かう前にレオンは冒険者組合へ寄った。


 受付で銅貨二十枚の鑑定料を払い、布に包んでいた半透明の宝珠を鑑定人へ渡す。


 しばらくして返ってきた札には、短く結果が書かれていた。


《護風の宝珠 Lv1》


《遠距離からの飛来物を感知》


《風障壁により軌道を逸らす》


《発動後、再充填まで約半刻》


「矢除けか」


「矢だけじゃない。飛んでくる物なら働く。ただし、近くで斬りつけられても守ってはくれんぞ」


 鑑定人がそう付け加えた。


 レオンは宝珠を布へ戻した。


「一度きりでも、外を歩くなら十分使える」


「防具につけるなら、壊したときに宝珠まで巻き込まないようにしろ」


 横で聞いていたフレイが、そこで宝珠を見た。


「取り外せるようにした方がいいね」


「帰ったら考えろ。今は酒屋だ」


「もう考えてる」


     ◇


 問題は、その日の夕方に出た。


 レオンたちは西門近くの宿へ荷を置き、塩と細かな買い物を済ませてから肉屋へ戻った。店主は冷蔵箱を指し、朝より複雑な顔をしていた。


「下は冷たい。肉も悪くない。けど、昼すぎから上がぬるくなった。石がもう駄目なんじゃないか?」


 フレイは返事をする前に扉を開け、上段の木椀へ触れた。次に下段、通風路、魔石の順で手を当てる。


「石はまだ冷たい。下へ冷気も落ちてる」


「じゃあ何だ」


 店主が聞くより先に、若い店員が肉を一包み抱えてやってきた。箱の扉を開け、上段の奥を探し、違うと気づいて下段へ手を伸ばす。目的の肉を取り出すまで、扉は開いたままだった。


 フレイがその動きをじっと見ている。


「今日、これ何回くらいやった?」


「俺ですか? 二十……いや、三十は開けたかな。親方も開けてるから、全部ならもっとです」


「洞窟だと一日に十回も開けない」


 フレイはしゃがみ込み、扉の下へ手を当てた。


「開けるたびに冷たい空気が全部逃げてる。下はまたすぐ冷えるけど、上まで戻る前に次を開けてるんだ」


 店主が鼻を鳴らした。


「肉屋で箱を開けるなって言われても困るぞ」


「言わない。箱の方を直す」


 フレイは工具袋を開いた。


 持ってきた薄板を二枚、箱の内側へ合わせる。外扉を開けても上段と下段が一度に外気へ晒されないよう、内側へ別々の蓋を付ける案だった。必要な段だけ開ければ、反対側の冷気は残る。


 レオンが訊く。


「今日中にできるか」


「板は切れる。蝶番は予備がある。あと外の留め金も少し強くしたいな。閉め方が軽いと、忙しいときに半端で止まるし」


「まず内蓋と留め金だ。今日の問題は、開けるたびに冷気が逃げることだろ」


「それは分かってる。でも外扉の合わせも良くない。直せるところを残したまま帰るのは嫌だよ」


「左上の隙間まで今日やる必要があるか?」


 レオンが指したのは、扉の角に見える細い線だった。光へ向ければ分かる程度で、手を当てても冷気はほとんど感じない。


 フレイは黙り、しばらくその線を見た。


「……見えたなら直した方がいい。板一枚足せば終わるし」


「今日は内蓋と留め金までだ。店を閉めたあとで一刻も作業する気か。客が困ってるのは上がぬるいことだろ。そこは明日、冷え方がまだ弱かったら直せ」


 店主が二人を見比べ、笑った。


「俺は冷えれば文句ないぞ。箱を眺めて暮らすわけじゃない」


「でも隙間はある」


「明日また来る」


 レオンが言うと、フレイはまだ扉の角を見ていたが、やがて炭で小さく印を付けた。


「分かった。ここは明日。忘れないように印だけ」


 内蓋と留め金の追加は、日が落ちきる前に終わった。


 フレイは宿へ戻る途中でも、二度振り返って肉屋の方を見た。


「まだ気になるのか」


「気になるよ。分かってる隙間を残してきたんだから。明日の朝、酒屋へ行く前に寄って直したい」


「冷え方も一晩経ってまた変わる。その順番ならいい」


「じゃあ朝一番ね。店主が昨日のままでいいって言っても直すから」


 翌朝、本当に朝食を半分残して肉屋へ行き、扉の角へ薄い木片を当てて合わせを直した。店主には「昨日のままでも十分冷えてたぞ」と言われたが、フレイは「冷えることと、分かっている隙間を残すことは別」と答え、結局、指で何度も扉を押してからようやく宿へ戻った。


     ◇


 三日目の昼、箱の上段も下段も冷たかった。


 初日に入れた肉はすでに売れていたが、二日目の閉店前に残った肉がまだ箱に入っている。店主はそれを取り出し、表面を嗅いでから切り口を確認した。


「普段なら昨日の閉店前に塩漬けしてたやつだ。今日はまだ生で売れるな」


「捨てる量は減りそうか」


「減る。塩も手間も減る。毎日全部を入れるほど大きくないが、閉店前に残った上等な部位を翌朝まで持たせられるだけでも使い道はある」


 店主は箱の側面を叩き、そのまま三つ火の印へ指を滑らせた。


「で、次からいくら払えばいい」


「まだ決めない」


「商売する気あるのか?」


「あるから急がない。石が何日で弱るかはまだ測ってる途中だ。箱を貸して、石の交換と修理までこっちで持つなら、その手間を積まないと値段は決められん」


「じゃあ、これは持って帰るのか」


「いや。もう少し置いていく。予備の石も一つ預ける。試験中だけは、冷えが弱くなったら上の小部屋を開けて入れ替えてくれ。交換した日を札へ書いて、酒屋に伝言を置いておいてくれ。次に来るまで持たないなら、その時点でこのやり方は駄目だ」


「この印がある箱は、お前らが冷えるところまで面倒見るってことか。いいじゃねぇか」


 レオンはその指先にある三つ火を見て、少しだけ考えてから頷いた。


「そういう物にするつもりだ。箱だけ置いて、あとは知らんとは言わない」


「なら、値段が決まったら先に俺へ持ってこい。使えなくなってから返せって言われる方が困る」


「石の減りを見てから話す」


 フレイは店主の言葉より、三つ火の印に付いた肉脂を布で拭く方へ注意が向いていた。レオンはそれを止めなかった。


     ◇


 肉屋を出たあと、レオンは定期取引の酒屋へ向かった。


 今回は林檎酒を少量だけ持ってきている。冷蔵箱の実地試験が主目的だったため、荷車いっぱいに樽を積むことはしなかったが、いつもの取引を止める理由もなかった。


 店の裏口へ回ると、見覚えのない馬車が一台止まっていた。車体は長旅の泥で汚れているが、車輪の鉄輪はよく手入れされ、荷台の覆い布にはベルクでは見ない商会印が縫い付けられている。


 酒屋の店主はレオンの顔を見ると、手招きした。


「ちょうどいいところに来た。お前の酒を持って帰った客がいる」


「持って帰った?」


「王都までだよ」


 店の奥で杯を持っていた男が振り返った。


 四十前後に見える。旅装は地味だが、上着の袖口も革靴も傷んだところだけ丁寧に直してあり、腰の革袋には商人組合の札が二枚下がっている。派手に金を見せる商人ではないが、長い距離を商売で歩いている男だとレオンには分かった。


「これを運んでるのがあんたか」


 男は杯を軽く上げ、レオンの荷車の方へ顎を向けた。


「造ってるのは別の奴だ。俺は売る方だ」


「その方が話が早い。前にこの店から一本買って王都へ戻った。自分で飲むつもりだったんだが、付き合いのある貴族家の食事へ持っていったら、そこの方がえらく気に入ってな。次に同じものがあれば持ってこいと言われた」


 レオンが酒屋の店主を見ると、店主は肩をすくめた。


「王都まで出てたのか」


「俺が売った先の先まで全部追いかけてるわけじゃない。こいつが勝手に持っていったんだ」


「勝手とはひどいな。ちゃんと金は払った」


 男は笑ってもう一口飲み、杯の中の酒を光へ透かした。


「ただ、貴族が気に入ったからといって、それだけで十樽寄越せとは言わんよ。王都に酒はいくらでもある。珍しい果実酒もな」


「なら、何が欲しい」


「同じ物が次も来ることだ。最初の一本だけ旨くて、次は酸っぱい。その次は甘い。値段も毎回違う。それじゃ客に出せん。これは前に飲んだやつと大きく外れてない」


 酒屋の店主も樽へ手を置いて頷いた。


「こっちでもそこを評価して買ってる。造ってる吟遊詩人が樽ごとに確認してるらしい」


「吟遊詩人?」


「話すと長い」


 レオンが切ると、王都の商人は声を立てて笑った。


「長い話は王都で聞けばいい。今、こっちへどれくらい回せる?」


 レオンは即答しなかった。


 洞窟の樽数、定期的に買っている店、食卓で使う分、ロアンが仕込み中の酒。圧搾機ができて作業量は増えたが、売れる先が増えたからといって、先に取引している相手の分を削る理由はない。


「今の客へ出してる分を残したあとで余る量なら、持ってこられる。ただ、王都向けに何樽と今ここで約束はしない」


 男は杯を置いた。


「それでいい。売れる先が見えた途端、昔の客へ出す酒を減らす奴より話がしやすい。最初は一樽でも二樽でもいいんだ。王都なら、貴族家だけじゃなく宿も酒場も食堂も、ベルクより客の数が多い」


「王都まで、商隊なら何日だ」


「今の街道なら六日か七日。急いで走れば縮むが、荷を持ってやることじゃない」


 レオンも王都の大きさくらいは知っている。国中から商人と職人が集まり、ベルクなら一軒で済ませる品を、向こうでは何軒もの専門店が扱うとも聞く。


 だが、これまでの荷ならベルクと周辺の村で十分に売れた。片道一週間近くかけてまで行く理由がなかった。


 男は革袋から、小さな木札を一枚取り出した。表には商人組合の印、裏には商会を示す焼き印がある。


「今の客を守って、それでも余分が出るなら持ってこい。これを見せれば、俺のところまでは話が通る。貴族家の方も、同じ酒ならまた欲しいと言ってる」


 レオンは札を受け取り、財布ではなく帳面の革袋へ入れた。


「考える」


「商人の『考える』は信用ならんな」


「余りが出るか数えてから決めると言ってる」


「それなら、少なくとも数える気はあるわけだな…頼むぞ」


 男は満足そうに杯を空けた。


 店を出ると、フレイがすぐ横へ並んだ。


「王都って、酒だけじゃないんでしょ?」


「何が気になる」


「まだ何も。でも、気になりそうなものが沢山ありそうな予感がする」


 帰りに寄る予定だった鍛冶屋は、通りを二本挟んだ先にある。冷蔵箱の留め金に使う細い鋲と、工房で使う砥石を買うためだった。


     ◇


 鍛冶屋の店先には、農具と鍋が外へ出され、奥の壁には短剣、剣、手斧、鎖帷子が並んでいた。


 レオンが鋲の値段を聞いている間、フレイは武具の棚から動かなかった。


 一本の短剣を手に取り、刃ではなく柄尻を先に見る。次に鍔と柄の合わせ、鞘の口、留め革へ指を滑らせた。店主へ断ってから二本目も持ち、今度は値札を見る。


「どうした」


 レオンが聞くと、フレイは短剣を棚へ戻した。


「これ、悪くないよ。柄もちゃんとしてるし、刃も揃ってる。でも姉ちゃんが今作ってるやつなら、ここの上の方に置いてあるのと比べても負けないと思う」


「青魔鉄なら素材の値段も乗る」


「青魔鉄じゃなくても。二層の鉄で作った普通の短剣も、姉ちゃんは使う人の手に合わせて柄を直すでしょ。ここの値段でこれだけ付くなら……さっきの人が言ってた王都なら、姉ちゃんの装備も見てもらえるんじゃない?」


 フレイは自分の服の袖口を指で整えながら、もう一度棚を見た。


「酒だけ持っていくより、一本くらい持ってって値段聞いてみたい。姉ちゃん、自分が作ったものが王都でどう見られるか絶対気にするよ」


「気にするというより、店から出なくなる気がするがな」


「それもある」


 フレイが笑う横で、レオンは壁の短剣と値札を見比べた。王都で高く売れる保証はないし、ベルクより客が多いなら、同じだけ職人も多いはずだった。競争が強ければ、出来が良いだけでは値が付かないこともある。


「向こうで値が付くかは、実物を見せないと分からん。ただ、聞く価値はあるな」


「じゃあ姉ちゃんに言っていい?」


「行くと決めたわけじゃないぞ」


「『値段を聞く価値がある』って言う。そこは変えない」


「それならいい」


 鋲と砥石を買い、店を出た。


 ふとレオンは、通りの向こう側にいる灰色の頭巾を被った男が気になった。


 最初は、ただ目に留まっただけだった。


 ベルクで頭巾を被る者など珍しくなく、荷運びも職人も旅人も埃よけに布を被る。灰色ならなおさら多いため、レオンは振り返らなかった。


 フレイと並んで一つ先の通りへ曲がり、乾物屋で塩漬け豆を眺めた。買わずに出る。次は馬具屋へ寄り、バルトの手綱用の革紐だけを一本買った。


 馬具屋を出たとき、灰色の頭巾は井戸の脇にいた。以前、冒険者組合で銀貨を受け取った日に見た頭巾が一瞬浮かんだが、あの男の顔まではよく見ていない。同じ人物だと決める材料はなかった。


 距離はさっきとほとんど変わっていない。レオンは歩調を変えず、フレイへ低い声で言った。


「後ろを振り返るな。鍛冶屋を出たときにいた灰色の頭巾が、今も同じくらいの距離にいる」


「分かった。じゃあ、目だけでも向けない方がいい?」


 フレイの肩がわずかに固くなったが、歩調は変えなかった。


「今は見ない方がいい。気づいたと向こうに教える必要はない」


「冷蔵箱?」


「分からん。酒かもしれんし、俺かもしれん。偶然かもしれん」


「偶然なら?」


「確かめてから安心する」


 西門へは向かわなかった。


 宿へ戻り、荷物をまとめる。肉屋へは宿の小僧を使い、しばらく町を離れることだけ伝えた。冷蔵箱はそのまま置く。フレイは最後まで様子を見に行きたがったが、同じ店を行き来して尾行に目的地を教える方がまずいと説明すると、工具袋を閉じた。


「じゃあ、あの隙間は直したし、しばらく大丈夫」


「そう思って三日居たんだろ」


「うん。でも洞窟で想像するのと、ベルクまで見に行けるのは別」


 それから宿を出た。


 向かったのは東門だった。


 夕方前に、王都方向へ二日進む小さな商隊が出る。レオンは親方へ銀貨を払い、バルトと荷車ごと隊列の後ろへ入れてもらった。


「王都へ行くの?」


 門が見えなくなってから、フレイが小声で聞いた。


「今は行かない。王都へ見せる荷も、人選も何も決めてない。西へ出れば洞窟の方角を教えることになるから、今日は東へ出る。それだけだ」


「さっきの灰色頭巾が東門の外までついてきたら、さすがに偶然じゃないよね」


「そのときは尾行だと見ていい。だが、見えなかったからといって、すぐ西へ戻る気はない」


 一日目、街道の後ろに灰色の頭巾は見えなかった。


 それだけでは戻らない。相手が門外で別の者へ引き継いだ可能性まで考え始めれば切りがないが、少なくとも自分で見える範囲を確かめずに帰る理由もなかった。


 その夜は商隊と同じ野営地で休み、翌朝も昼まで一緒に進んだ。


 街道が二手に分かれる手前で商隊を離れ、乾いた石の多い涸れ沢へ入る。バルトを石の上だけ歩かせ、半刻ほど進んだところで林へ入り、そこで一度進行方向を逆へ向けた。


 フレイはようやく後ろを振り返った。


「さっきから誰も入ってこない。街道の方にも、それらしい人はいないよ」


「もう少し待つ。ここまでやって、最後だけ急ぐ必要も無いだろう」


 二人は林の奥で昼食をとった。


 フレイが硬いパンを割り、半分をレオンへ渡す。バルトは木につながず、長い手綱で近くの草を食ませた。鳥の声が戻り、遠くを荷車が通る音が一度したが、林へ入ってくる者はいない。


「これだけ待って誰も来ないなら、もう戻ってもいい?」


「ああ。ここから帰ろう」


 レオンは立ち上がり、バルトの腹帯と荷車の縄を確かめた。


 胸元へ手をやる前に、帳面の革袋へ入れた小さな紹介札が指に触れた。


 王都へ行くかはまだ決めていない。ただ、もし行くなら洞窟からベルクまで四日、そこから商隊で六日ほどかかる。ここで《帰還》を使って再び七日待ちになっても、王都から帰る必要が出る頃には待機は明けている。


 使わずに四日かけて洞窟へ戻る方が、今は余計だった。


「フレイ。帰るぞ」


「うん。姉ちゃんに早く王都の話したい」


 バルトも早く帰りたいのか、こちらに耳を向けた。


 レオンが帰り火を意識すると、橙色の光が足元へ広がった。


《帰還対象――第二炉縁者・レオン》


《随伴対象――第三炉縁者・バルト》


《随伴対象――第七炉縁者・フレイ》


《牽引具――二輪荷車》


《帰還荷を確認》


《帰還可能》


《帰還します》


 林の景色が橙色の光にほどけた。


     ◇


 洞窟へ戻ると、最初に飛び出してきたのはキュウだった。


 バルトの鼻先へ頭を押しつけ、それからフレイの腰へ体当たりする。フレイはよろけながら笑い、首の後ろを両手で撫でた。


「ただいま。箱は置いてきたよ。壊してないからね」


「きゅう」


「キュウに言っても仕方ないか」


 レオンが荷車の縄を外していると、ミラとベラ、ロアンが続いて出てきた。工房の方からは槌を持ったティルダも走ってくる。


「フレイ! 箱どうだった?」


「冷えた。店で開けすぎると上がぬるくなったから、内蓋を足した。あと留め金も変えた。扉の左上に隙間があったからそこも直した」


「やっぱり直すとこ出たじゃん。次は最初から内蓋つけよう」


「うん。それと、姉ちゃん。王都で姉ちゃんの武器に値段が付くかもしれない」


 ティルダの口が開いた。


「箱の話、もう終わり?」


 ベラが呆れたように言ったが、ティルダは聞いていなかった。


「王都? なんで?」


「ベルクの鍛冶屋で見たんだけど、姉ちゃんの普通鉄の短剣でも負けてないと思う。青魔鉄ならもっと分かりやすい。レオンも、値段を聞く価値はあるって」


「行くの?」


「まだ決めてない」


 レオンが割って入った。


「酒屋で王都の商人に会った。前に林檎酒を王都へ持って帰って、向こうの貴族家で出したら気に入られたらしい。余りが出るなら持ってこいと言われて、紹介札をもらった。それだけだ」


 ロアンが急に姿勢を正した。


「僕らの酒が王都の貴族に?」


「前にベルクへ出した一本が、その先まで行ったらしい」


「王都で飲まれたんだ」


 嬉しそうに言ったあと、ロアンは少し考え、炉の近くに置かれた樽を見た。


「次に出すなら、今の仕込みを急いだ方がいい?」


「急ぐな。今の客を削ってまで出す話は断った。余るなら持っていく。それもまだ決めてない」


「分かった。じゃあ普通に造る。王都って聞くと急ぎたくなるけど、味を崩したら一番つまらない」


 ロアンは樽から視線を戻し、今度はレオンの紹介札を見た。


 レオンは紹介札を取り出しかけた手を止めた。


「話はもう一つある。ベルクで灰色の頭巾の男につけられた。鍛冶屋を出たあと、何軒か回っても同じ距離にいた」


 ミラの表情から笑みが消えた。


「灰色の頭巾ですか。知っている人だったんでしょうか」


「分からん。前に冒険者組合で銀貨を受け取った日に、同じ色の頭巾を見たことはある。だが、前の男も今回の男も顔までは見ていない。正体も目的も決められん」


「ここまで来ていませんか」


「今日は撒いた。西門へは出ていない。東へ向かう商隊と二日近く進み、追ってくる者がいないのを確認してから帰還した」


 ミラの視線が、洞窟入口の向こうへ一度動いた。


「では、大丈夫ですか」


「今日の帰り道についてはな。ただ、ベルクで俺たちを見ている奴がいると思って動く。次も同じようにする」


「分かりました。地下の石戸は閉めていますけど、外の入口は隠れているだけですから」


「だから場所を教えないのが一番だ」


 レオンはようやく紹介札を食卓へ置いた。


 三つ火の印とは違う、商人組合と王都商会の焼き印が小さな木片の両面に入っている。


 ティルダが紹介札へ手を伸ばしかけ、指先の油に気づいて途中で止めた。


 隣のフレイが何も言わず布を差し出す。ティルダはそれで指を拭き、今度は札の端だけをつまんだ。


「これが王都まで通じる札?」


「紹介先までだ。向こうへ行くなら、まずこの商会を訪ねる」


 その横で、ロアンが王都までの日数を聞き、ベラが誰が留守に残るのかはまだ決めるなと言い、ミラは自分の帳面に《ベルク 冷蔵箱一台 試用継続》と書いた。


 レオンは紹介札を食卓の中央へ残した。


 行くと決めたわけではないが、これまでベルクで止まっていた帳面の売り先に、初めてその先へ続く札が一枚増えていた。

洞窟で動いたからといって、町でも使えるとは限らない。

なので今度は、実際の店へ一台だけ持ち込みました。

三つ火の商売がどこまで広がるのか気になる方は、ブックマークして見届けていただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。