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帰り火の洞窟 ~役立たずと追放された少女、拾った洞窟を仲間たちの帰る場所にします~  作者: Rastarock
三つ火の酒

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28/86

旅商人は冷たい箱を売りません

 翌朝、レオンが食堂へ入ると、ミラが地下へ続く階段の前で立ち止まっていた。


 朝食の支度はもう始まっている。厨房からは焼いたパンの匂いがし、ベラが鍋をかき回す音も聞こえる。それなのにミラは食堂へ戻らず、石段の暗がりをじっと見ていた。


「どうした」


 声を掛けるとミラが振り返り、昨日のアンデッドの話を思い出したのだと言った。


「あの……下にいる魔物って、こちらへ上がってくることはないんでしょうか」


 レオンも階段へ目を向けた。昨日まで、その疑問を考えていなかった。


 一層の魔物は奥でしか見なかったし、氷殻大蜥蜴も自分の縄張りから遠くまで追ってこなかった。だが、それは上へ来られない証拠にはならない。二層のアンデッドに至っては、どこまで歩くのかすら分からない。


「来ないとは言えんな。見た範囲では上がってこなかっただけだ」


「そうですよね。来ないと分かっているならいいんですけど、分からないまま夜になるのは嫌です」


 ミラの返事が早かった。


「夜、みんなが寝ている時に、骨がここまで上がってきたら嫌です。昨日は粉だけでも嫌だったので、本体はもっと嫌です」


「それは俺も嫌だな」


 鍋を持ったベラが厨房から顔を出した。


「というか、何で今まで閉める物がなかったんだい。大蜥蜴の時は地下へ降りる方ばっかり考えてたけど、向こうから来ることもあるだろ」


「考えてなかった。俺も含めてな」


 レオンが認めると、そこへティルダとフレイも来た。


 事情を聞いたティルダは、石段の両脇を見てすぐ壁へ手を当てる。


「ここなら閉じられるよ。ミラに石の戸と溝を作ってもらって、こっちで取っ手と止め金を付ければいい。厚くするなら、戸そのものを重くしすぎないで溝で受けよう」


「取っ手は低い位置にも欲しい。私たちでも体重を掛けやすい高さなら、誰でも押しやすい」


 フレイが壁へ手を当てると、ティルダも隣でしゃがみ、二人で同じ溝の高さを指した。


「分かってるって。あと覗き穴も欲しいな。開ける前に下を見られるやつ」


 ミラは《拠点カスタマイズ》を開いた。


 半透明の洞窟図が卓の上へ浮かび、地下階段の入口だけが拡大される。岩の形を変えること自体は早かった。階段の生活区画側へ横溝を切り、そこへ厚い石戸を滑らせる。閉じた時に隙間が残らないよう、左右と床へ浅い受けを作った。


 完成品の取っ手や固定具までは帰り火が作らない。そこは昨日二層から持ち帰った鉄を、朝から炉へ入れたかったティルダの出番になった。


「こういう金具に普通の鉄を使えるの、やっぱりいいね。青魔鉄で戸の止め金なんか作ったら、あとで自分に腹が立つところだった」


「昨日拾ってきて、もう今日使ってる。姉ちゃん、嬉しそう」


「使うために拾ったんだから当然でしょ」


 フレイは取っ手の位置を決めながら、階段脇の床を見た。


「それと、昨日みたいな汚れで毎回お風呂まで歩くのも嫌。ここで一回流せない?」


 ミラが顔を上げる。


「洗い場ですね。昨日みたいな汚れを、生活区画へ持ち込む前に落とす場所」


「人も装備も。キュウも洗えるくらい広くして、床の水は浴室へ行く前に排水へ落とす。昨日の赤い水をまたお風呂で流すより、その方が掃除が楽だよ」


 ベラが即座に頷いた。


「それもやろう。肉を扱う場所の横を、骨の粉付きで歩かれるよりずっといい」


 結局、朝食前に話し始めた安全対策は、午前中いっぱいの小仕事になった。


 石戸は人が両手で押せば滑り、閉じると鉄の棒を差して固定できる。腰の高さには手のひら二つ分ほどの覗き穴を残し、そこにも内側から閉じる小さな石蓋を付けた。


 その生活区画側には、壁から水を流せる浅い洗い場を作った。床を緩く排水へ傾け、双子が装備を掛ける鉄鉤と木のブラシ置きを後から付ける。


 ミラは石戸を一度閉め、覗き穴の蓋まで下ろした。


 地下から流れていた冷たい空気が途切れる。


「……これなら、夜は閉めておけますね」


「全員戻ったのを確認してからな。誰か下にいるのに閉めて安心するなよ」


「はい。誰が下にいるかも含めて、閉める前に確認します」


 ミラは素直に頷いた。


 レオンは閉じた石戸を見ながら、今さら作ったことに自分で少し呆れたが、気づいた時に直したのだからそれでいいとも思った。


     ◇


 午後、石戸はまた開いた。


 今日の目的は、一層で小氷魔石を追加することだった。


 作った冷蔵室と冷凍室には中氷魔石が一つ収まっている。応急の冷却箱に使った小氷魔石もまだ働いているが、どちらがどれだけ保つのかは分からない。交換用を持っておくに越したことはなかった。


 降りるのはレオン、ロアン、ベラ、キュウの四人だった。


 石戸の前でロアンがリュートを構える。


「今日もやるのか」


「またやるよ。せっかく入口まであるんだから、入る時くらい景気よくしたいじゃない」


 低い弦が鳴り、前回と同じ勇壮な旋律が石壁を走った。


 キュウは待っていたように胸を張る。ベラまで腰へ手を当てて、曲の終わりに合わせて一歩踏み出した。


「入口だけならいい。降りたら音を抑えてくれ」


「分かってる。レオンももう止めなくなったね」


「役に立ってるのは分かったからな」


 曲が終わるとロアンは満足そうにリュートを背へ回し、一行は一層へ下りた。間もなくレオンが足を止めると、石壁の一角に青白い霜苔がまた広がっていた。


 そこは以前、ベラが保存用に使えるかもしれないと言って、かなり剥いだ場所だった。全部ではないにしても、薄くなった跡を覚えている。


「ここ、また増えてないか」


 ベラが指で触れ、少しだけ摘む。


「増えてるね。前に取ったところだよ。全部元通りってほどじゃないけど」


「採った草まで戻るのか。便利な地下だなあ」


 ロアンが言った直後、前方で小さな爪音がした。


 氷甲蜥蜴が二匹、岩陰から出てくる。


 レオンは剣を抜いた。


「そっちも戻ってるらしい。数はまだ分からん。倒すぞ」


 戦闘は短かった。


 以前ならキュウが勢い余って二匹目まで追いかけそうになったところを、今日はレオンの声で一度止まり、横へ回る。ロアンが短く歌を乗せると、レオンが一匹を引き受け、ベラがもう一匹の逃げ道へ火を置いた。


 胸の小氷魔石を二つ回収する。


「一度取った場所に、また敵がいて、また石が取れる」


 ベラが布へ包みながら言う。


「少なくとも一回きりじゃないね」


「そう見える。ただ、何日で戻ったかは分からん。前にここを通った日と全部一致してるわけじゃないからな」


 レオンは奥を見た。初めて氷殻大蜥蜴を倒した日から数えるなら、今日で七日ほどになる。そこまで考えたところで低い擦過音が聞こえ、ロアンが歌を止めた。


「……奥。大きい。前と似た音がする」


 ベラと顔を見合わせる。


 さらに進むと、見覚えのある白い巨体が冷気の向こうにいた。


 氷殻大蜥蜴だった。肩から背へ厚い氷殻をまとい、胸を上下させながらこちらを見る。前に倒した死骸が蘇ったというより、同じ姿の個体が同じ縄張りへ戻っているように見えた。


 レオンは思わず足を止めた。


「……いるな」


「いるね」


 ロアンも小声になった。ベラだけは目を細め、何かを考えているようだった。


「肉まで戻ってるのかい」


「やはり肉として考えていたか。蜥蜴もこっちを見てるぞ」


「だって、前のはもうかなり食べたよ。いるなら倒した後の話も考えるだろ」


「まず倒せるか考えろ」


「前よりは分かってる」


 それはレオンも同じだった。


 冷気を吐く前には首が沈み、尾を振る前には腰がわずかに捻れる。氷殻の厚い位置と割れやすかった肩も、キュウをどこまで寄せればベラが退かせずに済むかも、七日前には戦いながら探したことが今日は最初から頭に入っている。


「ロアン。《戦歌》は短く刻め。キュウ、俺より前へ出るな。ベラは肩が割れるまで待て」


「分かった」


「きゅう!」


 大蜥蜴が冷気を吐く。


 四人は散った。


 前回ほど長い戦いにはならなかった。


 レオンが尾を避けて右肩へ青魔鉄の剣を二度入れ、白い亀裂を作る。キュウが横から体当たりし、殻が石床へ擦れた瞬間、ベラの《炉縁火》が割れ目へ走った。


 炎はレオンとキュウの身体を避け、氷殻だけへ絡む。


 ロアンの歌が、踏み込みと体当たりの間へ短い節を差し込んだ。


 どこへ合わせればいいのか、歌の方から近づいて来ているような感覚があった。


 氷が剥がれ、露出した肩へレオンの剣が入る。


 大蜥蜴が身体を振ったところへ、キュウがもう一度ぶつかった。


 最後はベラが火を細く絞り、傷口へ熱を入れた。


 巨体が崩れる。


 冷たい空気の中で、四人ともすぐには動かなかった。


 キュウだけが息を荒くしながら、前脚を上げる。


「もう覚えたんだね」


 ロアンが笑って掌を出した。


 ぱん、と音がする。


 レオンも続き、ベラは呆れたように笑いながら最後に前脚へ手を当てた。


「前より痛くなくなったね。そこは偉いよ」


「きゅ!」


 レオンは大蜥蜴の死骸へしゃがみ、《素材鑑定》を使った。高耐刃・高耐冷の外皮、品質極上の食用肉、胸部の中氷魔石という結果まで、前と同じだった。


 ロアンは階段の脇を見回してから、七日前に宝箱が現れた石床を指した。


「今度は箱、出ないね。前の場所も何もない」


「出てない。下への階段は開いたままだ」


「じゃあ宝珠は最初だけってことかね」


「一回見ただけじゃ断定はしない。ただ、今回は出ない。それだけは記録できる」


「素材は全部あるけどね」


 ベラは完全に食材を見る目になっていた。


「前みたいに全部手で抱えるのは勘弁だぞ。今日は小氷魔石が目的だった。持てる分だけにする」


「分かってるよ。冷蔵室にまだあるんだから、欲張って腐らせる方がもったいない」


 その言葉に、レオンは少し安心した。


 七日前と同じ相手を倒しても、七日前と同じ愚行まで繰り返す必要はない。


     ◇


 新しく作った洗い場は、その日のうちに役立った。


 石戸を越えたところで、レオンは剣と前腕当てを外し、壁の水口を開く。キュウは自分から浅い溝へ入ったが、冷たい水が背へ当たると一歩逃げた。


「風呂より先にここで大まかに落とす。嫌でも戻れ」


「きゅう……」


 ロアンが笑いながらキュウの背を流す。


「勇壮な入場曲の後が洗い場っていうのも、僕ららしいね」


「汚れたまま厨房を通るよりいいだろ」


「それはそう。ミラも昨日より近くまで迎えに来てるし」


 生活区画側で待っていたミラは、たしかに昨日ほど距離を取らなかった。


「今日は骨の粉はありませんか? 昨日みたいなのが付いていたら、ここでよく流してください」


「今日は一層だけだ。土と蜥蜴の汚れくらいしかない」


「それなら昨日より安心です。お話は洗ってから聞きます」


 レオンが言うとミラは頷いて食堂へ戻った。その夜、食事のあとに持ってきた一枚の板には、炭で日付と採取物が書かれ、最初に大蜥蜴を倒した日には丸印まで付いていた。


「最初に大蜥蜴を倒した日がここです。今日がここなので、七日ですね。小氷魔石を取った場所は全部同じ日ではありませんから、普通の魔物や霜苔についてはまだ分かりません」


「次も記録してくれ。主だけ七日で戻るのか、たまたま今日いたのかは、もう一回見ないと決められん」


「はい。宝箱が出なかったことも書きました」


「そこまで書くの?」


 ロアンが覗き込む。


「出なかったことも大事だと思います。次にまた出なかったら、最初だけだった可能性が高くなりますから」


「ミラの記録、商人より細かくなってきたね」


「在庫の数はレオンさんの方が細かいです」


「そこは張り合わなくていい」


 ベラが笑った。


     ◇


 それから二週間あまり、地下へ降りることは特別な冒険というより、目的に応じた仕事へ近づいていった。一層へ行く日はレオン、ロアン、ベラ、キュウが多く、二層で古武具を選ぶ日はベラの代わりにティルダが入る。フレイは工房に残って持ち帰った物を分類し、次に必要な金具や箱を作り、ミラは日付と採取量を残した。


 通常の魔物や霜苔は、戻り方が揃っていなかった。


 三日空けただけで氷甲蜥蜴が見つかることもあれば、前に採った霜苔がまだ薄い場所もある。小氷魔石も一度に同じ数が取れるわけではない。


 だが、氷殻大蜥蜴だけは違った。


 二度目の討伐から七日後、同じ縄張りへ行くと、また白い巨体がいた。さらにその七日後にも現れ、宝箱はどちらの時も出なかった。


 ミラの板には、最初の日から数えて七日おきの討伐印が四つ並んだ。


「ここまで揃えば、主は倒してから七日で戻ると見ていいだろう」


 レオンが言うと、ベラは冷蔵室の在庫札を見た。


「じゃあ肉は、食べ切る前にまた取れるね。旨い部分だけ持って帰ってもずいぶん余りそうだ」


「中氷魔石も増える。ただ、使い道もないのに取って積むな。冷える石を倉庫に山ほど置くのは管理が面倒だ」


「外皮は?」


 ティルダがすぐ聞く。


「必要な分は取る。加工待ちを積みすぎるな」


「分かった。じゃあ今ある分で先に作る」


 返事だけなら素直だった。その日の午後には、予定になかった小さな鞘金具をティルダが一つ試し始め、寸法を見たフレイが「それなら受け側も揃えたい」と加わった。結局、ベラに夕食を二度呼ばれてから、二人そろって作業台を離れた。


 二層では数日空けるとまた武具を持ったアンデッドが現れ、周回するほど金属の選び方も良くなった。


 最初は一本ずつ叩いて迷っていたティルダも、錆の深さと厚み、音で持ち帰る物を早く決められるようになる。レオンも袋の重さに対して残る量の少ない物を覚え、最初から置いていく判断がつくようになった。


 アンデッドとの戦いも少しずつ変わった。


 ティルダは正面から骨を殴るのではなく、膝の関節や鎧の留め具を狙う。骨兵の片脚を落とせば、キュウが倒しやすい。鎧の肩金具を叩き飛ばせば、レオンの剣が入りやすい。


 ある日の二層で、ティルダが鎧兵の膝を一撃で砕いた。倒れた敵をレオンとキュウが止めるのを待ち、動かなくなったのを確認してから、彼女は腰の職業札を見た。


「……《槌術 Lv1》って増えてる」


 声が妙に小さかったのでレオンがそちらを見ると、次の瞬間にはいつもの大きさへ戻った。


「レオン、新しい技能! 《槌術 Lv1》! 鍛冶の槌じゃなくて、ちゃんと戦う方でも出たよ!」


「何度も関節や留め具を狙ってたからだろ。金属を見る癖が、そのまま戦い方になってきたんじゃないか」


「それなら、あたしにしかできない槌の使い方になりそう。いいね、それ」


「いい技能だ。今の狙い方なら、鍛冶の目がそのまま戦いにも使える。次も動かないのを確認してから拾え」


「それならちゃんと覚えてるよ」


 そう言った直後、通路の先に落ちていた青銅の留め具へ一歩出かけ、ティルダは自分で止まった。


 レオンが何も言わず見ていると、彼女は少しだけ不満そうに腕を組む。


「……敵がいないのを確認してから行く。技能が増えた日に指を減らしたら格好悪いし」


「その順番でいい」


 別の日には、ロアンの《戦歌》がLv2になった。


 きっかけは一層の氷甲蜥蜴だった。


 三匹が岩場でばらけ、レオンとキュウの距離が開いた時、ロアンの歌へ先にキュウが反応し、次の節はレオンのためと分かった。以前の《戦歌》は皆が同じ拍へ乗りやすくなる感じだったが、その日は歌の方が戦場の形へ合わせて響いている。


 戦闘が終わったあと、ロアンは自分の指をしばらく見てから職業札を出した。


「《戦歌 Lv2》になってる。なんかさっき、誰に合わせればいいか前より分かったんだよね。キュウが先に動いたらそっちへ寄せて、レオンが入る前に戻す、みたいな」


「今の切り替え、助かった。前より歌がこっちに合わせてくれているのが分かる」


 ロアンは褒められると思っていなかったらしく、一度だけ目を瞬いた。


「そういう言い方されると、急に仕事みたいで居心地悪いな」


「でも助かったのは本当だ」


 その日の夕食では、ロアンが戦歌の一節だけをゆっくり弾き直した。キュウが食べるのを止めて前脚で床を一度踏み、今度は誰も止めなかった。


 キュウも一声で止まる回数が増え、骨兵へ体当たりしたあとに追いかけずレオンを見るようになった。背負える荷物も少し増え、二層帰りには選別済みの鎧板を以前より一枚多く載せられる。


 三度目の周回では、地下階段の前でロアンがなかなか弦を鳴らさないと、キュウがその場から動かなかった。ロアンが笑って勇壮な節を一つ弾くと、ようやく胸を張って降り始める。レオンは何も言わず、その後ろからついていった。


 工房の景色は、以前とはもう違っていた。


 壁際には鋳直した鉄の塊が積まれ、その横へ鋼、銅、青銅が分けられている。フレイが札を付け、ティルダが使うたびに減るが、次の周回でまた増える。


 青魔鉄しかなかった頃なら惜しくて使えなかった蝶番や留め具が、今は普通の鉄で作れる。レオンにはそれが肉や魔石以上にありがたく思えた。一回の大物より、何度でも取りに行ける普通の材料の方が、暮らしと商売を太くすることがある。


     ◇


「これ、小さくしたら使えると思うんだよね。しかも…町で売れそう」


 ティルダがそう言い出したのは、採ってきた小氷魔石の布包みが棚にいくつも並ぶようになった日のことだった。


 肉を急いで冷やすために作った応急箱は、もう役目を終えている。冷蔵室と冷凍室がある以上、洞窟内でわざわざ小さい箱を使う必要はなかった。


 けれど、小氷魔石だけは周回のたびに少しずつ増えている。


「前の箱は、石の近くだけ凍った」


 レオンが言うと、フレイが頷いた。


「箱が大きすぎて、置き方も雑だったから。冷蔵室で分かったことを小さい箱へ戻せば、もう少しましにできると思う」


 作業台には二層から回収した鉄で作った蝶番と留め具が並んでいた。


 ティルダは木箱の底を叩き、二重にして隙間へ布を詰める案を出した。


「魔石を直接食べ物に当てないようにして、上から冷やした方がいいんじゃない? 冷蔵室も冷たい空気が下へ溜まるし」


 フレイはもう炭で板へ線を引いている。二人が並んで箱へ屈むと、よく似た赤銅色の頭が板の上で近づいたり離れたりした。


「上の後ろ側に石だけ入れる小部屋を作る。その下へ細い道を通して、冷気を箱全体へ落としたい。姉ちゃん、石の小部屋だけ外から開けられるようにしよう。交換のたび中身を全部どかすのは嫌」


「それいい。じゃあ蓋はこっち側。底は少し傾けて、出た水を端へ逃がす」


 ベラも作業台の横から口を挟んだ。


「形が決まったなら、最初は水で一晩様子見だよ。肉を入れるのは上と下の冷え方を確かめてから」


「分かった」


 今度は二人とも同じ返事をした。


 一号機はその日の夕方には形になった。上部へ小氷魔石を一つ固定し、薄い板で食材へ直接触れないよう隔て、二層の鉄から作った蝶番と留め具、二段の木棚を付ける。見た目は悪くなかった。


 だが翌朝、下段の木椀には氷が張っているのに上段はぬるく、底には結露した水まで溜まっていた。


「冷えてはいるけど、これじゃ下だけだね」


 ティルダが言う。


「下だけね。上に肉を置いたら危ないし、下に野菜を置いたら凍る。あと排水穴が小さすぎて、水が抜けきってない」


 フレイは失敗した箱を見ても落ち込むより先に、もう直す場所を指でなぞっていた。


「冷気の道を一本にしたのが駄目。左右へ分ける。棚の奥にも隙間を作る。排水は底を少し傾けて、穴を端へ寄せる」


「じゃあここも――」


 ティルダが箱の側面へ炭で線を引こうとしたところで、レオンが止めた。


「待て。直すのは冷え方と排水だけだ」


 二人が同時に振り返ったので、レオンは箱の側面を指した。


「箱の飾りや取っ手の形まで広げるな。まず一台、同じ温度で使える物を作れ」


「まだ飾りって言ってないよ」


「大体わかる」


 ティルダは不満そうに口を閉じた。


 フレイは炭の線を消しながら言う。


「三つ火の印も付けたいね。扉を直したら位置がずれるかもしれないから」


「じゃあ印は最後か。分かった、先に冷え方から」


 二号機には二日かかった。


 魔石は上部後方の小部屋へ入れ、そこから左右二本の細い通風路を下へ伸ばす。棚の奥には指一本分の隙間を残し、底を排水穴へ向けてわずかに傾けた。扉は二重板にし、間へ乾いた布と藁を詰める。


 最初の夜は水を上下二段へ置き、翌朝どちらも凍っていないことを確かめた。上段も下段も手を入れればはっきり冷たい。次は玉葱と葉物を入れ、さらに一晩置いても凍らず、葉が萎れていないところまで確認した。


「これなら肉を入れて試していい」


 ベラがようやく許可したが、魔石の寿命は別問題だと念を押した。


「今日冷えてても、一週間後にぬるくなるなら使い方を決め直さなきゃならない」


「そこは私が記録する」


 フレイは箱の横へ小さな木札を結び、《試験開始》と書いた下に日付を入れた。


「朝と夜に上と下の水を触る。魔石の見た目も見る。扉を開けた回数も、大体でいいから書いておきたい」


「開けた回数まで、大体でいいの?」


 ティルダが驚くと、フレイは札へ日付を書きながら答えた。


「最初から全部正確には無理。使う人によって開ける回数が違うんだから、まず冷え方の変化を試す。それで足りなかったら次に細かくする」


「フレイが『大体でいい』って言う日が来るとは思わなかった」


「そこを記録しなくていいから、扉を無駄に開けないで」


 レオンも扉を一度だけ開けて確かめた。大きな冷蔵室ほどの容量はなくても、中は十分冷たい。肉屋や宿の厨房で傷みやすい物を一箱分だけ冷やせるなら、使い道はある。


 帰り火の洞窟には中氷魔石の冷蔵室がある。だが、ベルクの店にそんな部屋を作るわけにはいかない。小氷魔石一つで動くこの箱なら、話は違う。


 ティルダが作業台の端から焼き鏝を持ち上げた。


「動いたなら、これ押していい?」


 先には、中央の小さな火種を左右の炎が包む三つ火の意匠が付いている。


 レオンは箱を見た。


「まだ試験中だぞ」


「だから試作品の印。どうせ作ったの私たちだし、どっちが直した箱か分からなくなる方が嫌でしょ」


 フレイも箱の側面を指した。レオンには印を押したいだけに思えた。


「ここなら構造に影響しない。押しておけば、一号と二号を取り違えないし」


「…それならいい」


 ティルダは焼き鏝を炉で熱し、箱の側面へ押した。


 じゅっ、と乾いた音のあと、木肌に三つ火が残った。


「これ、ベルクで売れるよね」


 ティルダは嬉しそうだったが、レオンはすぐには返事をしなかった。売れること自体は間違いない。暑い時期の肉屋や宿の厨房、乳を扱う店なら、氷を毎日運ばず箱の中だけを冷やせる道具を欲しがる。薬屋にも用途はありそうだった。


 問題は、箱を一度売って終わりによりも良い方法があることだ。


 レオンは箱の上に置かれた予備の小氷魔石を見る。


「……いや。これは売らない方がいい」


 焼き鏝を持ったままティルダが振り返った。


「え、せっかく作ったのに? ベルクへ持っていくんじゃないの?」


「持っていく。ただし、作ったからこそ売り切らない」


 レオンは箱の扉を閉めた。


「小氷魔石はいつか弱る。何日持つかはまだ測ってる途中だ。箱だけ売れば、客は石が切れるたびに交換を考えなきゃならん。壊れた時も、自分で直せる店ばかりじゃない」


 フレイが少し考える。


「じゃあ、箱と石を一緒に面倒見るってこと?」


「そうだ。本体は貸す。石が弱ったらこっちで交換する。金具が壊れたら修理する。冷えなくなった箱を客に持たせたままにしない。その代わり、使っている間は定期的に金をもらう」


 ロアンがいつの間にか工房の入口に立っていた。


「箱を売るより、ずっとお金を払ってもらうってこと?」


「まだ値段も期間も決めてない。そもそも石が何日持つか分からん。そこが分かるまでは商売にしない」


「でも、石はまた取れる」


 ベラが冷蔵箱の中を覗きながら言った。


「一層へ行けば、小さいのは少しずつ増える。七日待てば大きい方まで戻る」


「だから成立する可能性が出てきた。交換する物をこっちが継続して用意できるなら、箱だけ売るより取引が続く」


 レオンは三つ火の印へ指を当てた。


「この印を付けるなら、冷えなくなった物を客の店に放っておくのは駄目だ。貸して、石も交換して、壊れたら直す。その方が『火の印の箱はちゃんと冷える』を守れる」


 ティルダの顔が明るくなる。


「じゃあ、売らないけど商品にはなるんだ」


「試験が終わればな。石の寿命も分からないうちに客へ渡す気はない」


「だったら……次は一台だけ町へ持ってく?」


 レオンが顔を上げた。


「一台なら試せる。店での使われ方も見られる」


「店だと何回開けるか分かんないし、壊れ方も違うんでしょ」


 フレイは試験札を見ながら頷いた。


「洞窟で持った日数と、店で持つ日数は別。持っていくなら、直す材料も一緒にしたい」


「それでいい。まず一台だ。町で使ってもらって、どこが壊れるか、どれくらい開けるか、石が本当に同じ日数持つかを試す」


 工房の隅には、小氷魔石を包んだ布がいくつも並んでいる。その向こうには二層から持ち帰った鉄と銅。壁際には帰り火印の林檎酒の樽があり、冷蔵室には七日ごとに戻る大蜥蜴の肉が入っている。


 戦って拾って帰った物が家の中で別の形へ変わり、その形がまた外で金になる。レオンは三つ火の印が付いた冷たい箱をもう一度見た。売らない商品というのも、悪くなかった。

冷蔵箱ができました。

でもレオンが売ろうとしているのは、箱そのものではなく「ちゃんと冷え続ける仕組み」のようです。

この世界で少しずつ商売が育っていく過程を面白いと思っていただけたら、評価をお願いします。

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