鍛冶師は錆びた鉄を拾います
朝食の席に、ロアンだけがいなかった。
昨夜の宴会で空になった皿は片づけられ、食堂には焼いたパンと野菜のスープの匂いが戻っている。壁際では、帰り火の印を押した林檎酒の樽が、まだ宴会の名残のように置かれていた。
ティルダは短い脚を長椅子の横木へ引っかけ、スープを二口飲んでから空いた椅子を見た。向かいのフレイと眉の形までよく似ているのに、姉の方はもう片手でパンをちぎり、妹は袖口へ付いた木粉を先に払っている。
「ロアン、まだ寝てるの? 昨日だって最後まで歌えるくらい元気だったじゃん」
「起こしたよ。起きてはいたんだけどね」
ベラは鍋の蓋をずらし、湯気を逃がしながら肩をすくめた。
「顔だけこっちへ向けて、『今日は朝が来るの早くない?』って言って、また毛布をかぶった。いつもの寝坊よりひどいよ」
フレイがパンをちぎる。今日は刺繍の入った短い上衣の上から作業用のベストを重ね、赤銅色の髪は低い位置でまとめていた。姉と同じ髪色でも、朝の食卓へ座る姿は毎日少しずつ違う。
「昨日はいつもより飲んでたし、その前も何日も動いてたから、疲れが重なったのかも」
「そこまで飲んだつもりはないんだけどなあ……」
通路の方から、弱々しい抗議が届いた。
ロアンが片手を壁へつきながら食堂へ入ってくる。いつもなら寝起きでも指で整えている焦げ茶色の髪が、今朝はあちこち跳ねたままだった。顔色は青いというより妙に火照り、目の下には重そうな影がある。
ティルダは何か言おうとして、ロアンの顔色を見た。
「起きてきた。でも、その顔で二層へ来るのはやめた方がいいよ」
「もっと僕に優しさをおくれ。頭の中で誰かが鐘を鳴らしてるようだよ」
ロアンが空いた椅子へ身体を落とすと、ベラは木椀へ薄いスープをよそい、杯には水だけを注いだ。
「まず飲みな。酒じゃない方を。食えるならパンも少し食べて、無理なら部屋へ戻って寝てな」
「分かってる。今は酒の匂いだけでも少し嫌だ。そこまで嫌になるの、自分でも珍しいけど」
「なら今日は酒のせいだと決めつけなくていい。疲れでも寝不足でも、やることは同じだよ。水を飲んで、食えるだけ食べて休む」
ティルダが笑いかけたが、ロアンが眉間を押さえたまま目を閉じたので、途中でやめた。
「おかしいんだよなあ。前はあのくらいの量じゃ、朝を丸ごと捨てたりしなかったんだけど」
「昨日は魚を取りに行って、帰ってから宴会で歌って、その前も何日も手伝ってた。酒だけじゃなくて疲れもあるだろ」
レオンはパンを食べながら言った。声はいつも通りだったが、ロアンの顔を一度じっくり見ている。
「今日は二層へ降りる予定だったが、昼まで様子を見る。治らないなら延期だ。《聴音》が使える奴を置いて、初めての場所へ降りる理由はない」
「僕抜きでも戦えるのに、そう言われると休みにくいんだけど」
「休めと言ってるんだ。二層は逃げない」
ロアンは水を一口飲み、少し考えてから卓へ額をつけた。
「それもそうか。じゃあ遠慮なく午前中を捨てるよ」
「返事だけは元気だね。吐くようなら呼びな」
ベラが首の後ろへ手を当てたが、ひどい熱ではないらしい。そのままスープを半分飲ませると、ロアンは本当に部屋へ戻っていった。
大蜥蜴を倒して現れた階段へ降りる話は、昨夜のうちに決めていた。できれば奥まで見て、一層と同じように強い魔物がいるのかも確かめたい。
けれど、今のロアンを連れて行くほど急ぐ理由はない。
ティルダは残ったパンを口へ押し込み、食器を持って立った。
「じゃあ午前中は持ち物を見直す。フレイ、昨日使った革紐って工房の右棚だっけ?」
「右の棚。でも姉ちゃん、昨日は焼き鏝の柄を探して棚の中を全部動かしたでしょう。戻す場所まで変えたから、今度こそ覚えて」
「分かった。今日は覚える。後で忘れてるかもしれないけど」
「それは覚えるって言わないんだよ」
フレイの返事を背中で聞きながら、ティルダは食器を洗い場へ運んだ。
◇
午前中、洞窟はロアンが寝ていても普通に活動した。
ベラは燻製棚を洗い、ミラは冷蔵室の札へ日付を書き足している。フレイは昨日仕上げた外皮防具の留め具を一度外し、角が衣服へ当たる箇所だけ丸め直していた。
ティルダは二層へ持ち込む袋と縄を床へ広げた。
初めて入る場所に何があるかは分からない。一層では肉も毛皮も魔石も拾ったのだから、空の袋を持っていくくらいは損にならない。丈夫な麻袋を二枚、革紐、短い縄、厚手の手袋を用意する。
「袋は二枚で止めとく。これ以上持っていくと、見つけた分だけ入れたくなる」
ティルダが自分でそう言って、三枚目を棚へ戻した。
フレイは留め具を磨きながら顔を上げる。
「姉ちゃんが先に言ったなら、今日は信じる。手袋は厚い方を持ってって。錆より、何が付いてるか分からない方が嫌だから」
「そっちは持った。金属だけ拾う。たぶん」
ティルダは返事をしながら、鍛冶場で使う大槌ではなく片手の短い槌を腰へ吊った。
戦闘技能があるわけではない。レオンからも、初めて入る場所では前へ出るなと言われている。それでも素手で行くよりはいいし、拾った物を叩いて確かめるにも使える。
昼前になると、ロアンが自分から食堂へ出てきた。
朝より顔の火照りは引き、髪も一応いつもの形へ戻っている。ベラが出した薄い粥を一杯食べ、二杯目まで頼んだ。
レオンは食べ終わるのを待ってから聞いた。
「頭痛と吐き気はどうだ。立って歩いた時にふらつくなら、今日はやめるぞ」
「頭は少し重いけど、鐘は止まった。吐き気もないし、床もちゃんと止まってる。眠いのはいつものことだから心配しなくていいよ」
「最後のは判断材料にならないな。入口まで歩いて問題なければ行く。ただし途中で変だと思ったら、その場で言え。二層を見るのが一日遅れても誰も損しない」
「そこまで言われたら隠さないよ。今日は酒も飲まないしね」
厨房からベラが顔を出した。
「酒はどうでもいいよ。頭が戻るまでは、自分で平気だと決めて動き回らないこと。帰ってきてまた悪くなったら、その時は寝かせる」
ロアンは素直に頷いて、粥を食べきった。
昼食のあと、ロアンは入口まで歩いて戻り、いつもの調子でリュートの弦まで確かめた。それを見てレオンがようやく頷いた。
出発前、ティルダは前日に仕上げた防具の留め具も一通り見た。レオンの左肩と前腕には大蜥蜴の外皮を重ねた当てが付き、ロアンの胴当てには脇の動きを邪魔しない細い外皮が入っている。キュウの胸当ても紐が緩んでいない。冷気への備えで作った素材だが、刃にも強い。初めての場所へ着ていくなら、しまっておく理由はなかった。
ティルダ自身は厚手の革上着を着込み、腰の短槌を叩いて位置を確かめた。
◇
一層へ降りる階段の前で、ロアンが急にリュートを構えた。
ティルダが何をするのか聞くより先に、低い弦が二度鳴る。
続いて、いつもの酒場の曲とは違う、足を前へ出したくなるような速い旋律が石壁へ響いた。低い音の上へ高い音が重なり、最後だけ大きく跳ね上がる。
キュウが「きゅう!」と鳴いて胸を張った。
ティルダもつられて肩を回す。耳輪が小さく揺れた。
「いいじゃん、それ。もう一回やってよ。なんか、すごく強い冒険者みたいに聞こえる」
「でしょ。なんか気分が乗るんだよ。戦う前くらい、自分たちで景気をつけてもいいと思って」
「景気づいた敵まで寄ってこないようにしろよ。弾くなら入口だけだ。降りたら音を抑えろ」
レオンは階段の下を見たまま言った。
「分かってるよ。入る前だけ。こういうのは僕も楽しいしね」
ロアンは最後に短い一節を鳴らし、リュートを背へ回した。
別に身体が軽くなったわけではない。それでもティルダは、さっきまでより少しだけ大きな足取りで階段を降りた。隣ではキュウまで似た歩幅になっている。
第一層は、もう何度か通った場所だった。
青白い苔の光、冷たい空気、地下水の音。大蜥蜴と戦った縄張りも静かなままで、レオンは周囲を確かめてから、その奥に現れた階段へ向かった。
「ここから先は全員初めてだ。ティルダは俺とキュウの後ろにいろ。何か見つけても、触る前に一声かけろ」
「分かってる。見るだけなら近づいてもいい?」
「俺の前へ出なければいい。気になる物は帰りでもいい」
「分かった」
ティルダは腰の槌へ手を置き、レオンの後ろへ入った。
階段を下り始める。
一層ほど空気は冷たくない。代わりに、湿った石と古い鉄を一緒に閉じ込めたような匂いがした。
十数段降りたところで、壁が自然岩から切り石へ変わる。
ティルダは思わず足を緩めた。大きさの揃った石が積まれ、継ぎ目には黒ずんだ目地が残っている。床も平らで、ところどころ細い溝が走っていた。
「これ、人が作った場所みたい。床まで平らだし、壁の積み方も揃ってる」
「見るのはいいが、ここで止まりすぎるな。帰りに余裕があれば見る」
レオンに促され、ティルダは壁から手を離した。
通路は緩く曲がっている。
ロアンが足を止め、片手を上げた。
「前から金属が擦れる音がする。ひとつじゃない。歩いてるみたいだけど、足音が妙に軽い」
全員の足が止まる。
最初に聞こえたのは靴音ではなかった。
かり、かり、と硬い物が石床へ当たり、その合間に錆びた金属が引きずられる。人間が歩くならもっと身体の重さが音へ出るはずなのに、これは妙に軽く、間も揃っていない。
曲がり角の向こうから、剣の先が現れた。
次に盾。そして最後に、白く乾いた頭蓋骨が出てきた。
「……骨?」
胸まである古い鎧の内側には、身体がない。肋骨が隙間から見え、暗い眼窩の頭蓋骨だけがこちらを向く。
その後ろからもう一体、さらに槍を持ったものが続いた。
「アンデッドだ。ティルダは下がれ。キュウ、前へ出すぎるな」
レオンが剣を抜き、キュウが低く唸って前へ出た。
ティルダは言われた通り一歩下がった。長身のレオンの背後へ入ると、肩越しの景色はほとんど消える。その代わり、低い位置からは骨兵の膝と鎧の留め具が妙によく見えた。
だが、目は敵より、その手にある剣へ吸われる。
刃の半分以上が赤錆に覆われている。それでも折れてはいない。鍔も残っている。あの厚みなら、表面の下に何か残っているかもしれない。
レオンが最初の一体の剣を受け流し、青魔鉄の刃を鎧の隙間へ入れた。骨が砕け、胴が崩れる。
キュウが槍持ちへ体当たりすると、骨と鎧が床へ散らばり、乾いた音が通路へ響いた。残った一体へレオンが踏み込み、首の骨を断る。
三体とも床へ落ちた。
ティルダの身体は、もう最初の剣へ向いていた。
「待て。まだ触るな」
「でも、あの剣――」
言い終わる前に、レオンが肩を掴んだ。
崩れた肋骨の間から、白い腕が跳ねた。
骨だけの手が、ティルダのいた場所の空を掴む。
「うわっ!」
レオンの剣が落ち、腕の付け根を砕いた。キュウが散らばった胸骨を前脚で押さえつける。頭蓋骨の顎が二度、乾いた音を立てて閉じ、しばらくしてようやく動かなくなった。
ティルダは肩を掴まれたまま、床の長剣を見た。
「倒れたら終わりじゃないんだね。……分かった。次から、レオンがいいって言うまで待つ」
「剣は逃げない。拾うのは、こいつが本当に止まってからでいい」
「それは分かったけど、あの剣は絶対取るからね」
「そこまで止めてない」
レオンが手を離した。
動かないことを確認してから、ティルダは厚手の手袋をはめて長剣を拾った。
表面の錆を親指でこすり、槌の柄で軽く叩く。鈍い音だが、刃の背はまだ崩れない。
「《金属鑑定》」
腐食は表面から進んでいるものの、芯にはまだ使える鉄が残っている。鍔も鉄で、柄頭には青銅が使われていた。
「これ、剣として直すより材料に戻した方がいい。錆を落として悪いところを切れば、芯はまだ使えるよ」
レオンは自分の剣を拭いながら聞いた。
「重量に見合うだけ残るか?」
「一本じゃまだ分かんない。でも、これは持って帰って火に入れてみたい。どれくらい残るか分かれば、次から選べる」
「なら一本目は持て。ほかは状態を見てからだ」
ティルダはすぐ頷き、ようやく剣を袋へ入れた。
◇
第二層には、魔物の肉も皮もなかった。
代わりに、歩けば歩くほど古い武具が増えた。
骨だけのアンデッドは剣や盾を持ち、皮膚が黒く残ったものは槍や鎧を身につけている。動きは速くないが、痛がらない。腕を折っても、脚を砕いても、上半身だけで這ってくる。
二度目の戦闘では四体が同時に来た。
レオンとキュウが前を塞ぎ、ロアンが短く歌を乗せる。そして、ティルダは戦闘への適応も早かった。《戦歌》が始まると、ティルダにもレオンが踏み込む瞬間と、キュウが身体をぶつける瞬間が妙に読みやすくなった。
だからこそ、自分が一歩前へ出れば並びを崩すことも分かる。
ティルダは槌を握ったまま待った。レオンが盾を弾き、よろけた骨兵が前列から外れてこちらへ流れた時だけ、頭蓋骨へ横から槌を叩き込む。
固い手応えのあと、白い骨が割れた。
「今の、ちゃんと待ってから叩いたでしょ!」
最後の一体が崩れたあとも、ティルダは手を出さなかった。レオンが剣先で骨を確かめ、キュウが散らばった鎧の周りを嗅ぎ、それからようやくしゃがみ込む。
「今度は待った。さっきより成長してる」
「今のでいい。次も同じように待て」
「分かってる。今のは褒められたってことでいいよね」
「そういうことだ」
レオンはそう言って次の角を確認しに行った。ティルダは少しだけ胸を張り、鎧の傍へしゃがみ込んだ。
今度の鎧は使えるところが多かった。
胸板は薄く腐食しているが、肩の留め具と背側の板はまだ厚い。鎖帷子の輪は半分ほどが痩せていても、切り分ければ残せそうな部分がある。
ティルダは留め具を一つ外し、緑青の浮いた細い板を見つけた。
「これ銅だ。こっちの刃は鋼が残ってる。鉄だけじゃないんだ、この層」
「持ち帰って使う価値があるか見てくれ。重いからな」
レオンに言われ、ティルダは何度も頷いた。
「分かってる。普通の鉄や銅が取れるなら、それだけで大きいよ。釘とか蝶番とか、圧搾機の予備金具まで青魔鉄で作りたくないし、ベルクで買い足す分も減らせるかもしれない」
「なら、状態のいい物だけ選べ。火へ入れてもほとんど残らなそうな物は置いていく。今日は試しだ」
ティルダは穴の空いた兜を拾いかけ、縁を叩いてから渋々戻した。
「これは駄目。薄すぎる。……こっちの槍頭三つの方がいい」
「その選び方なら助かる」
「見て、叩いて、比べないと選べないんだから仕方ないでしょ」
そう言いながらも、ティルダは一度袋へ入れた物まで見直した。
通路の途中には小部屋もあった。
扉はなく、石の枠と蝶番を差していたらしい穴だけが残っている。床の隅には崩れた棚の跡があり、その下から短剣の束と鎖の塊が出てきた。
ティルダはしゃがみ込み、思わず声を上げた。
「ここ、当たりだよ。鎖は駄目なところを切れば残せるし、短剣も何本か芯がありそう。あの青っぽい板、青銅かもしれない」
「拾う前に袋を見ろ。残り半分もないぞ」
レオンに言われて振り返る。
二枚持ってきた麻袋は、片方がすでに大きく膨らんでいた。もう片方も半分以上埋まり、キュウの背には布で包んだ鎧板が二枚括られている。レオンも槍頭と剣を束ねて背負い、ロアンまで鎖の一部を持たされていた。
「まだ少しなら入る。短剣を二本だけ――」
「すでに三本入ってる。持って階段を上がるのは袋じゃなく俺たちだ」
「じゃあ入れ替える。こっちの方が鉄が残ってるから、悪い一本を置けば同じでしょ」
「それならいい。自分で選べ」
ティルダは本気で悩んだ。
錆の色、厚み、叩いた音、割れ方。一つずつ見比べ、最も残りの悪そうな短剣を袋から出す。代わりに一本だけ入れた。
「これでいい。次から、最初から選ぶ基準ももう少し作れる」
「それを確かめるための一回目だ。全部持ち帰る回じゃない」
その先の通路は、まだ暗がりへ続いていた。
レオンがしばらく奥を見た。
「一層と似た仕組みなら、奥にあの大蜥蜴みたいな主がいる可能性はある。できれば場所だけでも見ておきたかったが、この荷物でさらに戦うのは面倒だな」
ティルダは袋の口を縛りながら、首を振った。
「今日は帰ろう。これを早く火に入れたい。どれくらい使える金属が残るか分からないまま奥へ行って、もっと重い物を見つけても持てないし、次に何を優先して拾うかも決められない」
自分で言ってから、ティルダは少しだけ可笑しくなった。
いつもなら先があると分かった時点で、もう少しだけ、と足が勝手に向く。その自分が、今は暗い通路より錆びた袋の中身を見たがっている。
レオンはティルダと袋を見比べた。
「ティルダが先を見たがらないのは珍しいな。まあ、その理由なら俺も賛成だ。今日はここまでにする」
ロアンが肩の鎖を持ち直した。
「僕も賛成。朝より元気にはなったけど、これはかっこいい曲で盛り上がって持てる重さじゃないよ」
「帰りは弾かなくていいから、その鎖を落とさないで。フレイに見せたいんだから」
「了解。元気になった分くらいは運ぶよ」
「助かる」
袋を持ち上げると、腕へずしりと重さが掛かった。
◇
洞窟へ戻った時には、全員が灰色になっていた。
第二層の石埃、赤錆、鎧の隙間に溜まっていた黒い粉。それにアンデッドを砕いた時の白い骨粉まで、服や手袋へ付いている。
入口で待っていたミラが一行を見て、少し目を丸くした。
「ずいぶん持って帰ってきましたね。まず、怪我はありませんか?」
「怪我はない。二層の敵は動きが遅い方だった。ただ、倒してもすぐ触らない方がいい」
レオンが答えると、ミラの眉が少し動いた。
「倒しても、ですか。何がいたんですか?」
ロアンが肩の鎖を床へ下ろし、苦笑した。
「ミラがたぶん一番嫌がる種類だったよ。階段の下は石の通路で、少し進んだら骨が剣を持って歩いてきた」
「……骨が、歩いていたんですか?」
「骨だけのが剣と盾を持ってて、もう少し肉が残ってる方は槍とか鎧を付けてた。遅いけど、痛がらないから腕を折っても来るんだよ」
ティルダが肩の古剣を見せると、ミラの視線は剣から袖へ移った。白い粉が筋になっている。
「アンデッドですか。あの、死んでいるのに動く方達の」
「そうそう。その剣も最初の一体が持ってたやつ。中はまだ使えると思う」
ミラは一歩だけ下がった。
「では、その粉も、もしかすると……」
ティルダは自分の肩を見た。
「これ、骨?」
「たぶん混じってるね。鎧を砕いた時にかなり飛んだから」
ロアンが言った瞬間、ティルダは反射的に肩を払おうとした。
「払わないでください。そこで落とさないで、そのままお風呂へ行ってください」
ミラの声が、いつもより少しだけ大きい。
「いや、でも先にこの剣だけ工房へ置きたい。火へ入れるのはあとでいいから、見るだけ――」
「駄目だよ。話も工房もあと」
今度はベラの声だった。
厨房から出てきたベラが、一行の服と、床へ落ち始めた赤錆を見て顔をしかめる。
「レオンとロアンは先に風呂。キュウも連れてきな。ティルダは汚れた服を脱いで待つ。骨の粉だか何だか分からない物を、食堂や工房まで撒かれちゃ困るよ」
「袋は閉じてるし、剣だって布で――」
「姉ちゃん、肩にも髪にも付いてる。今工房へ入ったら、床から全部掃除し直すことになるよ」
フレイに言われ、ティルダは言葉に詰まった。
「……そんなに嫌?」
ミラは迷わず頷いた。
「嫌です。生きている方の汚れならまだしも、死んでいるのに歩く方の粉は、とっても嫌です」
「そこまで言われたら分かったよ。先に洗う」
レオンはもう荷物を入口脇の壁へまとめていた。
「諦めろ。俺も先に入る。荷物はここへ置いて、誰も触らなければ逃げない」
「今日、二回目だね。その言い方」
「拾う物が増えると、止める言葉も増えるな」
ロアンはキュウの首当てを外しながら立ち上がった。
「今日は風呂が嬉しいなあ。朝の頭痛が戻る前に、全部流したい」
キュウを連れて浴室へ向かい、レオンも荷を置いて後へ続く。
ティルダも工房へ曲がりかけたが、肩に残った白い粉を見て自分で止まった。フレイは何も言わず、その足元へ洗濯籠を置く。
「袋の中、気になるでしょ。一本くらい先に見てもいいと思わない?」
「気になる。だから洗ってから一緒にやろう。姉ちゃんが叩く前に、私も寸法と継ぎ方を見たい」
「じゃあ先に洗う。その代わり、一番長い剣からね」
「そこは種類を分けてから」
男たちが出たあと、ティルダも風呂へ入った。
湯へ浸かる前に腕や髪を洗うと、床へ流れる水が薄い赤茶色になった。爪の間からは黒い粉まで出てくる。
たしかに、これをそのまま工房へ持ち込んだらフレイが嫌がる。
けれど浴室の床がこんな色になるのも、それはそれで嫌だった。
◇
風呂から出ると、食堂ではミラが煮込みを温めていた。
ティルダは髪を布で拭きながら、工房へ続く通路を一度見た。
フレイも同じ方を見てから、食堂へ顎を向ける。
「先にご飯。二層で何を拾ったか聞いてから触った方が、私も分かりやすい」
「……それはそうだね」
ティルダは素直に食卓に座った。その代わり、二層で何があったかを話すのが楽しみになった。
全員が席へ揃うころには、玉葱と肉の煮込みの匂いが食堂へ広がっていた。地下の湿った石と錆の匂いが鼻に残っていたせいか、いつもの鍋の匂いがやけに濃く感じられる。
ミラが器を配りながら尋ねた。
「それで、二層にはどんなアンデッドがいたんですか。さっきは粉のことが気になって、途中までしか聞けませんでした」
「骨だけのが剣と盾を持ってて、もう少し肉が残ってる方は槍とか鎧を付けてたよ。動きはそこまで速くない。でも痛がらないから、腕を折ってもそのまま来る。最初のやつなんか、倒れたから剣を拾おうとしたら腕だけ動いた」
ティルダが何でもないように続けると、隣のフレイの匙が止まった。
「なにそれ。すっごい怖いんだけど」
「ぎりぎり掴まれてないよ。レオンが止めたし、その後は動かないのを確認するまでちゃんと待った」
フレイの灰青色の目が細くなる。
「そこは本当だ。最初に一度止めた後は、俺とキュウが確かめるまで触ってない」
レオンが横から補うと、フレイはようやく匙を動かした。
「なら、次もそうして。材料より姉ちゃんの指の方が替えが利かないんだから」
「する。指がなくなったら鍛冶できないしね」
ティルダは頷いたが、その目はまた工房の方へ向いていた。
ロアンが煮込みをすくいながら話題を変えた。
「あと、一層みたいな魔石は出なかったよ。何体か倒したけど、それらしい物はなかった。代わりに武器と鎧が、嫌になるくらい残ってる」
「魔石がない代わりに、持っていた物が採れるんですね」
ミラは少しだけ肩の力を抜いたように見えた。アンデッドの動き方より、物の話の方が聞きやすいらしい。
ティルダは待ちきれずに身を乗り出した。
「鉄だけじゃないよ。鋼も残ってるし、銅と青銅の金具もあった。全部そのまま使えるわけじゃないけど、選べば普通の材料をかなり増やせると思う。釘や蝶番に青魔鉄を削らなくて済むし、ベルクで買う普通鉄も減らせるかもしれない」
レオンは器を置いた。
「それを確かめるために、今日は奥の確認より戻るのを優先した。次は先へ進みたいな。主がいるかどうかも、まだ確認していない」
「次はもっと袋を持っていけば――って言いたいところだけど、今日ので分かった。袋より先に、持てる重さを決めた方がいいね。キュウにも載せすぎたくないし」
「きゅう」
呼ばれたキュウが顔を上げる。
ロアンが笑った。
「今の返事、たぶん荷物じゃなくて肉の話だと思うよ。さっきからベラの鍋しか見てない」
「じゃあキュウの分の肉を増やして、金属は私たちで持つか」
「そういう結論にはならない」
食卓に小さな笑いが起きた。
食べ終わる頃には、ティルダの頭の中はもう二層ではなく、炉の中だった。
◇
「今日は一回だけね。全部やろうとしないで」
工房へ入ると、二人は火を入れる前に拾った物を床へ並べた。
「今夜は一番分かりやすい一本だけ。どれくらい残るかが大切。続きは明日」
ティルダが言うと、フレイは種類ごとの札を三枚置いた。
「賛成。先に分けよう。火を入れてから増やすと、どれを試したか分からなくなる」
「分かった。一回だけ。私も今日は、まずどれだけ残るかが楽しみ」
「うん。それなら一緒にやれるね」
工房の床へ、持ち帰った金属を布の上に並べる。
錆びた長剣、槍頭、鎖、鎧板、留め具、青銅の板、銅の金具。地下では一まとめの古い武具に見えた物が、炉の明かりの下では一つずつ違って見える。
ティルダは《金属鑑定》を使いながら槌で軽く叩き、必要な物は端を少し割った。
「この長剣は鉄。表面は駄目だけど芯が厚い。こっちは刃に鋼が残ってる。銅の金具はこっち、青銅は別。鎖は半分くらい輪が痩せてるから、使える側だけ切ろう」
フレイは種類ごとに札を置き、残す物と捨てる物を分けていく。
「じゃあ鎖には切る位置を付けておく。銅は混ぜたくないから、箱も分けるね」
二人の手が動き始めると、さっきまでの疲れが薄れた。
錆を落とし、使えない部分を切り分け、最初の長剣一本分だけを炉へ入れる。
鍛冶場の熱が、赤黒い鉄をゆっくり明るくしていく。表面の古い錆が剥がれ、黒いかすになって落ちた。
ティルダは火の色を見ながら頃合いを待った。
「ここ。もう出せる」
取り出した鉄を金床へ置き、槌を振り下ろす。
乾いた高い音ではなく、芯のある重い音が返ってきた。
ティルダの口元が勝手に上がった。
「ほら、残ってる。これならちゃんと材料に戻せるよ」
もう一度叩く。
赤い鉄が少しずつ形を失い、古い剣ではなく、次に何かを作るための厚い素材へ戻っていく。
フレイが横から断面を覗き込んだ。
「これなら使えるね」
ティルダは次の槍頭へ手を伸ばしかけた。
その脇には、フレイがまだ何も書いていない札を重ねて置いてある。今夜は一枚目だけ、と火を入れる前に自分で言った。
手が止まる。
錆びた槍頭へ目をやり、次に金床の鉄を見る。
少しだけ迷ってから、ティルダは手を引っ込めた。
「……明日。朝一番で続きやる」
「うん。明日なら、私も最初からやる」
炉の中では、錆びた剣から切り出した鉄が、まだ赤く光っていた。
地下ではガラクタだった錆びた武具も、ティルダたちに渡せば次の道具の材料になります。
拾った物を捨てずに暮らしへ戻していく、こんなクラフト要素がお好きなら、ブックマークして続きを追っていただけると嬉しいです。




