炉守りは樽に火を刻みます炉守りは樽に火を刻みます
食堂の床は、持ち帰った肉で狭くなっていた。
布に包まれた大きな塊がいくつも並び、その横には丸めた外皮、中氷魔石、レオンが持ち帰った半透明の宝珠まで置かれている。さっきまで地下にあった冷気が、肉の包みからまだ薄く漂っているようだった。
ベラが言った通り、場所を空けるだけでは足りない。ミラは厨房の棚と保存用の木箱を順番に見たが、どう考えても全部は入らなかった。
「……場所だけでは足りませんね」
「そうなんだよ。冷やす方がない」
ベラは前腕を揉みながら、大きな肉塊の包みを一つ開いた。淡い色の肉には白い脂が細く入り、表面はまだしっかりしている。
「今日食べる分はいい。燻す分も塩を当てれば少し待てる。でも、生のまま残したいところが多すぎる。昨日は持てるだけ持って帰ったから、今度は保存場所の方が追いついてない」
「そこまで考えてなかったな」
レオンが肉の包みと保存箱を見比べる。
「でも全部持って帰れました」
ミラが言うと、レオンは一度黙った。
「……置き場所だな」
ロアンは椅子へ座ったまま、両肩を交互に押している。
「僕は明日、腕が上がらないと思う。弦を押さえる指まで重い。昨日は歌うより荷物を運んでた時間の方が長かった気がする」
「それだけ運んだんだ。今日は肩を休ませな」
「そうするよ。弦まで重いのは初めてだ」
ベラは頷き、前回持ち帰った小氷魔石を出すようフレイへ頼んだ。
白い布に包まれた小氷魔石を、フレイが作業台へいくつか並べる。圧搾機と剣に追われて試せずにいた石だった。
「前に箱で試そうって言って、そのままだったやつだね。今夜はさすがに後回しにできない」
ティルダは空いている木箱を三つ集めてきた。
「石をそのまま肉に当てるのは駄目? それなら一番早く冷えそうだけど」
「冷えすぎるかもしれないし、汚れる。箱ごとに底へ一個ずつ置いて、薄い板で仕切ろう」
フレイが板を渡し、その上へ清潔な布で包んだ肉を載せる。三つの箱を使えば、生のまま残したい背肉や腿肉をかなり分けて入れられた。
「これで今夜は様子を見るよ。冷えなきゃ塩漬けにするし、石に近いところだけ凍るようなら置き方を変える」
ベラが言ったところで、ティルダが中氷魔石を入れた石鉢の前へしゃがみ込んだ。
「小さい石でこれなら、でかい方は箱どころか部屋ごと冷やせるんじゃない?」
フレイもすぐ横へ腰を落とした。赤銅色の髪とよく似た横顔が同じ高さに並ぶ。けれど、ティルダの目は石そのものへ寄り、フレイの灰青色の目は鉢の縁から壁までの距離を追っていた。
「たぶん。でもその石、小さいのと冷たさが違いすぎる。触る前に固定する場所を作ろう。布越しでも指が痛かったんだから、出し入れするたび誰かが持つ形にはしたくない」
「なら、できるか分からなくても部屋を作る方で考えよう。肉の方は待ってくれないからね」
ベラが言うと、フレイも中氷魔石と厨房脇の壁を見比べ始めた。
ミラは《拠点カスタマイズ》を開いた。
主洞と厨房、浴室、鍛冶場、排水路が半透明の図になって卓の上へ広がる。今なら生活区画の横へ、まだ使っていない岩壁を少し掘り下げる余裕がある。
「厨房のすぐ隣だと暖かすぎます。こちらなら壁を一枚挟めますし、排水路にも近いです」
ミラが指したのは、厨房から短い通路を一本延ばした先だった。
フレイが図を覗き込む。
「床を少し傾けて、水が出ても排水へ落ちるようにしたい。あと、魔石を置く場所は人が直接触らないよう、奥に別の窪みを作った方がいい」
「部屋は一つで足りる?」
ティルダに聞かれ、フレイは図の中へ二本の指を置いた。
「二つにしたい。石のすぐ近くは冷えすぎるかもしれないから小さくして、隣へ冷気だけ少し流す。片方は凍るくらい、もう片方は凍らないくらいにできれば、一個の石を使い分けられる」
「じゃあ通す量を変えられるようにしよう。穴を開けっぱなしにするんじゃなくて、板を滑らせて狭める感じ」
「それなら木でいい。冷える場所に鉄を増やすと、触るたびに嫌になるから」
二人はもう、作れるかどうかではなく、どう作るかを話していた。
ベラは肉を包み直しながら言った。
「形は任せる。ただし、あたしが一人で肉を出し入れできるようにして。毎回誰か呼ばなきゃ扉が開かないなんてのは却下だよ」
「じゃあ厚くする代わりに、扉の幅を少し狭くしよう。姉ちゃん、蝶番は二つじゃなく三つにしたい」
「だったら取っ手も少し低めにする。荷物持ったままでも、ベラが身体を入れやすい方がいい」
似た顔を寄せたまま、二人は今度は扉の開く向きで言い合い始めた。止める者がいないと、案は減るより増えるらしい。
その日のうちに、完成した部屋を作ることはしなかった。
ミラは帰り火へ確認しながら、床の傾斜と二つの区画、それをつなぐ短い通風路だけを岩へ作った。岩の形と水の流れは変えられても、扉や木棚、魔石を固定する金具まで完成品で出てくるわけではない。そこから先はティルダとフレイの仕事だった。
夜は小氷魔石を入れた三つの木箱へ、生で残したい肉を分けた。それでも入りきらない分はベラが塩を当て、翌日燻すものへ回した。
中氷魔石は誰も触れないよう石の鉢へ入れ、空いていた小さな物置へ仮置きする。扉を閉じてしばらくすると、木の取っ手までひやりと冷たくなった。
「これなら、ちゃんと作れば部屋ごと冷やせそうだね。明日はまず排水と扉を整えよう」
フレイが言うと、ベラは「肉が傷む前に頼むよ」と念を押した。ティルダまで同時に頷いたので、フレイは姉とベラを見比べて苦笑した。
肉を落ち着かせてから、ミラは帰り火の前へ座った。
「ベラさんの新しい職業について教えてください。職業札では読めなくなっています」
《《炉火継ぎ》は帰り火が新規定義した職業です》
《世界側の職業表示体系に未登録のため、職業札では正常表示されません》
《職業定義および取得技能は有効です》
ミラは瞬きをした。
「なんだか最近、たくさん話すようになりましたね」
《その質問にはお答えできません》
「質問じゃなかったんですけど」
《…………》
「そこは前と同じなんですね」
ベラは崩れた職名をもう一度見てから、札を服の中へ戻した。
「壊れたわけじゃないならいいよ。《火加減共有》が何をするかは、まず自分で使ってみる。名前だけじゃ分からないからね」
◇
翌朝、ミラが最初に見たのは肉ではなく水だった。
中氷魔石を置いた物置の床へ、薄い水の筋ができている。壁の表面に付いた水滴が、下へ集まっていた。
「やっぱり排水はいりますね」
「でしょ」
フレイは少し嬉しそうだった。小氷魔石を入れた箱の肉は、朝になっても十分冷たい。ただ、石に近い側だけ表面が少し硬くなっており、ベラは包みを持ち上げて冷え方を確かめた。
「小さい石でも箱なら使えるね。でも置き方が悪いと一部だけ凍る。これはあとでちゃんと試すとして、今は大きい方を先に仕上げよう」
その日から、厨房脇の工事が始まった。
ミラが《拠点カスタマイズ》で整えた二つの石室へ、ティルダとフレイが扉を付ける。圧搾機を作ったときの木材から使える板を選び、足りないところは別の作業用板を回した。内側と外側を二重にし、間へ乾いた布と藁を詰める。
棚は岩壁から直接張り出す形をミラが作り、鉄が必要なのは肉を吊るす鉤と魔石の固定枠、それに扉の金具だけにした。
フレイは排水溝の勾配を何度も確かめた。
「ここ、もう少しだけ下げたい。水を流すと最後に角へ残るんだよ」
「見た感じは同じだけどな。もう一回流してみて」
ティルダが床へ頬を近づける横で、フレイが木椀一杯の水を流した。最後の少しだけが角へ残る。
「……ほんとだ。そこだけ削ろう。こういうのは肉を置いてから気づく方が面倒だ」
こういうときのフレイは止める方が難しいが、今回は止める理由がなかった。肉を置く部屋に水が溜まるのは、ベラも嫌がる。
三日目に扉が付き、中氷魔石を奥の固定枠へ収めた。
魔石に一番近い小さな部屋へ木椀の水を置き、その隣の広い部屋にも同じ量の水を置く。二つの部屋をつなぐ通風口には、フレイが作った薄い木板の戸が入っている。
最初は通風口を開きすぎたらしく、翌朝には広い方の木椀にも薄い氷が張っていた。
「こっちまで凍ってる。これじゃ二部屋とも冷凍じゃないか」
ベラに言われ、フレイは戸を半分まで下げた。
「もう一晩様子を見よう。広い方は水が凍らないところにしたい」
次の朝には、小さい部屋の水は芯まで凍り、広い方は冷たいまま凍っていなかった。
ミラは二つの扉へ木札を掛けた。
《冷凍室》
《冷蔵室》
「名前までできた。これなら間違えないね」
ティルダが札を指で弾くと、ベラは鼻を鳴らした。
「私は分かるけど、全員が使うなら札はあった方がいいね。昨日もどっちへ置くか迷ったし」
「玉葱を凍らせたらどうなるか、ちょっと気になっただけだって」
「試すなら一個だけにしな。使う分まで凍らせるのはなしだよ」
フレイが黙って《冷凍室》の札をもう少し真っ直ぐに直した。
冷蔵室には、数日で使う大蜥蜴の肉を部位ごとに分けて置いた。冷凍室には、すぐには使わない塊を布へ包んで入れる。ミラは包みへ日付を書いた木札を結んだ。
「中氷魔石がどのくらい保つかは、まだ分かりません」
レオンが冷蔵室の入口から言った。
「毎日、冷え方を確認しろ。急に弱くなってから肉が傷んだじゃ遅い」
「はい。小氷魔石の方も、一緒に見ておきます」
「減り方が分かれば、次に何個要るかも読める」
◇
冷蔵室が使えるようになった日の午後、ベラは大蜥蜴の背肉を厚く切った。
「今日は売り物じゃないよ。まず食べて確かめる」
「賛成。僕は食べる方の準備なら、もう出来てるよ」
ロアンは返事だけして座っていたので、ベラが玉葱と包丁を押しつけた。
「じゃあ食べる前に玉葱を切っとくれ。手が空いてるだろ」
「はいはい。食べる準備の一部だと思うことにするよ」
ベラは肉へ塩を薄く振り、少し休ませた。厨房の炉ではなく、その横の石床へ掌を向ける。
「《分炉》」
橙色の火が立った。
戦場で見たときよりずっと小さい。鉄鍋を温めるには十分だが、火の先が鍋底からはみ出さない程度に絞られている。
「地下で見たときの火と全然違うね」
ロアンが言うと、ベラは火を見つめたまま頷いた。
「大きくするより、このくらいを保つ方が難しいんだよ。今までの爆炎でも細くはできたけど、これはもっと近いね。鍋の下への火をずっと自由にできる」
鍋が十分に熱くなったところへ脂を落とし、肉を置く。
太い音が上がった。
表面へ色が付くまで強火で、返してから少し落とす。玉葱と香草を入れ、溶けた脂を匙ですくって何度も肉へ掛ける。
ミラは、ベラの視線が肉ではなく鍋の縁と火の間を何度も往復しているのに気づいた。
「ベラ!」
鍛冶場からティルダの声が飛んだ。
「何だい、今いいところなんだよ!」
「こっちの火、今日やけに素直なんだけど!」
ベラの手が止まりかけた。
「何が?」
「この留め具、いつもなら先に端が赤くなって曲げる前に戻すんだけど、今日は全体が揃って熱くなる。フレイ、見て!」
「見てる。いつもと違う。姉ちゃんの手だけじゃ説明つかないね」
「やっぱり火の方が違う? 本当に、今日は熱の回り方が揃ってる」
ベラは肉を一度火から外して《分炉》を消した。しばらくすると、鍛冶場からティルダの声が落ちる。
「……戻った。端だけ先に赤くなる、いつもの面倒な火だ」
「じゃあ、もう一回出すよ。今度はちゃんと見てな」
ベラが《分炉》を立て直すと、ティルダは少し待ってから声を上げた。
「やっぱり違う。今度も全体が揃って上がってくる」
フレイが鍛冶場から顔を出す。
「ベラの《分炉》が出てるときだけ、姉ちゃんの加熱も安定してる。あのとき出た三つ目の技能、何て名前だった?」
「《火加減共有》だよ。名前だけ出て、まだ試してなかった三つ目のやつ」
ベラは自分で言ってから、少し嫌そうな顔をした。
「名前の通りなら、あたしの火加減があんたたちの加熱にも少し乗ってるってことかね」
「少なくとも今はそう見える。説明を決めつけるより、何度か同じ条件で試そう」
ティルダはもう留め具へ戻っている。
「ベラ、しばらくその火消さないで!」
「あと少し待って! こっちは肉の火を見てるんだよ」
「分かった。肉が焼けても、また少しだけ貸して」
「焼き上がってからね」
ベラは火を少し落とし、肉を鍋へ戻した。
焼き上がった肉をすぐには切らず、木皿の上で休ませる。その間に鍋へ熟成の終わった林檎酒を少し入れ、焼けた肉汁と玉葱をこそげた。香草と少量の酢を加え、煮詰めすぎる前に火を止める。
切った肉は、中まで火が通っているのに硬くなっていなかった。
ベラが一切れずつ分ける。
ミラが口へ入れると、最初に表面の香ばしさが来た。噛むと脂がほどけ、肉の味が強いのに、獣臭さはほとんどない。林檎酒の甘い香りと酸味が、最後に少しだけ残った。
「……おいしいです」
「極上って、ちゃんと意味あるんだね」
ロアンは二口目を食べながら言った。
「鑑定で極上って出ただけあるね」
「鑑定が味見してるところ想像すると、ちょっと嫌だな」
ロアンがそう言ったところで、キュウが空になった皿を鼻先で押した。話はそこで終わった。
キュウはベラの手元を見ている。
「これは味付けしてるから駄目。あんたの分は別に焼く」
「きゅう」
「分かった顔しても増えないよ」
鍛冶場ではまた槌の音が始まった。
ティルダとフレイが作っているのは、大蜥蜴の外皮を留めるための金具だった。外皮は洗って脂を落とし、数日かけて乾かしてから油を薄く入れている。氷甲蜥蜴より厚いのに曲がるため、切り分ければ身体へ沿わせられた。
レオンには左肩と前腕を守るよう外皮を重ねた防具を作り、キュウには胸を覆う幅広い当てを合わせた。ロアンの胴当てには動きを邪魔しないよう脇と肋へ細く外皮を入れ、ベラの前腕当ても、火を扱う邪魔にならない範囲で表側を補強することになった。
「全部使い切るなよ」
レオンが何度か念を押したため、大きく傷の少ない部分はまだ残してある。
「分かってるって。次にもっといい使い道思いつくかもしれないし」
ティルダはそう言いながら、残した外皮の端まで何度も触っていた。
◇
圧搾機は、その間も止まらなかった。
林檎の木から採れる実は、食卓へ出す分を除いて次々に厨房横の籠へ運ばれる。傷のあるものはベラが先に分け、酒へ回せるものは粗く砕いて布袋へ入れた。
長い柄を回すと、押し板がゆっくり下がる。
以前なら二人で布袋を捻り、板へ挟み、重石を載せても腕が痛くなった量が、今は桶へ流れる薄金色の果汁になっていく。
「これ、作った本人より僕の方が好きな機械かもしれない」
ロアンが柄へ体重を掛けながら言った。
「姉ちゃん、褒められてるよ」
「使ってる人が楽なら成功でしょ」
ティルダは防具の穴位置を測りながら答えた。
ロアンは流れ落ちる果汁を見て、柄から手を離した。
「腕が疲れてなければ、その日の泡とか匂いを確かめる余裕があるんだよ。前は搾ったあと、樽の前へ座るだけでも面倒だったからね」
「だったら、その余った腕で果汁を樽まで運んどくれ」
ベラが桶を指す。
「そこは機械がやってくれないんだね」
ロアンは笑って、自分で桶を持っていった。
新しい果汁はすぐ酒になるわけではない。ロアンは仕込み樽へ日付を付け、泡や匂いを見る順番を決めた。だが、圧搾に人の腕を使い切らなくなったことで、仕込みへ回せる量ははっきり増えている。
壁際には前の仕込みで飲み頃になった林檎酒の樽があり、その隣へ、圧搾機を使って新しく仕込んだ樽が並び始めた。
搾り終えた林檎の皮と果肉も、全部が捨てられるわけではない。ベラは使えるところを少し分け、塩と香草を当てた大蜥蜴の肉へ林檎酒を薄く塗った。
さらに、以前の剪定で出て薪棚の端に乾かしてあった林檎の枝を持ってくる。
「木まで使うの?」
ミラが聞くと、ベラは枝を折って匂いを確かめた。
「前に普通の木で燻したときより、こっちの方が甘い煙になるか試すんだよ。せっかく酒も林檎なんだから、合わせて悪くなる理由は少ないだろ」
「理由が少ないって、良くなる理由とは違うよね」
ロアンは煙の流れへ顔を寄せ、鼻を鳴らした。
「甘い匂いはする。でも肉に残る匂いは、また別か」
「そういうこと。だから煙が逃げてないかも見張ってておくれ」
燻製小屋の火は強くしない。ベラが《分炉》を小さく保つと低い熱が長く続き、乾いた林檎の枝からは、いつもの薪より少し甘い匂いの煙が上がった。ただし、一度目は煙が強すぎた。
「一度目は煙が強すぎたね。外だけ苦いから、これは今夜みんなで食べて終わり」
ベラは二度目で枝を減らし、三度目には火をさらに落とした。肉の表面へ淡い赤茶色が付き、切ると肉の香りを残したまま煙だけが薄く乗る。
「これなら残せる。前の燻製より一段いいところまで来たね」
「もう売るつもり?」
「まず自分たちで食べるよ。毎回同じくらいに出来て、余るようになったらその次だ」
レオンは何も言わず、帳面へ一行だけ書き足した。
◇
冷蔵室ができると、捕ったその日に食べ切ったり干したりしなくてもよくなった。そこで、前から畳んだままだった網をロアンが持ち上げた。
「網、今日こそ使う?」
ロアンが食卓の端へ畳んであった漁網を持ち上げた。
レオンは少し考え、キュウを見た。
「水場までなら道は分かってる。俺とロアンとキュウで行く。魔物が多ければ魚は捨てて戻る」
「僕ら、最初に地下へ行った三人だね」
「今度は歌わなくていいぞ」
「魚相手に《戦歌》は違うな。《漁歌》とか作ってみようか」
ミラは入口まで三人を見送った。帰ってきたのは昼をだいぶ過ぎてからで、最初に見えたキュウの腹が濡れていた。
「キュウ、泳いだんですか?」
「泳いでない。網を追って水へ入った」
レオンが疲れた声で言う。
「ほとんど同じじゃない?」
ロアンの髪の先も濡れていた。
「僕まで引っ張られたんだよ。魚よりキュウを捕まえる方が大変だった」
「きゅう!」
「でも魚は捕れた」
網袋の中には、掌より少し長い銀白色の魚が何匹も入っていた。目が小さく、腹は薄い色をしている。
ベラは一匹を手に取り、鰓と腹を確かめた。
「まだいい。今日食べる分を残して、あとはすぐ冷蔵室へ入れるよ。これなら魚を捕ってきても慌てて全部干さなくて済む」
「冷たい部屋、魚のためにも作ったことになったね」
「良いことだね。あんたも食べな」
ミラは濡れたキュウを浴室へ連れていった。
ロアンは網袋を冷蔵室まで運んでから、濡れた髪をかき上げて二人の後を追った。もう「先に魚」と言われる前に動くくらいには、この家の順番を覚えている。
◇
その夜、ベラは夕食ではなく宴会にすると言った。
「冷蔵室も動いた。肉も腐らせずに済んだ。防具もできた。魚も捕れた。林檎酒も飲み頃のがある。今日はもう、細かいことは明日にしよう」
「珍しいね。ベラが仕事を明日に回すなんて」
ロアンが言う。
「その代わり、明日は燻製の棚を洗ってもらうよ」
「歌って応援じゃだめかな?」
食卓は、しばらく前までの洞窟とは思えないほど埋まった。
大蜥蜴の厚切り肉は、表面を強く焼いたあと火を落とし、林檎酒と玉葱の汁を掛けてある。林檎の枝で燻した肉は薄く切られ、赤茶色の縁から甘い煙の匂いがする。
地下の魚は香草と一緒に焼かれ、皮がぱりっとしていた。畑の葉物と根菜、焼いたパン、酢漬けまで並ぶ。
卓の端には、前の仕込みで出来上がった林檎酒の樽が置かれていた。
「最初の一杯は薄めないよ。ティルダ、フレイ、こっちは前に飲んだ麦酒よりずっと強い。甘い林檎だと強い酒ができるのかもしれないね。油断すると腰抜かすよ」
ベラが二人へ小さな杯を渡す。
ティルダとフレイは、よく似た仕草でいったん匂いを確かめた。次の瞬間には、姉の方がためらいなく一口飲み、妹は舌先へ少しだけ含んでいる。
「強っ」
ティルダの目が丸くなる。
「林檎の匂いで油断する」
フレイはもう一度だけ少量を口へ含んだ。
「でも肉に合うね。脂が残ったあと、口が少し軽くなる」
「それ、私が言おうと思ってた」
「姉ちゃんは今『強っ』しか言ってなかったよ」
キュウには味付けしていない大蜥蜴肉が別皿で置かれた。食べる速度は人間の倍ほど早い。
「キュウ、今日はまだあるから急がなくていいですよ」
「きゅう」
「その返事はたぶん聞いてないね」
ロアンが笑い、二杯目を注ぐ前にリュートを取った。
「せっかくだから一曲やろうか。あの帰り道で、肩が痛すぎてだいたい出来た」
「じゃあ聞かせな。帰り道でどんな曲になったのか気になるね」
ベラはそう言ったが止めなかった。ロアンが軽く弦を鳴らすと、最初の拍でキュウが顔を上げた。
「冷たい底で 腹をすかせ
でかい蜥蜴に 追い回され
剣で割ったら 火を入れて
欲張りすぎて 肩を泣かせ
それでも帰れば 鍋が鳴る
それでも帰れば 杯が鳴る
持って帰れば うまくなる
帰り火のそばで うまくなる」
「『欲張りすぎて』って、誰のこと?」
ティルダが杯を持ったまま笑って聞く。
「聞いた人が自分で決めるところ」
ロアンは答えを弦の音へ逃がした。ベラは肉を切り分けながら鼻で笑っただけだった。
「ロアンさん、最後の二行、もう一回お願いします」
ミラが言うと、ロアンが嬉しそうに弦を鳴らした。
「そこ気に入った?」
「はい。分かりやすいです」
ロアンがもう一度、最後の二行だけを歌うと、ティルダも二度目には合わせた。フレイは歌詞を全部覚えるつもりはなさそうだったが、「うまくなる」のところだけ声が混じる。レオンは杯を持ったまま聞いていた。
「前に聞いた即興よりまとまってる。帰り道で形にしたのか?」
「うん。荷物が重すぎて、同じ節を頭の中で何度も回してた」
ミラは笑った。
炉の火が食卓の横で揺れ、焼いた肉と林檎酒の匂いが混じっている。冷蔵室にはまだ大蜥蜴の肉が残り、鍛冶場には新しい防具、圧搾機の向こうには仕込み中の樽が並んでいる。
全部、少し前にはなかったものだった。
ティルダが杯を置いた。
「そういえば、下から金属みたいな音がしたんでしょ。明日見に行くなら、私も行きたい」
レオンは少し考えた。
「構わん。ただし初めての場所だ。俺とキュウより前へ出るな。気になる物があっても勝手に触るなよ」
「分かった。《金属鑑定》が使えそうならやってみる」
「それは頼む」
「そうだ! ちょっと待ってて」
ティルダが突然立ち上がると、フレイも同時に顔を上げた。二人は何も相談せず鍛冶場へ向かう。レオンの脇を抜けたとき、よく似た赤銅色の頭がほとんど同じ高さで並んだ。
しばらくして戻ってきたティルダが持っているのは、長い木の柄が付いた鉄の道具だった。先端は平たいが、ただの円でも四角でもない。フレイはその横で、焼き面に煤が残っていないか布で拭っている。
「何ですか、それ」
「今日見せようと思ってたやつ」
ティルダは得意そうに笑う。
「樽、増えたでしょ。作った酒も増えたし、防具も色々できた。どれがうちで作ったものか、一目で分かる印があったらいいと思って」
「姉ちゃんは最初、格好いい印が欲しいって言ってたけどね」
フレイが付け足す。
「それも大事じゃん」
「私は、同じ場所で作った物なら同じ印が付いてた方が、後で見分けやすいと思った」
二人の理由は少し違ったらしい。ミラが鉄の先端を覗き込むと、中央に小さな火があり、その左右から二つの炎が包み込むように立っていた。三つの火が重なって、一つの炎に見える図柄だった。
「帰り火ですか?」
「そう。細かくしすぎると焼いたとき潰れるから、これくらいにした」
フレイが指で輪郭をなぞる。
「木ならこれで押せる。革も試せると思う。金属は同じ形の打刻を作ればいい」
レオンが道具と壁際の樽を見た。
「誰が考えたんだ」
「図は二人で詰めたよ。最初は私が格好いいの欲しいって言って、フレイが焼いたとき潰れない形に直した」
ティルダが答えると、そのまま樽へ目を向けた。
「これ、酒樽に押していい?」
ベラは少し考えてから頷いた。
「中身に影響しないならね。ただし、失敗した酒まで立派な印を付けるのは嫌だよ」
「それなら、出していい物だけにしよう。ここで作って、俺たちが人へ渡していいと思った物に付ける。酒だけじゃなくていい」
レオンの視線が樽から燻製肉、防具、作業場へ移ると、ティルダがすぐ身を乗り出した。
「じゃあ肉にも付けよう。これじゃ大きいなら、小さい焼き鏝をもう一本作る」
「まだ肉に押すとは言ってないよ。味が変わらないか確かめてからだ」
ベラはそう言いながら、完全には嫌そうでもなかった。
話が先へ走り始めたところで、フレイが焼き鏝を姉から受け取った。
「まず一つ押してみよう。最初はミラにお願いしたい」
フレイに焼き鏝を差し出され、ミラは自分を指した。
「私が押すんですか?」
「帰り火の印だからね。炉守りが最初に押した方が、あたしはいいと思う」
ティルダの言葉に少し迷ったあと、ミラは柄を受け取った。思っていたより重かった。
フレイが鍛冶場で先端を熱し、赤みが落ち着くまで待つ。ティルダは飲み頃の林檎酒が入った樽を転がし、丸い腹の一番見やすい場所を上へ向けた。
「真っ直ぐね。斜めに押すと端が薄くなるから」
「姉ちゃん、今しゃべると余計緊張するよ」
「ごめん」
ミラは柄を両手で持ち、炉の火を一度見てから、樽の丸い腹へ焼き鏝を押し当てた。
じゅっ、と乾いた音がした。
焦げた木の匂いが、林檎酒と肉の香りの間へ混じる。
「もういい」
フレイの声で持ち上げると、樽の木肌に濃い焦げ茶色の印が残っていた。中央の小さな火を、左右の炎が包んでいる。
「いいじゃん!」
ティルダが一番先に喜んだ。
ロアンはリュートを抱えたまま樽を覗き込む。
「これなら遠くからでも火だって分かるね」
ベラも指先で印の端へ触れ、まだ熱いと分かってすぐ手を離した。
「肉に押すなら、もっと小さくしな」
「やっぱり押すんだ」
「味が変わらなきゃいいって言っただろ」
レオンは何も言わず、印の付いた樽と、その横に並ぶまだ何も刻まれていない樽を見比べていた。
ロアンがもう一度、さっきの歌の最後だけを弾く。
「持って帰れば うまくなる
帰り火のそばで うまくなる」
ミラは焼き鏝をティルダへ返した。
樽の丸い腹には、さっきまでなかった小さな火が一つ、黒く残っていた。
酒と肉と歌が揃った宴会のあと、樽には三つの火が残りました。
第二章タイトルの「三つ火の酒」、ようやくここで形になります。
この洞窟らしい酒になったと思っていただけたら、評価で応援していただけると嬉しいです。




