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帰り火の洞窟 ~役立たずと追放された少女、拾った洞窟を仲間たちの帰る場所にします~  作者: Rastarock
三つ火の酒

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25/85

炉火継ぎは炉の火を連れていきます

 朝食を多めに作ると言ったのは自分だったが、食べ終わってから少し後悔した。


 ベラは地下へ続く階段を降りながら、腹のあたりを押さえた。普段なら朝から肉を二枚も焼かない。今日は自分も行くからと、レオンたちと同じだけ食べたのが重い。


「腹に残ってるなら、最初はゆっくり行くぞ。食いすぎて足が鈍るのが一番まずい」


 前を歩くレオンが振り返りもせずに言う。


「分かってるよ。でも地下で腹を空かせるよりはましだと思ったんだ」


「僕は言うかもしれない。朝から歩いたら、昼まで黙ってる自信はないな」


 ロアンは腰の干し肉袋を軽く叩いた。


「だから今日は自分で持ってきた。昼になったら食べるよ」


「そうしな。先に食べるなら一声かけなよ」


 ロアンは小ぶりのリュートを背負い、空いた手で壁へ触れながら歩いている。階段の下から流れてくる空気は、前回三人が持ち帰ってきた冷たさそのものだった。ベラの袖口からも入り込み、朝食の熱を腹から少しずつ奪っていく。


 キュウはレオンのすぐ後ろを歩いていた。初めて洞窟へ来た頃より身体は大きくなっているが、黄土色の背中にはまだ幼さが残る。今日はレオンに言われるまでもなく、先へ飛び出そうとはしていない。


「キュウ、寒くないのかい」


「きゅう」


「その返事は便利だね。寒いって意味にも、平気って意味にも聞こえるじゃないか」


 キュウは振り返り、白い腹を少し膨らませた。


「今のはたぶん平気って顔だよ」


「分かるのかい」


「半分くらいは。残りは勘」


 キュウがもう一度「きゅう」と鳴き、ロアンは勝手に肯定された顔をした。


 話しているうちに階段が終わった。


 そこから先は、前に聞いた通りだった。青白く光る苔が岩肌へ薄く広がり、足元には霜が白く張りついている。水の流れる音がどこか遠くで続き、湿った石と冷たい土の匂いが鼻へ入った。


 ベラは足を止め、壁の発光苔を眺めた。


「思ってたより明るいね。これなら灯りが消えても、真っ暗にはならないか」


「持ち出すと光が弱くなる。前に持ち帰った分は、もうほとんど消えた」


 レオンは腰の新しい剣に触れた。ティルダが青魔鉄で打った刃は、鞘から見える柄元まで前の鉄剣より少し幅がある。解体用の短刀、縄、折り畳んだ布袋も今日は多めに持ってきていた。


「今日は奥まで行く。途中の魔物は避けられるなら避ける。魚も帰りだ。網は持ってきたが、先に大蜥蜴を見てから決める」


「荷が増えた分、帰りは欲張らないことだね」


 ベラが言うと、ロアンが肩から下げた網袋を持ち上げた。


「魚は大事だよ。せっかく買ったんだから、一匹くらいは捕りたい」


「大蜥蜴が終わって余力があったらね」


 レオンが歩き出した。


 前回の印が岩壁に残されている。曲がり角には炭で短い線、水場へ向かう分岐には二本。迷うような場所ではないが、初めて来たベラにはありがたかった。


 途中で霜毛兎を二匹見かけた。白い毛玉のような身体が岩陰からこちらを見ていたが、レオンが剣へ手をかけると、二匹とも狭い穴へ逃げ込んだ。


「追わないのかい」


「今日は肉を増やしに来たんじゃない」


「そうだね。まず大蜥蜴を見よう」


 ベラは先へ進んだ。


     ◇


 奥へ行くほど、冷たさははっきり変わった。


 最初は頬へ当たる空気が冷たい程度だったものが、いつの間にか靴底から足へ上がってくるようになっている。岩壁の霜も厚くなり、水たまりの縁には薄い氷が張っていた。


 ロアンがいつもの声を抑えて言った。くたびれた外套の肩には、いつの間にか細かな霜が付いている。


「この先。前に来たときと同じ音がする」


「動いてるか?」


「たまに。重いものが石を擦ってる。距離は……もう近いね」


 レオンが全員を止めた。


「ここから先は前に来たときと同じだ。ベラは俺の後ろ。ロアンはさらに後ろ。キュウは俺が止まれと言ったら止まれ。飛び込むな」


「きゅ」


「前より返事が短いな」


「緊張してるんじゃない?」


 ロアンの声も少し低かった。


 ベラは自分の掌を開いた。手首から先に残る古い火傷痕の上で、指を二度曲げる。火はいつも通り出せる。問題は、いつ、どこへ出すかだった。


「レオン。前に見たとき、あいつはどのくらい動いたんだい」


「ほとんど動いてない。こっちを見たが、縄張りの奥から出てこなかった。今日は近づけば違うと思え」


「分かった。最初から焼けって言わないでよ。氷の戻り方を見ておきたいからね」


「それでいい。俺も剣がどこまで通るか分からん」


 レオンが鞘から青魔鉄の剣を抜くと、薄暗い中で青灰色の刃が発光苔の光を拾った。


 広い空洞へ入ったところで、ベラは最初、奥にあるものを岩だと思った。


 人の背丈を越える大きな塊が、凍った水辺のそばに伏せている。だが、白く曇った息が広がり、そのたびに肩の氷がわずかに鳴った。


 頭が持ち上がる。


 青白い氷の殻が何層も背中へ重なり、その下で灰色の鱗が動いた。太い尾が床を擦り、石の上に長い白い跡を引く。


「……話より大きいじゃないか」


「俺もそう思った。最初は岩かと思った」


「奇遇だね。あたしもだよ」


 レオンは剣先を下げたまま、少しずつ右へ動いた。


「北方の《氷殻大蜥蜴》なら、冷気と殻が厄介だって話までは聞いた。弱点は知らん。来るぞ」


 大蜥蜴の喉が膨らんだ。


 ベラには、その瞬間だけ首の下へ白い霜が集まるのが見えた。


「息だよ!」


 レオンとキュウが左右へ離れる。


 次の瞬間、白い冷気が床を這った。濡れていた石が一気に白く曇り、薄い氷が走る。


「冷気、もう一回来るよ!」


 後ろでロアンの声が飛んだ。


 キュウが右から駆けた。凍った床で前脚が少し滑り、身体が外へ流れる。


「キュウ、戻れ!」


 レオンの声でキュウが踏み止まる。その前を、大蜥蜴の尾が低く薙いだ。半歩遅ければまともに受けていた。


「きゅっ!」


「だから追うな! 俺を見ろ!」


 レオンが尾の戻りへ合わせて踏み込み、青魔鉄の剣を大蜥蜴の肩へ叩き込んだ。鋭い金属音のあと、氷殻へ白い線が走った。


「割れた!」


「浅い!」


 レオンがもう一度同じ場所へ振り下ろす。今度は氷の欠片が飛んだ。


 ベラは掌を向けた。


「そこ、開けな!」


 火球を絞る。大きく広げればレオンまで巻き込む距離だったため、細く、狭く撃った。


 火が亀裂へ当たり、蒸気が上がる。


 だが、大蜥蜴が身体をひねったせいでレオンが火線へ入った。


「退きな!」


 ベラは火を切った。


 レオンが下がる。その間に大蜥蜴の肩から白い霜が広がり、さっき剥がれた部分へ薄い氷が戻り始めた。


「戻るの早いね!」


「やっぱり中から冷えてる!」


 ベラは舌打ちした。


 最初に思っていた通りだ。外側だけ溶かしても、火を離せばまた冷える。


「もう一回いくぞ!」


 レオンが叫ぶ。


 大蜥蜴が身体ごと前へ出た。前に見たときは縄張りの奥で伏せていたという巨体が、動けば思っていたより速い。


 レオンは真正面を避け、横へ回る。キュウも続いたが、今度は先へ出ず、レオンの一歩後ろで向きを合わせた。


 ロアンの指がリュートの弦を弾いた。一音。それからもう一音。短い歌が始まった。


 ベラには歌詞を追う余裕などなかった。ただ、レオンが踏み込むところで音が強くなり、キュウが動く直前に拍がひとつ空く。


 妙に合わせやすい。


「これが《戦歌》かい」


 返事の代わりに、次の一音が強く鳴った。


 ベラはその拍へ合わせて一歩出る。レオンの剣が肩の亀裂へ入り、キュウが横腹へ体当たりした。大蜥蜴の身体が傾き、氷殻が石へ擦れる。


「今!」


 ベラは火を入れた。だが、今度はキュウが近い。火を広げれば、黄土色の背中まで焼く。


「キュウ、退きな!」


「きゅ!」


 キュウが一歩遅れて離れる。その一歩の間に、大蜥蜴が前脚を振り上げた。


 レオンが剣で受けずに身体を引く。崩れた氷の欠片が床へ落ちたが、亀裂の奥までは焼けず、また白い霜が戻っていった。


「ちくしょう、面倒だね!」


 火力が足りないのではない。


 もっと大きな火なら、なおさら撃てない。


 前にいる二人を退かせ、その間だけ火を通す。昔から何度もやってきたやり方だった。


 前衛が敵をまとめ、合図で退き、自分が焼く。それで勝てる相手は多かった。なのに今は、その一歩が腹立たしかった。


 キュウはせっかく身体を押し込んでいる。レオンは氷を割るために近づかなければならない。二人を遠ざけてから火を撃てば、そのたびに大蜥蜴へ立て直す時間を渡す。


「ベラ!」


 レオンの声が飛んだ。


 大蜥蜴の喉へまた霜が集まっている。


「分かってる!」


 ベラは火を横へ広げて冷気へぶつけ、白い息を押し散らした。蒸気が視界を覆う。


 その向こうでキュウが低く唸った。見えない。聞こえるのはロアンの歌と、爪が石を掻く音、剣が氷へ当たる音だけだ。


 自分の火が邪魔だった。昔と同じだ。火が強いから皆が退き、皆が退いてから自分が撃つ。それが嫌だったはずなのに、ここでも同じことをしている。


 ベラの頭へ、洞窟の炉が浮かんだ。あの火の前では、誰も退かない。


 ミラは鍋を置く。ロアンは弦を張り直す。キュウはぎりぎりまで腹を寄せ、レオンは帳面を広げる。ティルダとフレイは煤や木粉をつけたまま、仕事の切れ目に火の前へ来る。


 戦場で一人きりのように感じていた。それが嫌だったのだと、ふと思いだした。ベラの火を皆が避ける。まるで、皆が自分を避けているように。


 同じ火なのに、誰も避けない。


「あの炉の火なら……」


 白い蒸気が薄くなる。


 レオンが大蜥蜴の前脚をかわし、キュウが横から肩へぶつかる。


「そのまま押さえられるのに」


 視界の端に文字が浮かんだ。


《既存体系に該当しない職能構成を確認》


《新規職候補――炉火継ぎ》


《新規技能候補――分炉 Lv1》

《新規技能候補――炉縁火 Lv1》

《新規技能候補――火加減共有 Lv1》


《新規定義を受け入れますか?》


《はい》

《いいえ》


「今かい!」


 ロアンが歌の合間に聞き返す。


「何が?」


「あとで!」


 大蜥蜴の尾が床を叩いた。


 炉火継ぎ。妙な名前だった。けれど、何を継ぐのかは分かった。


 料理を捨てるわけでもない。今まで使ってきた爆炎を捨てるわけでもない。


 あの炉の火を、ここへ連れてくる。


 ベラは《はい》へ触れた。


《新規職《炉火継ぎ》を定義しました》

《新規技能《分炉 Lv1》を取得しました》

《新規技能《炉縁火 Lv1》を取得しました》

《新規技能《火加減共有 Lv1》を取得しました》


「《分炉》!」


 石床の上で、炎が立った。


 薪も炭もない。けれど色だけなら毎日見ている火と同じだった。


 橙色の炎が低く揺れた瞬間、胸の奥へ一本、火の通り道ができたような感覚があった。


 ベラは掌を大蜥蜴へ向ける。


「《炉縁火》!」


 分炉の炎が走り、レオンの横を抜ける。ベラは反射的に火を止めかけた。


 止まらない。炎の方がレオンを避け、肩のすぐ横で二つに割れて、その向こうの氷殻へまとわりついた。


「何だ、これ!」


「知らないよ! 今できたんだから!」


 キュウが大蜥蜴の横腹へ噛みついている。


 炎は黄土色の身体へ触れず、背中と腹の両側を回って氷へ届いた。


「キュウ、そのまま押さえてな!」


「きゅう!」


 もう退かせなくていい。


 ベラは火を強くした。


 氷殻の表面が一気に溶ける。白い蒸気が上がったが、今度は火を切らない。


「レオン! 割ったところを離すんじゃないよ。戻る前に中まで熱を入れる!」


「分かった!」


 青魔鉄の刃が肩へ叩き込まれる。一度、二度。亀裂が広がったところへキュウが身体ごとぶつかり、氷の塊が剥がれ落ちた。


 ベラはそこへ炎を這わせる。肉を焼くときと同じではない。それでも、見る場所は同じだった。どこが冷たいのか、どこから冷えが戻ってくるのか。表面だけ熱くしても、中が冷たいままなら意味がない。


「焼くんじゃないよ」


 ベラは大蜥蜴の首の付け根へ火を沿わせた。


「火を入れるんだ」


 右肩の氷殻がまとめて落ちる。大蜥蜴が吠えて身体を大きく振り、キュウが弾かれて床を転がった。


「キュウ!」


「きゅっ!」


 すぐに起きた。


 だが大蜥蜴の尾が続けて来る。


「伏せろ!」


 レオンの声でキュウが腹を床へつけた。尾が角の上を通り過ぎる。


 ロアンの歌が一段強くなり、レオンが踏み込む。その一歩がベラにも分かった。


「首、右!」


 青魔鉄の刃が氷の薄くなった首元へ入る。大蜥蜴が頭を振るが、キュウが反対側から首へ噛みついた。


 昔なら叫んでいた。退け。火を撃つ。今は違う。


「キュウ、そのまま!」


 ベラの炎がキュウを避け、首の反対側へ回り込む。


 氷が割れる。


「レオン!」


 刃がもう一度、深く入った。大蜥蜴の前脚が崩れた。


 巨体が傾き、凍った水際へ肩から倒れ込む。床が揺れ、薄氷が一斉に割れた。


 それでもまだ尾が動いた。


「終わってない!」


 ベラが叫ぶ。レオンは横へ回り込み、露出した首の付け根へ青魔鉄の剣を両手で突き入れた。大蜥蜴の身体が一度だけ大きく痙攣し、長い尾が石床を擦る。それから、動かなくなった。


     ◇


 ロアンの歌が止まったあと、耳に残ったのは全員の荒い息だった。


 ベラはその場へ座り込みたかったが、床が冷たすぎてやめた。膝へ手をつき、息を整える。


「……死んだ?」


「待て」


 レオンはすぐには剣を抜かなかった。


 しばらく首筋と胸の動きを見てから、ようやく一歩下がる。


「死んだ」


 ロアンも息を整えながら周囲へ耳を澄ませた。


「近づいてくる音はないよ。今は大丈夫そうだ」


「それなら少し休めるね。こっちはもう腕が上がらないんだから」


「俺も周りを確認してから休む」


「じゃあ、その間はキュウを見てるよ」


 キュウが大蜥蜴の横で立っていた。


 脇腹へ氷の欠片が張りつき、鼻先には薄く血が付いている。怪我かと思ったが、自分の血ではなさそうだった。


「キュウ、こっち来な。身体見せて」


「きゅう」


 キュウは来なかった。


 代わりに、片方の前脚を上げた。


「何だい」


 ロアンが先に笑った。


「覚えてたんだ」


 彼も片手を上げる。


「前に四匹倒したときにやったんだよ。勝ったら、こうやって称え合うの」


「今それやるの?」


「今だからやるんじゃない?」


 レオンはもう慣れた顔で、キュウの前脚へ掌を当てた。


 ぱん、と軽い音がする。


「よく戻った。最後も勝手に追わなかったな」


「きゅ!」


 今度はロアン。


 キュウが少し勢いよく前脚を振り、乾いた音が響いた。


「痛い。キュウ、僕にはもう少し優しく」


 最後に二人がベラを見る。


「……あたしも?」


「もちろん。火がなかったら、まだあの氷を割ってたよ」


「全員でやるんだろ。ほら」


 レオンはそう言いながら掌を上げている。


「……あんたまで乗るんだね」


「一回始めたら、もう毎回やるらしい」


「キュウも気に入ってるから、たぶんやめられないね」


 ベラは笑ってしまった。


「分かったよ。ほら」


 ロアン、レオン、最後にキュウ。


 キュウだけは本当に痛かった。


「加減覚えな!」


「きゅう!」


 戦友の声としては、悪くなかった。ベラは今度こそキュウを捕まえ、脇腹と脚を触って確かめた。浅い擦り傷と打ち身らしい跡はあるが、歩けないような怪我ではない。


 それから視界の端に残っていた自分の職業札を見ると、職名があった場所だけ、見たことのない崩れた文字になっていた。


「……こっちは壊れたみたいになってるね」


「職業札?」


 ロアンが覗こうとしたが、ベラは胸元の札を指で押さえた。


「見るなら後。帰ったらミラに聞くよ。名前は分かってる。《炉火継ぎ》だってさ」


「炉火継ぎ」


 レオンが大蜥蜴から剣を抜きながら言った。


「爆炎術師じゃなくなったのか?」


「職名はね。火が出なくなった感じはしない。さっきも出しただろ」


「新しい技能も?」


「三つ。《分炉》《炉縁火》《火加減共有》。最後のはまだ分からない。今ここで試す気もないよ」


「それでいい」


 レオンは血と融けた氷を剣から拭った。


「帰ってからだ」


「帰る前に肉だよ」


 ベラは大蜥蜴へ振り返った。


 レオンが一瞬、何か言いたそうな顔をした。


「何さ」


「もう食う方まで考えてるのか」


「食えるかどうか大事だろ。レオン、鑑定」


「分かったよ」


 レオンが大蜥蜴へ手を当てた。


 少しして、鑑定結果を読み上げる。


《氷殻大蜥蜴》

《外皮――高耐刃・高耐冷素材》

《肉――食用可・品質極上》

《中氷魔石――胸部》


 ベラの疲れが少しだけ引いた。


「極上って、本当にそう出てるのかい?」


「そう出てる。食用可、品質極上。持って帰れるなら十分価値はある」


「じゃあ全部持って帰るよ」


「……全部か?」


「食えるところは全部。皮も魔石も。せっかく倒したのに置いて帰る理由があるかい」


 レオンは大蜥蜴の大きさを見た。


「理由なら重さがある。見ろ、ベラが言ってるのは俺たちよりでかいぞ」


「解体すれば分けられる。四人とキュウがいるんだから何とかなる」


「そういう問題か?」


「そういう問題だよ」


 ロアンが大蜥蜴と自分の細い腕を見比べた。


「僕、今日は魚を諦めてもいい気がしてきた」


「最初からそうしな」


     ◇


 解体へ入る前に、空洞の奥で低い音がした。石が擦れる音に全員が振り返ると、前に来たときは氷と岩しかなかった壁の一部へ縦の線が入り、ゆっくり奥へ退いていく。


 冷たい風が流れ、その向こうにさらに下へ続く石段が現れた。


「……まだ下があるのか」


 ロアンがリュートを背負い直す。


 レオンはすぐには近づかず、空洞と大蜥蜴の死骸を見比べた。


「あいつを倒したのがきっかけには見えるな」


「倒したから開いたってこと?」


「そう見える。ただ、それ以外はまだ分からん。決めるのは次に確かめてからだ」


 ベラは新しい階段を見た。


 下から来る空気は冷たいが、今いる場所とは匂いが違う。湿った土や水ではなく、乾いた埃のようなものが混じっている。


 ロアンが入口近くまで寄り、目を閉じた。


「何か聞こえる?」


「……遠いね。ここみたいに水は多くない。たまに、金属が擦れるみたいな音がする。歩いてるのか、何かが動いてるのかまでは分からない」


「降りるかい?」


 ベラが聞くと、レオンは即座に首を振った。


「今日は見ただけで十分だ。俺も腕が重い。キュウも疲れてる。ベラはさっき新しい技能を使ったばかりだ。しかも、これから肉を全部持つんだろ」


「最後の一つが一番大きいね」


「自覚あるのか」


 そのとき、新しい階段の脇で石がもう一度動いた。


 壁際の床がせり上がり、小さな石の宝箱が現れる。蓋には鍵も留め金もなく、レオンが慎重に開くと、中には掌へ収まる大きさの半透明の宝珠が一つ入っていた。


「今度は何だい」


 レオンが手袋越しに宝珠を持ち上げた。


「宝珠だ。こういう魔法道具は見たことがある。ただ、何の効果かは分からん」


「鑑定できないの?」


「俺の《素材鑑定》は素材を見る技能だ。魔法道具の性能まで何でも分かるわけじゃない」


「じゃあ持ち帰りだね」


「それは最初からそのつもりだ」


 レオンは宝珠を布へ包み、内ポケットへ入れた。


「階段も宝珠も、帰ってから考える。その前に一つ試す」


 レオンは大蜥蜴の死骸へ目を向けた。


「《帰還》だ。待機は明けてる。これごと戻せるなら、解体も向こうでやった方が楽だ。全員、俺の近くへ寄れ」


「それがあったね!」


 ベラは素直に喜んだ。荷車ごと帰れた技能なら、この大蜥蜴一頭くらい試す価値はある。キュウもロアンも死骸の脇へ寄り、レオンが《帰還》を使うときのように目を閉じた。


 だが、何も起こらなかった。


 いつもなら始まる輪郭の変化もない。レオンは位置を少し変えてもう一度試したあと、首を振った。


「駄目だ。待機の問題じゃない。ここじゃ《帰還》そのものが動かないらしい。理由は分からん」


「じゃあ、切って持つしかないね」


「帰還が使えないなら、量を減らすしかないぞ」


「極上って聞いたあとに置いて帰れるわけないだろ」


 レオンはため息をつき、解体用の短刀を抜いた。


「分かった。使えるところから分けるぞ」


     ◇


 そこから先が、戦闘とは別の意味で大変だった。


 外皮は厚いうえ、氷の残っているところを剥がすだけでも手が冷える。レオンが青魔鉄の剣ではなく解体用の短刀へ持ち替え、ベラが肉を傷めない切り方を横から指示する。


「そこ、骨に沿って。雑に切ると肉が皮へ残る」


「この角度か?」


「そう。もう少し刃を寝かせて。あたしは腕が重いから、今日は口で手伝うよ」


「…分かった」


 ロアンも最初は横で見ていたが、しばらくすると自分の仕事が回ってきた。切り分けた肉を布袋へ詰める役だった。


「これ、一袋で何斤ある?」


「量れないから、持って階段を上がれる重さで止めよう」


「持てるけど、これ持って階段を上がるんだよね」


「無理なら減らしていいよ。全部って言ったのはあたしだから」


「じゃあ今は持つ。途中で無理なら言うよ」


 《素材鑑定》で価値が低かった砕けた骨片だけは残したが、食える肉、外皮、中氷魔石は一つも置かなかった。


 大きな外皮は丸めて縄で縛り、レオンが肩へ担いだ。その上から肉袋を一つ背負う。


 ロアンには両肩へ肉袋。


 ベラも左右の手へ肉袋を一つずつ持ち、背中へ比較的軽い部分を括った。


 キュウには肉を詰めすぎないよう二つの袋を左右へ分け、簡単な帯で背へ固定した。最初は嫌がって身体を振ったが、レオンに「無理なら一つ減らす」と言われると、なぜか踏ん張った。


「キュウ、張り合うところじゃないよ」


「きゅ」


「本人が持つって言ってる。たぶん、このまま運ぶ気だ」


「男の子だからなのかねぇ。やせ我慢しちゃってさ」


 最後に中氷魔石を布で何重にも包み、ベラは両手の肉袋を下げたまま、包みを両前腕の間へ抱え込んだ。


「冷たい!」


「だから俺が持つと言っただろ」


「あんたは皮で前見えなくなるじゃないか。落とすよりいいよ」


「宝珠は俺が持ってる。転ぶなよ」


「誰に言ってんだい」


 立ち上がった瞬間、ベラの膝が少し沈んだ。


 レオンが無言で見る。


「……今のは床が滑っただけ」


「そういうことにしとく」


 ロアンが両手の塞がったまま、新しく現れた階段を振り返った。


「下、気になるなあ」


「今日はやめとこう。今の荷物で階段を増やすのは無理だよ」


「帰ろう」


「うん。それがいい」


 歩き出すと、来るときには短く感じた道が、帰りは妙に長かった。


 水場へ差しかかると、小さな魚が薄暗い水の中を走った。ロアンは肩から下げていた網を見たが、誰も何も言わなかった。


「……今日はやめよう」


「それでいい。今日は肉だけで十分だよ」


 ベラが頷いたところで、腕に抱えた魔石がずれ、慌てて抱え直した。


 キュウは最初こそ元気に歩いていたものの、途中から明らかに歩幅が小さくなった。それでも袋を降ろそうとすると嫌がるので、レオンが休憩を二度入れた。


「無理して運ぶのを覚えさせたいわけじゃないぞ」


「きゅう」


「次は少し軽くする」


「きゅ……」


「それがいい。最後まで元気に帰れる重さにしよう」


 ベラ自身も人のことは言えなかった。


 階段の下へ着いた頃には、腕も肩も戦闘後より痛い。


「これ、上まで何段あるんだい」


「来るとき数えてない」


「来るときに数えとけばよかったね」


「帰りに数えれば、次は分かる」


 一段ずつ上がる。


 前を行くレオンの外皮が階段の壁へ何度も擦れ、後ろではロアンが「待って、今右の袋がずれた」と呻いている。キュウは荷物をぶつけないよう身体を斜めにしようとして、かえって壁へぶつかった。


「きゅう!」


「真っ直ぐ歩きな!」


「その声なら、あと少し登れそうだね」


「口だけならね!」


 ようやく上から暖かい空気が流れてきた。主洞の匂いがする。炉の火と木、それに昼の煮込みの匂いだった。


「戻ったぞ」


 レオンの声に、向こうで椅子を引く音がした。


「お帰りなさい」


 ミラの声がする。


 階段を上がり切ったところで、ベラはようやく中氷魔石を床へ置いた。


「冷たい、重い、もう二度と全部持って帰るなんて言わないよ」


 ロアンが肉袋を降ろしながら笑う。


「次も言うと思う」


「……言いそうで嫌だね」


 ミラの目が四人とキュウを順に動いた。


「お怪我はありませんか?」


「擦り傷くらいだよ。キュウも見たけど、大きいのはない」


 それを聞いてから、ミラはベラを見た。


「ベラさん。《炉火継ぎ》になったんですね」


 やはり、あちらにも出ていたらしい。


「見えてたのかい」


「はい。新しい職業が定義されたときに、こちらにも表示が出ました」


 ベラは胸元の職業札を持ち上げた。職名のところには、まだ読めない文字が並んでいる。


「名前は分かるのに、札はこんなだよ。あとでミラから帰り火に聞いてもらう。今はそれより、この肉を冷やす場所を空けて」


「全部持ってきたんですか?」


「使えるところはね」


 ティルダとフレイまで奥から出てきて、床へ積まれた肉と丸めた外皮を見た。


「でかっ!」


「皮、あとで広げていい?」


「あと。まず肉!」


 ベラは腕を揉みながら厨房へ向かった。背後ではレオンが布包みから宝珠を出し、ロアンが新しい下り階段のことを話し始めている。


 帰り火の前には、さっきまで存在しなかった量の肉が積まれていた。

「みんなを退かせて撃つ火」ではなく、「みんなの間を抜けて届く火」。

ベラは《炉火継ぎ》になりました。

今回のベラを格好いいと思っていただけたら、評価をひとついただけると嬉しいです。

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